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『荷車の歌』(5)…小説

20100912 『荷車の歌』
山代巴/著
山代巴文庫 第2期・3
径(みち)書房

<目次>
くまごの話から
巡礼
ほら穴の握り飯
ツル代とオト代の孝行
心の虫
ナツノの心の虫
受難つづき
棟木の雪駄あと
気楽な家
さかだつ鱗
妾とともにいて
最後の宝
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映画『荷車の歌』(山本薩夫監督)に感動された方には原作をお薦めします。
原作は、1955年「平和ふじん新聞」に連載された山代巴さんの小説ですが、
主人公セキは、広島県に実在した日野イシさんという女性がモデルで、
イシさんの写真も載っていました。

セキは明治27年(1894)に15歳…
多分、明治10~11年頃の生まれなのでしょうね。

舞台が広島県の山村なため、会話の意味が解りにくかったのですが、
ユニークなのは、セキと、夫の茂市だけが、「さん付け」で書かれていること。
こういう小説、初めて読んだ気がする…

セキは16歳(数え年?)の時、周囲の反対を押し切り、親から勘当されながらも
風呂敷包み一つ(大きさは分からない…)で茂市と結婚、
姑の嫁いびりに耐えながら、夫と共に荷車を引き、
5女3男(長男辰男は4歳で夭折)を産み育てました…

(長女・ツル代、次女・オト代、長男・辰男(夭折)、次男・虎男、三女・トメ子、
四女・スエ子、三男・三郎、五女・フク子…映画では5人でした。)

映画と違って小説では、セキの人生はもっと悲惨でした。
姑の嫁いびりも酷く、茂市も、非常に自己中心的な夫でした。
それでも、当時の男性としては、マシな方だったのでしょうが…

セキにしても、映画のような母ではなく、
姑に執拗に苛められてる次女・オト代を庇うこともしなかったし(出来なかった)、
自分は、親に勘当されてまで、好きな人と結婚したのに、
長女のツル代の縁談を、本人に相談もなく決めてしまったのです。
ツル代には心に決めた人がいたというのに…

映画では出征した三郎が脱腸で帰された時、世間体を気にする茂市から庇い、
家にあげてやりましたが、小説では一切口出しをせず、家に入れなかった…

また映画では、夫が連れ込んだおヒナを、三郎が追い出してましたが、
小説では息子は父を支持し、居続けたヒナの最期をセキが看取ったのです。

自分が、どんなに姑から理不尽に虐められたとしても、
自分もその年になると打算が働き、世間体を気にするようになるのです。
結局、人間は、視点が変わると考え方も変わるということなのでしょうか?

女の子ということで、生まれた我が子を抱きもしなかった茂市でしたが、
それでも、人並みの愛情はあったのです。
原爆投下後、広島に住む長女(映画ではスエ子)一家を案じ、
三日三晩歩き回って捜したことで白血病になり、亡くなったのでした。

家父長制の時代では、女に生まれたのが不運、
女と言うだけで虐げられ、生涯、我慢と忍耐を強いられたのですが、
いつの世にも例外はいるもので、次女・オト代(映画では長女)の、
明るく活発で、前向きな生き方には感動しました。

労働シーンや米騒動など、いかにも山本薩夫監督らしい作品なのに、
映像的にはとても幻想的で、民話の世界を観ているような感じさえ受けました。
半世紀も昔の光景だからでしょうか…?

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コメント

私は小学生の時に「映画教室」で見ましたが、漠然とした記憶はあったのに、映像は全く覚えていなかったことに気付かされました。原作も良かったですよ。録画を見る前に原作を読むことをお薦めします。

投稿: Michi | 2010年9月13日 (月) 09:53

僕もこの映画にかすかな記憶があって、普段は見ないテレビ欄を見たら「荷車の歌」が載っていて、あわてて予約録画しました。まだ見る時間がなくて見てませんが、望月優子、三国錬太郎の顔がタイトルを見ただけで浮かんできます。他は、何にも覚えてませんけど。なぜか、五感で感じる記憶っていうんでしょうか、これまた見たいと思ってたんだと感じた時に丁度出くわしました。不思議かな。

投稿: katarohina | 2010年9月13日 (月) 01:51

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