制服
9月最後の日は「真夏日」でした。
…でも、“今はもう秋…♪”
今日、衣替えのところもあったでしょうね。
一斉に冬服になると、いつもは見慣れたみんなの顔も、室内の雰囲気も、
不思議と新鮮に感じたりします。
私は中学の時も高校の時も、偶然、紺サージのセーラー服(紺の三角タイ)でした。
私はセーラー服が嫌いで、ブレザーの人たちが羨ましく思ったものでした。
セーラー服は頻繁に洗えないので不潔なんです。
普段はブラシを掛けたり、首が当たる部分をベンジンで拭いたりするだけ…
(夏用はカラー、カフス、ポケット口が取り外し出来ましたが…)
また、28本の拝みひだのプリーツスカートはプリーツが取れやすく、
毎晩のように寝押しなければならなかった…
中学の時のセーラー服には胸当てがあって、襟と同様、2本の白線がありましたが、
私の胸当てには白線はありませんでした。
というのも、ほとんどの人は洋品店で購入した指定の既製服でしたが、
私のは母の手作りだったから。
当時12歳の私は、胸当ての白線がセンスが悪く感じて、
「胸当てに白線は入れないで」と頼んだからなのです。
高校の時も、やはり母の頭には「買う」の文字はなかったようで、
冬用・夏用セーラー服プリーツスカート各数枚、盛夏用の白いブラウス数枚、
オーバーコート、レインコート、すべて母の手作りでした。
特に洋裁を習ったわけでもないのに、今更ながら感心してしまいます。
生徒手帳に簡単な製図がありましたが、
胸当てのないセーラーのラインをシャープにアレンジして貰いました。
うちで作る特権(?)…フフ
ですが、私学ではないせいか割と自由で、注意されたこともなく、
コート類も黒や紺であれば、指定でなくてもOKでした。
靴も指定はストラップシューズでしたが、みんな別のも持っていて、
私もストラップシューズの他に、ひも付きのカッターシューズを履いていました。
懐かしいわ…(*^-^)
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コメント
musettaさんへ
母の影響かしら、私も手作り派なんですよ。下手の横好きですけどね…
最近は外国でも制服が見直され、多くの国で導入されているみたいですね。
投稿: ミチ | 2011年10月 2日 (日) 17:20
ミチさんはお母様・手作りの愛情いっぱいで育たれたのですね。
素敵です。
私は幼稚園~大学まで、全て私服で、制服を着たことがありません。
幼稚園以外は全て国公立だったせいでしょうか?
高校3原則も尊守されいました。
だから、紺色のセーラー服は憧れでしたね。
羨ましい~
投稿: musetta | 2011年10月 2日 (日) 11:03