« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

編み物

最近は「花嫁修行」という言葉自体が死語なのかもしれませんが、
(嫌な言葉です…)
昔は、お年頃ともなると花嫁修業をしたものでした。
(私は一切しませんでしたが…)

私の世代なら、多分「料理、お茶、お花」といったところでしょうが、
もっと上の女性なら、プラス「裁縫、編み物(機械編み)」だったのでは…?

というのも、私が小さかった頃、もう既製服はありましたが、
セーター類に関しては、買うものではなく、編んで貰うものだったからです。

近所か親戚知人の誰か必ず機械編みが出来る人がいて、
デザインを決め、毛糸を用意して…
(うちでは母の妹に頼んでいました。)

私が中・高生の頃には、「編んで貰うもの」から「買うもの」となり、
「機械編み」ではなく「手編み」の人が多く、
編み物は必要に迫られてというより、趣味の部類でした。

そんなわけで、昔は大抵の家に余り毛糸がありましたが、
私が最初に編み棒を持ったのは、確か小2の時でした。

母から余り毛糸をもらい、指で掛ける作り目とガーター編みを教わって、
何かの一つ覚えのように、ただひたすら編んでいました。

一度、細い巾で紐状に長く編んだことがあって、
母は捨てるのが忍びなかったのか、しばらくの間、腰紐に使っていました。

あれから長い年月が過ぎたというのに、
大して進歩もせず今に至っています。

20090402 20090323

|

下手の長糸

私が最初に形のあるものを縫ったのは幼稚園の時でした。

縫った記憶は全くないのですが、文化祭か何かの催し物で、
教室に飾られた「作品」を見た時の母の嬉しそうな顔は覚えています。

それは直線断ちにした布の脇を縫っただけの、
人形の服(のようなもの)でした。

今なら園児に針など、絶対に持たせないでしょうね。

小学生になると、母から端切れを貰って人形の服を作っていましたが、
じき糸を絡ませては、「下手の長糸」と笑われたものでした。

今も短気で面倒くさがりな性格は相変わらずで、
解っているのに、一気に縫いたいばかりに糸を長く切っては絡ませ、
結果的に、時間と糸を無駄にしているのです。

特にミシン糸2本どりで手縫いすると、絡む確率「大」です。

|

『アラバマ物語』(1962・米)

先日録画した『アラバマ物語』(To Kill a Mockingbird)
を見ました。

中途半端な予備知識のために、重苦しいのでは?と覚悟してたのですが、
意外にも、子どもの頃見ていたアメリカのホームドラマのようでした。
…見て良かったわ…

大人になったスカウトが、幼かった頃を回想…
1932年夏、アラバマ州メイコムが舞台。

6歳のスカウト(10~11歳位に見えました)は4歳上の兄ジェムと、
優しく正義感あふれる弁護士の父(グレゴリー・ペック)、
母親代わりの家政婦さん(通い)の4人で暮らしています。

ジェムとスカウトは、夏休みを伯母さんの家で過ごす7歳のディルと、
毎日元気に遊んでいましたが、
父が黒人男性の弁護を引き受けたことで、一家は嫌がらせを受けるように…

黒人ゆえに有罪となり非業の死を遂げるトム、
無知と偏見から、狂人扱いされている隣家の青年ブー、

ラストで明かされるブーの真の姿…
「この顔、見たことあるような?」と思ったらロバート・デュバルでした。
若い頃はなかなかステキだったのね。

スカウトは原作者のハーバー・リーがモデル、
友だちのディルは、カポーティがモデルだそうです。
(「草の竪琴」以前のカポーティですね。)

残念ながら偏見と差別は今も変わらずです。
無くなる日は永遠に来ないのでしょうか?

| | コメント (2)

世界一頭の良い国…!?

「世界一頭の良い国は中国、2位は韓国、3位はフィンランド、
そして日本は8位」
と、ある人が教えてくれました。

何でも最近の娯楽番組で聞いた情報で、
調査内容については、「母国語の読解力」としか説明が無く、
調査対象の世代、人数その他は明らかにされていなかったそうです。

とはいえ、この種のランキングを真に受けるのもどうかと思いますが、
3位と8位の結果は、説得力がありますよね…

頭が良いといえば、数年前にも、
「中国が学力テスト世界一」という記事を見掛けたことがあります。
ただ、中国だけが(上海)という都市の括弧付だったのが疑問でしたが…

「中国が世界1位になるのは当然。
なぜなら、学力テストは、全員又は無作為に選ばれた生徒が受けるべきものなのに、
中国は、選ばれた地域(上海)の、選ばれた学校(私学の優秀校)の、
選ばれた生徒(成績優秀)のみが受け、採点も当然中国人教師なのだから…」
という中国人のコメントがありました。

…納得!
でも、もしこれが事実なら、統計データとは言えませんよね。
(それに、「勉強が出来る」=「頭が良い」とは言えないと思うのですが…)

