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2010年7月

「ガスの消息」…Felicity & Gus

結婚式を間近に控えたフェリシティの右手には、ルビーの指輪が…

母から、「まだガスを思い出すんでしょ?」と聞かれ、
フェリシティは、
「もう、そんなには…たまに夜眠れない時とか、明け方、目が覚めた時ぐらい…」
と答えましたが…

ウエディングドレスの仕上げ中、フェリシティに長距離電話が掛かり、
「…あの人を立ち直らせて…」と言う…

電話は、カレーの乙女が沈没したアメリカのチャールストンから…
フェリシティは、母の反対を押し切り、ヘティとガスを探す旅に出ます。

チャールストンで、ようやく見付けたガスは事故で失明していて、
フェリシティを拒絶…

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Felicity     「無事なら、なぜ報せてくれなかったの?」
Gus       「…出来なかった。
                …君には、アボンリーへ返って、幸せになって欲しい…」
Felicity     「馬鹿なこと言わないで」
Gus       「…とにかく帰るんだ」
Felicity     「あなたと一緒でなきゃ、絶対帰らない!」
Gus       「俺を見ろ!…足手纏いだ。…何の役にも立たない」
Felicity     「あなたと一緒にいられれば、それでいいのよ」
Gus       「…帰れ!」
Felicity     「ここで、一生、カゴを作るの!?」
Gus       「帰れって、言ってるだろ!
                …二人で、幸せになれると思ってるだろうが、
             俺の気持ちを、ちっとも解ってない。
         …俺には、もう、人生に希望なんてものが無いんだよ」
Felicity    「そんなこと、言わないで!…」
Gus      「元には戻れないんだ…もう、二度と…
          これからは誰も愛さない。
         一人で生きるって決めたんだ、一人で…
               …もう君を愛していない…」
Felicity     「…諦めないわよ!
                たとえ、ここで、一生待つ事になったって構わないわ。
               あなたと一緒でなきゃ、絶対、アボンリーへ帰らない!」

いつもはガスに優しいヘティですが、ガスを激しく叱りつけます。
フェリシティの情熱とヘティの愛に、ガスの気持ちに変化が…

Felicity  「お願い、一緒に帰って!
       置いてくなんて出来ない。
              みんな、あなたを待ってるし…愛してるの。
       …お願い!」
Gus    「…ずっと旅してたよ。
               色々見たよ。
               夜空の南十字星や、水面に踊る聖エルモの炎…
               日の出も見た。
               スペインの古びた港でも…マヤの古代も町でも…
               もう、決して見られない。
              君の顔も、もう二度と…」
Felicity   「お願い、一緒に帰って!…」
Gus    「帰ったって、君に、迷惑を掛けるだけなんだ」
Felicity   「いいの…あなたが、そばにいてくれるだけで」
Gus    「…結婚の話は忘れよう。俺に気兼ねしないでくれ」
Felicity   「何も心配しないで…」

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“絶対スチュワートと結婚する筈がない。
ガスは必ず生きている。でもなぜ消息が跡絶えたままなのかしら…?
もしかしたら、記憶喪失かも知れない…”
などと想像していましたが、まさか失明していただなんて…

再会を果たしたフェリシティとガスでしたが、
ブランコに並んで乗った二人に、笑顔はありませんでした。

ガスは失明、フェリシティはスチュワートと婚約…
これからのことを思えば当然ですよね。

関連記事…アボンリーへの道「ガスの消息」

<第7シリーズ>
第89話「ガスの消息」(Return to Me)より

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洗顔石鹸

いつもお化粧をしていないので、洗顔にもこだわりは無いのですが、
洗面台やお風呂場には、なぜか色々あるのです…

炭石鹸、ベビー石鹸、「生活の木」のハーブ石鹸、ハチミツ入りのスクラブ、
お茶の葉エキスの洗顔フォーム、クレンジング&洗顔フォームなどがあって、
その時の気分で次第ですが、一番使うのは香りの優しい固形のベビー石鹸です。

ドラッグストアに行ったついでに、ベビー石鹸の予備を買おうと探したところ、
いつも使っているベビー石鹸(キューピーの絵)がありません。

20100730 そこで思い出したのが、この石鹸…
昔よく使っていました。
昔から変わらないレトロ感漂うデザインが、
安心感を抱かせます。

今まで私は、「ユゼ黒砂糖石鹸」と思い込んでいたのですが、
「ユゼ黒砂糖洗粉」だったのですね…初めて知りました。

香りはやや強め、でも、自然で懐かしい香りなので気になりません。

ユゼといえば、小さい瓶に入った液状の「はちみつ石鹸」というのも、
昔、何度か使ったことがあります。

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「ガスの消息」

結婚式を4日後に控えたフェリシティに、
アメリカのチャールストンから、長距離電話が入ります。

受話器からは、若い女性の声で、
「…あなたに会いたがってる…あの人を立ち直らせてあげて…」と…

ガスの事と直感したフェリシティは、
ヘティと共にチャールストンに向かいます。

船で知り合った地元の紳士ホレイスは、二人の力になってくれますが、
ヘティは信用しません。
(“人を見たら泥棒と思え”ですね!)

