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2011年12月

2011年も終わり

2011年は未曾有の自然災害と、
それに伴う原発事故という筆舌に尽くしがたい大惨事に見舞われ、
日本中が悲しみに包まれた一年でした。
でも、あと数時間で終わりですね。

来年はどんな一年になるのでしょうか?
今年よりは良い年であって欲しいですね。

この一年私の拙いブログを覗きに来てくれた皆様、
そして温かいコメントを寄せてくださった方々、ありがとうございました。

2012年もよろしくお願い申し上げます。

皆様、よいお年をお迎えくださいね (*^-^)

                                      ミチ

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カーテンの洗濯

11月中頃からスタートしたカーテンの洗濯がようやく終了しました。
(2枚重ね厚手遮光カーテン、レースカーテンで44枚)

昔はクリーニングに出していましたが、不経済ですからね。

まめな人は頻繁に洗濯するでしょうが、私は年一度が精一杯です。
(家族それぞれの寝室は、夏用冬用取り替える際に洗っていますが)

頻繁に洗わないわが家のカーテン、
一見汚れているようには見えなくても、かなり汚れているはずなので、
二度洗いしているのです。

うちのカーテンレールは天井近くと高いため、
脚立がないと届かなくて、結構大変な作業なのです。

 

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『いそしぎ』(1965・米)

『いそしぎ』を見ました。全部ではないですが。

この映画は勿論知っていましたが、今まで見たいと思ったこともなかったので、
「いそしぎ」の意味が、「磯鴫(シギ)」のことと知ってとても驚きました。

ひらがな表記なために、勝手に、「いそしむ」から派生した一種の名詞と思っていました。
有名なテーマも気怠いムードなので、「いそしぎ」も何となく不道徳なイメージがありました。

9歳の息子と自由に暮らす画家のシングルマザー(エリザベス・テーラー)と、
息子が強制的に入学させられたミッションスクールの校長(リチャード・バートン)の
メロドラマなのですが、私は不倫のお話に拒否反応が起きてしまうのですよね。

不倫のお話は全然素敵じゃない。
でも『ジェーン・エア』は別ですよ。

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『熱いトタン屋根の猫』(1958・米)

先週、『熱いトタン屋根の猫』(Cat on a Hot Tin Roof)が放映されていました。

高校生の頃に、原作の戯曲『やけたトタン屋根の上の猫』を読んだのに、
内容を全く覚えていません。
面白くなくて途中で投げ出してしまったような気もしますが…

映画も詰まらなかったです。
というより、好みではなかったです。

大農場の当主である父(ビッグ・ダディ)の誕生日を祝うために集まった長男一家と
次男夫婦。
ビッグ・ダディはガンを宣告されていますが、本人は知りません。

ビッグ・ダディの遺産を狙っている長男夫婦には5人の子供がいて、
妻は6人目を身ごもっています。

ビッグ・ダディは長男より次男ブルック(ポール・ニューマン)に愛情を注いでいますが、
そのブルックは自殺した親友のスキッパーと妻マギー(エリザベス・テーラー)の仲を邪推し、
妻を拒絶しています。

ビッグ・ダディにしても、妻を一度も愛したことがないと言うし、
妻(ビッグ・ママ)も全てを取り仕切ろうとしていて好感が持てません。

長男と次男の仲も悪そうで、マギーも姪や甥を毛嫌いし、
姪たちもマギーに嫌がらせばかりしています…

このように私が好きになる要素が一つもなかったのです。

映画では、スキッパーとブルックの関係をぼかした脚色になっていましたが、
原作では同性愛の関係だったと思います。
(テネシー・ウイリアムズ自身がそうだったようです。)

20111227 『やけたトタン屋根の上の猫』
テネシー・ウイリアムズ
田島 博/訳
新潮文庫

20111227b (左)『欲望という名の電車』(田島 博・山下 修/訳)
(右)『ガラスの動物園』(田島 博/訳)
テネシー・ウイリアムズ
新潮文庫

昔読んだ中では『ガラスの動物園』が良かったです。

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最近持病の頭痛に苦しめられています。
やらなければならないことは山程あるのに何も手につかず、
時間ばかりが過ぎてしまいます。

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『花嫁の父』(1950・米)

保存しておいた『花嫁の父』(Father of the Bride)を見ました。

半世紀以上昔のアメリカの中流家庭での暮らしぶりや、
ファッションに興味がありましたが、やはりアメリカは豊かでした。

蝶よ花よと育てた大切な一人娘、年頃になって男性が寄ってくれば心配になり、
寄ってこなければ「魅力が無いのだろうか」と心配になる。

ある日突然、どこの馬の骨とも分からない男と結婚すると知った時の父親の気持ち…
内輪に簡素にと思っていても、
「教会での結婚式は女の子の夢」「一生に一度のことだから」
と言われれば、無理しても叶えさせてやりたいと思うのが親心。