中国の識字率は、90.9%(男性95.1%、女性86.5%)とか…
この数字(wikipedia)にしても、都市部だけなのか?
それとも富裕層だけなのか?と疑問は尽きません。

「中国が発表するデータは全て嘘」と聞きますが、
多分、中国だけに限ったことではないのでしょう。

|

どくとるマンボウ…

北杜夫さんの訃報を知りました。

その瞬間、目はかすみ、心拍数は速まり、膝はワナワナ…

意識は北杜夫さんを読んでいた高校生の頃にタイムスリップする寸前…

今はほとんど手元に残っていませんが、
ユーモアがあって楽しくなる文章が詰まった北杜夫さんの本…

中でも、「航海記」「昆虫記」など「どくとるマンボウ」シリーズが好きで、
特に、旧制高等学校時代の思い出が書かれた「青春記」は、
昔の寮生活が羨ましくて、繰り返し読んだものでした。

また一人、好きだった作家が天国へ旅立ってしまいました。
マンボウさん、もう、茂吉、輝子さん、茂太さんに会えましたか…?

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

私は北杜夫さんのお名前を目(耳)にすると、
まるで条件反射のように、なだいなださんが浮かんでしまいます。

なだいなださんは、お元気なのでしょうね…

|

『秋刀魚の味』(1962・松竹)

録画しておいた小津安二郎監督の『秋刀魚の味』を見ました。

これまでにも何度か小津作品を見ましたが、
『秋刀魚の味』は小津監督最後の作品だそうです。

小津作品は俳優さんの顔ぶれがいつも決まっていますが、
五社協定があったことと、「小津組」(監督・スタッフ・俳優)だからでしょうね。

反復の台詞が多く、棒読みで、ぶっきらぼうで独特の言い回し、
特に盛り上がりもなく、淡々としているのに最後まで見てしまうのですよね。

そして最後はホロリ…
この作品にサンマは登場しません。
一人娘を嫁がせた父親の心境が「秋刀魚の味」ということらしいです。

台詞といえば、岡田茉莉子さんの台詞にビックリ…

「あんた程度のサラリーマンがゴルフなんて生意気よ!」
「早く自分の欲しいものを買える身分になりゃいいじゃない!」

夫にこんなこと言うなんて信じられない…!
言われた夫の気持ちはどうなの…?
それに、お隣さんに頼み事する時も「命令口調」でした。

キャストは、笠智衆(平山周平)、佐田啓二(長男)、岡田茉莉子(長男の妻)、
岩下志麻(長女)、三上真一郎(次男)、岸田今日子(バーのママ)、
東野英治郎(周平の中学時代の先生)、杉村春子(先生の娘)、
他に、三宅邦子、加東大介など。

私は笠智衆さん、東野英治郎さん、杉村春子さんの実年齢は知りませんが、
三人の役柄設定に違和感を覚えてしまいました。

| | コメント (2)

『赤毛のアン 新たな始まり』(2008・加)

『赤毛のアン 新たな始まり』(Anne of Green Gables: A New Beginning)
…録画して見ましたよ…

オリジナルなのは知っていましたが、こんな内容だったとは…
期待はしていませんでしたが酷すぎました。

「赤毛のアン」を読んでいない人なら、それなりに楽しめたのでしょうが、
アン・シリーズファンにとっては、受け入れ難いものですよね…?

バーバラ・ハーシーはアンのイメージではないし、
子役の少女は可愛いけれども、アンにしてはふっくらし過ぎていました。

ギルバートの映像を使のなら、ミーガン・フォローズにすればよかったのに。
と思いました。

1945年、プリンスエドワード島が舞台。
ギルバートが戦死って…(JUNE 18 1890~AUG 19 1942)
(ちなみに、原作ではギルバートはアン(1866生)の3歳年上です。)

アンの両親にしても驚きました!
母バーサは、アンの生後3ヶ月に熱病で病死し、
父ウォルターも、その数日後に同じ病気で亡くなっている…

集中できなかったせいか、ちっとも頭に入らなくて…
トマス家のこともサッバリでした。

「新たな始まり」とは、ジーンとかいう男性との新生活のことでしょうか?
なんだか幻滅です。

へティとレイチェルが登場してましたね。2人とも90代…!
へティということは「アボンリーへの道」を意識してるのでしょうね。

この作品もTVムービーらしいです。
ということは、もしかしたらシリーズだったかもしれませんね。

それにしても、「アン・シリーズ」「アボンリーへの道」は、
同じ人が手がけているというのに、設定に矛盾が多いですよね。

もし日本人が制作したならば、こんなことはないような気がしますが。

それに同じサリバン・フィルムだから仕方ありませんが、
映像、音楽、その他諸々「アボンリー」の使い回しが多くて笑ってしまいました。
(セーラやフェリシティたちも映っていました)

