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2014年9月

「合同パルピテーション会」

「花子とアン」が終了したことで、ドラマを観る生活も終わりました。

いつも放送時間に観ることが出来ないので、録画予約し、
見終わると削除していましたが、一話だけはPCに残してあります。

…第10週、第56話「乙女よ、大志を抱け!」(6月3日(火)放送)です。

ももが朝市に思いを寄せていると気付いたはなは、二人を近づけるために、
徳丸家で「合同パルピテーション会」(お茶会)を開きましたが、
朝市にとってももは妹のような存在でしかなかったのです。
(いつも口の悪い武が、ももには優しかったのが意外。)

お茶会での四人の会話も可笑しかったですが、
朝市に送られてももが戻ったあとの、
吉平、ふじはなの遣り取りも、まるでコントのようでした。

その後の放送では、
朝市が好きなのがはなと悟り、北海道へ嫁ぐ決心したももは、
はなに説得され、朝市に告白…
そして朝市への想いを断ち切るかのように嫁いでいく。
という、再度観るのには辛いお話でした。

朝市の気持ちに気付かないはな
もも
の気持ちに気付かない朝市、
はなの不自然な様子を都合のいいように解釈する武、
すべてお見通しの母ふじ
でも、ふじは徳丸さんの熱い思いには全く気付かない…
もしかしたら、気付かぬふりをしていたのかもしれませんね。

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NHK朝ドラ

朝ドラを見る習慣が無かったのに、第一話から楽しみに観てきた「花子とアン」、
最後の最後、残念な感じになってしまいました。

脚本家の中園ミホさんは、
ぼくとつとした口調で、小津安二郎作品の笠智衆さんを思い出した」
とコメントされたそうですが、あれはぼくとつとは違うと思います…
他に言いようが無かったのでしょうが、笠智衆さんに失礼な気がします。

笠智衆さんは温和な中にも威厳があり、そのうえユーモアも感じられ、
大好きな役者さんですが、小津作品にしても、寅さんの御前様にしても、
唖然とさせられたことは、一度もありませんでした。

聞くところによると、NHK朝ドラでは、実在のモデルがいる場合、
終盤、関係者の出演があったようです。(「おていちゃん」「チョッちゃん」など)

当人や関係者にとっては嬉しいことなのかもしれませんが、
視聴者は必ずしも望んでいません。むしろ興醒めと感じる人もいるでしょう。

沢村貞子さんや黒柳徹子さんのように役者さんなら未だしも、
ずぶの素人を台詞の多い役で出演させるなんて、
視聴者だけでなく、他の出演者に対しても失礼だと思います。

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「花子とアン」最終回

終わってしまいましたね…
最終回なのに、何だか呆気なく感じました。

朝ドラを第一話から見続けたのは初めてですが、
女学校時代と甲府の教師時代が一番面白かったです。

編集者時代は村岡英治さん登場で冷めましたが(朝市派ゆえ)、
醍醐さん、宇田川満代さん等々、女性陣に救われた感じ…

今日も茂木さんの姿があり興醒め(出版社の社長だから当然ですが)、
今更言っても仕方ないことですが、社長役は知的なロマンスグレー(死語?)で、
寡黙で包容力を感じさせられるような役者さんにやって欲しかったです。

それから白鳥かおをる子さん、「勅使河原かをる子」になってましたね。
…勝手に資産家の後妻になったと想像…

「二人の腹心の友」に感動する醍醐さんがいじらしいかったです。
最後が醍醐さんらしいお洒落なパフスリーブのドレスだったのは良かったのですが、
娘時代に仕立てた設定なのか、体に合ってなかったことと、ベルトが残念。

一刻も早く辞書を引きたくて、出版記念會々会場を飛び出した花子…
冒頭の宇田川満代さんと同じ…きっと作家ならではなのでしょうね。

スピンオフドラマ「朝市の嫁さん」を楽しみにしています。

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「花子とアン」

「Anne of Green Gables」のタイトルが「赤毛のアン」に決定。
今日の内容は「アンのゆりかご」通りでした。

一旦は「窓辺に倚る少女」に決まったのですが、
その夜に、三笠書房(ドラマでは小鳩書房)の竹内社長(門倉社長)から電話があり、
“編集者の小池喜孝(小泉晴彦)が、「赤毛のアン」にしては?と言っているが…”
と提案されましたが、
村岡花子さんは、“想像の余地もない、絶対に嫌です。”と拒否…

でも、養女のみどりさん(ドラマでは美里)から、
“断然「赤毛のアン」になさいよ、お母様!「窓辺に倚る少女」なんておかしくってよ!”
と言われ「赤毛のアン」になったそうです。

「アンのゆりかご」では「道雄文庫ライブラリー」(ドラマでは「歩文庫ライブラリー」)は、
「赤毛のアン」出版後のことでした。

ラスト、
まるで醍醐さんから受け継いだかのようなリボンを付けた宇田川満代さん…
でも眉毛は自然でした。

いよいよ明日で終わりですね。

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「花子とアン」

花子が命がけで翻訳した「Anne of Green Gables」がついに出版…
本当なら感動のシーンのはずなのに、ガッカリでした。

なぜ、小鳩書房の門倉社長役が茂木健一郎さんなのでしょうか?
素人だから当然とは言え、まるで学芸会を見ているかのようでした。

茂木さんが「赤毛のアン」ファンで、アンに関する著作もあることは有名、
でも、素人をキャスティングしたことが理解出来ません。

制作側にとっても、想定外の演技だったのかもしれませんが、
茂木さんにしても、なぜ引き受けたのかしら。

茂木さんの演技に驚愕し、せっかくの美里ちゃんと二人の母との場面が
薄れてしまいました。

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「花子とアン」

告別式も終わり、安東家に家族と家族同然の木場母子が…
歩ちゃんの時を思い出しました。

クリスチャンだった村岡家は、教会で道雄(歩くん)の告別式を行いましたが、
同じくクリスチャンだった安中逸平(安東吉平)の葬儀も教会だったようです。

というのも、母親の告別式について、「アンのゆりかご」に、
“母の最期の声なき願いを汲み、母を仏式で弔った”とありましたから。
(母・てつは夫に従いクリスチャンでした。)

花子から東京で一緒に暮らすことを提案されたふじは、
感謝しつつも断りました。

若い時は、“どこで暮らす”かより、“誰と暮らす”の方が重要ですが、
お年寄りは逆…
たとえ一人暮らしになろうとも、住み慣れた場所から離れることは出来ません。

もしも想い出の詰まった住処から離れなければならないとしたら、
それは、どんなに辛いことでしょう。

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「花子とアン」

戦争は自然発生などではなく、
集団心理を巧みに操り起こされたもの。

集団催眠にかからない者は「国賊」「非国民」と罵られ、
投獄され拷問を受ける。

戦争推進派の手先だった吉太郎も、
終戦と共に、まるで悪夢から醒めたかのよう…

父との確執が解けただけでなく、
醍醐さんの行動力のおかげで、長~い春にも終止符を打てました。

修和女学校時代の、あの醍醐さんが甲府の農家に嫁ぐなんて、
誰が想像出来たでしょう…

今週は涙々でした。

六ヶ月間、見続けられるのかしら?
と思いましたが、来週は最終週…早いですね。

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「花子とアン」スピンオフスペシャル

始めは登場シーンが多かった朝市だったのに、
終盤になって、出番がほとんど無くなってしまい残念に思っていましたが、
公式HPを覗いたところ、嬉しいお知らせがありました。

既にご存じの方も多いでしょうが、
「花子とアン」のスピンオフドラマ「朝市の嫁さん」が放送されるそうです。

放送は、10月18日(土)、BSプレミアム 19時30分~21時、
詳しくは、公式HP「ニュース」をご覧下さい。

忘れないように、カレンダーのに印しておかないと!

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「花子とアン」

蓮さま、吉太郎と醍醐さん、そして蓮さま…
約10分間、ずっと涙が止まりませんでした。

予告では、偶然、闇市で吉太郎と再会した醍醐さんが、
「もうこれ以上吉太郎さんを待っていられません」と言ってたはずなのに。
…別のシーンの台詞だけを編集したのかしら…?

「いくらでも待ちます」と言っても、さんざ(20年間?)待たせた挙げ句、
「どうか幸せになってください」と去って行くなんて、醍醐さんが可哀相。

(お洒落していない今日の醍醐さん、より美しく、しかも若く感じました。
50歳過ぎなのに、とても見えません。)

梶原編集長と「小鳩書房」の編集者が村岡家を訪問、
しばらくぶりの明るい話題でほっとしました。
(梶原さんは富山タキ先生と再婚されたのですね。)

そして、ついに「Anne of Green Gables」の出版に向けて動き出すようです。

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「花子とアン」

…ついに終戦…
それなのに、最愛の息子の顔を二度と見ることが出来ない蓮さま…
涙が出てしまいました。
(白蓮の白髪については諸説あるようです。)

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

時と共に老けた人、何十年も殆ど変わらない人、
と年齢が分かりにくいので、終戦当時の推定年齢を整理してみました。
(村岡花子さんは誕生日を迎えています。)

《 》内はモデルとなった人物、は架空の人物です。

村岡家>(儆三は八人兄妹(六男二女)の三男)
村岡花子 53歳 《村岡はな…明治26年(1893)6月21日~昭和43年(1968)10月25日》
村岡英治 58歳 《村岡儆三…明治20年(1887)~昭和38年(1963)2月6日》 
村岡美里 12歳 《村岡みどり…昭和7年(1932)9月13日~平成6年(1994)》 

安東家>(はなは八人姉弟(四男四女)の長子)
安東吉平 84歳 《安中逸平…?~昭和22年(1947)享年88歳
安東ふじ 74歳 《安中てつ…?~昭和29年(1954)12月17日…享年83歳
安東吉太郎 53~54歳(はなの一つ年上)
安東かよ 50~51歳(はなの二つ年下)

益田家
益田 旭 ?歳 《坂田 巌》 
益田もも 46歳(はなの六つ年下) 《坂田梅子(はなより11歳年下)
益田直子 7歳 《坂田晴子》
          (※他に一穂?(性別不明))
宮本家
宮本蓮子 58歳 《宮崎燁子(柳原白蓮)…明治18年(1885)10月15日~
                                    昭和42年(1967)2月22日》
宮本龍一 51歳 《宮崎龍介…明治25年(1892)11月2日~昭和46年(1971)1月23日》
宮本富士子 17歳 《宮崎蕗苳…大正14年(1925)9月~》

その他
醍醐亜矢子 52~53歳(はなの同級生)…ダイアナ?
木場朝市 52~53歳(はなの同級生)
徳丸 武 52~53歳(はなの同級生)
雪乃 43歳 《春駒(森光子)…明治35年(1905)~?》
嘉納伝助  83歳 《伊藤伝右衛門…万延元年11月26日(1861年1月6日)
                                  昭和22年(1947)12月15日》
葉山晶貴 69歳 《柳原義光…明治9年(1876)9月2日~昭和21年(1946)1月25日》
北澤 司 57歳 《澤田廉三…明治21年(1888)10月17日~昭和45年(1970)12月8日》

<故人>
安東周造…マシュウ・クスバート
村岡香澄 《村岡 幸(旧姓・江川)
村岡平祐 《村岡平吉…寛永5年5月20日(1852年7月7日)~大正11年(1922)5月22日》
村岡郁弥 《村岡 斎…?~大正12年(1923)9月1日》
(※村岡嘉男(先妻との長男・登場せず)?~大正12年(1923)9月1日)
村岡 歩 《村岡道雄…大正9年(1920)9月13日~大正15年(1926)9月1日》
宮本浪子 《宮崎槌…明治4年(1871)12月19日~昭和17年(1942)
宮本純平 《宮崎香織…大正11年(1922)~昭和20年(1945)8月11日》

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「花子とアン」

放送のあと、すぐに美輪明宏さんと中園さんの対談が始まったので、
「いちおしの登場人物」だけ見ましたが、
中園さんのいちおしが嘉納伝助だったのは予想通り、
でも、美輪さんの「白鳥かおるこ」は意外でした。

候補の登場人物(男性)七人に、
(村岡英治、村岡郁弥、宮本龍一、嘉納伝助、木場朝市、安東吉太郎、黒沢一史)
なぜ、吉平おとうやんは入っていなかったのでしょう?
おじいやんも、武も、地主の徳丸さんもいなかったのはなぜ?

おじいやんと地主さん親子はともかく、
安東吉平は、少なくとも黒沢という人より重要だったと思いますが?

私としては、朝市の次に魅力的に感じたのは吉平おとうやんでした。
(寡黙な吉太郎も好き)

確かに家族に迷惑掛けたところもありますが、向学心があって、
先見の明があり、時流に流されない、我が子の才能を見抜く力があり、
また伝助とは違って、生涯妻だけを愛したことも素敵でした。

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「花子とアン」と「アンのゆりかご」

修和女学校のブラックバーン校長のモデルが、
実在した東洋英和女学校のブラックモア校長(1942年没)ということは確かのようですが、
「アンのゆりかご」を読んでいた時に、
“もしかしたらこの人があの人のモデルかも?”と思うことがありました。

例えば、スコット先生はミス・クレーグ、寮母の茂木のり子先生は寮母の加茂令子、
英語教師の富山タキ先生は小林富子というように…

醍醐亜矢子さんは、名前からダイアナでは、と思いましたが、
「アンのゆりかご」で、はなが給費生として東洋英和女学校に転入した日、
“御髪におリボンを付けないのは、着物に帯を締めないのと同じなんですって。
ミス・クラークが言ってらしたわ。さあこれでいいことよ。”
と、自分のリボンを外し、はなの髪に留めてくれた上級生の奥田千代がいました。
(この言葉は少女時代の醍醐さんの台詞になっていました。)

奥田千代(塩原千代)さんとは、卒業後も親交が続いたようです。

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「花子とアン」

時代の波に呑まれ、学徒出陣で出征する息子を止める術もなく、
「…親より先に死ぬことぐらい親不孝なことはないのよ」
「武運長久を祈っています」としか言えなかった蓮子さん…

歩ちゃんが亡くなった時の「純平が死んでしまったらお母様は生きていけない」
が過ぎり、泣きそうになりました。

ところで、先日の放送で、吉平お父やんが言っていた敵性語ですが、
(ストライクが「よし」、サイダーは「噴出水」)
調べてみたところ、信じられないようなものもありました。

例えば「カレーライス」は「辛味入汁掛飯」(からみいりしるかけめし)
「トロンボーン」は「抜き差し曲がり金真鍮喇叭」(ぬきさしまがりがねしんちゅうらっぱ)
など…
「欧文社」が「旺文社」もそうですが、特に滑稽に感じたのは、
「○○英和女学校」の「英」という漢字が別の字になっていたことです。

それで思い出したのが、子供の頃に流行っていた「なぞなぞ」です。
「英語は何語?」
「イギリス語」
「違います!英語は日本語です!」

「鬼畜米英」の「英」が駄目なら「米」も駄目…(笑)

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「花子とアン」

新しい環境に馴染めない美里は、花子の病気や爆撃のことを知り、
心配のあまり甲府から一人で戻ってきてしまいました。

汽車賃は貯めてあったお小遣いで足りたのでしょうが、
まだ小学生(12歳)、無事な姿を見るまでは、大人たちは心配だったことでしょう。

ちなみに、「アンのゆりかご」では、
みどり(美里のモデル)と晴子(直子のモデル)が甲府に縁故疎開したのは、
花子がジフテリアに罹った後でした。

ただ、安中家(安東家のモデル)は、花子が5歳の時に品川へ移住しているので、
甲府の親戚といっても、花子の実家ではなく、多分母方の親戚と思われます。

また、みどりは転校先でいじめに遭ったのではなく、
疎開先の親戚宅で意地悪されていることを手紙で書いて送っていました。

それを知った花子と梅子(もものモデル)が、
儆三(英治のモデル)と坂田巌(旭のモデル)の反対を押し切り、
連れ戻しに行ったのでした。

※ 花子がジフテリアに罹ったのは昭和18年(1943)のこと、
  みどりと晴子が甲府へ縁故疎開したのは昭和19年8月22日、
  連れ戻したのは11月22日でした。

ところで、18日(木)放送の「ネタバレ」に、
「朝市が美里に、“辛いなら無理に学校に来なくてもいいから”と言って慰める」
とありましたが、カットされてしまったようです。
クレーム対策でしょうか…色んな意見があるので仕方ないのですね。

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「花子とアン」

吉太郎さんから紹介された軍関係の仕事を断った英治さん…

悩んだ末とはいえ、現実を考えれば、ポリシー云々より家族を養うため
受けるような気もしますが、村岡家はそこまで追い詰められていなかったのかも。
でも軍需工場で働くことにしたこと、矛盾してませんか?

それより、純平くん(モデル宮崎香織)と醍醐さんが心配です。
醍醐さんと吉太郎に、早く春が訪れるといいのに…。

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「花子とアン」

白い割烹着に「大日本婦人會」のたすき掛げのご婦人たち…

かよは雪乃(モデル春駒(森光子)に誘われ「国防婦人会」に参加、
…水商売の女性たちは奥様方に差別されてました。
「お下品」と蔑む奥様方の方が卑しいと思いますけど…

宮本家では一日も早く戦争を終わらせるため龍一が旅立ちました。
「あなた…転ばないように気を付けて」と見送った蓮子…
その意味深長な言葉に涙が出そうになりました。

ところで、カフェ・タイムのメニューが変わっていましたね。
きっと、お店の名前も和風に変えたのでしょうね。
(実家近くの美容室「チェリー」は戦時中「櫻」だったそうです。)

お店が繁盛するのは何よりですが、
戦時中、昼間から外でお酒を飲んだりしたのでしょうか?
それに頭髪…一般の男性も丸刈りだったのではないの?

またまた「重箱の隅つつくの助」になってしまって、ごめんなさい。

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「花子とアン」

「帝国海軍は ハワイ方面のアメリカ艦隊ならびに航空兵力に対し、
決死の大空襲を敢行し、シンガポールその他をも大爆撃しました」
真珠湾攻撃の臨時ニュースを聴き、万歳三唱する人たち…

私を含め、反戦主義の人たちも、もしあの時代に生まれていたら、
あの中の一人になっているような気がして恐ろしくなります。

「国民総進軍」という言葉を初めて聞きました。
「国民の心を一つにして」と狂気の戦争へ協力させる。
「国家が強大になることを望むのは当然、何が悪いのだ」という侵略側の論理、
少しでも疑問を表に出せば逮捕され、国賊、非国民と罵られる。
それは古今東西同じです。

「反戦=左」は分かりますが、今でも「=悪」と思う人が理解出来ません。

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「花子とアン」

別れの場面でのスコット先生の「ゴキゲンヨウ」は、
最初で最後の日本語でした。

ブラックバーン校長もスコット先生も、
何十年も日本にいるのに、日本語が話せないなんてあり得ない…
と思う人もいるようですが、ミッションスクールを卒業した人の話しでは、
外国人教師は日本語を話す必要が無く、覚えようともしないので、
長く日本で暮らしていても、挨拶程度しか日本語が出来ない人も多いそうです。

特に自国の文化に誇りを持つ人ほど、日本語を覚えようとしないとか…
大人の場合、習う気持ちがない限り覚えられないのかもしれません。

ところで、スコット先生の後ろ姿を見て思ったのですが、
「戦後強くなったのは靴下と女性」同様、
今は「シームレスストキング」も死語となったようです。

ナイロン製が出来る前のストッキングは木綿か絹(日本の)製で、
後ろにシーム(接ぎ目)がありました。

ナイロン製が出来てからもシームはあったので、
ストッキングを穿くのも神経が要ったみたいです。

絹のストッキングは大変高価で、しかも伝線しやすかったため、
修理する職人さんがいたと母から聞いたことがあります。

パンストが発売された当時は、ストッキングと違い伝線した方だけ捨てることが
出来ないので不経済に感じたそうです。

そのパンストも、今では冠婚葬祭の際しか穿かない女性が殆どの時代に
なってしまったから、一年中スカートでパンスト着用の私は、
陰で「変わり者」と言われているかも…

ドラマと関係ない話ばかりで失礼致しました。

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「花子とアン」

「Anne of Green Gables」がついに登場。

「アンのゆりかご」を読み、スコット先生のモデルは、
東洋英和女学校の教師ミス・クレーブでは?と思っていましたが、
「Anne of Green Gables」を託したのもスコット先生で意外…

というのも、「アンのゆりかご」では、
「Anne of Green Gables」を友情の証として村岡花子さんに託した人は、
開戦で帰国を余儀なくされたカナダ人婦人宣教師のミス・ショー
(Miss Loretta Leonard Shaw)でしたから。

ミス・ショーは、大阪プール女学校で教師を務めた後、
教文館(日本基督教興文協会)で働き、村岡花子さんの同僚でした。

ところで、はなが修和女学校に編入学したのは10歳の時で、
1939年(昭和14年)現在45歳…

ブラックバーン校長にしてもスコット先生にしても、
女学校当時と同じ外見で混乱しますが、これもドラマならではなのでしょう。

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「花子とアン」

腹心の友との決別…
今日は蓮子さんがヒロインのように感じました。

体制に疑問を抱かない…(宇田川満代)
疑問を抱きながも流れに沿うしかないと諦める…(村岡夫妻)
身の危険を覚悟で信念のまま行動する…(宮本龍一)

私は全面的に蓮子の考えに共感しましたが、
いざとなったら間違いなく花子のようになってしまうでしょう。

「天皇のため」「お国のため」の戦争、
宮崎燁子(白蓮)は、戦後平和運動家となったそうですが、
生母が芸妓とはいえ大正天皇のいとこにあたる人、
戦時中はどうだったのでしょう?
ペンネームを“柳原”で通したことも疑問です。

ところで、私の父(大正7年生)は出征の際に、
私の母方の祖母(父の義母)から、
「○○○(母の名)を一人(未亡人)にさせないで、○○○を泣かさないで…」
と両手をついて懇願されたとのこと…。

父は「日本がアメリカに勝てるわけがないと思っていた」そうです。

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「花子とアン」

花子はいつだって蓮子の味方だったのに、
腹心の友との間にまたしても誤解が生じてしまいました。

でも、もし私が蓮子の立場だったとしたら、
やっぱり疑いを抱いたでしょう。

反戦家と分かるや否や「非国民」「売国奴」「国賊」と罵られる…
特高の拷問で殺された多喜二を思い出してしまいました。

今日初めて、龍一が魅力的に感じました。
少なくとも英治よりは…
(龍一より息子の純平の方が老けて見えたことが可笑しかったです。)

集団的自衛権の行使や秘密保護法の制定など、
戦時国家体制づくりを進めている今、
呪文のような「お国のために」を合い言葉に洗脳させられ、
否応も無く侵略戦争に加担させられた狂気の時代を、
過去のものとは思えません。

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~略~
先年の戦争で、日本にはたくさんの犠牲者がいる。これらにたいして、国はなんの救護もしていない。国民を偽って戦争にかりたてた政府が、このうえまたもや再び人民を戦争に追いやろうとする。その結果として残るものは、混乱と、反逆と、殺戮と、ついには滅亡だけであろう。
            (『日本評論』昭和26年4月号「片隅からの言葉」柳原燁子)…『アンのゆりかご』328ページより

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