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2010年1月

血液型と性格の怪

血液型と性格については以前にも書いたと思いますが、
21世紀の現在でも、血液型と性格との関連性を信じているのは、
日本とアジアの一部の国だそうです…
本当に日本人って、人を血液型で判断する人が多いですよね。

「あなたは○型でしょ?」とか、中には
「私、○型に近い○型でね…」
などと訳の分からないことを言う人もいたりして…

私の友人の息子は、子供の頃に血液型からのイジメで、
“血液型を変えることって出来ない?”と本気で悩んだそうなのです。

言っている人達のほとんどが、多数派に属する血液型の人でしょうし、
これはもう完全に、偏見と差別の構造でしかないですよね。

偏屈に思われるかも知れませんが、
血液型と人間性の関係は、色んな占いと同じように、
論理的にも科学的にも根拠がなく、単なる思い込みでしかないと思うのに、
私には、信じ込んでいる人がいることの方が不思議なんです。

よく、「占いは統計学」と言う人がいますが、データの存在さえ疑わしく、
その言葉にも、全く信憑性が無いように思えてなりません。

…それなのに…
尊敬する人や好感を抱いている人が同じ血液型と知った時、
親近感を覚えたり、嬉しかったりするのはなぜかしら…?
矛盾してますか…?

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生卵の割り方

卵つながりですが、
生卵を片手で上手に割る人っていますよね。

不器用な私には、それが出来ないのですよ…
でも、その必要性もないから、練習もしないのですが…

また、卵を割る時に、テーブルや器などの角に、
トントンとぶつけて割っている人を見掛けますが、
平らな所に軽くぶつけて割った方が、細かな破片が入らないですよ。

それから、二つ以上の生卵を割る時は、両手に卵を持って、
卵同士をぶつけると、上手く割れるのですよ。
もちろん、片方の卵しか割れませんから、ご安心を!

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ゆで卵の殻

ゆで卵の殻って、上手くむけない時がありますよね~
急いでいる時は、焦るから尚更ボコボコになってしまって…

でも、それは茹で方を変えると解決しますよ。
ゆで卵は、水から茹でる人が多いと思いますが、
沸騰したお湯に入れて茹でると、殻がツルッと剥けるのですよ。

“沸騰した中に入れたら、殻が割れないの?”と思われるかも知れませんが、
これが意外に大丈夫なんですよ!

茹で方は、沸騰した適量のお湯の中に入れたら、
弱めの強火
にして、8分前後茹で、水に取ります。

お鍋の大きさや材質、水の量、卵の数にもよりますが、
この方法で、瓢亭玉子(ひょうていたまご)より、やや硬めの茹で卵が出来ます。
(私は通常、3個の卵を16cmの打ち出し行平鍋で茹でています)

実はこれ、以前放送していた「伊東家の食卓」という番組で紹介された方法で、
番組を見ていた友人から教えてもらったのを、
自分なりにアレンジしたものなんですが、本当にきれいに剥けますよ。

でも、殻を割らないためには、ちょっとしたコツがあって、
「卵を冷蔵庫から出し常温にしておく
「卵を入れる時は、火加減を下げ、玉じゃくしやトング等を使って静かに入れる
これでOKです。

また、お湯に、少量の酢か塩を加えておくと、
もし割れた場合でも、白身が流れ出ないのですよ。
アルミ鍋の場合はがお薦め…お鍋が黒くならないばかりか、ピカピカに)

それから、沸騰するまでは、蓋をしておくと、光熱費と時間の節約になります。

以上、「おばあちゃんの知恵袋」でした。

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“決して諦めないこと!”