若い船員のジミーは、ガスを知っていて、
「カレーの乙女」の遭難の模様と、ガスの最期をフェリシティに話しますが、
何かを隠している様子…

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チャールストンに到着し、
ガスの写真片手に、教会病院や町中を歩き回ったフェリシティは、
偶然、電話の声の女性を見つけます。

ガスは生きていた!
漁船に助けられたガスは、電話の女性の家で世話になっていましたが、
事故で失明したことで心を閉ざし、フェリシティにも「帰れ!」と拒絶…

フェリシティは、
「あなたと一緒じゃなければ、アボンリーへは帰らない!」
と言い残して、ガスの部屋をあとに…

ヘティから、
「…少しでも意気地があるなら闘いなさい!
それが出来ないなら、どこででも野垂れ死にすればいいわ!」
と、一喝されたガスは、ようやく、アボンリーへ帰る決心をします。

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「パパの死」に匹敵するほどの、工夫のない邦題ですよね。
いくら青少年向きのドラマとはいっても…

ちなみに、オリジナルタイトルの「Return to Me」は、
アボンリー駅で見送った時のスチュワートの台詞のようです。

この見送りのシーンと、ニューヨーク行きの船のシーンはカットされていました。
つまり、チャールストンへの旅は、列車~船~船だったわけですね。

疑問…最初は、ガスのことを婦長に聞こうとしていたのに、
婦長に会えた時に、何も聞かなかったのはなぜ…?

<名言>
「おばあちゃんが言ってた。
家族と合う人こそ、最良の相手だって…」(ジャネット)

「結婚式って、そういうものよ。
最後の最後まで、何だかんだ、面倒が起こるんだから…
でも、何とかなるものよ」(オリビア)

「悲しいことだが、愛にも、やっぱり限界がある。
時には、誰かをどんなに愛していても、報われないこともあるんです」(ホレイス)

関連記事…「ガスの消息」(Felicity & Gus)

アボンリーへの道<第7シリーズ>
第89話「ガスの消息」(Return to Me)より

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『纏足の靴』

20100728 『纏足の靴』~小さな足の文化史
ドロシー・コウ/著
小野和子+小野啓子/訳
平凡社

題名に目が留まり、興味本位で借りてきましたが、
纏足を肯定的に捉えていたのには、少なからず違和感を覚えました。
香港出身の著者だからでしょうか…?

正直なところ私は、纏足そのものが余りに残酷なものなので、
美しく刺繍を施された纏足靴にさえ、全く感動出来ませんでした。

靴にどんな美しい細工が施されていようとも、履いている足そのものが、
夫にさえ見せられないグロテスクな形なのですから…

纏足を始めて知ったのは、パールバックの『大地』、
成功した王龍が、糟糠の妻の阿藍を捨て、第2夫人を囲ったたことから、
自分の大きい足を嘆いた阿藍が、娘に纏足させた場面があり(前後している?)
中学生の私は、かなりのショックを受けました。

『ワイルド・スワン』にも、纏足だった著者の祖母が、
死ぬまで消毒を欠かさず、苦痛に耐えていたことが書かれてありました。

この本の冒頭に、
「…かつて日本は、中国から儒教、漢字、律令制など様々な文化を取り入れたが、
中国にとっては重要だったにもかかわらず、「科挙」「宦官」「纏足」の三つは
取り入れなかった…」とありました。

「科挙」については疑問ですが、
他の二つは、取り入れられなくて本当に良かったです。

最後には、
「…一人ひとりの女性が、自らの思いと周辺の状況に最も相応しい形で、
いつ、どのように纏足するかを判断していたのである…」と…
これにも、説得力を感じることは出来ませんでした。

4~5歳の幼女に、そのような判断力が有るはずもなく、
あくまで娘の将来の縁談のためにと、どんなに激しく泣き叫ぼうと、
容赦なく、母親や祖母がしていたこと…

新しい靴で靴擦れが出来ただけでも辛いのに…

「纏足」「盲妹」「宦官」など、外国人には野蛮で残酷に思えても、
かつての中国の文化であり、生きていくための手段でもあったのでしょうから、
日本人の私が、とやかく言っても始まりませんが…。

