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2014年4月

「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」

20140430

テレビに影響されやすい私…

ドラマ「花子とアン」の原案、「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」
(村岡恵理/著 新潮文庫)を買ってしまいました。

「花子とアン」がフィクションと知り、借りようとしたのですが、
図書館は予約があまりに多く…
待つのは構いませんが、次に待っている人がいるというのは焦りますから。

興味があったのは、村岡花子さんというより、実はお父さんの方なのです。

男尊女卑の時代に、溺愛する娘の才能を信じ、教育を受けさせたお父さん…

いくら給費生とはいえ、どんな伝で、特権階級の令嬢が学ぶミッションスクールに、
入学させることが出来たのでしょうか…

その疑問はで晴れました。

 学校創設者とキリスト教信仰上繋がりがあった父は、花子の編入学のために奔走。
(略)
 ただし「給費生」として。
 給費生とは、いわゆる奨学生で、まずクリスチャンであることが絶対条件、在学中
は麻布十番にある孤児院の日曜学校での奉仕活動が義務付けられていた。そして、学
費が免除される代わりに、学科の成績が悪ければ即、退校という境遇である。

                          第1章 ミッション・スクールの寄宿舎へ
                                     明治26~36年(1893~1903、誕生~10歳)より

村岡花子さん(本名・村岡はな、旧姓・安中(あんなか))の父・安中逸平(安政6年(1859)生)
駿河(静岡)の茶商で、カナダ・メソジスト派の熱心なクリスチャンでした。

布教で訪れた甲府で、てつ(ドラマではふじ)と出会い結婚、
一家は、はなが5歳の時に上京しました。

(ドラマでは兄がいますが、実際のはなさんは8人姉弟の長子でした。)

ドラマでは「寅さん風」に描かれていたので不思議だったのですが、
実際の安中逸平さんは、クリスチャンで読書家、しかも社会運動家、
当時としては、かなり進歩的な考えの持ち主だったのでしょう。

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アンという名前

確か中1の時だったと思いますが、クラスの大半の女子が、
「赤毛のアン」に夢中になったことがありました。

今でも、しっかり覚えているのは、級友の一人が、
「将来、結婚して女の子が生まれたら、アンと付けたいけど、
外国の名前だからね~ “アン子”じゃ、あんこ(餡こ)みたいだし…
男の子なら“ギルお”…は、もっとへんだよね…」
と言って、大笑いしたことです。

「ギルお」はさておき、
今は、「杏(あん)」も「アン」も、日本人の名前ですよね。

昔は、名前についても、今のような自由な発想がなく、
先入観にとらわれていたようです。

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翻訳の違い…(4)

「赤毛のアン」第三章…

村岡花子/訳(新潮文庫 1954)
(略)
 こどもはちょっとためらってから、
「あたしをコーデリアと呼んでくださらない?」と熱心に頼んだ。
「コーデリアと呼べだって? それがあんたの名前なのかい?」
「いいえ、あの、あたしの名前ってわけじゃないんですけど、コーデリアと呼ばれたいんです。すばら しく優美な名前なんですもの」
(略)
「あら、大ちがいだわ。そのほうがずっとすてきに見えるのですもの。名前を聞くと、すぐ目の前に、まるで印刷されたみたいに、その名前がうかんでこないこと? あたしはそうだわ。だからAnnはひどく感 じがわるいけれど、Anneのほうはずっと上品に見えるわ。小母さんが、おわりにeの字がついたアンと呼んでくださるなら、コーデリアと呼ばれなくても、がまんするわ」
(略)

中村佐喜子/訳(角川文庫 1957)
(略)
 女の子はちょっとためらった。
「あたし、コーデリアと呼んでほしいの」と、真顔で云った。
「コーデリアだって! それがあんたの名前かね?」
「いーえ。ほんとの名前ではないけど、あたし、とってもコーデリアと呼ばれたいの。こんな上品でいい名前ないわ」
(略)
「そりゃァちがうわ。eのついた方がずっとよく見えるわ。おばさんには人の名前を聞くと、その綴り が印刷されたようにはっきり見えてこない? あたしには見えるのよ。Ann はとてもいや。でも Anne だ とずっとよくなるわよ。おばさんもeのついたアンで呼んでくれるなら、あたしはコーデリアと呼ばれなくても、がまんすることにするわ」
(略)

