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2010年11月

『駄菓子屋図鑑』

20101130 『駄菓子屋図鑑』
奥成 達/文
ながた はるみ/絵
飛鳥新社

『駄菓子屋図鑑』も、『昭和こども図鑑』と同じく、
懐かしさの詰まった一冊でした。

駄菓子屋さんや紙芝居で売られていた駄菓子やオモチャ、
また、昔の遊びなどもイラスト入りで紹介されていたので、
忘れていた子どもの頃を思い出してしまいました。

サクマのドロップ、変わり玉、糸引きあめ、ハッカ飴、ハッカ糖、ハッカ板、ハッカパイプ、
ニッキ飴、ニッキ棒、貝ニッキ、セロファンニッキ、しんぬきあめ(中から粉が出る)、
パラソルチョコレート、粉末ラムネ、ワタナベのジュースの素、即席しるこ、チューブチョコ、
ココアシガレット、おまけ付きグリコ、カバヤキャラメル、ラスク、水あめ、風船ガム、型抜き、
経木の箱(小型の寿司折)に入ったアイスクリーム…
…あげたらキリがありません。

(私の子どもの頃のラスクは、食パンサイズでした。
パラフィン紙の袋に2枚入っていて、一人では食べきれなかった。)

玩具では、リリアン、ビニールひも、けむり、写し絵、紙石鹸、ビーズ、あやとり、おはじき、
紙の着せかえ人形、ぬりえ、お手玉、ゴム跳び、石蹴り、吹き玉、まきとり、ブロマイド、
水笛、万華鏡、知恵の輪、ラッキーパズル、木製やブリキ製のままごとセット、写し絵、
文化人形、ミルクのみ人形、けん玉、メンコ、ビー玉、ベーゴマ、手作りグライダーキット、
日光写真、組み立てラジオ、地球ゴマ…
…こちらもキリがないです。

この本を見ていたら、コンピューターゲームは無くても、
昔の子どもの方が幸せだったような気がしてきました。

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晩秋

秋色を求め、里山へ行ってきました。

三脚持参の本格派や、デジカメ片手の人が多くいました。
そのいずれも高齢者ばかり…
私は邪魔にならないようにしていたので、思うように撮れませんでした。

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綺麗…
でも紅葉の美しさは、最後の装いのようで寂しく感じてしまいます。
私は新緑の方が好き…

20101129g 途中、富士山も撮りました。
今年は、もうこんなに雪が…
(手前は安倍川)

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『昭和こども図鑑』

20101128 『昭和こども図鑑』
~20年代、30年代、40年代の昭和のこども誌~
文/奥茂 達 絵/たなか はるみ
ポプラ社

各ページに描かれている懐かしの絵に癒されながらも、
「これは戦前じゃないの?それとも戦前?」

一口に昭和と言っても、やっぱり昭和は長い。
著者が戦前生まれだからでしょうか、随分私の記憶とは違うようでした。

たとえば下駄を履いた子どもの絵や、坊主頭の男の子の絵。
幼稚園の頃には、ビニールのつっかけサンダルを履いていたし、
小学生の頃も中学生の頃も、丸刈りの男子はほとんどいなかった…
修理屋さんも見たことがない…

戦前生まれの著者ですが、家事に関しては思い違いも(男性故?)あって、
たとえば、膝当てなどの「継ぎ」のことを「パッチワーク」と言ったり、
(どちらかと言えば「アップリケ」)
洗い張りを、「リサイクル」と言ったり、(というより「クリーニング」)。
その他にも色々ありましたが、重箱の隅的になるので…

結局、昭和に一番詳しいのは、大正生まれの人たちなのでしょうね。

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「子どもに伝えたい懐かしい遊び」の中の「草花遊び」に、
ヒガンバナの首飾りはありません。
有毒だから当然ですね。

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『猿ぐつわがはずれた日』

20101127
『猿ぐつわがはずれた日』 もたいまさこ/著 世界文化社

“この人が出てるものは見たい”
と思える俳優(女優)さんは特にいないのですが、
もたいまさこさんだけは見たいと思うのです。

とは言っても、ドラマを見ないので、記憶にあるのは、
「やっぱり猫が好き」「かもめ食堂」「2クール」「のんのんばあとおれ」、
くらいなんですけどね。
それと、亭主元気で留守がよい…(当時はもたいさんとは知らなかった)

穏やかそうで、ゆったりしていて、親しみやすい雰囲気、
失礼な言い方ですが、お友だちになれそうな気がする。

“もたいさんって、どんな文を書くのかしら?”
と興味が湧き調べたところ、この著書(平成六年)がありました。

30代までのもたいさんは、暇なときは部屋に籠もって読書していたのに、
四十路頃から友人たちに影響され、旅、スキー、キャンプと、
アウトドアに目覚めたもたいさん…

小林聡美さんやタコ社長と共にしたエピソードなどが綴られていましたが、
もたいさんも片桐はいりさんと同じく江戸っ子ということで、
(それは関係ないですが)ユーモラスで歯切れのよい文章でした。

正義感が強く、「こう見えてわたしは気が短い」というように、
デパートのお局様に憤慨し「はすっぱ」な女に変身して…

コウモリと格闘(?)したエピソードも、様子が見えるようで、
虫その他に弱い私は、我がことのようにドキドキ。

ところで、もたいさんは運転免許を取得出来たのでしょうか?
(「もたいまさこ」さんは本名、罇真佐子と書くのですね。)

