『燈籠』
「春は曙 ようよう白くなりゆく山ぎは少しあかりて…」
「つれづれなるままに 日ぐらし硯に向かいて…」
「祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり…」
「木曽路はすべて山の中である…」
「道がつづら折りになって いよいよ天城峠に近づいたと思うころ…」
有名な作品というのは、読んだことの無い人でも、
冒頭部分だけは知っているものです。
教育の力は大きい…
書き出し次第で、引き込まれることもあれば、その逆もあるでしょう。
作家にとっては腕の見せ所なのかも知れません。
『燈籠』は、
「言えば言うほど、人は私を信じて呉れません。」
この書き出しがあったから、最後まで読んだと言ってもいいくらい。
『燈籠』も女性の一人称で書かれていますが、この作品に限らず、
太宰作品のヒロインの多くが、どこかしら自分に似ていると思ってしまうのです。
さき子のように、売り物に手を出してしまうことは、
この先の人生でもあるとは思えませんが、性格的な共通点があるように思えて…
そう感じるのは私だけではないのでしょうが。
作品解説者の小山清は、
“私はこの作品を、なんべん繰り返し読んだことだろう。
彼(太宰治)のもとを訪ねるようになってから、あるとき彼に、
「燈籠」の少女が好きだと言ったら、彼はうなずいて、「あれは僕だよ」と言った。"
と書いています。
また太宰治の作品が、難解でも冷酷でも意地悪でもないのは、
太宰治が、
"おのれに厳しく、ひとに寛大な人だったからである。"
とも。
作家というものは、気むずかしく、自分にも人にも厳しいと勝手に思い、
太宰治もまた、人に厳しい人かと思っていましたが、
私の根拠の無い思い込みより、交流のあった小山清が正しいのは当然です。
太宰治『女生徒』(角川文庫)
収録作品
(「燈籠」「女生徒」「葉桜と魔笛」「皮膚と心」「誰も知らぬ」「きりぎりす」「千代女」
「恥」「待つ」「十二月八日」「雪の夜の話」「貨幣」「おさん」「饗応夫人」)
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