披露宴の打ち合わせ、招待客への招待状、ブライドメイトへのプレゼント、
2度しか着ていない20年前のモーニングは着られない、と費用は嵩む一方で、
いっそ駆け落ちをしてくれないかと言い出したり…

日本とは違い、アメリカでは夫が家計を管理していることが分かります。
疑問なのは、新婦側が費用その他一切を負担するのでしょうか?
また、アメリカでも、結婚式の予行練習もやるとは意外でした。

娘を持つ父親にとっては、笑えるどころか身につまされて辛くなる内容かと思います。
私の知人で三人の娘を持つ人が、「一人ぐらいは駆け落ちしてもらいたい」
と言っていたことを思い出しました。

花嫁の父(スタンリー)はスペンサー・トレイシー、
娘(ケイ)は当時18歳のエリザベス・テーラー(30歳過ぎに見えました)。

エリザベス・テーラーはたしかに美しかったです。
でも、母親のエリー(ジョーン・ベネット)の方が素敵に感じました。

“息子は嫁をもらうまで、でも娘は生涯 娘のまま”

名言です。

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ガラスのミニツリー

先日のこと、久しぶりに会った友だちが、
「10年位前から、スノードーム(スノーグローブ)を探しているけど気に入ったものが無い。
欲しいのは見ていて癒されるもので、クリスマスに関係なく、生き物が入っていないもの」
…閉所恐怖症だから…と言うので、二人であちこち探し回ったのですが、
希望通りのものは見つからず、結局、スノーマンのスノードームを購入していました。
私は内心、「止めた方がいいのに…」と思っていましたが…

(偶然ですが私も10年ぐらい前に急に欲しくなって探したことがありました。
やはりオモチャのようなものばかりで、ネットでもイメージするのはありませんでした。)

歩き疲れた私の前にあったのが、この小さなガラスのツリー…

面倒で、もう何年もツリーを飾っていませんが、これなら簡単!
あしたはイヴですね…(*^-^)

20111223
(↑少しだけ拡大します。)
高さ7cm弱、比較のため文庫本に乗せて写しました。

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『エル・スール』(小説)

20111220 『エル・スール』
アデライダ・ガルシア・モラレス/著
野谷文昭・熊倉靖子/訳
インスクリプト 2009/2/18

『ミツバチのささやき』のついでに録画し、期待もせず見た『エル・スール』でしたが、
途中から父親のミステリアスな眼差しに引き込まれてしまいました。

しかも父の死の謎が明かされることなく、
エストレリャが<南>に旅立つところでラストを迎えてしまったので、
気になって仕方ありませんでした。

監督は、その先も撮る予定だったそうですが、
何らかの理由で果たせなかったとか…

それならば、是非とも原作を読まなければ、と…。

何となく「長編」と思っていたのですが、予想に反し短い小説で、
しかも翻訳とは思えない美しい文章だったので、一日で読んでしまいました。

やはり原作は原作、というより原案に近く、
少女の名前も「エストレリャ」ではなく「アドリアナ」、
父は「アグスティン」→「ラファエル」、母は「フリア」→「テレザ」、
「イレーネ・リオス」→「グロリア・バリェ」でした。

その他の設定もかなり違っていたので、「別もの」と感じる人もいるでしょうが、
もし先に原作を読んでいたならば、それ程違和感はなかったかもしれません。

というのも、小説もアドリアナの一人称になっていましたが、
(父に語りかけるような、あるいは父に宛てた手紙のようにも思えました。)
映画では想像するしかなかったエストレリャや、父、母の心理状態も、
小説には(アドリアナの推測としてですが)描かれていたので納得出来ましたから。

セビーリャ(南)で知った父の秘密…
私としては残念な秘密でした。

やはり、映画でそこまで描かなかったのは正解だったような。
謎解きは、しない方が想像の余地がありますから。

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「もし一生のうちに何かしたいことだあるんだったら、
大きくなっても、結婚したり子供を持ったりするんじゃないぞ。
好きなときに死ねる自由を持つためにだけでもだ」

「いいかい。一番性質
(たち)が悪い苦しみというのは、
これといった理由がないやつなんだ。
あらゆることが原因になって、とくに何かがあるわけじゃない。
まるで顔がないみたいなのさ」

アドリアナに言った父の言葉…いたく共感!