<目次>↓

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探していた腕時計

ブログを始めたばかりの頃(2007年4月)、
無くした腕時計のことを書きましたが、
一年半ほど前、その思い出の時計にめぐり逢えることができました。
(ネットオークションで)

20101126 20101126b

もう完全に諦めていたのに、
手元にあることがとても不思議で信じられない…

でも、約40年間、あんなに欲しいと思っていたのに、
いざ手元にやって来ると、それほど感動も喜びも湧かず、
何だか呆気ない気分で意外です。

夢は叶った瞬間よりも、叶う瞬間を想像している時が幸せなのかもしれません。

見つかったとは言え、当然、紛失した腕時計であるはずありません。
そう思い込もうとしても、そこまで想像力が豊かではないので…

それに、保証書やケースが残されてもいないので、
朧気な記憶だけが頼りですが、
それゆえ、本当に同じデザインなのかは確認しようもないのです…

私は以前から、留め具の無い金属ベルトが気に入っていて、
この時計にも付けようと周辺の時計店やネットショップ、
メーカーのHPでも探しているのですが見付かりません。

今どき、流行らないのでしょうか?
それとも探し方が下手なのでしょうか?

確かにお洒落とは程遠い…
お洒落感より、便利性を重視するタイプ。
でもないのですが、レトロな雰囲気が好きなのです。

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『グアテマラの弟』

20101125
『グアテマラの弟』 片桐はいり/著 幻冬舎

「お兄ちゃんだったら良かったのに」

小さかった頃、年子の弟からそう言われた片桐はいりさんは、
ままごとやお人形遊びを封印し、
男の子のすべての遊び、すもう、自転車、スケート、を弟に教え、
兄として君臨していたのです。
…が、小学5~6年生の頃、
「なんで胸んとこが腫れてんの?」と言われてしまう…

思春期の頃からは、一つ屋根の下で関心も持たず、口もきかず、
他人のように過ごしていた姉と弟…

その弟が、子持ちで年上のグアテマラ人と結婚するため、
学歴(大学院卒)を捨て、家族を捨て、日本を捨て、
グアテマラの人になってしまった…

『グアテマラの弟』も、『わたしのマトカ』同様書き下ろし(272枚)のエッセイで、
弟に会うため、13年ぶりに訪れたグアテマラの日々の様子が、
片桐さんらしいユーモラスな表現で綴られています。

「歯ブラシとコンピューター」「イランと竜巻」というように、
タイトルはすべて「○○と○○」になっていて、まるで謎解きのようですが、
少しも飽きさせない書き方に、私は飲み込まれてしまいました。

やっぱり笑える。
でもその笑いの中には、家族への愛が満ちていて、
笑いながらも、しんみりさせられました。

弟さんのことは、以前「ポカポカ地球家族」という番組で偶然見ましたが、
もう一度見てみたい…。

ところで、今は「グアテマラ」というのが一般的なのでしょうか?
昔は「グァテマラ(ガテマラ)」と言っていたような…?

片桐はいりさんのエッセイ集を二冊読みましたが、
本当は、「週間ブックレビュー」で紹介された
『もぎりよ今夜も有難う』が読みたかったのです。

『もぎりよ今夜も有難う』は目下予約中…
大勢の予約が入っているので、いつ読めるか分かりません。

<目次>↓

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『わたしのマトカ』

20101124
『わたしのマトカ』 片桐はいり/著 幻冬舎

マトカはフィンランド語の「旅」。
映画『かもめ食堂』の撮影で一月間滞在したフィンランドでの出来事と、
フィンランド以外で体験した旅のエピソードが綴られています。

片桐はいりさんが個性派女優なら、エッセイもとても個性的。
『わたしのマトカ』は帰国後に出版社より依頼され、
3ヶ月掛けて書いた249枚の書き下ろしですが、
起承転結、比喩のユニークさ、ユーモラスでセンスの良さ、
卒論以来の文章、とは、とても思えない素敵なエッセイ集でした。

感受性豊かで好奇心旺盛、正直で聡明な人柄が伝わってきました。

撮影終了後、一行と別れて一人ファーム・ステイした時の話や、
各国のマッサージのエピソードなど、どんなドタバタ喜劇より可笑しくて、
声をだして笑ってしまいました。

私は笑い上戸とは言えませんが、
これを読んで笑えない人は、余程気難しい人じゃないかしら。

フィンランド人が、シャイで感情を面に出さない人たちとは意外、
ちょっと日本人と似ているかも…

映画の撮影裏話やフィンランド出演者のエピソードもあったので、
また『かもめ食堂』見たくなってしまいました。

シュールなのに癒される映画、個性的な三人の女優さんも大好きです。
片桐はいりさんみたいなお友だちが欲しいな…。

<目次>↓

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『めぐりあう時間たち(The Hours)』

映画を録画しても、途中でストップしたくないので、なかなか観れません。
準備万端整えて、訪問者があっても私は留守。電話があっても私は留守。
と…。

前書きはこれぐらいにして、覚悟を決め、ついに観ました。
2時間弱、睡魔に襲われることもなく集中出来た素晴らしい作品でした。

<ネタバレあり>

1923年、イギリス・リッチモンド、作家のバージニア(ニコール・キッドマン)は、
「ダロウェイ夫人」を執筆し出す。

1951年、ロサンゼルス、身重の主婦ローラ(ジュリアン・ムーア)は、
誕生日の夫のためにバースデイケーキを焼く。

2001年、ニューヨーク・マンハッタン、編集者のクラリッサ(リル・ストリープ)は、
HIVの友人リチャード(エド・ハリス)の受賞パーティーの準備をする。

まるでパラレルワールドかのように、
時代も場所も違う、3人の女性の一日の心の動きを描いています。

この映画、「良かった!」「退屈、時間の無駄だった!」と評価が分かれるような…
特に、男性には理解出来ないと思います。

女性でも、若い人とか、若くなくても、ポジティブタイプの人には、
共感出来ないでしょうね。

3人の女性の生き方を観て、多くの人は、
バージニア(ヴァージニア・ウルフ)は病気だから…と許すでしょう。
クラリッサも内面を押し殺して生きているから、同情されるでしょう。
だけどローラは…

