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2012年3月

『死の棘』

「このドラマはフィクションであり……」

という断り書きを、昔見たことがあります。

"ドラマと現実を混同してしまう人がいるのかしら…?"
と、その頃は思っていました。

フィクションと分かっていても、内容がどんなに荒唐無稽であっても、
事実は小説よりも奇なり、世の中は広いのです。
「モデルは自分…」と思ってしまう人がいても不思議ではありません。

私もその一人…

20年以上も前のこと、
偶然知った島尾敏雄の私小説『死の棘』を読んだ時、
(その後、映画も見ました。)

"ミホは私…"

「時が癒す」という言葉は、私にはありません。

20120331
『死の棘』島尾敏雄/著 新潮文庫
『新潮日本文学アルバム 島尾敏雄』 新潮社

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グレーのカーディガン

今シーズン中に一枚ぐらいはと頑張って、何とか仕上げました。
…もう3月も終わるというのに…

20120328

セーターやカーディガンを、早い人は一週間足らずで仕上げるとか。
私は手が遅いうえに決断力が乏しく(編み図の書き直し)、
しかも、ゲージがなかなか定まらなくて何度もほどくので、
3週間以上もかかってしまいました。
…メリヤス編みなのに…

編み始めに比べ、だんだんゆるくなる人の方が多いと聞きますが、
私は逆に、きつくなってしまいます。
…というわけで、袖は編み直すつもりなので「袖付け」は「仮」です…

20120328b
糸は毛混の太めの並太、
ボタンは手持ちの中から選んだ、ちょっとレトロなボタン。

西洋では、年齢性別による「相応しい色」というのは無いそうです。
日本でも最近は昔程ではありません。

十代の頃から変わらず、モノトーン(特にグレー)ばかり、
そのグレーが今は地味になってしまいました。
…昔の日本なら「年相応」なのでしょうが…

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スカートのファスナー

人からは“落ち着いているように”見られている私ですが、
実際は子供の頃からせっかちで早とちり、
物もすぐ落とすので、母から「そそっかしい大統領」と言われていました。

幾つになっても相変わらずで、
先日もスカートのファスナーが開いたまま外出していました。
幸いジャケットで隠れていて恥をかかずに済みましたが、
忘れた頃に失敗を繰り返すのです。

ファスナーと言えば、
プリーツスカートなどデザインによっては今も「左脇ファスナー」ですが、
私の子供の頃は、スカートだけでなく、キュロットなども左脇で、
ズボンも、女性用は「前開き」ではなく、「左脇」でした。

どちらが良いか…
スカートを作る時いつも迷うのです。

デザインによって開きの位置も変わりますが、
穿きやすさでは「左脇ファスナー」です。私は。

一番シンプルなセミタイトの場合でも一長一短があって、
「左脇ファスナー」では、裁ち目の始末が左右だけ、
「後ろファスナー」では、後ろ中央(ファスナー付けの下)もしなれればなりません。

ですが、ファスナー付けは「後ろファスナー」の方が直線で簡単、
もし脇詰め(お直し)することになった場合も「脇ファスナー」は面倒です。

結局ファスナー付けが簡単な「後ろ」にしてしまうことが多いのですが、
後ろにすることで「ファスナーの失敗」に繫がるのかもしれません。

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三月は去って行く

三月は別れの季節…
人だけではなく、最終回を迎えたTV番組も。

「週刊ブックレビュー」と「N響アワー」
どちらも毎回必ず見ていたわけではありませんが、
気に入っていた番組が終わってしまうのは寂しいものです。

「会うは別れの始め」と言いますが、あの「水戸黄門」のように、
どんなに長寿番組でも、いずれは終わることは分かっていても、
親しくしていた人が、遠くへ引っ越してしまった時のような侘びしさ、
自分だけ置いてきぼりにされたような気分…
(次元が低くてごめんなさい)

「N響アワー」の次は「ららら♪クラシック」とか、
「週刊ブックレビュー」の次は無いのでしょうか…?