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フルーティーな梅干し

去年の梅干しが沢山残っていたので、
今年は2kgだけにして、紫蘇を使わない梅干しにしました。

そのまま食べると、10%でもかなり塩辛いのですが、
お結びにしたら、梅干しとは思えないほどフルーティーでした。

漬け込む期間、冷蔵庫に入れられるスペースがあれば、
もう少し塩分濃度を下げても大丈夫です。

<材料・用具>
南高梅…2kg(97個)
粗塩…200g(10%)
ホワイトリカー…200ml

漬け物容器…磁器製
落とし蓋…皿を代用
重石…3・5k、1k
ポリ袋…大小(落とし蓋、重石をポリ袋に入れる)
ラップ

保存容器

<作り方>
6月13日
(1) 水洗いした梅を約5時間水に浸けてアクを抜く。
(2) 竹串か爪楊枝でヘタを取り、ペーパータオルで水気を丁寧に拭く。
(3) ポリ袋に、梅、ホワイトリカー、粗塩(2/3量)を入れ馴染ませる。
(4) ホワイトリカーで拭いた漬け物容器に、ポリ袋から出した(3)を入れ、
   残りの塩を梅の上から全体にまぶし、落とし蓋を乗せラップをかぶせ、
   重石(3,5K)乗せる。
(5) 容器ごとポリ袋で覆い、袋の口をゴム紐でしっかりしばり、蓋をかぶせる。
   涼しい場所で保管する。

6月21日 重石を1kにする。
6月30日 重石を取り、落とし蓋代わりの皿を一回り小さいものにする。
7月25日 天日干しをして、貯蔵瓶に入れる。
(白梅酢は別の瓶で保存)

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保存容器はピクルスの瓶です。
(途中の写真がなくて御免なさい。)

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cool japan 修学旅行 in 奈良 Nara

今回は「平城遷都1300年」の古都奈良へ修学旅行…
参加した外国人はいつもより少ない5名だけ、予算の都合でしょうか?
希望者は多かったでしょうから、5人はラッキーでしたね。

修学旅行なので、リサさんによる奈良の説明からスタートしました。
(私も、京都は修学旅行以外、何度も訪れてるのに、奈良は修学旅行だけかも?)

「奈良は日本の始まりの地」といわれ、世界遺産登録は日本一。
(法隆寺地域の仏教建造物、紀伊山地の霊場と参詣道、古都奈良の文化財)

奈良公園では、天然記念物の野生の鹿の「鹿寄せ」に驚き…
(私は、吉永小百合さんの「♪奈良の春日の青芝に~」にビックリ!)

東大寺では、巨大な大仏に驚き…
(私は大仏より大仏殿の大きさに驚きましたが…)

平城宮跡では、当山ながら「せんとくん」に賛否両論…
(どちらかと言えば私も否定的、でも、経済効果があるのも事実。)

次に一行が向かったのは、飛鳥鍋や茶がゆなど、
伝統料理を出してくれる民宿でした。
(海が無い地でも、鮪のお刺身や海老フライなどを出す宿が多いです。)

それから、奈良の墨…油煙墨の作り方も学びました。

そして最後は、薬師寺にて、写経に挑戦…
漢字より正座に苦労されていたようでした。

一時間後、書き終わる頃には、外はとっぷり日は暮れて…
でも、なぜか次の場面は明るかったです。

衣装が同じなので、宿泊したようでもなし…
テレビの編集って判りませんね。

「鹿 」「大仏」「マスコット(せんとくん)」「伝統料理」「墨」「写経」
ベストオブクールは「奈良の鹿」でした。

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サマーバッグ (3)

ようやく中袋とファスナーを付けました。
中袋には、ポケットを二つ…

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どうやら夏に負けてしまったみたい…

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花火

花火大会…
徒歩10分ほどですが、
そんな元気はないので、部屋から眺めました。

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仕掛けやスターマインが見られないのが残念…
(右端はお月様。)

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『図説 着物の歴史』

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『図説 着物の歴史』 橋本澄子編 河出書房新社

日本人は控え目で、美意識は侘・寂…
でも、戦前の着物を見ると、大胆な文様の豪華絢爛さに驚かされます。

それらは、いずれも、特権階級のごく一部の人だけのもので、
民衆はボロ同然を身に纏っていたのでしょうが…

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「猩々緋羅紗地違鎌文陣羽織」(東京国立博物館蔵)

小早川秀秋所用と伝えられている陣羽織。
厚地のラシャ地に切り嵌の手法で、アップリケではありません。

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「白地大漁模様中形浴衣」(株式会社松坂屋蔵)

控え目ともワビ・サビとも程遠いこの浴衣は、
先週の「美の壺」(「ゆかた」)でも紹介されていましたが、
浴衣には珍しい絵羽模様で、
網目に巨大な海老、それに河豚や蛸や魚が染められています。

