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2010年3月

「サクラと日本人」

新年度ということで、たくさんの新番組がスタートしましたが、
興味が湧いた「歴史は眠らない」という番組の「サクラと日本人」<全4回)の
1回目「サクラの美の誕生」を見ました。
イギリス出身の作家のC・W・ニコルさんが、伊豆の河津町と冷泉家を訪問…

「花」と言えば桜を意味するほど、日本人の多くが桜を愛していますが、
大陸文化の影響を受けていた奈良時代までは、「花」は梅のことでした。

和歌や仮名などといった日本独自の文化が花開いた平安時代になり、
平安貴族が和歌で桜を謳ったことから、「花」は「桜」となったのでした。

  春の花を たづね
  秋の紅葉を見ても
  歌といふものなからましかば
  (中略)
  なにをかは 本(もと)の心ともすべき
               「古来風躰抄 (こらいふうていしょう)」…藤原俊成

週末には、お花見に出掛ける人も多いでしょうね。
お天気がちょっと心配ですが…

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アガサ・クリスティー

何かの切っ掛けで、目が向いてしまうのは昔からの悪い癖ですが、
先程アガサ・クリスティーの本を借りてきてしまいました。

本当は、『復讐の女神(Nemesis)』と、『無実はさいなむ(Ordeal by Innocence)』を
借りたかったのだけど、生憎、最寄りの図書館では貸し出し中だったので、
『バートラム・ホテルにて』と『ゼロ時間へ』、それに、『復讐の女神』の前編(?)の
『カリブ海の秘密(A Caribbean Mystery)』の3冊を借りてきました。

ドラマと原作は違うにしても、『バートラム・ホテルにて』と『ゼロ時間へ』は
ドラマを観て犯人が判っているから、今更読むのもちょっと変ですが。

だけど、他にも読みかけの本が何冊かあって、このところ編み物もしているから、
時間が足りないわ…

ミス・マープルやターシャさんと違って不器用だから、
手元を見ないで編むことが出来ないため、同時進行が不可能なんですよ…。

20100330 『バートラム・ホテルにて(At Bertram's Hotel)』 乾 信一郎/訳
『ゼロ時間へ(Towards Zero)』 田村隆一/訳
『カリブ海の秘密(A Caribbean Mystery)』 永井 淳/訳
アガサ・クリスティー ハヤカ ワ・ミステリ文庫

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「太宰治短編小説集」

「ミス・マープル」の録画には、すごい特典が付いてました!

種明かしは…
ミス・マープルの後の「太宰治短編小説集」という番組で、
ついでに録画しておいたのですが、思いの外面白くて、大儲けした気分でした。

「走れメロス」「女生徒」「雪の夜の話」「犯人」「きりぎりす」「トカトントン」「畜犬談」
の7作で、それぞれ30分位の実写やCG、アニメーションなどに映像化したものですが、
サスペンスドラマ風だったり、ファンタジー、狂言、講談、落語の世界だったり、
新劇風のセットだったりと、バラエティーに富んだ構成で、飽きることなく楽しめました。

「走れメロス」は、サラリーマンのメロス役に森山未來さんでした。
私は森山さんを初めて見ましたが、全力疾走やバレエシーンには仰天!
また、田中泯さんやモロ師岡さんにも感心しながらも笑えましたね。

「雪の夜の話」は読んだことがなかったのですが、
田畑智子さんの朗読がアニメーションにピッタリで、優しく心温まるお話でした。
しゅん子(私)の兄さんが、太宰治とオーバーラップしてしまいましたが…。

「畜犬談」は活字で読んだ時も、可笑しくてつい笑ってしまいましたが、
ユーモラスなアニメーションと、斉木しげるさんのとぼけたような朗読に、
頬は緩みっぱなしでした。

太宰治の作品に触れると、小説にも関わらず、
なぜか登場人物に作家自身を重ねてしまう癖があって、
“太宰治も犬を恐れていたのかしら…?”などと思ってしまうのですよ。
単純ですね…。

それにしても、内容も文体も、青空文庫で公開されているとは思えない程、
時代を感じさせないと改めて感じました。
つまり、私自身が古いということなのですが…。

映像で見るのもいいですね。
もっともっと見たいナ…

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「ミス・マープル3」…(3)

「ミス・マープル」の録画を見ました。
(「バートラム・ホテルにて」「無実はさいなむ」「ゼロ時間へ」「復讐の女神」)

本当に久々に見たドラマでしたが、期待を裏切られることもなく、
アガサ・クリスティーのミステリーを堪能出来ました。

ただ、残念なことに、ミス・マープルと違って観察眼のない私は、
4話とも最後まで犯人が判りませんでした。

ところで、原作を読んでないからでしょうか、それとも特別頭が悪いせいでしょうか、
腑に落ちない点も多かったです。

たとえば、第4話では、なぜ、ミス・マープルが、ドイツ人の作家ラフィールから、
ネメシス(復讐の女神)と言われていたのでしょう…?

また、ラストシーンも不可解でした。
ミス・マープルが誤って薔薇のトゲを刺し、指の血を見た瞬間、
ラフィールの「正義を水のように流れさせよ。正しい行いを尽きない流れように…」
という言葉を思い出し、何かを悟ったような表情を浮かべていましたが、
あれは何だったのでしょう…?

私だけかも知れませんが、映画でもドラマでも、原作がある作品は、
読んでないと理解出来ないところもありますよね。

久しぶりに海外ドラマを見ましたが、
やっぱり、吹き替え声優特有の、耳障りな口調が気になりました。
本業が俳優さんの吹き替えでは感じないのですが…

抑揚のない独特の言い方は、別に構いませんが、
日用会話では有り得ないような、語尾の独特な息の抜き方と言うか…

「復讐の女神」では、ミステリーツアーのガイドが最初の目的地のフォレスター邸の
邸内を説明をしている時の喋り方が聞きにくかったです。

ドイツ人のマイケル・フェーバー役の俳優さん、
「アボンリーへの道」のフェリックスに、ちょっと似ていたような…

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金嬉老

金嬉老(きんきろう)が死去したとのこと…

少し前に、「死ぬ前に母親の墓参りがしたい」と、
日本に渡航希望しているとの記事を見たばかりだったので驚きました。

金嬉老事件は、もう40年以上も昔の出来事ですが、
全国的にはどの程度か判りませんが、
地元にとって、それも私の世代以上の者にとっては、有名な事件でした。

詳しい経緯は知りませんが、清水市内で暴力団員二人をライフルで射殺した後、
逃亡先の寸又峡(すまたきょう)温泉で、人質をとって籠城したことから、
それまで、地元でも知る人ぞ知る存在だった寸又峡温泉が有名になり、
金嬉老と言えば、すぐ、寸又峡温泉が連想される程になったのです。

韓国に帰国後は、「人種差別と闘った」と英雄扱いされた時期もあったようでしたが、
母国でも事件を起こしたことから、評価も落ちてしまったらしいです。

金嬉老の死は、日本政府にとっては好都合だったようにも思えますが、
「遺灰の半分は父親の故郷の釜山の海に、
半分は母親の眠る静岡県内の墓地に埋めて欲しい」という遺言は、
果たして叶えられるのでしょう か?

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『みそっかす』

20100326
『みそっかす』幸田文/著 岩波文庫
『幸田 文全集』第二巻  岩波書店

幸田文さんの『みそっかす』には、誕生から(「はじまり」)、小学校を卒業するまで(卒業」)の回想文がありましたが、文さんだけでなく、家族それぞれの哀しみが伝わってきて切なくなってしまいました。

不幸な子ども時代を送った人は少なくないとは言っても、幼くして生母を失うことの悲しさは経験した者にしか解らないものなのだと改めて納得しました。

生さぬ仲ということは、継母も継子も、周りから好奇と偏見の目で見られ、いじめの対象にもなったわけですから、その辛さ情けなさは相当なものだったでしょう。

後妻の児玉八代さんは、露伴と結婚した44歳まで、横浜の香蘭女学校で教師をしていた女性で、カントやソクラテスを読むようなインテリのクリスチャンだったので、自立していた八代さんは、自分の信念を通す人だったようでした。

女は男に合わせる時代に、露伴と継母は価値観が違いうえに、お互いが譲らない性格だったので諍いが絶えなかったのです。
露伴にとっても、八代さんにとっても、また子どもたちにとっても、再婚は幸せな家庭とは程遠く、むしろ試練だったことでしょう。

文さんと継母とのわだかまりも、夫婦の仲がしっくりいっていなかったことの結果にも思えました。でも、八代さんという人も、決して悪い人ではなかったのです。

たとえば「リボン」に、継母に買って貰ったリボンの中でも、一度も使ったことのないお気に入りのリボンを、オバ公さん(生母の姉)に取られてしまったことを継母に知られた時のことが書かれていて、

“……ははは何ともいわず蒲団を著(き)せて、「受くるよりも与うるは幸いなりっていってごらん」と教え、「また買ってあげる」といってくれた。のちに女学生になって、ふと仁丹を買ったとき、紙容器に金言(きんげん)と題してこの句が刷ってあったのを見たときに、あらためて母の態度を認めないわけには行かなかった。ははに貰った懐かしい財産の一ツである。”

“さすがクリスチャンだわ!”と、少なからず救われた気分になれました。

救われたと言えば、父の幸田露伴も、ただ厳しい父親だったわけではなく、「お手玉」や「おはじき」などで遊んでくれたりもしたそうなのです。
しかも、とても上手だったというから意外です。

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「ミス・マープル」にマイク先生が…

昨夜の「ミス・マープル 3」の「無実はさいなむ」には、
「ドクター・クイン」のマイク先生(ジェーン・シーモア)が出演されていました。

役柄は、アーガイル家の当主、リオ・アーガイルの妻レイチェルで、
事件の発端である最初の犠牲者でしたが…

私はNHKのサイトを見て知っていましたが、
マイク先生とはイメージがあまりに違ってて、老けも否めませんでしたから、
もしHPを見てなかったら、ジェーン・シーモアとは気付かなかったかも知れません。

内容は「バートラム・ホテルにて」よりは目が離せなくて、
録画を見終えたのが、深夜1時半過ぎになってしまいました。

日本のサスペンスドラマでは、キャストを見ただけで、
犯人が判ってしまうと言う人がいるようですが、
アガサ・クリスティーのドラマでは、登場人物の誰もが疑わしく、
最後まで犯人が判らないです。
多分、国内の俳優と違って、イメージが湧かないからでもあるのでしょうが…

ところで「、ドクター・クイン」のマイク先生の吹き替えは、范文雀さんでした。
私は世代的に范文雀さんのことは知っていますが、
映画やドラマは全く見たことはなかったので、
范文雀さんのイメージが、ミケーラ(マイク先生)と混同してしまうのですよ。

正義感にあふれ、聡明で毅然としている自立した女性といった…

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つう

編み物も私にとっては「下手の横好き」の一つではありますが、
ストレスの原因でもあるのですね。

昔と違って中々はかどらないし、
完成する頃には、肩が凝って首も腕も回らない。
目は疲れる、頭痛も起き腰痛も悪化…
何もかもが消耗し、本当に、つう(夕鶴)になった気分になるのですよ。

“当分は編みたくない…”と思うのに、
何日後かには、毛糸玉の山を取りだし、物色しているのですから…

こういうのって、山登りに似てますよね。
登っている最中は、“何で来たんだろう。もう絶対登らない!”と思うのに、
下山した途端、アルパインガイドをめくりながら、
“次はどこ…”と、山を夢想していたのですから。(過去形です)

懲りない人間なんですね。

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「ミス・マープル」

日本のドラマは昔から見ない方で、海外ドラマが好きとは言っても、韓流ブームには乗れなかったし、アメリカの現代ものの恋愛ドラマも、多分面白いとは感じないような気がして…結果、もう何年もドラマは見ていない気がします。

私が見たい海外ドラマといえば、時代遅れに相応しく、「アボンリーへの道」「大草原の小さな家」「ドクター・クイン」「ヤングライダーズ」といったようなドラマ、でも最近そういうのはやらないのです。

それでも偶に、期待を込めて海外ドラマのHPを覗いてみてるのですが、偶然、今夜から26日(金)にかけて、「ミス・マープル3」の放送があることを知りました。

たとえドラマであっても、殺害シーンは見たくないので、間違ってもサスペンスドラマを見ようとは思わないのですが、「ミス・マープル」や「名探偵ポアロ」は、放送があると知れば、忘れない限り見てしまいます。でも、見逃すことの方が多いです。

と言っても、肝心の内容や謎解きには上の空で、衣装や小物、インテリアといった古き時代の雰囲気に浸っているだけなんですが…

映画は字幕版に限りますが、海外ドラマは、言葉の関係上、残念ながら吹き替えに頼らざるを得ません。吹き替え版では、声優さんの影響力は大きいですよね。

ミス・マープルと言えば、岸田今日子さんのイメージですが、第2シリーズからは、草笛光子さんだったとは知りませんでした。
と言うことは、私は第1シ リーズしか見てなかったことになりますね。

「ポアロ」の熊倉一雄さんは、ケペル先生や海賊トラヒゲの頃からお馴染みですし、「シャーロック・ホームズ」も俳優さんはちょっと不気味で近寄りがたいタイプでしたが、露口茂の声は渋くて素敵でした。
ダンディーで憧れだった露口茂さんは、今も現役なのでしょうか?

「アガサ・クリスティー ミス・マープル3」(BS2)
(出演 ジェラルディン・マクイーワン、他)

「バートラム・ホテルにて」  3月23日(火)午後9時00分~10時34分
「無実はさいなむ」           3月24日(水)午後8時00分~9時34分
「ゼロ時間へ」                3月25日(木)午後8時00分~9時33分
「復讐(しゅう)の女神」     3月26日(金)午後8時00分~9時33分

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手編みの前開きベスト

2月に編み出したカーディガン…

前後の身頃を編んだところで、花粉症でやむなく中断…
とにかく早く仕上げなくては、と、最近少しずつ編んで、
お彼岸が過ぎて、ようやく完成しました。

20100322

ただ…面倒になって袖を省略したために、
前に編んだモヘアのベストと同じになってしまった…
と言うより、毛糸のちゃんちゃんこ…

編み図と編み方は…

続きを読む "手編みの前開きベスト"

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「愛の再発見」

4年ぶりにアビゲール一家が帰郷したのですが、家はひどい状態で、
修理が完了するまで、キング農場で暮らすことになりました。

「上手くいけばいいけど…やっぱり一悶着ありそうだね~」
相変わらず口うるさいアビゲールに、イライザおばさんの予言通り、
一家は振り回されることに…

家の修理中に工具箱から古い証券が出てきたことから、
その使い道に話が飛躍し、アレックが「新しい脱穀機の足しにしよう」と
言ったばかりに、翌日、アビゲールはジャネットに、
「ねえさんは、新婚旅行に行くお金が無かったアレックに恥をかかせまいと、
病気の振りをしたんじゃないの。それに婚約指輪も貰ってないでしょ。
それなのに脱穀機だなんて…」とアレックを批判…

二人の会話を聞いてしまったセシリーは、
父に、「お母さんを旅行に誘ったら?」と提案します。

旅行の誘いを喜びながらも、
「駄目よ!脱穀機よ!」と妻にきっぱり断られたアレックでしたが、
台所にあった雑誌の切り抜きから、妻が指輪を欲しがっていると思い込む…

アレックは妻に内緒で宝石店に注文に行き、サイズを聞かれ困惑しますが、
(ジャネットが持っている指輪は、結婚指輪ただ一つだけ)
母が結婚指輪を外し台所に置いていることを知っているセシリーが、
こっそり持ち出したことから、ジャネットは指輪を無くしてしまったと…

実は、雑誌の切り抜きは、裏面のドレスのデザインのためだったのですが、
アレックは、同じ場所で妻にプロポーズするのでした。
今度は、子ども達の誕生石を並べた指輪と共に…

83a 83b 83c 83d
83e 83f 83g 83h

取らぬ狸の皮算用と思い違いから、目まぐるしいドタバタ劇ながら、
O・ヘンリーの「賢者の贈り物」を思わせるような、キング夫妻の素敵なお話でした。

アビゲール一家が帰る時の、「当分来るなよ~」(アレック)が笑えました。
それにしても、前夜の雨におる雨漏りは仕方ないにしても、
ジャネットたちがお掃除していたはずなのに、あのホコリは考えられない…
やっぱり、「姉さんは、なんでも大雑把なんだから」…だから?

「アメジスト、サファイア、エメラルド、ルビー」、
子ども達の誕生石の指輪って、素敵なデザインですよね。

アビゲールの吹き替えは左時枝さん…ピッタリでした。
前にも書きましたが、アビゲール役のローズマリー・ダンスモアは、
ミーガン・フォローズの『アンの青春』では、ミス・ブルック校長役でしたね。
アビゲールの夫マルコム役が、第1シリーズとは別人だったのが残念でした。

<名言>
「でも、お父様がいつも言ってたでしょ?
『一度の失敗で挫けるな。何度も繰り返してやってみよ』って」(アビゲール)
「男っ て図々しいわね。自分達のパーティなのに、準備は女まかせ…」(アビゲール)

アボンリーへの道<第7シリーズ>
第83話「愛の再発見」(Secrets and Sacrifices)より

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洗い張り

『幸田文 箪笥の引き出し』(青木玉/著 新潮社)には、
「洗い張り」や「伸子(しんし)張り」のことも書かれていました。

「伸子張り」は実際に見たことはありませんし、「洗い張り」も、私の世代でも知らない人は多いのでしょうが、私が子どもの頃、母がやっていたので知っています。
母は昔、冬になると着物を着ていて、また和裁もしていたので…

今では浴衣だけでなく袷の着物もクリーニングに出せますが、昔は丸洗い出来る浴衣などは別として、通常、着物の洗濯は洗い張りだったようです。

洗い張りは着物をほどいてから洗い、糊付けし「張り板」に貼る方法ですが、私は着物をほどく作業を率先して手伝っていました。

ほどくと言っても、細かい針目の絹糸は絹地と一体化し、絹糸自体もしょうが抜けているために抜けないのです。

気短な私はつい布を引っ張ってしまうのですが、すかさず母から、「布が切れる」と注意されたものでした。

子どもだったので、洗い方も、糊付けの方法も分かりませんが、糊付けには「ふのり」を使っていたことは確かで、2枚の張り板に貼っていたように思います。

剥がすときも、乱暴に剥がすのではなく、布目に平行に、そう~っと剥がすのですが、剥がしたいばかりに、まだ充分に乾き切っていないうちに剥がして、叱られたことも、よくありました。
剥がした布で、また着物を縫うのですから、さぞかし面倒だったことでしょうね。

母は、セル(ウール)の着物を着るようになってからは、洗い張りもやらなくなり、
そのセルの着物も、いつしか着なくなったのでしたが…

「ふのり」は大きな「たたみいわし」といった形状で、飴色をしていたような気がしますが、一体どこで売られていたのでしょうか?今でもあるのでしょうか?

そういえば、小学校の図工で新聞紙の紙粘土を作った時も、ふのりを使ってました。

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家紋

『幸田文 箪笥の引き出し』(青木玉/著 新潮社)の中の「誰が袖」には、家紋のことも書かれていて、シンプルでお洒落な「鬼蔦」の背紋のある羽織を着た著者・青木玉さんの写真が載っていました。
紋には、「表紋、 かげ紋、中かげ紋、のぞき紋、縫い紋」などがあるそうで、用途によって使い分けるのは勿論ですが、その他にも、定紋には関係なく、好みの文様を付ける「替紋」や、綺麗な色の糸で、「花、鳥、蝶」などの文様を刺す(和刺繍)「加賀紋」というのもあるのです。

20100319 「加賀紋」といえば、
以前「おしゃれ工房」で、草乃しずかさんの作品を見たことがありますが、本当に美しくて感動しました。
不器用で根気のない私には、到底出来そうにありませんが…

その昔、「着ないから絶対に作らないで!」という私の訴えを無視して、母が縫ってしまった着物に…仕付け糸の付いたまま何十年も箪笥で眠っている…、どんな紋が付いているかも知らないし、今後、もし、紋が付いた着物を作らなければならなくなったに時は…有り得ませんが…定紋にはこだわらず、好みの紋を付けるでことしょう。
絵心やセンスがあれば、自分でデザインするでしょうが…

今は留袖を持っていても、手入れが面倒で、がかえってクリーニング代高くつくからと、貸衣装で済ませる人も多いと聞きます。

余程の家柄の人でない限り、家紋など気にする人はいないのではと思っていましたが、意外にそうでも無いらしく、貸衣装では紋が違っても仕方ないけれど、もし作るなら、当然、家の紋に決まっていると言われ、私は変わり者扱いでした。

戸籍に登録されてる訳でもないし、紋も意匠の一種と自分の好みのものを付ければ良いのでは?と思うのですが、そういう考えはやっぱり異常なのでしょうか?

そういえば私の母も、婚家の紋が好みじゃないからと、作る着物には実家の紋を付けていました。
母も変わり者なのか、それとも着物を日常着にしていた時代の人の方が、自由なのかは分かりませんが…

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『幸田文の箪笥の引き出し』

20100318 20100318b ←幸田文さんが刺した和刺繍の半襟
『幸田文の箪笥の引き出し』 青木 玉/著 新潮社

『幸田文の箪笥の引き出し』には、着物にまつわる母・幸田文さんとの思い出が、
美しい写真と共に綴られていました。

職業柄それなりの着物が必要だった幸田文さんでしたが、
絵羽や付け下げなどの訪問着ではなく、
地紋のある綸子や無地のものが多かったようで、
普段着も無地や縞、格子などが好みだったとのことでした。

でも娘の玉さんのために選んだ着物は意外に華やか…
年齢の違いというより傾向が違うと言うか…
地味好みだったり粋好みだったりする人でも、
娘の着物を選ぶとなると、自分のものとはまた違うのかも知れません。

文さんの着物を着た玉さんの写真もありましたが、
あまり似ていないように感じました。

性格が優し過ぎるほど優しかった父親似なのか、
それとも、玉さんの文章からの先入観かなのか分かりませんが、
表情や雰囲気などが、文さんより控え目で物静かな感じに思えました。

あれ程、気丈な母親に見ていれば、誰だって自分を卑下してしまうでしょうが、
生来が活発だった文さんにしても、、強くならざるを得なかった境遇でしたから。

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刺し子ののれん

昨日のテーブルセンターで思い出したのが、この、刺し子ののれん。

20100317 201003172

昔、手芸店に飾ってあった見本に惹かれキットを買って作ったのですが、
「麻の葉」と「扇」の図案はラインだけで、
針目までは印刷されてなかったため、適当に刺してしまったのです。

でも、最近になって、画像検索してみたところ、
麻の葉の刺し方が間違っていたみたいなんですよね…

(キットを購入した日を検索(マム4という家計簿ソフト)してみたところ、
1979年1月19日で、金額は、3,800円でした。)

自己流というのもそうですが、30年以上も経っているのに、
一度も使ったことがないというのも私らしいです。

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クロスステッチのテーブルセンター

20100316 20100316b 20100316c

このクロスステッチのテーブルセンターは、
以前、手芸の本にあった写真に一目惚れして、まったく同じに刺繍したもので、
刺し方は、針が持てる人なら誰でも(子どもでも)出来るクロスステッチです。

コングレスという生地に、多くの色の刺繍糸(オリムパス)6本取りで、
隙間無く刺してありますが、
ただ、布を180度回転しないで、一方方向から刺していたために、
出来上がりが、微妙に平行四辺形ならぬ平行八辺形になってしまいました。

私は、何でも無手勝流だから…

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学習院初等科

今更ですが、愛子内親王の一件は驚きました。
資産や社会的地位など、保護者にそれなりの資格が要求される学校でも、公立と同様、学級崩壊が起きてるとは少なからず意外でした。
ただ、元気が良過ぎただけなのか、それとも悪質なのかは実際は分かりませんが、家柄とか育ちなどというものは、子どもの行動には、さほど関係ないと言うことなんでしょう。当然と言えば当然ですが…
学校は大人社会の縮図だから弱肉強食のルールを教えるのも教育なのかもしれませんが、だからといって、感受性が強いとか繊細だとか温和しい性格は良しとされず、声が小さいことなどは論外で、誰かが「聞こえませ~ん」と言えば、教師は「みんな静かにして!」とは言わず、「もっと大きな声で!」としか言わない対応には疑問を覚えます。
学校に居場所を無くした生徒に対しても、たとえどんなに酷く陰湿な原因があろうとも、決してその子の立場で考えることはせず、「悪気はなかった。単なる悪ふざけ」と断言し、「弱いから悪い」で片付け、知りもしないのに、原因は家庭(特に母親)に100%問題があると決め付けてしまう。教師だけでなく、当事者ではない親たちも然り…
学校(公立の)としても、いじめを認めれば指導力を問われることでもあるし、また、子どもの性格も親から受け継ぐことが多いことから、強いタイプの保護者とトラブルを起こすより、泣き寝入りしてしまう親の方に責任転嫁した方が好都合なのでしょう。
教育の場においても、法則は常にご都合主義なのでしょうから、勿論、今回の学習院初等科の場合は、これは口が裂けても言えないことで、この法則は有り得ないのでしょう。
これも言わば弱肉強食の原理なのだから…経験者はかく語りき…失礼致しました。

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『台所のおと』

随筆集『幸田文 台所帖』には、
小説『台所のおと』も収録されていました。

夫婦が営む小さな料理店が舞台、
料理人の佐吉は、病床で、調理場から聞こえてくる音を聞いている。
包丁の音、あたり鉢の音…

不幸な過去がある二人に、ようやく訪れたささやかな幸せ…
しかし妻は、医師から、夫の余命があと僅かと宣告される。

死期が近付く夫に夫に代わって、台所を預かる妻のあきは、
誰にも告げず、夫にも悟られぬよう平静を装いながら店を切り盛りしている。

佐吉も、妻が立てる音の微妙な変化に気が付きながらも、口には出さない。
残り少ない時を、何事もないかのように過ごす夫婦…

文筆家の父を持つ幸田文の、無駄のない洗練された文章に、
引きつけられました。
でも、“ステンレス”“冷蔵庫”“スケート”の言葉に違和感を覚え、
ハッと我に返ってしまったのです…

そうなんです…時代は戦後だったのです。
二人の古風な名前のせいでもないのですが、
明治や大正時代と錯覚してしまう雰囲気だから…

わずか13歳にして、父の露伴から家事一切を厳しく仕込まれた著者、
生母、姉、祖母との別れは幼くても、弟、夫、父の死を看取った、
その体験が作品に生かされているように思えました。

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スプリング ハズ カム

Winter has gone.Spring has come

20100313a
うららかな日が、もう4日も続いています。

まだ慣れていない初冬の頃は、例年のように身に応えた寒さも、
過ぎてしまえば、今年もカーフの手袋の出番がなかったことに気付く…

20100313b ところで、Gさんは、今年も赤い手袋を使ったのかしら?
35年前に編んであげた
「ちひろさんの手袋」と呼んでいる毛糸の手袋を…
私と違って、必ずドライクリーニングに出していて、
毎年、“今年もはめたわよ”と伝えてくれるのだけれども…

繋げてみました…どこかのどなたか御免なさいね…
20100313c
春の海 ひねもすのたり のたりかな
(三保の松原、富士山、愛鷹連峰、伊豆半島、駿河湾)

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春の富士山

昨日は待ちに待った青空でした。
念願だった富士山を、どっさり撮ってきましたよ。

<日本平(有度山うどやま3,103m)>
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左より、山頂駐車場(ズーム)、東展望台、吟望台、吟望台(ズーム)

富士山の右手は、愛鷹連峰、その右には、伊豆半島と続いてます。
(写ってませんが、富士山の左側には南アルプスが見えました。)

手前は、駿河湾(清水港)、清水区(旧清水市)の市街地(一部)です。

<三保海岸>
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左手前は、三保の松原、右手前は、春の海(駿河湾)、
駿河湾の向こうは、伊豆半島です。

もう、すっかり春…
冬のように、くっきり、すっきり、ではなかったし、
宝永山もベールに隠れて見えませんでしたが、
一応、気が済みました…。

珍しくもない写真ばかりですが、少し大き目にしましたので
…本当はもっと大きくしたかったのですが…
よかったらお持ち帰りください。

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ベアトリ姉ちゃん

大正時代のことを調べていたら、田谷力三の名がありました。
いくら私がいい歳でも、浅草オペラは見たことは無いのですが、
田谷力三さんは知ってますよ。
1988年に89歳で亡くなられたそうですが、生涯現役、素晴らしい!

youtubeに、1972年当時の映像がありましたが、
73歳とは思えない若々しさにビックリ!
…外見も声量も…
でも昔は、若過ぎることが、逆に異様に感じてましたが…

オペレッタというと、オッフェンバックの「天国と地獄」が浮かびますが、
(フレンチカンカンで有名な)
「ベアトリ姉ちゃん」(ボッカチオ)も、勿論聴いたことはあります。
でも、歌詞までは詳しく知らなかったので、大衆的な訳には笑えました。

“ベアトリ姉ちゃん”“鼻からちょうちん”“ねぼすけ姉ちゃん”ですから…
“トチチリチン トチチリチンツン、ペロペロペン”も可笑しい…
さぞかし、ダンテもあの世で苦笑いでしょうね。

エノケン(榎本健一さん)が歌っているのも複数ありましたが、
歌詞が、それぞれ少しずつ違ってるのですよね。
その時のノリで歌っていたのかも知れませんね。

当時の人は、多少の違いなんか気にしなかったというか、
今の人より、大らかだったのでしょうね。
今だったら、BBSで誹謗中傷かも…

一日に一度は聴いてますが、その度に、笑いが込み上げてしまって…
…で、元気をもらっています。

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COOL JAPAN …本(Books)

日本が書籍に関してレベルの高い国とは、薄々気付いてはいましたが、
やはり外国とはかなり違うようでした。

まず雑誌、東京の大型書店には5000種もあり、自由に立ち読みが出来る。
外国では、雑誌はもとより、本はなかなか立ち読みは出来ないらしい…

日本でも昔は、町の小さな本屋さんで長時間立ち読みすると、
すぐ近くでハタキが掛けられたり、咳払いされたりする。
それで、商店街の書店を梯子して、一冊を読み切る人もいた…
と聞いたことがあります。

販売員の手作りポップも、本の帯も日本的とか。

神田神保町といえば、昔から古本屋で有名ですが、その数、176店。
奈良時代から現代のものまであって、さながら博物館のようです。

和綴じ(とは言っても中国から伝えられた方法ですが)の古書も、
自由に手にとって見られるから驚きです。

次に、自費出版の同人誌即売会、50万人集まるというから、これまた驚き、
日本には色んなオタクの人がいるのでしょうね。

ブランド本(ブランドとコラボレーション)はカタログで、
科学雑誌も本とは違う、との意見もありました。
私も、雑誌や週刊誌やコミックまで、本と呼ぶのには抵抗があります。
古いでしょうか?

“日本人は本を大切にする。図書館の本でさえ、きれい…”との声も。
そうかも知れません。
大切な本なのに、ページの角を(栞代わりに)折った跡に気付くと、
貸したことを後悔しますから…

日本の本で、特筆したいのは装丁でしょうね。
ブックデザイナーの祖父江慎さんを取材していましたが、
祖父江さんの頭の中はきっと宇宙、アイデアは無限なんでしょうね。

表紙だけでなく、本の形、素材、紙質、色、文字のフォントにもこだわり、
それぞれの種類だけでも、外国とは比較できないそうです。
特に色彩には敏感で、ネズミ色だけでも100種類もあるとか…

今回のベスト・オブ・クールは、日本の装丁でした。
本に限らず、生き残る為に、あらゆる努力をしている国なのかもしれない。

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『幸田文 台所帖』

20100309
『幸田文 台所帖』 幸田 文/著 青木 玉/編 平凡社
『幸田文  集』 日本文学全集59 新潮社
(『幸田文  集』は、昔古本屋で買った本で、
作品は、「終焉」「勲章」「髪」「黒い裾」「雛」「流れる」「おとうと」)

この『幸田文 台所帖』も『きもの帖』『しつけ帖』と同じく、
幸田文さん(1904~1990)の一人娘の青木玉さんが編集したものですが、
文章の美しさもさることながら、料理への心づくしには感心しました。
二冊と同様に、書かれた年号と年齢が記されています。

(この三冊は決してエッセイ集ではありませんよ。随筆集ですよ。)

文さんが父・露伴から本格的に家事全般を仕込まれたのは、
女学校に入学した時(13歳)、
冷蔵庫はあっても(もちろん氷)家電の無かった頃の台所仕事は、
現代とは比較できないほど大変だったことが分かります。

炊飯器、電子レンジ、電子レンジ、タイマーがあり、蛇口からはお湯が出て、
スーパーやコンビニは24時間営業し、食品には賞味(消費)期限が印刷され、
調理器具一切が無くても、お金さえ出せば困らない時代ですから…
つくづく便利な時代で良かったと思わずにはいられません。

「滋味対談」(辻嘉一さんとの対談)は、興味深かったです。
料理に対する明治生まれのお二人の厳しさが伝わり興味深かったです。

「私のメニュウ」では、文さんの献立が紹介されていました。
すべて「一汁二菜+香の物」で、現代人には物足りなく思えるでしょうが、
走り、旬、名残りには、それぞれ適した調理法があって、
今では失われた季節感のある献立(しかも一切手抜きのない)こそ、
私には贅沢で理想です。

一番感銘を受けたのは、「うそとパン」。
…何て優しい人たちなんでしょう…鬼の目から涙がこぼれました。
“是非読んでみて!”と、思いました。

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ビーズのバッグとがまぐち

このビーズのバッグとがま口も、毛糸の手袋と一緒に母から渡されました。

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これは手袋より更に古く、バッグは中1の夏休み、がま口も中学の頃でした。

当時、テーブルセンターやドイリーなどを、飽きもせず何枚も何枚も編んでいて、
ビーズのがま口も、色んな色で数え切れないくらい作りました。

私の手元には一つもありませんが、母に編んだこの紺色のがま口を、
なぜか一緒に返してくれたのです。

どちらもレース糸は40番、鉤針は8号で、
まず最初に、必要量のビーズを全てレース糸に通すことから始めます。

細い糸に通してあるビーズの房(束)を、そうっと引っ張って長い1本にし、
その糸の先と、斜めに切ったレース糸の先端の3cmくらいを捻って繋げ、
接着剤(セメダインでした)を着け乾いて固まったら、
ビーズの方の糸を切らないように注しながら、
ビーズを全部レース糸に移動させるのです。

ここまでは大した作業ではないのですが、
面倒なのは、編む際に、沢山のビーズを、先へ先へと移動させることなのです。

バッグは幅が21cm、白の裏付きで、バイリーンがまだ無かったのか、
それとも知らなかったのか、帯芯を使ってありました。

一度も使用したことは無かったのに、
長い年月により、純白だったレース糸は薄汚れ、
銀色だったビーズの中心部は黒く変色し、輝きを失っていました。
まるで私みたい…

<がま口の編み方>
細編み1目にビーズ1粒を編み込みながら、
直径が口金のサイズになるまで六角形に編んだら、
深さ分の4cm位を増し目をしないで編みます。

口金に取り付ける部分を、ビーズを編み込まないで2段編みます。
口金の綴じ付け方は、縫い目が内側になるように、
全体のバランスを見ながら、返し縫いで、しっかり縫い付けます。

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手編みの手袋とミトン

両親の顔を見に行ったら、帰りに、こんな物を渡されました。
片づけをしていたら出てきたからと言って…
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今更寄越されても、捨てるしかないのですが、
母としても、“捨てるなら自分で捨てて”ということなのでしょう。

どちらも40年位前に編んだもので、
5本指の方は、中細毛糸2本取りですが、ミトンの方は極太毛糸(多分)…
すっかり忘れていました。

それにしても…派手だわ!

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「ペティボーン家の危機」

父クライブの新妻ミュリエルにベッタリな態度や、
規則違反で士官学校を放校処分となった次兄モーガンと、
父の言い争いなどに嫌気がさしたイジーは、
母恋しさから、母の姉(?)のリリアンに手紙を出します。

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クライブと犬猿の仲のリリアンは、ボストンで帽子店を経営していましたが、
経営は破綻し、債権者達から訴えられていますが、
クライブへの対抗心から、本当のことが言えないどころか、
都会での華やかな暮らしぶりを、ペティボーン一家に自慢します…

自分は両親の邪魔者と誤解しているイジーは、
リリアンの言葉を鵜呑みにし、ボストンで暮らすことを決意します。

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帽子店の実情を知っってしまったミュリエルは、
クライブとリリアンのプライドを損ねることなく、2人を仲直りさせ、
軍人より教師を希望するモーガンのためにも、心を砕きます。

イジーに真実を話したリリアンは、
“(あなたのお母さんと)見かけは似てるけど、中身は大違いよ。
似てるのは私より、ミュリエルよ…”と話します。

頑なだったイジーも、離れたくないと言うフェリックスの真剣な言葉に、
ようやく彼を許しました。

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ラストシーンの2人の後姿が微笑ましい。
でも、馬車はどうしたのかしら…?

ミュリエルの言葉のすべてに、説得力がありました。
さすが、長年教師をしていただけのことはありますね。

ミュリエルが嫌いではないけれど、お母さんは亡くなったお母さん唯一人、
それに、父の愛を奪われた嫉妬感もあって、
つい、ミュリエルに冷たく当たりたくなる気持ちも解ります。
イジーは16歳、乙女心は繊細なんですから…

イジーが着ていたネイビーブルーのカーディガンは、多分セーラが着ていたもの。
スレンダーなセーラと違って、イジーにはちょっと窮屈みたいです。

リリアンに扮していたのは、ハリウッド女優のダイアン・ウィースト、
モーガンは子役とは別の俳優さんでした。

<名言>
「…君は都会育ちじゃないんだから、人の大勢いる所には向かないよ。
あんな、すました連中と違って、君は、まるで潮風だ。
…魚の臭いがするって意味じゃないけど…」(フェリックス)

「どうして?…どこに生まれ変わる必要があるんだ!
君は今のままでいいんだよ。
そうだろ?…ドレスにしたって…中身にしたって…それでいいんだよ。
頼むから行かないで…離れたくないんだ…君と…頼むから…」(フェリックス)

「教育は軍事演習とは違うのよ。
親の務めって、何があっても子ども達を愛して、
子ども達自身が進みたいっていう道へ、送り出してあげることでしょ?
…あなたが育てた子なんだから、もっと信じて…
自分で決めさせてあげてちょうだい…
痛い目に合うのも大事なのよ。親ならそれを見守ってやらなきゃ。
それに、最後には正しい道を選ぶわ」(ミュリエル)

アボンリーへの道<第7シリーズ>
第82話「ペティボーン家の危機」(Woman of Importance)より

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『幸田文 しつけ帖』

20100305
『幸田 文 しつけ帖』 幸田 文/著 青木 玉/編 平凡社
『新潮日本文学アルバム 68 幸田 文』 新潮社

この本は、幸田文さんの一人娘の青木玉さんが編んだものですが、
しつけと言っても「礼儀、作法」だけではないのです。

幸田文さんが父露伴から指導(というより訓練)されたものは、
家事(電化されていない時代の)や、畠仕事、挨拶の口上や道徳観、
価値観など多岐にわたっていましたが、
掃除一つとっても、箒、はたき、雑巾など用具の手直しから使い方、
天井の煤の払い方、バケツの水の量やすすぎ方、そして動作の美しさ等々、
一事が万事、揶揄や叱責、文献からの引用を交えながらの講釈が加わり、
決して容赦しないのです。

ただ、口やかましいだけではなく、言うことが全て理に適っていて、
露伴自身が、先ず完璧にやって見せるから反論もできない。

理に敵っているとは言っても、かなり理不尽な理屈もあって、
文さん自身も、内心では“うるさい親父”と、
反抗的な気持ちが湧かないわけではなかったようですが、
負けず嫌いな性格なうえに、継母(露伴の再婚相手)との関係も、
上手くいってなかったから、父に従わざるを得なかったのかも知れません。

幸田文さんが、かくも厳しく、家事全般を父・露伴からしつけられたのも、
文さん6歳の時に生母が病死してしまったからで、
しかも、継母が家事をしない人だったからなのです。

感銘を受けたのは、外で辛い目にあった文さんが父に打ち明けること、
また、その時に露伴の言葉です。教養がなければ言えない言葉ばかりでした。

それ程厳しかった父のしつけも、父の歿後となれば、
懐かしく有り難く思い出されるのですから、親の愛とは深いものです。

幸田露伴といえば教科書にも出てくる大作家ですが、
私は未だに読んだことがありません。
せめて『五重塔』だけでも読みたいとは思うのですが…

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木曽路

身延線、中央線、小海線、大糸線…

山好きゆえに信州に憧れ、いつかは住みたいと願った昔、
でも、どこかで夢は叶わないだろうと醒めてもいたのだけれど…

藤村ばかり読んでいた頃は、木曽路を旅したことも何度かありました。
「千曲川のスケッチ」「破戒」「夜明け前」「家」「新生」「ある女の生涯」
「桜の実の熟する時」「嵐」…それ以上は思い出せない。

贄川、奈良井、薮原、宮ノ越、上松、妻籠、馬籠…
木曽路はすべて山の中…でした。

いつも宿の予約もしない行き当たりばったりの旅、
「○時○分発にしよう…」と、待ち合わせは駅のホームでした。

持ち物は少しだけ、お財布と筆記用具、洗面用具、下着など僅かな着替え、
ブルーガイド(山登りの時はアルパインガイド)と、ポケット版の時刻表。
バッグには、必ず文庫本を忍ばせて…

