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2010年12月

「99歳の詩人」

2010年最後の日、ある人から優しさと勇気を貰うことが出来ました。
私の見るテレビ番組は限られていて、交友関係もごくわずかなので、
今まで知らなかったのですが、「99歳の詩人 心を救う言葉」という番組で、
現在99歳の詩人、柴田トヨさんを知ったのです。

息子さんの薦めで、90歳を過ぎてから詩作を始めたとのことですが、
紹介された詩(15前後)は、どれも優しさが溢れていて、
八木重吉や矢沢宰の詩を思い出してしまいました。

柴田トヨさんの詩集「くじけないで」、是非読みたいです。

「貯金」 
私ね
人から
やさしさを貰ったら
心に貯金をしておくの
さびしくなった時は
それを引き出して
元気になる
あなたも 今から
積んでおきなさい
年金より
いいわよ

先生に」
私をおばあちゃん
と呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんな
バカな質問も
しないでほしい
「柴田さん
西条八十の詩は
好きですか?
小泉内閣を
どう思います?」
こんな質問なら
うれしいわ

「先生に」は、私が一番印象に残った詩です。同感です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

2010年も、あと僅か…
今年も、ブログを始めていなければ出会うこともなかった方々から、
温かなコメントを頂きました。
また、コメントは無くても、毎日必ず訪れてくれる方々の存在にも励まされ、
充実した一年を過ごすことが出来ましたことを心から感謝しています。
どうもありがとうございました。そして来年も忘れないでね。

みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。

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フレンチスリーブのブラウス

ブラウスを作ろうと裁ったまではよかったけれども、
あまりの猛暑に気力も失せ、そのままになっていましたが、
年を越したくないと取り出しました。
(暑さに負けて縫えなかったのに…)

襟ぐり袖ぐりは簡単にと、共布のバイアステープで縁取りにしましたが、
以前は得意だった落としミシンが、視力の低下で仕上がりが納得出来ない、
見返しの方が良かったかも。後悔先に立たず。

しかもボタンホールの途中で、ミシンの調子が悪くなり、
「かま」を分解し「かま」「送り歯」などのお掃除をして、
油を差し、針を取り替え、試し縫いなどしていたら、夕方になってしまった…
泣きっ面に蜂。

結局ボタンホール二つ分残した状態で、来年になるかもしれません。
どっちみち着るのは来年、この世に居たらの話ですが…

20101230a 20101230b 20101230c 20101230d
(古い型紙を利用)

20101230g 20101230e 20101230f
(左) ストックの中から選んだボタン。
(中) ミシンの付属品の「ボタンホール押え」がありますが、
    昔からこの「ボタン穴かがり」を使っています。
(右) 「ネムリ穴かがり」と「ハトメ穴かがり」が簡単に縫えます。


   

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処分

最近、「しまいじたく(終い支度)」という言葉を耳にします。

わたしの歳で「しまいじたく」は少々早いかもしれませんが、
この頃、処分するものを物色しています。

いえ、昔から捨てる物をいつも探している感じです。

メメントモリという言葉はまだ知らなかった中学生の頃から、
「いつ死ぬか分からないから」と、気にしていました。
(自殺願望があったわけではありませんが…)

急にこの世から消えた時、誰かに日記などを見られたくないし、
引き出しの中も気になって…

でも歳のせいなか、最近は昔のように捨てられなくなりました。
本当は年を取ったら尚のこと処分すべきなのに…

20101229a 20101229b
このパソコンも処分しなければ、と思いながらも見て見ぬふり…
これは私が昔使っていたものですが、
バッテリーを交換すれば使えるかもしれない…
(マウスよりタッチパッドの方が使いやすくて私は好き。)

我が家で現在使用しているパソコンは3台ですが、
使っていないのも3台あって、これはその一つ…

さすがに、CRTモニタ時代の昔のPCは順次処分してきましたが、
修理すれば使えそうだと、なかなか捨てられないものです。

でも処分します。
これも「しまいじたく」だから…

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『砂場の街のガリバー』

20101228 『砂場の街のガリバー』
~父のいない光景~
萩原朔美/著
フレーベル館

まだ『蕁麻の家』を引きずっていて、
『砂場の街のガリバー』を借りてきてしまいました。
でも、多分これが最後…

『砂場の街のガリバー』には、萩原朔美さんの幼少期の思い出から、
再会した父親の最期までが、綴られていましたが、
著者の半生に興味があって借りてきたのではありません。

彼の父親(萩原葉子さんの元夫)の大塚正雄さんに、
興味があったのです。

読んでみたら、『閉ざされた庭』の古賀和夫とはイメージが結び付かず、
まったく、別人のような印象を受けました。
人は変わるものではありますが…

「私小説」を完全なフィクションとして読むことが出来なくて、
つい、登場人物がモデルの分身と思いがちでしたが、
この本を読んで、ようやく目が覚めました。
遅すぎますね。

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「大阪“非常事態”宣言~生活保護・受給者激増の波紋~」

ETV特集「大阪“非常事態”宣言~生活保護・受給者激増の波紋~」
を見ました。

大阪市は生活保護の受給者が最も多いとは聞いていましたが、
市民の20人に1人(4人に1人の区も)という数には驚きました。

大阪市で、今年9月の受給者数14万6000人、生活保護費毎月約200億円、
(40代の単身者で月額平均123,610円、寝具など生活必需品も公費から支払われる)
市税収の半分に相当する額だそうです。