一体、どんな人が袖を通したのでしょうか?
こんな奇抜な浴衣を着て、我が物顔に闊歩すれば、
さぞかし目立ったことでしょう。

「粋が過ぎると下品になる。品が過ぎると野暮になる」

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「はた結び」

編み物で糸を繋ぐ際は、いつも「はた(機)結び」ですが、
糸端が短くても結べるうえ(糸端を人差し指に乗せたまま)、
結び目も小さく、「こま結び」より解けにくい点が気に入っています。

実を言うと、子供の頃に祖母や母がしていたのを見て、自然に覚えたので、
「はた結び」という名前は、最近まで知りませんでした。

「はた結び」の結び方・(右利きの場合)

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(1) 人差し指の上に、左手に持った糸(B)を上に交差させます。
(2) 交差している所を、左手の親指で押さえながら、
   右手で持った糸(A)を、Aの端の下側を通して、クルリと巻き付けます。

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(3) Bの端を、右手の親指で、輪の中に通します。(折り曲げる要領)
(4) AとBの糸先と元を、均等に引っ張ります。

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(5) 「はた結び」の出来上がり!

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サマーバッグ (2)

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18日に編み終え、その後ほったらかし状態。
まだ、内袋は付けてないのですが…

<サイズ>
約32cm×22,5cm、底・32cm×3cm

<材料・用具>
20100717a 手芸糸…150g(25g(約50m)×6巻
      (黄麻(ジュート)58%、綿24%、アクリル18%)
      100円ショップで購入しました… 
      (糸のつなぎ方は、「はた結び」)
      
かぎ針…6/0号(底・側面)
            5/0号(縁の細編み・持ち手)

<編み方>
「毛糸のピエロ」さんのこちらを使わせて貰いました。

<側面>
「長編み表引き上げ編み目」と「長編み裏引き上げ編み目」。
すくい方を変えるだけで、長編みで市松模様になりま す。

<持ち手(2cm×39cm)>
くさり編み(68目)で作り目し、「底」の要領で細編みを2段編みます。
チクチクするので、薄手の接着芯を貼った裏地を縫い付けました。

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食欲不振

梅雨明けしてからも、
はっきりしない空模様の年もありますが、
今年は、17日から晴天続き、
しばらく降りそうな気配はありません。

乾燥機の出番がないのは嬉しいことですが、
食欲が湧かないのが悩みです。
空腹感はあるのに…

好き嫌いが無いからかも知れませんが、
お腹が空いても、冷たい麺類や冷や奴以外、
食べたいものが思い付かないのです。

と言っても、食欲がないのは昔からで、
それも、夏に限ったことではないのですが…

何とかしなければ…。

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ワタシの見たニッポン~外国人による日本語弁論大会~

ETV特集
ワタシの見たニッポン~外国人による日本語弁論大会~

毎年楽しみにしている「外国人による日本語弁論大会」も51回目で、
その内訳は、
女性7名(中国4名、韓国2名、インドネシア)、
男性5名(ジンバブエ、ブラジル、アメリカ、インド、バングラデシュ)でした。

スピーチにはパターンがあるようで、
来日前の期待と不安、来日直後のカルチャーショック、葛藤と理解(順応)、
そして、感謝と提言(苦言も)…

日本文化を理解し賞賛して貰うことで、安心と満足を得る日本人、
感動しながら考えさせられる…私もその一人ですが…。

今回、編集の仕方に、多少の不満を覚えましたが、
それ以上に残念だったのは、出場者の服装でした。

例年は、民族衣装やキモノなど、個性的な服装が多いのに、
今年はチャイナドレスの中国の女子大生と、チマチョゴリの韓国の女子大生以外、
なぜか、みなさん黒(ダーク)のリクルートファッション(?)…
キチンとはしていても個性が感じられませんでした。
(アドバイスでもされたのでしょうか?)

結果は、
主催団体特別賞 ジェレド・ヨハン・ダイヤーさん(アメリカ人の高校生・15歳)
           「僕の恋人「いなりちゃん」」
文部科学大臣奨励賞 キム・ジョンヒさん(韓国) 「私の韓国語奮闘記」
外務大臣賞&会場賞 ヨウ・ロさん(中国) 「ソコ、読まな!」
…以上でした。

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cool japan 麺(Noodles)

最近は再放送ばかりなので、久しぶりな感じでした。

麺好きな日本人、
スーパーには世界中の麺が売られています。

タクシーの讃岐うどんツアーや、
有名ラーメン店の味を再現している、川瀧祐司さんの絶対味覚にも驚きましたが、
「街のラフカディオ」の、アルジェリア人の蕎麦職人、ベルアザニ・ラクダールさん
(48歳・通称ジンさん)は、蕎麦店を開いて17年、
商売人ではなく、職人そのもの姿勢に感動しました。