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「COOL JAPAN」…田舎(countryside)

日本では、都会で地方(田舎)のお祭りのイベントが行われたり、
デパートの催事場では、地方の物産展があり、
また、定年後を、自然に囲まれた田舎で、のんびり暮らす人たちがいるし、
都会の若者が、地方の農業やの酪農を体験する、
「ボラバイト(ボランティア+アルバイト)」というのもあって、
それらの様子を紹介してましたが、どれも海外ではないそうです。

日本の田舎は、外国と違って交通の便利が良く、
電気、ガス、水道が完備し、清潔で、人も優しいけれど、
自国では、一般的に都会の人間と地方の人間は警戒し合っているとか。

日本だって、不便な所も、閉鎖的な所もあるでしょうけれど、
過疎化対策だったり、観光客誘致対策でもあるのでしょう。

外国人の多くが、日本の都会の若者が、ボラバイトとして地方に行くことに、
理解出来ないことが意外でした。

若い内は、都会で立身出世を追うべきであって、
若いのに、給金も少ないのに、田舎に行くのは現実逃避でしかないと思うらしい。
働く目的はお金を得るだけじゃない、若いうちの苦労はお金を払っても…
という考え方がないのかもしれません。

今回のベスト・オブ・クールは「妻籠宿」。
妻籠は、「死ぬまでに行きたい世界の名所1000」に選ばれているのだそうです。

木曽路は、私も昔、何度か行ったから映像が懐かしかったです。
昔と全く変わっていないようでもあり、何となく違うようでもありました。
妻籠~馬籠峠~馬籠 そして、囲炉裏、五平餅…思い出します。

ところで、定年後は田舎で暮らしたいと考える日本人が多いようですが、
私は逆なんです。
若い頃は、山に囲まれた素朴な生活に憧れていましたが、
年を重ねるに従って、田舎では暮らしたくない、と思うようになったのです。

大都会も嫌ですが、役所、病院、図書館、商店街、映画館など、
出来れば徒歩でも行かれる所で暮らしたいし、
人見知りの私には、田舎は人間関係も大変そうで…

たまに郊外に出掛けても、昔は気持ちが癒された風景なのに、
今は、とても寂しく、また、心細く感じるから不思議です。

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『幸田文 きもの帖』…(3)

着物の柄や和の色、履き物、日本髪などのことが書かれていたことは、
先日の『幸田文 きもの帖』…(2)で書きましたが、
それ以外に、思いがけない懐かしい言葉を見つけました。

それは「晩春初夏」の中の、「エヴァープリーツのスカート」のことで、
始めは何のことか分からなく、注釈を見ると、
「パーマネント加工のプリーツ」と書かれてありました。

1961年(文さん56歳)当時、私は小学生…私にもあったっけ、そのスカートが…
それまでのプリーツスカートといえば、母の手作りのウールのものばかりで、
チクチクしたり、雨に遭うとプリーツが取れてしまったりで大変でしたが、
そのポリエステルのプリーツスカートは、軽くて、プリーツも消えることもなく、
新しい時代の到来、といった感じがしました。

細長い箱に入っていて、
確か、5ミリ程のとても細かい「追いかけひだ(車ひだ)」のものと、
パラパラっとした、広め(2cm位?)のアコーデオンプリーツの2種類があって、
私のは後者、色はコゲ茶色でした。

他に何色が売られていたかは知りませんでしたし、
コゲ茶色が嫌いだった訳でも無いのですが、
衣服に限らず、「何色がいい?」とか、「どっちが好き?」などと聞かれたことはなく、
全ては、母の好みに掛かっていたので、嬉しさも複雑でした。
好みが、まるで違っていたから…

既製のスカートを買ってもらったのは、
それが最初で最後だったような気がします。
なにしろ、中・高校生の制服や防寒コートも母の手作りでしたから。

「帝人テトロン」という言葉が懐かしい。

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エキシビション

競技と違って、エキシビションは安心して見られるからいいですよね。

全部は見られませんでしたが、お目当てのプルシェンコ選手や、
女子シングルの人の演技が見られたのが何よりでした。

さすが、プルシェンコ、
たとえメダルはシルバーでも、王者の風格ですね。
でも、トリノのエキシビションほどは盛り上がってなかったような気がして…
やはり、ジャッジへの不信感が尾を引いてたのでしょうか?

エキシビションの登場した11歳の少年(ジュニアチャンピオン)が、
3回転3回転のコンビネーションを完璧に決めていたのに、
4回転を跳ばない男子シングルのゴールドメダリストって…
(解説の八木沼さんが、「今大会後に、判定の仕方の見直しがされると思う…」
と言っていたような…)

ところで、フィギュアスケートって、コスチュームにも注目しますよね。
特に女子シングルの選手の…

いつも感じるのは、外国の選手のコスチュームが、
その人の雰囲気や曲に合ってるのに、
日本人の選手の場合は、必ずしも合っていないように思えること。
(トリノでの荒川静香さんは、とても似合っていましたが…)

私は、選手をあまり知らないのですが、トリノのサーシャ・コーエンは、
いつも可愛らしいコスチュームだと思ってました。

今回は、キム・ヨナ選手のが、ショートでもフリーでも、とても曲に合っていて、
特にエキシビションの、シンプルでエレガントなコスチュームは、
タイスの瞑想曲にもピッタリで、本当に素敵でした。
…私の好みということなんですが…
まるでミューズのようで、見入ってしましました。

技術は優れているのに、浅田真央ちゃんが勝てなかったのも、
音楽や振り付けや衣装に問題があるように思えるのですが…
容姿にも恵まれているのに、本当に惜しいです。
安藤美姫さんのコスチュームは、彼女の雰囲気にも曲にも合っていましたね。

キャンデロロのように、意表を突く姿で登場する選手もなく、
大好きなスルツカヤさんも見られない…それが、ちょっと残念。

一番残念なのは、津波情報…
仕方ないとは分かっていても、せめて、もう少し縮小して欲しかったです。

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