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2011年11月

『もう一度食べたい 』~いまも食べられる昭和の味~ (5)

『もう一度食べたい』(津武欣也/著 毎日新聞社)のpart5、
これで最後にしますので…おやつ系です…m(_ _)m

「ポン菓子」は地方によって「ばくだん」とも呼ばれているようですが、
わたしたちの地方では「はざし」と言ってました。
過去形…と言うのも、今も「はざし」なのか分かりませんので。

「はざし」とは、「破裂する(させる)、はじける」の方言の「はぜる、はざす」が
語源と思われます。(私の世代ではすでに死語でしたが)

大抵は、水飴で固めて、「おこし」や「ボール状」になったものが売られていました。
私はそのままの方が好きでした。

「はったい粉」も懐かしいおやつです。
「麦こがし」と呼ばれている地方もあるようですが、
私の子どもの頃は「こうせん(香煎)」と言っていました。

適量の「こうせん」を器に取り、好みの量のお砂糖を加えて混ぜますが、
その状態ではむせるので、お湯を少しずつ加えて好みの硬さに練って食べてました。

「体に良いから」と、たまに母からと食べさせられていましたが、
子どもの口には美味しいとは思えませんでした。
おやつはやっぱり駄菓子屋さんの駄菓子…(*^-^)

駄菓子屋さんでも珍しいのは「ニッキ(肉桂)」(細い枝を束ねたもの)でしょうか…?
知らない人の方が多いでしょうね。

「おやつ」といえば「ヤサラ」という貝のことも載っていました。

私は「ヤサラ」は知りませんでしたが、
比較に10円硬貨とともに並べてあった「ナガラミ」は知っています。

「ヤサラ」は直径1cmほど、「ナガラミ」は500円硬貨位と大きさは全く違いますが、
姿形はほとんど同じ…

解説によれば、「ヤサラ」の正式名称は「イボキサゴ」で内湾に棲み、
「ナガラミ」は「ダンベイサゴ」といい、外洋に面した砂浜に棲むとのことでした。

実家の近所に、貝だけを扱っている「貝屋さん」があったので、
おやつとして塩茹でした「ナガラミ」を時々買っていました。
母がですが…。

本書には、針を使って取り出していた、とありましたが、
待ち針だったようでもあり、爪楊枝だったようでもあり…?

でも、最後に出てくる「わた」が気持ち悪くてきれいに取り除き、
(器に入れたお湯で)濯いでから食べた記憶はあります。

写真で見るとちょっと不気味…今なら無理かもね…(ノ_-。)

20111125 『もう一度食べたい』
~いまも食べられる昭和の味~
津武 欣也/著
毎日新聞社 2011.9

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『もう一度食べたい 』~いまも食べられる昭和の味~ (4)

『もう一度食べたい』(津武欣也/著 毎日新聞社)のpart4(笑)
…シリーズ化してしまいました…m(_ _)m

果物編に載っていた「アケビ」は、スーパーなどで見かけることもありますが、
グミ、ヤマモモ、ナツメ、サルナシについては、
名前は知っていても、写真でさえ見たのは初めてかもしれません。

ケンポナシ、ポポー、ポメロ、和りんご、豆柿、、巴旦杏、春光柑、菱の実、ツワ
に至っては、名前さえ知りませんでした…(ノ_-。)

ところで、もうすっかり忘れていましたが、
子どもの頃、普通のミカンが終わる時季になると登場する小さなミカンがありました。

黄色の(オレンジではなく)つるっとした皮で、種があって、スッキリした甘さ…
…「ふくれみかん」という名だったとは…

解説によると、柑橘・柑子(こうじ)の一品種で、紀州みかんとは別のもの。
相模柑子と呼ばれ、「駿河柚柑(ゆこう)」「能登みかん」「ふくれみかん」
などの品種・呼称があるそうです。

…この年になって名前を知るなんて…(*^.^*)

でも、“直径3cmくらいで酸っぱかった”の一文もあったのですが、
そんなに小さかったかしら…酸っぱくもなかったし…
本当に私が思っているミカンと同じなのが、ちょっと疑わしくなってきました。

20111125_3『もう一度食べたい』
~いまも食べられる昭和の味~
津武 欣也/著
毎日新聞社 2011.9

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COOL JAPAN 絵~Artwork~

先日放送のテーマは「絵」でした。

“日本人は絵が上手い”と、ほとんど(?)の外国人が思っているって…?