「外から見ると幸せそう…でも、違うの」(ローラ)

やりたいことと、やらなければならないことのギャップ、
自分らしく生きたいのに出来ない日常生活の空しさ、
「夫は優しい、自分は恵まれている…」
と理屈では分かっていても、満たされない自分…

「結婚生活は地獄、でも家族を捨てたことは一生の責め苦」
「…後悔しているとは言えない。後悔しても無意味…」
私はローラの最後の登場シーンは要らないと思いました。

“何言ってるの!そんなのワガママ病よ。
あなただけじゃない、人生なんて思い通りにならないものよ。
でもみんな頑張ってるのよ…”
という声が聞こえてきそうです。

(鬱病にしても、病気なのに、
“「心の病い」だ”とか、“気の持ちようだから頑張って!”
と言う人がいるのですから…)

「若かった頃、たくさんの幸せが私を待ってると感じた。
…でも違った。そう感じた瞬間こそが幸せだった…」
クラリッサのこの言葉に共感出来るのも、私が歳だからでしょう。

3人の女性たちが、同性に心が向いていましたが、私には、
「異性間では解り合えない。という精神的なものの結果」と思いました。

ところで、リッチーが、詩人で小説家のリチャードと、すぐ気付きましたが、
名前は違っても、ローラはバージニアの姪では?
という予想は見事に外れてしまいました。

ニコール・キッドマン、メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、エド・ハリス
ミランダ・リチャードソン、クレア・デインズ …と、凄い顔ぶれでした。

この人たちの映画はたくさん観ましたが、
メリル・ストリープは何を演じても「「メリル・ストリープ」と思ってしまう…

私は昔から、ジュリアン・ムーアが好きでした。
若い頃のジュリアン・ムーアの映画では、
オセロの松嶋さんに似ている、と思って観てました。
(松嶋さんはドリュー・バリモアにも似てますよね?)

それから驚いたことが…
バースデーケーキの色、卵の黄身と白身の分け方、生ゴミの捨て方、
…これも文化の違い?

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2011年のカレンダー(KOYOMI)

「あとひと月ちょっとで今年も終わっちゃう~一年って早い!」
と溜息つきながらも、翌年のカレンダーを物色し出すのも毎年のこと。
今のところ今年は、5種類のカレンダーを購入しました。

↓はその中の一つ…
20101122a

このカレンダー(KOYOMI)は昔からありましたが、
その日の月齢も分かるので、宙好き月好きには堪りません。

表紙の右下には、

平成23年辛卯(かのとう)・日本紀元2671年
西暦・キリスト紀元2011年
ユダヤ紀元5772年(9月29日)
イスラム紀元1433年(11月27日頃)

監修・日本暦学会会長・理学博士 古川麒一郎
国際森林年・国際化学年

と印刷してあります。

一月はこんな感じ。裏面にも色々と…

20101122b 20101122c 20101122d

「太陽・月・星のこよみ」
企画・製作:財団法人 国際文化交友会 月光天文台

<各月の天体写真>
 1月:Sh2-240(おうし座の超新星残骸)
 2月:わし星雲・IC2177
 3月:聖地に降る星々
 4月:安曇野の春
 5月:りょうけん座の系外銀河・M51
 6月:はやぶさ帰還
 7月:天の川銀河
 8月:北アメリカ星雲とペリカン星雲
 9月:クラビウス付近
 10月:紅葉まつりの富士とオリオン
 11月:LEONIDOS 2009 (しし座流星群)
 12月:NGC7635とM52 (散光星雲と散開星団)
付録ポスター:北硫黄島沖の皆既日食

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ひじあて

25年くらい前に買ったセーター、
ひじがご覧の通り。

20101121a

もう充分でしょ…と、思ったら、
気に入ってるから…と、捨てて欲しくないご様子。

20101121b

それで「ひじあて」を買ってきて、

20101121c 20101121d 20101121e

本返し縫いで付けました。
これであと2年位は着れるでしょ。

でも、これ、「手作り」じゃない…

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『私を劇的に変えた“日本の美風”』

20101120
『私を劇的に変えた“日本の美風”』
呉 善花(お・そんふぁ)/著 (李白社)

呉 善花さんの最近の著書と思って借りたのですが、
この10年間に雑誌や新聞等に発表した評論のうち、
単行本に未収録だったエッセイをまとめたものでした。

呉さんは言います。
「韓国人も外国人」と…

欧米やアフリカの国の人だったなら、文化や価値観の違いも
最初から違って当然と思い、理解しようとするのに、
中国人もそうですが、日本人と韓国人は外見がよく似ているので、
文化の違いを知れば知る程、嫌悪感を感じてしまうようなのです。

