* 思い出

土鈴

土鈴はお土産品としても珍しくはありませんが、
音色、形ともに惹かれるものには、なかなか出会えないものです。

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手前中央は、日本三大土鈴の一つ、山梨県御岳金桜神社の「虫切り鈴」

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その後ろは、白馬で見つけた「馬土鈴」
裏には「槍は星空 杓子は月夜 恋しい白馬は雪明り」が…

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左の草鞋付きは「馬子乃鈴」
右は夜叉神峠(南アルプス)の「なんじゃもんじゃ」(雨ふらせ)

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一番のお気に入りは、朱と緑が塗られた「くまおい」の鈴
音も形も素朴で優しいです。

処分するつもりだったのに、ついうっかり振ってしまいました。

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昔の日本は清潔だった…5

ひびアカギレで思い出したのですが、
今年96歳になる父は、幼稚園小学校1年の時、冬になるとアカギレで歩けなくなり
お手伝いさんに乳母車で送り迎えして貰っていたそうです。

私が子供の頃も、父はよく万金膏という膏薬をちぎって火鉢であぶり、
かかとなどに貼り付けていたものでしたが、
知人からユースキンを聞いてからは、アカギレで悩まされることもなくなりました。

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昔の日本は清潔だった…4

衛生、栄養ともに良好とは言えなかった時代…
そのせいなのかは分かりませんが、
時々「ものもらい」で眼帯をしている子がいました。

私もその一人で、「ものもらい」に何度もなったために、
周りから“何でも欲しがるから…”とからかわれ、
心の中で“ねだったりしないのに…!”と抗議してました。

度々かかるうちに、眼科へ連れて行くのが面倒になったのか、
母がホウ酸水で洗って治療してくれました。

ところで、昭和30年頃の冬の風物詩でしょうか、
洟垂れで上着の袖口がカチカチになっている子や、
「しもやけ」で手の甲が腫れ上がった子、
それが割れて包帯を巻いた痛々しい姿の子もいました。

私は「しもやけ」の経験はありませんが、
ひび切れで、時々「ももの花」をつけていましたが
なぜか「しもやけ」の子が羨ましく感じていました。

…寄生虫が共存(?)していた当時、
「虫下し」も日常的な言葉でした。

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昔の日本は清潔だった…3

考えられないと言えば、害虫が発生する時期になると、
家の中の噴霧消毒が行われました。

次第に近づいて来る消毒車のエンジン音に、
子供心に言いようのない不安に襲われたものでした。

食品や食器類を片付け、すべての窓を閉め切って、
ドキドキしながら外で待っていると、うちの番になり、
玄関から白い消毒を大量に噴霧し、密閉状態にさせてから、
煙が収まった頃を見計らって家に入ると、
普段見掛けないような虫の無残な姿が目に入り、
ゾッとさせられた記憶が今も甦ります。

あるとき、ご近所のおじいさんが臥せっていたにも関わらず、
普通に噴霧消毒しているのを目の当たりにし愕然としました。

あの悪夢のような噴霧消毒…
人体に無害だったとはとても思えません。

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昔の日本は清潔だった…2

DDT…
といっても何のことか分からない人も多いでしょうね。

そういう私も殺虫剤ということぐらいしか知りませんが…

幼稚園の時のこと、
先生に明日手拭いを持ってくるよう言われ
家にある中から好みの柄を選んで登園すると、
物々しい雰囲気の中、衝撃的なことが起こりました。

園児全員、頭に白い粉末を吹き掛けられたうえに
持参した手拭いで覆われたのでした。

…それはシラミ駆除のためのDDT、
昭和30年代当時、まだシラミがいる子もいたらしいのです。

園児の頭に直接DDT…
今なら考えられないですよね。

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昔の日本は清潔だった…

今はネズミやハエ、ノミなどを見掛けることはありませんが、
昔は大抵の家にネズミ捕りがあって、
お勝手の隅などに仕掛けてあったものでした。

“いない!”と思っても油断は禁物…
ハエ避けの蚊帳は卓袱台の必需品、
天井用には、ガラス製の細長いハエ捕り棒がありました。
(底に水を入れるようになっていました)