「我が子のために身体を鍛え、人生のすべてを賭けた父親」(「ザ・ベストハウス123」)

全身麻痺で生まれた息子リックのために、鉄人になった父ディック・ホイト…
アメリカに、こんな父がいたことを知らされました。

息子が全身麻痺で出産した直後、
医師から、家庭で育てるのは無理、施設に入れるよう勧められた父は、
迷うことなく、“自分が立派に育てる”と決める。

動かせるのは僅かに首だけ、
見えているのか、聞こえているのかさえ分からない人形のような息子…
然し、父は聞こえていると信じ、一緒にテレビを見ては話しかけ、字も教えた。

首の動きだけで入力できるコンピューターによって、
コミュニケーションが可能になったリックは、一般の中学校に入学し友達もできたが、
ある日父に、事故で全身麻痺になった子のためのチャリティーマラソンのチラシを見せ、
“僕も彼のために走りたい…でも無理だよね”と言う…

父は、
“全身麻痺の身でありながら、人の役に立ちたいという息子の純粋な気持ちを、
父親である自分が踏みにじるわけにはいかない”

と息子と一緒に走ることを決意…

車いすと息子の総重量45㎏を押して、8キロのコースを必死の思いで完走した父は、
この時37歳だった。

こぼれんばかりの笑顔…そして、
サンキュー ダディ、一緒に走っていた時、
生まれて初めて障害者ということを忘れた…”

と言った息子。

自分が息子にしてやれるのは、障害者ということを忘れさせてやること。
そして、決して諦めないことを伝えること”

と決心した父は、自らの肉体を改造し、
7年後の44歳の時、ボストンマラソンに車いすの息子(車いすとの総重量65キロ)
を押して参加し完走。優勝者の43分後のことだった。

“トライアスロンに出ませんか?”との誘いにも、
“息子と一緒に参加できないのなら意味が無い”
と断るが、息子に、
“自分のせいで出られなかった”
と思われたくないからと、
さらに身体を鍛えあげ、苦手な水泳も克服し、3年後にトライアスロンに参加…

水泳は、息子を乗せたボート(70kg)を繋いだロープを身体に括り付け、
1時間54分でクリア、
自転車は、特製の自転車に息子を固定し、180kmの距離を9時間55分でクリア、
最後のフルマラソンでは、65キロを押しながら、ひたすら走り、
14時間26分4秒でクリアした。
この時、父49歳、息子27歳だった。

ボストン大学で学位を取得し優秀な成績で卒業した息子リックは、
同大学のコンピューター研究室で、障害者用の補助器具の開発をしているとのこと。

現在69歳の父と48歳の息子は、
今もトライアスロンやフルマラソンに参加し続けているそうです。

一番やりたいことは、
“お父さんを車いすに乗せて押してあげること”
というリック…

スタジオ中が感動…録画をみた私も…
何事も、すぐ諦めてしまう自分が情けない…。

“諦めないこと。不可能なんてない、やれば出来るんだ。”

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あの人に会いたい

昨夜、「あの人に会いたい」という番組の再放送で、
冒険家・植村直己さんの懐かしい笑顔に再会できました。

あの話すときの、夢みる少年のような眼差しと、はにかんだような口元…
誰かに似ている…辻井伸行さんでした。

今まで、いつも、辻井伸行さんの可愛らしい笑顔を見る度に、
“どこかで見たような…”と思っていましたが、
ようやく、ゆうべ、植村直己さんだったことに気付いたのです。

植村直己さんが世界初のマッキンレー厳冬期単独登頂に成功された後に、
(ちょうど43回目のお誕生日でした。)消息を絶ってしまってから、
もう、四半世紀以上も経っただなんて信じられません。

今もあなたは、青年のまま、マッキンレーのどこかで眠っているのですね。
植村さん、あなたはヒラリー卿に「冒険とは生きて還ること…」と
恥ずかしそうに話されていたのに、どうして未だに還ってこないのですか…?