ところで私は、「竹島問題」についての呉善花さんの考えを知りたい。
書いているのでしょうが、まだ読んだことがないので…。

<目次>↓

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『私はいかにして<日本信徒>となったか』

20101119
『私はいかにして<日本信徒>となったか』
呉 善花(お・そんふぁ)/著 (PHP研究所)

題名は、著者が尊敬する内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」から。

1956年済州島生まれの呉 善花さんは、反日教育を受けた世代ですが、
希望するアメリカ留学の足がかりとして1983年に来日し、
文化や価値観の違いに戸惑いながらも日韓の壁を乗り越え、
1992年に日本国籍を取得されました。

大東文化大学卒業後、東京外国語大学地域研究研究科修士課程修了し、
現在は、拓殖大学国際学部教授です。

韓国時代から現在(1999)に至る足跡が記されていましたが、
第三章には、『スカートの風』出版の経緯から後日談が詳しく書かれていました。

韓国では当初、呉善花という人物はいない。
日本人が韓国名を使って書いたものと言われ、実在が証明されると、
当然の如く売国奴のレッテルが貼られ、日本の右翼に利用されているとか、
ゴーストライターが書いたと誹謗中傷され、
日本に滞在するホステスや留学生からは、激しく糾弾されたとのことです。
(日本語混じりのハングルで書いたものを訳して貰ったそうです。)
韓国の「新・親日派の正体を明らかにする」という番組については、
いかにして捏造されたか述べられていました。

正直のところ、どちらが真実なのか私には判断は難しいです。

<目次>↓

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鬼の霍乱?

今日は朝から具合が悪い。
頭痛、悪寒、吐き気、肩こり…
その他諸々。
風邪かしら?
でも、決して鬼の霍乱ではありませんよ。
いつもどこかが病んでますから…

今日は早めに休むことにしましょう。
…お休みなさい。

(その前に、ちょっとだけ読書タイム…)

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『新・スカートの風(チマパラム)』

20101117 『新 スカートの風(チマパラム)』
~日韓=合わせ鏡の世界~
呉 善花(お・そんふぁ)/著
三交社

『スカートの風』(1990)、『続 スカートの風』(1991)、
そしてこの『新 スカートの風』が出版されたのが1992年ですが、
“1992年4月は豊臣秀吉による壬辰倭乱から400周年にあたる”
という文に、改めて日韓の歴史観の違いを知らされました。

この本によれば、日本人が抱く韓国人のイメージでは、
「とにかく激しくすぐに熱くなる」、「ワンパターン」、「金遣いが荒く成金趣味」
「見栄っ張りで自己顕示欲が強い」、「上昇志向が強い」、「自己主張が強い」、
「権力志向が強く権威主義的」、「すぐに上下の差を付けたがる」
「衝突ばかりしていて集団活動がスムースにいかない」
…というのがマイナスイメージ。

「家族、身内を大切にする」、「義理堅い」、「本気な性格」、「行動的」、
「情熱的」、「誇り高い」、「素朴で純粋」、「喜怒哀楽を素直に表現する」、
「素直ではっきりものを言う」
…がプラスイメージだとか。
そう言われてみればそうかも知れません。

韓国式もてなしは、普段味わえない目が眩むような
「派手、豪華、華やか」な皇帝待遇ですが、日本人には受けないそうです。

「日本人は素朴で鄙びたものが好みで贅沢が嫌い」と著者は言いますが、
価値観が人それぞれのように、贅沢への定義も人それぞれ、
絢爛豪華が好みの人もいます。

様々の例を挙げて日韓の比較をしていましたが、
日本人」と言っても人それぞれではないのでしょうか。

ところで、「美人に会いたければソウルへ」を読んでいて、
美人だばかりのソウルで、
“その中の何割が天然の美人なのかしら…?”と思ってしまいました。

<目次>↓

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『続・スカートの風(チマパラム)』

20101116 『続・スカートの風(チマパラム)』
~恨を楽しむ人びと~
呉 善花(お・そんふぁ)/著
三交社

見た目は区別が付かないのに、これ程まで違う日韓の文化、
相手国の文化だと知ってさえ募る嫌悪感…

麺類をズルズル音を立てて食べる日本人を外国人が不快に思うことに、
「分かってないな~こうして食べる方が美味しいのに」と思いながらも、
「そう思われても無理ないかも…」と理解出来る日本人。

それなのに、音を立てて食べることで「美味しさ」を表す韓国の文化に対しては、
生理的に嫌悪感をう抱いてしまうのですから矛盾しています。

食器は持たず、ご飯もスプーンで食べるのがマナーの韓国人にとって、
食器を持って、お箸で食べる日本人はマナーを知らない人たちと思う。

韓国人は、日本人のことを最初は「優しくて親切」と感激するのに、
しばらくすると「日本人は冷たい、韓国人を差別している」と感じてしまうそうです。

それは日本と韓国では、親しい者同志の距離感が違うからなのです。

「親しき仲にも礼儀あり」の日本では、
友だち同士なは当然のこと、夫婦間でも親子でも、
「ありがとう」「ごめんね」「これ食べてもいい?」などと言うのが普通ですが、
韓国では「親しき仲には礼儀なし」で、
もし言えば、「自分は嫌われてる」と思ってしまうとか。

取り箸や銘々皿を使うことや、友だち同士なのに悩み事を打ち明けてくれないことも
「友だちだと思っていたのに…差別されている」と感じてしまうらしいのです。

韓国では、日本人観光客に対して、通常の何倍もの値段をつけるとか…
(現在は違うと思います。)

