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2012年1月

『真実一路』(1954・松竹)

山本有三の『真実一路』、映画は見ていないけれど、小説は昔読んだ…
と思っていましたが、映画を見出した瞬間、思い違いと気付きました。

『真実一路』→山本有三→『路傍の石』…
というように、昔、太田博之さんや池田秀一さん主演の『路傍の石』とか、
『次郎物語』 (下村湖人)があって、映画と小説を読んだり見たりしたために、
それらとイメージが重なって、『真実一路』も読んだと錯覚したようです。

前置きが長くて失礼致しました。

そんなわけで『真実一路』も『路傍の石』のような作品かと思っていましたが、
昭和10年頃『主婦之友』に連載された小説だけにメロドラマのような内容でした。

亡き恋人の子どもを身ごもったまま、世間体を気にする身内の圧力により、
愛を感じない相手(山村 聰さん)と結婚をしたむつ子(淡島千景さん)は、
二人の子どもを捨てて家出し、カフェーを経営しながら若い愛人と暮らしている…
(何となく『エデンの東』が重なりました。)

そこまではどうにか理解できますが、愛人に去られ、
一度は子どもたちの元に戻って、
何も聞かされていない小学生の息子に、自分が母と名乗っておきながら、
愛人が忘れらせず、居場所の目星をつけ息子を道連れに逢いに行った挙げ句、
結局また家出してしまう…

母のせいで破談になってしまう娘(桂木洋子さん)、
母親がいないことでイジメの対象になり、寂しさから非行化寸前の息子、
そして血の繫がらない娘と、乳飲み子だった息子を育て、病死する父…

むつ子の生き方が「真実一路」と言うことらしいのですが、
私には共感できませんでした。

母として生きるか、女として生きるか…
今の時代なら普通なのでしょうが、戦前は両立は不可能だったのでしょう。

他に、多々良 純さん(むつ子の弟)、佐田啓二さん(息子の担任)、その他。

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LaLa TV のアボンリー 2

3月の月間番組表を確認してみました。

第4シリーズまでは載っていましたが、放送は一度だけ…
それに19日までというのが気になります。
今年度で終了ということ…?

3月1日(木) #43 「亡き親友の妻」(Evelyn)
     5日(月) #44 「あこがれの人」(Moving On)
     6日(火) #45 「町の消防団」(Boys Will Be Boy)
     7日(水) #46 「それぞれのデート」(The Dinner)
     8日(木) #47 「フェリックスのお手柄」(Heirs and Graces)
    12日(月) #48 「聖バレンタインの日に」(Hearts and Flowers)
    13日(火) #49 「フェリシティの選択」(Felicity's Perfect Beau)
    14日(水) #50 「行方不明のジョナサン」(The Disappearance)
    15日(木) #51 「ホーム・ムービー」(Home Movie)
    19日(月) #52 「イライザおばさんの訪問」(Hearth and Home)
(放送時間はいずれも午前 10:00~)

無料の日には放送しないようです。
何度見てもドキドキする「それぞれのデート」が見られなくて残念!

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番組表を見ていて気付いたのですが、
LaLaTVも韓国ドラマが多いですね。

韓流ってそんなに人気があるの…?
私の周辺には、韓流ファンが一人もいないので信じられないのですが…。

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LaLa TV のアボンリー

“LaLaTVのアボンリー、本当に第3シリーズまでなの…?
その先も放送するような気がするけれど…”

何となくそう思っていましたが、先ほど「放送予定」をチェックしてみたら、
シーズン3の続きに、シーズン4の3話分が載っていました…♪

2月27日(月)AM 10:30~11:30 「オリビアの赤ちゃん」(Tug of War)
2月28日(火)AM 10:30~11:30 「手荒な歓迎」(The Lady and The Blade)
2月29日(水)AM 10:30~11:30 「愛犬ディガーの危機」(Incident at Vernon River)

3話とも放送は一回だけのようです。

「オリビアの赤ちゃん」(40話)は、
オリビアのお産のため、デール一族がやってきますが、
例のごとく、へティ伯母さんはデール一族と遣り合います…(笑)

「手荒な歓迎」(41話)は、
アボンリーの新任教師クライブ・ペティボーンと、
作家になったへティ伯母さんが遣り合います…(笑)

「愛犬ディガーの危機」(42話)は、
12歳の誕生日プレゼントに、ライフルを貰えなかったフェリックスが、
無断で家の銃を持ち出し、ディガーを撃ってしまいますが、
獣医の卵のアーサー・ペティボーンが登場しフェリシティに接近…
ガスのライバルになるのですよね…(笑)