掛川恭子/訳(講談社文庫 1999)
(略)
 女の子は一瞬ためらったが、すぐ熱心にいった。
「コーデリアって呼んでもらえる?」
「コーデリア! 本当にそういう名前なのかい?」
「いえ、その……本当っていうわけじゃないけど、ぜひコーデリアって呼んでもらいたいの。とっても 上品な名前なんですもの」
(略)
「すごくちがうわ。ずっとすてきに見えるもの。だれかが名前を呼ばれるのを聞いたら、その名前の綴(つづ)りが心に浮かばない? わたしは浮かぶわ。A-n-nじゃつまらないもいいとこだけど、A-n-n-e だ と、ずっと品がよくなるでしょ。eつきのアンで呼んでくれるなら、コーデリアって呼んでもらえなくても我慢するわ」
(略)

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100年後の女の子は、どんな日本語でお話ししてるのかしら…。

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コーデリア

女の子は誰でもそうなのでしょうが、
私も子供の頃、いつも自分の名前が
“○○○だったらいいのにな~”と思っていました。

でも、“変な子”と思われそうで、誰にも言いませんでしたが…

「赤毛のアン」第三章(マリラ・クスバートの驚き)で、
自分が手違いで貰われてきたと知ったアンは、
マリラに名前を聞かれて、
コーデリアと呼んで…”と頼みました。
…もっと小さかった頃は、ゲラルデンと思っていたという…

ここを読んだ時、
“私だけじゃなかった!”と共感し、ますますアンに夢中になりました。

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文化の違い

韓国船沈没のニュースを知った時、
真っ先に浮かんだのは、タイタニック…
でも、すぐに、十数年前のデパート崩壊事故を思い出しました。

日本でも、連日報道していましたが、
まるでダイナマイトを仕掛けたかのように、壁のみを残して崩壊、
多くの犠牲者を出しましたが、当初、テロでは?とも言われてました。

デパート崩壊事故はさておき、
韓国人の中には、「世界一の造船国」でありながら、
それも、よりによって日本の中古を購入したことを知り、
相当屈辱的に感じた人もいたようです。

また、修学旅行は日本が持ち込んだ文化だから廃止しなければ、
と言い出している人もいるとか…

修学旅行と事故は関係ないでしょ。日本製の中古も関係ありません。

これ、韓国人ならではの思考なのでしょうか?
理解に苦しみます。

140分…
全員助かっていたかもしれないと思うと辛いです。

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「花子とアン」

先入観って怖いですよね。

「花子とアン」を楽しみにしていますが、
マシュウを彷彿とさせられるはずの周造おじいさんが、
善良な人には見えないのです。

何か、良からぬことを企んでるように思えてしまって…
…石橋さん、ごめんなさい。

おじいさん役といって浮かぶのは、
やっぱり、いかにも温和そうな笠智衆さんですね。

それから、眼光鋭く厳格な感じがする加藤嘉さん、
他には、知的な雰囲気の下條正巳さんや、
個性的で悪役のイメージの大滝秀治さんも…

…皆さん旅立たれてしまいました。

ご存命では、織本順吉さん、奥村公延さん、でしょうか…。

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翻訳の違い…(3)

「赤毛のアン」には多くの名言がありますが、
中でも特に有名なのは、最終章の“曲がり角"ではないかしら…

翻訳の違いを比較してみました。

原文
Anne's horizons had closed in since the night she had sat there after coming home from Queen's; but if the path set before her feet was to be narrow she knew that flowers of quiet happiness would bloom along it. The joy of sincere work and worthy aspiration and congenial friendship were to be hers; nothing could rob her of her birthright of fancy or her ideal world of dreams. And there was always the bend in the road!

"'God's in his heaven, all's right with the world,'" whispered Anne softly. softly.