「過去に悪いことをしたのだから当然だ」というのが韓国人の考え方。
日本人にとっては、理不尽としか言いようがないのですが、
「死ねば仏になる」過去を水に流す文化の日本と、
「先祖(民族)の罪は末代まで続く」儒教の国の考え方違いなのです。
(韓国の味方をするつもりはありませんが。)

どちらが良いとか悪かと、自国の価値観で考えるのではなく、
お互いの文化の違いを知って理解し合うことが大切ではないのでしょうか。

<目次>↓

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『スカートの風(チマパラム)』

20101115 『スカートの風(チマパラム)』
~日本永住をめざす韓国の女たち~
呉 善花(オ・ソンファ)/著
三交社

1990年に出版されベストセラーとなった『スカートの風』は、
呉善花さんの最初の著書ですが、韓国で日本語を習ったとはいえ、
1983年に来日当時は殆ど通じず、
日本語学校に通った人とは思えない程の語学力に、
感心せしずにはいられませんでした。

でも、どんな大作家にも編集者は存在するのですから、
それ程驚くことでもないのでしょう…

それは兎も角、
この本には、それまで誰も書かなかった日本で働く韓国人ホステスや、
韓国人留学生の裏側が明かされていました。

例えば、ブローカーへの高額な報酬と引き替えに、
高校卒業証明書や成績証明書の偽造、年齢を詐称したパスポートの偽造や、
日本人男性と偽装結婚の諸々の処理される。
(相手の在職証明書や納税証明書の偽造なども…)…信じられない。

韓国人が目指すもの、それは「権力とお金」。
女性に求められるのは若さと外面的な美だけ、
妻は跡取り(息子)を産む道具に過ぎない、
という、あまりに哀しい韓国の女性たち…

そのため、婚期(25歳前後)過ぎたり、離婚した女性には居場所はなく、
「兄弟の学費のため、両親を養うため」に日本に出稼ぎに来るそうです。

ですが、20年以上も前に書かれたものなので、
現代もそうなのかは定かではありません。

<目次>↓

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面子と沽券

中国人や韓国人の著書(それも男性の)を読んでいると、
「面子(メンツ)がつぶれる」というフレーズが度々出てきます。

どうも中国人や韓国人は、「面子」をとても気にするらしいのです。

面子と似たような言葉に、「沽券(こけん)に関わる」とか、
「プライド(自尊心、誇り)」などという言葉があって、違いはよく解りませんが、
なぜか私は、「プライド」にはプラスイメージがあるのに、
「面子」や「沽券」には、マイナスイメージしかないのです。

それに、これも私個人のイメージなのですが、
「面子や沽券にこだわる」のは、女性より男性に多いように思えてしまうのです…

何かの本に、「面子や沽券にこだわるのは、権力主義者で劣等感の裏返し」
と書いてあったような記憶がありますが、
間違いを指摘され、内心では納得したとしても、口では絶対認めようとしないのも、
器の小ささを見せつけているようで、情けない人と思えてしまうのです。

よく「便座に腰掛けるなんて男の沽券にかかわわる」という男性がいると聞きますが、
腰掛ける動作自体が沽券にかかわるのではなくて、
男より劣る女の考えに従うことが男の沽券に関わることなのかも知れません。

本当に誇りがある人は、自らの過ちを潔く認め反省し改めることが出来る、
と思いますが…。

ところで、中国の「一人っ子政策」に関するトピックスが載っていましたが、
「超々高齢化社会」や「異常な男女比率」「闇っ子」など、
問題点だらけの「一人っ子政策」を廃止しない最大の理由は、
「メンツ」にある。とのことでした。

もしそれが事実なら、国民は被害者でしかないでしょう。

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『ワサビと唐辛子』

20101113 愛蔵版『ワサビと唐辛子』
~受け身の日本人、攻めの韓国人 その強さと弱さ~
呉 善花(お・そんふぁ)/著
祥伝社

「唐辛子は神経に刺激を与え血液の循環を良くし、
精神的に興奮しやすい作用を生み出すが、
ワサビは鎮静作用があり、精神に落ち着きをもたらす」そうです。

韓国人にとって唐辛子は、切っても切れない食品かも知れませんが、
ワサビは、和食には欠かせない食品には違いなくても、
毎日食卓に上がる訳ではないし、嫌いな人もいます。
それにワサビ自体、日本だけのものでもないのですから。

でも、韓国出身の著者が、日本人をワサビに、韓国人を唐辛子にたとえて、
日韓の文化の違いを考察されていたことには興味深かったです。

現在、日中関係は緊迫していますが、日韓についてはどうなのでしょうか?