3月以降が気になりますよね。
…スカパーに加入していないので見られませんが。

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昔の邦画

昨年4月から、
山田洋次監督が選んだ日本の名作100本~家族編~
が放送されていますが、私の知らない映画が多く、若さ(?)を感じました。

家族編の50本の中で見たことがあった作品は9本、
でも、公開当時劇場で見たのは、
「若者たち」「キューポラのある街」「にあんちゃん」の3本だけでした。

以前はあまり邦画に興味が無かったのですが、
見てみると、昔の日本が見ることができて、意外に面白かったです。

風景にしても、服装にしても 言葉遣いにしても、価値観にしても、
今とは大違いで。

言葉遣いについては、昔の方が語彙が豊かだったような気がします。
今は言葉遣いに男女の違いがほとんど無いうえに、
放送禁止用語も多いですから。

言葉遣いと言えば、『姉妹』の中で、野添ひとみさん扮するけい子が、
頻繁に“まぁ~”と言っていました。

と言っても、「多分」「取り敢えず」というような意味の“まぁ~”(副詞)ではなく、
感動した時や驚いたり呆れたりした時に、思わず出てしまう(主に女性が)
“まぁ~”(感嘆詞)の方です。
今は耳にしませんよね…?少なくとも私の周辺では…。

女性言葉が消えつつあるのも性差別が減った証と思えば、
喜ばしいことなのでしょうが、味気なくなってしまったような気もして複雑です。

でも、女性が捨てた言葉を、ゲイの方々がしっかり保存している…

BSシネマの2月の邦画は、「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本~」
のアンコール放送が中心のようでした。

見逃した映画も多いので、また録画するつもりでいますが、
録画しても、なかなか見られないのが難点なのですよ。
(洋画も何本も録画してあります…)

BSプレミアム「映画トップ
…「カレンダー」に放送予定が載っています。
2月14日(火)PM 1::00~ 2::42)放映の『姉妹』がお薦め!

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『姉妹』(1955・中央映画)

18日に放送された『姉妹』(家城巳代治監督)をようやく見ることが出来ました。
この映画は、最近見た昔の邦画の中で、一番私の好みでした。

思慮深く優しい姉と、天真爛漫で正義感の強い妹、
姉妹は町の学校に通うため、山の親元を離れ伯母夫婦の家で暮らしています。

姉けい子役は野添ひとみさん、妹とし子役は中原ひとみさん、
お二人とも美しい…

野添ひとみさんといえば、晩年のイメージしかない私は、
『暖流』の時も美しさに驚きましたが、こちらの清純な美しさといったら…
中原ひとみさんも、溌剌としてとても素敵でした。
中学生の頃に読んでいた『女学生の友』を思い出してしまいました。

この家城巳代治監督は、もしやかして…
後の解説によれば、やはり「レッドパージで松竹を追放された」とのことでした。

たとえば、
お金持ちなのに幸せではないとし子の同級生。

貧困ゆえに「娘を買ってくれ」と言った母親に、とし子の靴代をあげたり、
「学校さえやれない家もあるのだから」と、とし子に修学旅行を諦めさせた父。

伯母さんの知人の「結核性の病気の一家」の暮らしぶり。

それに「首切り反対」のビラや、
ロシア民謡や労働歌を歌う発電所の労働組合員。

台詞にしても、
「戦争なんか大反対よ」

「この世には悲惨なことがいっぱいあるでしょ?
いつも自分が正しくいられるようにと…」

「政治家はみんなやってるじゃないか
(賄賂)

「とし子は虚栄廃止論者なんだね。
手ぶらで帰っても、温かく迎える姉弟であって欲しい」

「男だったら革命だって起こせるし…」

「都会へ出ても就職難だし、幸福とは限らないわ」

「みんな同じ人間じゃないか、私たちは悪いことなんかしてないよ。
…お金さえあれば、こんな病気
(結核)にもならないし…」

「神様の試練と言うけれど、政治の貧困だと思うわ」

「首切りなんて不合理よ、あんないい人を追い出すなんて…」

「どうして正しいことが、その通りにならなの?」

「家計簿は母さんの苦労簿だ」

「そんなの封建的よ。私は自分で探すわ
(結婚相手)
など…

一番印象に残った台詞は、
好きな人がいるのに、お見合い結婚してしまう姉に言った
とし子の言葉です。

「もし、いじめられることがあっても、泣き寝入りしちゃ駄目よ。
…私は、どこまでも私の方法でやるわ。
だから、姉ちゃんは姉ちゃんの方法で幸せになってね」

出演は他に、
望月優子(伯母)、多々良純、北林谷栄、加藤 嘉、内藤武敏、殿山泰司など、

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『兄とその妹』(1939・松竹)

