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『平塚らいてう』~孫が語る素顔~

20111109 『平塚らいてう』
~孫が語る素顔~
奥村直史/著
平凡社新書

原始、女性は太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、
病人のやうな蒼白い顔の月である。

(さ)てここに『青鞜』は産声を上げた。
現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。
女性のなすことは今は只嘲りの笑を招くばかりである。
私はよく知っている。嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。

雑誌『青鞜』は明治44年(1911年)9月に刊行されましたが、
これは当時25歳だった平塚らいてう(1886年(M19)2月10日~1971年(S46)5月24日)
「創刊の辞」の冒頭です。(この先結構長く続きます。)

私は、まだ幼稚園にも行ってない頃から、
“女の子なのだから行儀良くしなさい…”と言われ、
小学生の頃は親から言われなくても家事のお手伝いをしていました。

でも、兄弟はテレビを見ている…”
テレビが見たかったわけでもないし、家事がイヤだったわけでもないのです。
ただ「女の子だから当然」という考え方が納得できなかったのです。

ですが、口には出さず、いつも心の中で
“女の子に生まれたくて生まれたんじゃないのに…”
と思っていました。

幼い頃から差別を感じていたせいか、
中・高生の頃は、女性解放運動家に興味を抱き、
尊敬と憧れから福田英子、伊藤野枝、山川菊栄等の本を読んだものでした。
(市川房枝さんも)

平塚らいてうに関する本も沢山読んでいたので、生い立ちや、
青春時代の事件(「海賊組」「吉原登楼事件」「塩原事件」「若いつばめ」)、
『青鞜』その後についてはそれなりに知っていましたが、
孫が語る素顔に飛びついてしまいました…通俗的ですね。

“大きな声が出ない人」というのは有名で、とても親近感を覚えたものでしたが、
「引っ込み思案で、おとなしく、だんまりや、頭痛持ち、いつも自室に籠もって
読み書きしている、はにかみやで人が怖い、
何より嫌なのは、皆の前で何かをやらされること、
親に対しても打ちどけた話が出来ない、思っていることの十分の一も言えず、
何歳になっても内にこもり、感情表現も乏しく、自分から喋ることも少ない。
その反面、自分の気持ちに反したことを強制されることに対しては、
相当強い反抗心を持った子どもだった…”

身の程知らずながら、まるで私のことみたい…
それ以外は、雲と泥の違い以上ですが…

「良妻賢母主義教育い反発し修身の授業をボイコット」
「家計が苦しいのに子どもたちを授業料の高い成城学園に入学させた理由は、
国定教科書を使わないから。
…むしろ教育をしてくれない学校へ入れたかった…」

今更どうしようもありませんが、
情けないことに、こういう行動力は私には皆無です。

ところで、
「男女平等ランキング」、135ヶ国中
、日本は98位・・・
かつて女性解放のために闘った人たちが知ったら…?

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