ケビン・サリバンさん、天国で「モンゴメリー」が嘆いていると思いますよ。

…文句ばかりで御免なさい。

| | コメント (4)

COOL JAPAN 果物~Fruit~

今回のテーマは「果物」でしたが、外国人の反応は予想通りでした。

「ピカピカ光っていて本物に見えない」
「形も大きさも揃っていて工場で作られたみたい」
「自然の法則に反している」
「向きも揃えられ、トレー(桐の箱も)に入れられている」
「とても高価で買えない」
「果物は果物、食べて消化するだけ」
「日本のものは何でも好きだけど、果物と野菜は嫌い」
「日本人は果物について幼稚だ」

司会者の「3万円のメロンを貰えば嬉しいでしょ?」にも、
「世界最高の無駄遣い」(同感です!)

スタジオに出された「フルーツサンド」を試食しても、
ほとんどの人が「不味い気持ち悪い」と言っていました。

日本人にとっての「サンドイッチ」は食事で、
「フルーツサンド」は「軽食」「間食」といったかんじですが、
外国人にとっての「フルーツサンド」は「サンドイッチ」(食事)でしかないのかも。

ただ、リポートした人たちに限っては、
まるで用意されコメントのように感じましたが…?

10万円もする「高級ブランドマンゴー」にしても、
そこまでする必要があるのでしょうか?

デラウェアは確かに食べやすい、でも果物に種があるのが自然です。

私の子どもの頃の果物は、安くて味も自然で今より美味しかったのに、
見た目と糖度を高めた結果、果物はお高いものになってしまいました。

これは消費者のため?それとも生産者のため?

「食べ方の工夫」「目揃会(めぞろえかい)」「ブランドマンゴー」「種なしブドウ」
ベスト・オブ・クールは「目揃会」でした。

|

はげまして、はげまされて~93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記~

20111022 『はげまして、はげまされて』
~93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記~
竹浪正造/著
廣済堂出版

昨日、Amazonより配達されましたよ。

『はげまして、はげまされて』~93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記~
は、昭和30年の元旦から始めたまんが絵日記ですが、
書こうとした動機は、息子さんの腕白ぶりを記録したいと思ったからなのだそうです。
サザエさんのカツオくんのリアル版…
暖かくてユーモアがあって家族への愛があふれていました。

でも、楽しいことばかりではありませんでした。
奥さんに先立たれた日(昭和62年5月13日)や、
とうとう帰らぬ人に……~見舞いの花が、亡き人を弔う花に~
長女・聖子(しょうこ)さんの急逝の日(平成18年5月6日)も
聖子、母さんと早くも再会~どちらも逝く年六十二歳~
休むことなく書き続け56年間(大学ノート2300冊)とは本当に凄いです。 

“2011年5月11日、ナニコレ珍百景で自身の絵日記が紹介される。
たまたま電車内でその放送をワンセグで見ていた廣済堂出版社員が、
絵と笑顔に魅力を感じ、次の駅で降りて本人に連絡。その場で出版を打診した。

2011年10月5日、ナニコレ珍百景の特別番組で絵日記の出版が伝えられると、
一晩でAmazon.co.jpや楽天ブックスでベストセラー(総合)1位に急上昇した他、
発売1週間後には12万部を突破した。”
 (wikipediaより)

廣済堂出版の社員の方、お手柄でした!

もし竹浪さんご自身が望むとしたならですが、
ギネスに申請すれば登録されるのは間違いないでしょうね。

|

中国人の道徳心

2歳の悦悦ちゃんが息を引き取ったそうです。

悦悦ちゃんのニュースは、中国人の「社会道徳の欠如」を象徴する事件として、
世界中に衝撃を与えました。

2度もひき逃げされただけでなく、瀕死のまま放置された悦悦ちゃんのすぐ脇を、
見て見ぬふりをして通り過ぎて行く18人の大人たち…

ひき逃げは許せません。
が、それ以上に恐ろしいのは通報さえしないこと…
でも、私は驚きませんでした。

行き倒れの人を助けたばかりに、「突き飛ばされた」と訴えられてしまった。
という類の記事をよく目にするからです。

ですが、中国人の道徳心に問題があるというよりは、
中国の医療制度に問題があるのではないのでしょうか。

というのも、
以前見た「激流中国」というドキュメンタリー番組によれば、
中国の治療費は前払い、しかも日本で健康保険に加入していない場合と比較しても、
なぜか日本では考えらえないほどの高額なのです。

友人、知人、親戚中から借金して用立てても、
足りなければ治療はストップされてしまうというのです。

救急車も有料で、病院同様「前払い」…
(日本では無料をいいことにタクシー代わりに呼ぶ人がいるとか…)

中国人が無関心で道徳心がないわけではなく、
後が恐くて、助けたくても助けられないのではないのでしょうか?