生活保護から何とか抜け出そうと懸命に努力している受給者がいる一方で、
自立の意欲さえ無い人たちがいるのも現実。

病気を抱えた高齢者に働く場所などあるとは思えませんが、
20代~40代の人も多いとか。

それ以上に問題なのは「貧困ビジネス」の存在。
大阪の不動産業者が全国の路上生活者を集め、
大阪に連れて行き、生活保護を受けさせ、アパートに住まわせ、
家賃収入を得るというもの。

また、生活保護受給者は医業費の自己負担が無いことを悪用し、
診療を行う医療機関の存在。

病気とはいえない受給者に通院させ、大量の薬を投与しているという。

患者の殆どが生活保護受給者の医療機関が34箇所もあるとか。
不動産業者と病院、寝具店、家具店などの業者はいわゆる「ぐる」。

これは「ビジネス」なんかじゃない。
法の盲点をついた合法的な犯罪です。
市側の対応にしても、手緩くて「お役所仕事」としか思えない。

この半年で就職し、生活保護から抜け出せた人は28人、
新たに受給者となった人は13万人以上…

“大阪市へ行けば生活保護が受けられる”
と増え続けているようです。
(そういえば以前、生活保護目的に来日していた中国人が居ましたが…)

1950年に施行された生活保護法は破綻しているのに、
未だに見直しがされていないのです。

年金や最低賃金で働いた場合の賃金より高額というのは、
どう考えても不合理、働く意欲が無くなっても仕方ないでしょう。

この番組によって、受給者が更に増えるような気がしました。

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昔のやぐらごたつ

今年の夏は記録的な猛暑で、短い秋が過ぎ、「小春」が過ぎ、
12月になっても、「小春日和」のような温かい日が続いていました。

“このまま暖かだったらいいのに~”と思っていましたが、
やっぱり、“きっぱりと冬が来た”のでした。

とこころで、
幼稚園の頃か、もっと幼かったのかは覚えていませんが、
今日のように寒い日になると、母がどこからか「こたつ」を出してくれました。
それがとても嬉しかった…

一辺が40cm位の立方体で(30cm位だったかも)、
一箇所、開閉出来る扉があって、
中に木炭(豆炭?練炭?)を入れるようになっていましたが、
構造上、足を伸ばすことは出来ないのです。

専用のこたつ布団はあったのでしょうが、板は無かったです。
(食事出来るサイズではないので)
それとも、こたつ板が無かったのは、うちだけだったのでしょうか…?

20101226a

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クリスマス当日

「クリスマスは12月25日なのに、イヴに大騒ぎして、当日はひっそりしているのは何故?」
という疑問がありました。

脳天気な私は、「12時に25日になるからじゃないの?」
「昼間は仕事だからじゃないの?」と思っていましたが、
Wikipediaによれば、
…ユダヤ暦およびそれを継承する教会暦では、日没をもって日付の変り目とする。
このため伝統的教会では、クリスマス・イヴの日没からクリスマスを起算する。
このような教会では、「クリスマス・イヴ」は既にクリスマスに含まれている。…

「イヴ」は前夜祭ではなく、「evening」、
クリスマス(降誕祭)は24日の日没から25日の日没まで、ということでした。

日本でのクリスマスはバレンタインデー同様、宗教に関係なく年中行事の一つで、
経済効果目的のイベントとして踊らされている人が殆どですが、
この現象をキリスト教徒たちはどう見ているのでしょうか。

子どもの頃、近所のルーテル教会の日曜学校で
「東方の三人の賢者が、流れ星(ベツレヘムの星)に導かれエルサレムに辿り着き、
救世主の誕生を知った…」と聞いたような気がします。

「ベツレヘムの星」はハレー彗星だったのでは?とか、その他諸説あるようですが、
イエス・キリストの誕生日についても諸説あって、分かっていないらしいです。

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Happy Christmas, Miss King

20101224 『Happy Christmas, Miss King』(約90分)

「アボンリーへの道」の姉妹編の「Happy Christmas, Miss King」(98)、
何年前かは忘れましたが、どうしても見たかったので、
字幕無しを承知で買いましたが、期待外れでした。

セットは残してなかったのでしょうね。町の雰囲気が違うのです。
ローズコテージのリビングも、キング家のリビングも、
教会も、学校も、雑貨店も、駅も、メインストリートも…

ダニエルとモンゴメリーも“イメージが違う!”で、
映像や衣装も使い回しの多くて…

それより何より、一番残念だったのは、
ガスが出演していなかったことなのですよね…。

噂によれば、マイケル・マホーネン(ガス)は出演する予定で、
セシリーがやっていた通信の仕事がガスの役だったらしいのですが、
何らかの理由で、出演を取り止めたようなのです。

第一次世界大戦中なので、第1シリーズの頃と比べて衣装も地味でしたが、
女性たちの帽子やコートのデザインは相変わらず素敵でした。

20101224b 20101224c

肝心の内容ですが、チンプンカンプン。

ストーリーはこんな感じ…??
 (画像も見てね。

続きを読む "Happy Christmas, Miss King"

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『死んだら何を書いてもいいわ』

20101223 『死んだら何を書いてもいいわ』
~母・萩原葉子との百八十六日~
萩原朔美/著
新潮社

中学生から別々に暮らしてきた母と息子。
不調を訴え同居して186日、入院して僅か二日目の2005年7月5日に、
母は永久の眠りにつきました。

萩原朔美さんが、『砂場の街のガリバー ~父のいない風景~』で父を書いたとき、
あとがきに、「次は『母 萩原葉子』という本を書く」と冗談のように記したところ、
「よしてよ、死んでからにして」と母は言ったそうです。