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ハボタン

12月も半ばを過ぎると、花屋さんにも、ホームセンターやスーパーの店先でも、
待ってましたとばかり、ポインセチアの鉢植えが並べられています。

少し視線をそらすと、必ずといっていいくらいハボタンもありますが、
節操の無い日本人にとっては、これも一つの風物詩なのでしょう。

私は小さい頃から、なぜハボタンがお正月用なのか不思議に思っていました。

ハボタンは花ですか…?
それとも野菜ですか…?

色のついたキャベツにも、白菜にも、サニーレタスにも見えますが、
食べようと思えば食べられるのですか…?

ハボタンはきれいですか…?
ハボタンを好きな人っているのですか…?

私の周りにはいませんが。

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かぎ針編みの巾着袋

前に“棒針編みをした一番古い記憶は小2の頃…”と書きましたが、
かぎ針編みの一番古い記憶も、小学校2~3年生の時でした。

三つ違いの兄が、家庭科で編んだかぎ針編みの巾着袋を見て羨ましくて、
真似して編んだのです。(家庭科は5~6年生)

その巾着袋は、底の直径が10cmにも満たない小さなもので、
細編みの底、側面は長編み、紐通しと紐は鎖編みでした。

毛糸は、アイボリー系のからみ糸(母のカーディガンの残り糸)、
側面にはえんじと青のラインを一段ずつ入れ、
兄のと全く同じように編んだつもりなのに、出来栄えは天と地でした。

自慢の息子で期待の生徒だった兄は手先も器用、
地味で内気で、常に目立たない存在の私とは大違いでした。

小学校1~3年の時は、休み時間になると、
兄の同級生が「○○くんの妹は…」と覗きにくるのが辛くて…

優等生だった兄も、その後の生き方は私以上に不器用で…。

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毛糸

毎年、この季節になると、毛糸が恋しくなります。
セーターではありません。毛糸が、です。

そして今年も、
いつもと同じお店で、同じ毛糸を注文しました。

20111217
左は、スキー毛糸「ハーブカラー」のブルー(№22)
(純毛並太(細め) ウール100%)

右は、ハマナカ毛糸「ホビーメイク」のグレー(№13)
(毛混並太 ウール40%、アクリル60%)

どちらも40g×10巻入りで、2袋ずつ購入しましたが、
「5,250円」という信じられないお値段でした。

何を編もうかしら?
この冬には仕上がらないでしょうが…。

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『雪の夜の話』

20111216 『女生徒』 太宰治/著
角川文庫
(『燈籠』『女生徒』『葉桜と魔笛』『皮膚と心』『誰も知らぬ』『きりぎりす』『千代女』
『恥」『待つ』『十二月八日』『雪の夜の話』『貨幣』『おさん』『饗宴夫人』)

「ユーモラスなのも深刻なのも太宰作品は全て好き」という又吉さん…
私はほんの一部しか読んでないのですが、中には共感できない作品もありました。

例えば『斜陽』、私は好きになれませんでした。
『女生徒』や『きりぎりす』は共感できますが…。

好きな作品を一つだけ挙げるのは難しいですが、
少女の一人称で書かれた童話のような『雪の夜の話』は大好きな作品です。
(『少女の友』(昭和19年5月号)に掲載)

 “人間の眼玉は、風景をたくわえる事が出来ると、
  いつか兄さんが教えて下さった。”

姪のモンペが出来上がり叔母さんの家に届けた帰り道、
私(しゅん子)は、お土産にもらった2枚のスルメを、途中で落としたことに気付き、
雪道を引き返して探しましたが見つかりません…。

“…兄さんが二十くらい、私がまだほんの子供でお母さんにおんぶされて…”

“…兄さんは、少しお変人の小説家、もう四十近くなるのに…”

…しゅん子は中学生か女学生くらいかしら…?

素朴で優しく愛があって幻想的…とても短い作品です。
是非読んで見てください。

『雪の夜の話』青空文庫)

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『親友交歓』

20111215 『ヴィヨンの妻』 太宰治/著
新潮文庫
(『親友交歓』『トカトントン』『父』『母』『ヴィヨンの妻』
『おさん』『家庭の幸福』『桜桃』)

太宰治の短編小説の『親友交歓』は、
又吉直樹さんが、「読んでいて思わず笑ってしまった」という作品ですが、
私も同じく笑ってしまいました。

罹災し、妻子を連れて津軽の生家に疎開していた時のこと、
小学校時代の同級生の平田という男が訪ねてきて、
「酒を飲ませろ」「かか(妻)にお酌をさせろ」などと無理を言い、
井伏さんに飲んでもらおうと大事にしておいた高価なウイスキーを飲んでしまった挙げ句、
<私>の兄が政治家と知りながら「政治家は嫌いだ」と言いたい放題言い、
眉唾な武勇伝や、お門違いなお説教をした挙げ句、
帰り際には、<私>の耳元で「威張るなよ!」と囁いた。

