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2011年1月

『繪本 即興詩人』

20110131
『繪本 即興詩人』
安野光雅/著 講談社

先日、大好きな安野光雅さんの絵に惹かれて、
『繪本 即興詩人』を借りてきました。

この本、安野光雅さんの風景画が加えられた「即興詩人」と思っていましたが、
実は、「即興詩人」の舞台を巡った安野光雅さんの旅日記でした。

まえがきの最後には、
“わたしの本を見て「即興詩人」を読んだような気になられたら困ります。
…略…
どうかこの機会に読んでいただきたいと思います。”
と……

アンデルセンで浮かぶのは「マッチ売りの少女」「人魚姫」「裸の王様」等の童話、
童話以外では『絵のない絵本』は、昔、読みましたが、
「即興詩人」は読んでなかった…

『繪本 即興詩人』は、「即興詩人」を読んでから読む本だったようです。

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『求めない』

20110129
『求めない』 加島祥造/著 小学館

新聞の書評コーナーで知り、先日図書館から借りてきたのですが、
何だか、すぐに読む気になれなくて、数日間放置…
昨晩覚悟を決め(?)、ベッドに入ってから一気に読みました。

一気と言っても、
求めないー
すると
・・・・・

という三行の短い詩なので、あっという間なのですが…

「求めない」とは、五欲を否定することではなく、
“求めないで済むことは求めない”
ということ、そして、
“程よいところで止める”
それが無理なら、
“もう求めない”と自分で言ってみるだけでいい…
ということらしい…

難しい言葉は一つもなく、語り口も、くだけたものなのですが、
何となく独り善がりにも思え、
“そうかしら…必ずしもそうとは言えないのでは…”
と反抗したくなる自分に、修行の足りなさを改めて実感しました。

そういう私も、日頃は「期待しない」「なるようにしかならない」
と思うように心掛けてはいるのですが…

一つだけ、“確かに!”と納得した詩がこれです。

求めないー
すると
失望しない

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『新版・赤毛のアンの世界へ』

20110128
『新版・赤毛のアンの世界へ』~素敵に暮らしたいあなたへの夢案内~
学習研究社

また、PEIの写真集借りてきてしまいました。
どのページを開いても美しい…

自分の部屋の窓から、真っ青な海と白い灯台が見えたら素敵でしょうね。
リンゴの木々とか輝く湖水でもいいわ…

この本の「アンが過ごした夢の部屋」には、それぞれの部屋の説明と、
美しいイラストがありましたが、サマーサイト(『アンの愛情』)では、
幽霊小路の柳風荘の「塔の部屋」…
私も、「塔の部屋」に住みたいと願ったものでした。

「赤毛のアンのお料理辞典」では、
登場人物にのまつわるお料理が紹介されていました。
「赤毛のアン」に夢中だった子どもの頃、
“レモンパイ、チェリーパイ、プラム・プディング、ジンジャー・ケーキ…”
といったお洒落な響きに、憧れを抱いたことも懐かしい。

現在日本で売られているケーキ類などに比べたら、素朴でシンプルで、
それに、日本人には甘過ぎるようにも思えますが。

「赤毛のアンのインテリア用語辞典」に意外なものを発見。
昔々に読んだので、すっかり忘れていましたが、
「炉辺莊」には、日本の提灯があったのですね…

『プリンスエドワード島 吉村和敏写真集』~世界一美しい島の物語~
『写真集 赤毛のアンに出会う島』~プリンスエドワード島の四季~
『赤毛のアンへの旅』~秘められた愛と謎~ (松本侑子/著)
この三冊、借りたくなった…(^-^;

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(左)「アヴォンリー村MAP」…イラスト・川上尚子
(右)「恋人の小径」…写真・吉村和敏

<目次>↓

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メイド・イン・ジャパン

今は死語なのでしょうか?
私が小さかった頃、「舶来品」という言葉がありました。

舶来品は主に欧米から輸入されたカメラ、腕時計、万年質などの高級品で、
現在の「ブランド品」に近ったのかもしれません。

それに対し、「国産品を買いましょう」という意味の標語の記憶がありますが、
我が家に舶来品があったとは思えません。
元々、身の程を知り、ごく慎ましい暮らしをしていた私の両親には、
高級品は縁が無いものだったでしょうから。

それでも裕福かどうかは別として、ハイカラで多趣味だった祖父や叔父たちが、
愛用していた可能性はありますが…

平成の時代の「外国製」は、高級品より、むしろ逆で、
安かろう悪かろうの「メイド・イン・アジア」のイメージです。

30年位前から、通販やコープの宅配を利用していますが、
日用雑貨や衣料品(タオル、シーツも)の多くが「中国製」で驚きます。

中国製の衣料品は、裁断が歪んでいたり、縫製が悪かったり、色落ちしたり、
数回洗濯しても臭いとか、結局「安物買いの銭失い」になる、
と聞いたことがあります。

いくら安価だったとしても、「中国製」の食品や家電は、
間違っても買おうとは思いませんが、商品によっては正直迷う場合も多いです。

以前は無頓着だった私も、「尖閣諸島問題」以降、
これからは「日本製」にこだわりたいと思って「○製」なのか確認していますが、
タオルのような消耗品の場合、お財布の中身と喧嘩しては、
心ならず負けてしまうこともあるのです…。