日本人には理解出来ないまでの中国・韓国人の反日感情は、
愛国という名の反日教育の結果で、一種の被害妄想、
また異常に面子に拘るのは劣等感の裏返し、では?と思っていましたが、
それだけではなさそうです。

よく言われる「歴史観の違い」にしても、
日中韓の「歴史教育の違いからくるもの」位に思っていましたが、
「歴史観の違い」は、民族や祖先に対しての思考の違いのようなのです。

「過去は水に流す」「過ぎたことに拘るな」や、
「死ねば仏になる」「死者に鞭打つな」という考え方が日本にはあり、
中韓から繰り返される抗議行動に、多くの日本人は、
「それはもう過去のこと、何度も謝罪もしたし賠償も済んでいるはずだ。
日本には戦争を放棄する憲法だってある。
戦前のことは、昔の一部の軍国主義が起こしたことであり、
日本国民も被害者なのだ」と考える…

それに対して、儒教の国の中国と韓国の人たちは、
「過去の罪を忘れている。子孫が負うべき先祖の罪から逃れようとしている」
反省していないということは過去の過ちを繰り返す可能性があることだ」
と感じるようなのです。

なにしろ日本とは違って韓国では、毎年親族が集まり、
四代前の祖先の祭祀を行っているそうですから…。

<目次>↓

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小春日和

このところ穏やかな小春日和が続いています。

でも、私にとって小春日和のイメージは、
“木枯らしが吹く頃に訪れる穏やかで温かな日”…

この辺は殆どいつも穏やかなので、“風が無い日”がそうかしら…
…夕方には吹きますが…

こんな穏やかな日には、
お茶のみ友達と、縁側で日向ぼっこしながら、
とりとめのない話をしたい…

“~だけど我が家に縁側がない
話し相手のお茶のみ友達もいない~”

まだそんな歳ではないわ…
それなら郊外へサイクリングでも…
と、思ったのに、結局、いつも通り雑用で終わってしまいました。

手元の『美人の日本語』を開いてみたら、
今日は「山茶花」…

かつて「山茶花」は「さんざか」で、
「新しい」は「あらたしい」が正しかったそうです。

ということは、いずれ「雰囲気」も「ふいんき」になるのかも。

私は、優しい「さざんか」の響きが好き、
隣のページの「とこしえ(永久)」も優しい言葉ですね。

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柳原白蓮

昨夜の「歴史ヒストリア」で、柳原白蓮について放送していました。
タイトルは、
「華麗なる歌人 愛なき館からの逃避行~柳原白蓮の生涯~」。

柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん、本名・燁子(あきこ)1885(M18)~1967(S42))
について、詳しくは知りませんでしたが、
大正三美人の一人と言われただけあって美しい人です。
でも、つくづく時というものは無情なもの…。

華族や実業家など特権階級の生活ぶりには
隔世の感を思わずにはいられませんしたが、
豪華な暮らしをしていても、上流階級の女性は愛玩動物と同じようなもの。

(wukiによれば)白蓮の父・柳原前光伯爵には複数の妾がいて、
白蓮の母もその妾の一人、
最初の結婚相手も、子爵と女中の間に生まれた男子、
25歳年上の再婚相手にも何人もの妾がいて。
…といった具合に…。

「公開絶縁状」にも驚かされますが、それ以上に驚いたのは、
宮崎龍介と交わした2年間で700通もの恋文…

娘の蕗苳さん大切に保管されていましたが、
あんな凄い恋文を書いていたかと思うと、何だか羨ましい。

メールと絵文字では絶対無理…

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cool japan 江戸~Edo~

テーマは「江戸」。
江戸文化に詳しい、江戸大好き外国人が8名…

隅田川の屋形船、神社で催しされる骨董市、
江戸の味を受け伝えている老舗和菓子店、

江戸時代にあった様々な種類の見立て番付は今で言う「ランキング」、
外国人によれば、
“いかにもランキング好きな日本人らしい”…
外国人にとって現在のランキングは、ノットクールのようでした。

そもそも出演していた人たちの母国には、ランキングの文化が無いとのこと…
私もランキングは好きではありません。

一般の寿司とは一手間(仕事)も二手間も違う江戸前寿司、
その技は代々口伝で伝えられてきたとのことでした。

印象派にも影響を与えた浮世絵、
これぞクールジャパン!

依頼人の版元の意向にそった絵を絵師が描き、
その絵から、彫り師が一枚の絵につき数枚の版木を彫り、
刷り師が多色刷りし、完成した浮世絵を版元が売る…

芸術品です。ポップカルチャーなどと言わないで…
その浮世絵が21世紀の現在も残っているとは素晴らしい。

外国人が憧れる「サムライ、ニンジャ、歌舞伎」は紹介されなかったですが
伝統と職人の技が守られている江戸文化について、
江戸大好き外国人のみなさんも、ご意見番の小林康夫教授も、
いつも以上に熱く語っていました。

「神社の催し物」「番付」「屋形船」「江戸前寿司」「浮世絵」
の中から選ばれたベストオブクールは、「浮世絵」でした。

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『お化粧しないは不良のはじまり』

20101109
『お化粧しないは不良のはじまり』
山本桂子/著 講談社

幕末から現在に至るまでの化粧観と化粧法を、
写真や広告を掲載しながら考察する興味深い一冊。

ペルー来航…
西洋人が初めて見た日本人(既婚女性)は世界一醜かった…

お歯黒と母親の証しの剃り眉した顔はグロテスクで不気味、
日本人は野蛮人…結果「不平等条約」を結ばれてしまった…

明治3年、政府は、お歯黒剃り眉禁止令を発令。
老けて見える剃り眉は廃れたのに対し、お歯黒は続けられ、
「歯が白くて鬼婆みたいで気味が悪かった…」(昭和9)、
「黒い総入れ歯が作られた」(昭和10)という記録もあるそうです。

最後にお歯黒した人を確認したのは、昭和52年(1977)というから驚きです。

キリスト教圏では、「神が造りし人間、化粧してはならない」
という考えから、化粧は悪徳とされ、限られた職業の女性のみだったけれども、
男尊女卑の日本では、外見の美しさと従順が女性の美徳でした。