きっと、師匠(諸星二郎さん)も、素晴らしい人なんでしょう。
「こんなおいしいものは世界にない。もっとアピールして欲しい」
という彼の表情は、まるで武士のようでした。

「種類豊富な麺」「讃岐うどんツァー」「名店を再現した生ラーメン」「そば職人」
鴻上さんの選んだベストオブクールは、「種類豊富な麺」でした。

私も、麺は大好きです。
よく1日に1度はご飯を食べたいという人がいますが、
朝食はパン、昼食は殆ど麺、夕食も、週2回位は麺で、
何日もご飯を食べなくても平気です。

蕎麦、冷や麦、素麺、うどん、パスタ、中華麺…何でも、
強いて言えば、お蕎麦は、更科より田舎、冬でも冷たいもの、
うどんは、稲庭や氷見が、熱いラーメンより冷やし中華が好み…
でも、行列に繋がって待つのは嫌です。

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サマーバッグ

100円ショップで買った糸で、
サマーバッグを編み始めました。

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ジュートの混紡糸のため、ちょっとチクチクして、
エミーグランデのようにはいきません。

デザインは、「毛糸のピエロ」の無料カタログ、
<作品サンプル&レシピ(編み図)>を利用させて貰いました。

今日はここまで…
出来上がるのはいつかしら…?

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事業仕分け

事業仕分けというと、つい蓮舫さんを連想してしまいますが、
田部井淳子さんのグログによると、
山小屋のトイレの浄化するために、平成11年から環境省から出ていた補助金が、
民営の山小屋のトイレに補助金を出すのはおかしい、入山者が負担すべき、
ということで、事業仕分けで廃止されてしまったそうです。

でも、多くの意見で検討し直すことになり、
田部井さんは検討委員に指名されたそうです。

私が山好きだからかも知れませんが、
民間の山小屋だから、という理由の方こそ、おかしいと思います。

山は山小屋の土地ではないし、登山者のものでもない、
日本の山は日本だけのものではなく、地球の財産、
補助金という形であっても、国が保護して当然でしょう。

最近の山小屋のトイレ事情は分かりませんが、
私の知る限り、昔は、どこの山小屋も無料でした。

もし今も無料だとしたら、やはり有料にするべきだと思います。
自分の後始末なんですから…

山小屋に限らず、海外では、トイレは有料が普通だと聞きます。
日本人は甘えすぎかも…。

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民族衣装

民族衣装はどれも美しい。

韓国・朝鮮のチマチョゴリも、
ベトナムのアオザイも、インドのサリーも、
名前は知りませんが、朝青龍やお母さんが着ていたモンゴルの民族衣装も、
マトリョーシカに描かれているロシアの民族衣装も、
勿論、日本や琉球の着物も、アイヌのアツシ織りも美しいです。

では、中国の民族衣装は何でしょう?
私は、ずっと、チャイナドレスと思っていましたが、
チャイナドレスは満州族の民族服で、
漢民族の民族服は漢服と最近知りました。

でも、驚くことに、中国人(漢民族)の多くが、漢服を知らないとか…
漢服を広めようとしている人達が、漢服を着て出掛けると、
日本人や朝鮮人に間違われるそうなんです。

漢服を着た写真をブログに載せると、
「小日本を打倒せよ!」などと書き込まれるとも…

自国の民族衣装を知らない国があるなんて…
これも文革の影響なのでしょうか?

ちなみに、チャイナドレス(チーパオ)には、元々ズボンがあって、
スリットは膝丈で、ラインもゆったりしていたようです。

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『日本の髪型』

20100714 『日本の髪型』
~伝統の美 櫛まつり作品集~
京都美容文化倶楽部
光村推古書院

図書館から『日本の髪型』を借りてきました。

毎年9月に、京都市東山区の安井金比羅宮で行われる「櫛まつり」は、
使い古した櫛や、折れた櫛に感謝を込めて供養するお祭りで、
式典の後には、各時代の髪型を地髪で結い上げ、
風俗衣装に装った女性たちが、祇園界隈を練り歩くそうです。

この本には、お祭りで再現された髪型のうちの、
古墳時代(300~709)の「美豆良(みずら)」から、
現代舞妓の「先笄(さっこう)」まで、65種類の髪型が紹介されています。

「髪は女の命」という言葉は、今も残っていますが、
各時代の、様々な髪型を見れば見るほど、
昔の女性にとって、髪は命だったことが伝わります。

改めて、着物や日本髪の美しさを実感しました。
国に関係なく、民族衣装は理屈抜きで素晴らしいものです。

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<左>
江戸時代前期の「元禄島田(げんろくしまだ)」
天和(1681~84)から元禄(1688~1704)にかけて流行した
当時の代表的な髪型の一つ。
髷の前に差しているのは、亀甲地楓透彫紋のかんざし。
<右>
大正10年頃に流行した「耳かくし」の一種。
髪をオキシドールで赤く染め、コテを当ててウェーブを出しています。
(大正時代に髪を赤くしていただなんて
 …ごく一部の女性でしょうが…)

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安部公房

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『砂の女』『箱男』 安部公房/著 新潮社

書店で偶然目に留まった不思議な題名…
主人公の名前なの…?
それとも、箱の形をした男…?
それとも…?