日本も外国も同じ、上手な人もいれば、下手な人もいるでしょう。
(街頭取材も、当然、編集していると思います。)

日本の看板、注意書、家電等の説明書には、イラストが多く使われているので、
日本語が読めない外国人にとっては、大助かりなのだそうですが、
逆に、“子どもっぽい”と感じる人もいるようでした。

海外では電化製品の説明書も文字だけ…日本では考えられないです。

小学校の「写生会」の様子や、
スタジオジブリの美術監督で、背景画家の山本二三さん、
<街のラフカディオ>では、
日本の岩絵の具に魅せられ、30年以上も日本で活動している
アメリカ出身の日本画家アラン・ウェストさんを取材…

外国人の誰もが日本のアニメに興味があるわけではないですが(日本人もそうですが)
伝統的な絵画(大和絵、浮世絵、水墨画等)には、多くの外国人が感動するようでした。

「注意書きや説明書の絵」「写生会」「アニメの背景画」「日本画」
の中から選ばれた<BEST OF COOL>は「アニメの背景画」でした。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

ところで、私はアニメはあまり見ない方で、ジブリ作品も、
「となりのトトロ」ぐらいしか見ていませんが、(しかもTV)
素晴らしい背景画が作品のクオリティーを高めていることには同感出来ます。

でも、細部にこだわった芸術的な背景画に比べて、
肝心なキャラクターは平面的でマンガそのものですよね…
私には、まるで古い映画の二重写しのように不自然に見え、
映像に一体感が感じられないのです。

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『もう一度食べたい 』~いまも食べられる昭和の味~ (3)

“カボチャや芋(サツマイモ)は女の食べるもの”
と父は言っていましたが、昔はどちらも好きではありませんでした。

カボチャを使ったお総菜が食卓に上ると、
“なぜ、ご飯のおかずに甘いものがあるのよ!”と思いながら食事したものでした。

サツマイモにしても、昔は美味しいとは思わなかったです。
(今の金時系の方が美味しい…)

まして、大学芋や芋ようかんは今も食べたいとは思いません。
元々甘い素材を、更に甘くするなんて…

ところで、昔、秋になると、おやつとして食べられていたサツマイモが、
「太白(たいはく)という銘柄だったことを、『もう一度食べたい 』で知りました。

他に、オレンジ色の「にんじん芋」や、中心部が薄紫色のサツマイモもありましたが、
あの「紫色のお芋」の名が「花魁(おいらん)だったとは…!!

おやつといえば、「マクワウリ」も夏のおやつの一つでした。
大好きだった幻のマクワウリ…

そのマクワウリが今もあり、「真桑瓜」と書くことを
数年前(?)に、katarohinaさんの記事で知りましたが、
私が知っているマクワウリは、この本に載っていたような縞模様ではなく、
黄一色で、形も、もう少しふっくらしていました。

縦に半分に切り、皮を剥き、種を取り除き、端から2cmくらいに切ってもらって、
姫フォークで食べていました。

マクワウリは、「プリンスメロン」「アンデスメロン」「アムスメロン」などの登場で
姿を消したようですが、「プリンス」でも「マスク」でも好きとは言えない私にとっては、
とても残念です。

20111125_2『もう一度食べたい』
~いまも食べられる昭和の味~
津武 欣也/著
毎日新聞社 2011.9

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『もう一度食べたい 』~いまも食べられる昭和の味~ (2)

私が小さかったころの梨といえば、「二十世紀」「長十郎」でした。

『もう一度食べたい 』によれば、「菊水」という品種もあったそうですが、
写真を見ると、私も食べた記憶はあります。
でも、名前までは知りませんでした。

ほどよい甘さで、芯の近くに酸味があり歯ごたえのある「長十郎」が好きでしたが、
残念なことに、今は「幸水」「豊水」が主流のようです。
(「幸水」は「菊水」の子、「豊水」は孫にあたるとか。)

梨、りんご、ぶどう、柿、柑橘類、メロン類、トウモロコシ、サツマイモ、トマト…
と、果物も、野菜も、穀物なども、品種改良によって種類は増え続けていますが、
「甘く、柔らかく、見た目がきれい」を目指しているのでしょうか…?

自然な味が懐かしいわ…。

20111125 『もう一度食べたい』
~いまも食べられる昭和の味~
津武 欣也/著
毎日新聞社 2011.9

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『もう一度食べたい 』~いまも食べられる昭和の味~

20111125 『もう一度食べたい』
~いまも食べられる昭和の味~
津武 欣也/著
毎日新聞社 2011.9

『もう一度食べたい ~いまも食べられる昭和の味~』を借りてきました。
(「毎日新聞」に掲載されていたものを単行本化)

この本には、果物(31種)、野菜・芋・穀類(11種)、お菓子・飲料・パン(20種)、
魚介類・加工品・その他(5種)が紹介されていましたが、
知らないものが多かったです。

見たり食べたりした記憶があったものでも、
ほとんどが、名前(銘柄)までは知らなかったです。
(子どもだったので、銘柄など気にしてなかったのでしょう。)

ということは、こういった類の本を読むには少々若いのかも…(笑)
(年齢より、生まれ育った地方の違いでしょうけどね。)

最初に紹介されていたのは「印度(インド)りんご」でした。
「印度りんご」は、もちろん知ってましたよ。

私の記憶では、形は「デリシャス」より細目の縦長(肩が広がっている)、
色は濃い赤色でしたが、この本では、ピンクに近く、形は「ふじ」とほぼ同じ…

幼かったので、思い違いしてたのでしょうか…?