戦前に流行したモガについては、
最初にモガの格好をしたのは、洋行帰りの上流階級の女性や、
婦人参政権論者や芸術家といった女性解放思想を持ち、
世間の中傷など意に介さない新しいタイプの女性たちだったようです。

その人たちに影響を受けたのは、マネキンガールやバスガールといった職業の、
男性に頼らないで生きていた女性たちでしたが、
当時は「モガ=ふしだら」、モガは不良娘の代名詞だったようです。

また、モガ独特の化粧法は、リリアン・ギッシュなど、
当時のハリウッド女優を真似ていたとのこと。

ところで、『お化粧しないは不良のはじまり』というタイトルですが、
明治時代、山脇学園初代校長が、
「当今の女学生は、白くもない顔に白粉も付けずケシカラン!」
とコメントしたことに由来してます。

外見の美が女性の値打ちだった男尊女卑の当時、
「玉の輿」と目指す女学生にとっても化粧は重要な身だしなみだったのです。

その箇所を読んだ時、以前、あるTV番組で、
「美しくない女は美容整形するべきだ!」と発言し、周りから顰蹙を買っていた
韓国人男性の勝ち誇った表情を思い出してしまいました。

しかも、みんなから非難されても、
なぜ非難されているのかさえ、理解出来ないようでした。

…ですが、そう思っているのはこの男性だけではなく、
“女は美しくなくては…”、それが多くの男性の本音なのでしょう…

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ロッカーのブログ

最近、ある人のブログが気になっています。

ロックシンガー、ダイヤモンドユカイさんの「ユカイなサムシング」の、
「俺の妻」シリーズ…面白くて、遡って読んでしまいました。

“こんなこと書いちゃっていいの?”
“どこまで本当?”
“これ、ネタじゃないの?”
などなど、思わず吹いてしまったり、ジーンとさせられたり…
(11月5日の記事が特に可笑しかった…)

一般人の妻のことを愚痴ったり罵ったりしては、
自分を正当化しようとしても形勢は不利になるばかり、
同情されるどころか、たしなめられ、奥様の株が上がるから皮肉です。

(男性って、たとえ正論でも、同じ様なことを繰り返し言われると、
ウンザリするのでは…違う相手からであっても…)

これはミュージシャンと一般人の違いなのか、
それとも、男と女の思考の違いなのか…?

誠実で潔い男性がかっこいいと思う女性と、
メンツにこだわり、相手のせいにしたがる男性…

結局、カッコつけてるつもりでも、
妻の手のひらの上で転がされている感じに思えてしまう。

少し前まではダイヤモンドユカイさんのことも知らなかったのに、
今では奥様のファンです。

ドラマ化したらいいのに…
ダイヤモンドユカイさん役は、もちろんご本人で…

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『ついこの間あった昔』

20101107
『ついこの間あった昔』
林 望/著 弘文堂

ピクニックの風景、ままごとやチャンバラ、木の盥の行水、
絞り器のある洗濯機、背筋を伸ばし正座で見る真空管テレビ…等々。

昭和30年代を中心とした白黒写真と、
そこから思い出される著者の過ぎし日の記憶…
二度と戻らない懐かしい思い出が綴られています。

同世代の私にとっても懐かしい…
と言いたいところですが、ちょっと違う。
写されていた(主に長野県、秋田県、東京都)風景も服装も、
著者の思い出(東京都)内容も、私のものとは微かに違って…

今の日本は、風景も服装も日本中どこも同じに思えます。
でも昔は違っていたような…だからでしょうか。

昭和37年(1962)当時、
林さんのお母さんは自動車を乗り回していたそうですが、
当時、私の周辺で、そんな専業主婦がいたとは思えません。
子どもだった私の知る範囲ですが。

「渋谷が田舎だったころ」の写真も、今見れば確かに田舎、
でも、当時の地方に比べれば、やっぱり都会かも。

<目次>↓

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プリンスエドワード島

昨日とは違って、今日は朝から爽やかな気分~

なぜかと言えば、嬉しい情報が入ったお陰で、
プリンスエドワード島の映像を見たからなんです。

「旅サラダ」という番組の「海外マンスリー(4回放送)」コーナーで、
BGMも「赤毛のアン」(ミーガン・フォローズ主演)の曲でした。
(ゲストは佐藤藍子さん。)

この番組、女性を(それも大人の)ターゲットにしているらしく、
イギリスやフランスの田舎とか、ロマンチック街道、メープル街道とかいった
女性が喜びそうな国を取材していたので昔はチェックして時々見ていましたが、
今も続いていたのですね…

カナダを取材する番組は多くても、せいぜいモントリオールかオタワまで、
プリンスエドワードは中々見られません。
遠過ぎるのでしょう。

美しい風景を見ながら「アボンリーへの道」のロケがオンタリオと知って、
ガッカリしたことを思い出してしまいました。

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衝突ビデオ流出

そのうち動画サイトに出るとは思っていましたが、
ついに出ましたね。

珍しく朝からテンション上がりました。
もう野次馬状態…不謹慎…

鬼の首を取ったかのごとく、日本人が
「中国人よ、思い知ったか!」と思ったとしても、
それは日本人の自己満足、中国はこんなことではへこたれたりしない。

それどころが、これまで以上に日本を憎むと思われます。
中国人が「反省しない国民」だとか「逆ギレする、開き直る」とかではなく、
日本人と違って、愛国心があるからどうしようもないのです。