想像の余地のないその題名に惹かれ、読み出した『箱男』でしたが、
『砂の女』『他人の顔』…と読むに従って、
次第に安部公房の虜になったのは、もう35~40年も昔のこと…
とにかく面白かったです。

それなのに、『砂の女』だけは、断片的には覚えていますが、
他の本は、全くと言っていいくらい、内容を覚えていないのです。
あんなに夢中になって読んだのに…
またいつの日か、読み返してみたいと思います。

20100713b 『夢の逃亡』『壁』『他人の顔』『飢餓同盟』『けものたちは故郷をめざす』『第四間氷期』『幽霊たちはここにいる・どれい狩り』『水中都市・デンドロカカリヤ』『無関係な死・時の崖』『R62号の発明・鉛の卵』『石の眼』『終わりし道の標べに』『人間そっくり』…安部公房/著 新潮文庫
(知人に貸した本もありましたが、昔のことで題名は忘れました。)

安部公房を思う時、カミュやカフカが浮かぶのはなぜでしょう?
不条理に満ちているからでしょうか。

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出口調査

選挙の結果は、まったくの予想通り、
これで、ねじれ国会となりそう…

タレント候補については、興味ないので確認しません。
…タレント候補の顔ぶれも知らないし…

開票の早い時点で、当確が出ることが不思議でしたが、
決めての一つに、出口調査の結果があるようです。

私も以前、出口調査を受けたことがありました。
今なら、「急いでいるので…」と断ると思いますが、
その時は、内心面倒に思いながらも、正直に答えました。

調査と言えは、私はどうも無作為の網に引っ掛かるようで、
これまでに、色んな世論調査を受けました。

電話による調査では、政治に関するものや、NTTの電話帳についてなど、
個別調査では、調査用紙を渡され、後日取りに来る方法が多く、
1ヶ月間の労働時間や、1週間に視聴したテレビ・ラジオの番組名などで、
それぞれ2回ずつあって、謝礼はボールペンやハンカチでした。

調査は他にもあったと思いますが、どれも怪しいものでなかったのですが、
友人知人の中に、誰も、こういう調査を受けた人はいないのです。

いくら無作為と言っても、私だけあまりにも多いので、
もしかしたら、ブラックリストに載っているのでは?
と疑ったこともありました。

ブラックリストの存在を、信じていたわけでもないのですが…

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選挙

参議院選、行ってきましたよ。
たとえ、お目当てがいなくて、白紙で投票するとしても
選挙は国民の権利ですから。

でも、いつも思うのは、道路の向かい側が投票所なのに、
その前を通り過ぎて、別の投票所に行かなくてはいけないのが辛い。
時間の無駄というか、面倒というか…

もっと合理的な方法があるでしょうに…
それに税金の無駄遣い。

選挙と言えば、以前、20代の知人の女性が
「落選する人には投票したくない」と言っていました。
自分の票を無駄にしたくないから、と…

また、別の知人は、ポストにパンフレットを入れたり(ゴミになる)、
街頭で演説している候補者には、(うるさいから)投票しない、
うるさい選挙カーの人にも…

選ぶ基準は、あくまで見た目…人気投票じゃないのよ。

こういう女性って、結構多いのです。
皮肉なことに、そういう人に限って、
なぜか、毎回必ず国民の義務を果たしているのです。

むしろ、「選挙に行かないで」と言いたい。
きっと、市川房枝さんたちが嘆いていることでしょう。

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綿レースのブラウス

昔買った綿レース地で、ブラウスを作りました。

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綿レース地は、肌に付かないので、
夏のブラウスとして気に入っています。

普段着用は勿論のこと、デザインによっては、
ちょっとしたお出掛け用にもなります。

でも、しっかり水通しして置かないと、
洗濯後には着られなくなりますからご用心…

サイズは、
肩幅36cm、身幅46cm、着丈54cm、袖丈25cm、
(かなりゆったり…)
脇に10cm、袖下に3cmのスリットを入れました。

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雨女

迂闊にも、「日本人の3人に1人は、雨男または雨女…?」
という記事を目にしてしまった!