村岡花子/訳(新潮文庫 1954) 
第三十八章 道の曲がり角
~略~
 アンの地平線はクィーンから帰ってきた夜を境としてせばめられた。しかし道がせばめられたとはいえ、アンは静かな幸福の花が、その道にずっと咲きみだれていることを知っていた。真剣な仕事と、りっぱな抱負と、厚い友情はアンのものだった。何ものもアンが生まれつきもっている空想と、夢の国を奪うことはできないのだった。そして、道にはつねに曲がり角があるのだ。
「神は天にあり、世はすべてよし」(訳注 イギリスの詩人(一八一二 ー 一八八九)の言葉)とアンはそっとささやいた。

中村佐喜子/訳(角川文庫 1957)
第三十八章 道の曲がりかど
~略~
 クィーンから帰った夜から思えば、アンの視界はぐっと閉ざされてしまったのだ。でも自分の足許につづく道が、どんなに狭いにしろ、そこにはきっと、静かな幸福の花が咲くにちがいないと信じた。彼女には、真剣な仕事と、貴い抱負と、頼もしい友情との喜びがあるのだ。何ものも、彼女が理想の世界を夢見る権利をうばうことはできない。行手には常に期待にとんだ曲がりかどがあるのだ!
『神は天にあり、この世はすべてよし』(ブラウニングの「ピッパは行く」より)とアンは静かにつぶやいた。

掛川恭子/訳(講談社文庫 1999)
38 アンの道、決まる
 クィーンからもどってきた夜ここにすわったときとくらべると、アンの地平線はせばめられた。それでも、目の前にのびている道が狭くても、道ぞいに静かな幸せの花が咲き乱れていることを、アンは知っていた。まじめに働く喜び、価値のある志を抱(いだ)く喜び、気の合った友達を持つ喜び――そのどれもが、アンのものになるのだ。アンが生まれながらに持っている想像力や理想の夢の世界は、だれにも奪うことができないのだ。それにこの道にはいつだって、そのむこうになにが隠されているかわからない、あの曲がり角があるのだ!
「神は天にあり、この世はすべてなにごともなし」
 アンはそっとつぶやいた。

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言葉の選択次第で、微妙に印象が変わるところが興味深いです。
村岡さんと中村さんの訳は、時代を感じさせるような格調高い文に、
掛川さんのは現代的で、小学生にも分かりやすいように感じます。

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「花子とアン」

村岡花子さんの生涯が知りたくて見始めた「花子とアン」でした。

「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」が原作ではなく原案と知り、
少々ガッカリ…

でも、“村岡さんのことを知りたいのなら、本を読めばいいのだから"
と、思いながら見続けているうちに、今では、ちょっとした楽しみです。

子役さんが演じたはなは、とても健気で可愛いらしかった…
成長したはなも、一途で素敵…

俳優さんは変わりましたが、自然で、違和感が無くて一安心。

女生徒たちや教師たちが来ているアンティーク着物は、目の保養に、
お嬢様言葉(私の周辺では耳にしない)は、耳の保養、になっています。

はじめは聞き取りにくかったナレーションでしたが、
あの独特の抑揚にも、だいぶ慣れました。

ユーモアを交えたハイソな言葉遣い…結構気に入っています。

周造おじいちゃんの「そうさな…」にマシュウが浮かび、
好奇心旺盛なリンおばさんが喋るたびに、リンド夫人を思い出す…

ただ、レイチェル・リンドとは、何かが違いますけどね。

ミニーメイという名前も懐かしい…。

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教育

今まで、村岡花子さん(安中はな)のことを、
“明治生まれの翻訳家なのだから、さぞかし裕福な家庭で育ったのだろうな…”
と勝手に思っていましたが、実際は、「花子とアン」同様、
村岡さんの生家は、とても貧しかったと最近知りました。

(ドラマと違うのは、村岡さんの一家はクリスチャンで、2歳で幼児洗礼を受け、
5歳の時に一家で上京、東京の尋常小学校に通ったこと。)

7歳で辞世の句を詠んだことに感動した父親は、
娘の才能を伸ばそうと、女学校に通わせたとのことです。

10歳の時に東洋英和女学校に給費生(奉仕作業が条件)としての編入学し、
20歳で高等科卒業し、教師になりました。

でも、高等教育を受けたのは長女の村岡さん一人で、
弟妹たちは養子や奉公に出されたそうです。

“昔は教育を受けられたのは学力とは関係無く、お金持ちか否か”
と聞いたことがあります。「路傍の石」のように。

経済的に恵まれない家庭の子が教育を受けるには、
本人の努力は当然のこと、家族の犠牲があってこそ成り立つのかもしれません。

今でもそうなのですから、明治時代なら尚更でしょう。

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「花子とアン」

先日(第一週)放送の「花子とアン」で、
高熱で死を感じたはなが詠んだ歌を見た父親が
「これは、はなの辞世の歌だ…」と言って泣き、
はなが「今までお世話になりました。ありがとう…」とバタッと倒れると、
家族一同が号泣する…
が、父親が医者に診せてないことに気づき、はなを負ぶってひた走り、
はなの命は助かる。

7歳の子供が辞世の句を詠むなんて…
泣くシーンなのに、まるでコントのようで思わず笑ってしまいましたが、
これは村岡花子さんの実話だそうです。

まだまだと おもひすごし おるうちに
はや し
(死)のみちへ むかうものなり   はなこ

とても7歳の作とは思えません。
こういうのを「せんだんは双葉より芳し」と言うのでしょうね。

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赤毛

先ほど「花子とアン」を見て気づいたのですが、
優しいスコット先生の髪は赤毛でしたね。

アン以外で、赤毛といって浮かぶのは、
ジュリアン・ムーアとニコール・キッドマン、
それにハリーポッターのロン。

…ただ、西洋人の赤毛の色がよく分からないので、
赤毛と断言できる自信はありませんが…

スコット先生の髪は染めているようにも見えましたが、
ロン役の俳優さんにしても役作りだったのかしら?

ミーガン・フォローズのアンを見たときは、「赤毛じゃない…」
と思いましたが、生まれながらの赤毛は、
イメージするような色とは違って、
金髪と栗毛の中間のような色なのかもしれませんね。

…アンも成長してから「金髪に見える」と言われ喜んでました…

アニメのアンのようなオレンジ色の髪の人が、
実際に存在するとは思えないのですが、いかがでしょうか。
(カラーリングは別)

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翻訳の違い…(2)

20140409

うちにある三冊の「赤毛のアン」の第一章、冒頭部分です。

原文
Chapter I - Mrs. Rachel Lynde is Surprised
Mrs. Rachel Lynde lived just where the Avonlea main road dipped down into a little hollow, fringed with alders and ladies' eardrops and traversed by a brook that had its source away back in the woods of the old Cuthbert place;

村岡花子/訳(新潮文庫 1954)
第一章 レイチェル・リンド夫人の驚き
アヴォンリー街道をだらだらと下って行くと小さな窪地に出る。レイチェル・リンド夫人はここに住んでいた。まわりには、榛の木が茂り、ずっと奥のほうのクスバート家の森から流れてくる小川がよこぎっていた。

中村佐喜子/訳(角川文庫 1957)
第一章 レイチェル・リンド夫人の驚き
レイチェル・リンド夫人は、エヴォンリーの街道が、ちょうど小さい窪地へおりるあたりに住んでいた。まわりははんの木やさくらそうなどにかこまれ、奥のカスバァト家の森からくる小川が、そこを流れている。(注 アンダーライン=傍点)

掛川恭子/訳(講談社文庫 1999)
1 レイチェル・リンド、びっくりする
レイチェル・リンドは、アボンリーの村を通る街道が丘を下っていったところにある、小さな窪地(くぼち)に住んでいる。まわりをハンノキやフクシアに囲まれたその小さな窪地を、はるかかなたのカスバート家の森の奥で生まれた小川が横切っている。

中村佐喜子訳は
扉に ――よき星の下に生まれし者は
         精なり、炎なり、露なり。
          ――ブラウニング――

献辞は 父母に捧ぐ

掛川恭子訳にはブラウニングの引用はなく、
献辞は 父と母の思い出に捧げる

村岡花子訳にはどちらもありませんでした。

また「Avonlea」「Cuthbert」を、
村岡花子さんは「アヴォンリー」「クスバート」、
中村佐喜さんは「エヴォンリー」「カスバット」、
掛川恭子さんは「アボンリー」「カスバート」と訳されていました。