社会主義国の中国、今や国内総生産世界第2位の超大国というのに、
どうして貧困層の人たちに還元しないのでしょうか?

医療だけでなく、すべての国民に平等な制度が整っていれば、
道徳心も芽生えていくような気がします。
教育と躾も必要ですが…

| | コメント (2)

『アンの結婚』(2000・加)

『赤毛のアン』と『アンの青春』は完全版DVDを持っているので観ませんでしたが、
『アンの結婚』は一応録画しました。
(原題 Anne of Green Gables: The Continuing Story)

動画サイトで観ていたので(字幕なし)、大体は知っていましたが、
これは「アンの世界」じゃないですよね。

『赤毛のアン』『アンの青春』も原作とは大分違いましたが、
こちらは酷すぎました。
同じなのは「名前」だけなのですから。

「アンの年表」によれば、アンとギルバートの結婚は1891年で、アンは25歳でした。
映画の設定は1915年でしたが、原作ではアンは49歳で、
21歳の次男ウォルターが入隊した年でした。

それはともかく、白人種の人の肌は老けやすいと聞いたことがありますが、
アンもダイアナも、まるで40代後半に見えてしまって…

結局、惹き付けられたのは女性たちの衣装だけでした。

アン・シャーリー (ミーガン・フォローズ…1968/3/14)
ギルバート・ブライス (ジャナサン・クロンビー…1966/10/12)
ダイアナ・バリー (シュイラー・グラント…1971/4/29)
フレッド・ライト (グレッグ・スポティスウッド…1964/9/14)

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

ところで、前にも書いたかもしれませんが、
サリバン作品ということで「アボンリーへの道」に出演されていた俳優さんの顔も
ありましたね。

ダイアナの夫フレットはデイビッド(フェリシティの初恋の人)でしたし、
他に(アボンリーの役名)
イライザ(ガスの母)、銀行家ケーン、ホレイス(「ガスの消息」の紳士)、
ライオネル・レスター(ナット、ドニー、ワイリー、ベッキーの父)も…

きっと他にもいたのでしょうね。

| | コメント (6)

約5兆3600億円…!

ウォン安回避のための韓国への資金支援が700億ドル(約5兆3600億円)…
このニュースには驚きました。

東日本大震災、原発事故、
世界中から、日本の復興を願って義援金が送られているというのに。

200億円以上という信じられない額の義援金を送り続けている台湾や、
紛争中のアフガニスタン、食べることにも事欠く途上国の人たちからも…

助け合うのは当然です。
韓国だけの問題ではないことも分かっているつもりです。

でも、中国へのODAもそうですが、
5兆3600億円ものお金が日本にはあるのですか?
そのお金は国民のものなのですよ。

そんな余裕があるのなら、
増税も、年金支給開始年齢の引き上げの必要もないでしょう。

被災地、被災者支援、原発事故の後始末や景気対策などに使ってください。

|

タメ口

いつの頃からか耳にするようになった「タメ口」という言葉、
前後の言葉から意味は分かりましたが、あまり良い響きの言葉ではないです。

思い込みかもしれませんが、昔は言葉遣いに気を配っていたため、
「タメ口」という言葉自体無かったと思います。

それとも、ただ私が知らなかっただけなの…?
少なくとも私に広辞林(はるか昔に購入した)には載っていませんでした。

Yahoo辞典、語源由来辞典、日本語俗語辞典、で調べてみたら、
「同目(ぞろ目)を意味する賭博用語から広まった」
などと書かれてありましたが、ウィキペディアには、
静岡地方の方言で「同い年」又は「同学年」の「タメ」から来ているとの説もある
が加えられてありました。
…初耳…誰が言ったの…?

ただ静岡地方といっても、
駿河、遠江、伊豆と文化が分かれているので断言は出来ませんが、
静岡市では言わないです。

(余談ですが、県外の人は静岡県内すべてを「静岡」と言いますが、
静岡県の人にとっての「静岡」は政令指定都市になる前の「静岡市」のことです。)

ところで、よく、TVを観ていて、
「タレントさんや芸人さんが「タメ口」を使っていた」と目くじらを立てる人がいますが、
あれは一つの演出ではないのでしょうか?
舞台裏では言葉遣いに気をつけていると思いますが…。

|

2012年のカレンダー

先日、来年のカレンダー第1号が到着しました。

「太陽・月・星のこよみ」
20111017

来年は
20111017b

ちなみに、
今年の「太陽・月・星のこよみ」
20101122a

一年って、悲しくなるくらい早いですよね~

| | コメント (2)

『おかあさん』(1952・新東宝)

BSシネマランドのカレンダーを見ていたら、今夜10:02より、
成瀬巳喜男監督、田中絹代さん主演の『おかあさん』の放映を知りました。

この作品は、以前にも放映されているので観たことがありますが、
香川京子さん、沢村貞子さん、加東大介さん、岡田英治さんなど、
私の世代でも何とか分かる俳優さんたちが出演されていました。