これ、いつ頃、調査したのでしょう?
もしも、梅雨時に調査したのなら、この結果も当然ですよね。

でも、日本には菜種梅雨も秋雨もあるから…
例え、必ず雨になったとしても、ちっとも不思議じゃないです。

それは、あなたが雨女(雨男)だからじゃないのよ。
たまたまです!…単なる偶然でしかないのです!
と、私は思いますが…

それにしても、本当に日本人って、素直でお目出度いですよね。
それだけ、日本が平和だってことでしょうか?

私も、相当影響されやすいタイプではありますが、
雨がなぜ降るかぐらいは、
小学校で習ったから知っているつもり…

どうしても自分は雨女と信じたいのなら、
サウジかどこかで、一年間、暮らしてみたらいかがでしょうか?
(本気で言ってるのでは無いのでしょうが…)

科学的根拠がないと言えば、
血液型とか、手相とか、パワースポットとか、
やたら最近耳にするような気がします。

遊び半分なら別に構わないのだけれど、
意外に、若い人に限って信じてしまうようで怖いです。

占いぐらいならまだしも、詐欺や怪しい宗教に騙され易いのも、
それだけ純粋だからでしょうね。

みんな商売でやっているのですからね、
それをお忘れ無く。

文字通り老婆心ですが、
くれぐれも、「当たるも八卦当たらぬも八卦」ですよ。

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『日本の髪型と髪飾りの歴史』

20100708
『日本の髪型と髪飾りの歴史』
橋本澄子/著 源流社

古墳時代から明治時代に至るまでの、髪型(女性、男性、子ども)と、
髪飾りの移り変わりが、多くの絵画や彫刻、文献などをもとに、
詳しく紹介されていました。

たけばぬれたかねば長き妹が髪
   このころ見ぬに掻き入れつらむか 「万葉集」

飛鳥、奈良時代は、服飾だけでなく、髪型も大陸の影響を受けていたので、
髪を高々と結い上げていましたが、
平安時代の貴族の女性は、十二単に長~い大垂れ髪(おすべらかし)…

それが、時代が下るに従って、なぜ、少しずつ変化していったのか…?
今までその理由が解らなかったので、目から鱗が落ちました。

それにしても、「お煙草盆」とか「二百三高地」や「行方不明」って、
面白い名前ですね。

ただ、残念だったのは、絵画ばかりだったこと…
各髪型を、現代人をモデルに、地毛で再現して欲しかったです。

そういう本もあるでしょうから、
次に図書館に行った時、探してみようと思っています。

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麦わら帽子の自動車

今年の夏は、カンカン帽が流行ると聞いたことがありますが、
(…アンがかぶっていたような…)
まさか、自動車までもが、麦わら帽子をかぶるだなんて…

4車線の端と端で、はっきり確認出来なかったのですが、
オフホワイトの可愛らしいオープンカーで、
クラウンがドーム型した、巨大な麦わら帽子が乗っていました。

そして、クルマに乗っていた人達全員が、
同じ型の麦わら帽子をかぶっていたようでした。

しかも、すれ違いざまに振り返って見たところ、
尻尾のようなものまで、あったような…

あれは何かのキャンペーン…?
それとも、
ついに私も、見てはいけないものを見てしまったのかしら…?

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祖父

『昭和のくらし博物館』にも取り上げられていましたが、
戦前の男性にとって帽子は、お洒落の必需品だったようで、
昔の写真を見ると、洋服であろうと無かろうと、
猫も杓子も、帽子をかぶっています。

父の世代の男性は、戦争のため、お洒落どころでは無かったでしょうが、
私の母方の祖父は、常に帽子を愛用していました。

干支から推測して、祖父は、多分明治26年生まれ…
私が幼い頃は、既に、晴耕雨読の祖父でしたが、
元の仕事柄、服装はいつもキチンとしていて、
冬は背広に中折れ帽、カジュアルの時はハンチング、
夏は、白い麻のスーツにパナマ帽でした。

明治生まれの祖父は、今時のお祖父ちゃんとは違って、寡黙で厳しく、
幼い私は、ご飯茶碗の持ち方を直されたりしました。

祖父の家(母の実家)の客間の襖(8枚?)には、
子どもには読めない漢詩が書かれていましたが、書いたのは祖父…

私の家に来るときは、いつもバイクでしたが、
なぜか、誰もが「単車」と言ってました。

ハイカラな祖父の趣味は写真で、写していたのは人物が多く、
母の実家へ行った時などは、暗室にしていた離れで、
夜、祖父が現像しているところを、無言で見物していたものでした。