平田は無神経を通り越して、傍若無人を絵に描いたような男ですが、
迷惑で不快の極みのはずなのに、どこか楽しんでいるようにも感じられるのです。

日本人の多くが<私>タイプに思えますが、意外に身近に<平田>タイプもいて、
「あるあるネタ」ではないですが、「そうそう、いるのよね、私の知っている人の中にも…」
と、一度ならず自分も経験しているからこそ、笑えるのかも知れませんね。

では、笑えない人は<平田>タイプ…?
でも、そういう人に限って、全く自覚していないから困るのですよね。

『親友交歓』(青空文庫)

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『第2図書係補佐』

20111213 『第2図書係補佐』
又吉直樹/著
幻冬舎よしもと文庫
2011/11/25

もう本は買わないつもりだったのに、amazonに注文してしまいました。
(…図書館にまだ無かったので…)

なぜ、お笑い芸人又吉直樹さんの本を購入したかと言えば、
又吉さんのブログ、ツイッターのファンだからです。

なぜ、ブログ等を読むようになったかと言えば、
「神保町公式ガイド」の表紙を飾ったことがあるくらい文学通で、
太宰治を待受画面にしているほど太宰ファンと聞いたからなのです。
(最近はお忙しいらしく更新が遅めです。)

『第2図書係補佐』は、数年前、劇場のフリーペーパーに連載されていたコラムを
まとめたもので、目次には47の本のタイトルが並んでいますが、
書評のたぐいではありません。
連想される又吉さんご自身の逸話のエッセイです。

“…僕には書評を書く能力はありません。…皆様にも失礼です。”
本書のタイトルもそうですが、謙虚な方なのですね。

太宰治の短編を読んでいると、
“これは私小説ではなく、随筆では…?”と錯覚ししてしまいますが、
又吉さんのエッセイは、“これはミニ私小説では…?と思ってしまいました。

『親友交歓』で書かれていた太宰治との偶然には驚きました。

又吉さんが上京して、不動産屋さんに紹介され初めて住んだのが三鷹で、
その古いアパートの住所は、太宰が最後に暮らした家の現住所…
ファーストキスは太宰が入水した日と同じ日で、
その時の彼女の名前はみちこ…太宰夫人の名もみちこ(美知子)。

しかも、又吉さんのお父さんが出身地の沖縄に建てた家が、
偶然、飲料水のCMに使われたそうですが、
CMの設定が「走れメロス」風で、「又吉」の表札が「太宰」に変わっていた…

「偶然」を強調されていましたが、(私もそう思います。)
占いとか因縁とか霊とかを信じる人なら、
「偶然」として片付けられないかも知れません。

最後の中村文則さんとの対談ですが、
中村さんの話が多くて、私には詰まらなかったです。
むしろ書き下ろしを追加して、50のエッセイ集にしたの方が嬉しかったのに。

偏っているとは自覚していましたが、47冊中、私が読んだ本は数冊とは…
タイトルさえ知らなかったものが多く情けなかったです…(涙)

20111213b
『親友交歓』は『ヴィヨンの妻』に収められています。
新潮文庫(写真は240円、現在はカバーも替わって税込380円)
と書かれていましたが、
右側の私の『ヴィヨンの妻』は同じカバーながら90円…(^-^;

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<目次>
はじめに

『尾崎放哉全句集』 
『昔日の客』
『夫婦善哉』
『杳子 (『杳子・妻隠』より)
『炎上する君』
『万延元年のフットボール』
『赤目四十八瀧心中未遂』
『サッカーという名の神様』
『何もかも憂鬱な夜に』
『世界音痴』
『エロ事師たち』
『親友交歓 (『ヴィヨンの妻より』)
『月の砂漠をさばさばと』
『高円寺純情商店街』
『巷説(こうせつ)百物語』
『告白』
『江戸川乱歩傑作選』
『蛍川・泥の河』
『中陰の花』
『香水 ある人殺しの物語
『イニシエーション・ラブ』
『山川記 (『李稜・山月記』)
『コインロッカー・ベイビーズ』
『銃』
『あらゆる場所に花束が……』
『人間コク宝』
『アラビアの夜の種族』
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』
『銀河鉄道の夜』
『逃亡くそたわけ』
『四十日と四十夜のメルヘン』
『人間失格』
『異邦の騎士 (改訂完全版)
『リンダリンダラバーソール いかす!バンドブーム天国』
『変身』
『笙野頼子三冠小説集』
『ジョン・レノン対火星人』
『夜は短し歩けよ乙女』
『袋小路の男』
『パンク侍、斬られて候』
『異邦人』
『深い河』
『キッチン』
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』
『友達 (『友達・棒になった男』より)
『渋谷ルシファー』
『宇田川心中』