優しくてシャイでピュアな植村さんは、山好きの私の憧れの人だったのに!!
あなたの『青春を山に賭けて』は、私の本棚に大切に仕舞ってありますからね。

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『もめん随筆』…(2)

『もめん随筆』が出版されたのは1936年(昭和11年)ですが、
生まれ育った札幌での少女時代のことや、独身時代のこと、きもののこと、
芥川龍之介などの文化人のことも書かれていました。
印象深かったのは、「我儘散題」と題した随筆でした。

書かれた時期は分かりませんが、“今から20年ほど前の話”としたうえで、
(要約すると)“…寒中に苺が食べたいと思いつき、
○○屋に行けば必ず買えるのだが、二十粒で十円…、
私には自由に使える十円の金子があるにも関わらず、
まわりの人からは我が儘だと止められ、お説教された…”という。

これは大正時代の話?…それとも明治…?
1年中ほとんどの食品が手に入る今とは違って、冬には苺が食べられなかった時代、
20円あれば、西陣の上等なお召しが一反買えて、
10円でも片側帯や洒落た本箱や机が買え、ちょっとした旅行も出来た時代の話です。

結局、まわりの反対にあって、寒中の苺は味わえなかったわけですが、
“…食べる人がいるから売られているのであって、
好きに使える金子なのに、我が儘だ、贅沢だと説教され使えないのなら、
その十円も自分にとっては何の値打ちもない…そんな金子なら捨ててしまおう…
十円で帯や着物を買うのも、十円で芝居を観たり旅行をするのも慰めなら、
十円で二十粒の苺を食べてしまうのも自分の慰めなのに、なぜいけないのか。
そんな分からない話があるものか…”
というのが筆者の論理のようでした。

筆者と周りの人との問答は平行線をたどり、
「我が儘」と決め付けた人を、彼女は「気の小さいけちん坊」と決め付けたのでしたが、
その季節になれば、いくらでも安価で買えるのですから、
我が儘と言われても仕方ないようにも思えましたが…いかがなものでしょう?

ところで、「夏の話」の文中に、“…四十代の中婆さん…”というのがありました。
昔は40歳で「中婆(ちゅうばあ)さん」と言われてたとは知りませんでした。

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『もめん随筆』

20100125 『もめん随筆』 森田たま/著 中公文庫

『もめん随筆』も、『回想の太宰治』と一緒にネット注文したものですが、
私が最初にこの本を読みたいと思ったのは、中学生の時でした。

多分、新潮文庫本の既刊リストで知ったのだと思いますが、
学校の図書室にも書店にも見つからず、読めないままになっていましたが、
昨年の暮れに図書館で借りた本に、森田たまさんの随筆が載っていたことで
思い出したという次第なんです。

調べたところ、中公文庫本から復刊されていると知り、
もちろん図書館(初版本も)にもありましたが、
半世紀近く経って思い出したのですから、もうこれは買うしかないでしょ。
と…

森田たまさんは、私の祖父母より少し年上の明治27年(1894)札幌生まれで、
この本の底本も1936年出版なため、読点の少ない歴史的仮名遣いで書かれていて、
確かに、今とは比較にならないほど美しい日本語でした。

それはいいのですが、当時の中産階級に属す平均的な人間には、
平等とか差別とかいった観念は無かったのでしょうから仕方ないのですが、
今なら問題とされる表現(差別用語)も多く、有閑マダム的な日常生活と考え方に、
共感を覚えることは無かったです。というより辟易としてしまって…
これ、貧乏人のひがみというものですね…

永年の憧れの本だったのに、
期待していたような、純朴さ、優しさ、逞しさ、大らかさ、といったような
「木綿」のイメージは感じられず、なぜ題名を「もめん」にしたのか、
理解できませんでした。
(木綿に対する思い込みでしょうか?それに、まだ途中なのに…)

もし中学生の頃に読んだなら、きっと途中で投げ出していたでしょうね。

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バスマット

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戴き物のバスタオル…
趣味に合わないのか誰も使わないので、バスマットにしました。
サイズがちょっと小さいけれど…