でも息子は書いてしまった…それから13年後、
母について二冊目となった『死んだら何を書いてもいいわ』は、
鎮魂の書なのでしょうか。

息子が綴る萩原葉子さんは、自らが綴る自画像とは違いました。
息子の名前に、父親は自分の名(大塚正雄)の一字の「正」を入れたかったのに、
母親は父(朔太郎)の一字を付けてしまったのです。

昭和26年に建てた梅ヶ丘の家は当時としたはモダンな洋風の家、
垣根は白い木の柵でバラをはわせてあって、玄関は家の中央、
和室は一間だけで、
応接間も、子ども部屋もフローリングで、オープンキッチンでした。

その家は、通訳と翻訳をしていた朔美さんの父・大塚正雄さんの設計でしたが、
妻が離婚を一方的に進め、夫を追い出す結果となったのです。

家族への関心を無くし執筆に集中した父・萩原朔太郎…
娘の葉子さんと若さを張り合い若い男性が好きだったという母…

あんなに批判していたのに、やはりDNAなのでしょうか。
家族と完全に別居して作家を続け、
異常に若さにこだわり、息子の配偶者にも孫にも「ようこさん」と呼ばせ、
自分は若く見えると信じ、息子の年齢に近い男性と交際していたこともあった…

『死んだら何を書いてもいいわ』の方こそ、
タイトルが『輪廻の暦』に相応しいと感じました。

亡くなる約10年前の平成6年6月6日、
母から渡された一枚のメモ。

朔美へ
(葉子の希い)
葬式なし
戒名不要
花、
香典不要
ベッドの下の棚の上の金庫に、三井生命入ってる。くらしの友へ連絡。

と書いてあったそうです。
まったく私と同じ。私もそうしたいのです。

萩原葉子さんは、「迷惑を掛けたくない」という気持ちからのようでしたが、
私はそれ以上に、儀式的なのが嫌いだからです。

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『小綬鶏(こじゅけい)の家』

20101222 『小綬鶏(こじゅけい)の家』
~親でもなく子でもない~
萩原葉子・萩原朔美/著
集英社

『小綬鶏の家』は、萩原葉子さんと息子の萩原朔美さんが交互に綴った、
往復エッセイ集。

初めて読んだ萩原葉子さんのエッセイでしたが、
飛んだり戻ったり、またどこかに行ったりで、単純な私は付いていけなかった。

一方、男女の違いなのか、朔美さんの文はとても冷静で、
母親の私小説には批判的のようでした。
例えば、「自画像という他人」の中に、こんな文章が。

「…どう書かれようとも、発表の場も書く力もない者はずっと書かれっぱなしを我慢するしかない。もの書きのの周辺に居る人間にはアクセス権が全く無いのだ。私小説といえどもフィクションであるという前提のもとに成立しているからだろう。どんなに非情の人として描かれていたとしても、フィクションだと言われればなんともいたしかたがないのである…」

「…貶めないのは父と息子だけだ。私は変わらない。相手が悪いので私は不幸になったという思いだけが持続する。この思いが最近父親である朔太郎にまでおよんできたのである。父親や祖母や母親や妹や夫の「犠牲者」であったという物語は、どこまで行っても主人公は悪くないのだ…」

葉子さんにとって夫は憎悪の対象でしかなかったのかもしれないけれども、
朔美さんにとっては優しい父だったみたいでで、
『閉ざされた庭』の夫像はあくまでフィクションだったことが分かりました。

萩原葉子さんの作品に繰り返される被害者としての自分、
祖母、叔母たち、叔父(『蕁麻の家』三部作以外では「親戚」になっている)、
夫、母、妹はどこまでも悪者で、自分は地獄のような日々を送っていた。
拠り所であるべき父は、庇ってくれるどころか、苦しみに気付いてもくれない…

知能障害の妹と、自分たちを捨て恋愛に走った母を引き取ったまでは立派ですが、
作家となってからは、執筆に集中するため、母と妹を中学生の息子に任せ、
一人暮らしを始め、死の直前まで一人暮らしを通したのでした。

生活の糧の為に書かなければならなかったとしても、
それ以上に、復讐するために書く作業に没頭したかったように感じました。

息子の入学式も、卒業式も、運動会も、遠足も、PTAも、
東京版画ビエンナーレ受賞の表彰式にも行かなかった。興味がなかったから。
と書いてありました。

萩原葉子さんの母は、朔美さんにとっては優しい祖母で、
知能障害があったと書かれている妹は、
朔美さんに本を読んでくれたり、面倒をよくみてくれた叔母さんでした。

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ねんきん

“私の支給額は「蚊の涙」以下だし、
厚生年金は過去5年間遡って支給されるというから急ぐこともないわ…”
と、今まで放置していたのですが、年金制度はいつ変わるか分からないし、
減額はあっても増額は有り得ないと思い、手続きに行ってきました。

何度も足を運ぶのは嫌なので、予め年金事務所に電話して、
必要なものを聞いたところ、

* 年金手帳
* 年金請求用紙
* 身分証
* 本人名義の預金通帳
* 認め印(必要無かった)
* 「戸籍謄本」…夫婦が記載されているもの
* 「住民票」…家族全員分で、住基コードが記載されているもの
* 「本人の所得証明書」
…でした。

「年金請求用紙」には雇用保険の質問項目もあったので、
念のため、「雇用保険証」も持参しました。

途中で区役所に寄って
「戸籍謄本」「住民票」「本人の所得証明書」を取ったし、
「年金請求用紙」も、家で書いて持参したので、
5~6分で済みました。

今は一つ用事が片付いたといった感じで、
ホッとしているところです。

でも、何だか複雑な気分…。

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おとしがみ…

萩原葉子さんの著書に、水洗トイレが一般家庭に普及していなかった時代、
「雑誌大に切った新聞紙を、落とし紙として使った」と書かれてありました。

TV でも、私より若い年齢の人(なぜか男性が多い。)が、
「…新聞紙を、よ~く揉んで使ったんだよね~」
と言っているのを聴いたことがあります。

私も、水洗トイレが無かった時代を知っている世代ですが、
新聞紙を使ったことは一度もありません。

うちだけでなく、友達や親戚の家でも、使っているのを見たことはないのです。
いつも「黒ちり」で、買い置きが切れた時は、鼻紙用の「白ちり」でした。

そういえば「ちり紙交換」の呼び声を聴かなくなって久しい…
昔は、「白ちり、黒ちり、トイレットペーパー、京花…」と言っていましたが、
今は何と言っているのでしょうか?