トップは国際ルールより国益第一で、
国民のほとんどは、そこが中国の領海だと教育され信じ込んでいるので、
「よくやった船長!
危険も顧みず、憎き日本の巡視艇に体当たりするとは君こそ英雄だ」
となるわけ…所詮、価値観の違う国なのです。

世界の国々に対し恥を掻かされた菅内閣…
とにかく時期が悪過ぎました。

民主党にとって、海上保安庁も地検も野党と同じ様なもの、
個人なのか組織なのか、投稿した人(側)は覚悟の上だったでしょうし、
真の目的は、そこにあったようにも思えます。

でも、まあ、いずれにしても、誰が投稿したのかはもう判っているのでしょう。
あくまで私の独り言(想像)、悪しからず…

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実物大ガンダム

行楽日和に誘われて、というわけでもないのですが、
図書館の帰り、突然、
「そうだ、京都に行こう!」とばかりに思い立ち、
Uターンして、実物大ガンダムに会いに行ってきました。

ガンダムには興味ありませんが、大きさが気になって…
でも、18メートルは意外に小さかった…
せめて、25メートルくらいあれば、
“凄いっ!”と感動したかも知れないのに…

20101104b ←拡大→ 20101104

それにしても、「実物大」って…(笑)
日本語、間違ってませんか…?


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『サンダカンまで』

20101103 『サンダカンまで』
~わたしの生きた道~
山崎朋子/著
朝日新聞社 (2001)

「山崎朋子」と聞いて分かる人はそう多くはないかも知れませんが、
山崎さんの著書で映画化もされた『サンダカン八番娼館』と聞けば、
多分ご存知の方は多いでしょう。

自伝を書こうとした理由は、
「いつお迎えが来るか分からない年齢になったので、
自分の人生の記録を書き残そう」…と思ったことと、
「おサキさんの人生を記録したことへのお返しとして、
自分の歴史を書く義務があると思った」こと、
また、夫(上 笙一郎さん)の強い勧めがあったからだそうです。

小学校の教師だった山崎さんは、女優への夢を捨てがたく教師を辞め、
美貌を買われモデルのアルバイトをしていたのですが、
その自慢の顔を、無惨に傷付けられたり、
事実婚の相手とは、民族問題で辛い別れを決意したりと、
結構、波瀾万丈だったようです。

被害者意識が強いうえに御自身のことなのに矛盾も多く、
知人のプライバシーや、実母との葛藤などにしても、
故人のことを執拗に書いていて、自己弁護のつもりが逆効果、
正直のところ辟易しました。

何事も言い訳がましくならない方がいい…
…程々が…過ぎたるは及ばざるが如し、です。

<関連図書>
20101103b 20101103c 20101103d
(左)『サンダカン八番娼館』~底辺女性史序章~
   山崎朋子/著 筑摩書房 (1972)
(中)『胸より胸へ』~随想~
   山崎朋子/著 筑摩書房 (1976)
(右)『からゆきさん』
   森崎 和江/著 朝日新聞社 (1976)

『サンダカン八番娼館』と『からゆきさん』は、
近代日本の底辺に生きた女性たちのルポルタージュ。
いずれも昔読んだものですが、あまりに辛すぎて涙無しには読めません。

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ろうか…

拡大鏡越しに爪を切っていたら、
爪に縦線があるのに気付きました。

爪の変化から身体の異常が判ると聞いたことがあり、
恐る恐る調べてみたら……ろうかだって…!

病気じゃなかった、と喜ぶべきとは思っても、
ろうか現象とは悲しいわ。

人から、“(その歳に)見えない!”と言われれば、
口では、“嫌味言わないで…”と答えていても、内心ニッコリ…
もちろん、お世辞とは百も承知ですが。

気持ちは20代の頃と変わらないのに、
ろうがん、しらが、エトセトラ、エトセトラ…
仕方ないですね、そういう歳なのだから。

“生まれた瞬間から老化は始まっている。”
と思うことにしましょう……。

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『差別表現の検証』

20101101 『差別表現の検証』
~マスメディアの現場から~
西尾 秀和/著
講談社

この本によれば、1970年頃からマスメディアにおいて、
過剰とも思える様々な表現規制が行われているそうです。

そう言えば、昔は普通に使っていた言葉なのに、
変換できない文字も多く、入力が面倒です…

差別語には、主に、被差別部落に関するもの、心身の障害に関するもの、
人種に関するもの、職業に関するもの、性同一性障害に関するものなどがあり、
元々は差別語ではなかったのに、差別的に使われたことにより、
差別語と認識されるようになったものが多いようです。

不快に感じる人がいる以上、
差別語や不快語は避けるべきとは思います。

が、たとえば文学作品などで、表現者に差別の意識が無いのにも関わらず、
「四つ辻」や「四つ角」を「十字路」や「交差点」に書き換えさせたり、
「部落、盲点、盲信、めくら判、めくら縞、片手間、片手落ち、狂喜乱舞、狂想曲、
ひとでなし、ろくでなし…」といった言葉まで、差別的と決め付け問題視するのは、
事なかれ主義としか思えません。

というより、表現の自由が守られていないと思えるのです。
(筒井康隆さんが浮かぶ…)

TVで昔の映画を放送する際も、以前は、音声が消された箇所が度々あって、
気分が悪かったものでしたが、9月に放送された『荷車の歌』(S34)では、
「現在の基準からすれば不適切な表現もありますが、オリジナリティを尊重し…」
という趣旨の断り文が、予め流れました。
作品なのだから当然です。

<目次>↓

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