“「印度りんご」は高級だった”とありましたが、水分も酸味もなく、
ただ甘いだけだったので、美味しいとは思いませんでしたね。

りんごでは、他に「国光」「旭」「祝」「和りんご」が載っていましたが、
名前を知っていたのは、「印度りんご」と「国光」だけでした。
(「祝」は、みんな「青りんご」と言ってましたね。)

私の一番好きな「紅玉」は無かった…。

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中国のスクールバス

先日の中国のスクールバスの事故には驚きました。

定員9人のところに64人乗っていたというのですから、
日本の通勤列車のようにすし詰め状態だったでしょうね。

この異常なスクールバスは違法の改造車で、園長は逮捕されたそうですが、
農村部では普通なんだとか…

GDP世界第2位の経済大国の中国、中国は兆級富裕層が世界で最も多い国、
海外の不動産からブランド品まで買い漁っているという中国の富裕層の人たち…

中国では税制でも富裕層が優遇されていると聞きます。
なぜ教育や福祉がなおざりにされているのでしょうか…?
社会主義の国なのに、世界一格差があるのですから皮肉ですよね。

“中国は大きすぎて政治が行き届かないから大目に見て…”
と在日25年の中国人経済評論家が言っていました。
でも、そういう問題じゃないと思いますが…

ところで日本では、今年もタイガーマスクからランドセルが届いているそうです。
全国のタイガーマスクたちは、必ずしも裕福な人たちではないのかもしれません。
お金持ちほどお金にシビアと言いますからね。

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『プロヴァンス物語 マルセルのお城』(1990・仏)

『プロヴァンス物語 マルセルのお城』も見ましたよ。

『~マルセルの夏』に比べ、こちらは人生の儚さや悲哀も描かれていて、
前編より悲しい内容でしたね。

でも、前半の初恋の少女イザベルとのやりとりは面白かったわ。
イザベルの高慢さが可笑しく、嫉妬するリリの表情も微笑ましかった…。

マルセルの両親は理想的ですよね…特にお父さんが素晴らしかったです。

立派に成長した息子に、もう自分には教えるものが無いと悟った時の父の気持ち…
嬉しくて誇らしい反面、寂しさも大きい…親の宿命なのでしょうね。

終盤はちょっと辛い…
輝くような楽しい子ども時代はあっという間…時間は本当に無情です。

最愛の家族や友だちとの永久の別れも、いずれ訪れるのですから。
そして自分自身も…

二作品とも映像が美しく内容も感動的で好きな映画ですが、
どちらかといえば、盛り沢山すぎて焦点がぼやけた感じの『~お城』より、
素朴で牧歌的な『~夏』の方が良かったです。

明日はスペイン映画の『みつばちのささやき』ですね。
この映画も以前BSで見ましたが、途中で居眠りしてしまって殆ど覚えていません。

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『プロヴァンス物語 マルセルの夏』 (1990・仏)

『プロヴァンス物語 マルセルの夏』は昔見たのですが、
また見てしまいました。

『プロヴァンス物語 マルセルの夏』と『プロヴァンス物語 マルセルのお城』は、
フランスの作家マルセル・パニョルの回想録を映画化したものとのことです。

19世紀末のフランス、プロヴァンス地方の風景、
まるで印象派の絵画のように美しく、何度見ても感動してしまいます。
…衣装も素敵!

教師の父、優しく美しい母、弟、赤ん坊の妹と暮らすマルセルは、
おばさんの家族と共に、南仏の田舎で一夏を過ごすことに…

都会では気付かなかった父の意外な一面に気付かされたり、
田舎の少年リリと親しくなったりと、マルセルは素晴らしい夏を送ります。

楽しかった夏休みも終わり、明日は都会に帰ると聞かされたマルセルは、
“仙人になる”と書いた置き手紙を残して別荘を抜け出し、
親友リリのところへ…

別荘での最後の日、田舎暮らしの不便さを語り合う大人たちでしたが、
大人にとっては、都会の便利な暮らしの方が良いのでしょうか…?
それとも、区切りをつけるために、自分自身に言い聞かせていたのでしょうか…?

愛情に満ちたマルセルの幸せな少年時代…

約100年後の今、物質的には豊かになり、便利にもなりましたが、
それで幸せになれたかどうかは疑問です。

続編の『プロヴァンス物語 マルセルのお城』も、
もう一度見たいので予約しました。

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『畜犬談』

太宰治は本当に面白いです。

読まない人の中には(私も詳しくはありませんが…)、
陰鬱なイメージの先入観があるのかもしれませんが、
ユーモラスな作品もあり、作品によって文体も違うので、魅力ある作家だと思います。

『お伽草紙』や『畜犬談』などは面白く、
『畜犬談』を最初に読んだときは、本当に可笑しくて笑ってしまいました。

時代が違うので(『畜犬談』は1939年)、私は『畜犬談』の<私>のように、
<野犬>や<放し飼いの犬>を見掛けたことはありませんが、
<私>の気持ちがよく分かります。私も犬が苦手なので…

苦手といっても嫌いというわけではないのです。
それどころか、TV等で見る分には心から「可愛い!」と思う…
でもいざ本物に出くわすと、噛まれそうな気がして怖いのです。