【対談】又吉直樹×中村文則
さいごに

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『安城家の舞踏会』(1947・松竹)

『安城家の舞踏会』を見ました。

一度も働いたことが無く、頭も下げたことがない元伯爵家の安城家の人たち。
「殿様」の当主・忠彦(滝沢修)は、家屋敷を手放す時がきても、
華族としてのプライドを捨てることが出来ません。

「若様」と呼ばれている長男・正彦(森雅之)は退廃的な生活を送り、
離婚して戻った長女・昭子(逢初夢子)も、気位だけは非常に高いのです。

唯一、次女・敦子(原節子)だけが現実を受け入れていて、
何とか家を守ろうと心を痛めているのですが…

戦後、新憲法によって華族制度が廃止され、
それによって没落していく特権階級の人たち…安城家も同様です。

現在の価値観で見てはいけないのは承知しているつもりですが、
同情する気持ちは湧きませんでした。

敦子以外の安城家の人たちにしても、舞踏会に集まった貴族階級の人たちにしても、
住む世界は上流かもしれませんが、品性まで上流とは思えませんでした。

ところで、
原節子さん扮する元伯爵家のお姫様、敦子の言葉遣いが気になりました。

「遊ばせ言葉」というのでしょうか、頻繁に「ごめんあそばせ」と言っていましたが、
「ごめんあそばせね…」というように、「ね」を付ける言い方もしていました。

初めて耳にしたので、何となく変な気がしましたが、
こういう言い方もあったのですね。

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COOL JAPAN キレイ好き~Clean-Loving

今回のテーマは、「キレイ好き」。
(産休だったリサさんが復帰されました。)

日本で生まれ育った人(私も)にとっては普通なことですが、
来日した外国人には、日本がとても清潔な国に感じるようです。

ゴミ箱が設置されていないのに、街にはゴミが無く、
自分の家の周辺だけでなく、ボランティアで街を掃除し、
自治会などで定期的にお掃除をしているのも日本だけ。

洗剤やお掃除用品の種類が多く、抗菌にもこだわり、
キレイ好きなあまり、「字が汚い」という理由で、家族のメモまで捨ててしまう主婦…
(…これはどうかと思いますが…)

デパートやコンビニ等のトイレはもちろんのこと、
公共トイレもどこも清潔で、しかも必ずトイレットペーパーがあ。
(…しかも無料…)

トイレットペーパーが必ずあるのは、「利用者のため」ということ以上に、
「詰まらせないため」と思います。

もしトイレットペーパーが無かったら、自分のティッシュを使ってしまうでしょう。
(ティッシュは絶対にトイレに流しては駄目です。)

「種類豊富な掃除用品」「掃除ボアンティア」「抗菌繊維」「高速道路の公衆トイレ」
の中から鴻上さんが選んだ<BEST OF COOL>は、「抗菌繊維」でした。

でも、納得できないような表情の人も見受けられました。
(…私もその一人…)

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ところで、日本のトイレが清潔とはいっても、
昔のことではありすが、私が知っている飲食街の近くにある公園のトイレは、
多分、夜中に酔っぱらいが使うからでしょう、
「水洗なのにどうして?」と思うほど汚れていて、近づく勇気はありませんでした。

トイレのことばかりで恐縮ですが、
最近、コンビニその他、どこも洗浄機付トイレですよね。
「お店などのトイレは和式も残して!」と思っているのは私だけじゃないと思います。
「除菌ティッシュを持ち歩けば?」と言う人もいますが、
「不潔だから」という問題じゃなく、「誰かの肌が触れた」ことが嫌なのです。

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『雨に唄えば』(1952・米)

先日録画したミュージカル映画『雨に唄えば』(Singin' in the Rain)を、
ようやく見ることが出来ました。

『雨に唄えば』といえば、ジーン・ケリーの雨の中で唄って踊るシーンが有名で、
『ザッツ・エンタテイメント』にも使われていますよね。

 (“土砂降りの中で踊って、風邪ひかなかったのかしら…?”
  と心配になりましたが(60年以上も経っているのに…)、
  あのあと風邪をひいたそうです。)