魚屋さんには、ハエ取りの粘着リボンが下げられていましたが、
うっかりすると髪に付いて大騒ぎになることもあって…
(子供だったので経験ありませんが)

また、小さい頃の私は家族で一番ノミに好かれ、
睡眠中に餌食にされたものでしたが、
翌朝、布団を畳む際に母が仇を取ってくれました。
(“娘の血を吸うとは許せない”と言いながら…)

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思い出だけを保存して

もう使うこともないから処分しなけれは、
と思いながらも、先送りしているものの多いこと。

高校のクラブ活動で使っていたマンドリンもその一つ、
弾かなくなって、どれくらい経ったことでしょう。

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久しぶりにケースを開けてみたら
ピックも、E線(カラチ)も、調子笛もありましたが
音合わせする気も湧かなくて…

やっぱり過去の物、
自分の物は自分で処分しなければ…。

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アンという名前

確か中1の時だったと思いますが、クラスの大半の女子が、
「赤毛のアン」に夢中になったことがありました。

今でも、しっかり覚えているのは、級友の一人が、
「将来、結婚して女の子が生まれたら、アンと付けたいけど、
外国の名前だからね~ “アン子”じゃ、あんこ(餡こ)みたいだし…
男の子なら“ギルお”…は、もっとへんだよね…」
と言って、大笑いしたことです。

「ギルお」はさておき、
今は、「杏(あん)」も「アン」も、日本人の名前ですよね。

昔は、名前についても、今のような自由な発想がなく、
先入観にとらわれていたようです。

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「お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ」

20140312
「お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ」
竹内 徹/著
星和書店

ドキッ!
私も小さい頃、多分叱られた時でしょうが、母から
“○○川の橋の下から拾って来た”
と言われたことがありました。それも一度ならず…

素直じゃない私は、100%信じなかったので傷付きもしませんでしたが、
同世代の友人にも言われた子は多く、中には
“いつか本当のお母さんが迎えに来てくれる…”
と言っていた友達もいました。

2年ほど前、母に尋ねたところ、
「私も子どもの頃、母親に“△△川の橋の下から拾ってきた”と言われたよ」
とあっけらかんと言われてしまいました。

今と違って、養子や里子が多かったであろう時代、
きっと、捨て子もそう珍しいことではなかったのでしょう。

腹立ち紛れに、
“あんたはうちの子じゃない、育ててやってるのだから言うことを聞きなさい!”
と言う普通の言葉だったのかもしれません。

調査の結果によれば、言われた経験のあるのは圧倒的に女性とか…
やはり子育ても男尊女卑ってことでしょうか?
それとも、男性にとっては些細なこと、覚えていないだけなのでしょうか?

驚くことに、この恐怖のフレーズは過去のものではないとのこと。
お願いです、たとえ冗談でも言わないで…。

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獅子舞

二月も中旬にもなって、お正月の話題も変ですが、
昔はお正月になると獅子舞がやってきました。

遠くから聞こえてくる太鼓や笛のお囃子の音に、
「あっ獅子舞が来た!」とワクワクしたものでしたが、
我が家もふくめ、みんな裕福とは程遠い庶民ゆえ、渡すのが少額だったらしく、
肩に担いだ獅子頭の口を、申し訳程度にパクパクさせるだけで行ってしまいました。

それでも中には奮発するお宅もあり、
「○○さんちでは片袖脱いだって」とか
「○○さんちではお座敷に上がって、お神楽を舞ったって」
などと、まるで別世界のことのように噂したものでした。

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youtubeで「正月獅子舞」と検索したら、
3年前に川越駅前で行われた獅子舞を見ることが出来ました。

そう、あんな感じでした…懐かしい…。

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