「ちり紙交換」という名だけは残っていいても、
「ちり紙」そのものが今もあるとは思えませんから…

幼稚園や小学生に頃は、まだポケットティッシュが無かったので、
ピンクやクリーム色の軟らかな薄紙を畳んで持って行きましたが、
ポケットに直接入れるから、一日でボロボロになってしまったものでした。

ティッシュより柔らかい紙で、幼稚園のお遊戯会や、小学校の学芸会では、
その薄紙を重ねて「お花」を造ったり、
その「お花」を、幾つかまとめて「くす玉」を造ったりもしましたが、
あの紙の名前は、分からずじまいになりそうです。

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cool japan 修行~Shugyo~

今回のテーマは「修行」。

英語には修行に相当する言葉が無いそうなので、
外国人にはなかなか理解して貰えそうにないようです。

日本人にとっての「修行」は、滝行のような特別なものだけでなく、
仕事、人間関係、育児、子育て、恋愛、日常生活、スポーツ、趣味…
要するに人生そのものが「修行」と感じるらしいのです。

些細なことで腹を立てたり、落ち込んだり、挫折した時には、
「まだまだ修行が足りない」と思うようです。

こういうのは日本人特有なのかどうかは分かりませんが、
外国人から「日本人は、なぜ人生を楽しまないのか?」
と思われても仕方ないかもしれません。

「修行が足りない」と言えば、
その道30年のベテラン寿司職人が「まだ修行の身です」と言った場合、
日本人は「謙虚な人だ」とか「仕事熱心な人」と好意的に捉える人が多いのに、
これも中国人以外の外国人には理解出来ないようでした。

日本人は謙虚が美徳とされるので、「内心はそうは思っていないのでは?」とか、
「謙虚な振りをしているのでは?」との意見もありましたが、
職人と一口に言っても、高度な技術を習得することで認定される類の職人と、
陶芸家、調理師、パティシエといった創作に関わる職種のように、
大勢の弟子や孫弟子を抱えながらも、生涯学び続ける類の職人もあるのですから。

厳しい徒弟制度のリポートを見て、
外国人から「一つの考えを押しつけるのはどうなのか?」
と疑問の声が上がりましたが、
厳しい丁稚修行内容を承知の上で、自ら望んで入った道なのですから、
押しつけるのとは違います。

「技術だけ身に付けばそれで良い」ではなく人間性も学ぶ世界が存在し、
学んでいる若者たちがいると知り、とても感動しました。

「ストレス解消のために滝に打たれに行く」日本人の女性。
「何事も完璧を求められる日本で暮らすことが自分にとって修行」と言う外国人。
日本が特別なのでしょうか?

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『新潮日本文学アルバム 萩原朔太郎』

20101218
『新潮日本文学アルバム 萩原朔太郎』

私小説だけでなく、随筆や評論などでも、著者の親族の話題が上ると、
いつも、実際はどんな人なのだろうと気になり、
図書館から『新潮日本文学アルバム』を借りてきてしまいます。

萩原葉子さんの自伝小説『蕁麻の家』で、語り手の私(内藤嫩(ふたば))は、
何かにつけ、父方の祖母や叔母たちから、
「あ奴、居候、鬼瓦、醜女、鏡を見てからにしな」などと罵倒されていましたが、
その5人の叔母たちは、品性下劣な人間性とは裏腹に美人揃いで、
中でも、一番下の麗子叔母さんの美しさは特別、と書かれてありました。

アルバムを見ると、朔太郎の妹たちはみな器量良しでしたが、
特に次女・ユキと五女・アイは可成りの美人でした。

教科書などに使用されている朔太郎の写真は、殆どが晩年のものなので、
美男とは言い難いのですが、意外なことに、
若き日の朔太郎自身も、美少年であり美青年でした。

元々、朔太郎の両親だけでなく、一族が押し並べて美男美女揃いなのです。
(例外も無きにしも非ずでしたが。)

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『輪廻の暦』

20101217
『輪廻の暦』 萩原葉子/著 新潮社

萩原葉子さんの自伝小説の三冊目『輪廻の暦』を読みました。

離婚が成立した嫩(ふたば)は、一人息子と、施設に入れられていた知能障害の妹、
また自分達を捨てた母を捜して引き取り、4人の生活をスタートさせる一方で、
岸上太郎(山岸外史?)の勧めで、同人誌「若い花」(「青い花」?)に、
父の思い出を書きE賞((日本エッセイスト賞?))を受賞して文筆家になりますが、
母の我が儘と認知症に苦しめられます。

『蕁麻の家』は一人称で書かれているのに客観的でしたが、
『閉ざされた庭』と『輪廻の暦』は、一人称では無いにも関わらず、
日記のような書き方で、同じ人が書いたとは思えませんでした。

