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『もめん随筆』…(2)

『もめん随筆』が出版されたのは1936年(昭和11年)ですが、
生まれ育った札幌での少女時代のことや、独身時代のこと、きもののこと、
芥川龍之介などの文化人のことも書かれていました。
印象深かったのは、「我儘散題」と題した随筆でした。

書かれた時期は分かりませんが、“今から20年ほど前の話”としたうえで、
(要約すると)“…寒中に苺が食べたいと思いつき、
○○屋に行けば必ず買えるのだが、二十粒で十円…、
私には自由に使える十円の金子があるにも関わらず、
まわりの人からは我が儘だと止められ、お説教された…”という。

これは大正時代の話?…それとも明治…?
1年中ほとんどの食品が手に入る今とは違って、冬には苺が食べられなかった時代、
20円あれば、西陣の上等なお召しが一反買えて、
10円でも片側帯や洒落た本箱や机が買え、ちょっとした旅行も出来た時代の話です。

結局、まわりの反対にあって、寒中の苺は味わえなかったわけですが、
“…食べる人がいるから売られているのであって、
好きに使える金子なのに、我が儘だ、贅沢だと説教され使えないのなら、
その十円も自分にとっては何の値打ちもない…そんな金子なら捨ててしまおう…
十円で帯や着物を買うのも、十円で芝居を観たり旅行をするのも慰めなら、
十円で二十粒の苺を食べてしまうのも自分の慰めなのに、なぜいけないのか。
そんな分からない話があるものか…”
というのが筆者の論理のようでした。

筆者と周りの人との問答は平行線をたどり、
「我が儘」と決め付けた人を、彼女は「気の小さいけちん坊」と決め付けたのでしたが、
その季節になれば、いくらでも安価で買えるのですから、
我が儘と言われても仕方ないようにも思えましたが…いかがなものでしょう?

ところで、「夏の話」の文中に、“…四十代の中婆さん…”というのがありました。
昔は40歳で「中婆(ちゅうばあ)さん」と言われてたとは知りませんでした。

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