« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

一週間のご無沙汰でした

どうしても八月中に仕上げなくてはならない作業があって、
ブログ更新する余裕がありませんでした。

原稿はA4のレポート用紙30枚程、
ただ専門用語が多いため、変換出来ない字や読めない字も多く、
その都度、手書き入力しなければならず、はかどらなくて…

それに、文体や言葉の見直しもあって、
素人の私には、なかなか手強い作業でしたが、
どうにかプリントアウトし、渡しました。
(報酬はいつもの通り、"ありがとね")

余談ですが、
私はワープロの頃から一太郎を使っています。

以前はワードも使っていましたが、現在のパソコンは一太郎のみ、
でも、表計算は三四郎ではなく「ロータス1-2-3」、
(殆ど使うこともありませんが)
画像ソフトは花子ではなく、「Paint Shop Pro」、

……節操ないですね。

そして家計簿は「マム7」、

どうでもいいですよね…失礼致しました。

| | コメント (2)

引き出しの中から思い出が…

滅多に開けない引き出しを整理していたら、
奥から鎌倉彫の手鏡が出てきました。

いつ、どこで、いくらで買ったのか記憶のない小さな手鏡、
でも思い出の品には変わりません。

こういう物はもう必要ないと思っても、なかなか捨てられなくて…

以前は「処分」がストレス解消でもあったのに
自分の物は自分で処分したいと思う気持ちとは裏腹に、
年のせいか、最近は決断できなくて…

特に、本や一度も袖を通していない手作りの洋服類、
友だちからの手紙など、後悔しそうな気がして処分出来ないのです。

鏡を見ることもないけれども、取り敢えず机の上に置くことにしました。
これからは簡単に処分できないものは買わないことにしましょう。

20120820 20120820b
文庫本に乗るサイズ、

| | コメント (0)

曲面絵画

先日「猫のしっぽ カエルの手」で、
ベニシアさんの友人の画家、ブライアン・ウィリアムズさんを知りました。

滋賀県在住のブライアンさんは、ベニシアさんと同い年のアメリカ人ですが、
日本の自然に感動し、移り住んで40年、言葉遣いも仕草も、まるで日本人。

ブライアンさんの絵は長方形のキャンバスではなく、
矩形にはこだわらない形の合板に意図的にカーブをつけ、
描くときもデッサンはせず、いきなり絵の具を走らせてました。
芸術は自由でなくちゃ!

仕上がった茅葺き屋根の古い民家の絵に、向井潤吉が浮かびました。

私の兄も絵かきです。

| | コメント (4)

dear hiroshima

昨夜、「dear hiroshima」という番組を見ました。

広島で被爆者の遺品を撮り続けた写真家・石内都さんの写真展が
カナダ・バンクーバーで開かれました。

広島や長崎の写真展といえ、全身大火傷を負った被爆者たちや、
がれきと化した町のモノクロ写真が浮かびますが、
人間や建物の写真は一枚もなく、細かいピンタックのある美しいワンピースや、
立派な市松人形、綿入れの着物や防空頭巾、靴、メガネといったものばかり。

…このワンピースを着ていた人は…?
…靴紐はどこ…?

来場者の感想が綴られていました。

被爆した女性と結婚した北米の白人男性は、
“先住民や中国人、日本人は劣った人種と教育されていたが、
朝鮮戦争で広島に配属されたことで、日本の建物も人たちも美しいことを知り、
それまでの教えが間違いだった”と悟ったそうです。

「なぜカラーなのか?カラーにすることで惨劇が美化する意図があったのか?」
という愚問に、石内さんは
「美的効果ではなく、実際に遺品には色があり写真より美しい、
被爆する前はもっと美しかったはず…」と答えていました。

今年の広島と長崎の原爆式典に、トルーマンの孫が参加しました。

日本がアメリカに謝罪要求したのか否かは知りませんが、
アメリカの謝罪はありません。

謝罪要求はしなくてもいい、ただ唯一の被爆国として、
核の恐ろしさを、世界中に知らせる義務があると思います。

| | コメント (2)

山田洋次監督が選んだ日本の名作100本

BSプレミアム「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」のHPをチェックしたら、
「今後の放送予定」の所に、「喜劇編50作品」が載っていました。
(もう半分近くは放映済みですが…)

昨年度の「家族編」と同じく、題名も知らない古い映画が多いなか、
是非見たい作品もありました。

その中の一つの『トイレット』は、『かもめ食堂』の荻上直子監督作品で
前から見たいと思っていた映画でした。

まだ放送日は分かっていませんが、今から楽しみです。
(『めがね』も是非見たいと思っています。)

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

~喜劇編~(五十音順)
『有りがたうさん』(1936・清水宏)
『ウォーターボーイズ』(2001・矢口史靖)
『エノケンのちゃっきり金太』(1937・山本嘉次郎)
『お嬢さん乾杯』(1949・木下惠介)
『男はつらいよ』(1969・山田洋次)
『大人が見る絵本 生れてはみたけれど』(1932・小津安二郎)
『お早よう』(1959・小津安二郎)
『お日柄もよくご愁傷さま}(1996・和泉聖治)
『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005・山崎貴)
『蒲田行進曲』(1982・深作欣二)
『神様のくれた赤ん坊』(1979・前田陽一)
『カルメン故郷に帰る-デジタル・リマスター版-』(1951・木下惠介)
『喜劇 女は度胸』(1969・森崎東)
『喜劇 にっぽんのお婆あちゃん』(1962・今井正)
『狐の呉れた赤ん坊』(1945・丸根賛太郎)
『雲の上団五郎一座』(1962・青柳信雄)
『警察日記』(1955・久松静児)
『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』(1958・加藤泰)
『好人好日』(1961・渋谷実)
『三等重役』(1952・春原政久)
『シコふんじゃった。』(1991・周防正行)
『時代屋の女房』(1983・森崎東)
『下妻物語』(2004・中島哲也)
『社長三代記』(1958・松林宗恵)
『12人の優しい日本人』(1991・中原俊)
『次郎長三国志 次郎長と石松』(1953・マキノ雅弘)
『台風騒動記』(1956・山本薩夫)
『抱かれた花嫁』(1957・番匠義彰)
『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935・山中貞雄)
『タンポポ』(1985・伊丹十三)
『釣りバカ日誌3』(1990・栗山富夫)
『ディア・ドクター』(2009・西川美和)
『転校生』(1982・大林宣彦)
『トイレット』(2010・荻上直子)
『東京キッド』(1950・斎藤寅次郎)
『東京五人男』(1945・斎藤寅次郎)
『独立愚連隊』(1959・岡本喜八)
『とんかつ大将』(1952・川島雄三)
『ニッポン無責任時代』(1962・古澤憲吾)
『二等兵物語 女と兵隊・蚤と兵隊』(1955・福田晴一)
『拝啓天皇陛下様』(1963・野村芳太郎)
『馬鹿まるだし』(1964・山田洋次)
『幕末太陽傳 デジタル修復版』(1957・川島雄三)
『ひばりの森の石松』(1960・沢島忠)
『プーサン』(1953・市川崑)
『豚と軍艦』(1961・今村昌平)
『マダムと女房』(1931・五所平之助)
『夫婦善哉』(1955・豊田四郎)
『夕陽に赤い俺の顔』(1961・篠田正浩)
『ラヂオの時間』(1997・三谷幸喜)

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

因みに、昨年度に放送された「家族編」は次の通り。
(時々アンコール放送されています。)

続きを読む "山田洋次監督が選んだ日本の名作100本"

| | コメント (0)

愚かなパフォーマー

韓国の男子サッカー選手の政治的パフォーマンスが話題になっていますが、
彼が韓国国内で英雄視されたとしても、
スポーツと政治の区別出来ない国ということが世界中に露呈したのですから、
日本にとってはむしろ好都合だったような気もします。

サムスンがロンドン五輪のスポンサーなのでどうなるか分かりませんが、
もし彼だけがメダル剥奪されるとしたら釈然としません。

会場には同じようなメッセージボードを掲げた韓国人が大勢いて、
それも問題ですが、日本人の思考からすれば、団体競技である以上、
止めなかったチーム全体が連帯責任を負うべきではないでしょうか。

これも日本的思考かもしれませんが、
本当に愛国心があるのなら、兵役免除を喜ぶのも変です。

もしも韓国チームのメダル剥奪となったとしても、
日本人のプライドとして、棚ぼたメダルは断固拒否して欲しいと思います。

昨年は「日本列島沈没」と報じた韓国のメディアや、
韓国サポーターの「日本の大地震をお祝います」がありました。

韓国人の全てがそうだとは思いませんが、
大統領からサッカー選手まで愚かなパフォーマー揃いの韓国…
なぜ通貨スワップ協定を続けているのか理解出来ません。

| | コメント (0)

閉会式…(2)

閉会式(live)の録画の一部を見せて貰いました。
やはり「イマジン」に感動…

私にとってイギリスは“ロック”のイメージですが、
新旧多くのバンドの二度と見られない素晴らしいステージに、
世界中のファンが感動されたことでしょう。

それなのに、演奏のさなかアナウンサーがしゃべり続けていて、
肝心の演奏が殆ど聞こえないのです。

アナウンサーはしゃべるのが仕事だから仕方ないとはいえ、
せめてアーティストに関する情報ならまだしも、
“○○選手は帰国後は○○が食べたいそうです”
など、どうでもいいようなことばかり、
洋楽に疎い私でさえ、何度心の中で、“黙って!”と叫んだことか…

閉会式での日本選手が見たいという人も多いでしょうから、
日本選手を映したい気持ちも解ります。

ただ、モンティ・バイソンのオチがしっかり映らなかったのが残念、
NHKに苦情メールを送りたい気分でした。

| | コメント (2)

閉会式

ロンドンオリンピックも終わってしまいました。

閉会式は見ませんでしたが、夕刊に載っていたジョンレノンを目にして、
開会式に願ったことが叶えられたように錯覚してしまいました。

オリンピックのたびに、金メダル獲得の予想や、
国別メダル獲得数のランキングに、疑問を感じてしまうのです。

アメリカや中国など、人口が多く、お金持ちの国が有利なのは当然、
人口の少ない国(地域)が獲得した1枚の銅メダルの方が価値があるのでは?
それ以上に感動するのは、メダルの可能性がないのに参加する国(地域)です。

そうは言っても、日本人選手がメダルを獲得したと聞けば、とても嬉しい。
それが金ならなおのこと…矛盾してますね。

ただ、結果を出せなかった選手も、同じように尊重して欲しいと思います。

| | コメント (0)

『東京五人男』(1945・東宝)

『東京五人男』(斎藤寅次郎監督)は、
終戦の年の11月にクランクインした映画だそうです。

見渡す限り焼け野原となった東京が映っていましたが、
所々に建つバラックを含め、風景のすべてが本物とのことでした。

主役は五人のコメディアン、
(横山エンタツ、花菱アチャコ、古川緑波、柳家権太楼、石田一松)

エンタツ・アチャコは知っていましたが、古川ロッパさんは名前のみで、
柳家権太楼さんと石田一松さんは全く知りませんでした。

焼け野原となった東京を復興させようと頑張る五人。

今にも壊れそうなバラックや農家への買い出し、
配給所の前には女たちの長い行列、酒場の前には男たちの長蛇の列…
強奪もなく、みんな辛抱強く待っている。

戦中戦後の混乱期でも、日本人は秩序正しかったのでしょうね。

そんな庶民とは逆に、役人は規則に縛られ融通が利かないし、
金持ちや権力者は、悪徳商売で私腹を肥やしている…

こう書くと『台風騒動記』のように笑えない映画のようですが、
コント風だったり、ミュージカル風だったりで、けっこう楽しめました。

特に、復興に向けて行動を起こすラストシーンは、
見ていて晴れ晴れとした気分になれました。

お米がわりに お芋を食えと おっしゃるお役人は 何を食う
    お役所仕事は 暇を食う だから連合軍から 小言食う
    ハハのんきだね~

| | コメント (0)

『台風騒動記』(1956・松竹)

BSプレミアムで昨年度から放送している
「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本~喜劇編~」
の『台風騒動記』(山本薩夫監督)を見ました。

冒頭、画面いっぱいに、
「この物語はすべて事実ではありません」
の断り書きが映し出され…

そして、「台風は毎年くる。この地方にもきた。
天災は恐ろしいが、この国では天災のあとに、もっと恐ろしいものがくる」
の文字…

台風の被害により家屋は崩壊し、食料も、衣類も、家財道具も、田畑も流され、
途方に暮れながら役場の前で、救援物資の配られるのを待つ町民たち…

「救援物資は公平に!」と言いながも、めぼしい品をくすねる助役、
二階の会議室では、町議会の連中が議会の真っ最中。

県議会議員の入れ知恵で、台風災害で小学校が倒壊したことにして、
一千万円の政府補助金を不正に獲得しようと意見が一致し、
被害に遭ってもいない小学校を、取り壊してしまう…

喜劇には違いありませんが、
いかにもどこにも有りそうな話で、笑えるどころか不愉快でした。

最後
「天災の後にやってくるのは人災である」
の文字…

解説によれば、この映画は実話だったとのこと、
なおさら笑えません。

出演は
佐田啓二、菅原謙二、野添ひとみ、桂木洋子、藤間 紫、宮城千賀子、飯田蝶子、
佐野周二、左 卜全、加藤 嘉、多々良純、永井智雄、中村是好、ほか。

| | コメント (0)

根性焼き

最近「根性焼き」という言葉を知りました。

「23箇所の火傷痕が他の生徒を動揺させる」
という理由で、被害者の生徒が自主退学を要求されたという…

信じられない。
あまりにも可哀想で泣きそうになりました。

加害者集団にはどんなお咎めがあったのか知りたいと思っていたら、
「合意のうえでやったこと」…

あたま大丈夫ですか。
教師じゃなく狂師です。

いつから日本はこうなってしまったのでしょう。

昔は非行に走った生徒が退学処分となって
少年院、感化院、教護院(区別が分からない)などに送られたはず。

もしかしたら職員室も教室同様、いじめに近いものが存在していて、
生活指導担任の権力は特に強く、たとえ疑問を覚える教師がいたとしても、
抗議など出来ない雰囲気なのかも知れません。

先日、田辺市長が「辛いなら学校に行かなくていい」と言いました。
でもそれは「自主退学せよ」と言うのと同じこと、
何の解決にもなりません。

道を踏み外してしまったら正してやるのが教育、
被害者も加害者も教育を受ける権利があるのですから。

| | コメント (2)

うちわのリメイク

夏の省エネの優等生は「うちわ」でしょ。

私が子どもの頃は、商店が配る宣伝用の「うちわ」も竹製でしたが、
今はプラスチック製ばかり…涼しくないです。

いくら美しくても「水うちわ」は高くて買えませんが、
せめて竹の骨の「うちわ」を使いたいです。

実際、竹製はプラスチック製と比べ、
柄の感触も、紙の薄さも、あおいだ時のしなり具合も、全く違います。

「うちわ」と言えば…
小学生の夏休み、三歳違いの兄が(兄も小学生でした)、
庭に水を張ったバケツを持ち出し、何やら始めました。

興味津々で眺める私…
墨を使って「うちわ」に貼る紙を作っていたのでした。

私も真似したのですが、出来栄えは「月とすっぽん」…
それでも自分用の「うちわ」として、一夏使いました。

<用意する物>
要らなくなった「うちわ」(竹製、紙は剥がしておく)
半紙(2枚)
墨汁

細い編み棒(爪楊枝、マッチ棒でも)
水を入れる容器(バケツ、タライ、洗面器、大きめのバット、深めのお皿、等々)

(1) 水面の中央に、墨を付けた筆を浸ける。
(2)左手で持った棒針の先を、小鼻に当て脂を付け、
  水面の墨の中央にサッと浸ける。
(3)(1)~(2)を数回繰り返し、年輪模様をつくる。
(4) 水面に息を吹きかけたり、細い棒でそっとかき回したりして変化をつける。
(5) 水面に半紙をのせ、模様を写し取ったら、新聞紙などの上にのせて乾かす。
(6) 完全に乾いたら、うちわに貼りる。裏面も半紙を貼る。
(7) 周囲を切り取り、細く切った半紙で周囲を縁取る。

写真がないので分かり難いかと思いますが、
「墨流し」と画像検索してみてください。イメージが湧くと思います。

| | コメント (0)

海のむこうから潮風にのって・・・

急に「潮風を待つ少女」が聞きたくなってyoutubeを覗いたら、
安達明さんの曲が増えている…

コメントに目を通してみると、安達明さんは昨年永眠されたとのこと…
私とあまり変わらない年齢なのに…信じられない…涙が出てしまいました。

また一つ青春の思い出に幕が下りてしまった気がしました。
尾崎紀世彦さんや伊藤エミさんのようにニュースになることもなく、
インターネットの情報も、息子さんのブログからだそうです。

息子さんのブログには、
「…ユーチューブでも聴くことが出来ますので、
興味のある方は弔いと思って聴いてやってください」とありました。

私は先に書いた2曲しか知りませんが、少しハスキーで甘い歌声は少年そのもの、
中学生だったあの頃が懐かしい…

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

安達明さんと言ってもご存じない方が多いでしょう、
安達明さんは1964年に「潮風を待つ少女」でデビューされた青春歌手で、
デビュー曲や「女学生」などが大ヒットしたのに3年程で引退されたから、
当時を知る世代でも記憶に残っていない人も多いでしょう。

私も中学の頃に「女学生の友」を読んでいなかったら、
知らないままだったのかも知れません。

「女学生の友」に連載されていた「潮風を待つ少女」の安達明は
ちょっと不良っぽくて影のある少年なのに、
安達明さんと言えば、素朴で優しそうな感じだったから、
同級生の女子の間では、「イメージと違う…」とかなり不評でした。

安達明さん(本名:長田晴夫 1948/9/4~2011/5/20)
墓碑銘には
  うすむらさきの 藤棚の 
  下で歌った アベ・マリア

と楽譜が刻まれてありました。

(息子さんは埼玉県吉川市で、
ピッツァ&パスタのお店「アフェット」を経営されているそうです。)

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

「潮風を待つ少女」(集英社コバルト・ブックス)の画像を見つけました。
佐伯千秋/著 藤田ミラノ(装丁・挿)

20120802

20代後半の頃、処分してしまったことが悔やまれます。
安達明のニックネームは「Aペア」
安達明が名付けた新子のニックネームは「黄色いネクタリン」
「女学生の友」も「女学生」も今は昔…。

| | コメント (0)

塗り下駄

実家の片付けをしていたら、使っていない部屋の棚から、
もう存在しないと思っていた下駄三足を見つけました。

三足とも一度も出番のなかった可哀想な下駄…
焦茶色の塗り下駄だけ持ち帰りました。

確かな記憶はありませんが、二十歳前後の頃、に母が買ってくれたもので、
私なら選ばないような、派手な革製の二本の細い鼻緒が挿げてあり、
おまけに、ピンクの安っぽい爪掛まで入っていました。

20120801a 20120801b

この先も出番のないまま幕を閉じるのでしょう。

| | コメント (0)

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »