『みそっかす』
『みそっかす』幸田文/著 岩波文庫
『幸田 文全集』第二巻 岩波書店
幸田文さんの『みそっかす』には、誕生から(「はじまり」)、小学校を卒業するまで(卒業」)の回想文がありましたが、文さんだけでなく、家族それぞれの哀しみが伝わってきて切なくなってしまいました。
不幸な子ども時代を送った人は少なくないとは言っても、幼くして生母を失うことの悲しさは経験した者にしか解らないものなのだと改めて納得しました。
生さぬ仲ということは、継母も継子も、周りから好奇と偏見の目で見られ、いじめの対象にもなったわけですから、その辛さ情けなさは相当なものだったでしょう。
後妻の児玉八代さんは、露伴と結婚した44歳まで、横浜の香蘭女学校で教師をしていた女性で、カントやソクラテスを読むようなインテリのクリスチャンだったので、自立していた八代さんは、自分の信念を通す人だったようでした。
女は男に合わせる時代に、露伴と継母は価値観が違いうえに、お互いが譲らない性格だったので諍いが絶えなかったのです。
露伴にとっても、八代さんにとっても、また子どもたちにとっても、再婚は幸せな家庭とは程遠く、むしろ試練だったことでしょう。
文さんと継母とのわだかまりも、夫婦の仲がしっくりいっていなかったことの結果にも思えました。でも、八代さんという人も、決して悪い人ではなかったのです。
たとえば「リボン」に、継母に買って貰ったリボンの中でも、一度も使ったことのないお気に入りのリボンを、オバ公さん(生母の姉)に取られてしまったことを継母に知られた時のことが書かれていて、
“……ははは何ともいわず蒲団を著(き)せて、「受くるよりも与うるは幸いなりっていってごらん」と教え、「また買ってあげる」といってくれた。のちに女学生になって、ふと仁丹を買ったとき、紙容器に金言(きんげん)と題してこの句が刷ってあったのを見たときに、あらためて母の態度を認めないわけには行かなかった。ははに貰った懐かしい財産の一ツである。”
“さすがクリスチャンだわ!”と、少なからず救われた気分になれました。
救われたと言えば、父の幸田露伴も、ただ厳しい父親だったわけではなく、「お手玉」や「おはじき」などで遊んでくれたりもしたそうなのです。
しかも、とても上手だったというから意外です。
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