“それなら口輪をしていれば怖くない?”かと言えば、
それはそれで、「猛犬注意」のレッテルのようで、よけい怖ろしいのですが…

なぜそんなに怖いのかと考えてみると、
生まれてから一度も飼った経験が無いので、馴れていないからなのでしょう。

では、なぜ私の親が飼わなかったかといえば、
母自身が、犬を怖がっていたからなのです。

というのも、若い頃、近所のシェパードに咬まれた経験があるからなのです。

そして今に至っているのです…
…『畜犬談』は、犬が苦手の人の方が面白く感じるような気がしてきました。

20111120 『きりぎりす』 太宰治/著
新潮文庫(1974)
(「燈籠」「姥捨」「黄金風景」「畜犬談」「おしゃれ童子」「皮膚と心」「鷗」
「善蔵を思う」「きりぎりす」「佐渡」「千代女」「風の便り」「水仙」「日の出前」)

青空文庫<太宰治>リスト
『畜犬談』(XHTMLファイル)

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COOL JAPAN ラーメン~Ramen~

今回のテーマは「ラーメン」。

ラーメンといえば、私の親の世代の人たちは「支那そば」と言っていました。
(中華料理も支那料理と言ってました。
いつから「sina」では変換できなくなったのでしょう?)

私にしても、「チャルメラ」や「屋台の夜泣きそば」が連想してしまって、
(「チャルメラ」というインスタントラーメンの袋の絵の通り)
ラーメンが「日本グルメ」ということに違和感を覚えます。
やっぱり歳ですね…(笑)

私は「濃厚」や「ボリューム」に弱いので、強いて食べたいとは思いませんが、
小さい頃から馴染みのある「東京ラーメン」は好きです。
(屋台の夜泣きそばもそうでした。
…細めの麵、焼き豚(薄切りが1枚)、ゆで卵1/2、支那竹(メンマ)、
鳴門巻き、焼き海苔、細ネギ、コショー…)

シメにラーメン…
アルコールを全く飲まないので、「シメ」という概念もないのですが、
カロリーが気にならないのでしょうか?胃にも悪そう…

「種類の多いラーメン」「シメのラーメン」「「進化するラーメン」「ご当地ラーメン」
から選ばれたBEST OF COOLは、「進化するラーメン」でした。

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『生きているのはひまつぶし』~深沢七郎未発表作品集~

20111118 『生きているのはひまつぶし』
~深沢七郎未発表作品集~
深沢七郎/著
光文社  2005.7

ゆうべは『生きているのはひまつぶし』を読んでいて更新できなかった…
…と、いいわけ…でも本当なんです。

この本は、著者の未発表作品集ですが、もし生前に発表されていたら、
問題になったのでは?と思われる文章も多かったです。

三島由紀夫が割腹自決した後に書かれたエッセイには、
三島以外の作家たちの名もありました。

三島由紀夫は大嫌いなヤツだね。
テキーラ飲んで、シャンデリアの下でビフテキ食べて、なんで日本人は優秀で、国防だなんていうの。白人の恩恵をこうむっているのに、なんで日本人は天皇制を守って八紘一宇だなんていうの。
円地文子にしても、倉橋由美子でも…みんなふだんえらいこと言っても駄目だね。
芝木好子っていう大バカが…
一日働いて、いくらってこと知ったら、三島由紀夫、ハラ切らないよ。

他にも、私には要約も出来ないような過激な文章も沢山あって、
免疫の無い私はめまいがしそうでした。

たとえ著名人でなくても、今、もしブログやツイッターで書いたなら、
たちまち炎上してしまうでしょうね。

実際、『風流夢譚』を書いたことで右翼に狙われたのですが…

<目次>
「死んだら」「土とたわむれ」「男と女と」「都会と田舎と」「<発掘エッセイ>我が享楽の人生の道」「肩書」「小説を書く」「旅する」「<発掘エッセイ>予想外の結末(私の外国旅行)」「遊ぶ」「喰う」「涙する」「忘れる」

<内容(一部)>
死ぬことはありがたい/動物の中で人間が一番バカでわるいヤツ/土ほど神秘なものはない/名刺の肩書きと権威に弱い日本人/スポーツってわるいことだね/泣くは中和剤みたいなもの/ヤクザの涙は女性的/過去の記憶はおぼろがいい

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『ライムライト』(1952・米)

先日、NHKBSで『ライムライト』を放映していましたね。
(製作・監督・脚本・音楽・主演チャールズ・チャップリン)

チャップリンの映画は泣けますよね。
特にこの『ライムライト』は、往年の喜劇王カルベロ(チャップリン)と、
チャップリン自身が重なって、表情を見ているだけでも涙が出てしまいました。

バスター・キートンとの最後のステージは圧巻でした。
(…クレイジーキャッツが浮かびました。
今は「お笑い芸人」ばかりで「コメディアン」は思い浮かびません。)

「言葉でなく芸で笑わせる」二人のコメディアンの素晴らしい芸、
映画の中の観客にとっては可笑しくて、「さくら」など必要ないステージでしたが、
映画を見ている私には、老コメディアンの「悲しいさだめ」が邪魔をして、
笑えるどころか、やっぱり泣けました。

“これ(頭を指さし)が最高の玩具だ。幸福の秘密が詰まってる”

カルベロの台詞の一つ一つが、まるで哲学者の格言のようでした。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

ところで、秘書の高野虎市さんがとても誠実だったことから、
チャップリンは大変な日本びいきとなち、何度も来日されているそうです。

日本びいきからなのか、それ以前からなのかは分かりませんが、
チャップリンの根鞭のステッキは日本製だったそうです。

この根鞭のステッキは『ライムライト』の中でも使われていましたが、
ステッキだけでなく、こうもり傘(死語?)の柄も竹でした…
…これも日本のもの…?

