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2012年6月

『転校生』(1982)

尾道を舞台にした大林宣彦監督の『転校生』を初めて見ました。
素敵な映画でした。

前に見たことがある、ような気がしていましたが、
予告編か何かで、石段を転げ落ちるシーンやラストシーンを見ただけ…

現実離れしたお話なのにハラハラ、ドキドキ、
ラストの別れのシーンでは、切ない気持ちが伝わって涙が出てしまいました。

撮影当時は二人とも15~16歳位だったそうですから、台詞にしても、
異性の前で下着を着替えたり、ビキニも下だけだったりなど、
辛くて相当の決心が要ったことでしょうね。
(スクール水着にしなかったのは、そのためだったのでしょうか?)

小林聡美さん(斉藤一美役)の一夫はとても自然な感じでした。
元々、サバサバしたイメージの女優さんですし、
実際女子校には、自分をボクとかオレと言うボーイッシュな女の子はいますから。

尾美としのりさん(斉藤一夫役)の一美は、
入れ替わる前の活発で天真爛漫な一美に比べ、ナヨナヨし過ぎて気持ち悪い、
という意見もあるようですが、あれはあくまで一美、
外見は男の子でも、やっぱり思春期の女の子なのですから、
うろたえ、途方に暮れ、メソメソクヨクヨするのは当然だと思います。

本当の一夫は男気がある少年、いつも一美を守っていました。
…ややこしい。

元同級生のアケミさんですが、
秘密を打ち明けたのに信じて貰えなかったにした方が良かったのでは?

原作(山中恒「おれがあいつであいつがおれで」)は小学6年生の設定とか、
映画の台詞はほぼ原作通りとのことで、中3らしからぬ台詞もありましたよね。

志穂美悦子さん懐かしい!樹木希林さん若い!
30年前の映画ですが、時代設定はいつ頃かしら、
もっと昔のようにも感じましたが…

入り組んだ坂道の多い尾道の風景や、踏切の音、だけでなく、
「トロイメライ」や「G線上のアリア」「タイスの瞑想曲」などにも
郷愁を感じさせられました。(乱闘場面は「天国と地獄」)

「手紙ちょうだいね」「電話してね」「またね」も無く、
別れは、ただ

じゃあな

元気でね

あぁ、一美もな

サヨナラ! サヨナラ!

サヨナラ! サヨナラ!

サヨナラ、あたし!

サヨナラ、オレ!

追ってくる来る一美を8ミリで撮り続ける一夫…

ところで、二人のその後について、解説の山本晋也さんは、
「結婚だけはしないと思う、特別な友情を育む男女になると思う」
と…

でも、私の希望は、
「二度と会うことはない。
思い出は、永遠に中3の夏の時のまま、
大人になって、もし、どこかで偶然見掛けたとしても
声を掛けることもなく、そっと遠ざかる…」

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『さよならをもう一度』(1961・米)

『さよならをもう一度』を見ました。

原作はフランソワーズ・サガンの『ブラームスはお好き』ですが、
サガンを読んでいたのが高校生の頃だったので殆ど覚えていません。

ただ、結婚を前提としない中年カップルというのが、
当時の日本では(子どもだった私には)考えられなくて、
文化の違いに驚いた記憶はあります。

ポーラ(イングリット・バーグマン)とロジェ(イヴ・モンタン)は
出会って5年の恋人同士。

二人とも結婚に失敗した身、お互い自由で束縛し合わない関係でいる。
でもそれはロジェにとって好都合なだけ、
いつもポーラは待たされ、約束を反故にされ、寂しい思いをしているのです。

