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2012年10月

純愛コンビ30年後

昨夜遅く、YouTubeで偶然ある動画を見つけました。

「吉永小百合、浜田光夫、青春の思い出を語る」といって、
多分、20年以上昔のTV番組ではないかしら、
40本以上も共演されていた吉永小百合さんと浜田光夫さんが、
「浜やん」「小百合ちゃん」と呼びながら、30年ぶりに語り合っている動画でした。

調布の日活撮影所の試写室では、『ガラスの中の少女』(1960)を鑑賞しながら、
茶色に変色した古い台本を読んだり、
撮影所内の食堂では、昔のように吉永さんのおごりでラーメンを食べたり、
多くのロケが行われた多摩川の土手では、
お二人しか知らないようなエピソードを話されていました。

一年のうち、会わないのは二日だけだったそうですから、
ほとんど兄妹みたいなものでしょうか?それとも戦友かな?
でも、浜田さんの片思いだったような気もしますが…
吉永さんのタイプが「年上でジャガイモのような人」というのは有名でしたから。

『泥だらけの純情』『赤い蕾と白い花』『草を刈る娘』『キューポラのある街』
『愛と死をみつめて』『潮騒』『蒼い山脈』等々の懐かしいシーンが流れ、
中には知らない映画もありましたが、
中学生の時に吉永さんのファンの友だちに誘われ見に行っていたので、
とても懐かしかったです。

共演された作品中で見たのは15本ほど、
しかも当時見たのはわずかで、殆どがNHKBSで見たのですが、
中では『泥だらけの純情』や『風と樹と空と』が好きでした。

その後の吉永さんの作品は、なぜかあまり見たいとは思わないのです。
浜田さんは今も映画やテレビに出演されているのでしょうか?

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洗濯板を使って

昨日買った洗濯板を使ってみました。

効果の程はハッキリ分かりませんが、
サイズ的には(大…50×22)の方が良かった感じ…
それは仕方ないとしても、残念だったのは木のニオイなんです。

乾いた状態では、ほとんど分からなかったのですが、
濡らした途端、ニオイが強まって…
人によっては気にならないかも知れませんが、
私にとってはイヤな臭いでした。

昔から私は買い物が下手、さっと買って後悔するタイプ…
今更ですが、ネットで調べてみたところ、サクラやブナ材の洗濯板もあり、
サクラ材で作られた「生地が傷みにくいように工夫されたオリジナルの波形」
というのもありました。

後の祭り…
使っていくうちに、臭いが無くなることを期待するしかないですね。

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洗濯板

エプロンなどについた小さな油染み汚れなどは、
固形石鹸をつけて、指先でゴシゴシもみ洗いしてから洗濯機に入れてましたが、
"そうだ、日本には洗濯板があるじゃない!"と急に思い出し、
洗濯板を探しに行ってきました。

でも、近くのホームセンターには、プラステック製や木製でもミニサイズのものしかなく、
探し回ってようやく見つけたのが、この洗濯板…けっこう薄いです。

20121026

サイズは(大)(中)とあったのですが、洗面台で使うので(中)に…40×19、5cm。
材質は「アガチス」というもので、フィルムを剥がしたところ、ザラザラした感触…
生地が傷みそうで気になります。

子どもの頃に洗濯板を使った記憶はありますが、購入したのは初めて…
私の小さかった頃は、母も木の盥で洗濯板を使ってしゃがんで洗っていましたが、
洗濯機のなかった時代の女性はさぞかし大変だったでしょうね。

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『一生一途に』~正造(94歳)じいちゃんの戦争体験記と57年間のまんが日記~

20121024 『一生一途に』
~正造(94歳)じいちゃんの戦争体験記と57年間のまんが日記~
竹浪正造/著
廣済堂出版

先日、図書館から竹浪正造さんの『一生一途』を借りてきて読みました。

一冊目の『はげまされて はげまして』は売り上げに協力したい気持ちもあって、
amazonで注文しましたが、今回はお財布と相談し借りることに…

『はげまされて はげまして』は、私が心配する必要もなく、
amazonで一晩でベストセラーとなり、一週間後には12万部を突破したそうです。

まんが日記を書き続けて57年間、大学ノート2314冊、
一日も欠かさずですから…信じられない。

第一章の「終戦。朝鮮半島からの逃避行」は衝撃的でした。

(描いたのは昭和37年、いつか子どもたちに読んで貰いたくてまとめたそうです。
満州にいた頃、上官に「記憶より記憶、いつもノートを持っていろ」と言われ、
毎日、出来事をメモするようになったそうです。)

