« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月

「花子とアン」

先週から舞台が甲府へ移りましたが、
相変わらず楽しく観ています。

華やかだった修和女学校女学校の時と比べ、
小作人の暮らしは非常に貧しく、セットも衣装やメイクも大違いです。

視聴者の中には、汚れた日焼けメイクや継ぎ接ぎの衣装が納得出来ず、
まるで100年前を見てきたかのように
「当時の日本人は清潔だった」「あり得ない」
「炭鉱王が読み書き出来ないはずがない」
「差別だ」「反日だ」と不満の人も多いようです。

江戸時代に来日した外国人の記録などが根拠のようですが
日本人のごく一部に過ぎず、しかも近隣諸国との比較でしかなく、
現代人が思い描くようなものではなかったはずです。

過剰なほど清潔に育った世代の人たちは信じられないでしょうが、
高度成長期以前の日本は、それほど清潔ではありませんでした。

当時はトイレも水洗ではなかったし、殆どの家に内風呂が無かったから
今のように、誰もが毎日入浴洗髪をしていませんでした。

昔の日本を美化したい気持ちは理解できますが、
外見上の汚れや無学に対する差別偏見も
一種のナショナリズムに思えて、空恐ろしくなります。

| | コメント (2)

思い出だけを保存して

もう使うこともないから処分しなけれは、
と思いながらも、先送りしているものの多いこと。

高校のクラブ活動で使っていたマンドリンもその一つ、
弾かなくなって、どれくらい経ったことでしょう。

20140524

久しぶりにケースを開けてみたら
ピックも、E線(カラチ)も、調子笛もありましたが
音合わせする気も湧かなくて…

やっぱり過去の物、
自分の物は自分で処分しなければ…。

| | コメント (0)

「花子とアン」

はなの「腹心友」は葉山蓮子さん。
(実際、柳原燁子(白蓮)さんは、村岡花子さんの生涯の友だったそうです)

純粋で世間知らずの十六歳のはなを傷付けたくなくて、
“伯爵家を守るために結婚させられる”とは言えなかった蓮子さん。

それに気付いていたとしても、愛のない結婚はどうしても許せないはな
しかも、断ち切るための偽りの言葉とはいえ
“子供じみた友情ごっこはあきあきした。あなたとは住む世界が違いすぎる…”
と、言われてしまったのですから、悲しみの涙を流すのは当然です。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

私は何もかも打ち明け合うのが「友情」とは思っていません。

相手のプライバシーや些細なことまで詮索したくはないし、
されるのも嫌です。

ただ趣味や思考は一致し分かち合えるのが望ましいのですが、
一致しなかったとしても、尊重し理解しあえればいい。

時には議論を交わしたり、時には会話が途絶えても、
気まずくならない関係が理想です。

そして、たとえ何年も音信不通になったとしても、
決して“過去形”にはならない人…

…残念ながら今の私にそんな「腹心の友」はいません。

| | コメント (0)

「花子とアン」

先週の「花子とアン」の副題は「腹心の友」でした。

私ははなの「腹心の友」になるのは醍醐亜矢子さんと思っていました。

醍醐さんは貿易会社の社長令嬢で、何不自由なく育ったのに、
給費生のはなを差別するどころか、優しくて親切でいつも気遣ってくれます。

でも、ダイアナ・バーリーのように、苦労知らず故に少々常識的、
心の内や文学について語りたいタイプではないのかもしれません。

幼い頃のアンにとって、ダイアナは大切な「腹心の友」でしたが、
成長とともに違いに気づいてしまいました…

醍醐亜矢子さんははなの「腹心の友」ではありませんが、
二人の友情はずっと続いて欲しいと思っています。

| | コメント (2)

「花子とアン」

「花子とアン」で、はなさんが時々使う甲州弁の「こぴっと」や「てっ」は、
とても可愛らしく感じます。

甲府のお国言葉も、優しい響きで素敵なのですが、
「~ずら」だけは別で…

と言うのも、「~ずら」は、山梨、長野だけでなく、静岡弁でもあるため、
長年静岡市で暮らしている私としては、気になって仕方ないのです。

先日も郵便屋さんが、「安東ふじさんに電報ずら」と言ってました。

静岡では「~ずら」は断定ではなく推測、
「~でしょ?」「~だろう」のような意味なので、
「安東ふじさんに電報です」又は「安東ふじさんに電報ですよ」、
もし、郵便屋さんが顔見知りか気さくな人だったら、
「安東ふじさんに電報だよ」になると思います。

「布団ずら」という言い方も違和感を覚えました…

山梨は静岡とは違うのでしょうか?
方言指導の方もいるようなので、間違いではないのでしょうね。

ところで、私は一度も「~ずら」と言ってる人に出会った記憶がなく、
方言を使うようなお年寄りても、「~ら?」や「~だら?」ばかりです。

| | コメント (0)

「花子とアン」

「花子とアン」、毎日楽しみに見ています。
公式サイトの「日めくりノート」も楽しみ…)

女学校の様子と かけ離れた甲府の貧しい小作農の暮らしぶりに、
「ドラマなのだから」「明治時代のことだから」と割り切ることは出来ません。

セットの家屋も、役者の顔や手や衣装も、思い切り汚してはいるものの、
実際は、現代人が想像する以上だったことでしょう。

はなの父吉平(安中逸平)は、仕事上、搾取する側とされる側の違いを実感し、
世の不条理を見過ごすことが出来なくて活動家になったのでしょう。

身辺が慌ただしくなって身の危険を察知したお父は、
地下に潜るため、はなに会いに来ました。

「当時、社会思想は危険思想とみなされていた」とのナレーションでしたが、
「危険思想」という言葉は、未だに、まるで「テロリスト」のごとくイメージされている
ような気がしてなりません。