40歳の自分の容貌を気にしているポーラの前に現れたのが、
15歳年下の青年フィリップ(アンソニ・パーキンス)…

自立し人間的にも申し分の無いポーラは魅力的でしたが、
それに引き替え、二人の男性がお粗末でした。

ロジェは、仕事上は(トラック販売会社社員)、遣り手かも知れませんが、
誠実の欠片もなく、男として人間としてパートナーとして最低の中年男。

フィリップといえばウンザリするほどしつこくて、今ならストーカーです。
言動が軽薄そうで仕事にもいい加減で、とても弁護士には見えませんでした。

内容は今一つでしたが、音楽(ブラームスの交響曲第3番)と、
バーグマンの美しさや洗練された大人のファッションが素敵でした。

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余り糸で手提げバッグ

2年前に100円ショップで買った糸が残っていたので、
処分のため、簡単な手提げバッグを編んでみました。

20120621
側面の周囲31cm(112目)
深さ22cm(38段+5段)
底の巾5cm(5段)

20120621a 20120621b 20120621c 20120621d

編み図が無いので分かり難いと思いますが…
(説明も下手で…)

「底」は鎖編み35目で作り目し、周囲に細編みを5段編みます。(5/0号)
 1段目→+8目
 2段目→+6目
 3段目→+8目
 4段目→+8目
 5段目→+12目

「側面(112目)」は細編みと鎖編み1目を交互に編みます。(7/0号)
立ち上がりをつけずにぐるぐると編み、
(スタート位置に印を付けておかないと分からなくなります。)
38段編んだら、細編みを1段編みます。

予め編んでおいたジッパー台(ジッパーは返し縫いて付ける)を外表に合わせ、
2枚一緒に細編みで1段編み、更に細編みを3段編みます。

  ジッパー台は、鎖編み108目で作り目し、
  輪にして周囲に細編み4段編みます。
  1段目→+4目
  2~4段→増減無し(112目)

持ち手(2,5cm×42cm)は「底」の要領で細編みで2段編み、
接着芯を張った裏地を付けて、本体に返し縫いで縫い付けます。

側面以外は細編み…5/0号

中袋にジッパー付のポケットを付けました。

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『下妻物語』(2004・東宝)

昨夜の『ラヂオの時間』は台風の影響で録画に失敗、
そこで以前録画しておいた『下妻物語』を編み物をしながら観ました。

この映画は若い人向きでしょうから、多分私にはついて行けないのでは?
と期待もせず観たのですが…
映画を見て吹いてしまったのは久しぶりでした。

このような映画は初めてなので、アニメになったり、
突然静止画になったり、ジャスコのチラシのようになったり、
とさすがコミックが原作の映画は凄いな~
などと感心していたら、原作は小説と知りとても驚きました。

だってロココ命の竜ヶ崎桃子(深田恭子)にしても、
両親(宮迫博之、篠原涼子)にしても、祖母(樹木希林)にしても、
一角獣の龍二(阿部サダヲ)にしても、移動の八百屋さん(荒川良々)にしても、
白百合イチゴ(土屋アンナ)やレディース(小池栄子、矢沢心、まちゃまちゃ他)
にしても、みんなまるでマンガみたいだから。

何より、原作者の名前が「嶽本野ばら」ですから、
コミックが原作と勘違いしても無理ないでしょ。

タイプの違う女子高生の友情、いいですよね。
キャスティングも申し分なく、テンポも良く、充分楽しめた作品でした。
もっと早く見れば良かったわ。

ロリータファッションは見た目の可愛い女性が着てこそ素敵、
そうでない人には似合わないような…

※ 『かもめ食堂』では日本茶も(焙じ茶?)出していましたね。
  私の眼は節穴ですね。

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『かもめ食堂』(2005)

昨夜『かもめ食堂』が放映されていましたね。

何度も見たのに、また録画し、「途中まで」のつもりが最後まで見てしまいました。
見終わったのが深夜1時半頃…。

中には「退屈でつまらない」と感じる人もいるでしょうが、
私にとっては、何度見ても飽きることもなく気分が和らぐ映画です。

絶世の美女も、ラブシーンも、アクションシーンも、事件も、殺人もない…
男性には支持されない映画かもしれませんね。

芸達者で個性的な女優さんたち(小林聡美さん、片桐はいりさん、もたいまさこさん)、
ゆったりした雰囲気に、無駄の無いサチエ(小林聡美)のキビキビした動作、
味わってみたくなるようなコーヒー、思わずヨダレが出そうになるシナモンロール、
そして日本人のソウルフード「おにぎり」…(三つは多すぎます。)