ソ連軍がやってくる前に撤退することになり、
みんな官舎の庭で衣類などを燃やしている場面がありました。

周辺の朝鮮人たちが「勿体ない」という表情で見守っている中、
著者のではないですが、吹き出しの一つに、
「朝鮮人に一枚だってやるもんか」が…

“敵国の人でもないのだから、燃やすくらいならあげればいいのに…”
と思いましたが、当時は民族主義的な考えが今より強かったのかもしれません。

でも別のページには、
「持ち帰れない家具などは、知り合いの日本人や朝鮮人に貰ってもらった」とか、
「朝鮮人ばかりの大混雑で心細かった妻は、
朝鮮人の憲兵さんにとても親切にしてもらった」など、
ホッとさせられるエピソードもありました。

他に、愛妻との思い出が綴られていました。
2年の闘病の末、最愛の妻は正造さんを残して旅立ってしまった…

悔やまれるのは、亡くなる数日前に遺言や遺影を聞いてしまったこと。
「いつか逢えたら謝りたい…」とありましたが、
優しさ、真面目さ故と解ってくれていると思います。

妻だけでなく、長女も同じ62歳で逝ってしまった…

長生き出来ることは幸せなことですが、
愛する人との悲しい別れも、沢山味わわなければならないのですね。

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ETV特集「今よみがえる方丈記」

「今よみがえる方丈記」~日本最古の災害ルポルタージュを読む~
を見ました。

鴨長明の「方丈記」というと、中学か高校かは忘れましたが、
授業で暗記させられた書き出し部分の

ゆく川の流れは絶えずして しかも元の水にあらず
よどみに浮ぶうたかたは かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし
世の中にある人とすみかと またかくのごとし

という記憶だけ、
虚無感というか、寂寥感というか、諸行無常というか、
そんな印象でした。

それが「800年前の日本最古の災害ルポルタージュ」
だったというから驚きです。

それに、約3メートル四方の粗末な庵で、カタカナ混じりで書かれたと…
きっと、しっかり授業を聞いていなかったのでしょう。

財あれば怖れ多く、貧しければ恨み切なり
世に従えば身苦し 従わねば狂せるに似たり
いづれの所を占めて いかなる技をしてか
しばしもこの身を宿し たまゆらも心を休むべき


…財産があれば欲にとらわれ心労も多い、
  貧しければ思うことも出来ず辛い
  自分の考えを殺してまで世間に従うのは辛いこと、
  でも、従わなければ狂っていると思われる。
  一体、どこでどのように暮らしていれば
  暫しの間でも心が休まるのでしょか…

私もいつもそう感じています。

「方丈記」「徒然草」「枕草子」「平家物語」「土佐日記」等々、
書き出し部分を暗記させられ、当時はウンザリしたものでしたが、
何十年後の今では、とても感謝しています。

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セーター、途中…

去年買った糸で、セーターを編み始めて12日目、
手が遅いうえに雑用に追われ、ちっとも、はかどりません。

20121022

いつも、袖やカーディガンの前身頃の左右は、
平行して編むようにしていますが、
今回、初めて左右の身頃を平行して編んでみました。

編み物は不思議…
楽しみの反面、負担でもあります。

仕上がるのは、いつのことやら…

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2013年 太陽・月・星のこよみ

20121021

二週間ほど前に、「天文カレンダー」が届きましたよ。

いつも生協で注文していますが、
今年も、amazonより、500円安かったです。

この他に、毎年「100円ショップ」でも何種類か買っています。

一年って早いですね…。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

子どもの頃、暮れになって翌年のカレンダーが来ると、
「自分の誕生日は何曜日?」とか、
「祝日と日曜日が重なっていないか?」など、
つまらないことを確認したりして、
新しい年への希望みたいなものを感じたものでしたが、
いつの頃からか、時間の流れの速さだけが恨めしく、
溜息ばかりとなりました。

 

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日本、核非合法化署名を拒否

 ニューヨークで開催中の国連総会第1委員会(軍縮)を舞台に、スイスやノルウェーなど核兵器の非人道性を訴える16カ国が「核兵器を非合法化する努力の 強化」を促した声明案を作成、日本にも署名を打診したが、日本政府が拒否を決めたことが18日、分かった。複数の日本政府関係者が明らかにした。

このニュース、どうですか…?
私は、“失望した!”というより、“やっぱりね~”という感じです。

唯一の被爆国である日本、政府のポリシーって何…?