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『本日休診』(1952・松竹)

『本日休診』、録画して一月半も経ってしまいました。
(渋谷実監督、原作は井伏鱒二の同名小説)

戦後再出発して一年の記念日の三雲医院、
「本日休診」の札を掛け、ゆっくり昼寝でもと思っていた大(先代)先生でしたが、
訳ありの患者が次から次へとやって来て、昼寝どころか一日中てんてこ舞い…

ばあやの息子の勇作にとって、戦争は終わっていません。
常軌を逸した勇作の言動(戦争によるPTSDに思えます)に、
周囲の人たちは話を合わせてやります。
事情を知らない人にも、
キチガイだから許してやってくれ」と…

「まだ幸せだよ。キチガイでもカタワでも生きて帰ったんだから」
手紙キチガイでしょうか?」
「そりゃキチガイじゃないよ。手紙マニア、趣味だよ」など、
「キチガイ」という台詞が何度も出てきましたが、
昔は配慮が無かったというより、差別という認識が無かっただけ…

最初は、“そんな馬鹿な…でもこれはコメディーだから…”
と笑ったりしながら気楽に見ていましたが、
見終わってみると、考えさせられることの多い反戦映画でした。

特に、みんなで少年航空兵(雁)見送るラストシーン、
安堵したような清々しい表情の中尉(三國連太郎)とは対照的に、
息子の足にすがりつく母(長岡輝子)の姿に思わず泣けてしまいました。

「少年航空兵たちは両親の所に帰還したんだよ」
大先生の言葉に、勇作も終戦を迎えられたのかも…

古い映画ですが知っている俳優さんも多かったのです。
(三國連太郎、長岡輝子、佐田啓二、岸惠子、鶴田浩二、淡島千景、
望月優子、多々良純、十朱久雄…)

主役や重要な役柄なのに知らなかった俳優さんたちもいました。
(柳永二郎、角梨枝子、田村秋子)

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アメリカ式? フランス式?

“「アメリカ式」「フランス式」って何のこと…?”
と思われる方も多いでしょうが、
(そういう私も数年前までは知りませんでした。)
棒針編みでは、左手人差し指に糸を掛け、右手の針で糸をすくう「フランス式」と、
右手で糸をかけてすくう「アメリカ式」があります。
(左利きの人の場合、逆になるの?)

私が最初に母に教わったのは小2の時でしたが、
一目ずつかける方法(「アメリカ式」)だったような気がします。

でも「アメリカ式」で何かを編んだ記憶はありません。
(母は「フランス式」でした。)

「フランス式」の方が早く編めると言いたいところですが、
ターシャ・テューダーさんは手元を見ないで早く編んでいました。
(ミス・マープルもそうでした。)

どちらにしても、馴れた方法が早いのは当然、
「隣の芝生は青い」でターシャさんのように「アメリカ式」で編むことに憧れます。

ところで、海外でも「フランス式」「アメリカ式」と言うのでしょうか?
少なくとも、イギリス人は「アメリカ式」とは言わないと思います。

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ミス・マープル (2)

「殺人は容易だ」は、ミス・マープルシリーズではないようです。

小さな村で起こった連続殺人に乗り出したミス・マープル…
例によって誰もが曰くありげで、犯人の予想が付きませんでした。

動機が怨恨とか財産目的ではなく、
犯人が可哀想な境遇だったので、同情してしまいました。

ところで、「吹き替えは顔を知らない人の方がいい」
といつも思っているのですが、私が見る海外ドラマ(NHK)では、
ヒロインの吹き替えを女優さんがしていることが多いです。
たまたまかも知れませんが…

ミス・マープルでは山岡久乃さん、岸田今日子さん、草笛光子さん…
(アニメ版は八千草薫さんだったとか。)
今回も藤田弓子さんの顔が浮かんでしまって…
似ています!

例外もありました。
「大草原の小さな家」の日色ともゑさん(ローラの母キャロライン)や、
「ドクター・クイン」の范文雀さん(マイク先生)とか…

「アボンリーへの道」のへティ伯母さんに至っては、
鳳八千代さん以外考えられません…(*^-^)

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ミス・マープル

月曜日から「ミス・マープル」の新シリーズが始まりましたね。
予約しようと番組表を見たら、夕方5時からとは…

まだ「ポケットにライ麦を」しか見ていませんが、
ニコニコ動画でジョーン・ヒクソン版を見ていましたが、
やはり雰囲気は大分違いました。
(原作も読みました。)

今度のミス・マープルはジュリア・マッケンジーという女優さんで、
馴れていないせいか、何だか脇役に見えてしまって…

推理している時はさすがに鋭い眼差しでしたが、
気の良い可愛らしいおばあちゃんという感じなのです。

ミステリーファンには申し訳ないのですが、
日本のサスペンスドラマは見ないのに、
ポワロやミス・マープルを心待ちにしているのは、
女性たちのファッションやイギリスの美しい景色が見たいからなのです。
ストーリーは二の次…