『兄とその妹』(監督・島津保次郎)を見ました。

1939年の作品なので画質や音声が良くないのは仕方ないのですが、
女性たちの声はしっかり分かるのに、佐分利信さん始め、
男性陣の台詞がとても聞き取りにくくて…。

戦前のサラリーマン家庭の生活が興味深かったです。

お風呂を沸かす場面がありましたが、焚き口が家の外…
私は時代劇でしか見たことがないのです。
冬場や雨の日は大変だったでしょうね。

間宮の妻・あき子(三宅邦子さん)のかいがいしいことと言ったら…
当時の平均的な専業主婦の姿なのか、理想像なのかは分かりませんが、
風邪で39度(?)あるのに、重役との囲碁で深夜に帰宅する夫を待ち、
愚痴や文句は一切言わず、翌朝は夫の洗面の用意をして、夫を優しく起こし、
(グラスにはお湯が、歯ブラシには歯磨きが)朝から拭き掃除をして、
夫の着替えを手伝い、夫の対し反論することもなく、
風邪でも家事をおろそかにすることも無く、昼間は家事の合間にお裁縫を…

それに、義妹の誕生日にはプレゼントを用意し、
ご馳走を作ってお客さんをもてなして…戦前の女性は大変でした。

間宮の妹・文子(桑野通子さん)は、
同時翻訳しながらタイピング出来るほど有能な秘書で、
今でいうところのキャリアウーマンなのです。高給取りの。

飲食のシーンが多かったのですが、
朝食がバタートーストだったのには驚きました。

長火鉢に長方形の餅網を置き、食パンを焼いていました。
ティーポットで紅茶(ティーバッグではありません)を入れ角砂糖は二つ。
ゆで卵もエッグスタンドに…。

文子は、風邪の義姉のために、銀座でアイスクリームを買って帰ったり、
日曜日には三人で箱根登山鉄道に乗ってハイキングで出かけたりも…。
コッフェルでコーヒーを入れ、パイナップルの缶詰を開けていました。

普段着物のあき子も、ハイキングでは膝下丈のキュロットスカートで、
ブラウスのボタンはイミテーションのパールボタン。
懐かしい…パールボタンは私も捨てずに持っています。

長時間煮込んだというおでん(?)や、栗羊羹が美味しそうで…

文子の誕生会のメニューは分かりませんでしたが、
湯飲み、ご飯茶碗、吸い物椀ともに蓋付き、お客様用なのでしょうね。

誕生日に男性から薔薇の花束が贈られたり、
(文子に求婚した男性は上原謙さん(加山雄三さんの父)でした。)
ハイカラな暮らしぶりですよね。

驚くことや疑問も多かったですが一番驚いたことは、
間宮の知人(笠智衆さん)宅にインターフォンがあったこと。
ラストで大陸に向かう時、船ではなく飛行機だったのも意外でした。

ところで疑問の一つなのですが、
間宮の洗面用にと、風呂桶からお湯をすくい出して洗面器に入れていましたが、
まさか昨晩の残り湯じゃないでしょうね…?

女性たちの言葉遣いが美しく、文子にしてもそうなのですが、
ただ「おいしいわよ」とは言わず「うまいわよ」と言っていたのが気になりました。

差別とは思いますが、女性が「うまい」と言うに抵抗があって…
男性に伍する能力がある女性だからでしょうか…?

内容に関係の無いことばかり長々と書いてごめんなさい。

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『祇園の姉妹(きょうだい)』(1936・松竹)