よその国の人たちから「アメリカの犬」と揶揄されていますが、
反論できないですよね。

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「永山則夫 100時間の告白」

録画しておいた、
ETV特集「永山則夫 100時間の告白」~封印された精神鑑定の真実~
を見ました。

永山則夫の刑が執行されて15年、
逮捕6年後の25歳の時のカウンセリングを録音したカセットテープが、
初めて公開されました。

精神科医の石川義博さんによって行われた精神鑑定は278日間、
100時間以上に及ぶテープには、幼い頃の記憶も語られていましたが、
想像を絶する悲惨な思い出でした。

親から愛されたことも構ってもらったこともなく、母や兄たちからの虐待、
母親に捨てられ、網走の寒空でゴミ箱を漁っていた幼少期、
貧困と飢餓、学校も殆ど通えず、話し相手の友だちもいなかった。

父親は行方不明、信じられないくらい酷い母親…
虐待の連鎖、母親自身も同じような育ち方をしているのです。

母も小学校も通わせてもらえないばかりか、義父から暴行を受け、
母に心中させられそうになった挙げ句、捨てられている…。

学校へも殆ど通えず、食事も与えられず、肉親の愛もない、
日本の昔の貧しさとは、こういうことだったのでしょうか。

絶望感、自己嫌悪、自殺願望、反発と恨み、不安と猜疑心、人間不信、
被害妄想、母への憎悪…そして何度も語っていたのは、
「何のために生まれてきたのか」「何のために生きてきたのか」という言葉。

救いは、カウンセリングの最後の日に、石川さんが撮った一枚の写真、
「イヤだよ」と言いながらも、他の写真と同一人物とは思えない程の微笑みを
浮かべていました。
執行の恐怖はあったとしても、漸く心の安定を得たようにも思えましたが…。

永山則夫の生涯を思うとき、
昔のTV番組の「私の秘密」での冒頭で、
司会の高橋圭三さんが言った「事実は小説より奇なりと申しまして…」
というフレーズを思い出してしまいます。
(世の中には彼以上に波瀾万丈の人生を送った人もいると思いますが…)

今でなら、ネグレストやPTSDとして違った結果となっていたのかも知れませんが、
死刑制度がある以上、4人も射殺したからには極刑しかないということで、
石川さんの精神鑑定書は黙殺されたのでした。
(幼少期に虐待を受けると、脳が正常に発達しないそうです。)

それにしても、殆ど読み書きが出来なかったのに、
独学で文学賞を受賞するほどの作家になったのですから、
もし違う環境で育ったなら、どんな人生だったのと思わずにはいられません。

「被害者には感情移入しやすいが、加害者には感情移入しにくい」
その通りだと思います。

「木橋」、読んでみたいです。

土曜日の深夜に再放送があります。

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小雨の中・・・

15日にお隣さんのおばあさんが亡くなり、
通夜のお手伝いということで、車で20分程のセレモニーホールに行ってきました。

おばあさんは8~9年位前より認知症の症状が表れ、
近くの内科医でやっているデイサービスに、
日曜日以外、毎日、9時から17時頃まで通っていましたが、
15日もいつも通り、送迎自動車で送られてきてから間もなく、
誰にも気付かれないうちに、息を引き取ったとのことです。

最近は、抱き抱えられて運ばれていたというのに、
最期の日までデイサービスに通っていたなんて…哀れというか…

認知症になった要因は、同居する息子の嫁との不仲、
と医者から言われていたそうですが、
その50代の息子の妻は、二ヶ月前の同じ日に亡くなったのでした。

その時は、“誰にも報せないで”という故人の願いを尊重し、
町内会の同じ組の人たちにも知らせなかったのですが、
隣とお向いだけ(3人)は、お通夜に参加させてもらいました。
通夜の参列者は私たち入れても10人ほどでした…

今回も町内会には報せなかったとのこと、
ただ同じ組(12世帯)だけには報せたようです。

二ヶ月後、同じ場所での通夜と告別式…命とは儚いものです。

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NHKスペシャル「幻の王朝を追う」

昨夜、NHKスペシャル「中国文明の謎 第一集 中華の源流~幻の王朝を追う~」
を見ました。

かつて「中華」は「中夏」とも書かれていたそうです。
知らなかった…

中国4000年、これまで最古の王朝といわれていたのは「殷王朝」で、
文献に登場する「夏王朝」は、考古学的裏付けがないことから、
学者の間では「幻の王朝」と考えられていたそうですが、
最近の発掘調査で「夏王朝」が実在していたことが確認されたとのこと。

紀元前2000年頃、「夏王朝」がどのようにして誕生したのか…
四大文明の中で、中国文明だけが4000年もの間、ほぼ同じ地域で、
繁栄し続けている理由とは…

壮大な歴史を、編み物をしながら上の空で聞いていたら、
終わりのナレーションが…

「周辺から文化を取り込みながら誕生した夏王朝…
夏王朝の築いた文化を飲み込みながら続いてきた歴代の王朝…
…そして今、世界の資本を飲み込みながら経済発展している中国…」

編み目に集中していた意識が突然我に返り、
改めてお隣の国に空恐ろしさを感じてしまいました。

第二集は「漢字の謎」。

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『プーサン』(1953・東宝)

市川崑監督の『プーサン』見ましたよ。
プーサンと言っても、クマじゃないですよ。

原作は毎日新聞に連載されていた横山泰三さんの漫画で、
政治や社会を風刺したコメディー映画なのですが、
例えば、「政治の貧困だ」「政治家は儲かるね」「政治は大衆のものだ」とか、
「つまらんことで喧嘩して、まるで日本の姿だね」とか、
カン子(越路吹雪)の「あたしは途中で妥協するのは絶対いやなの」や、
医師(木村功)の「清純、純情、潔癖も完全だと魅力ないね」など、
台詞の一つ一つに、"その通り!"と反応してしまって、笑えませんでした。

それに、主人公野呂(伊藤雄之助)の哀れさには笑えるどころではなかったです。
ただ三好栄子さんの演技が相変わらず可笑しかったですが。

フランス映画のようなラストシーン…カン子は助かったのかしら…?
きっと、野呂にとって、カン子は終わったということなのでしょうね。
(お見合い写真を遺影のように置き、ヒヤシンスを飾っていて…)

さすがに昭和28年当時のことは分かりませんが、
私が知る昔は、若い人も、そうでない人も、今よりバイタリティーがあって、
政治にも関心があったような気がします。

出演は、
伊藤雄之助、越路吹雪、小泉博、小林桂樹、八千草薫、木村功、
三好栄子、藤原鎌足、杉葉子、加東大介、トニー谷、山形勲、平田昭彦、
黛敏郎、横山隆一、横山泰三、他…。

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『嘆きのテレーズ』(1952・仏)

1952年のフランス映画『嘆きのテレーズ』を見ました。

原作はエミール・ゾラの「テレーズ・ラカン」(THERESE RAQUIN)、
監督はマルセル・カルネ、出演はシモーヌ・シニョレ、ラフ・バローネほか。

タイトルの感じから、メロドラマと思って見ていたところ、次第にサスペンス風となり、
終盤は予想外の展開で、ラストは二人の今後を暗示させるお洒落な演出でした。

エミール・ゾラは、高校の頃に「居酒屋」と「ナナ」を読んだだけですが、
どちらも、登場人物に感情移入できなかった記憶があります。

この映画は、原作通りではないとは思いますが、
テレーズにしても、境遇には同情できても、ローラン登場後の彼女には、
共感できないどころか、むしろ嫌悪感さえありました。表情もこわいし…

テレーズだけでなく、彼女以外の登場人物も魅力を感じませんでした。
唯一、水兵から手紙の投函を頼まれた若いメイドだけは可愛らしかったですが…

邦画洋画に係わらず、古いモノクロ映画はつい録画してしまいます。
懐かしさからというよりは、自分の知らない世界への好奇心から…

CGを駆使した作品では味わえない重みが感じられます。
ハズレもありますけどね…。

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『東京キッド』(1950・松竹)

先日、美空ひばりさんの『東京キッド』を見ました。

「人情物語」+「ドタバタ喜劇」で中々面白かったです。
ひばりさんの歌も堪能出来ました。

昭和25年当時、ひばりさんは13歳だったそうですが、
体つきは年齢より幼く見えるのに、表情や仕草は、まるで大人…

でもそれ以上に驚いたのは、13歳とは思えない歌唱力でした。
努力というのではなく、生まれながらの才能なんでしょうね。

演技力については、子役としては名演技でしょうが、
海外の子役に比べてしまうと、自然さがないというか…

アチャコさんは、子どもの頃に「お父さんはお人好し」を聞いていたから、
(内容は覚えていませんが)すぐ分かりましたが、
堺駿二さん(堺正章さんのお父さん)と、エノケンさんは分からなくて…
川田晴久さんに至っては全く知りませんでした。

美空ひばりさんは他の追随を許さない巧さの歌手ではありましたが、
傲慢な感じがして、好感持てなかったです。
(不幸続きの晩年は印象が一転しましたが…)

少女時代からの活躍を思えば、尊大になるのも当然でしょうね。

ところで、「悲しき口笛」を初めてしっかり聴いたのですが、
高峰三枝子さんの「湖畔の宿」に似てませんか…?

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