まるで、30数年前に『婦人公論』の定期購読をやめた理由である、
「読者投稿」のように通俗的で、期待外れでした。

『蕁麻の家』については、
「これだけは書かないと死ねない。遺言のつもりで書いた」とありました。

その気持ちは理解出来ますが、
『蕁麻の家』だけに留めておけば良かったのに、と思わずにはいられません。

たとえ事実だったとしても、反論したくても出来ない故人のことを、
ここまで酷く書くのは如何なものでしょう?
もし、故人の関係者が反論したとしても、
「これはフィクション名前も違う」と言うのでしょうが、
なんだか愚痴を繰り返すタイプに思えて、いささかウンザリしてしまいました。

「過去の栄光や武勇伝を自慢したがる男」、
「悲劇のヒロインぶりを言いたい女」…どちらも頂けません。

また些細なことですが、
複数の編集者によって編集会議が開かれ、句読点さえチェックされるそうなのに、
結婚して最初に暮らした「木馬館」の部屋が、
『閉ざされた庭』では「六畳一間」、『輪廻の暦』では「四畳半一間だった」…

あくまで私小説なので、事実と違っていても構わないにしても、
統一されていてこそ、真実味も説得力もあるというものでしょう。

文中多くの作家たちの名前が登場します。
例えば、三善琢治(三好達治)、室尾燦星(室生犀星)、早乙女一郎(佐藤惣之助)、
岸上太郎(山岸外史)、森舞子(森茉莉)、上野千代(宇野千代)等々、
これも亡き父(萩原朔太郎)の恩恵でしょうか…

他に、森巌(森鴎外)、芥田川(芥川龍之介)、太宰修(太宰治)、
佐野稲子(佐多稲子)、寺尾修(寺山修司)などの名前も…。

20101217b 萩原葉子さんの自伝小説(いずれも新潮社版)
(右)『蕁麻の家』
(中)『閉ざされた庭』
(左)『輪廻の暦』

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腕時計のベルト

なかなか見つけられなかった金属ベルトがようやく見つかりました。
腕時計と同じく、やはりこれもネットオークション(新品)でした。
このタイプ、「伸縮ベルト」っていうんですね。

お洒落とは言い難いですが、いかにもレトロな雰囲気が好きなのです。

ところで、あんなに欲しいと思っていたベルトなのに、
はめてみると、似合わないことに気付き、ガッカリしてしまいました。

子どもの頃はアルビノと間違われたこともあるくらい色白で、
それがコンプレックスでもあったのに、今は普通に近い…

ゴールドしか見つからなかった頃は、ゴールドが目立ってしまったように、
今の腕にはホワイトが浮き立ってしまうのです。

20101216 20101216b
時計の直径は16~17ミリ、手巻きのアンティーク(セイコー・23石)。
周りの控え目なキラキラが昔から気に入ってました。
(ベルトの幅は8ミリ)

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『閉ざされた庭』

20101215
『閉ざされた庭』 萩原葉子/著 新潮社

『閉ざされた庭』は『蕁麻の家』に続く萩原葉子さんの自伝的小説です。
8年間の悲惨な結婚生活が描かれていましたが、
前作と同様、殆ど一気に読んでしまいました。

父・内藤洋之介の死によって居場所を無くした嫩(ふたば)は、
追い出されるような形で、愛のない結婚を決める。

真面目だけが取り柄と思い結婚した古賀和夫の正体は、
劣等感の塊のような気の小さい最低な男…

私なら一週間も耐えられないタイプの夫なのに、
罵られ暴力を振られ、心身共にズタズタにされながらも、
一人息子の千夏のためと、八年間も耐えた嫩(ふたば)…

ふたばは無意識のうちに、亡き父内藤洋之介(萩原朔太郎)と比較していて、
夫はそれを見抜いていたのでした。

千夏のモデルは、一人息子の萩原朔美さんで、
古賀和夫のモデルは、当然朔美さんの父親ですが、
悲惨な結婚生活を表現するためには避けては通れない事柄だとしても、
「…どうか創作であって欲しい。
たとえ創作だとしても、こんなことまで書く必要があるのかしら?」
と、嫌悪感すら覚え、最後は逆に、最悪夫に同情してしまいました。

私は『蕁麻の家』の嫩(ふたば)の方が好感が持てました…。

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『蕁麻(いらくさ)の家』

20101214
『蕁麻(いらくさ)の家』 萩原葉子/著 新潮社

昨日の午後、書棚を整理していたところ、
35年位前に読んだ『蕁麻の家』を見つけてしまいました。

『蕁麻の家』は萩原葉子さん(1920/9/4~2005/7/1)の自伝(青春期)ですが、
確かに読んだはずなのに、内容の記憶が殆ど無いのです。

気になって読み出したら止まらなくなり、結局、最後まで読んでしまいました。
そんな訳で、昨夜はブログが書けませんでした。
(必要最小限度の家事だけはしましたが…)

実の祖母や叔母叔父たち(朔太郎の母と妹弟)から受けた虐待や、
唯一の友達と初恋の男性の裏切り、
無知故に落ちてしまった地獄の日々などが綴られていますが、
隠坊屋のくだりや、最後に朔太郎が示した愛には、ハンカチが必要でした。

金銭欲と虚栄心と世間体と保身…
詩人の親族とは思えない俗物極まりない人たち…

「これ程ヒドイ虐待があるだろうか?」
「被害妄想ではないのか?」
などという批判があったそうです。

自伝とはいっても、会話のすべてを記憶していることなど有り得ないし、
そういう意味では、創作の箇所はあるのは当然ですが、
それにしても悲しすぎる生い立ちでした。

『蕁麻の家』には、『閉ざされた庭』と『輪廻の暦』の続編があると知り、
今日、早速借りてきました。

今日借りた場合、返却日が1月13日ということだったので、
萩原葉子さんの著書を中心に、借りられるだけ借りてきました。
(通常は2週間)

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『ダロウェイ夫人』と『めぐりあう時間たち』

映画『めぐりあう時間たち』を見たことで借りてきた
『ダロウェイ夫人』と『めぐりあう時間たち』ですが、
最近は小説を読んでいないせいなのか、どうも集中出来なくて、
どちらも少しだけ読んだ状態で、返却日が近づいてしまいました。

もう、二週間分の延長をしようかとも思いましたが、
延長しても、読まないような気がして、やめることにしました。

20101212 (右)『ダロウェイ夫人(Mrs Dalloway)』 ヴァージニア・ウルフ/著
   丹治 愛/訳 集英社文庫
(左)『めぐりあう時間たち(THE HOURS)』 マイケル・カニンガム/著
   高橋和久/訳 集英社

(『めぐりあう時間たち』の装幀には、
ジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」の一部分が使われていました。)

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泣ける曲

想像してみて 天国なんか無いって
想像してみて 国なんか無いって
殺したり死んだりしない
宗教も無い みんな平和に暮らしてるって…

Imagineしたくても、私の貧しい想像力では無理です。
それどころか、“第三次世界大戦が起こるのでは…”
という気さえしてしまうのですから。

地球上の多くの人間がどんなに願っていたとしても、
ジョンの願いは永遠に叶えられない。
彼の最期と歌っている映像が重なって空しくなってしまいます。

わたしにとって「イマジン」が泣ける曲なら、
「エーデルワイス」も泣ける曲なのです。

『サウンド・オブ・ミュージック』の終盤、クリストファ・プラマー扮するトラップ大佐が、
反対していた音楽コンクールのステージで、祖国への愛を込めて歌うエーデルワイス…
思い出すだけでもジーンとしてしまうのです。

映画音楽では、
ジョージ・チャキリスとクラウディア・カルディナーレの『ブーベの恋人』や、
ジェームズ・ディーン主演、エリア・カザン監督の『エデンの東』のテーマ曲も
悲しいシーンが浮かんで泣けてきます。

「アメージンググレース」、ショパンのエチュードの「別れの曲」、「思い出のアルバム」、
「花かげ」や「十五夜お月さん」なども泣けます。
(「花かげ」と「十五夜お月さん」、似てますよね。)

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闖入者…

11月の終わり頃からでしょうか、
我が家に招かれざる客がやってきています。

何処からか忍び込んでくるのか、
長さ3cm位、太さ5mmほどの褐色の虫…

家の至るどころで見掛け、
夜だけで6匹も見つけてしまった日もありました。

スパイダーやコックローチよりはマシにしても、
目にする度にゾッとしてしまうので、恐る恐る図鑑を開いてみたら、
それは「マクラギヤスデ」という名の虫で、
人に危害を加えるものでは無いと判明…(多分)

毒は無いと判り、取り敢えずホッとはしたものの、
気持ち悪いのには変わりないのです。

先日、自治会の集まりがあった時に、
近所の一人が「その虫」の話しをしました。

と、その途端、その場にいた人たちが口々に「うちも」「うちも」と言い出し、
最後には「うちだけじゃなくてよかった!」と。(わたしもその一人。)

庭で見た時はそれ程でもないのに、
家の中で見つけてしまった時の嫌悪感。

害がないと理屈では納得していても、
図鑑の絵にさえ感じる不快感。

自分の家だけではない。
と判った時の安堵感。

人間の心理って面白いものです。

ところで、
「マクラギ(枕木)ヤスデ」の大量(?)発生も、
異常気象の影響なのでしょうか?

(写真は撮りません。興味のある方は画像検索してください。)

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『活!』

20101209 『活!』
群ようこ+もたいまさこ/著
(本文:群ようこ 写真文:もたいまさこ)
角川書店

女優のもたいまさこさんに興味があって、『猿ぐつわがはずれた日』を読みましたが、
とても愉快なエッセイだったので、他にも著書が無いのかしら?と探したら、
この本が見つかりました。

でも、本文を書かれたのは群ようこさんで、
もたいさんの文は写真の説明文だけだったから、ちょっと残念…

『活!』は、40歳を過ぎたお二人が色んなことに挑戦された時の記録で、
写真も沢山…どの写真も本当に楽しそうでした。

趣味が一致する友だちがいるなんて、本当に羨ましい。
気持ちがあっても、一人ではなかなか実行出来なくて、
時間だけが過ぎてしまい、結局やらずじまいになってしまいがちですから。

20101209b ←は「リフレクソロジー」の時の写真。
お二人の笑顔が眩しいです。
それにしても、本になって結果的に収入に繋がるのですから、
有名人っていいですよね~

<目次>
スキー              講師:海和俊宏
顔マネ              講師:清水ミチコ
ソシアルダンス   講師:中根仁 (武蔵関ダンス教室)、大久保芳枝
フリーマーケット  講師:赤池功啓 (東京リサイクル運動市民の会)
山菜採り           講師:奥山悌二 (月山ポレポレファーム・オーナー)
保母さん           講師:杉の子保育園一同
編集者             講師:太田恵美子 (シュシュ編集部)
そば打ち          講師:遠藤忠克 (藤の家)
草野球             講師:吉田雅道 (チーム[ファーイーストクラブ]キャッチャー)
リフレクソロジー 講師:ミッシェル・松山
中国茶道        講師:葉 惠民 (中国国際茶藝会会長)