このシーンは私も何度も見て知っていましたが、
ジーン・ケリーのミュージカルは何本か見ているのに、
(『巴里のアメリカ人』『踊る大紐育』『ロッシュフォールの恋人たち』他…)
『雨に唄えば』だけは見る機会がありませんでした。

内容はサイレントからトーキーに変わる頃のハリウッド映画界を描いたものですが、
ストーリーそのものよりも、ダイナミックなダンスシーンが見所でしょうね。

中でも私が驚いたのは、ドン(ジーン・ケリー)、コズモ(ドナルド・オコナー)と
「グッド・モーニング」を踊った時のキャシー(デビー・レイノルズ)でした。

当然、元々ダンスの出来る女優さんをキャスティングしたのかと思ったところ、
実はそうではなく、特訓に特訓を重ねた結果の
チャールストンやタップダンスというのですから、すごいですよね。

すごいと言えば、ジーン・ケリーに勝るとも劣らないような、
ドナルド・オコナーの芸達者ぶり…人間って、あんなにも素早く動けるんですね。

体型がジーン・ケリーより一回りスマートな分、ダンスにスピード感があって
“もしかして早送りしているのでは?”と思ってしまったほどでした。

ジーン・ケリーやフレッド・アステアも素敵ですが、
ドナルド・オコナーという役者さんも素敵ですね!

あまりにも耳障りな甲高い声ゆえに、“君は容姿と声が違いすぎる”言われ、
台詞も唄もキャシーに吹き替えさせられた女優のリナ(ジーン・ヘイゲン)でしたが、
実際は、デビー・レイノルズ(キャシー)の方が、
唄と台詞を吹き替えされていたそうなのです。

映画の中では、マイクの前で、リナ(ジーン・ヘイゲン)が口パクで歌い、
その後ろの幕の陰で、キャシー(デビー・レイノルズ)が歌っている…

でも本当は、その歌を唄っていたのは、ジーン・ヘイゲン自身で、
デビー・レイノルズが口パクだった…
…ややこしい…

娯楽映画なら、「チャンバラ」か「西部劇」という人もいるでしょうが、
私は、断然、ミュージカル派です。

ところで、ゼルダ役は、リタ・モレノだったのですね。

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リバーシブル地のショートコート

クローゼットを片付けていたら、
一番奥から、リバーシブル地のショートコートが出てきました。

20111208

もう十年以上も着ていません。
多分、この先も着ることはないでしょう。

いつも、“処分しなければ…”と思ってはいるのですが、
なかなか決心がつかないのです。
作るのがとっても面倒だったから…

洋裁を習っていない私には、厚手ウールのリバーシブル地(ダブルフェイス)は、
思い出すだけでも、うんざりするくらい面倒な生地でした。

前後見頃、両脇、後ろ台襟、両袖、
と各パーツを縫い合わせるのに、とても手間取り嫌になってしまったので、
周囲はメートラインで仕上げました。
(マフラーの周囲は通常の方法です。)

20111208b 20111208c

ブログに載せることで、やっと捨てる決心がつきました…(*^.^*)
…の、つもり…(^-^;

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『地獄門』(1953・大映)

『地獄門』(衣笠貞之助・監督)は『羅生門』の「ついで」に録画予約したのですが、
正直のところ、私の趣味ではありませんでした。

カンヌ映画祭グランプリを獲得したそうですが、
外国人の目には衣装やセットが珍しかっただけなのでしょうか?

今の価値観で見ても仕方ないですが、人妻の袈裟(京マチ子)に横恋慕し、
相手の気持ちとは関係なく、自分の思い通りにしようとした盛遠(長谷川一夫)は、
今ならストーカー…
権力で脅迫、監禁、挙げ句の果てには殺人…完全に犯罪者ですよ。

夫(山形勲)の身代わりとなった袈裟を斬ってしまい、
自責の念に駆られ頭を丸めてしまいましたが、それも、殺人を犯したからではなく、
袈裟を失ってしまったことへの絶望感としか思えませんでした。

もし盛遠の思惑通り、袈裟の夫を殺したなら満足感に浸れたのかも?