私が知っている限りでの、祖父が写した最も古いカラー写真は、
叔父(母の弟)の結婚式の写真…今から56~57年ぐらいも昔…

最近、母から聞いた話では、
当時、カラー写真の現像は、自分では出来ないので、
カラー写真だけは、東京に送って現像してもらっていたとのことです。

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『昭和のくらし博物館』

20100705 『昭和のくらし博物館』
小泉和子/著
田村祥男/写真
河出書房新社

図書館で偶然目に留まったこの『昭和くらし博物館』には、
懐かしい道具や、家族の思い出の写真が、いっぱい詰まっていました。

「昭和くらし博物館」は、著者の父で建築技師の小泉孝さんが、
昭和26年に設計し建てた一家が45年間暮らしいた家ですが、
家財道具ごと保存し、博物館として公開しています。

1階が、玄関脇の洋室(応接間4、5畳)、4、5畳の茶の間と6畳の寝室、
2階は、4、5畳が2間で、1階と2階合わせて建坪18坪…

1階には、家族6人が、2階の四畳半の部屋には、
それぞれ下宿人(賄い洗濯付き)が暮らしていたというから驚きです。

物が少ない昔だから、可能だったのでしょう。

館長の和子さんは、4人姉妹の長女で、1933年(昭和8年)生まれ…
私とは、大分世代が違うため、知らないことも多いのですが、
茶の間のちゃぶ台も、お釜やおひつも、木製の米びつも、
蚊帳、たらいや洗濯板、火鉢や木炭の炬燵…みんな知ってます。

足踏みミシン(今も現役)や、絞り器付き洗濯機も、勿論知ってます。
(氷の冷蔵庫は無かったけれど…)

私の小さかった頃、母は、ガス台に乗せたお釜で、ご飯を炊き、
炊き上がったご飯は、二枚のしゃもじで、おひつに移してた…

冬には、父が、火鉢の五徳の上で、お餅を焼いてくれ…
また父は、一週間に一度、椅子に乗って柱時計のぜんまいを巻いていた…

足が伸ばせないような、小さな木炭の炬燵なのに、
みんな喜んで…

でも、いつ頃、お釜が、ガス炊飯器と保温ジャーに変わったのかしら…?
いつ頃、食事ができるような赤外線コタツに変わったのかしら…?
覚えていないのです…小学生の間の出来事なので。

テレビが来たのは、3~4年生の頃だったと思うけれど…?

「昭和くらしの博物館」
〒146-0084
東京都大田区南久が原2-26-19
TEL&FAX 03(3750)1808
URL : http://www.showanokurashi.com

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『乱の女』

20100704 『乱の女』
~昭和の女はどう生きたか~
永畑道子/著
文藝春秋

永畑道子さんの文は、無駄がなく簡潔なので、
ノータリンの私には向いています。

『野 の女』明治)『炎 の女』大正)同様、
昭和にも、女権獲得や婦人参政権に命を掛けて闘った
多くの女性たちがいたことを再認識しました。

政治に失望し、最近は敢えて関心を持たないようにしていましたが、
市川房枝さんたちの闘いを思ったら、
せめて参議院選は棄権しないようにしなけれれば…。

参考文献、ざっと300冊…凄い!

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アクセスカウンタ

PSSリーダーで、ブックマークしているサイトの更新チョックをしていたら、
フィードから、
「…次がキリ番だったので自分で踏んでしまった(笑)」
という文字が飛び込んできました。

アクセルカウンタを設置している人の中には、
管理人のアクセスまで、カウントするように設定している人もいるのですね。

驚きました…
自分自身をカウントしても、意味無いでしょうに…なぜ?

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『COOL JAPAN』

20100702 『COOL JAPAN』
~発掘!かっこいいニッポン~
NHK『COOL JAPAN』取材班・編
ランダムハウス講談社

2年半前に出版された、この『COOL JAPAN』の本、
図書館にあったので、「おまけ」として借りてきのはいいけれど、
期待していたような裏話は何も無くて残念でした。

それはさておき、
番組の方ですが、最近、再放送ばかりですよね。
どうなってるのでしょうか…?

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富士山山開き

今年も半分終わってしまいました。ハァ~

そして、今日7月1日は、富士山山開きでした。
今年も残雪が多いために、登山道の全面解除が出来なかったみたいです。

富士宮口は、六合目~八合目まで、
御殿場口は、新五合目~六合目まで、
須走口は、新五合目までが、通行解除だそうですね。

富士吉田口(山梨県側)は、どうだったのかしら…?

そうそう、富士山と言えば、私はまだ見ていませんが、
田部井淳子さんの最近の著書に、
『日本人なら富士山に登ろう! ~今年こそ富士山に登ろう~』(アスキー新書 155)
というのがあります…

私、田部井さんの広報担当じゃないですよ…

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