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『<衣装>で読むイギリス小説』

20101208 『<衣装>で読むイギリス小説』
~装いの変容~
久守 和子/著、窪田 憲子/著
ミネルヴァ書房

執筆者が12名ということで重複する箇所もありましたが、
『旧約聖書』創世記のアダムとイヴの「イチジクの葉」から、
ジェーン・オースティン(『高慢と偏見』)、シャーロット・ブロンテ(『ジェーン・エア』)、
トマス・ハーディ(『ダーバヴィル家のテス』)、ジェイムズ・ジョイス(『ダブリン市民』)、
ヴァージニア・ウルフ(『ダロウェイ夫人』)等々といったお馴染みの文学作品の衣装や、
ツイッギーのミニスカートまで、小説を引用しながら、当時の服装の流行だけでなく、
宗教観や倫理観、労働問題、ジェンダー、ビジネスといった観点からも説かれていて、
興味深く読むことが出来ました。

オースティンの頃に流行した超ハイウエストのエンパイアドレスが、
大変薄着だったために風邪を引く女性が続出し、あっという間に廃れてしまったとか、
ヴィクトリア時代の巨大なドレスが如何に重くて大変だったとか、
ヴァージニア・ウルフは服装に関心がなかったなどという記述には、
さもありなん、といった感じで納得出来ました。

多くの名画や写真が資料として掲載されているので、
それらを見ているだけでも楽しいのですが、
文章については、いささか集中力と睡魔との闘いでした。

というのも、12名の執筆者のうち11名が研究者(大学教授、その他)ということで、
読ませるのが目的の作家の文とは当然違うからです。

12時半過ぎの「ベッドに入ってからが読書タイム」ということも理由の一つですけどね。

<目次>↓

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ETV特集「トルストイの家出」

12月5日放送のETV特集「トルストイの家出」、
2日遅れで見ました。
田中泯さんと余貴美子さんの日記による朗読劇が素晴らしかったです。

2010年8月、没後100年を記念して、
トルストイの墓に280人の子孫が集まった時の映像が映し出されましたが、
何だか不思議な感じがしました。

トルストイの妻ソフィアの死から91年後の今年、
初めて彼女の日記が公開されました。

ソフィアは世界三大悪妻の一人と言われているそうですが、
ソクラテスの妻にしても、モーツァルトの妻にしても、
「悪妻」のレッテルは男性の基準によって貼られたものだから仕方ないにしても、
私はソフィアの最後の言葉に涙が出てしまいました。

トルストイより16歳年下のソフィアは、望まれて18歳で妻となり、
広大な農地の領主の妻として切り盛りし、
作家の妻として資料集めや翻訳、清書なども引き受け、
13人の子どもを産み育てた母でもあり、立場上現実的に成らざるを得なかったのに、
50歳を過ぎてから信仰に拠り所を求め理想主義となったトルストイは、
妻との価値観の違いや、異常なまでの妻の嫉妬心から、
82歳の家出を決行し、死に至ったのでした。

夫婦の確執の直接の原因が価値観の違いだけでなく、
男性秘書チェルトコフとトルストイの信頼関係への嫉妬からで、
次第に精神のバランスまで失ったソフィアの言動が、
結婚48年後の、老いた夫を家出にまで追い詰めてしまったとは凄いです。

深い愛がなかったなら、憎しみもこれ程まで湧かない気がします。
諦めと無関心と打算だけで成り立ってる夫婦では考えられないでしょう。

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日本の対中ODA

「世界の工場」中国、
GDP世界第二位となったことで、一部の富裕層の人たちは、
バブル期の日本人がそうだったように、外国の不動産を買い漁ったり、
かつての日本人が似合いもしないブランド品に群がり、
外国人から顰蹙を買っていたように、外国への買い物ツァーに夢中とか。

でも潤ったのはごく一部の人たちで、
「世界の工場」の労働者に、好景気の恩恵があるはずもなく、
GNPは相変わらず、むしろ格差は広がるばかり。

開発途上国への援助について異論はありませんが、
GDP世界第二位、軍事費も世界二位の中国が開発途上国と言えるでしょうか。
これまで中国に対し3兆円以上もの援助をしたうえ、
今後も援助し続ける必要があるのでしょうか。

政治家や知識人以外の殆どの中国人は、
日本から援助を受けていることも知らず、日の丸を燃やしたりもしている。

私が疑問を抱いても無理ないでしょう。

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cool japan ことば~Language~

「日本語は難しい」と外国人は言います。
日本語は、世界一難しい言語のようです。

漢字、片仮名、平仮名と種類が多いうえに、
漢字には音読みと訓読みがあり、しかも、それぞれの読み方が何通りもある。

ものの数え方(助数詞)や、人称代名詞が非常に多いし、
敬語、謙譲語、丁寧語の区別や使い方が分かりにくい。
それに、カタカナは、元々の外来語と意味も発音も違う…

日本人にとっても日本語は難しく、日々苦労しているのですから、
日本語を学ぶ外国人が苦労するのも当然でしょう。

以前、楊逸さんが話してました。
「中国では一つの漢字には一つの読み方しかないのに、
日本では読み方が多くて、日本語を覚えるのは無理だと思った」と…

外国映画の邦題の付け方も、料理や菓子の名前も、日本独特とか。
例えば「チャーリー・セント・ブラウド」の邦題が「きみがくれた未来」というように、
アメリカ映画の多くは主人公の名前がタイトルになっているのに、
邦題では、作品のイメージを重視しているようです。

意外だったのは料理の名前。
日本人なら、「月見」といえば「玉子」、「きつね」は「油揚げ(薄揚げ)」、
「たぬき」は「揚げ玉」、「ちから」は「餅(力持ち)」をイメージしますが、
外国人にとって「月見」はともかく、「きつねそば」や「たぬきそば」、
「親子どんぶり」「目玉焼き」など、残酷で不快で、食べる気がしないそうです。

また日本語の「オノマトペ(擬音語、擬声語、擬態語)」の多さも、
外国語の比ではないようです。

「文字の種類」「数え方(単位)」「映画の邦題」「料理の名前」「オノマトペ」
以上から選ばれたベスト・オブ・クールは「オノマトペ」。
(外国人にとって、オノマトペ以外はノットクールみたいでした。)

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星の夢

夕暮れ、
私は、見知らぬ田舎の舗装されていない道を歩いている。
辺りには一軒の民家さえもない。

ふと気付くと、いつの間にかすっかり暗くなり、
前方上空には、いつも以上に明るくヴィーナスが瞬いている。

すると、夜空一面に無数の星が現れだし、
まるでプラネタリウムのようにリアルな輪郭線の巨大な白鳥やペガサス、
サソリ、ケンタウルス、オリオン、竪琴を奏でている女神たち…
…星座が眩しく輝き、ゆったりと動いている。

私は畏怖の念を抱きながら、佇んで星空を見上げている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以前からこんな夢を何度も見ました。
満天の星…
ケンタウルスやオリオン、ギリシア神話の神々などが、
まともに見られないくらい輝いている様は美しく感動的です。
でも、とても怖ろしくて…

夢なんかではなく、マウナケアで本物の星座が見たい。

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『不潔の歴史』

20101203 図説『不潔の歴史』
(THE DIRT ON CLEAN An Unsanitized History)
キャスリン・アシェンバーグ/著 鎌田彷月/訳
原書房

『不潔の歴史』は21世紀になってからカナダ人によって著されたものですが、
私には、『西洋の衛生学史』だと思いました。
西洋人にとって、西洋以外は眼中にないのでしょうが…

(まえがきに日本の入浴事情について少しだけ触れられていましたが、
納得は出来なかった。
例えば、「職場の人間が、休息の一環で集団で入浴することがある」とか、
「日本の浴槽は足が伸ばせない」とか。)

現代の基準からすれば(と言うより清潔好きの日本人の基準)、
この本に書かれている内容は不潔極まりないし、
潔癖症の人なら、読むだけで蕁麻疹がでるかもしれません、
ですが、衛生に対する観念は時代によっても国によっても違うのですから。

意外だったのは、初期のキリスト教徒が非常に不潔だったことです。

「入浴は自分の容姿に関心をもつおそれがあるのでけしからん」、
「身体を洗うのは虚栄心や俗心を示すもの」、
つまり、「清潔な身体と清潔な衣服は不潔な魂の表れ」
「汚さはキリスト教徒の清らかさをしめす顕著なしるし」
そのため、
「意識して自分を汚らしくして生まれついた美しい姿の見栄えを悪くさせる」
であったというから驚きです。

古代ローマ時代に公衆浴場があったことは遺跡にも遺されていますが、
身体を洗うのが目的と言うよりは、
娯楽や社交が目的の、退廃的な場所だったようなので、
キリスト教徒が受け入れられないのは当然かと思いますが、
実はそれだけではなく、清潔にしないことが一つの苦行だったようです。

聖人たちの不潔さは「においのする敬神のしるし」とされ、
生涯入浴をせず、頭も顔も手足も洗わず、歯も磨かず、着替えさえしなかったとか。
その一方で、乞食や癩病の人たちの全身を洗ってやっていたそうです。

そういえば、『ブラザー・サン、シスター・ムーン』(フランコ・ゼフィレッリ監督)の、
聖フランチェスコも汚かった…

汚いといえば、中世になってベストが蔓延すると、
入浴によってり開いた毛穴からペスト菌に感染するという説が信じられ、
風呂も洗顔もしない習慣が、フランスでは18世紀まで続いたそうです。

香水が発達したのも肯けます。
「でも、その人たち、臭ったんじゃない?」どころじゃないわ。

<目次>↓

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星空

最近シリウスが綺麗です。

深夜に撮したのですが、昔山小屋で見た星空とは大違いです。
仕方ないですね。国道沿いだから…

20101202a 20101202aa 20101202b 20101202bb
20101202c 20101202cc
↑東の空。

20101202d 20101202dd 20101202e 20101202ee
↑南の空。

20101202f 20101202ff
↑西の空。

20101202g 20101202gg
↑天頂。

今夜は雨、シリウスは見えません。

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サクマのドロップ

いつもなら気付きもしないのに、
『駄菓子屋図鑑』を読んだ直後だからでしょうか、
買い物していたら「サクマのドロップ」が視界に入ってきました。

20101201 20101201b

著者の奥成 達さんによれば、
「ハッカ党とチョコ党に分かれ、レモン党やオレンジ党はいなかった」
とか…
著者はハッカ党で、磯野カツオ君もハッカ党…私もハッカ党。

でもこの缶には、ハッカが描かれていない…
開けてみたら、二つだけ有りました。
だけどチョコは無かった…

調べたところ、「サクマ」と「サクマ式」があって、
チョコが入っているのは「サクマ式」と判明…知らなかったわ。

「ハッカ党はニッキも好き」とも…私も確かにそう。
でもやっぱり一番はハッカ。
今は自分用にお菓子を買うことは無いけれども、
子どもの頃は俵型のハッカ飴をよく買っていました。

ハッカ飴、ニッキの飴、豆が入った飴、ザラメが付いた飴、
その他にも色んな種類の飴があって、どれも三つで五円でした。

子どもの口には大き過ぎて、口に入れると上手く喋れない。
うっかり喋ると口から飛び出してしまって…
慌てて拾って家に駆け込み、水道水で洗いまた口へ。

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