また、カルベロは寝押しをしていましたが、「寝押し」がアメリカにもあったとは意外…
魚(ニシン)の開きも…。

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『ちょっと一服、冥土の道草。』

20111114
『ちょっと一服、冥土の道草。』 深沢七郎/著 文藝春秋

また深沢七郎さんの本を借りてきました。

タイトルになっている「ちょっと一服、冥土の道草。」は、
「別冊文藝春秋」第149号(昭和54年9月)に発表された随筆です。

このタイトル、人を食ったようでもあり、世間を皮肉ったようでもありますが、
若い時、胸を少し病んだので、その後は余録の人生のつもりになったそうです。

後半生は心臓病のため闘病生活を余儀なくされていたのですから、
「冥土の道草」と思うのも理解できます。

ギタリストも(プレスリー、ジミ・ヘンのファン)、
作家も(『楢山節考』『笛吹川』『みちのくの人形たち』他多数)、
百姓も(ラブミー農場)、今川焼屋も(夢屋)みんな余録の人生…

……種ナシは花の咲く前の、つぼみの房をくすりにつけて処理する。言いかえれば、「妊娠中絶のおとしご」のような不具的な実りなのだが、種を出すのがめんどうな都会人に喜ばれている。色がドス黒いような紫色で、私などの眼にはデキモノのウンだような色に見えて食欲などおこらないのだが……。
……種アリを食えば、種ナシなど、くされぶどうみたいだよ。
                        (『一枚の絵』(昭和56年10月号)「ぶどう」より

山梨県出身ならではの思考に納得…
奇人と言われた人の随筆はとても面白いです。
共感する私も同類…!?

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

ちょっと一服、冥土の道草。
余録の人生
思想濃老日記
川端賞辞退について
谷崎賞受賞の言葉
谷崎潤一郎と私
思い出のヒト ――正宗白鳥
師のこと ――武田泰淳
テレビ番外地
今様離婚考
天にツバを、地にもツバを
蝶々忌みぶし
居留守の礼
むかしハキモノ、いまクルマ
信濃の野の友だち
ラブミー農場の四季
畑の中の友だち
すずめ百まで
よる年波
私の職業始末記
…他

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年を取ると丸くなる?

そんなことはないです。
むしろ逆、年を取った分、引き出しも満杯になるので、
色んなことが見えて、腹立たしいことも多いのです。

ただ、「煩い人」と思われるだけなので、いくら憤慨しても言わないだけなのです。
もう、どうでもいい、面倒くさいですから…

でも、若い頃は温厚だったのに、年とともに短気になって、
些細なこともお腹の中にしまっておけず、カミナリを落とす人もいますが…。

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COOL JAPAN 数字~Numbers~

今回のテーマは「数字」、
日本は「数字」についても独特のようでした。

外国人が思う日本の「数字の不思議」は、
「数字の使い方」「計算の速さ」「ランキング好き」「数字に気を遣う」でした。

日本で使われている数字表記は、
アラビア数字、漢数字、大字(壱・弐・参~)、ローマ数字ですが、
ローマ数字を使用する場合は、デザイン性からでしょうね。

歴史の年号、平方根、電話番号を、語呂合わせで覚えるのはいいですよね。

「計算の速さ」について、
「日本人はそろばんを習っているから」と結論付けていましたが、
そろばんが出来る人は計算が速いのは当然です。

でも、日本人の誰もがそろばんが出来る訳では無いですよね。
(私は「足し算・引き算」しか出来ません…(ノ_-。))

そろばんが出来なくても、「7,800円を3人、4人、5人で割り勘するといくら?」
程度の暗算は誰でも出来ると思います。

暗算が出来るのは「そろばん」というより、
「九九」をたたみ込まれているからだと思うのですが…。

日本人のランキング好きについて、
「人と一緒がいいから」「製品が多すぎるため選ぶ基準としているのでは」
「日本人は正直だからランキングも素直に信じるから」
「島国だから価値観が似ているのでは」
などの意見がありましたが、そうかもしれませんね。

(私が気になるのは、ランキングではなく満足度です。)

「数字に気を遣う」では、
お祝い事には奇数を包む、祝儀を2万円にする場合は、
「1万円札1枚と5千円札2枚で奇数にする」と言っていましたが、
私は、5千円2枚の方が、いかにも掻き集めたようでヘンな感じがします。
(「お祝い事には奇数を包む」と言いますが、不祝儀の場合も奇数ですよね…?)

お賽銭は「ご縁があるように5円」って…
合格祈願でもご縁…?
こういう語呂合わせは昔からあったのでしょうか?

少なくとも私の周辺では無かったです。
むしろ、賽銭箱に小銭を入れようとする人には、
「はした金でお願い事するなんて虫が良すぎる」と言ったものでした。
(信仰心の無い者同士の冗談としてですが…)

金額は関係ないといっても、神社側としてみれば多いほうがいいはずです。

和食器が5客セットなのも陰陽からきている…?
私は「十進法と十二進法の違い」と思っていました。

プレゼント用の和食器セットは5客が多いようですが、
骨董の和皿や漆器類は「10客組、20客組」も多いようですし、
西洋のディナーセットは、通常12枚組(1ダース)と聞いたことがあります。

ところで、以前は「洋食器は6客セット(半ダース)」だったような記憶がありますが、
最近は、洋食器も5客なのですね…何だか半端な感じ…。

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『父、帰る』(2003・露)

『父、帰る』を見ました。
(菊池寛じゃないですよ。)

母と祖母(?)と暮らす兄弟のもとに、
音信不通だった父が、12年ぶりに突然帰ってきます。

何事もなかったように、父は高圧的な態度をとり、
翌日には、息子たちと湖への旅に出発します…

戸惑いながらも、父に従おうとする兄のアンドレイと、
不信感を募らせ、反抗的な態度をとり続ける弟のイワンでしたが…

まるで暗示するかのような不気味な雰囲気の冒頭シーン、
美しいのに寒々としたモノクロームのような風景…

父は12年間どこで何をしていたのか…?
父は犯罪者だったのか…?
電話の相手は誰…?
箱の中身は…?
旅の本当の目的は…?
無表情な母親の心理は…?

説明がないために、最後まで緊張感と不安でスッキリしない作品でしたが、
なにも聞かされていない息子たちにとって、父は謎の存在だったのですから、
見ている側も、謎のままていいのでしょう。

ところで、兄アンドレイに扮したウラジーミル・ガーリンさんは、
完成試写の直前の2003年6月に、ロケ地の「ラドガ湖」で溺死したそうです。

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『プリティ・ウーマン』

映画好きの人は、「マイ・ベスト10」や「ワースト3」を考えたり、
他の人の「お薦め」を知りたかったりもします。

とは言っても好みは人それぞれ、期待外れの場合も少なくありません。

20年くらい前にヒットした、『プリティ・ウーマン』もそうでした。
“一番好きな映画は『プリティ・ウーマン』”と聞けば、
気になって、見ずにはいられないですよね。

でも残念な結果に…
現代版『マイ・フェア・レディ』のシンデレラストーリーとか…

『マイ・フェア・レディ』も内容的には、「ちょっと!」でしたが、
ミュージカルなので腹立つこともなく、楽しく見ることが出来ました。

言語学の教授と花売り娘、それに「賭」は許せる範囲としても、
実業家とコールガールでは、多くの女性が支持しないのでは…?

ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアにも、ブランドファッションにも、
豪華なホテルにも魅力を感じなかったので、詰まらない以上に不愉快でした。

私も、つい、人に薦めてしまうのですが、
「期待外れだった」と思われているのかもしれませんね…。

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『平塚らいてう』~孫が語る素顔~

20111109 『平塚らいてう』
~孫が語る素顔~
奥村直史/著
平凡社新書

原始、女性は太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、
病人のやうな蒼白い顔の月である。

(さ)てここに『青鞜』は産声を上げた。
現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。
女性のなすことは今は只嘲りの笑を招くばかりである。
私はよく知っている。嘲りの笑の下に隠れたる或ものを。

雑誌『青鞜』は明治44年(1911年)9月に刊行されましたが、
これは当時25歳だった平塚らいてう(1886年(M19)2月10日~1971年(S46)5月24日)
「創刊の辞」の冒頭です。(この先結構長く続きます。)

私は、まだ幼稚園にも行ってない頃から、
“女の子なのだから行儀良くしなさい…”と言われ、
小学生の頃は親から言われなくても家事のお手伝いをしていました。

でも、兄弟はテレビを見ている…”
テレビが見たかったわけでもないし、家事がイヤだったわけでもないのです。
ただ「女の子だから当然」という考え方が納得できなかったのです。

ですが、口には出さず、いつも心の中で
“女の子に生まれたくて生まれたんじゃないのに…”
と思っていました。

幼い頃から差別を感じていたせいか、
中・高生の頃は、女性解放運動家に興味を抱き、
尊敬と憧れから福田英子、伊藤野枝、山川菊栄等の本を読んだものでした。
(市川房枝さんも)

平塚らいてうに関する本も沢山読んでいたので、生い立ちや、
青春時代の事件(「海賊組」「吉原登楼事件」「塩原事件」「若いつばめ」)、
『青鞜』その後についてはそれなりに知っていましたが、
孫が語る素顔に飛びついてしまいました…通俗的ですね。

“大きな声が出ない人」というのは有名で、とても親近感を覚えたものでしたが、
「引っ込み思案で、おとなしく、だんまりや、頭痛持ち、いつも自室に籠もって
読み書きしている、はにかみやで人が怖い、
何より嫌なのは、皆の前で何かをやらされること、
親に対しても打ちどけた話が出来ない、思っていることの十分の一も言えず、
何歳になっても内にこもり、感情表現も乏しく、自分から喋ることも少ない。
その反面、自分の気持ちに反したことを強制されることに対しては、
相当強い反抗心を持った子どもだった…”

身の程知らずながら、まるで私のことみたい…
それ以外は、雲と泥の違い以上ですが…

「良妻賢母主義教育い反発し修身の授業をボイコット」
「家計が苦しいのに子どもたちを授業料の高い成城学園に入学させた理由は、
国定教科書を使わないから。
…むしろ教育をしてくれない学校へ入れたかった…」

今更どうしようもありませんが、
情けないことに、こういう行動力は私には皆無です。

ところで、
「男女平等ランキング」、135ヶ国中
、日本は98位・・・
かつて女性解放のために闘った人たちが知ったら…?

