「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」
テレビに影響されやすい私…
ドラマ「花子とアン」の原案、「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」
(村岡恵理/著 新潮文庫)を買ってしまいました。
「花子とアン」がフィクションと知り、借りようとしたのですが、
図書館は予約があまりに多く…
待つのは構いませんが、次に待っている人がいるというのは焦りますから。
興味があったのは、村岡花子さんというより、実はお父さんの方なのです。
男尊女卑の時代に、溺愛する娘の才能を信じ、教育を受けさせたお父さん…
いくら給費生とはいえ、どんな伝で、特権階級の令嬢が学ぶミッションスクールに、
入学させることが出来たのでしょうか…
その疑問は↓で晴れました。
学校創設者とキリスト教信仰上繋がりがあった父は、花子の編入学のために奔走。
(略)
ただし「給費生」として。
給費生とは、いわゆる奨学生で、まずクリスチャンであることが絶対条件、在学中
は麻布十番にある孤児院の日曜学校での奉仕活動が義務付けられていた。そして、学
費が免除される代わりに、学科の成績が悪ければ即、退校という境遇である。
第1章 ミッション・スクールの寄宿舎へ
明治26~36年(1893~1903、誕生~10歳)より
村岡花子さん(本名・村岡はな、旧姓・安中(あんなか))の父・安中逸平(安政6年(1859)生)は
駿河(静岡)の茶商で、カナダ・メソジスト派の熱心なクリスチャンでした。
布教で訪れた甲府で、てつ(ドラマではふじ)と出会い結婚、
一家は、はなが5歳の時に上京しました。
(ドラマでは兄がいますが、実際のはなさんは8人姉弟の長子でした。)
ドラマでは「寅さん風」に描かれていたので不思議だったのですが、
実際の安中逸平さんは、クリスチャンで読書家、しかも社会運動家、
当時としては、かなり進歩的な考えの持ち主だったのでしょう。
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