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『小石川の家(うち)』

20100406
『小石川の家(うち)』 青木 玉/著 講談社

 “土曜日の昼下がり、五月の光は晴れていい陽気だった。
三十三歳の母と九つの私は、小学校の校庭の藤棚の下にいた。

…なにかおじいちゃまがおっしゃったら、言われた通りにすること、口応えや重ね返事、大きな声で騒ぐこと、やたら動き廻ることも、家から勝手に外に出ることもしてはいけない…”  「風邪ひき」より 昭和十三年(1938年)

幸田露伴の娘である幸田文が、父の歿後に筆を執ったように、幸田文の一人娘である青木玉さんも、母の歿後に筆を執って最初の著書となった『小石川の家(うち)』は芸術選奨文部大臣賞を受賞されたのでした。

『小石川の家(うち)』には、離婚した母・幸田文が玉さんを連れて小石川の祖父・露伴の元に戻った時のことから、母との永久の別れまでが美しい文章で綴られていましたが、家族にしか分からない文筆家一家の暮らしぶりが、とても興味深く感じました。

また、幸田文が父の「終焉」を書いいたように、玉さんも母の終焉を「三日間」と題して書いていますが、孫の目から見た幸田露伴の最期も、「“愛”」で書かれていました。

祖父・露伴だけでなく、露伴の手前からか、母からも理不尽な叱られ方をされたことに、
“…なぜあれ程までに叱られなければならなかったのか今でも分からない…”と、疑問を投げかけていたところは昭和生まれならではなのかも知れません。

母譲りの簡潔で美しい日本語ながら、幸田文に比べ控え目な文体に、玉さんの性格が表れているようで好感が持てました。

幸田露伴、幸田文、青木玉さん、青木奈緒さんと、4代も続く文筆家というのも珍しいような気がします。

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