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『ひまわり』(1970・伊)

昨夜『ひまわり』が放映されましたね。

最近は分かりませんが、
『ひまわり』は「泣ける映画」に必ず挙がる作品でした。

昨夜は、偶然、ラスト5分位を見たのですが、やはり涙が出てしまって…
PCのモニタなのに、しかも、ラストシーンだけなのに泣けるとは、さすがです。

最初は、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)に、
あまり好感持てないのですが、物語が進むに従って、
リュドミラ・サベリーエワ(戦争と平和」のナターシャでした)も含め、
素晴らしい演技に引き込まれ、まるで雪だるま式に感情移入してしまうのです。

見渡す限りの美しいひまわり畑にも、
マンシーニの切ないメロディーにも泣けて…

戦争は惨く残酷、愛する人との幸せを引き裂き、人生を狂わせ、
たとえ生きて帰れたとしても、元の生活に戻れるとは限りませんから…
『ひまわり』は反戦映画の傑作ですね。

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私の好きな映画はイタリア映画が多いです。

「尼僧の恋・マリアの涙」「ニュー・シネマ・パラダイス」「ブラザー・サン シスター・ムーン」
「ロミオとジュリエット」(オリビア・ハッセー)、「ジェイン・エア」(シャルロット・ゲンズブール)
「ブーベの恋人」「天使の詩」「鯨の中のジョナ」「カストラート」「鉄道員」「自転車泥棒」
「道」「悲しみは星影とともに」…

必死に思い出そうとしましたが…
それに古い映画ばかりで…やっぱり年ですね。

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『にあんちゃん』(1959・日活)…2

『にあんちゃん』、見ました。

私は何故か『にあんちゃん』と頭師孝雄さんの『つづり方兄妹』が混同しがち。
(とは言っても、どちらも内容は覚えていないばかりか、
タイトルも『綴方教室』と思っていましたが…)

見覚えのあるシーンはあるかしら…?と見ていたのですが、
記憶にあったのは、赤痢が発生した時に噴霧していた白い消毒だけでした。

ただ、兄ちゃん(長門裕之さん)に比べ、
にあんちゃん(二番目の兄ちゃん)が頼もしかったことや、
姉ちゃん(松尾嘉代さん)が優しかったことは覚えていましたが。

どん底の生活なのに、明るくて前向きな兄妹、
特に、にあんちゃん(高一(たかいち)くん)のバイタリティが素晴らしかった。

放送後の解説によれば、
原作者の安本末子さんは、早稲田大学文学部を卒業してコピーライターになり、
創作童話も書き、結婚して子どもさんも二人いるとのことでした。
高一くんも慶應大学に進学されたそうです。

1953年当時、兄妹は20歳、16歳、12歳、10歳…
あれから60年近くも経ったとは…!
兄ちゃん、姉ちゃん、にあんちゃんはどうしてるかしら?
…きっと今もどこかで、元気に暮らしている…と信じたいです。

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ところで、
私が小学生の頃は、学校の講堂で上映される映画とは別に、
市内の映画館を貸し切って行われる「映画教室」というのがあって、
ちょっとした遠足気分を味わったものでした。

「文部省選定映画」だったのかどうかは分かりませんが、
『にあんちゃん』『つづり方兄妹』の他に、
『キクとイサム』『路傍の石』『次郎物語』『二十四の瞳』『いつか来た道』
『第五福竜丸』『夕やけ小やけの赤とんぼ』『コタンの口笛』……
などの映画も見に行きました。

また夏には、「野外上映会(?)」というのもありました。
多分、就学以前のことなので、夢の中の出来事のように朧気ですが、
夕暮れになると、小学校の校庭に巨大なスクリーンを設置し、
映画を楽しんだようでした。

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『にあんちゃん』(1959・日活)

BSオンラインの映画情報を見ていたら、
明日(6日)夜10:00より「にあんちゃん」が放映されることを知りました。

今村昌平監督の「にあんちゃん」は、小学生の時に「映画教室」で見ましたが、
「実在の少女の日記をもとに作られた貧しい兄弟のお話」くらいしか記憶はありません。

私は子どもだったので、出演者について気にもしませんでしたが、
長門裕之さんが出演されていたようでした。

当時の長門さんは、桑田佳祐さん(若い頃)にそっくりだったと聞いたことがありますが、
そう言われてみれば、よく似てますよね。

gooの映画で調べてみると、長門裕之さんの他に、私が分かる俳優さんだけでも、
松尾嘉代、北林谷栄、西村晃、小沢昭一、殿山泰司、浜村純、山岡久乃、大滝秀次、
芦田伸介、穂積隆信、吉行和子、二谷英明(敬称略)などが出演されていました。

松尾嘉代さんは当時中学生くらいだったのでしょうか…
江戸っ子らしい歯切れの良い口調が好きでしたが、最近はお見かけしませんね。
今もお元気なのでしょうか…?

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侵入経路

また不快害虫(ヤンバルトサカヤスデ)の話で申し訳ありません…m(_ _)m

私は虫が嫌いで(好きな人がいるとも思えませんが)、
見つけるたびに、家族に処分して貰っていますが、
一人きりの時は、仕方なくティッシュを何枚も使って取り、
出てこないように更にラップで包み、輪ゴムで留めてから捨てているのです。

浴室の洗い場でも、何度も遭遇していますが、
お湯を掛けると悪臭ガスを放出することを知らなくて、
咄嗟に排水口の蓋を外し、お湯で流したのですが、
言いようのないくらい嫌な臭いがして、鳥肌が…

場所を選ばずといえば、照明器具のガバーの内側にいたことも何度かありました。
わが家の照明器具はすべて「シーリング」なので、
屋外から配線を伝って入り込んだとしか考えられませんでした。

ネットで調べてみたところ、
住宅の基礎部分に付けられている換気孔から侵入し、
外壁と内壁の間の隙間、配管や配線から室内に入ってくるとのこと…

網戸の無い換気扇や、窓ガラスと網戸との隙間なども充分考えられますが、
いくら保健所から薬剤が配布されても、
両隣と向かいの家の周りが「スッキリ」していないので、
周辺に緑の無い高層マンションにでも引っ越さない限り、解決は無理でしょう。

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「世界はもっとカラフルだ!~共感覚のふしぎ~」

先週、偶然この番組(「爆問学問」)を知り、
「中国で最も有名な日本人」を見たのですが、
今週は、「共感覚」と取り上げるそうです。

文字や数字、音楽を聴いても「色」を感じることが出来る「共感覚」、
宮沢賢治やレオナルド・ダ・ヴィンチ、ムンク、ボードレール、ランボーなども、
「共感覚」を持っていたといいますが、
意外なことに、200人に1人が「共感覚」を持つそうです。
…羨ましい!

NHK総合、今夜10:55~
FILE165:「世界はもっとカラフルだ!~共感覚のフシギ~」

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ヤンバルトサカヤスデ

今年もまた、どこからともなく不法侵入者が…

去年、恐る恐る図鑑で調べ、「マクラギヤスデ」と思い込んでいましたが、
保健所より配布された文書(駆除剤に添えられた)によると、
南方系の外来生物で「ヤンバルトサカヤスデ」というものでした。

市では、2002年頃から異常発生しているとのことですが、
うちの中で見掛けるようになったのは、昨年からでした。

……農業害虫でもなく、病気の媒介、人を咬む、刺すなど、
衛生的危害を加える虫でもありませんが、
繁殖期(10~12月頃)に異常発生し、家屋内にも侵入するため、
生息地域に居住する人に精神的苦痛を与えています……

そうなんですよね~
家の中で見つけるから、ゾッとしてしまうのですよ。
しかも時と場所を選ばずで…
それに不快極まりない臭いがして…
本当にどこから侵入してくるのでしょう。

こんなところまでグローバル化でしょうか?
外来種はしぶといです。虫に限らず、ですが。

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『イマジン ジョン・レノン』(1988 米)

先週録画した『イマジン ジョン・レノン』(Imagine: John Lennon 1988・米)を見ました。
(…録画しても見る時間がなくて…)

生い立ちから非業の死を遂げるまでの生涯を、貴重な映像や懐かしい映像、
オノ・ヨーコ夫人、二人の息子(ジュリアンとショーン)、前妻シンシア、ミミ伯母、
その他多くの関係者の証言を交え、まとめたドキュメンタリー映画でした。
(…ショーンはジョンと誕生日が同じだったのですね…)

その間流れていたのが「ラヴ・ミードゥ」から「イマジン」までの約30曲(?)でした。
(…好きな曲ばかりで感激…)

今まで詩の内容も詳しく分からぬまま、曲が好きというだけで聴いていましたが、
字幕を読んで改めで詩の素晴らしさを実感し、泣きそうになりました。

ビートルズファンから「ビートルズを解散させた女」「魔女」と中傷されたヨーコ、
でも、ヨーコに影響を受けたことで、生き方まで変わったことで、
ジョンが身近に感じられるようになった日本人も多いのではないかしら…

1940年10月9日に生まれて、1980年12月8日、凶弾に倒れたジョン・レノン…
永遠に40歳のままデス…

もし、ヨーコとの運命的とも思える出会いがなかったなら、
今も元気で活躍しているかもしれませんが…

ナレーションはジョン・レノン。
多くのインタビューから抜粋されたものが使われていました。

20071208 『イマジン』
20071211 『 ただの私(あたし)』 オノ・ヨーコ/著

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