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「花子とアン」と「アンのゆりかご」

修和女学校のブラックバーン校長のモデルが、
実在した東洋英和女学校のブラックモア校長(1942年没)ということは確かのようですが、
「アンのゆりかご」を読んでいた時に、
“もしかしたらこの人があの人のモデルかも?”と思うことがありました。

例えば、スコット先生はミス・クレーグ、寮母の茂木のり子先生は寮母の加茂令子、
英語教師の富山タキ先生は小林富子というように…

醍醐亜矢子さんは、名前からダイアナでは、と思いましたが、
「アンのゆりかご」で、はなが給費生として東洋英和女学校に転入した日、
“御髪におリボンを付けないのは、着物に帯を締めないのと同じなんですって。
ミス・クラークが言ってらしたわ。さあこれでいいことよ。”
と、自分のリボンを外し、はなの髪に留めてくれた上級生の奥田千代がいました。
(この言葉は少女時代の醍醐さんの台詞になっていました。)

奥田千代(塩原千代)さんとは、卒業後も親交が続いたようです。

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