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映画のパンフレット

『もぎりよ今夜も有難う』には、ダンボール箱に詰め保管されている、
映画のパンフットのことが書かれていましたが、
私も映画を見る度にパンフレットを購入していたので、沢山ありました。

過去形なのは、一時の気の迷いから、すべて古紙回収に出してしまった…

「嵐が丘」「ジェーン・エア」「風と共に去りぬ」「ベン・ハー」「ロミオとジュリエット」
「ローマの休日」「サウンド・オブ・ミュージック」「ウエストサイド物語」「エデンの東」
エトセトラエトセトラ…

「スクリーン」はそれ程でもないけれども、パンフレットは悔やまれます。

パンフレットはどこかで買えたとしても、
自分が買ったものは、二度と手にすることは出来ないのです。
後悔先に立たず…(ノ_-。)

私が周期的に取り憑かれる「処分しなければ病」、
治療法は無いのかしら…?

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その後に買ったパンフレットの一部。
いつか「処分しなければ病」に襲われたとしても、
「eの付くアン」だけは死守したいわ。

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『もぎりよ今夜も有難う』

20110125
『もぎりよ今夜も有難う』 片桐はいり/著 株式会社キネマ旬報社

昨年放送のBS「週刊ブックレビュー」で紹介された時に、
是非とも読みたいと思い図書館へ行ったのですが、
思うことは皆さん同じらしく、大勢の先客が…

それではと、『わたしのマトカ』と『グアテマラの弟』を先に読んだのですが、
期待以上の面白さ、益々読みたくなって、辛抱強く待ちました。

『もぎりよ今夜も有難う』も他の二冊と同じように、著者の人柄が伝わってきて、
映画館の暗闇の中で、映画の世界に浸っていた時のように、
幸福な気分に包まれる本でした。

(読点の打ち方、擬音なども個性的で、
映画の題名をもじったタイトルもユニーク…)

映画好きの片桐はいりさんは、学生時代に、「銀座文化劇場」
(現「シネスイッチ銀座」)で、「もぎり」のアルバイトをされていたそうです。

「キネマ旬報」に3年半にわたって連載されていたものを、
加筆し単行本にした『もぎりよ今夜も有難う』には、
映画好きにとって共感出来るエピソードがユーモアたっぷりに綴られています。

特に、どこの街にも必ず映画館があった時代を知っている世代には…
(「もぎり」という言葉は若い世代には通じなくなっているとか…)

地方の映画館をたどる紀行文では、
“200メートルの両側に並ぶ七間町の映画館通り…”
と、私の地元の映画館通りについても書かれありました。
(200メートルの端から端まで、すべてが映画館ではないのですが…)

オリオン座、ピカデリー、ミラノ、有楽座、東宝、松竹…
「映画は映画館で観るもの」、その考えは今も変わらないのに、
最近は映画館の前を通ることさえなくなってしまいました。

<目次>↓

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「ハイチのマザーテレサ」~80歳・日本人女医の挑戦~

ETV特集「ハイチのマザーテレサ」~80歳・日本人女医の挑戦~
を一日遅れで見ました。

34年間にわたって、ハイチでハンセン病や結核の治療活動を行っている
医師の須藤昭子さんは現在83歳、カトリックの修道女でもある須藤さんは、
「ハイチのマザーテレサ」と呼ばれたいるそうです。

1年前の大地震で22万人が死亡、今も復興は進まず、
130万人が仮設テントで暮らし、衛生状態は最悪。
おまけに、10月にはハリケーンが直撃し、コレラが蔓延、感染者は14万人、
更に、選挙が発端となって暴動が起き、先の見えない世界最悪の国ハイチ…

本当にハイチが世界最悪なのかどうかは分かりませんが、
地震で崩壊した結核療養所の再建を目指し
日々奔走している須藤さんの姿に、賞賛の言葉が見つかりません。
これも信仰の成せる技なのでしょうか…?

それにしても、良き指導者が現れないからでしょうが、
ハイチに限らず、暴動を起こしているのはいつも男性ばかりのような気がします。
…エネルギーの使い方、間違ってませんか…?

ところで、須藤さんの右手薬指には金の指輪があり、
宗教に無知な私は、一瞬、我が目を疑ってしまいましたが、
きっと、「神との結婚」を意味するのでしょうね。

唯一の楽しみは、80歳を過ぎてから一から習ったパソコンでの、
日本の友達とのメール交換だそうです。

「腹の立つことは沢山あります」と言った須藤さん、人間ですから当然ですが、
天国のマザー・テレザさんにも、腹の立つことはあったのでしょうか…?

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『「赤毛のアン」の故郷(ふるさと)へ』

20110123 『「赤毛のアン」の故郷(ふるさと)へ』
~いま よみがえる「アンの世界」~
文・掛川恭子 写真・吉村和敏
講談社カルチャーブックス

『赤毛のアンの故郷へ』(求龍堂グラフィックス)の代わりに、
約20年前に買ったのがこの本。

文は、講談社刊「完訳・赤毛のアン」シリーズ(全10巻)の訳者の掛川恭子さん、
写真は、PEIを撮り続けているギルバート様こと(?)吉村和敏さんです。

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求龍堂グラフィックスに比べ、ガイドブック的なこちらはA5サイズと小さいため、
迫力には欠けますが、風景だけでなく、木や花々、パッチワークキルトの写真、
少しだけですが、アンシリーズに登場するお料理やお菓子なども載っているので、
時々眺めては、アンの世界に浸っています。

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ガングリオン

10年位前からなのか、20年位前からなのかは忘れましたが、
とにかく、ずいぶん昔から、私の左手首の外側には、
小さなガングリオンがあるのです。

ガングリオン、と言っても何のことか分からない人も多いでしょう。
(検索してみました。)

ガングリオン(ganglion 結節腫)とは、
「関節近くにある膜や粘液嚢胞に、ゼリー状の液体がたまる弾力性の良性腫瘍で、
悪性化することはない。欧米ではしばしば聖書ダコ(bible bump)と呼ばれる。
無症状だが、神経や腱を圧迫すると痛みを生じる。
若い女性の発症率が高く、男性の3倍と言われている。
発症メカニズムは現在も詳しくは分かっていない。…」

治療法としては、
「良性腫瘍であるため、治療せずとも消失することがあるが、
痛みがある場合は、注射器で粘液を吸引する。
再発を繰り返す場合には、簡単な手術による除去が行われることもある。
しかし、手術しても再発する可能性がある。
特に手関節や手指のガングリオンでは、注射器による吸引を繰り返し、
感覚障害や運動障害が増悪し、後遺障害を残すことも多い。…」

手首を使う人に多いと言われている。とも書いてありましたが、
私はそれ程使っているとは思えません。

画像検索すると、ビックリする程大きなガングリオンもありますが、
私のは直径7mm位、厚さ2mm程度と小さく、誰からも気付かれたことはありません。
でも恥ずかしいので写真は止めました。

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新装判『大草原の小さな家』~ローラのふるさとを訪ねて~

20110121 新装判『大草原の小さな家』~ローラのふるさとを訪ねて~
文/ウイリアム・アンダーソン
構成・訳・文/谷口由美子
写真/レスリー・A・ケリー 求龍堂グラフィックス

この『大草原の小さな家』も、何度も借りた求龍堂グラフィックスの一冊です。

ドラマ「大草原の小さな家」は「アボンリーへの道」と同じ位好きなドラマですが、
この本はドラマではなく、原作者のローラ・インガルス・ワイルダーの世界で、
(Laura Ingalls Wilder, 1867/2/7-1957/2/10)
ローラの家族や、大草原などの写真が沢山掲載されています。

『大きな森の小さな家』(Little House in the Big Woods)、
『農場の少年』(Farmer Boy) 、
『大草原の小さな家』(Little House on the Prairie)、
『プラム・クリークの土手で』(On the Banks of Plum Creek)。
『シルバー・レイクの岸辺で』(By the Shores of Silver Lake)、
(恩地三保子/訳、福音館書店)
も、ドラマと同じくらい感動したのに、5冊とも知人にあげてしまいました…(ノ_-。)

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(父さん)チャールズ・インガルス(1836-1902)           マイケル・ランドン(柴田侊彦)
(母さん)キャロライン(1839-1924)                  カレン・グラッスル(日色ともゑ)
メアリー(1865-1928)                    メ リッサ・スー・アンダーソン(石川弘美)
ローラ(1867-1957)            メリッサ・ギルバート(佐藤久理子・玉川紗己子)
キャリー(1870-1946)           リンゼイ&シドニー・グリーンブッシュ(冨永みーな)
グレイス(1877-1941)

(夫)アルマンゾ・ワイルダー(1857-1949)         ディーン・バトラー(古川登志夫)
(娘)ローズ・ワイルダー(1886-1968)

夫としても父親としても完璧なチャールズ、現実にはそうそういませんよ。
(マイケル・ランドン(1936-1991)の訃報を知った時はショックでした。)

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『赤毛のアンのカントリーノート』

20110120 『赤毛のアンのカントリーノート』
写真/和田 悟
構成・文/塩野 米松
求龍堂グラフィックス

「求龍堂グラフィックス」シリーズで一番借りてるのがこの本です。
もう何度借りたかも覚えていないくらい。
(買おうと思ったこともありますが、結構いいお値段で…)

プリンスエドワード島の美しい風景を眺めながら、
旅人の気分に浸ります。

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キャベンディッシュに行って、
アボンリーの風に吹かれたいわ…

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『サウンド・オブ・ミュージックの世界』~トラップ一家の歩んだ道~

20110119 『サウンド・オブ・ミュージックの世界』~トラップ一家の歩んだ道~
文/ウイリアム・T・アンダーソン 構成・訳・文/谷口由美子
写真/デイヴィッド・ウェイド
(求龍堂グラフィックス) 1995年発行

「サウンド・オブ・ミュージック」繋がりで、この本を借りてきました。
(しつこかったかしら…)

求龍堂グラフィックスシリーズには、「赤毛のアン」「大草原の小さな家」
「ピーターラビット」「若草物語」「不思議な国のアリス」「ピーターパン」等々、
色々ありますが、どれも美しい写真が満載でヒーリング効果抜群、
何度も同じ本を借りてきては、心の洗濯をしいます。

いつも写真にばかり目が行ってしまって、あまり文は読まない私、
でも今回は、隅々までしっかり読みました。

トラップ家の7人姉弟の母親で、ゲオルクの最初の妻のことから、
マリア・クチェラの幼少時代のこと、活動の記録、日常の様子、
映画やブロードウェイミュージカルのこと、一家のその後、
ヴァーモント州ストウの「トラップ・ファミリー・ロッジ」のガイドまで書かれてあり、
『サウンド・オブ・ミュージック』ファンにはお勧めの一冊です。

そして一家が、『菩提樹』や『サウンド・オブ・ミュージック』(舞台・映画)での
トラップ男爵(大佐)に不満だったことが理解出来ました。

たとえどんなに素晴らしく描かれていようといも、
身近な人にとっては違和感を覚えるものなのでしょうが、
特に、クリストファー・プラマーのトラップ大佐は、あまりに違い過ぎました。
(『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ屋敷は「フローンブルク城」。)

20110119b トラップ・ファミリー

ゲオルク・フォン・トラップ男爵 (1880~1947)
アガーテ・ホワイトヘッド (1890~1922)…最初の妻
マリア・アウグスタ・クチェラ (1905~1987)

<ゲオルク&アガーテ夫妻(1911年結婚)の子どもたち> 
長男 ルーペルト (1911~1992)
       1947年結婚(アンリエット・ラジョワ) 子ども6人、再婚(ジャニス・タイア)
長女 アガーテ (1913~)
次女 マリア (1914~)
次男 ヴェルナー (1915~)
       1948年結婚(エリカ・クランパウアー) 子ども6人
三女 ヘートヴィック (1917~1972)
四女 ヨハンナ (1919~1994)
       1948年結婚(エルンスト・ヴィンター) 子ども7人
五女 マルティナ (1921~1951)
       1949年結婚(ジャン・デュピル) 子ども1人

<ゲオルク&マリア夫妻(1927年11月26日結婚)の子どもたち>
六女 ローズマリー (1929~)
七女 エレオノーレ (1931~)
       1954年結婚(ヒュー・キャンベル) 子ども7人
三男 ヨハネス (1939~)
       1969年結婚(リン・ピーターソン) 子ども2人

フランツ・ヴァスナー神父 (1905~1992) 一家と行動を共にした神父

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1995年頃の姉弟の様子も紹介されています。

(マリア・フォン・トラップ(母)は、1976年に来日されていました。)

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「サウンド・オブ・ミュージック」~マリアが語る一家物語~

数年前、「サウンド・オブ・ミュージック ~マリアが語る一家物語~」(NHKBS)
というドキュメンタリーがありましたが、
当時92歳の次女マリア(1914~)さんが、家族の思い出を語っていました。

元修道女見習いだったマリア・クチェラ(1905~1987)がトラップ家に入った理由は、
病弱で学校が休みがちだった次女マリアさんの家庭教師としてでした。
(教師と生徒は、偶然同じ名前。)

“マリア先生は明るくて活発で、お話や歌が上手、本当の姉のように大好きでした。
でも私は父の再婚は反対でした。父には、私たちの母との愛があったから…”
とマリアさんは話していました。
当時12歳の少女だったのだから、そう感じて当然です。

「トラップ・ファミリー合唱団」解散後、次女マリアさんは伝道者として、
ニューギニアに渡って30年間社会活動を行い、結婚はしませんでした。
(七人の姉妹(六女と七女は、母マリアの娘)のうち四人は未婚です。)

アメリカ兵として戦争に行った兄ルーペルトと弟ヴェルナーについて、
“オーストリアと戦ったのではありません。ナチと戦ったのです”
と言い切ったマリアさんの毅然とした表情が忘れられません。

80歳を過ぎて始めて母親になったマリアさん。
向学心に燃える青年(ニューギニア出身?)を、養子に迎えたのです。

“…母は過去を振り返り、愚痴をこぼしたり、自分を可哀想と言ったりしません。
とても謙虚で、決して自慢したりすることもありません…”
養子が語ったこの言葉に、涙が出そうでした。

私も出来ることならそうありたい…。

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富士山ビュー

富士山は特別珍しくない私でも、
この時季の富士山には、心が洗われます。

“今日はきっと綺麗に見える…”
と思って、家のすぐ近くの歩道橋で写真を撮ってきました。
(これ、ズームですけどね…(^-^;)

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(拡大します。)

いつもチェックしている「県のライブカメラ」です。
(↓クリックしてみて…夜は真っ暗ですが…)
ライブカメラ富士山ビュー 

「清水港」「富士宮」「御殿場」からの、今の富士山が見られますよ。

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『続・菩提樹』

同じく、保存してあった『続・菩提樹』(5日放送)を観ました。

『菩提樹』は、ナチから逃れ愛する祖国オーストリアから脱出する所までが、
描かれていましたが、こちらは亡命先のアメリカ編なので、よりリアルでした。

美しいザルツブルグとは一変、摩天楼と人混みのアメリカの様子を見れば、
トラップファミリーにとって厳しい現実が待ち受けていることが、
否が応でも予想させられます。

アメリカで、「トラップ・ファミリー聖歌隊」が歌う聖歌が受ける筈もなく、
僅かな観客でさえ、途中で席を立ってしまうのです。

ヴァスナー神父には不本意でしたが、
名前も「トラップ・ファミリー合唱団」に変え、
フォスターや軽快な民謡などをレパートリーに加え、
次第に有名になっていきました。

「セックスアピールが無い」と英語で言われても、マリアには意味が分からず、
書店に調べにいく姿がいじらしかった。

このエピソードは、数年前、NHKBSのドキュメンタリーの中で、
当時92歳の、義母と同じ名前の次女マリアさんが、
「セクスアピールが無いと言われ、私たちは生まれて初めてお化粧したのよ」
と、言ってました。

明るく行動的で決断力のある母マリアが一家のリーダー、
祖国オーストリアに似たバーモントを安住の地に決めたのもマリアでした。

苦悩の連続の大家族も、マリアが肝っ玉母さんだったからこそ、
最終的に成功を収めたのでしょうね。
(バーモンド洲の美しい景色を見たら、ターシャ・テューダーが浮かびました。)

ところで、マリア役“交代?”と思って観ていたのですが、
同じ女優さんでした。

髪型だけでなく、体型も二年間でオバサン化…
でも、実際のマリアさんも性格だけでなく、外見も相当逞しい人、
きっと役作りだったのでしょうね。

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『菩提樹』

録画しておいた『菩提樹』(Die Trapp-Familie 1956年)を見ました。
原作はマリア・フォン・トラップの自伝「トラップ・ファミリー合唱団物語」で、
『サウンド・オブ・ミュージック』以前に映画化された西ドイツの作品です。

『菩提樹』は、一家がアメリカへ亡命するまでが描かれていますが、
ミュージカルの『サウンド・オブ・ミュージック』より現実的なのは想像通り。

マリア役の女優さん(ルート・ロイヴェリク)はとても美しく、
親しみやすいジュリー・アンドリュースに負けず劣らず魅力的でしたが、
(でも私はジュリー・アンドリュースのほうが好み。)
トラップ男爵は優しそうではありましたが、その分、貫禄に欠け、
私は、クリストファー・プラマーのトラップ大佐の方に軍配を上げたいです。

「ドレミの歌」「エーデルワイス」が聴けない代わりに、
賛美歌やシューベルトなどの美しい歌声も聴けましたが、
童謡の「ちょうちょ」も歌っていてビックリ…

「ちょうちょ」は、明治初期の唱歌とは知りつつも、
今まで深く考えたことも無かったのですが、
明治初期には、日本生まれの唱歌は無かったと、納得しました。

どこかの国とを「パクリだ!」と目くじらを立てたりしても、
日本だって、明治時代どころか、少し前まではやっていたのですから。

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目覚まし時計

元々朝は弱い私でしたが、
年と共に益々起きられなくなってしまいました。

こうなったら、目覚まし時計に頼るしかないと、
近くのお店まで行ってきました。

30~40位の種類の中から一目で決まった時計は、
見本だけで在庫が無い…

予約注文すれば来週には買えるとのことでしたが、
再度出掛けるのも面倒なので、
「これじゃ駄目でしょうか?」と聞けば、(どこかで聞いたような台詞…笑)
「そちらでよければどうぞ」との返事。

代金を支払おうと、紙幣を差し出すと、
応対してくれた販売員の男性(40歳前後?)は、
「○○円からお預かりしてよろしかったでしょうか?」と言いました。

私は平静を装って、「はい…」とだけ答えましたが、
内心は可笑しくて。
最近は何でも略すのに、丁寧過ぎますよ。
丁寧と言うより、何かヘン…
「○○円お預かりします」でいいのにね。

もし私が機転が利く人間なら、
「よろしかったですよ」と笑わせたのに、惜しかったわ。

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よく年を取ると目覚めが早いと言いますが、根拠があるのかしら?
それとも、私や私の周りの人たちが例外なの?

目覚まし時計で起きられなかったら、どうしましょう。

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高速料金の不払いで「終身刑」…

携帯電話、テレビ、洗濯機、自動車、椅子、便座、
その他の色んな物が爆発したり、自国の粉ミルクが信用できなかったり、
15階建てビルが、たった6日間で完成したり、
転んだ老人は助けてはいけなかったりと、
日本では有り得ない中国のニュースには慣れてしまった筈なのに、
「高速料金の不払いで「終身刑」…」のニュースにはビックリしました。

記事には、
「…所有するトラックを、武装警察所有の車両と偽り、
約8カ月にわたって高速料金の支払いを不当に免れていた被告に詐欺罪を適用、
無期懲役を言い渡した…」
「…罰金200万元(約796万円)、政治上の権利はく奪、
違法所得によって得た財産すべての追徴…」などと書かれてありました。

これだけでも充分驚きますが、それ以上に驚いたのは、
約8ヶ月間で、「約368万元(約4600万円)」という高速料金です。

距離のことは書かれていませんでしたが、
それにしても高すぎませんか?

ところで、タイトルには「終身刑」、記事には「無期懲役」、
どちらが本当なのでしょう?

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朝鮮の一家

姜尚中さんの本を読んでいたら、ある一家のことが浮かびました。

私が小さかった頃、近所に朝鮮の一家が住んでいました。

私には、一家の家族構成は詳しく知りませんが、
姉弟が多くて、少なくとも5人はいたと思います。

長女は結婚していて、私より年下の子どもが数人、
末弟は、私より5歳位年上でした。

日本名を使っていて、知らなければ日本人そのものでしたが、
親世代には訛りがあり、特に、主の妻は日本語がほとんど話せず、
いつも白っぽいチマチョゴリ姿でした。

私の家の近所にルーテル教会があって、
外国人の宣教師一家のとこは、アメリカ人と言っていましたが、
(実際にアメリカ人だったのかは分かりませんが。)
朝鮮の一家とは、近所の誰もが固有名詞で呼び合い、
差別もなく、普通に近所付き合いをしていたと思います。

とは言っても、幼かった私には、本当のところは分かる筈ありませんが、
たとえ近所とは上手くいっていたとしても、
職業選択上での差別は当然あったと思われます。

当時多分50歳前後だった世帯主は、長身で二枚目の素敵な紳士で、
私の母も「優しいおじさんだった」と言っていましたが、
仕事は日本人がやりたがらないような仕事をやるしか無かったらしく、
勉強が出来たという子ども達も、みな中卒で働いていたようでした。

一時期、長女が「駄菓子屋」をやっていて、
近所の子ども達の社交の場となっていましたが、
大した儲けも無かったのでしょう、じき別の商売を始め、
それもすぐやめていまい、そのうちに引っ越ししてしまいました。

男性たちは長身で、女性たちは切れ長で美白だったあの一家、
あの朝鮮の人たちは、今も日本にいるのか気に掛かります。

(当時「韓国」という認識がなかったので、本当の国籍は分かりません。)

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『在日』

20110111
『在日』 姜尚中/著 講談社

半年くらい前から、
姜尚中(カンサンジュン)さんの『母(オモニ)』(集英社)を読みたいと思い、
図書館のHPを覗いているのですが、いつも150人くらいの予約があるのです。
(ちなみに13冊)

以前の私は「買って読む派」でしたが、物を減らしたい今は「借りて読む派」、
予約すればいつかは読めるのに、短気で出来ないのです。

政治学者の姜尚中さんですが、
2009年4月から「日曜美術館」に出演されています。
知的でダンディー、低音の美声が素敵ですが、
ボリュームを上げないと聞こえない…
でも、そこがまた寡黙な人らしくて魅力的なのですが。

それは兎も角、当分の間、『母(オモニ)』が借りられそうにないので、
代わり(?)に『在日』を借りてきました。

通名の永野鉄男から姜尚中になった時のエピソードは、
読む私も辛かったです。

今の若い世代の人たちは知らなくて当然ですが、
好むと好まざるにかかわらず「通名」を使わなければならないほど、
かつての在日コリアンは、日本人から差別と迫害を受けていたのです。

祖国と故郷が一致しないというアイデンティティを確立できない心理は、
当事者でなければ理解出来ないものだと思います。

「日本名だったのだから差別は無かった筈」と決め付け、
マイノリティーの意見を「反日だ」と言って誹謗中傷する一部の人たち。

あまりに短絡的で、幼稚さを曝しているようなもの、
同じ日本人として情けなくなります。

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cool japan 体型~Figure~

1月8日のテーマは「体型」でした。

外国人に比べたら充分スレンダーなのに、
いつもダイエットを心掛けている日本人。

500種類以上もあるという「ダイエット本」にしても、
カロリーや糖質ゼロの飲料やスイーツにしても、
補正ではなく、穿くだけで体型が変わるワコールの機能性下着や、
断食目的のホテルなど、いかにも日本らしです。

「ダイエット本」「(カロリー)ゼロ系食品」「機能性下着」「ホテル断食」の中から、
選ばれたベストオブクールは、「機能性下着」でした。

ところで、
体型や健康のためにダイエットをすることは良いけれども、
スリムで、ファッションやメイクなど外見に気を配っているのに、
洗練された女性に見えない人が多いのは何故…

多分、歩き方や立ち姿に注意を払っていないからじゃないかしら?
美人で、プロポーション抜群で、服装も素敵なのに、
姿勢が悪く、腰掛ける時は膝が開き、立ち止まっている時は「O脚」、
ハイヒールを履いている日本人のほとんどが、膝を曲げて歩いている。

健康のためのダイエットは別として、見た目のためならば、
動作にも気を付けた方がいいと思います。

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『姜尚中の青春読書ノート』

20110108
『姜尚中の青春読書ノート』 姜尚中/著 朝日新聞出版

『姜尚中の青春読書ノート』は、
カルチャーセンターでの連続講義を基に加筆された本なので、
とても読みやすかったです。

ですが、読書ノートと言っても、
いわゆる読書のためのガイド本ではありません。

カンサンジュンさんの若き日の軌跡が、愛読書と共に綴られていましたが、
在日コリアン二世としての苦悩や葛藤が伝わりました。

同世代の私も、それなりに悩み苦しみましたが、
著者に比べてあまりに暢気だった自分が恥ずかしくなりました。

モーム、漱石、芥川、太宰、百三、安吾などは私も読みましたが、
『悪の華』は読みませんでした。

「タイトルに惹かれて」と言うカンサンジュンさんですが、
私は逆に避けてしまった…ランボーや中也には惹かれましたが…。

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『韓国人は好きですか?』

20110107 『韓国人は好きですか?』 パク・チョンヒョン/著
講談社+α新書
<著者紹介>
1969年、韓国慶尚北道・義興生まれ。法政大学経済学部教授。

面白そう!…と思って借りてきました。
でも、それ程でもなかった。意外性ゼロだったから。

いくら日本暮らしが長くて日本が好きでも、
韓国人の著者が韓国の文化を肯定するのは仕方ないことです。

これは民族主義とか反日教育などとは違うと思います。
著者に限らず、故郷から離れて暮らす人なら誰でも、
故郷が恋しく、文化も食べ物も懐かしく思うでしょう。

韓国(外国)で暮らす日本人も、やっぱり同じで、
同じ国内であっても、故郷を贔屓にしたくなるものだから。

日本人と違って、韓国人の会話は本音のようです。
ストレスは溜まらないとは思いますが、気の弱いタイプにはどうかしら?

それに、日本では一応ルールは守られていて、
相手の傷付くことも言わないようにしますが(例外はいます)、
韓国ではルールも臨機応変で、冗談は相手をけなすこと、
言われた方も根に持たないとしたら見上げもの…私なら傷付きますが。

文化の違いと言えば、お礼の仕方も違いました。
日本人ならその時だけでなく、次に会った時も、
「このあいだはありがとうございました」とか「美味しかったわ」などと
お礼を言う人が多いですが(言わない人もいますが)
韓国では、お礼はその時だけで、翌日に会ったとしても言わないし、
紹介状を書いてあげても、その後のお礼(報告)も無いそうです。
(頭を下げたくないから?)

頭を下げたくないと言えば、待ち合わせ時間に遅れても、謝ることはせず、
開口一番「こんな場所を指定したあなたのせいで遅れた」と怒る…
(謝り過ぎる日本人は卑屈?)

友人知人を呼び捨てで呼ぶのが韓国風なのかどうかは分かりませんが、
「タナカ」「サトウ」などと片仮名表記にしていたは何故なのでしょう?

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「千絵の海」

録画してあった、
「北斎 幻の海 ~パリで発見!伝説の傑作“千絵の海”完全復刻~」
を見ました。

葛飾北斎の幻の傑作「千絵の海」(全10図)は、
関東周辺の漁をテーマにしたシリーズですが、
国内での現存が僅かで、完全版は一組も無いことから、
「試し擦りで放棄された作品」というのが、これまでの定説だったそうです。

その「千絵の海」の完全セット(折本仕立ての画帳)が、
フランス国立図書館で保存されていたことが確認され、
それが初摺りではなく、数多く摺られていたらしいことも分かったのでした。
(フランスの民俗学者オーギュスト・ルスエフの遺族が20世紀初頭に寄贈。)

そして、大勢の絵師、彫り師、摺り師によって、
「千絵の海」の完全復刻が完成されました。

「日本の伝統工芸を外国の人たちに認めて頂いているということは、
我々にとっても嬉しいことで、やり甲斐が出てきます」
(東京伝統木版画工芸協同組合理事長の本田正明さん)

全く同感です。
ボストン美術館の日本コレクションもそうですが、
海外へ渡って保存されていたからこそ、存在しているわけですから、
感謝こそすれ、どこかの国の人たちのように、
「我が国の文化財を返せ」という発想は起きる筈ありません。

ところで衝撃的だったのは、
北斎独特の波の表現は、独自の表現法では無かった(?)ことです。

房総半島にある「伊縄寺」の欄間彫刻に、
「神奈川沖浪裏」の大波と酷似する「波」があったのです。

その寺の天井絵を描いたのが北斎の師であり、
また、北斎が房総を旅した記録も残されていることから、
「波の伊八」と呼ばれた欄間彫刻師が彫ったその欄間彫刻を、
北斎が見た可能性は大きい…

何だか「種明かし」を見てしまったようでもありましたが、
「偉大な先人へのオマージュ」のナレーションには、納得出来ました。

20110106

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『日本人のように不作法なモンゴル人』

20110105 『日本人のように不作法なモンゴル人』(2005)
ザンバ・バトジャルカル/著
大東 亮/訳
万葉舎

大晦日から元日で読んだ『日本人のように不作法なモンゴル人』は、
面白そうな題だったので借りたのですが、期待通りでした。

著者は駐日モンゴル大使のザンバ・バトジャルカルさんで、
立場上なのか、モンゴルの紹介に多くの紙面を割いていました。
(現在も大使なのかは分かりません。)

歴史、文化、政治、産業、民族、教育、
また、専門が気象や環境問題なので、そちらも詳しく書かれていましたが、
モンゴルと日本の政治や風土や文化の違いは想像以上で、
それぞれの国民性の違いや共通点なども、興味深かったです。

諸外国の人には、日本人、韓国人、中国人の区別が付かないと聞きますが、
同じモンゴロイドのモンゴル人もよく似ていて、
著者も「外国にいる気がしない。日本人と間違われる」と書いていました。
(私はブータン人が一番似ていると思う。)

ところで、目次を見た時、“えっ、そんな!”と思いましたが、
日本や日本人に対しての否定的な箇所はありませんでした。
立場上かもしれませんが…

タイトルの『日本人のように不作法なモンゴル人』にしても、
著者がウランバートルのレストランで食事していた時に、
近くにいた外国人(欧米人?)が言っていた言葉なのです。
「モンゴル人は日本人みたいにハシタナイ」…

麺類を音をたててすする日本人も、
熱い汁料理を音を立ててすするモンゴル人も不作法だ。
と言うことらしい…

民族の価値観や風習の違いを例に挙げ、
日本もモンゴルも、決して野蛮な民族ではないと結論付けていました。

ただ、日本人が外国で、追突された時「すみません」と言ったばかりに、
加害者にされてしまったことから、
自分を卑下したり謙遜したりするのが日本人の美徳でも、
自分の立場を不利にさせるだけなので、
海外においては、自己主張は必要と述べていました。

モンゴルと言うと、大草原を少年が裸馬で疾走する雄大なイメージで、
ゲルや馬頭琴、モンゴル相撲、蒙古斑も…
最近では、朝青龍や白鵬などのモンゴル出身の力士たちでしょうか。