『祇園の姉妹(きょうだい)』(監督・溝口健二)は面白い作品でした。

男の身勝手にも文句を言わず、流れのまま生きる姉の「梅吉」、
女学校を出ていて勝ち気な妹の「おもちゃ」。

男を憎悪する「おもちゃ」は「男なんかに負けへんで」と男を手玉に取り、
最後には痛いしっぺ返しを受け、
「なんで芸技という職業があるのか!」のようなことを叫ぶ…。

昔は女学校を卒業しても、就職する人は僅かで、
花嫁修業をして、お見合い結婚するのが一般的だったのでしょう。

女性の職業は限られていて、芸妓の姉をもつ「おもちゃ」にとって、
経済的に自立出来るだけの職業の選択は無かったのでしょう。
妹の学費は姉が出したのでしょうが…。

祇園が舞台なのに華やかなお座敷の場面も無く、
ほとんどが薄暗い路地や、殺風景な姉妹の家の中でした。

家具といえば、箪笥、鏡台、茶箪笥、長火鉢ぐらいで、
座布団にはカバーはありません。
昔の日本の家の中は、あんな感じだったのでしょうね。

当時は着物が基本ですが、洋装の場合でも下駄履きだったりします。
私の世代では、「洋装に下駄」は全く驚きませんが、
「洋装に日本髪」には、さすがにギョッとしました。

「おもちゃ」役の山田五十鈴さんは、撮影当時18歳だったそうですが、
役作りとはいえ、喋り方から身のこなしまで、とても18歳とは思えませんでした。

それにしても、「おもちゃ」という源氏名は、いかにも象徴的ですよね。

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『暖流』(1957・大映)

岸田國士(岸田衿子さん・今日子さん姉妹の父)原作の『暖流』は、
何度も映像化されているようです。

死期が迫ったことを悟った病院長が、
かつて親代わりとなって面倒をみた青年・日疋(ひびき)に、
経営不振に陥っている病院の再建を依頼します。

明るみになるずさんな管理体制、不正な経理…
日疋(根上淳さん)は看護婦の石渡ぎん(左幸子さん)に、
病院内の情報収集を頼みますが、彼女から愛を打ち明けられるように…

でも、日疋の思いは、病院長の令嬢啓子(野添ひとみ)に向いていて、
啓子は気障な医師の求婚を受け入れ、その医師の秘密をぎんが握っている。

という、よくありそうなストーリーでしたが、
私の関心は、専ら野添ひとみさんの衣装でした。

デザインはシンプルですが、色使いが洗練されていて、令嬢らしくエレガント、
アクセサリーやバックも素敵でした。
それに比べて、左幸子さんの衣装は平凡でした。

美輪明宏さん(丸山明宏)が歌手役で出演させていたのには驚きましたが、
病院長の駄目息子(啓子の母違いの兄)役は、
船越英二さん(船越英一郎さんの父)でした。

船越さんが歌っていた
“メケメケ ハモハモ バッキャロー ハモハモ メケメケ バカヤロー” 

“だって~ぼくは君が好き~だから君も僕が好き~そこで二人は恋人同土
が耳に残ってしまいました。

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『紀ノ川』(1966・松竹)

このところ色々あって更新出来ませんでした。
覗きに来てくださった方、本当にごめんなさい。

今日、ようやく、10日放映の『紀ノ川』を見ました。

『紀ノ川』は有吉佐和子さん原作で、3時間弱の大作ですが、
明治32年から戦後までと、明治・大正・昭和の三代を描いているために、
目まぐるしく感じてしまいました。

あまりにも駆け足で、特に説明もないため、いきなり名前が出てきても、
原作を読んでいない私には人間関係が分かりにくかったです。

たとえば中盤に、「カズミシス」という訃報がありましたが、
「カズミ」は「花」の娘の一人だったのでしょうか…?

旧家の真谷家に嫁いだ花(司葉子さん)は、
24歳にして村長の夫(田村髙廣さん)…(後に県会議長、代議士)を支え、
「身を灯明の油のごとく」尽くし家を守りますが、
進歩的な長女・文緒(岩下志麻さん)は、従順な母に反発します。

でも、そんな文緖も、結婚し母となり、
次第に常識的な中年になっていくのでした。

戦前、特に旧家では、女性は家を守るため己を捨て一生を捧げたようですが、
考えてみれば男性も同じだったのかも知れません。

立身出世にしても、当人の名誉というより、結局は「家」のためなのですから。
戦後に生まれたことに感謝しなければいけませんね。

その他の出演者は、
丹波哲郎さん、沢村貞子さん、東山千栄子さんなど多数。

ところで、有吉佐和子さんと言えば、昔は流行作家として有名で、
『華岡青洲の妻』『恍惚の人』『三婆』『不信のとき』など、
映像化された作品も多かったです。

私も何冊かは読み、家にも残っていますが、
全くと言っていいほど記憶がありません。

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・・・過ぎる

「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」、スタジオの部分を見ました。

司会の中條誠子さん(NHKアナウンサー)の他に、
茂木大輔さん(NHK交響楽団オーボエ奏者)
中村哲郎,さん(日本ヨハン・シュトラウス協会)
藤本眞一さん(ウィーン・フィル・マニア)
長野由紀さん(バレエ評論家)が出演されていましたが、
中村哲郎さんの紹介テロップには 

シュトラウスに詳しすぎる
   中村哲郎さん

と書かれてありました。

“詳しすぎる”って…!?
詳しくてはいけないの…?