女は美しく人形のように従順…それが男性の願望なのかもしれませんが、
当時の女性がみんな袈裟のようだったのかは疑問です。

少なくとも、『羅生門』の真砂(京マチ子)は違いました。
…いずれにしてもフィクションですが…
(京マチ子さんは、袈裟より真砂の方がイメージに合っていたと思います。)

ところで、『地獄門』とは関係ありませんが、
私は子どもの頃から時代劇(いわゆるチャンバラ)が嫌いで、
時代劇スターも詳しくないのですが、それでも「長谷川一夫」の名前は知っています。
でも、顔の記憶はおぼろで、中村錦之介さんと混同してしまうのです…。

私が知っている時代劇俳優といえば、大川橋蔵さんです。
子どもの頃、『新吾二十番勝負』を誰かに見に連れて行ってもらったことと、
昔、「銭形平次」というドラマが放送されていたから…
時代劇の大川橋蔵さんは美形でした。

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『羅生門』(1950・大映)

黒澤明監督作品は初めてです。
ミフネも、たぶん初めて…

黒沢作品もミフネも、日本より海外の方がより評価されていて、
日本では、女性より男性に支持されている…
と、聞いたことがあるような…?

『羅生門』はアカデミー賞外国語映画賞、ベネチア映画祭グランプリを獲得、
黒沢監督とミフネが世界に知られる切っ掛けになった作品とのことです。

にもかかわらず、今まではあまり興味がなかったのですが、
原作が芥川龍之介の「藪の中」なので録画したのです。

羅生門の下で雨宿りをしながら、
杣売り(志村喬)、旅法師(千秋実)、下人の三人が、
藪の中で起こった殺人事件について話している。

事件について語る三人(盗賊(三船敏郎)、武士の妻(京マチ子)、
巫女(霊媒師)に乗り移った武士(森雅之)の霊)の証言が食い違い、
一体誰が真実を述べているのか…?

原作とは違って、一応、目撃者の「杣売りの証言」が正しい感じではありますが、
「嘘だと言う嘘つきはいない」と下人が言うように、杣売りも疑わしい。
「藪の中」は慣用句になっているのですから…

ところで、三船敏郎さんの台詞が早口で聞き取りにくく残念でした。
(音声のせい…?)

表情と指先だけで妖艶さを表現出来る京マチ子さんは凄いです。
(露出度の高い衣装の方が色っぽくないないと思います…)

森雅之さんは、「品の良いおじいさん」としか記憶がありませんでしたが、
さすが(?)有島武郎の息子さんですね、とても知的な風貌でした。

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COOL JAPAN 平泉~Hiraizumi

今回はスペシャル版で、
今年6月に世界遺産に登録された「平泉」。

参加された外国人は、
サンドリンさん(フランス)、ヤンさん(中国)、フラビオさん(イタリア)、
アナトさん(イスラエル)、クリストファーさん(アメリカ)の5人でした。

平泉は、「浄土(Pure Land)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」
として世界遺産に登録されたのですが、
「敵味方関係なく、浄土に導くように造った」
と聞き、仏教の教えの素晴らしさを知りました。
(こういう教え、他の宗教にも…?)

一行が巡ったのは、
中尊寺…金色堂(覆堂)
毛越寺…浄土庭園
観自在王院跡…千葉ローズマリーさんを紹介
金鶏山
中尊寺通り…観光客のために民家の無料休憩所(おもてなしの心)
一関・平泉…「もち街道の会」…お餅が最高のもてなし(もち文化)

参加者の顔ぶれを見て、
フラビオさんとアナトさんは感動するような気がしましたが、その通りでした。

クリストファーさんは、もっと堪能しようと、撮影後、一人残ったそうです。
ヤンさんも感動されたようでしたが、
いつもほとんどCOOLと言わないサンドリンさんですは、
今回もお気に召したのは、「金色堂」「無料の休憩所」「ずんだ餅」
だけだったようでした。

サンドリンさんは、よく「フランス人は現実主義者だから…」
と言いますが、その度に私は、
「フランス人じゃなくて、サンドリンさん個人がじゃないの!?」
と思ってしまいます。

城趾などもそうですが、今は何もない「跡」を見て感動するもしないのも、
予備知識と、「想像力が有るか無いか」だと思いますが…。

夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡 ” 芭蕉

The summer grass
'Tis all that's left
Of ancient warriors' dreams.
  
                      訳・新渡戸稲造

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里の秋♪

12月3日というのに、暖かいせいか冬の気がしません。
強いて言えば、晩秋でしょうか…

晩秋…
落ち葉の道を、トレンチコートの襟を立てて、一人歩く…
物悲しくロマンチックな空想をかき立てられる響き、
ちょうど、フォークソングの「風」。

「風」も好きですが、私は昔から童謡(唱歌)が好きでした。

それも、季節感があって、
日本の原風景が感じられような歌が特に好きなのです。

例えば、
「朧月夜」 (菜の花畑に入日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし~)
「夏は来ぬ」 (卯の花の匂う垣根に~)
「里の秋」 (静かな静かな里の秋 お背戸に木の実の落ちる夜は~)
「冬の夜」 (ともしび近く衣縫う母は 春の遊びの楽しさ語る~)
「たきび」 (かきねのかきねのまがりかど たきびだ たきびだ 落ち葉たき~)