ミス・マープルの衣装に関しては、
前シリーズのジェラルディン・マキューアンの方がフェミニンで素敵でした。

私の好みは完全に「新ミス・マープル」タイプですが、
見るとなると、ロマンチックな衣装方がいいですからね。

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東京大空襲の未公開写真

「東京大空襲583枚の未公開写真」(NHKスペシャル)を見ました。

昨年、東京のある民家の押し入れから、これまで存在しないとされていた
「東京大空襲」の被害を写した未公開写真のネガ582枚が発見された。

戦時下、雑誌に掲載されていた写真は、戦意高揚を目的としたものばかりで、
被害を写した写真は一切発表されることはなかったそうです。

発見された写真は、軍に許された報道カメラマン集団「東方社」の成員が写したもので、
終戦後、焼却処分されたはずでした。

発見についての詳しいことは明らかにされませんでしたが、
きっと報道カメラマンの遺品で、命がけで撮影した戦争の記録を、
是非とも後世に伝えたかったのではないでしょうか。

1944年から終戦までに繰り返された「B29による無差別爆撃」で亡くなった数は、
3月10日だけでも10万人以上…
B29の標的は「軍事施設」と聞かされ信じていたのに…

アメリカ軍による「東京大空襲」は、一年前から綿密に計画され準備されていて、
東京都の1、5倍の広さの施設で、東京の下町住宅密集地を再現し、
より効率良く東京を焼き尽くすため、焼夷弾を落とす実験を重ね、
レーダーによって計画通り、正確に市民への無差別爆撃が行われていたのでした。

…日本ではバケツリレーで消火活動が行われていた…

原宿、新宿、銀座、浅草…
子どもだったあの日、家族とはぐれたまま、二度と会うことはなかった人たち、
その生存者たちの証言に、思わず涙がこぼれました。

67年前、一万五千体以上もの遺体が安置されていた公園で、
無邪気に遊ぶ幼い子どもたち。

“…戦争はだめ…”

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『招かれざる客』(1967・米)

録画しておいた『招かれざる客』を見ました。

旅から突然帰宅した一人娘が連れてきたのは黒人の男性、
しかもすでに婚約しているという。

差別はいけないと教育された23歳の娘は、
両親(スペンサー・トレイシー&キャサリン・ヘップバーン)の祝福を疑いもしない。

その婚約者(シドニー・ポワチエ)は36歳の結婚歴のある博士、
人間性、職業、経歴、その他文句の付けようのない人物なのに、
黒人ということで動揺する両親…

母親は、娘の幸せそうな様子を見て、認める気持ちになるのですが、
もしもエリートではなく、一般的な黒人男性だったとしても賛成したのでしょうか。

アメリカでは、人種や宗教さえ一致すれば、
子どもの意志を尊重するのかも知れませんが、
日本なら、いきなり連れて来た男性と結婚すると言って、
その晩には発つと聞かされれば、人種や国籍に関係無く、
ほとんどの親が動顛してしまうと思いますが…

男性側の両親も息子の結婚相手に驚愕しますが、
双方とも、子どもの決断を信じ認めてやるのが母親の方というのは
ありがちなことです。

ノリノリで踊りながら肉を配達する白人の男の子や、
彼についいていくメイドの女の子、
ガムを噛みながら応対するアイスクリームショップの若いウェイトレズが可笑しかった。

買ったばかりの車を、スペンサー・トレイシーの車にぶつけられた黒人の若者が
わめきちらし、それを見ていた人たちが拍手する場面も笑ってしまいました。

シドニー・ポワチエといえば、
昔「いつか見た青い空」「いつも心に太陽を」「野のユリ」などを見ましたが、
ほとんど記憶がありません。
機会があったら、もう一度見てみたい。

ところで、外国映画に出てくる「着物姿の日本人」というのは、
どうしてあんな感じなのでしょうか…
着物も、帯も、着付けも、ちぐはぐな感じで、日本人には思えないのです。

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Love Me Tender

プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」は好きな曲です。

でも、最近は忌野清志郎さんのカバー曲を聴いています。

 巧みな言葉で 一般庶民をだまそうとしても
 ほんの少しバレてる その黒い腹

発表当時は一部の人しか注目していなかったのかも知れませんが、
昨年の原発事故以後はどうでしょうか。

「核などいらね」「長生きしてえな」と繰り返し歌っていた清志郎さん…
長生きしたいという願いも叶わず、大災害も知らず旅立ってしまいました。

「ラブ・ミー・テンダー」や「サマータイム・ブルース」に込めた清志郎さんの思いを、
多くの人に知って貰いたいと思います。

「日本の原発は安全です」

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刺し子

先日、ポジャギのビデオを見ていたら、
数週間前「美の壺」で放送していた刺し子を思い出しました。

(刺し子といっても、木綿地に「麻の葉」や「青海波」などを刺したものではなく、
麻布に刺した津軽の「こぎん刺し」「菱刺し」のことです。)

それまでは、野良着などに施された刺し子について、
「生地(木綿地)の補強にしても、重いのでは?」と思っていましたが、
知らないにもほどがありました。

江戸時代、津軽では「もめん」は無く、衣類は麻だけだったそうです。
木綿がないということは布団に入れる綿もなかったということでしょうか?

木綿と違って麻は肌触りが冷たいうえに目が粗く、風を通す布、
冬はさぞかし寒かったことでしょう。

江戸末期、木綿糸が手に入るようになると、
保温と補強のため、麻布の目を木綿の白糸で埋める作業をしたそうです。

スウェーデン刺繍のように布目に刺すことは、
誰でも、根気さえあれば出来るとは思いますが、
ボタンホールを手でかがる場合のように、均一に糸を引くのが難しそうです。

「美の壺」で、初めて美しい色彩の前掛けを見ました。

大正時代、鉄道の発達によって出回るようになった毛糸で刺したものですが、
農家の娘さんが買えるのは、数十センチが数本だけ…

その貴重な毛糸はそのまま使わず、撚りを2~3本に解して使ったそうです。

二つと同じものが無い美しい前掛けは、晴れの日の勝負服だったといいます。

カラフルな前掛けを身に付けることが出来た娘さんたちは幸せです。
身売りされた人もいたでしょうから…。

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ポジャギ

先日、偶然「恋する雑貨」という番組を知りました。
(「韓国ソウルでステキを探せ」~野村佑香~編)

ポジャギのモチーフは長方形、正方形とシンプルですが、
(カテドラウィンドウのような方法もありました。)
それゆえ色の組み合わせが何より重要とのこと、
(白一色のポジャギも素敵!)
そこが作り手のセンスの見せ所なのかもしれません。

生地は絹か麻、
絹(綸子?、繻子?)では地紋のあるものもありましたが、
色は全て無地で、緻密な刺繍が施されているものもありました。

アンティークから新しいものまで、どれも色使いが美しく、
見ているだけで気持ちが洗われ、幸せな気分になりました。

私は根気も無いし不器用なので、
大それたことは考えないようにしていますが、
手芸品を見るのが大好きです。

ポジャギにしても、パッチワークキルトにしても、
ボビンレースやフランス刺繍、日本刺繍、刺し子、エトセトラエトセトラ…

ポジャギといえば、以前から「おしゃれ工房」(「すてきにハンドメイド」)などで、
縫っている所を見る度に疑問だったのが針の動きでした。

パッチワークの映像では、直線に縫う場合は、運針の要領で水平に縫うのに、
ポジャギでは、一針ごと手前にすくって縫っているようなのです。

それが今回、手元のアップで分かりました。
返し縫い(半返し)だったのです。
針も日本の針とは違うようでした。

とても細かい目で、一針ごと返し縫いするのですから、
目が疲れる、肩も凝る、根気が要る作業ですよね。

ところで、
洋服作りでは、布目を通すことに、とても神経を使います。

その癖で、ちょっとした物を縫う場合でも布目を気にするのですが、
ポジャギ作りを見ていたら、裁断も、印付けも、布目を通していませんでした。

洗濯した後、歪んだりしないのでしょうか?
パッチワークでも布目は気にしないの?

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一年後・・・

一年後の3月11日も過ぎてしまった。

一年は早い、
5年、10年も、あっと言う間に過ぎてしまうでしょう。

9月1日が、今も記憶に刻まれているように、
50年後、100年後の日本人にとっても、
3月11日は悲しみの日となることでしょう。

大災害に遭っても暴動も起きず、秩序正しく、
前向きに助け合う日本人の姿は海外から賞賛されたそうですが、
一向に進まない被災地の「がれき処理」。

国内外からの義援金、救援物資、復興支援、チャリティー、
励ましのメッセージ・・・

そして、追悼式を行い、黙祷を捧げ、
「ご冥福を心よりお祈り致します」と言いながら、
「がれき処理」の協力には、断固反対したり、無関心だったり・・・

その理由は解ります。
でも、復興の第一歩は「がれき処理」、
これでも先進国と言えるでしょうか。

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『恍惚の人』(1973・東宝)

有吉佐和子さんのベストセラー『恍惚の人』の映画化、
40年遅れではありますが見て良かったです。   

老人性痴呆症(当時は認知症という言葉はなかった)と介護を描いたことで、
当時は流行語になったほど反響の大きかった作品でしたが、
怖くいような気がして、読むことも見ることも出来ませんでした。

解説によれば、森繁久弥さんは59歳で84歳の役を演じたそうです。
ソファーから転げ落ちたり、道路や歩道橋をスタスタ歩いたり、雨に濡れたり、
お風呂で溺れたりの演技を、80過ぎの俳優さんにはさせられないでしょうから。

壮絶な場面ばかりで、辛くて見ていられないのでは、と予想していましたが、
森繁さんがコメディアンだからでしょうか、
息子の嫁(高峰秀子さん)との闘いが、コントのように可笑しくて、
不謹慎にも、何度も笑ってしまいました。

介護する側の苦労は経験した人でないと解らないとは思いますが、
「死んだ方がマシ」「生きてる価値無し」「医者はなぜ殺してくれないのか」
「殺しちゃえ」「もう人間じゃない」

と言われてしまう側も哀れで泣けました。

近親者ほど受け入れがたいのでしょか、
“せめて、本人の聞こえる所では口に出さないで!”と言いたかった。

認知症は家族にとっては確かに辛いことですが、
本人は、死の恐怖がなくくなるのかもしれない…と思っていましたが、
不安感や恐怖心は消えるどころか、いつも襲っているようでした。

途中、モノクロの意味が解りました。
もしカラーだったら、きっと目を反らしてしまったでしょう。

「老人クラブへは年寄りばかりだから行きたくありません」
「婆さんは話が古くさいし、臭いから嫌いだ」
「私の娘
(乙羽信子さん)はこんな年寄りではありません」

息子(田村高廣さん)のことは「暴漢、賊」、
インスタントラーメンを作ってくれた高校生の孫を「お父さん」と呼ぶ。
自分が子どもだった頃の父親の面影を見出したのでしょうか?

おじいちゃんは幼児に戻り、赤ちゃんに戻り、生まれる前の世界に戻っていった…
雨の中でのおじいちゃんのラストシーンは涙が止まりませんでした。

「この家、臭いわね~」
「だからいいんだよ。おじいちゃんがいるみたいでさ~」

介護する側、される側、いずれ、どちらかになるのかもしれない…
他人事ではありません。

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『ドライビング Miss デイジー』(1989・米)

『ドライビング Miss デイジー』は見たことがあるのですが、
また録画してしまいました。

“特に事件もなく詰まらない”
“退屈で眠くなる”
“なぜアカデミー賞(作品賞、主演女優賞、他)を受賞したのか理解できない”
“ホーク(モーガン・フリーマン)はいいけれど、
 気むずかしいミス・デイジー(ジェシカ・タンディ)がイヤ”
と思う人もいるようですが、私は好きな映画です。

1948年から四半世紀が描かれていることを解説で知りましたが、
日付などが分かるものもなく、若い人や子どもが登場しないので、
ゆったりとした流れの中で、気付かないうちに歳月が過ぎていた感じでした。

何気ない日常風景を描きながらも、中身は深く、
人種差別、親子関係、主従関係、嫁姑、老人の心理、老衰など、
普遍的な課題を考えされられる作品です。

アメリカ南部、時代的にも『フライド・グリーン・トマト』や『グラスハープ』に
雰囲気が似ていると思います。

家の外観も内部も素敵でしたが、ミス・デイジーの衣装もお洒落…
西洋のお年寄りは、パステルカラーも可愛らしい模様も似合って羨ましい。

ところで、ご婦人たちがマージャンに興じる場面があってビックリ…
認識不足でした。
私はマージャンのパイ(実物)を見たことがないのです。

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ヘレン・ケラーの恋

「歴史秘話ヒストリア」 
ニッポン大好き!がんばって!~ヘレン・ケラー 日本との友情物語~

を見ました。

ヘレン・ケラー(1880~1968)のロマンスを初めて知り、
他人事ながら幸せな気分に浸ることができました。
悲しい恋ではありましたが…

ヘレン36歳、お相手は通訳(手話)・秘書のピーター・フェーガン。
価値観が同じことから次第に愛し合うようになり婚姻届も出したのですが、
保守的なヘレンの家族は、社会運動をしているピーターが気に入らず、
猛反対されたそうです。
その後も密かに会い続けた二人は、駆け落ちをしようとしたのですが、
銃を突き付けられ、強引に引き離されてしまったのでした。

ピーターの遺品の中から、最近見つかったヘレンのポートレートには、

“森の中で 本の中で 共に過ごした幸せな時に 感謝を込めて”

という直筆の文字がありました。

若き日のヘレンの美しい横顔…
ピーターも哲学者的風貌で素敵な人でした。

「愛する」ということだけが、どうしても理解できなかったヘレン、
ピーターとの恋を、次のように書いています。

“短い命であった恋は 暗い海に取り囲まれた歓喜の小島として
私の一生に残るでしょう
私は強く愛され 必要とされるという経験を持っただけでも
うれしく思います”
 (自伝より)

ヘレンの初来日は1937年、岩崎武夫さんの要請によるものでした。
(アン・サリヴァン先生の“日本に行ってやりなさい”も)
そして、日本は空前のヘレンケラーブームとなったそうです。

4ヶ月以上滞在し、33都市で80回以上の講演活動をされたそうですが、
平等と障害者の福祉向上を訴える反戦思想のヘレンは、
危険人物とみなされ、特高の監視下に置かれていたそうです。

実際ヘレンは、戦争を避けたいルーズベルト大統領から、
平和の使者としての役割を託されていたのだそうです。

昨年、初来日の時のヘレンの肉声が発見されました。
(なぜ今まで放置されていたのでしょう?戦争のせい?)

“私は日本の友だちにお願いをします
見えない 聞こえない仲間に 助けの手をさしのべてください
仲間を 社会に必要な存在として 幸福な人にしてあげて欲しいのです
(英語)
サヨナラ アリガトウ
(日本語)

三度の来日、自宅に石灯籠をたて、二頭の秋田犬、日本酒…
日本と日本人を愛したヘレン・ケラー。

最初に母が買ってくれた伝記は『ヘレン・ケラー』でした。
ヘレン・ケラーブームを知る母は、きっと沢山の感動を与えられたのでしょう。

私も本やパティ・デュークの『奇跡の人』から多くの感動を貰いました。

不幸のどん底にあっても
この世には 自分にできることがあるのだと信じましょう
誰かの苦しみを和らげてあげられるかぎり
人生は無駄とはなりません
人生で最も胸が高鳴るのは 他人のために生きる時です
 (ヘレン・ケラー)

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デイドリーム

「モンキーズ」ボーカルのD・ジョーンズ氏が死去…(Yahooニュース)

ボーカルのD…まさか…? と思ったら、そのまさかでした!

デイビーは小柄で童顔の美少年だったので、
私と同じくらいと思っていましたが、意外に年上で驚きました。
 (人気はデイビーに集中していました。)

「ザ・モンキーズ」は洋楽に疎い私も、それなりに知っていました。
というのも、高校生の頃だったと思いますが、
「ベイ・シティ・ローラーズ」とともに人気があって、
「ザ・モンキーズ」というTVドラマがゴールデンタイムで放送されていましたから。
 (たしかデイビーの声は高橋元太郎さんで、
  他に太田博之さん、長沢純さんなどが吹き替えされていました。)

私は特別ファンというわけではなかったので、
「デイドリーム」「モンキーズのテーマ」「恋の終列車」位しか知りませんが、
「デイドリーム」は特に好きで、今でも時々聴いていました。
 (忌野清志郎さんのカバーも好きです。)

何十年ぶりのデイビーは、先日のトラップ大佐同様、
かつての面影はありませんでした。
 (昨日の楢崎弥之助さんは(2010年当時の写真)
    国会議員だった頃のイメージそのままに年を重ねた感じでしたが…)

久々に知る懐かしい人の情報が訃報だなんて、本当に悲しいです。

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