数年前、「美人すぎる市議」というのが話題になりましたが、
その時に感じた違和感を思い出してしまいました。

きっと絶世の美人なのでしょうが、市議が美人じゃ駄目なの…?
と思いました。(今もその市議を知りませんが)

私だけかもしれませんが、
「…過ぎる」には否定的なニュアンスが含まれているように感じてしまうのです。

たとえば、「このお菓子は甘過ぎる」と言えば完全に否定的ですが、
「このお料理、美味し過ぎる」にしても、
言葉の裏に、“だからつい食べ過ぎてしまった…ダイエット中なのに…”
が含まれているように…

「過ぎたるは及ばざるがごとし」的な…

市議に限らず、美人過ぎると言う場合、
「○○には美人はいない」
「○○にしては美人だ」
「○○は美人である必要がない」
という思い込みや差別を含んでいるような。

でも最近、「…過ぎる」という言い方は、
一時期流行った「超…」と同じような使い方なのかも、と思えてきました。

「超美人の○○」なら納得出来ますが、
ある時「超○○すぎる○○」という言い方も耳にして…

話を戻します。
なぜ「シュトラウスに大変詳しい」とか、「生き字引」とか、
「精通・熟知する」などではなく、「シュトラウスに詳しすぎる」なのでしょう…?

NHKですから、文法的には間違いではないのでしょうが、
なぜか好きになれない「…過ぎる」でした。

(番組の内容に関係無くてすみませんでした。)

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COOL JAPAN  谷根千~YA-NE-SEN~

今回のテーマは「谷根千(やねせん)」でした。

「谷根千」は、下町風情の残る「谷中、根津、千駄木」周辺の総称で、
外国人に人気のあるエリアだそうです。

ポンプのある細い路地、落語に登場するような木造の長屋、
江戸時代から続く老舗商店、若い世代に受け継がれている伝統の職人技、
家族総出でもてなしてくれる和風旅館…

「路地」「外国人に人気の旅館」「長屋暮らし」「職人の町」
の中から選ばれたベスト・オブ・クールは「路地」でした。

長屋に住みたい…?
お風呂もプライバシーもない長屋には住みたくない(住めない)、
というのが普通でしょう。

長屋に限らず、下町に限らず、日本には自治会というのがあって、
否応なしに加入させられます。

郷に入れば郷に従わなければなりません。
変わり者で人付き合いが苦手な私にとって、精神的負担は大きいのです。

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ニューイヤーコンサート

1月14日にもなって「ニューイヤー」というと笑われそうですが、
毎年、元日の夜の楽しみは「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」なのです。
でもなかなか見れないのですよね。

今年も、慌ててTV(PCの)をつけたら、ラデツキーの途中でした。
でも大丈夫、しっかり予約してありましたから…

そして数日かかって、ようやく全部見る(聴く)ことが出来ました。
(スタジオの部分はまだですが…)

今年の指揮者はラトビアのマリス・ヤンソンスさんでしたが、
風貌に似合わず(?)お茶目で笑ってしまいました。
(私の好きな指揮者はムーティ…ミーハーですか?)

今年は「こうもり」「狩り」「常動曲」など、お馴染みの曲がなかった代わりに、
初めて聴く曲や、「眠りの森の美女」などが演奏され、
14年ぶりに、ウィーン少年合唱団の歌声も聴くことが出来ました。
(「トリッチ・トラッチ・ポルカ」「鍛冶屋のポルカ」の二曲)

ニューイヤーコンサートでは、バレエが見られることも楽しみの一つで、
由緒ある建物の内部が見られるのも嬉しいですね。
今回は、美術館になっているベルヴェデーレ宮殿でした。

振付はダヴィデ・ボンバナで、三つのバレエを見ることが出来ました。

「人生を楽しめ」では、ゴールドの衣装で目隠しして踊り
「燃える恋」では、クリムトの「接吻」の前で…
そして「美しく青きドナウ」…

昨年の若いダンサーたちが最後に会場に入って来たのには驚かされましたが、
今年の振付も素晴らしかったです。

ブルー系のシンプルな衣装(私好み)も素敵でしたが、
クラシックとは思えないダイナミックな振付に感動しました。

ただ、カメラの影が衣装に写ってしまったのが残念でした。
(ウィーン国立バレエ団は今年4月に来日されるそうですね。)