息子と夫の死、貧しさ故に親戚に貰われていく次女…
日本が今より豊かではなかった時代の忍耐強くて優しいおかあさん…

舗装されていない道路や家電の無い室内、
当時のファッションも懐かしかったです。

今後の邦画の放送予定には、
『秋刀魚の味』『にあんちゃん』『楢山節考』などがありました。

このラインナップを見ていたら、
“こんなに貧しかった時代もあったのだから、
不平不満を言わずに頑張ろう!”
というメッセージに思えてしまいました。

|

『はげまして、はげまされて~93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記~』

今年5月、テレビ朝日「ナニコレ珍百景」という番組で紹介された、
青森県の竹浪正造(まさぞう)さんの絵日記が出版されました。

タイトルは
『はげまして、はげまされて~93歳正造じいちゃん56年間のまんが絵日記~』
です。

1954年から56年間、1日も欠かさず絵日記を書き続けていて、
大学ノート2300冊というのですから凄いですよね~

もう本は買わないつもりでしたが、Amazonで注文してしまいました。

でも売れ切れみたいで、お届けは1~2週間先とのこと…
待ち遠しい!

|

京の舞妓

「美の壺」を「毎回録画」していて、翌日に観ていますが、
昨夜は「京の舞妓」でした。

アンコール放送…
でも、舞妓さんの美しさにつられて、また観てしまいました。

舞妓さんというと、日本髪に花かんざし、白塗りのお化粧、お引きずりの振り袖、
だらりの帯、おこぼ(ぽっくり)が浮かびますが、
忘れてならないのが、「肩上げ」と「袖の縫い上げ」ですね。

「肩上げ」は子どもの着物だけにするもので、
舞妓さんの肩上げと袖上げは、若さ、初々しさの象徴としてだそうですが、
元々昔の舞妓さんというのは、10歳前後の子どもだったのです。
(今は労働基準法等により、中学卒業後でないとなれませんが。)

昭和初期の舞妓さんの映像が映りましたが、驚くほど子どもでした。
ぽっくりにしても、身長を高く見せるためのものだったようです。
(あの美しいカラーフィルムは、外国人が撮ったのでしょうか?)

今は舞妓さんの出身地も様々とか、
舞妓姿に憧れて入っても、お稽古やしきたりの厳しさに、
続けられない人も多いのでしょうね。

※ 19日(水)AM8:00より、BSプレミアムにて再放送されます。
  (「美の壺」の再放送は「金曜15:00~」「翌週水曜8:00~」の2回)

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

ついでながら、
京都の「本物の舞妓」と「観光舞妓」の見分け方を…

本物の舞妓の日本髪は地毛、観光舞妓は当然「かつら・半かつら」。

本物の舞妓の着物、日本髪、花かんざしなどには多くの約束事があるが、
観光舞妓の場合は、約束事が無視され安物。

本物の舞妓は左手で褄を持って歩くが、観光舞妓は帯に挟んで着付けられている。

本物の舞妓の場合、昼間は「お稽古」なので、
舞妓衣装で出歩くことはないし、基本的に舞妓衣装で飲食もしない。

本物の舞妓の歩き方は早い。白粉や紅の塗り方が違う。

笑顔の時も、ほとんど歯を見せない。

見分け方を知らなくても、表情や雰囲気で分かるでしょうね。

| | コメント (3)

『言わなければよかったのに日記』

20111013 『言わなければよかったのに日記』
深沢七郎/著
中公文庫
1987年初版

昔、深沢七郎さん(1914~1987)の本が好きだったことを思い出し、
図書館から『言わなければよかったのに日記』を借りてきました。

『言わなければよかったのに日記』は、1958年に中央公論社から刊行、
その後、1987年に文庫化されましたが今も売られているのですから流石です。

第一部は「日記風」、第二部は「思い出の記」、第三部は「十五の短編集」で、
それぞれが違った趣向の文体で、現代人には絶対書けないような話し
(たとえば廓についてなど)もあって飽きさせないのですから流石です。

第一部の「言わなければよかったのに日記」には、大先輩たち
(正宗白鳥、石坂洋次郎、武田泰淳、伊藤整、村松梢風、井伏鱒二、丸尾長顕)
と会話での失言を、おもしろ可笑しく、正直に(?)書けるのですから流石です。

「とてもじゃないけど日記」では、辰巳柳太郎さんの一言
「あんたの小説は実存主義だよ」から始まる、有識者たちのコメントが、
まるで風刺画を見ているようで思わず笑ってしまいました。

若き日の現・都知事とのエピソードや、
吉屋信子さん、幸田文さん、高峰秀子さんについても書かれてありました。

『言わなければよかったのに日記』・目次

続きを読む "『言わなければよかったのに日記』"

|

赤い羽根共同募金

10月になると、政治家もキャスターも、
襟に、ひときわ目立つ「赤い羽根」を付けていますが、
うちの方では、いつの頃からかシールなのです。
(「緑の羽根」は、ピンの無い本物の羽根ですが…)

20111012 約4cm角

自治会がこの「シール」を配っていて、
肝心の<募金>の方は、自治会費から支払われています。
(「緑の羽根」も「年末助け合い募金」もそうなのです…)

募金を集めに行く手間が省けて大助かりなのですが、
やっぱり釈然としないのです…

<一枚ずつお取りください>
と書いたメモを付けて回したのに、半数近くは戻ってきました。

律儀に取ってくれたお宅も、きっと捨ててしまうのでしょうね。

|

優先席

「セカイでニホンGO」でもう一つ気になったことがありました。
それは「優先席」…

「優先席」については賛否両論あって当然だと思います。

私は電車の座席が空いていても、ほとんどの場合「腰掛けない派」ですが、
「優先席」がまだ無い時代、バスで近くにお年寄りがいれば、
反射的に立ち上がっていたものでした。

「優先席」が無くても、高齢者や妊婦さんには席を譲るのが理想、
でも現実は厳しい、譲る人ばかりではありませんから。

特に、お腹がまだ目立たない妊婦さんの場合、
譲ってもらえる可能性はゼロでしょう。

それに、お年寄りの中には、「失敬なッ!」と思う人もいて難しいです。

私自身、まだ席を譲られた経験はありませんが、
もし譲られたとしても素直に喜べるかどうか疑問です。

譲ってくれた相手が子どもならまだしも、大人からだとしたら、
嬉しいより、「私ってそんなに年寄りに見えるの?」とショックかもしれません。

たとえ譲ってくれた人が、同世代の人であったとしても、
心から「ありがとうございます」と言える人になりたいのですが…。

|

注意書き

先日の「セカイでニホンGO」という番組、面白かったです。

「世界が絶賛?日本のマナーの秘密」がテーマでしたが、
アラアブ諸国「ハワーティル」というTV番組で日本人のマナーを紹介していて、
「拾った財布を交番に届ける」「時間や信号を守る」「掃除をする」
など日本人にとっては当たり前のことが絶賛されているようなのです。

でもフランスでは、日本人のマナーについて、
「相手によってお辞儀の仕方が違う」
「お土産などは“つまらない物ですが”と言って渡す」、
「帰る際には“お邪魔しました”と言う」というように、ただマニュアル化しているだけで、
日本人は心からしているのではない。
と…

また日本在住の外国人は、
日本では、町、道路、公園、乗り物の中とあらゆる場所に「注意書き」があって、
そのあまりの多さに、驚くというより呆れているようでした。

つまり日本人はマナーが良いのではなく、ただ規則を守っているに過ぎない。
と…

言われてみれば、確かにそうです。
まるで学校の校舎内みたいな注意書き…

ゴミが捨てられているのは嫌ですが、「注意書き」自体も相当目障りです。

でも、昔は今ほど無かったような気がしますが…?
それに、「注意書き」には、日本語だけでなく、
英語その他でも書かれている場合が多いのです。

と言うことは、日本人向けだけの「注意書き」ではないということでしょうか…?

目障りと言えば、
私は、小・中学校付近で多く見掛ける「標語」の類も嫌いです。

教育的効果の有無も疑問ですが、
商店等の看板以上に美観を損ねていると思えるからです。

|

COOL JAPAN たたむ~Tatamu~

今回のテーマは「たたむ」
…テーマを知って驚きました。
今まで「たたむ」が日本独特の文化とは考えたこともありませんでしたから。

なんでもたたんじゃう日本人…
折り紙、熨斗袋、衣類、寝具、玩具、家具、雑貨、携帯電話、
ほかにも色々ありそうです。

イタリア以外の外国人の多くが、
衣類をたたむ習慣がないと言っていました。

洗濯物を普通にたたんだだけなのに、
“マジックみたい!”と驚き、
“たたまなければ嵩張るし、シワにもなるでしょ?”には、
“そんなこと、考えたこともない”と…

世界で初めて成功したソーラー電力「イカロス」、
イカロスの巨大な帆をたたむのに、折り紙の技術が生かされていました。

折り紙って素晴らしい!

日本人は手先が器用とよく言いますが、
幼い頃から、折り紙で遊んでいるからかもしれません。

「小田原提灯」の制作現場と、イサム・ノグチのAKARIシリーズも紹介。
私も和紙の照明具は大好き、昔プレゼントされたことがありました…

「服のたたみ方」「たためるグッズ」「折り紙の技術」「提灯」
から選ばれたベスト・オブ・クールは、「折り紙の技術」でした。

| | コメント (2)

『楢山節考』(映画)

『楢山節考』は、1958年(木下恵介監督)、1983年(今村昌平監督)と、
二度映画化されています。

私は二作とも見ましたが、(BSシネマランドで)
1983年の、田中絹代さん主演作品の方が良かったです。

残酷なストーリーでありながら、
木下監督作品は、舞台を見ているかのようなに演出されていて、
非現実的な民話の世界を眺めているようでもあり、
作者自身の「おりん」への思いも反映されていたように感じました。

今村監督作品(緒形拳さん、坂本スミ子さん)の方は、
カンヌ映画祭のパルムドールを受賞したというので、
監督の他の作品傾向を知らないまま見たのですが、
(見たのは多分「にあんちゃん」ぐらい、小学生の頃ですが…)、
私の好みではありませんでした。

リアリティーを追求したのでしょうが、目を背けたくなるシーンが多く、
正直のところ、まともに見ていられなかったです。

というのも、今村作品は、『楢山節考』だけでなく、
『東北の神武たち』もプラスされていたので、
原作の雰囲気とは、かけ離れていたように思えました。

|

『楢山節考』

20111007 『楢山節考』
深沢七郎/著
新潮文庫
新潮社(昭和48年刊(14刷))

随分昔に読んだ『楢山節考』…
重い内容なのに、民話を読んでいるかのように感じた記憶があります。

長野県に「姥捨山」という名の山が存在するようですが、
姥捨て伝説については諸説あるようです。

もし何らかの形跡が残っていたとしたら、風葬だったのではないかしら?
というのが私の希望的想像なのですが…

私は深沢七郎さんの随筆にとても力づけられたものでした。
常識にとらわれないユニークな発想の文章を読んでいると、
この人なら、私の気持ちも理解してくれるのでは…?
と思いました。
もし身近にいたのなら、人には話せないようなことを話してみたい…。

20111007b 左より『笛吹川』
    『千秋楽』
    『人間滅亡の唄』
    『東北の神武たち』

|

『シザーハンズ』

昨夜、BSプレミアムで『シザーハンズ』を放映していましたね。

私はティム・バートン作品が好きで、
「シザーハンズ」も昔ビデオを購入したので何度も見ていますが、
昨夜も無視出来なかったです。

キム(ウィノナ・ライダー)を抱きしめられないエドワード(ジョニー・デップ)、
…見るたびに泣けてしまいます。

キムのために、雪を降らし続けているエドのラストも切ないですね。

優しいペグ一家だけだったなら、エドはいつまでも町にとどまったのかしら?
エドだけはずっと青年のまま…
やっぱり山に戻るしかなかったでしょうね。

ダイアン・ウースト(ペグ役)は、イジーのおばさんのリリアンですね。

|

『かっぱのこうやく』

20111004 <世界名作童話集>『かっぱのこうやく』
高野正己/著
高橋 秀/装幀・口絵
同和春秋社版

私の持っている本の中で、一番古いのは、
この『かっぱのこうやく』です。

この本は、その昔、子どもだった兄が世代の違う親戚の人から、
貰った本なのですが(お古を)、どういう訳か随分前から私の手元にあるのです。

紙はすっかり変色してしまいましたが、どうしても捨てられません。

<目次>
くものせんにん(蜘蛛の仙人)…信濃の國
こんこん、ねえさん
かっぱのこうやく
金べーこ…岩城の國
ごぜぐも…駿河の國、宇都の山
化けくらべ
重ばこたんぼ
うばかわ(姥皮)…行方(なめかた)山上村
小かみなり…宇多、行方の國、大野村黒木の里
こがね馬…陸前の國、栗原村
さるじぞう
ひょうたんぶね…行方の國、うけど村

<著者略歴>
明治38年3月福島県に生まる。昭和4年3月東大国文科卒。
東京女子医専教授。宮城県古川中学校長、奈良女高師教授を歴任。
著書『近世演劇研究』その他『太平記物語』など児童図書数種。

世界名作童話集 かっぱのこうやく
定価     180円
昭和二十八年七月十五日 初版発行
昭和二十九年十二月二十五日 再版発行
著作者  高野正巳(たかのまさみ)
            東京都新宿区横寺町三ノ六
印刷所  株式会社雄工社
            東京都新宿区市ヶ谷砂土原町二ノ七
発行者  篠崎仙司
発行所  東京都新宿区市ヶ谷砂土原町二ノ七
              株式会社同和春秋社
振替     東京九二九九一番
電話     九段(33)三五一九番

…↑の住所、もうないでしょうね…(゚0゚)

|

「ある母の愛」

「ある母の愛」がお気に入りの人は多いようですね。
私もそうなんです…

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

『母親の友』が「素敵なお母さん」というテーマの作文を募集したことで、
フェリシティたちはその話題で持ちきりです。

母のいないセーラが、へティ伯母さんのことを書くと、
フェリシティたちは、
「本当のお母さんじゃないから応募する資格がない」と言った挙げ句、
セーラの作文を取り上げてしまった。

傷ついたセーラは、フェリックスと仕返しを思いつきますが、
大人たちの会話から、フェリシティとサリーの誕生日が同じと知る…

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

いつものへティ伯母さんなら、“分別がない!”と言って叱るのに、
今回は違いました。

へティ自身も、ジャネットとクララから、
“子どもを産んだことがない人には分からないわ”と言われ、
腹の虫が治まらなかったのでしょうね。

セーラが起こした仕返し騒動で、
結果的には、へティも仕返しが出来たわけですね。

フェリシティにしても、“意地悪”というより、
“優等生ゆえの融通のきかなさ”だったのではないかしら?
まだ子どもですもの。

それに、深く反省して、セーラの作文を代わりに応募してくれたのですから、
根はいい子なんですよね。

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

以前、深夜に再放送した際、頑張ってDVD化したのに、
スカパー無料の日を心待ちにしている…

その訳は、アナログの時より画質が格段に美しいからなのです。
…ドレスの生地の質感まで分かるほど…
ただ、途中のCMと、画面の上下がカットされている点が、ちょっと残念。

| | コメント (2)

COOL JAPAN 水族館~Aquariums~

今回のテーマは「水族館」でした。
(ちょっと季節外れ…)

日本人は「水族館」が好きな国民で、
日本は世界一「水族館」が多い国、その数70館とか。
~2位・中国(61館)、3位・アメリカ(52館)~

クラゲだけ、淡水魚だけ、など、特定の生物の水族館には、
理解出来ない外国人が多いようでした。

工夫を凝らした展示法については、「魚のことを考えて…」
イルカやアシカなどのショーにも否定的な意見が…

でも「あなたの国にもショーはあるでしょ?」の質問には、
「それはサーカス」と…
サーカスならOKで、水族館では駄目、というのが私には解りません。

ジンベイザメを見て、「こんな大きな魚がいたなんて知らなかった」
別の人は「魚は魚なのに、日本人は魚の名前を知っている」
外国の学校では教えないのでしょうか?
それとも、たまたま知らなかった?

「日本人は水族館の魚を見て、“美味しそう”と言うから不思議、
私たちは牛を見て“美味しそう”とは言わないのに」
“美味しそう”…これ、ジョークで言ってると思ってました。
本気で言ってる人もいるの?

今回は、「魚」に対する日本と外国の文化の違いが分かりました。
それ以上に、仕事に対して決して妥協しない日本人の姿勢が誇らしかったです。

アクリルパネルについて少しだけ触れていましたが、
もう少し詳しく取り上げて欲しかった…。

「多種多彩な生き物」「多彩な展示法」「都会の水族館」「海獣の獣医」
ベスト・オブ・クールに選ばれたのは、「多彩な展示法」でした。

|

制服

9月最後の日は「真夏日」でした。
…でも、“今はもう秋…♪”

今日、衣替えのところもあったでしょうね。
一斉に冬服になると、いつもは見慣れたみんなの顔も、室内の雰囲気も、
不思議と新鮮に感じたりします。

私は中学の時も高校の時も、偶然、紺サージのセーラー服(紺の三角タイ)でした。
私はセーラー服が嫌いで、ブレザーの人たちが羨ましく思ったものでした。

セーラー服は頻繁に洗えないので不潔なんです。
普段はブラシを掛けたり、首が当たる部分をベンジンで拭いたりするだけ…
(夏用はカラー、カフス、ポケット口が取り外し出来ましたが…)

また、28本の拝みひだのプリーツスカートはプリーツが取れやすく、
毎晩のように寝押しなければならなかった…

中学の時のセーラー服には胸当てがあって、襟と同様、2本の白線がありましたが、
私の胸当てには白線はありませんでした。

というのも、ほとんどの人は洋品店で購入した指定の既製服でしたが、
私のは母の手作りだったから。

当時12歳の私は、胸当ての白線がセンスが悪く感じて、
「胸当てに白線は入れないで」と頼んだからなのです。

高校の時も、やはり母の頭には「買う」の文字はなかったようで、
冬用・夏用セーラー服プリーツスカート各数枚、盛夏用の白いブラウス数枚、
オーバーコート、レインコート、すべて母の手作りでした。

特に洋裁を習ったわけでもないのに、今更ながら感心してしまいます。

生徒手帳に簡単な製図がありましたが、
胸当てのないセーラーのラインをシャープにアレンジして貰いました。
うちで作る特権(?)…フフ

ですが、私学ではないせいか割と自由で、注意されたこともなく、
コート類も黒や紺であれば、指定でなくてもOKでした。

靴も指定はストラップシューズでしたが、みんな別のも持っていて、
私もストラップシューズの他に、ひも付きのカッターシューズを履いていました。

懐かしいわ…(*^-^)

| | コメント (2)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »