『住井すゑ ペンの生涯』…(2)
『住井すゑ ペンの生涯』から、
住井すゑさんを表すエピソードの続きを…
幸徳秋水を尊敬していた住井すゑさんは、彼が死刑になった時、
「絶対仇を取ってやる」と思ったとか…
その時、すゑさんは小学3年生でした。
また、住井すゑさんは、奈良で代用教員を務めたのち上京し、
1919年(大正8年)に、講談社の婦人記者になったのですが、
男性社員は月給なのに、女性社員が日給月給ということに疑問が湧き、
社長に抗議すると、
“女は子どもを産んだり、家のことで休んだりするから…”との答え…
“…女が子どもを産まないで、社会が栄えるか!
それを理由に給料に差をつけるとは本末転倒だ。
女が子どもを産むことで歴史は続いているのだ。
女が子どもを産まなくなったら民族は滅びる”と言い返し、
“そんな搾取する会社はごめんだ!”と、
1年で講談社を退職してしまったそうです。
「郷に入っては郷に従え」「長いものには巻かれろ」
という、日本的処世術とは正反対の信念を貫く姿勢、
強い!…私には到底出来ません。
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