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2013年3月

・・・

検死官たちは帰って行った。

まるで夢の中を彷徨っているかのような非現実的な展開に戸惑いながらも
「発見があと一日遅れていたら三面記事やワイドショーのネタになったかも」
などと冷めた考えが浮かぶことが不思議。

母の傍らに座り、毛布の上から頭を撫でていた姪に甥(姪の弟)から、
父(姪甥からは祖父)が、“軽度の肺炎と脱水症状のため入院することになった”
との知らせが入り、姪は入院に必要な品々をまとめ病院へ急いだ。

奥の部屋では弟が黒電話の前から離れない。

葬儀社はどこもいっぱいで、漸く見つかった所は隣の市、
当然斎場も混んでいて、葬儀は一週間先になるとのことだった。

葬儀社の担当者から、下穿きだけは穿かせておくように言われ、
躊躇する間もなく自分の役目と覚悟を決めた。

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検死

知らせを受け実家に辿り着くと、
玄関近くの部屋には布団が敷かれていて、
毛布だけがすっぽり掛けられていた。

毛布には微かな膨らみが…

部屋には6~7人の検死官がいて、
その奥の部屋には夫、弟、姪、姪の夫が。

不思議なことに誰の目にも涙はない。
ただ虚ろな表情を浮かべているだけ。

見回すと父の姿が見えない。
聞けば、咳をしていたため甥(父の孫)が総合病院へ連れて行ったとのこと。

検死の後で家中を調べられ、個別に事情徴収を受けたらしい。
私も詳しく質問されたが、みんなの証言と矛盾がなかったことで、
事件性が無いと判断され、検死官たちは帰っていった。

帰り間際、「死因について詳しく知りたいなら司法解剖を行うが」
と言われた時には、迷うこともなく首を横に振っていた。

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