三人(サチエ、ミドリ、マサコ)の衣装もお洒落、
特にサチエの衣装は、昭和の感じがして(私の母の若い頃を思わせる)素敵でした。

ところで、マサコのスーツケースの中身って謎ですよね。
あれはマサコの幻影?
自分にとって本当に大切なものは「物」ではないということ?

群ようこさんの原作には、三人のヘルシンキに至った経緯が書かれていましたが、
私は映画の方が好きです。

おにぎりは人が握った方がおいしい。
私は握る一方…しかも必ずラップを使っている…駄目ですか?

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・・・

このところ持病により心身共に疲れ気味,
最低限の家事雑用だけは何とかこなしていますが、
ブログの更新は儘なりません。
覗きに来てくださった方々、ほんとうに御免なさい。

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「ブルーのカーディガン」のまとめ

遅くなってしまいましたが「ブルーのカーディガン」をまとめました。
(グレーのカーディガンは編み図のメモが見つからないので省略します。)

<材料・その他>
スキー毛糸 ハーブカラー22(細めの並太 40g)×10玉
直径2cmのボタン7個
2本棒針(又は輪針) 6号、4号

(他に、かぎ針、とじ針、待ち針、電卓、メジャーなど)

<ゲージ>
メリヤス編み(6号針)  22,5目×30,5段

<出来上がり寸法(M)>
胸囲      97cm
背肩幅   35cm
着丈      56cm
袖丈      52cm

<編み方のポイント>
身頃と袖は「指で掛ける作り目」をして、「一目ゴム編み」を編み、
続けて「メリヤス編み」で編みます。
(前身頃と袖は、「1目」増やします。)

肩は「かぶせはぎ」、脇と袖下は「すくいとじ」、
衿、前立ての順で編み「一目ゴム編み止め」をします。
(衿と前立ての両端は「表目2目」にします。)

ボタンホールは「拾い目」を1段目と数え、
右前の3段目に、「かけめ」「左上2目一度」のボタンホールを7つ作ります。

袖は「引き抜きとじ」で付けます。

<編み図>
20120608a 20120608b

ゲージと「目数、段数」が合っていない箇所もありますが、
大目に見てくださいね m(_ _)m

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『ガス燈』(1944・米)

『ガス燈』(Gaslight)を観ました。

有名な作品なので題名だけは知っていましたが、
俳優で分かったのはポーラ役のイングリット・バーグマンだけでした。
ちょっと逞しい体格ですが、とても美しい…特に横顔が…

シャルル・ポワイエ、ジョセフ・コットン、
名前だけは聞いたような気もしますが顔までは知らなくて…

巡査に「なにか企んでる」と言われていた感じのよくないメイドのナンシーが、
ジェシカおばさん(アンジェラ・ランズベリー)だったと分かりビックリ!
当時17歳と知り、二度驚きでした。

昔の作品だからでしょうか、
怯えたり突然叫んだりするポーラの演技がオーバーに感じ、
まるで演劇(舞台)を観ているかのようでした。

怯えるといえば、ポーラが精神的に追い詰められていく様子が、
デュ・モーリアの「レベッカ」のようなので、ヒッチコック作品かと思いましたが、
監督はジョージ・キューカーでした。
ヒットコックほどぞくっとはしませんでしたが…