誰にとって危険なのかも考えもせず…。

| | コメント (0)

「花子とアン」

昨日の「花子とアン」では、蓮子さんが「安中花子」というペンネームを
考えてくれたました。
子供の頃からの願いが叶って、とても嬉しそうでしたね。

明治時代には文盲も多く、また男尊女卑からも女子の名前の殆どが
片仮名だったとか…(片仮名なら、自分の名前を読み書き出来たから)

村岡花子さんと同世代で交流のあった作家、宮本百合子、神近市子、佐多稲子、
円地文子、野上弥生子なども、多分、本名は仮名二文字だったのではないかしら。

ペンネームはともかく、
昔は一般の女性でも「子」を付けて名乗っていた人も珍しくはなかったようで、
私の友人も、最近まで自分の母親の名が「○○子」と信じ切っていたそうです。

「子」ではないですが、私の母も(私自身も)、親しい友達への手紙や持ち物などに
戸籍とは違う好みの漢字で記名していましたね。

| | コメント (0)

日本人が英語が苦手なわけ

義務教育から習っている筈なのに、
なぜ、日本人の多くが英語が苦手なのか…?

よく言われる説として、
「日本語とは文法が違ううえに、日本語にはLの発音がないから」
「習い始めるのが遅く、日本人は完璧主義で恥ずかしがり屋だから」
「島国で周りに外国人が殆どいないので日本語だけで足りてしまう」
等々…

いずれも納得出来る理由なのですが、
先日、偶然耳にした説は、まさに目から鱗が落ちるものでした。

それは、
日本は自国語だけで高等教育が可能なほど言語のレベルが高く、
たとえ英語が出来なくても、ノーベル賞を受賞できる国だから。
というものでした。

世界には、自国語だけでは小学校の授業さえ出来ない国も多いというのに、
日本は、なぜ自国語だけでも教育が可能なのでしょうか。

その答えは、主に幕末から戦前にかけ外来語が入ってきた際に、
杉田玄白、福沢諭吉、中江兆民、夏目漱石などの多くの優れた人たちが、
それまでの日本には存在しなかった概念の外来語を日本語に訳したから…

訳したのは医師や学者たちだけでなく、一般の学生も…
明治の学生は、外国人教授から英語で授業を受け、和訳していたそうです。

先人たちの努力の賜物が「和製漢語」なのです。

戦後は専ら片仮名…
特に最近の外来語は私には分かりづらいです。

| | コメント (2)

「花子とアン」

前にも書いたかもしれませんが、
「花子とアン」に惹かれる理由の一つが
耳に心地良い、女性たちの言葉遣いなんです。

修和女学校の教師たちはもとより、
女生徒たちの、いかにも「乙女らしい会話」を聞いているだけで、
とても穏やかな気分になれるのです。

明治時代ならでは…
というより、石坂洋次郎原作の映画などでも、そうなのですから、
時代だけでなく、住む世界が違う、ということなのでしょう。

事実、育ちの悪い私は、生まれてこの方、
「ごきげんよう」などと挨拶したことは、一度もありません…

日本語が乱れていると言われて久しいですが、
正しい正しくないは別として、
今、女性言葉で話しているのは、多分、特権階級の女性たちと、
「オネエ」で活動している人たちだけのようにも思えます。

私は、ウーマンリブに影響された世代ということもあって、
住井すゑさんや市川房枝さん等々、差別と闘った女性たちを尊敬していますが、
たとえば市川さんのように、性差の無い言葉遣いが理想と思っているのに、
修和女学校の人たちの会話を、「美しい」と感じてしまうのですから、
本当に矛盾していますよね。

この矛盾、どう説明してよいのやら…。

| | コメント (0)

「花子とアン」

ヂュリエットのピンチヒッターを買って出た白鳥かをる子様、
その白塗りメイクの異様さに、ギョッとしました。

HPには、「現在より照明が暗かった明治時代の演劇メイクを再現したもの」
と…
つまり、歌舞伎役者、芸妓さん、舞妓さんの白塗りと理由は同じということ、
白鳥かをる子様の白塗りメイクは、演劇に対する熱意の表れ、
なんだそうです。

ただ、演者がお笑い芸人さん(近藤春菜さん)だけに、
「やり過ぎ」「キョンシーみたい」「まるでバカ殿」など、
制作側の意図が伝わらないどころか、裏目に出てしまったみたいです。
(…メイクを勝手に自分でしているわけではないのに…)
ナレーションで一言あっても良かったような気もしました。

今日、一番印象に残ったのは、醍醐亜矢子さん(ダイアナ)でした。
嫉妬する醍醐さんが、とてもいじらしかった…。

ところで、今日も「赤毛のアン」を思い出してしまう箇所がありました。

「(略)ばらは、たとえ他のどんな名前でも同じように匂うと書いてあったけれど、あたしはどうしても信じられないの。もしばらが、あざみとかキャベツなんていう名前だったら、あんなに素敵だとは思わないわ。あたしのお父さんも、ジェデディアという名だったとしても、(略)」
                    
                          「赤毛のアン」第五章 アンの身の上(村岡花子/訳 新潮文庫)より

続きを読む "「花子とアン」"

| | コメント (0)

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »