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『輪廻の暦』

20101217
『輪廻の暦』 萩原葉子/著 新潮社

萩原葉子さんの自伝小説の三冊目『輪廻の暦』を読みました。

離婚が成立した嫩(ふたば)は、一人息子と、施設に入れられていた知能障害の妹、
また自分達を捨てた母を捜して引き取り、4人の生活をスタートさせる一方で、
岸上太郎(山岸外史?)の勧めで、同人誌「若い花」(「青い花」?)に、
父の思い出を書きE賞((日本エッセイスト賞?))を受賞して文筆家になりますが、
母の我が儘と認知症に苦しめられます。

『蕁麻の家』は一人称で書かれているのに客観的でしたが、
『閉ざされた庭』と『輪廻の暦』は、一人称では無いにも関わらず、
日記のような書き方で、同じ人が書いたとは思えませんでした。

まるで、30数年前に『婦人公論』の定期購読をやめた理由である、
「読者投稿」のように通俗的で、期待外れでした。

『蕁麻の家』については、
「これだけは書かないと死ねない。遺言のつもりで書いた」とありました。

その気持ちは理解出来ますが、
『蕁麻の家』だけに留めておけば良かったのに、と思わずにはいられません。

たとえ事実だったとしても、反論したくても出来ない故人のことを、
ここまで酷く書くのは如何なものでしょう?
もし、故人の関係者が反論したとしても、
「これはフィクション名前も違う」と言うのでしょうが、
なんだか愚痴を繰り返すタイプに思えて、いささかウンザリしてしまいました。

「過去の栄光や武勇伝を自慢したがる男」、
「悲劇のヒロインぶりを言いたい女」…どちらも頂けません。

また些細なことですが、
複数の編集者によって編集会議が開かれ、句読点さえチェックされるそうなのに、
結婚して最初に暮らした「木馬館」の部屋が、
『閉ざされた庭』では「六畳一間」、『輪廻の暦』では「四畳半一間だった」…

あくまで私小説なので、事実と違っていても構わないにしても、
統一されていてこそ、真実味も説得力もあるというものでしょう。

文中多くの作家たちの名前が登場します。
例えば、三善琢治(三好達治)、室尾燦星(室生犀星)、早乙女一郎(佐藤惣之助)、
岸上太郎(山岸外史)、森舞子(森茉莉)、上野千代(宇野千代)等々、
これも亡き父(萩原朔太郎)の恩恵でしょうか…

他に、森巌(森鴎外)、芥田川(芥川龍之介)、太宰修(太宰治)、
佐野稲子(佐多稲子)、寺尾修(寺山修司)などの名前も…。

20101217b 萩原葉子さんの自伝小説(いずれも新潮社版)
(右)『蕁麻の家』
(中)『閉ざされた庭』
(左)『輪廻の暦』

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