夫グレゴリー(シャルル・ポワイエ)との出会いが描かれていなかったなど、
疑問な点もありましたが、後半はハラハラドキドキ…

何はともあれ、ブライアン(ジョセフ・コットン)の執念の捜索と、
料理人エリザベスの機転で、ハッピーエンドになって良かったです。

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中国、いまむかし

『下駄で歩いた巴里』の「白河の旅情」を読んだ時に衝撃を受けるどころか、
「やっぱり~」と納得してしまいました。

辛亥革命によって君主制から共和制国家となっても、
文化大革命によって社会主義国家となっても、
飛躍的な経済発展を遂げGNPが世界2位の国となっても、
中国は構造的には変わっていないような気がします。

中国はジニ係数を発表していないそうですが、
巨万の富を享受するほんの一握りの階級が存在する一方で、
貧困に喘ぎ、読み書きさえ出来ない人たちもいる。

日本でも「神武景気」や「バブル景気」などがありましたが、
一般庶民には実感がなかったように、
中国の経済発展も、大多数の中国人には無縁のようです。

中国が、諸外国から嫌悪感や蔑みの対象とされるのは、「妬み」などではなく、
腐敗政治や覇権主義、人権問題、領土問題、知的財産権、食の安全、環境問題など、
様々な問題が知られているからではないでしょうか。

いつの日か中国にも民主化が実現し、
本当の意味での先進国の仲間入りが出来る日がくることを願っています。

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"・・・略・・・煙のような埃のたちこめている広場に、
あっちこっち行路病者の死骸がころがっているし、
その死骸の着物や靴をひっぺがえして取っている者、
それを眺めている人たち、・・・略・・・
乞食のようなひとたちが列をなしている処だった。
裸でころがっている死骸には蠅が黒い塊のようにむれているし、
世界のどの国にこんな処があるかしらと、私は吃驚してしまった。
三人とも口にハンカチをあてて歩いた。
・・・略・・・死骸のじき傍で揚げ物を売っている店があったり、
喰えるとも思われないようなソーセイジ屋なんかが、
雨のように飛びかう蠅のひどい店を拡げて、美味いぞ美味いぞ
とでも云っているいるのだろう、声を張りあげて客を呼んでいたりする。
・・・略・・・三府管と云うところにはまるで思想と云うものがなく、
犬や猿と同じ生活のようなのだから、人間的なモラルを越えて
ゼンマイみたいなものがゆるみきっているのかもしれない。"
               <林芙美子『下駄で歩いた巴里』「白河の旅情」より>

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「亡命詩人の憂鬱」 ~23年目の天安門事件~

天安門事件から23年の今日、
昨夜録画したETV特集「亡命詩人の憂鬱」 ~23年目の天安門事件~を見ました。

先月、ポーランドのノンフィクション文学・カプチンスキー賞を受賞された中国の詩人、
廖亦武(リャオ・イーウ)さんに焦点を当てたドキュメンタリーでした。

リャオさんは天安門事件を告発する長詩「大虐殺」を発表したために投獄され、
4年間にわたり非人道的な拷問を受け、出獄後も公安に監視され続け、
2011年、15回目にしてようやくドイツへの亡命を果たしました。

亡命により夢にまで見た言論の自由を得て、中国当局を批判できるようになりましたが、
中国政府には何の影響も与えられないばかりか、
中国の庶民にも思いが届かないというジレンマに陥るそうです。

リャオさんの友人で詩人の李必豊(リ・ビーフォン)さんの他にも、
未だ多くの人たちが獄中で非人間的な扱いを受けているとのことでした。

リャオさん曰く、中国の経済発展は庶民には関係無い。
少数の人間が最大の利益を得て、大多数の庶民は依然として貧しく蟻のよう。
底辺に生きる中国人には発言権がなく、生きている限り声帯を切り取られた犬と同じ…

官僚は汚職で私服を肥やし、富裕層は搾取し、コピー商品や下水油、
毒食品などで儲けている人たちがいる一方で、
天安門事件を支援した名もなき一般市民は「反革命動乱罪」で捕らえられ、
出獄後も常に監視され、「暴徒」の烙印を貼られ、結婚や就職さえ出来ないでいる。
中国で生きていくのは、日本人が想像できないほど難しいことかも知れません。

ところで、天安門事件の映像を見ていて気になったことですが、
撮影していたのは、たまたま居合わせた外国人でしょうか…?

