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2010年2月

国旗

国旗、国歌と言えば軍国主義が連想され、
「日の丸」「君が代」には、あまり良いイメージではないのですが、
地方紙の投書欄に、オリンピックなどの応援での国旗についての、
投書がありました。
投稿されたのは95歳の男性で、要約すると次のような内容でした。

“…国旗に所構わず激励や氏名などを書き入れるのは、
戦時中の悪習慣が残されている証し。
国の顔でありシンボルである国旗に、いかに激励のためとはいえ、
文字などを書き入れて汚していいものだろうか。
他の国で国旗に文字を書いて応援しているのは見受けない。
文字などで汚すことなく、美しい日の丸を誇りとしたいものだ。”

今まで考えたこともなかったですが、
言われてみれば確かにそう、私もほかの国の旗では見たことは無いです。

みんな深く考えないで書いているのでしょうし、
国によっては禁じられているかも知れませんが、
国旗に書き込んだりするのは、日本人だけなのでしょうか?

戦争を知らない世代の私でも、筆で書き込まれた日章旗には、
戦争を連想してしまいます。

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フィギュアスケート

バンクーバーオリンピックも終盤を迎え、今まで無関心だった私も、
注目のフィギュアスケート女子フリーをテレビ観戦しました。

浅田真央選手は本当に可哀想でした。
あんなに難易度の高いジャンプを成功させたのに銀メダルとは…
キム・ヨナ選手の金メダルは納得できます。でも問題は点差、
身びいきかも知れませんが、あまりにも点差があり過ぎた気がして…

地元のロシェットの銅メダルは仕方ないとしても、
安藤美姫選手や鈴木明子選手も良かったのに、
点数に結びつかなかったのが気の毒でした。

私は詳しいことは分かりませんが、プルシェンコが抗議したように、
技術より完成度を重視する判定方法なんて、スポーツとしておかしくないの?

各国のジャッジの点数が表示されなくなっていたことや…いつから…?
クジ引きによるとは言え、日本人のジャッジがいなかったというのも、
気のせいでしょうが、何だか、日本やロシアに不利な方法に、
変えられてしまったように思えて後味が悪いです。

でも何より残念だったのは、不正メールの発覚…
あってはならないことなのに…
何を言ってももう終わってしまったことでした。

真央ちゃん、本当にお疲れさま、
エキシビションでの素晴らしい演技を楽しみにしています。
もちろん、ほかの人たちも…

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『幸田文 きもの帖』…(2)

とにかく、知らないことばかり…
「ひかがみ」は辛うじて分かりますが、着物についてはお手上げ状態…
それでも、母が和裁をしていたので、
「絵羽」「付け下げ」「裄(ゆき)」「衽(おくみ)」くらいは分かりますし、
文様にしても、「麻の葉」「青海波」「紗綾形(さやがた)」「亀甲」「七宝」くらいは
何とか知っていましたが、他は、注釈を頼ってばかり。

「結城」「銘仙」「メリンス」「キャラコ」などは、どうにか分かりましたが、
「水浅黄」「お納戸色」「ひわ色」「鴇(とき)ねず」「蘇芳(すおう」、
「縹色(はなだいろ)」などは、耳にしたことはあっても、
どんな色なのかは見当もつかず、『色の手帖』(小学館)や和色大辞典で確認…

また、私には区別も付きませんが、下駄も天候や用途に応じて、
「足駄」「日和下駄」「駒下駄」「藤おもて」と履き分けていたらしく、
「爪皮(つまがわ)」という名も聞いたはずなのに、すっかり忘れていました。

これらは明治や大正生まれの女性なら、誰でも知っていたことなのでしょう。
着物に纏わる名称や所作だけでなく、
昔は普通に使われていた言葉も、消えてしまったことを思い知らされました。
便利な物と引き替えに、なくしてしまったことの多さと言ったら…

20100226 幸田文さんが最も好きだった写真。
「性格が全部出ている」と言っていたそうです。
昭和28年(1953年、49歳)頃、自宅にて。
(撮影・木村伊兵衛)

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「たった一人のあなたへ ~『蟹工船』小林多喜二のメッセージ~」

「歴史秘話ヒストリア」は「知る楽」と重なるので、
ほぼ毎回、録画して観ていますが、
今回の、「たった一人のあなたへ~蟹工船』小林多喜二のメッセージ」は、
中々良かった方だと思います。
時には、首を傾げたくなることも、無きにしもあらずなので…

プロレタリア作家の小林多喜二の作品は、
十代の頃に一度は読む類のものなので、私も御多分に洩れない一人でしたし、
家にまだ何冊かは残っている筈ですが、
平和ボケの時代であっても、“まさか?”ではなく、“さもありなん”
と、強い憤りを覚えたものでした。

多喜二と言えば、作品の内容もさることながら、
特高によって拷問虐殺された遺体の写真(母親や仲間に囲まれた)が浮かびます。
何度も何度も見た写真なのに、
母親の「みんなのため もう一度立たねか」のナレーションには、
不覚にも、涙を流してしまいました。

ここ数年来、『蟹工船』がブームになっていたことは知っていましたが、
昨年、映画化もされていたとは初耳でした。

また、フランス、中国、韓国等で翻訳されているとのことですが、
今までされていなかったことの方が意外です。

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『幸田文 きもの帖』

20100224
『幸田 文 きもの帖』 幸田 文/著 青木 玉/編 平凡社

とにかく興味深くて、読み始めると深夜になっても止められないのです。
時代からでしょうか、それとも生まれや育ちでしょうか、
丁寧で美しい文章には少しの無駄も無く、
幸田文さん(1904~1990)の真面目で勝ち気だった性格が伝わるのです。

それぞれの随筆には、初出の年(西暦)と、
文さんの満年齢が記されていることも、とても参考になりました。
(編集は一人娘の青木玉さん)

明治37年(1904)に生まれ、平成2年(1990)に86歳で生涯を閉じるまで、
(例外を除いて)きものを着続けていた幸田文さんですが、
特別、きものが好きだった訳ではなかったと言います。

戦後、みんなが洋装をし出した時、洋服を着ようかと考えたこともあったけれど、
当時は、一から揃えるだけのゆとりも無く、物のない時代を体験したので、
きものは解けば洋服だって作れるけれど、
体型に合わせて裁断してしまう洋服ではそうはいかない、と考えたそうです。

結婚が決まるまでは、継ぎ接ぎだらけの長襦袢だったことから、
新調した長襦袢が、とても軽くて、頼りなく感じられたことや、
花嫁衣装を買いに、たった一人で、高島屋へ行った時の、
寂しく心細かった気持ちは、花嫁衣装に縁の無かった私でさえ泣けました。

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“ You've Got Mail ”

パソコンの受信トレイを開くと、外国人の男性の声で、
“ You've Got Mail ”  と伝えてくれます。
メッセージがあればですが…

こう言えば、映画好きの方ならお気付きでしょうが、
10年以上前に、『ユー・ガット・メール』という映画がありました。

トム・ハンクスとメグ・ライアンは数多く共演されていますが、
『めぐり逢えたら』と、『ユー・ガット・メール』は素敵でした。

トム・ハンクスさんは、とても好感の持てる俳優さんで、
『フォレスト・ガンプ/一期一会』『フラデルフィア』『グリーンマイル』
が特に好きですが、『ビッグ』などのコミカルな映画も良かったです。

『ユー・ガット・メール』は、内容的には特別感動するものでもなかったですが、
ニューヨークの街や、絵本専門の書店がお洒落でしたし、
クランベリーズの「Dreams」など、1960年代の懐かしい曲が使われていて、
音楽も良かった…。

この映画を見たのちに、味気ないメール通知音を、
インターネットで探して、 You've Got Mail ” に変えたのですが、
肝心のメッセージが、最近は、ほとんどないのです。

友人たちは私と同年代なので、パソコンや携帯電話があっても、
直接話した方が早いという…
以前は頻繁にメール交換していた数少ない人達とも、
今では疎遠になってしまいました。

ところで今日は「富士山の日」なんだそうです。
知りませんでした。一体、何人くらいの人が知っていたのでしょうか…?

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『母・住井すゑの横顔』

20100222
『母・住井すゑの横顔』 犬田章/著 (大和書房)

『母・住井すゑの横顔』の著者の犬田章(いぬたあきら)さんは、
犬田卯(しげる)、住井すゑ(本名犬田)夫妻の長男として大正12年に生まれ、
兵役後は、文部省、総理府、大蔵省、大学教授だった経歴ですが、
大蔵省時代は、池田勇人首相の経済ブレーンの一員だったそうです。
(母親が旧姓をペンネームにしていたので、息子だとは気付かれなかったとか。)

ちなみに、
弟の犬田充(いぬたみつる)さんも大学教授(現在は分かりませんが)
妹(長女)かほるさんは、夫とともに母親の執筆活動を支え、
次女増田れい子さんはジャーナリスト、随筆家として活躍されています。

この本には、アナキストのレッテルを貼られたこともある両親と4人兄妹の、
意外な暮らしぶりが、愛溢れる文章で綴られていました。

机が一台も無い家庭も珍しくなかった時代に、
6人家族の犬田家には、机が6台あったのも両親が作家だからでしょうが、
卒業式の集合写真で、着物姿の生徒の中で、
章さん一人だけが、母すゑさんの手編みのセーターというのは、
母親が世間体を気にしない性格だからでしょうか…?

増田れい子さんの著書にもありましたが、
両親の職業柄、書物だけは沢山あったけれど、教育熱心なタイプではなく、
進路や結婚についても、一度も口出しされたことがないというのも、
いかにも住井すゑさんらしいです。

いかにもといえば、章さんが小学五年生の時に、在校生代表として、
卒業式で送辞を述べることになったのですが、すゑさんが文章を作ったそうです。
当然、送辞には雛形があったのでしょうが、
文筆家としても、思想家としても気に入らなかったのは…と回想されていました。

執筆活動(筆だけで一家を養っていた)、育児、畑仕事だけでなく、
夫が病弱だったため、すゑさんが付きっきりで看病に当たり、
今なら薬事法に触れそうですが、投薬、注射もすゑさんがしていて、
その知識で、病気の村人も救っていたというからすごいです。

しかも、裁縫や編み物が得意で、家族中のものを作り、
セーターなどは一晩で編んでしまったというから、まさに超人的です。

また、牛久に移る前は東京暮らしだったこともありますが、
仕事の関係上、月2回は上京していたので、当時としてはハイカラな家庭で、
カレーライスを作ってくれたり、おやつ用に缶入りカルケットが常備していた…

両親はパパママで、兄妹は上下関係なく「ちゃん付け」で呼び合っていて、
それは末っ子のすゑさんが、兄姉みんなから呼び捨てされていたことが、
幼心に不公平と感じていたからなのです。

私も小さい頃から、家族だけでなく、親戚の大人だけでなく、年上のいとこからも、
呼び捨てされることが、とても嫌に思っていました。
口に出したことはありませんが…

必要なものは全て買ってくれて、学費も出してくれても、
「お金は子どもを卑しくする」という考えから、小遣いもお年玉もなく、
家の手伝いをしても、お駄賃は貰えない…

でも、夫が稼がない人なので、劣等感を持たないようにと、
財布は全て夫に渡していたそうで、子どもたちには、
「パパからもらいなさい」と言っていたと言いますから、妻の鑑です。

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『牛久沼のほとり』 住井すゑ著 (暮しの手帖社)
『八十歳の宣言』~人間を生きる~ 住井すゑ著(人文書院)
『夜あけ朝あけ』 住井すゑ著 (新潮文庫)
『愛といのちと』 犬田 卯・住井すゑ著 (新潮文庫)
『向かい風』 住井すゑ著(新潮文庫) 

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デジカメ!

私のデジカメは持ち主と同じく旧式の8年前のものですが、
それが相応と納得していたところ、
ある日、不憫に思った心優しき私の王子様が、
ちょっと早めの、バースデープレゼントをくれました。

20100221
1000万画素(ピクセル3616×2712)で、光学10倍ズーム(最大40倍)、
ケース、予備のバッテリー、モニタカバーも添えて…

…で、
県のライフカメラを覗いて撮影日よりでは無いことは知りつつも、
嬉しい気持ちを抑えられず、良くなることを期待して写しに行きました。
もちろん富士山を…

実は、家から徒歩1分の、歩道橋からも見られるのですか、
せっかくのデジカメですからね、ロケーションも大事、
少しだけ遠出することにして、山(日本平)にしようか、海(三保の松原)にしようか、
と散々迷った挙げ句、花粉が決めてとなり、海に決めました。

でも、やっぱり、もう時機を逸したようでした。
真冬とは違って、上空は真っ青でも、水平線に近付くほど霞んでいて、
知らない人には気付かないような、頭だけの富士を撮りましたが…

仕方なく、海だけを、何枚何枚も写して来ました。

20100221a 20100221b 20100221c 20100221d
見るも無惨な「羽衣の松」(写っているのは知らない人達です)

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虫封じのお札

21世紀の今、まさか、こんなことをしている親はいないでしょうが、
はるか昔、幼い私が気付いた時には、既に寝室の柱の天井に近い所に、
お札が、長い釘(多分五寸釘)で打ち付けられていました。

何のお札かと言えば、それは「虫封じ」のお札であり、
何の虫かと言えば、それは「疳の虫(かんのむし)」の虫なのです。

疳の虫とは、乳幼児の夜泣きや引きつけの正体とされていたもので、
その虫に取り付かれた乳幼児というのは兄弟の誰でもなく私でした。

トラウマとまでは行かないまでも、このお札の存在は、
嫌な記憶の一つとして、忘れられないことには違いないのです。

私自身がそんな子だったというより、我が子を思ってとは言え、
自分の親が医者に相談せず、人から言われるままに、
疑いも抱かず、そんなことをしていた人というのが残念で…
(母方の祖母が信心深い人だったので、多分、祖母の考えだったのでしょう。)

信心深いということも、素直な性格ということも、
騙されやすいにも繋がるような気がして、
必ずしも美徳とは言えないような気がしますが、いかがなものでしょう。
色んな被害に遭わないためにも…

ところで私の性格といえば、物心が付いた頃とはちょっと違いますが、
自分の存在に気付いた時には、既に周りの誰からも
「おとなしい子」と言われていて、それがとても嫌でした。

成長してからも、人から「控え目」とか「物静か」と言われてますが、
それもまた悲しいことには違いなくて…

実際、私は、引っ込み思案でおとなしくて、
学校の頃は、分かっていても絶対手を挙げなかったし、
今も、自己主張の出来ない「意気地無し」なのですから…

きっと、「虫封じのお札」が効き過ぎたのでしょうね…(嘘ですよ!)

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晴れ女?

「自分は晴れ女(男)」とか「雨女(男)」とか言うのを耳にしても、
冗談半分で言ってると思っているので、気にもしませんでしたが、
先日、ある人から、

「○○さんて、晴れ女?」と聞かれてしまい、
咄嗟に「えっ?」と聞き返すと、

「さっきまでの空が嘘のようだから、晴れ女の気がする」
と言われてしまいました。

「そんなこと…ないと思う…」と言葉を濁したのですが、
どんな人だって、何かの度に、晴れだったり雨だったりすることなど有り得ないし、
もしあったとしても、それは偶然に過ぎないことぐらい、
分かり切ってると思ってましたが、どうも本気のようでした、その人は…
目が真剣だったし…

面白半分で言うことにも、目くじら立てるほど石頭じゃないつもりですが、
自然現象にまで、非科学的なことを言う人に、しかも若くもない年代なのに、
「だったら天気予報はいらないでしょ」と、内心うんざりしてしまいました。

でも後になってみると、「私は本当に融通のきかない人間だな~」と
つくづく自分に嫌気が差してしまったのですが…

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『わが生涯』 ~生きて愛して闘って~

20100218 20100218b
『わが生涯 ~生きて愛して闘って~』 住井すゑ/著 岩崎書店
長男・章さんを抱く21歳の住井すゑさん(1923年)

この本は、住井すゑさんと次女の増田れい子さんの対談集ですが、
当時92歳の母に、65歳の娘が根掘り葉掘り質問しています。

今までにも、お二人の著書は読んでいるので、特別驚くようなこともないのですが、
普通の母と娘にはない内容の会話ばかりでした。

靴下のエピソード(「長男の召集」)は知っていましたが、
そのことで、手紙で、連隊長と丁々発止とやり合ったことは知りませんでした。

…ぬれた靴下の替えがないというので、ハンモックを解いて編んで送ったところ、
青いラインから私物とばれ、取り上げられたうえに罰をくわされた…

青い線の飾りはせめてもの親心だ、そんなことも分からないのか。
履き替えの靴下の予備も出せないような軍隊では戦争は負けだ。

戦争を早くやめろ、いつまで戦争をやっているのだ。
この負けいくさをいつまでもやっているということは、国民にとっても迷惑だ。
敗戦だという私が国賊だというなら軍事裁判を開け、
私はその席で明らかに敗戦だということを証言する。そして国賊として処刑しろ。
そのかわり、この戦争が負けたときには、
天皇はじめ陸海軍将校みんな腹切るという一札と交換条件だ。
それを各新聞に発表して、わたしは軍事裁判を受けて死刑になりましょう…

(以上、抜粋を要約)

信じられないことには、最後には兜を脱いだ連隊長から、
“お母さんのおっしゃるとおりです”という手紙が来たそうです。

下士官になって、軍刀を作らなければならないと言われた時も、
敗戦がわかってるのに、なんで軍刀なんかいるのか、
そんな無駄なことは出来ない、貧乏国のくせにいつまで戦争をやってるんだ

と書いて送ると、またしても連隊長から、“お母さんのおっしゃるとおりです”と…

軍刀は各個人で用意するもので、日本刀を短く切って作るのだそうですが、
その費用は、当時のお金で300円だったとか。

地下で反戦活動をしていた人達のことは知っていますが、
兵役は人質に取られたとも思えるのに、息子の上官とやり合うなんて
勇気があるというか、恐れを知らぬというか…何事もなくて良かったですが、
もし男親だったなら、タダでは済まなかったかも知れませんね。

人間平等を訴え、あらゆる権力を否定し闘った住井すゑさんの語録です。
「人間平等を書くのに、男だと矛盾が大きい」
「天皇制も人為だし、被差別部落も勿論人為的につくられたものだから、
これは偽り。偽りからは解放されなければならない。」

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COOL JAPAN …恥(Haji)

前回の「携帯電話」は、訳あって見ることが出来なくて、
土曜日放送を保存するつもりだったのに、それも忘れてしまいました。

今回は「恥」…これこそ日本的ですね。
私は、「恥ずかしい」と「恥」とは少し違うような気がします。
「恥ずかしい」は、きまりが悪いとか体裁が悪いといった感じで、
「恥」は不名誉といった風に…外国の「罪」に近いような…上手く言えませんが。

中国人は日本人と近く、「リストラ」にしても欧米人は、
「会社の都合なのだから恥ずかしいことではない」と言い、
中国人は、「自分の能力がないからリストラされたと思われるから、
知られたくない。」と言っていました。

トイレの音消し、携帯電話のモニターを覗き見されないためのシート、
脇汗パット…(これは恥ずかしいというより汗染み予防では?)
薄毛を隠すスプレーなどのグッズも、日本だけのようでした。

外国人に比べて、日本人が恥ずかしがりやで目立つことを避け、
また、褒められても「ありがとう」ではなく、「そんなことないです」と答えるのも、
宗教や教育の違いからなのでしょうが、日本が「出る杭は打たれる」国で、
謙譲が美徳とされ、うっかり「ありがとう」などと言ってしまったら、
「自惚れや」だと思われてしまうし、それに、どうせお世辞なのだから…
という気持ちもあるように思えます。

でも、日本人に恥ずかしがり屋で謙虚な人が多いというのも、
無益な争いを避けることに通じているのかもしれません。
なにしろ狭い島国ですから。

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服装の乱れ

よく「服装の乱れは非行の始まり」などと言いますが、
まあ、そう言うこともあるのでしょうが、必ずしもそうとは限らない気がします。

私が通っていた高校は県立なので、私学ほどは厳しくはなかったのですが、
それでも、今の時代からみたら、相当おかしな規定もありました。

たとえば、スカート丈は、床上がり何センチとか…
(身長がそれぞれなのに、まったくナンセンスだと私は思っていましたが…)
セーラー服の背中のカラーから、ネクタイの三角の角を出しては駄目だとか…
(駄目な根拠が分からなかった…)
服装では無いですが、カバンは金具のある蓋側を自分に向けるとか…
(すれ違った時、相手を傷付けないため…これは納得してました。)

ほとんどの生徒がそうなように、
私自身も、真面目の上に何かが付く、野暮天タイプだったので…今もですが、
制服をどうかしようなどとは考えたこともなかったのですが、
いつの時代でも、規則を破る生徒は必ずいるもので、
背中のカラーから、三角形のネクタイを大きく出したり、
セーラー服の上着の脇にスナップを付け、細身のラインにしてしまったり、
髪をカラーで巻いていたり、ビューラーを使い、マスカラを付けていた子もいました。

そのことで、教師から注意を受けていたかどうかは知りませんが、
だからといって、学業や、生活面で問題があったという噂は聞いたことがありません。
ただ、ちょっとだけ、他の生徒より、お洒落に目覚めていただけなんです。

制服の乱れは別として、
日本人に金髪やドレッドヘア、またピアスも似合わないなどと言っても、
変えていくのは、いつの世も若者…そう、坂本龍馬もブーツでした。

袴に編み上げブーツスタイルも、今では女子大生の卒業式の定番ですが、
最初にブーツを履いた大正時代のハイカラ女学生だって、
頭の固い大人達からは非難されたのでしょう。
いえいえ、昔は、おじさんだって着物に帽子を被っていました。
(ついでながら、戦前、自転車で女学校に通っていた私の母は、
周囲から「おてんば」と言われ、見物されたそうです。)

そう言えば、昔、女性の流行歌手が、着物にイヤリングを付けていましたが、
別に変とも思わなかったです。
それも、かなり大きいイヤリングだった記憶があります。

センスが良いとか悪いとか言うのも、あくまで好みの問題で、
「誰が見ても…」ということなどは有り得ないのだし、
いいじゃないですか、好きな格好をさせてあげても、個性を認めてあげても…

(オリンピック選手とは関係ありません。念のため…)

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「裁判員へ ~元死刑囚・免田栄の旅~」

ETV特集 「裁判員へ ~元死刑囚・免田栄の旅~」

免田栄さん(元死刑囚とい言い方に違和感を覚えます)は現在84歳、
冤罪の体験者として、
現在でも無くならない、冤罪の恐ろしさを伝える活動をされています。

番組では、免田事件の他に、足利事件、甲山事件、
袴田事件を取り上げていましたが、
それ以外の冤罪事件で、私が思い出すのは、
(時代は前後しますが)、大逆事件、松川事件、吉田岩窟王事件、加藤老事件、
徳島ラジオ商事件、帝銀事件、三鷹事件、比較的最近の松本サリン事件…
などでしょうか。

でも、ウィキペディアの「冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件」を見ると、
過去、現在問わず、信じられない位の冤罪事件が存在し、
しかも、これらでさえ氷山の一角でしかなく、
実際は闘わず諦めて、死刑執行されてしまった被告の方が、
はるかに多かったように思えるのです。

免田さんには、確固たるアリバイがあったにもかかわらず、
その証言者の証言さえ、誘導によって変えられてしまていたのです…
つまり、調書は先に作られていて、被疑者や証言者の証言というのは、
拷問や脅し、騙し等で、刑事が捏造してしまうものだったのです。

免田さんが獄で過ごした34年半に間に、
80人以上の死刑囚の執行があったそうですが、
免田さんの記録には、無実を訴えていた人の名の下には、
“おかしい”と記されていて、それは決して少ない数では無かったのです。

免田さんは、獄にいて年金が納入出来なかったという理由で、
年金が支給されないというのも、あまりに酷い話です。
たとえ年金が支給されたとしても、人生は元通りにならないのですから…

菅家さんが家族に送った「自分は断じてやってない、信じてくれ、助けてくれ…」
という訴えの手紙に、家族は返事を出さなかったという…
菅家さんの冤罪を信じたのは、家族ではなく仕事仲間だったのは辛い…

裁判官の中に、袴田事件の熊本典道さんのような人間がいたことは、
せめてもの救いではありますが、(熊本さんは、後に弁護士として支援活動)
実姉の、“無実で43年も入っていれば、(頭も)おかしくもなる…”
という言葉に、裁判員制度の恐ろしさを、考えないわけにはいられません。

ある日突然通知が来て、忙しいとか、自信がないとかいう理由は通用しない。
しかも呼び出されても、あちらの判断で落とされ、帰される。
某かの金額が出たからと言って、それでいいという問題ではないです。

顰蹙を買うかもしれませんが、はっきり言って迷惑です。
私には、先入観を持たず人を判断することも、
守秘義務も守ることも、出来そうにありませんから…

裁判員は、被告の無実の訴えに耳を傾けることが出来るのでしょうか?
被害者にのみオーバーラップし、
いつか自分も、冤罪で裁かれるかも知れないなどとは考えないのだから…

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疑問

何十年もの間、一般紙の他に、機関紙や出版物なども定期購読していて、
投稿も頻繁にしていましたが、
最近は、新聞どころかTVニュースなども、見ないようにしているのです。

と言うのも、見ても憤慨するだけだからなのですが、
パソコンに向かえば、嫌でも、トピックスの見出しが目に入ってしまいます。

寒くてもオーロラは見たいし、プリンスエドワード島にも一度は行ってみたいけれど、
バンクーバーオリンピックには関心が無くて、
国母選手のことも、知らなかったのですが…

私は制服を着崩すことには否定的で、素敵とも思えませんが、
若者にとっては、それが普通なのでしょうね。

自分の子どもや、自分の生徒の服装の乱れを正せなくて黙認しているのに、
選ばれた若者には、鬼の首を取ったかのごとく責め立てる…
税金を使ってると言うのなら、矛先は別にあるでしょう。

日本人というのは、長いものには巻かれるというか、島国根性というか、
催眠術に掛かったように、無意識で権力やマスコミに追従してしまう国民ですよね。

もっとあるでしょ、非難を向ける先が…引退した横綱についてもそうですが、
私には、この種の騒ぎは、国民の矛先を逸らすためとしか思えないのですよ。

国母選手の言動にしても、世間が騒ぎ出したから関係者も慌て出したのでしょうが、
最初に気付いた身近な年長者が、さり気なく注意してあげれば
それで良かったでしょに…

その昔、モボやモボがいて、みゆき族や太陽族がいて…
バンカラもいて、ビートルズのマッシュルームカットが不良と言われ
私の中高生の頃は、グループサウンズが大人達から不良と言われてた…

(役とはいえ)金八先生の長髪は歓迎されて、
スポーツ選手の長髪は非難されることにも疑問です。

清潔さって、髪の長さじゃないでしょ。
「らしさ」って誰が決めたの…?

…でも、もう、この話題は古かったですね。
だから、少数意見でも、私のこと叱らないで…。

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『住井すゑ ペンの生涯』…(2)

『住井すゑ ペンの生涯』から、
住井すゑさんを表すエピソードの続きを…

幸徳秋水を尊敬していた住井すゑさんは、彼が死刑になった時、
「絶対仇を取ってやる」と思ったとか…
その時、すゑさんは小学3年生でした。

また、住井すゑさんは、奈良で代用教員を務めたのち上京し、
1919年(大正8年)に、講談社の婦人記者になったのですが、
男性社員は月給なのに、女性社員が日給月給ということに疑問が湧き、
社長に抗議すると、
“女は子どもを産んだり、家のことで休んだりするから…”との答え…

“…女が子どもを産まないで、社会が栄えるか!
それを理由に給料に差をつけるとは本末転倒だ。
女が子どもを産むことで歴史は続いているのだ。
女が子どもを産まなくなったら民族は滅びる”と言い返し、
“そんな搾取する会社はごめんだ!”と、
1年で講談社を退職してしまったそうです。

「郷に入っては郷に従え」「長いものには巻かれろ」
という、日本的処世術とは正反対の信念を貫く姿勢、
強い!…私には到底出来ません。

20100213
『住井すゑ ペンの生涯』 増田れい子/著 労働旬報社

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『住井すゑ ペンの生涯』

半世紀近くの歳月を経て、ようやく巡り会えた『もめん随筆』でしたが、
長年の願いも、むしろ叶わない方が良い場合もあることを思い知らされました。
(ちょっとオーバーかしら…?)

『もめん随筆』を読んでいる間、私はある人のことばかり思い出していました。
住井すゑさんです…
森田たまさん(1894~1970)と住井すゑさん(1902~1997)は、
どちらも明治時代に中産階級の家庭に生まれ育った女性ながら、
生き方は正反対にも思えます。

住井すゑさんのことは前にも書きましたが、生涯、あらゆる権力と差別を否定し、
闘った人…
幼い頃の食事といえば、父親と長男は一段高い畳の間で、尾頭付きのお膳なのに、
他の家族は板の間で、年中漬け物だけの食事…
でも、使用人達は、さらに低い土間で、麦飯を食べている。

一番、汗水流して一生懸命に働いている人間が、
一番まずい食事をしているのは、どう考えても、おかしい。
白米のおかゆを食べることに、罪悪感を感じたすゑさんは、
自分も麦飯を食べると言い張って、親を困らせたとか…

(帰省していた女中の一人が、笹巻を土産に戻ったが、
夏場のことでもあり、昨日の笹巻は傷んでいそうなので、
出入りの「ご用聞き」に食べさせた…という森田たまさんとは大違いです。)

また、住井すゑさんが6歳の時、
明治天皇が陸軍の大演習で、奈良にやって来て(住井すゑさんは奈良の生まれ)、
ある大金持ちの家に泊まったのですが、天皇の排泄物をみんなで奪い合った…

「排泄をするのだから、現人神(あらひとがみ)じゃない。人間じゃないか。」
人間はみな同じ。人間は平等だと悟ったそうです。

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写真は、次女・増田れい子さんの著書
私の手元に、『母 住井すゑ』(海竜社)が2冊あります…

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「移動博覧会」

「アボンリー祭り」が近付き、騎士団のトレメインさんは、新たな試みとして
貴婦人会に無断で、「移動博覧会」と契約してしまう…

ヘティたち女性軍は、“いかがわしい連中…”と決め付け、
子ども達に近付くことを禁止しますが、
祭りの当日、ベッキーに誘われたデイビーは、ヘティに内緒で「移動博覧会」に行き、
見せ物小屋の人魚の虜になってしまいます…

大病が回復したことで人生観が変わったレイチェルも、
移動博覧会を満喫し、ヘティから非難されますが、
“…海と波にも動くなと言うの?
あたしが子供の頃、あんなのがあったら、止められたって行ってるわ。
あんただって、そうしてたはずよ。
…人魚がいるかも知れないって思う心を無くしたら、
とても詰まらないと思わない?”

と話します。

結局、「移動博覧会」は悪徳商法で、人魚が偽物を知ったデイビーは傷付き、
ベッキーの兄トニーの貯金も騙し取られただけでなく、
博覧会の収益金の9割を寄付するという話も嘘でしたが、
ベッキーの機転で、儲けを持ち逃げする寸前に一味は捕まります。

ヘティは、傷付いたデイビーを灯台に連れて行き、
「生きることの喜び」を忘れないでと教えました。

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アボンリーの秋祭りに、アレックとフェリックスの姿がないのは寂しいですね。
フェリックスは、ホテルの仕事で忙しいにしても…

ベッキーのドレスは、フェリシティが第1シリーズで着ていたものみたい…
子どもって、大きくなるのが早いですよね。
デイビーも大きくなったから、吹き替えの声がおさな過ぎる気がしました。

<名言>
「大人になるまでには、何度も痛い目に遭わなきゃならないわ。
でもね、だからと言って、生きる喜びを、捨ててしまうことはないのよ。
…いいえ、絶対に捨てちゃいけないんだわ。」(ヘティ)

アボンリーへの道<第7シリーズ>
第81話「移動博覧会」(Davey and the Mermaid)より

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文旦(ブンタン)マーマレード

知人から、文旦をたくさん頂いたので、マーマレードを作ってみました。
(大きさはグレープフルーツほど、レモンの木に接ぎ木したそうですが、
その人の口には合わなかったみたい。)

<材料>
文旦              3個  1kg(袋と種を取り除いた正味)
グラニュー糖   400g
水                 6カップ

<作り方>
(1) きれいに洗って拭いた文旦を、横横半分に切り、実を取り出し
   皮を適当な幅に切って薄く刻みます。

(2) 実は袋から外し、種を取り除き、実を細かくほぐします。

(3) たっぶりの水に入れて軽く水洗いをしながら、
   2~3回水をかえ、苦みを取ります。

(4) (2)の中に、水カップ゚6を加え、(3)の皮を絞って入れ、一晩浸けます。

(5) (4)を、ホーローかステンレスの鍋に入れて火にかけ、
   中火で30分位煮て、砂糖を加え、やや強火で焦がさないように、
   時々混ぜながら、20分位、煮詰めます。
   (冷めると固まるので、サラサラで大丈夫!)

(6) 熱いうちに、清潔な保存用瓶に詰め、冷めたら冷蔵庫で保存します。

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直径10cm高さ9cm

今回は、昔(1984年)の料理本を参考にしたので、
以前の「夏みかんマーマレード」とは違う方法です。

他の柑橘類にはない独特の風味で、清々しい初夏の味がしました。
(陳腐な表現…グルメリポーターは無理ですね。)

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手編みの手袋(5本指)…(2)

今日は暖かいを通り越している陽気…
うちの中で最も気温の低い私の部屋でも、今、25℃もあって、
毛糸の手袋の記事には相応しくないのですが、
「5本指手袋」をまとめましたので…

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   (画像はすべて拡大します。)出来上がりの写真はこちらです。
※ 手袋や靴下を編む時は、いつも、2組の編み針で、
   左右を、交互に編むようにしています。

<ゲージ>
図を参考に…

<材料と用具>
(1) 並太毛糸(細め) 約60g
  …手袋や靴下は破れやすいので、混紡の方が適しているかも…

(2) 4本棒針の5号(模様編みとメリヤス編み部分)
(3) 4本棒針の3号(2目ゴム編み部分)…短い方が編みやすいです。
(4) とじ針
(5) かぎ針
(6) 別糸少々

(7) 縄編み針
(8) ほつれ止め
(9) 段目リング

※ (1)~(6)は、必要なもの、
   (7)~(9)は、あると便利なものです。

<編み方の要点>
(1) 号の棒針で、指で掛ける作り目で、52目(4の倍数)作り目をし、
   輪にして、32目ゴム編みを15段編みます。
   (1目ゴム編みの場合の作り目は偶数)

(2) 5号の棒針に替えて、手のひら側はメリヤス編み、
   甲側は模様編みで、21段編みます。

(3) 22段目を編む時、21段目と22段目の間に、
   親指位置に、別糸で、7目編み入れておきます。

(4) 親指の別糸から数えて15段編んだら、各指を図のように分け、
   巻き増し目と、拾い目をして輪編みで編みます。

(5) 各指の最後の段は、「右上(左上)2目一度」にし、
   (奇数の場合は一箇所は「右上(左上)3目一度」にする) 
   20~30cmに糸を切って、とじ針に通し、編み目にぐるりと2周通して、
   しっかりしぼります。

(6) 糸の端の始末は、とじ針に通して裏側に渡し、表側にひびかないように、
   編み目を3目ほどすくってから、編み目に通して端を切ります。

(7) プレゼントにする場合は、
   形を整えてから、アイロンが直接触れないように注意して、
   スチームをかけると編み目が揃ってきれいになります。

※ (模様編みは、編み物の本を参考にしたものなので、
   編み図は省きました。)

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手編みの手袋(5本指)

余り毛糸の処分に、5本指の手袋を編んでみました。
…もう、春なのに…

短い輪針では編みにくかったので、
4本針で編みましたが、たまにはいいですね、何となくレトロな感じがして…

ターシャさんみたいに、金属の棒針で編みたいとも思うのですが、
竹製を充分持ってるし、今更買ってもね…

昔はほとんど、中細毛糸(0~2号棒針で)で編んでいましたが
やっぱり、中細毛糸の方がお洒落な感じ…

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でも、この手袋、誰がはめるのかしら…?
(手の平側は、ほとんど軍手ですね…)

編み方などは、あした、まとめますね。
(こちらに、まとめました。)

余談ですが…
編み物やお裁縫をしている時は、いつも音楽を聴いています。
今回は、「ジョン・レノンとビートルズのベスト盤」を聴いていました。
(ベスト盤と言っても、ビートルズやジョン・レノンのアルバムから、
自で編集した「ベスト盤」なんです。)
一番好きなのは、「レット・イット・ビー」、
でも、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」なんかも好き…
ジョン・レノンはどの曲も好きで、「イマジン」は勿論ですが、
「ビューティフル・ボーイ」と「スタンド・バイ・ミー」は特に癒されます。

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『私の青春文学紀行』

   ついで、と言っては何ですが、こちらも…

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『私の青春文学紀行』 松本侑子/著 新潮社

こちらは写真集なので、美しい風景ばかりに気を取られ、
文は、まるで読んでいないことに気付きました。
買ったのは、おととしなのに…

「赤毛のアン」…ルーシーモード・モンゴメリ
(カナダ・プリンス・エドワード島洲キャベンディシュ、シャーロットタウン、ビデフォード、
ノヴァスコシア洲ハリファックス、オンタリオ州リースクデイル、ノーヴァル、トロント)

「あしながおじさん」…ジーン・ウェブスター
 (アメリカ・ニューヨーク州ポーキプシー、ニューヨーク)

「はるかなるわがラスカル」…スターリング・ノース
(アメリカ・ウィスコンシン州エッジャートン)

「トム・ソーヤの冒険」…マーク・トウェイン
(アメリカ・ミズーリ州ハンニバル、コネティカット洲ハートフォード)

「風と共に去りぬ」…マーガレット・ミッチェル
(アメリカ・ジョージア州アトランタ)

「若草物語」…L・M・オルコット
(アメリカ・マサチューセッツ州コンコード)

「故郷」…魯迅
(中国・浙江省紹興、上海市)

「月と六ペンス」…W・・サマセット・モーム
(フランス領ポリネシア タヒチ)

「若きウェルテルの悩み」「野ばら」…ヨハン・W・V・ゲーテ
(ドイツ・ライプチヒ、ヴェツラー、フランクフルト、ワイマール)

「ハイジ」…ヨハンナ・スピリ
(スイス・マイエンフェルト、ヒルチェル、チューリッヒ)

「車輪の下」…ヘルマン・ヘッセ
(ドイツ・ドレスデン、カルフ、マウルブロン、チュービンゲン)

「わたしが子どもだったころ」…エーリッヒ・ケストナー
(ドイツ・ドレスデン、バルト海沿岸)

「アンネの日記」…アンネフランク
(オランダ・アムステルダム、ドイツ・フランクフルト)

「サウンド・オブ・ミュージック」…マリア・フォン・トラップ
(オーストリア・ザルツブルク)

「ヴェニスの商人」…ウィリアム・シェイクスピア
(イタリア・ヴェニス、イギリス・ストラットフォード・アポン・エイヴォン、ロンドン)

「蛍の光」…ロバート・バーンズ
(スコットランド・アロウェイ、エジンバラ、ダンフリース)

懐かしい題名ばかり…
まさに青春、というより、“青少年”の言葉がピッタリの中高生の定番ですよね。

他では、トルストイやドフトエフスキー、スタンダールやモーパッサン、
バルザック、エミール・ゾラ…といったところでしょうか。

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『ロマンティックな旅へ ~イギリス編~』

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『ロマンティックな旅へ ~イギリス編~』 松本侑子/著 幻冬舎

この本も、『ロマンティックな旅へ ~アメリカ編~』と一緒に借りました。
2冊とも、装丁が可愛いですよね。

どこも行ってみたい所ばかりですが、特に湖水地方に行きたいな…
アボンリー(キャベンディッシュ)に似ているから…
「どこでもドア」を作ってくれる人はいないの?

<目次>
(1)「ピーターラビッドのおはなし」 湖水地方
(2)「クマのプーさん」 ハートフィールド
(3)「十二夜」 ストラットフォード・アポン・エイヴォン
(4)「ジーキル博士とハイド氏・宝島」 エジンバラ
(5)「嵐が丘」 ハワース
(6)「白昼の悪魔 そして誰もいなくなった」 トーキー
(7)「クリスマス・キャロル」 ロンドン
(8)「シャーロック・ホームズの冒険」 ロンドン・ベイカー街
(9)「不思議の国のアリス」 オックスフォード
(10)「水仙」 湖水地方
(11)「ピーター・パンとウェンディ」 ロンドン
(12)「ツバメ号とアマゾン号」 湖水地方
(13)「トムは真夜中の庭で」 イーリー
(14)「アーサー王伝説」 ウィンチェスター
(15)「シェイクスピアのグローブ座」 サザーク

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『ロマンティックな旅へ ~アメリカ編~』

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左 『ロマンティックな旅へ ~アメリカ編~』 松本侑子/著 幻冬舎
右 『私の青春文学紀行』 松本侑子/著 新潮社

『ロマンティックな旅へ~アメリカ編~』(1997年)は、
タイトルの“ロマンティック”に惹かれて借りたのですが、
読み出してみたら、内容が前にも読んだような気がして、本棚に目をやると、
おととし購入した『私の青春文学紀行』に目が留まりました。

この本にも、旅先の美しい写真がたくさん掲載されていますが、
殆どの写真に、『赤毛のアン』の研究で有名な著者(松本侑子さん)が写っていました。

それにしてもお美しい方ですね。
天は二物を与えたのでしょう、才色兼備の見本のようです。

<目次>
(1)「赤毛のアン」 カナダ・プリンスエドワード島
(2)「若草物語」 アメリカ・コンコード
(3)「ハムレット」 デンマーク・ヘルシンガ
(4)「人魚姫」 デンマーク・コペンハーゲン
(5)「森の生活」 アメリカ・ウォールデン湖
(6)「青い麦」 フランス・ブツターニュ地方
(7)「愛人ラマン」 ベトナム・サイゴン
(8)<大草原のローラ・シリーズ>
「大きな森の小さな家」 ウィスコン洲ペピン
「プラム・クリークの土手で」 ミネソタ州ウォルナット・グローヴ
「シルバー・レイクの岸部で」「大草原の小さな町」ほか サウス・ダコタ洲デ・スメット
「わが家への道」 ミズーリ州マンスフィールド

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自衛隊に入ろう

2月の「知る楽」は、なかなか面白そうなラインナップですね。

「探求この世界」(月)は、“「怖い絵」で人間を読む”(中野京子さん)、
「歴史は眠らない」(火)は、再放送の“戦後日本 感じ事件簿”(円満字二郎さん)、
「こだわり人物伝」(水)は、“孤高のフォークシンガー 高田 渡”(なぎら健壱さん)、
「仕事学のすすめ」(木)は、“働く女性 課題克服仕事論”(勝間和代さん)…

私は、月~水が興味があるので、忘れない限り見るつもり…
いつものように録画ですが見ています。

昨夜の放送は「こだわり人物伝」の第1回目「民衆の心を歌に 原点は少年時代」。
高田渡さんの幼少時の家族写真や、お兄さん達の証言なども交え、
生い立ちなどを紹介。

高田渡さんの父の豊さという人は、
私財を投じて恵まれない人達への救済活動をされていた詩人だそうですが、
高田さんは、父親を、とても尊敬されていたそうです。

私はフォーク世代ですが、当時ラジオを聞くこともなく、
テレビや雑誌を見ることもなかったのでフォークについても殆ど知らなくて、
高田渡さんのことも、15年位前のBS放送で初めて知ったのですが、
当時70歳位に思っていました。(実は40代だった)

高田渡さんの歌では「生活の柄」「自衛隊に入ろう」と、
あと数曲しか知りませんが、「自衛隊に入ろう」を初めて聴いた時は、
本当に仰け反りましたね。

この曲には面白いエピソードがあって、分かり易い詩に、
痛烈な批判が込められている反戦歌なのに、
当時の防衛庁からPR曲にという申し出があったそうなのです。

皮肉も分からなかったなんて、防衛庁も素直と言うか…
(反戦映画も戦争賛美に感じる人もいますから)

でも実際、言葉通りに受け取り、自衛官になってしまった人もいるかも知れない、
そう考えると、ちょっと複雑ですね。

…自衛隊に入れば この世は天国…
 …男の中の男はみんな自衛隊に入って花と散る…

…アメリカさんにも手伝ってもらい…
 …悪いソ連や中国をやっつけましょう…

以前は放送禁止曲だったそうですが、今はどうなのでしょう?
(youtubeで聴けます。)

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ごうのとら

血液型、星占い、姓名判断、手相、人相、風水…
といった占い全般を、私が信じていないのも、
非科学的で、商売のために人間がしていることと思っているからなのですが、
なぜそんな天の邪鬼になってしまったかと言えば、
私が「ごうのとら」生まれだからかも知れません。(歳がばれますね…)

「ごうのとら」と言っても知らない人の方が多いと思いますが、
正しくは「五黄の寅」といって、36年ごと巡ってくる寅年で、
かつては、この年に生まれた女は、「ひのえうま(丙午)」(60年毎)同様、
「強い」という理由から、敬遠されていたのでした。
(男性は問題ないのです。女は男より強くては駄目らしい…)

幼い頃、母から、“…だけど、みちは4月生まれだから…”
(命が授かってから誕生するまでの「10の6は丑年」という考え)
と言って慰められた記憶がありますが、
その言葉は、「母の自己満足」と理解していました。

“じゃあ、同い年の子は、みんな同じってこと?
そんなバカなこと、あるはずがないでしょ!
そんなくだらない迷信は一切信じない…”と幼心に思ったのでした。

こんな私でも、昔から、神社仏閣に行くのは好きで、
もし連れが「おみくじ」を買えば、私も買って、喜んだりガッカリもしますが、
内心では、「印刷された紙」ぐらいにしか思っていないのです。

“罰当たり!”と言われそうですね。

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厄年

外国にも、あるのでしょうか?
日本には、男女それぞれ別の年齢の「厄年」という風習(迷信)があって、
しかも、それは一度だけではないという…

私は未だに、厄年が何歳なのか知らないのです。
もちろん聞いたことはありますが、興味が無いせいか右から左なんですね。

と言うのも、幸いなことに、私の身内や友達などの中に、
厄年や風水などといった迷信に振り回されている人がいないので、
自分の厄年を知らず通過していたからです。

でも、世の中には厄年を気にする人も多いらしいですね。
それも、意外に若い人に…マスコミの影響?

神社などで、御祓いして貰う人がいると聞きますが、
私の身近で「厄年の御祓い」をして貰った人なんて誰もいませんよ。

霊感商法と大差ないようにも思えますが、
お守りやおみくじと同じく、それも商売の一つなのですから、
心配なら、御祓いして貰うのもいいとは思いますが、
もし私が(その歳の頃に)、人から御祓いを勧められたとしたら、
間違いなく、「そうね…」と聞き流していたでしょう。

そのお金で、本でも買った方がいいですからね。

誰かさんに、「罰が当たる!」と言われそう…。

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如月

今日から2月…
今年も、もう「12分の1」終わってしまったのですから早いですよね。

さっき、ベニシアさんのブログにお邪魔したら、
“「February」は、「清める」という意味のラテン語「februare」が語源となっています。”
と書かれてありました。

(ちなみに1月のブログには、
“January”の語源は、反対方向を向く二つの顔を持つローマの神、ヤヌスです。”
と書かれてあります。)

日本では如月ですね。
如月は一年中で最も寒い時期、きものを着込んだうえに更に着る月の
「衣更着」から来ていると聞いたことがありますが、
今年は1月から春のような陽気が続いています。

暖かいのは大歓迎、でも、その反面、冬は冬らしい方がいいような気もします。

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