それに、昔、習ったチンギス・ハーンや蒙古襲来も思い浮かびますが、
来日の際、著者が懸念したことの一つが「蒙古襲来」だったとか…

それを教訓にし、記念碑もあって驚いたそうです。
そんな何百年も昔のことを恨んでいる日本人はいません。
と私は思いますが…

<著者紹介>
ザンバ・バトジャルガル(Zamba BATJARGAL)
1945年 モンゴル国オブス生まれ。
ソビエト連邦レニングラード(サンクトペテルブルグ)気象大学・大学院卒業、理学博士。1990-1996年 自然環境大臣。
1992-2000年 世界気象機関(WMO)アジア地域部副代表・代表。
2000年 国連砂漠化対処条約(UNCCD)締結国会議議長。
2001年10月より駐日モンゴル国大使。
気象・環境問題の研究と行政での功績により、モンゴル国の最高勲章である
「赤旗勲章」と「北極星勲章」を受賞。

<目次>↓

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木曽路の旅…(2)

夜、灯りを消し布団に入って取り留めのない話をしていると、
「お隣さん…」の声が…

襖の向こうに誰かが居た事を知らなかった私たちはビックリ仰天。
襖越しにどんな会話を交わしたか覚えていませんが、
その人が、子ども達に“童話や民話の読み聞かせをしている”
ということだけは覚えています。
(当時、Kさんは保母、Kさんの妹は幼稚園教諭だった。)

その夜は襖越しに言葉を交わし、
翌朝も顔を合わせることはありませんでした。

翌日は、木曽川の分水嶺、鳥居峠越え…
野鳥や小動物だけの足跡の雪道、
輪かんじきの無い足に、腿までのラッセルはきつかったかれど、
幻想的な世界に浸っていました。

妻後、馬籠、木曽福島、上松、開田村…
木曽路へは何度も訪れましたが、あの時の薮原の旅籠は忘れられません。

あれから長い時間が過ぎ去りましたが、
薮原宿の旅籠「こめや」さんは、きっと今も続いていることでしょう。

でも、友と思い出を分かち合うことは出来ません。
17年前、一人で先に旅立ってしまったから…。

20110104a 20110104b 20110104c 20110104d
<塗櫛と本つげのお六櫛>木曽ぬりもの「宮川漆器店」
箱の裏には、1974、1、3 の日付が。

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木曽路の旅…(1)

ある年のお正月…

待ち合わせの駅のホームには、友達のKさんと、
数メートル離れた所にはKさんの妹さんの姿が…

Kさん「妹も行きたいと言うんだけど…」
私  「いいに決まってるでしょ」
Kさん「でも悪いから離れてるって」
私  「気にしなくてもいいのに」

律儀にも、新幹線、中央線と一人旅を通していたKさんの妹さんも、
いつしか三人旅に…

前々から憧れていた旅籠「越後屋」さんに泊まりたいと奈良井で降り宿まで行くと、
お正月は営業しないことが判明。
仕方なく、その晩は奈良井の普通の旅館に宿泊しました。

翌日、ガイドブックで見つけたのは薮原の旅籠「米屋」さん。
いつもはお正月は営業しないけれども、
大学生の息子が帰郷しないので、泊めてくれるとのことでした。

薮原駅に到着し教えられた道を行くと、
しばらくして風情のある佇まいの家並みが見え出しました。

お納戸色の作務衣を纏った上品な初老の御主人が出迎えていました。
年季の入った「米屋與左衛門」の看板がありました。

通されたのは見たことの無いような見事な欄間のある、
私たちにはもったいない程の部屋…

私たちの宿帳を見た御主人は、
毎年送られてくる「鞠子の会」からの年賀状を見せてくれました。

また、古文書としても価値がありそうな、
明治の文士の名が書き記された古い宿帳も見せてくれました。

夕食は旅籠らしい地元の伝統的なメニューに加え、
トンカツやサラダなどの若者好みな家庭料理もあって…

…つづく…

20110103 木曽路奈良井宿
「上問屋資料館」
中山道薮原宿
木曽代官帯刀医師「宮川家資料館」

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「色と生きる」

「色と生きる」、録画予約して見ました。

40年位前、機織りに興味があって染織の本を読んでいたので、
人間国宝の染織家・志村ふくみさん(86歳)のことは昔から知っていました。

祖母の家に織機があったことから、幼い頃から織物に憧れていた私は、
母から反対され諦めてしまいました。

志村ふくみさんも織物を志そうとした時、周囲から猛反対されたそうですが、
反対されればされるほど、織物に対する思いが募ったそうです。

草木で染められる色は化学染料とは違い、同じ色は二度と出ないそうです。
自然から生み出された色はどれも曖昧で繊細で美しい。
まるで、優しくて意思の強い大和撫子志村ふくみさんのようでした。

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新しい年!

 あけまして
   おめでとうございます 

2011年になりましたね。
風もなく、穏やかで暖かな元日です。

昨夜はテレビを見ないで、遅くまで読書。
『日本人のように不作法なモンゴル人』という本、
面白くて、年が明けたのも気づかず読んでしまいました。

2010年最後にしたのは読書…
2011年最初にしたのも読書…

今年は柴田トヨさんを見習って、
何事にも「くじけないで」、明るく前向きに過ごしたいと思っています。

今年もどうぞよろしくお願いします。
                2011年1月1日  Michi 

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