中国では、日本のドラマも、アニメも、バラエティ番組も、
著作権などお構いなく、動画サイトで観られるそうですが、
この種のドキュメンタリー番組などは絶対に観られないでしょう。

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『下駄で歩いた巴里』

20120603 『下駄で歩いた巴里』
~林芙美子紀行集~
立松和平/編
岩波文庫

『下駄で歩いた巴里』は、「Jブンガク」で取りあげられた時から、
読みたいと思っていた本です。

先日図書館で借りて読みましたが、約半年間のパリ滞在記だけでなく、
憧れだった中国での日々、20日以上もかかるシベリア鉄道での車中の様子、
ロンドンに滞在した様子、そして後半には、国内の紀行文も収録されていました。

1931年当時、まだ20代後半だった林芙美子さんの行動力に脱帽しました。

朝は焼きたてのフランスパンを買いに行き、ルーブルでコローを見学し、
ボードレールやランボーが出入りしていた、燕横町にある元牢獄の酒場で飲んだり、
バルビゾンの森やミレーのアトリエ付近を散歩したり…

「紅色の花模様の壁紙にイライラさせられ、目を閉じると目蓋の裏まで赤く染まる…
日本の優しい壁の色が懐かしい。
畳に座りたい…異郷にあって日本の美しさに日々呆んやりするほど。
ことさら日本の言葉はベリグウド…」

好奇心旺盛で恐れを知らぬ80年前の異文化体験に、
意気地がない私は圧倒されっぱなしでした。

運賃、家賃、赤帽代、パン、紅茶、マーマレード…
小遣い帳のように細かく記録しているところは女性ならではでしょうか。

.:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+ 

<目次>
北京紀行 (昭和11年10月)
白河の旅愁 (昭和12年5月)
哈爾賓散歩 (昭和5年11月)
西比利亜の旅 (昭和6年1月)
巴里まで晴天 (昭和6年秋)
下駄で歩いた巴里 (昭和七年三月)
巴里
皆知ってるよ (昭和七年三月)
ひとり旅の記 昭和七年四月)
春の日記
摩周湖紀行 ~北海道の旅より~ (昭和十年六月)
樺太への旅 (昭和十年六月)
江差追分 (昭和十年十一月)
上州の湯の沢 (昭和五年八月)
下田港まで (昭和九年五月三日)
私の好きな奈良 (昭和六年三月)
京都 (二月十日)
文学・旅・その他 (八月十日)
大阪紀行 (昭和二十六年七月)
私の東京地図
解説
林芙美子略年譜

(国外、国内と分けるのは良しとして、年代順にして欲しかったです。)

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『Emma エマ』(1996・英)

オースティンの『Emma エマ』は評価が分かれる映画かもしれませんね。

原作を読んでいないので、会話の内容に興味が持てず、
以前見た時は、つまらなくて途中でやめてしまいました。

今回も裁縫しながら見ていたので、実質的には20分位でしょうか…
私はブロンテ姉妹の方が好きですね。

内容の好き嫌いはともかく、アボンリーを思わせるような美しい田園風景や、
若い女性たちの可愛らしい衣装など、視覚的には充分堪能できました。

あのシンプルなハイウエストのドレスは、
スレンダーなグウィネス・パルトロウには似合っていましたが、
他の太った女性たち(引き立て役?)は、まるでマタニティドレスのようで…

イギリス映画は(イギリス映画に限りませんが)、
韓国ドラマのように、絵に描いたような美男美女ばかりでないところがいいですね。
区別が付かないような美女ばかり、というのは不自然ですから。

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