カメラと言えば、今回のカメラワークも例年より大胆で、
楽友協会の大ホールが、隈無く見ることができました。

ジュリー・アンドリュースさんの姿もありましたが、
大あくびした男性が…
偶然映されてしまった人も、映してしまった側も不運としか思えません。

それにしても、毎年のことながら和服姿の女性が多いですよね。

毎年、「美しく青きドナウ」で鳥肌が立ち、
「ラデツキー」の手拍子のところで涙が出てしまう私です。

(見逃された方、YouTubeで見られますよ。)

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眼科

ほとんどの人がそうなのかもしれませんが、
臆病者の私が、“病院に行くのが怖い”という理由は検査等ではなくて、
“深刻なことを宣告されるのでは…”と思うからなのです。

ですが、不安がっていても始まりません。
“何だったのかハッキリさせたい”一心で、覚悟を決め眼科に行ってきました。

素人判断で「毛細血管が切れた?」と思っていましたが、
やはり「何らか(何かを知りたかったのですが)の原因で網膜が引っ張られ、
それによる出血が考えられる」と言われました。

ただ、瞳孔を開かせて(点眼薬で)、詳しい検査をした結果、
毛細血管からの出血の跡は無かったのです。

多分、出血は赤血球レベルで、こういうことは、さほど珍しいことでは無いそうで、
黒く見える浮遊物(?)なども1~2ヶ月で消えると思うけれども、
念のため、一月後に検査に来るようにと言われました。

明細書に記されてあった検査項目は、
「矯正視力検査」「精密眼圧測定」「細隙燈顕微鏡検査(前眼部及び後眼部)」
「精密眼底検査(両側)」「屈折検査」
でした。

検査の度に、30~60分待たされるのが辛い…
治りかけていたギックリ腰が、また痛み出してしまいました。

そんなことより、
ご心配をおかけして申し訳ございませんでした m(_ _)m

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左目が…

今日、買い物でレジで待っていたときのこと、
突然、左目だけ、視界が遮られたように何かが見え、
その直後、まるでバケツの水に、絵の具の付いた筆先を触れた時のように、
濃い茶褐色の「流水模様」のようなものが現れ、
徐々に変化しながら拡散していきました。

“ついに私も…”
何が「ついに」なのか分かりませんが、異常と言うことだけは確か、
咄嗟にそう思ってしまいました。

“眼科に行かなければいけない…”と思いながらも、
何とか無事家にたどり着きましたが、怖くて鏡を覗くことが出来ませんでした。
(しばらくして見てみたところ,特に異常はありませんでしたが…)

今はほとんど回復しましたが、まだ、かすかに視界の隅に異物が見えるのです。
それより気になるのは、,暗いところで光が見える(感じる)こと…

もし人からこんなことを聞かされたなら、
間違いなく、「絶対に眼科に行くべき、勇気を出して!」
と言うでしょう。
でも、自分のこととなるとやっぱり怖い…
…眼科…それとも…?

と言うわけで、編み物はしばらくお休み。
頭痛持ちで、肩凝りで、目が疲れやすく、しかも手が遅い私ですが、
唯一夢中になれることだったのに残念です。

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カーディガン制作中

年末から、暇さえあれば編み物に没頭しています。
いいえ、暇を作り出して、でした。

ところがです…(ここからは愚痴)
毛糸玉の状態では分からなかったのですが、
一色で編んでいるのに、微妙に…
微妙どころか完全に「段」になっているのですよ…(涙)

同じ色番でも、買った時期が違う場合なら仕方ないですが、
10玉入りの袋に色のムラがあったとは…

ロットが[AB]というのも何となくですが、
確認したところ一応全て[AB]…

ちなみに「スキー毛糸」の純毛並太40g10玉入りで、
税込み価格1,050円也(安過ぎる!)…中国製

自分用とは言え、もうガッカリです。
「安物買いのなんとか」を実感しました…(ノ_-。)

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久しぶりに…

「へティの求婚者」を見ましたが、やっぱりガスは素敵でした…!

そして、へティ伯母さんを見ていたら悲しくなりました。
もう、この世にはいないのですよね…

いまごろ、イライザおばさんや、セーラの養育係のルイザ・バンクスや、
ビューグル夫人たちと、丁々発止やりあっているのかしら…?
それとも、アボンリーーの思い出話に花が咲いているのかしら…?

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

LaLaTVの「アボンリーへの道」は、第3シリーズまでなのでしょうか。
(放送予定は第3シリーズまででした。)

うちはスカパーに加入していないので、いずれにしても見られませんが、
まだ見ていない人たちのために、是非とも最終回(91話)まで放送して欲しいと
思っていただけに、とても残念です。
(私がアボンリーの虜になったのは4シリーズからでした。)

ところで、
「アボンリーへの道」のDVD-BOXですが、
第7シリーズまで発売されているのですね。

私はアナログ放送の時に、VHSとDVDに保存しましたが、
正直のところ、画質については良いとは言えないので、
買いたい気持ちも無きにしも非ずですが、「結構なお値段」ですから…

でも、もしもノーカット版だったなら、注文してしまうかもしれませんが (*^.^*)

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COOL JAPAN 歳~Age~

2012年最初のテーマは「歳」でした。

日本人は「歳」に敏感?
外国人が考える「歳」に関する三つの不思議とは、

(1)相手の年齢を知りたがる不思議
(2)自分の年齢を気にする不思議
(3)歳に関する行事がたくさんある不思議
とか…

日本には年長者を敬わなければいけないという「掟」(笑)があり、敬語もあるのに、
反面、初対面の人に年齢を訊くのは失礼という礼儀もありますが、
ネパール、韓国では初対面の人に年齢を聞くのは普通だそうです。

一方欧米では、年齢を訊くのは、特に女性に対してはタブー…
(いずれもスタジオの外国人によれば)

番組を見て感じたのですが、自分の年齢を気にしているのは日本人や韓国人より、
むしろ欧米の人たち(女性)の方が強いように思いました。

機械で「体内年齢」「肌年齢」「血管年齢」まで調べる日本人は変…?
これは歳を気にするからではなく、日本人の健康志向の表れだと思います。

ところで、「若く見える」と言われても真に受けてはいけません。
十中八九お世辞です。
みんな口では「もう歳がから」と言っても、自惚れ鏡を持っているので、
「自分は同年齢の人に比べて若く見える」と勘違いし、
人から「若い」と言われれば、内心「やっぱり!」と喜んでしまうのです。
実際は、ほとんどの人が「年相応」なのですよね。

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本日PM:6:00より、「アボンリーへの道」(LaLatv無料の日)が見られますね。
「へティの求婚者」です。
へティがスケート靴の行商人に求婚されるお話も可笑しかったですが、
私はやっぱりフェリシティとガス…
ガスがフェリシティにスケートを習うラストシーンが素敵でした。

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「にっぽん 微笑みの国の物語~海の向こうに遺(のこ)された江戸~」

「にっぽん 微笑みの国の物語~海の向こうに遺(のこ)された江戸~」
を見ました。

大森貝塚を発見したことで知られる生物学者のエドワード・モースが収集した
江戸時代の生活道具に焦点が当てられていました。

アメリカ、セイラムにあるピーボディー博物館を訪ね、
3万点ほどのモースコレクションの中の、ほんの一部を紹介していましたが、
江戸時代の職人技には本当に驚嘆させられます。

江戸時代が平和だったからこそ、町人文化が開花したのでしょうから、
やはり紛争地帯では生きていくことだけで精一杯、
とても高度な文化は生まれないと思います…

「江戸の住居は四畳半一間で家財道具は無く、当然、お風呂もありません。
物を大切にするのが日本人の美徳、貧しても後ろ指を指されることもありません…」

咄嗟に、今も仮設住宅で暮らしている人たちのことが浮かびました。
そう言われてもね~だって、それは江戸時代のことですから…
遠回しに「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」と言いたいの?
考え過ぎ…?

それはともかく、モースやフェノロサのような外国人がいたから、
日本人は昔の優れた職人技や文化を知ることが出来るのですよね。
感謝しいてます。

「モースの見た日本」より
~セイラム、ピーボディー博物館 モース・コレクション
20120107a
20120107b 20120107c
(左) 蜻蛉(とんぼ)の花籠…竹製
(中) 迷子札…絹(縮緬・他)
(右) 1890年頃の子どもたち

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「にっぽん 微笑みの国の物語~時代を江戸に巻き戻せば~」

ハイビジョン特集「にっぽん 微笑みの国の物語~時代を江戸に巻き戻せば~」
を見ました。

明治初期に来日し、東北地方を旅したイザベラ・バートの『日本奥地紀行』を元に、
彼女の旅を再現しながら、今も昔ながらの生活を送っている東北農村部の暮らしぶりや,
村のしきたりを守り伝えている人々を紹介。

明治11年といっても農村地方の暮らしは江戸時代と同じだったでしょう。
外国人の目に映った日本人は小さく醜く、家は粗末で不潔だったようです。

でも、東京でも地方でも、みんな誠実で勤勉で礼儀正しく、
決して浪費はせず、どんなに貧しくても和やかで、質素で無駄なく暮らしている…

そして今でも、自給自足に近い暮らしをしている人たち…
「足るを知る」
自然の恵みを感謝して頂き、質素でシンプルな暮らしは私の理想でもありますが、
途中から頭の中で「欲しがりません勝つまでは」のスローガンが点滅…

「不況な世の中、お上に対し不平不満を言うな」というメッセージのようにも思えて、
何となく嫌な気分になりました。

…へそ曲がり、ですね。

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「小さな留学生」

お父さんと暮らすため、お母さんと来日した中国の少女…

検索した結果、番組のタイトルは「小さな留学生」、
少女の名前は「張 素(ちょう・そ)」ちゃんと分かりました。

今回、ユーチューブやニコニコ動画で番組も見ることができ、
感動を新たにしました。

張素ちゃん(当時9歳)が北京から来日したのは1996年10月でしたが、
初めは日本語が全く分からなかった張素ちゃんも、
努力の結果(周囲の協力も)、日本人のように話せるようになり、
誰もが張素ちゃんが外国人ということを忘れてしまったほどでした。

担任の中村直子先生も、岩崎正校長も、クラスの友だちも、
みんないい人ばかりでした。

その後、日本経済の不況に伴い、お父さんが勤めていた会社も危なくなって、
約2年後の1998年6月、張素ちゃんとお母さんは帰国を余儀なくされたのでした。

張素ちゃんは中2の時、中国の高校生の修学旅行に特別に同行し、
中村先生、校長先生と再会を果たしましたが、
「この学校(八王子市立第七小学校)を卒業して欲しかった」
という先生方の思いがこもった手作りの卒業証書を渡されていました。

情報によれば、
数年前に交換留学生として早稲田大学政治経済学部で1年間学び、
そして、中国の名門復旦大学を卒業されたそうです。

「日本と中国の友好のために努力する外交官になるのが夢」
と語っていた張素ちゃんも、現在25歳位になるのでしょうが、
今何をしているのか気になります。

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初詣…2

「初詣」というと、
10年以上も前に見たドキュメンタリー番組でのあるシーンを思い出します。

詳しい内容は忘れましたが、
日本の大学を卒業し東京で就職したお父さんと暮らすため、
お母さんと北京から来日した女の子のお話でした。

日本語が全く分からな当初は、
「日本は昔中国を侵略したから、勉強で必ず一番になる」と言い、
全校集会では「日中友好のため平和の鳩になって」などと挨拶していましたが、
担任の先生や級友に助けられ、日本語が上達し、勉強もクラスでトップに…

そうそう、初詣でした。
来日して初めてのお正月に、家族で初詣に出掛けた時のこと、
女の子は、従姉妹のお姉さんのことを心配し、
絵馬に書いてお願いしていました。

がんばり屋のあの中国の女の子、もう大きくなったでしょうね。

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初詣

お正月三が日も、そろそろ終わりに近づいています。
時間の過ぎるのは早いですね。

ところで、みなさんは「初詣」に行きましたか?

私は小学生の時に、町内の子供会の行事で参加させられたことを除けば、
一度も初詣に行ったことはありません。

昔から木々に覆われた神社仏閣の佇まいや、静寂の世界は好きですが、
初詣に行きたいと思ったことも、行かなければと思ったこともありませんでした。

両親が初詣の習慣が無かったことも原因の一つですが、
私自身が信仰心が無く、人混みが苦手で出不精、それに天の邪鬼だからでしょう。

  日本人の初詣に出かける比率はどのくらいなの…?
  いつまでが初詣と言うの…?

初詣に出掛けた話でなくてごめんなさい。m(_ _)m

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2012年の始まり

 あけまして
   おめでとうございます

2012年の元日、皆様はどのようにお過ごしですか。
私はいつもと同じで、ちょっと残念です。

今年はどんなことが待っているのかしら…?
期待より不安の方が大きいのですが、
夢中になれる何かを見つけたいと思っています。

今年もよろしくお願いします 
                   2012年元日 ミチ 

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