なぜ好きかと言えば、懐かしいから…
ではなく、そんな光景に憧れるから。

身近に田畑は無く、温暖な気候なため囲炉裏も見たことがなかったので、
とても羨ましかった。

でも、童謡の多くが戦争に利用されてしまったと聞きます。
「汽車ポッポ(兵隊さんの汽車)」「船頭さん」「お山の杉の子」や
「桃太郎」も…

子どもたちの歌を、二度と戦意高揚のために利用しないで…
と、いつも願っているのです。

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『エル・スール』(1982・西/仏)

『エル・スール』は、『ミツバチのささやき』と同じく、ビクトル・エリセ監督作品。

「エル・スール」は「南」のこと、
一度も戻ることなく、「北」で亡くなった父の故郷「エル・スール」…

自ら死を選んだ父のとの想い出を、成長した娘のエストレリャが回想する。

1957年の秋、
ただならぬ気配と、父の名前を叫ぶの母の声で目覚めた15歳のエストレリャ…
枕の下には、父が大切にしてた鉄の振り子が…
二度と父が戻らないと悟ったエストレリャの頬に涙がつたう…

父の思い出をたどるエストレリャ…
家の前の道を「国境」と言っては、バイクに乗せてくれた父…
初聖体拝受のお祝いの日、父と踊った「エン・エル・ムンド」…

成長するとともに、エストレリャは父の秘密を知るように…

秋のある日、珍しく父は学校に来て、娘を昼食に誘う。
食事のあと、父に疑問をぶつけるエストレリャ…
いきなり席を立ち、洗面所で顔を洗う父…動揺を誤魔化すため…?

「(授業を)さぼれないか?」
父の言葉を理解出来ないとばかりに学校に戻ろうとするエストレリャに、
「カリオコに気をつけて」と…それが父の最後の言葉。

一人残った悲しげな父の姿…

隣の部屋では結婚パーティーが行われていて、
新郎新婦が「エン・エル・ムンド」を踊っている…

スペイン内戦で人生が狂わされてしまった父の苦悩。
エストレリャの質問が、父を更に絶望へと追い遣ってしまったのだろうか…?

娘との最後の会話が辛すぎる…
父の悲しみが、私の心にまで染み込んでしまった…。

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『ミツバチのささやき』(1973・西)

今日から12月、カレンダーも最後の1枚になりました。
毎年のことながら早すぎますよね!

録画した映画がたまってしまったので、まずは『ミツバチのささやき』を見ました。

ビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』は、少女アナ(アナ・トレント)と、
アナの家族(姉・イザベル、父・フェルナンド、母・テレサ)の日常を、
リアルに、かつ幻.想的に描いたスペイン映画です。

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町にやってきた移動映画で「フランケンシュタイン」の映画を見たアナは、
姉のイザベルに、

なぜ、あの怪物は女の子を殺したの?
なぜ、怪物も殺されたの?

と聞く。するとイザベルは、

女の子も怪物も殺されていないのよ
映画の出来事は全部うそなのよ
あの怪物は本当は精霊で、村はずれに隠れて住んでるの
精霊は出歩くのは夜で、体を持っていないから殺されないの
あれは(フランケンシュタイン)出歩く時の変装
お友達になれば、いつでも話が出来るのよ
目を閉じて話しかけるの…“私はアナ”よって…

と答え、翌日、村外れの廃屋を教える。

学校帰り、一人で廃屋に寄ったアナは大きな足跡を見つけますが、
ある日、そこで負傷した脱走兵(?)が…

兵士のもとに食料や上着を届けるアナ…

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ミツバチの研究に没頭している父フェルナンド…
返事が貰えないかもしれない「誰か」に手紙を書き続ける母テレサ…

自然で演技しているとは思えない少女たちの無邪気な様子に比べ、
深い悲しみ苦しみを抱えている感じの夫と妻…

ウィキペディアやgoo映画によれば、『ミツバチのささやき』には、
作品の舞台となった1940年当時の歴史的背景があって、
独裁政権への批判を表面に出ないように表現しているとのことでした。

そう言われてみれば、フランケンシュタイン自体にしても、
小学校の授業の内容も、ミツバチに対する父フェルナンドの感情や文章も、
娘たちに「毒キノコ」の特徴を教えた後、その毒キノコを踏みつぶしたこと、
兵士の最期や、母テレサの手紙の文面にも、
権力(者)への批判が込められていたように感じました。

ラストシーンのアナ…
あの先が気になりました。

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