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翻訳の違い

「赤毛のアン」は多くの人が翻訳していると思いますが、
掛川恭子訳(講談社文庫)を読んだときは、“うそっ!”と…

今風で読みやすいのですが、昔読んだ村岡花子訳(新潮文庫)や、
中村佐喜子訳(角川文庫)とは雰囲気が全く違うのです。

かつての女の子が虜になった世界が、遙か彼方へ消え去ってしまったようで、
残念というより、時の流れの無情さを痛感し、自分の年齢を思い知らされました。

今は何かと規制があって、差別意識が無くても問題視されてしまう時代、
むしろ昔の方が表現が自由で、言語だけでなく使われる漢字自体も多く、
ルビもありませんでした。

 (村岡花子訳が、ぼろぼろになってしまったため、
 10年前に再度購入しましたが、以前よりフォントサイズが大きくて漢字は減り、
 しかもルビ付きでした。)

聞くところによると、松本侑子訳(集英社)は訳注が多いらしいですが、
私としては、「ストーリーガール」シリーズの文体が好きなので、
もし木村由利子さんが翻訳されているなら読んでみたいです。

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白い桜

そろそろ桜も終わりですね。

最近、「お花見」は「桜の下での宴」のことで、
ただ桜を眺めることではない、と知りました。

その定義が正しいのなら、
私は一度も「お花見」をしたことがありません。

最近知ったといえば、
桜の種類はとても多く、数百種類もあるらしい。

染井吉野、山桜、彼岸桜、河津桜、枝垂れ桜…など、
名前は知っていても、実際に見ても分からないのが情けないです。

ただ、数年前に知った御衣黄(ギョイコウ)だけは分かります。

20140407a

花粉症のせいか(?)ピンクより白い桜の方が好きなのですが、
近くに一本の白い桜の木があって、今年も私に喜びを運んでくれました。

夕暮れに浮かび上がる幻想的な白い花を見上げると、
いつもアンを思い出し、つい見入ってしまいます。

…もし誰も迎えに来てくれなかったなら、
アンは桜の木の中で一晩過ごしたことでしょうね…

私も11歳の女の子なら、登って白い花の中で星空を眺めていたいな。

20140407b

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「花子とアン」

村岡花子さんの生涯に興味があったので「花子とアン」を見ようとしたのですが、
「はなじゃない、花子と呼んでくりょう」とか、
「阿母尋常小学校」だったり、雲でおむすびを作って食べる空想をしたり、
お喋りでお節介な「リンおばさん」がリンド夫人に、
寡黙で優しいお祖父ちゃんがマシュウに見えたりと、
まるで「赤毛のアンの日本版?」みたい、ちょっと期待はずれ…

改めて番組サイトを確認したら、

原作はありません。
村岡恵理さんの著書『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を原案とした、
中園ミホさんのオリジナル脚本です。

とありました。
やっぱり、フィクションだったのですね。

朝市(あさイチ)という名も偶然とは思えないし、
お父さんは寅さんかな…

ところで、石橋蓮司さんというと悪役のイメージなんです。
それも、「極悪非道」「女性の敵」的な…農家のおじいちゃんには見えません。

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増税

赤字国債、貿易赤字…
国民には重税を課し搾取していながら、外国へは気前よくばらまいている。
それなのに、(下降気味ではありますが)高い支持率…理解できません。

出て行く方は増え続け、入る方は減り苦しくなる一方ですが、
オイルショック時の映像が浮かび、増税対策はゼロ、
買い溜めなども一切しませんでした。

こんな天の邪鬼にも、一つだけ例外があって…
5年ほど前から洗濯機の調子が悪いので、人並みに増税前にと思い、
先月初旬、お目当てを価格ドットコムで調べてみたところ、
同じお店なのに、折り込みチラシより2万円程安かったので注文しました。

ですが、一週間経っても梨の礫、しかも何回電話しても繋がらない。
「本日中に連絡がない場合はキャンセルします」とメールしたのですが、
2日経っても返事がありません。

それで「先日連絡した通りキャンセル致します。
もし商品が届いたとしても受け取りません」と再度メール…

数日後、「2週間後の発送となりますがキャンセルしますか?」と連絡が…
ショップ評価を見たら、2週間後というのも信用できなくて、
「キャンセルします」と返信しましたが、それっきりでした。

長年ネットショップを利用してきましたが、こんなお店は初めて、
もう、ここは(Y電機)買わないつもり、ネットは勿論、お店でも。

家電は4月以降値下がりするでしょう。

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