作ったと言っても、三つ折りにして、三辺を、太口の手縫い糸二本取りで、
ゆるめのコの字(針を)に縫っただけ…1cm位の針目で…
お雑巾を縫うより簡単です。

…ですが、私が昔から使っているお雑巾は、
使い古したフェイスタオルを二つに折って輪に縫っただけのもの。
ちょうど布オムツの感じ…
たたみ直して拭けて便利ですし乾きやすいですよ。

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富士山

昨夜、NHKローカルで、「富士山 わたしだけの一枚」という富士山に魅せられ、
写真を撮り続けているアマチュア写真家の番組を放送していましたが、
40年前からファンだった山岳写真家の白旗史朗さんが出演されていました。

富士山は日本人にとって特別の山…
蝦夷富士(羊蹄山)、津軽富士(岩木山)、榛名富士(榛名山)、ほうき富士(大山)、
この他にも、日本には富士が付く山がたくさんありますよね。

国内どころか、海外にも日本人が名付けた、チリ富士(オソルノ山)、
カムチャッツカ富士(クリュチェフスカヤ山)、タコマ富士(レーニア山)などが
存在するのですから…

私は、特別、富士山に魅せられているという訳でもないのですが、
確かに、雪を戴いたの富士山には、浄化作用があるように感じます。

さすがに自宅からは見えませんが、
少し歩いただけで富士山が眺められる偶然には感謝してます。

せっかく見える所に住んでいるのですから、
私も常々、「わたしだけの一枚」を撮りたいと思って挑戦はしているのですが、
カメラも腕もお粗末で、情けない結果の連続なんです。

ところで、富士山には、「赤富士」と「紅富士」があって、以前「美の壺」では、
“赤富士は、朝日や夕日が雪を照らす”、
“紅富士は、雪のない季節に山肌が赤く染まる”
と言ってましたが、これにも諸説あるようですね。

太宰治は、『富嶽百景』で、
“…低い。裾のひろがつてゐる割に、低い。
あれくらゐの裾を持つてゐる山ならば、少くとも、もう1,5倍、高くなければいけない。”
と書いていますが、そう言われると、そんな気もするから不思議です。

余談ですが、
時々私は、ライブカメラで富士山を鑑賞しています。
(私は御殿場から見た富士山が好き…)

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トートバッグのリフォーム

しばらく使っていなかったバッグを出してみると、
内側がベタついていました…

これはもう捨てるしかないとも思いましたが、
シンプルでサイズがちょうどよいし、ノーブランドだから気に入ってるんです。
(バッグに限らず一目でブランド名が分かるものって素敵とは思えない…)
で、駄目で元々と、リフォームしてしまいました。

見返しのステッチ以外のミシン目を、リッパーと糸抜きで取り、
それを型紙代わりにしました。
上出来とはいきませんでしたが、人に見られるわけでもないから…

裏地にした生地は、スーツの余り切れ(厚手の化繊)、
中央の仕切り部分はポケットに、両側のポケットもファスナー付きです。

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手前にあるのは文庫本で、サイズの比較として置きましたが、
このブックカバーも手作りです。
(と言っても、和布を取り込んで、A4の紙に印刷しただけですけどね。)

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蝋梅(ロウバイ)

いつも閉じ籠もってる私ですが、
暖かさに誘われて、梅で名高い郊外の洞慶院(とうけいいん)まで、
山の空気を吸いに行ってきました。

やっぱり違う、ひんやりして清々しい…
こういう所で、バーベキューやカラオケをする人達の気が知れない…
迷惑とも気づかないで…でも今日(20日)は静かで良かったです。
ウィークデーに限りますね。

梅にはまだ少し早く、紅梅がほころび始めたところでしたが、
その代わり、蝋梅が、とてもいい香りを放っていました。
(梅が付いても、梅の仲間ではないそうですね。)

20100121a 20100121b 20100121c 20100121d
洞慶院にて…相変わらず上手く撮れてなくて御免なさい。
この辺りは、素朴な郷土玩具「おかんじゃけ」で有名な地域です。
(市民でも、知る人ぞ知るですけどね…実は私も触れたことがないのですよ。)

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COOL JAPAN …服(Clothing)

今回のテーマは服。

外国人は帽子を被っている人が多い。
外国人はお洒落。
外国人はコーディネートが上手。
外国人は流行に敏感で、新しいファッションの試みを恐れない。
外国では何を着ても咎められない…

外国人ではなくて、日本人がそうだなんて、
私が抱いていたイメージは、いつの間にか逆転していたのですね。

でも実際はそうでもないですよね。
ギャル系、姫ギャル系、ストリート系、森ガール系…
他にも色々あるのでしょうけど、
どんなファッションでも許されるのは、子どもと大人の短い期間だけ…

流行りのスカートとジーンズを重ねて穿くファッションも、
着替え途中みたいに見えますが、若ければこそ素敵、
大人がしたら、いかにも防寒対策みたいでお洒落じゃないです。

5本指ソックス、パンプスイン、オーダーソックスなどもあり、
色、素材の種類も豊富…それに品質も優れていて、お土産に最適と絶賛!
日本の靴下の素晴らしさを再認識しました。
さすが靴を脱ぐ生活をしているだけのことはあります。

シンプルな服に手を加え、自分だけのオリジナリティーを表現する「デコクロ」。
世界に一つだけの服にしたい気持ちには共感できますが、
どなたかが言われたように、せっかくのエレガントな洋服も、
やり方次第で、安っぽくしてしまう可能性もありますよね。
まあ、他人がとやかく言うことではないですね…

私は逆に、飾りを取ってシンプルにしてしまうことがほとんどで、
ボタンも趣味に合わないと替えてしまいます。

世界初の「シャワーで洗えるウールのスーツ」、これ素晴らしいですね。
開発秘話は日本らしかったです。

「種類の豊富なファッション」「靴下」「デコクロ」「多機能な服」
の中から選ばれたベスト・オブ・クールは、「多機能な服」でした。

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『回想の太宰治』の文庫本

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『回想の太宰治』 津島美知子/著 講談社文芸文庫

以前、図書館で借りて読んだ『回想の太宰治』は、
人文書院の初版本(1978)でしたが、
講談社文芸文庫の『回想の太宰治』には、
初版本には収録されていない複数の随筆があると知り購入しました。

津島園子さん・里子さん(津島佑子)のあとがき(「増補改訂版」1997・7)によれば、
晩年の美知子夫人は、
“~まだ、これも書いてない、あれも書いてない~”と、
自分の夫・太宰治について、読者のために記録すべきことを、
正確に記録していくことを、妻である我が身の義務と感じ続けていたそうです。

夫の歿後、多くの時間が経過したからこそ書けたのでしょうが、
妻でなければ知らない生身の太宰が綴られていて、とても興味深かったです。

作家の妻として口述筆記も務め、時にはアドバイスもしていた賢夫人だからこそ、
書ける文なのでしょうが、
(太宰治は、一度も言葉に詰まったり、言い直したりすることは無かったとか。)
聡明な美知子さんらしい、隙のない理路整然とした文章の中にも、
亡夫に寄せる思慕の情が溢れているように感じられました。

また、この文庫本には、
美知子さんの実家である甲府の石原家で撮った写真が載せられていました。

手前の中央には、美知子さんの母・くらさんが椅子に掛けていて、
その左側には神妙な面持ちの太宰治が…
二人の後には、右から冨美子(長姉)さん、美知子さん、愛子(妹)が立ち、
その後に弟の明さんが微笑みを浮かべて立っています。

太宰治の風貌が、井伏鱒二宅で写した婚礼の写真とほぼ同じなので、
その前後の写真なのかも知れません。
(写真は昭和14年(1939)に写されたもので、結婚は、昭和14年1月8日です。)

写真を見た時に私は、
“この人が(愛子さん)、桜子さん(宮﨑あおいさんが扮した)のモデルだったのね~”
と、些かミーハーになってしまった…
(友人に薦められて「純情きらり」を見ていたので…)

ついでながら、ドラマの「純情きらり」では、
笛子(寺島しのぶさん)は長女で、桜子は三女、勇太郎は長男でしたが、
美知子さんは四女で、愛子さんは五女、明さんは次男です。
(原案の津島佑子さんの小説『火の山-山猿記』でもそうです。)

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「なまえをかいた ~吉田一子・84歳~」

ETV特集「なまえをかいた ~吉田一子・84歳~」
(ナレーターは市原悦子さん)

信じられないですが、豊かで先進国といわれる日本には、
差別と貧困ゆえに戸籍さえなく、小学校に一日も通ったこともなく、
平仮名も書けない人たちがいる…それどころか、鉛筆さえも持ったことがない…
現在84歳の吉田一子(かずこ)さんもその一人です。

吉田さんは60歳を過ぎてから、平仮名だけでも習おうと、
大阪府富田林市立人権文化センターの、識字教室に通い始めたのですが、
鉛筆の持ち方も分からないし、平仮名の丸みが難しくて書けなかったそうです。

ようやく平仮名を書けるようになった時、
それまで文字で表すことが出来なかったことを、日記や詩に書きました。

吉田さんが70歳の時に書いた作文「なまえをかいた」には、
貧しくて学校に行けなかった子どもの頃の悲しい思い出や、
名前が書けないために自分の年金が下ろせず悔しい思いをしたことなどが、
綴られていて、この作文は、部落解放文学賞最優秀作品となったそうです。

吉田さんをモデルにした『ひらがなにっき』(絵・長野ヒデ子)という絵本も
出版されたことで、地元ではちょっとした有名人で、
最近では小中学校からの講演依頼があり、体験談をお話しされています。

現在は、小学2年生の教科書で漢字の勉強をされていましたが、
書くことが生き甲斐となっているそうですから素晴らしい…

何歳になっても、学ぶ喜びを持ち続けたいものですよね…
関係ないですよ、年齢は…

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東京国際キルトフェスティバル 2010

早いですね…
今年も、「東京国際キルトフェスティバル~布と針の祭典2010~」が開催中です。
9日間で25万人が訪れるとか…しかも、ほとんどが中高年の女性みたい…
オバサンパワーの凄さ!
(番組のゲストは八代亜紀さんと相田翔子さん。)

9名のプロのキルト作家による「ようこそ!マイルーム」、
どれも素敵でしたが、やっぱり私は、フランス出身の林アメリーさんのお部屋です。
和布を使った林アメリーさんの作品は前から好きでしたから。

「技とこころ 韓国の名匠 金海子さんの“タビ”」
私には絶対真似できない伝統の技に感服!

「ステッチに想いを込めて~アレンタウン美術館の名品キルト~」
アメリカのキルトって、色彩が単純で、デザインもパターン化されているように
いつも感じます。

「新作キルトの競演~流れるものは美しい 風・水・光~」
どの作品も本当に素晴らしかったです。
デザイン、素材、色彩、どれを取っても、アメリカの伝統的なキルトとは違って、
繊細で芸術作品そのものです

「特集企画 藍の美 ジャパン・ブルーの世界」
藍染めの生地を使った黒羽志寿子さんのキルトが素晴らしかったです。
黒羽さんは、
“最後の作品は、これまで作った作品の端切れを全部使い切ったものにしたい”
という黒羽さんの言葉は印象的でした。
その気持ち分かります!

「生命の木・ツリー」をテーマに、
「おしゃれ工房」で募集した「パートナーシップキルト」の数は、
1,1052枚!…それを全国のボランティアによって、94枚のキルトに仕上げられました。
(会期中にチャリティー抽選を行い純益は、
今年はハイチへの救援金に充てるそうです。)

「第9回日本キルト大賞」の各部門の受賞作品が紹介されましたが、
大賞は、「Fly me to the moon」でした。
大胆でCGで描かれたSFの世界のようであり、色調を押さえた日本画のようでもあり…

私が一番気に入った作品は、フレンドシップ賞の「いそがし日和(びより)」でした。
母の世代の婚礼当日…まるでタイムスリップしたような心地よさ…
やっぱり歳ですね。

<公式サイト>
http://www.tokyo-dome.co.jp/quilt/index.htm

こちらで受賞作品が見られますよ。(歴代の受賞作品も)
http://www.tokyo-dome.co.jp/quilt/9/

<会場>
東京ドーム
<会期>
2010年1月15日(金)~23日(土) 9日間
10:00AM ~ 6:30PM (初日11:00AM 開場/最終日6:00PM 閉場)
※入場は閉場の1時間前まで

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リサイクルの手提げバッグ(3)

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この手提げバッグは、数年前に作ったものですが、
表地は、ジャケットの余り切れ(化繊のキルティング地)、
裏地は、ブラウスの余り切れ(綿のグレンチェック)で、
持ち手は市販のものです。
(サイズは、幅34cm、深さ28cm、マチ(別裁ち)の幅7cm)

洋裁の余り切れから、数え切れないほどのバッグや袋物を作ってきましたが
余り布の処分が目的なようなもので、人にあげてしまったり、
自分で使ったとしても、それも少しの間、じきに処分してしまうのですよね…

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リサイクルの手提げバッグ(2)

実はこれ、12月28日の「リサイクルの手提げバッグ」と
同時進行だったはずだったのに、途中のまま年を越し、ようやく仕上げたもの…

20100115 20100115b 20100115c

これも生地は同じく、スーツの残り切れ(ヘリンボンのウール地)、
裏地は文字通り裏地、中にはキルト綿が入っています。
持ち手と見返しには、厚手の接着芯(バイリーン)が貼ってあります。

内側には、ファスナー付きとファスナー無しのポケットを付け、
留め具は、ダッフルコートを作った時の「トグル」を利用しました。

サイズは、幅32cm、深さ24,5cm、底の丸み4cm、
持ち手は、4cm×36cmです。

20100115d この「袖丸み形」(クロバー)は和裁用ですが、
洋裁や手芸などにも使えて重宝してます。
1cm~11,5cmの10種類の丸みが簡単にできます。

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「焼け跡とバウムクーヘン ~あるドイツ人夫妻の苦難と愛~」

昨夜の「歴史秘話ヒストリア」は、
「焼け跡とバウムクーヘン~あるドイツ人夫妻の苦難と愛~」でした。

大正8年、広島ドームにおいて開催された「ドイツ捕虜地術工芸品展覧会」で、
日本で初めてバウムクーヘンを作ってお披露目し、以後、日本でバウムクーヘンを
作り続けたドイツ人菓子職人のカール・ユーハイム(1886・12・25~1945・8・14)と
妻のエリーゼの波乱に富んだ生涯が紹介されました。

第一次世界大戦、関東大震災、第二次世界大戦…
ドイツ~中国青島(チンタオ、当時ドイツの租借地だった)~大阪~広島~東京~
横浜~神戸と激動の時代に翻弄されながらも、生涯をお菓子に捧げたご夫妻の
感動のお話…

バウムクーヘン(木のお菓子)は、卵、バター、砂糖、小麦粉の4種類の材料だけの
シンプルなお菓子ながら、ドイツでは「菓子の王様」と呼ばれるそうです。

「モロゾフ」とともに「ユーハイム」のお菓子は、昔から贈答品として利用していましたが、
ユーハイム夫妻については、まったく知りませんでした。

知らなかったことがもう一つ。
品質基準の厳しいドイツでは、乳化剤などの添加物使わないため、
生地が均一とはいかず、角(つの)と呼ばれる凹凸のある素朴で自然な形に
仕上がるそうなのです。

カールが遺した言葉…
「のっぺらとした形のバウムクーヘン、それはただのクジラだ。
「バウムクーヘンには山と谷が必要だ。角を数多く、かつ高く出すのが
職人の腕のみせどころであり、本物の職人の証である。」

ふだんは間食をしない私ですが、
角のある、素朴な形と味のバウムクーヘンを味わってみたくなりました。

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COOL JAPAN …ロボット(Robots)

2010年初のクールジャパン、テーマは「ロボット」でした。

まず、「お好み焼ロボット」などの色んな種類の「産業用ロボット」や、
医療・介護を目的とした「ロボットスーツ」が紹介されたあと、
AIBOやASIKMOの話題も上がって、日本の技術には驚嘆しながらも、
二足歩行の人型ロボットに関しては、一部の欧米人から否定的な意見が出ました。

それは「人を作るのは神のみ」というキリスト教的考え方からで、
“人型ロボットが進歩すると、やがて人間はロボットに支配されるのでは…?”
と言うのには驚きました。
“いくらロボットが進歩しようとも、コントロールするのは人間なのだから…”
とは考えないのでしょうか?
インドの男性が言った、“クローンとロボットは別だから”
にも納得できないようでした。

SFの世界じゃあるまいし、その発想には無宗教の私は理解に苦しみますが、
進化論も否定しているらしい宗教なので仕方ないのかも…
“あなた方こそ、宗教にコントロールされているのでは…?”
と思わずにはいられませんでした。

次に、毎年違うテーマで学生が戦う「高専ロボコン(ロボットコンテスト)」
の模様が紹介され、17~18歳の少年達の研究に感心しつつも、
やはり一部の女性からはブーイングが…
“一つのことにのめり込むのは問題がある…”とか、
“睡眠時間を削って打ち込むのは良くない…”とか、
“別のことをした方が良いのでは…”等々…
私は夢中になれるものがあるということは素敵なことだと思いますが、
外国人は(特に女性は)必ずしも、そうは思わないようですね。

そして、大阪のからくり人形師・東野進さんから、
「からくり人形」の「茶酌娘」「文字書き人形」「甲冑弓射り人形」が紹介されましたが、
人型ロボットの原型とも思えるのに、“素晴らしい、芸術的”と一同賞賛。
やはり伝統のものに国境はないのでしょうね?

「お好み焼ロボット」「ロボットスーツ」「高専ロボコン」「からくり人形」
の中から選ばれたベスト・オブ・クールは、「ロボットスーツ」でした。
意思でコンピューターが作動するのですから驚きです!

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7男2女11人大家族石田さんチが大騒ぎ!2010

昨夜の石田さんチ、所々だけですが見ましたよ。

番組表にあった「お母ちゃんの秘密」と「衝撃の結末」が気になっていましたが、
肝っ玉母さんの千恵子さんの秘密とは、現在のことではなくて、
子供の頃に、事情があって親と暮らせなかったということでした。
(そういえば、今まで、晃さんの身内の話題はなかったですよね?)

今回の放送では、石田夫妻の内孫である長男・孝之さん洋子さん夫妻に、
長女・穂華(ほのか)ちゃんが誕生したことが話題の中心でしたが、
無事に生まれたことで、放送を自粛していた洋子さんの切迫流産が
明かされたというわけ…孝之さん、若い頃の晃さんソックリ!
それから、アシスタントカメラマンの三男・光央くんの奮闘ぶりも紹介されました。

「衝撃の結末」とは、長女奈緒子さん(30歳)の恋人の存在のことでした。
これは、多分、来年の放送の予告のようなものでしょうね。

石田さんちも、大きい子供たちは親元から巣立ち、
家には、市役所にお勤めの次女・芽衣子さんと高校生の六男・有志くん、
中学生の七男・隼司くんの三人だけのようで、今や大家族でもないのですが、
懐かしい映像では、怒る時は真剣に怒って容赦なく叩き、
また、思いっきりスキンシップしては愛情表現する…
こういう両親こそ、親になる資格があると思いました。

物が多いとか、片付けられないとか、捨てられないとか、
そういうのは関係ないですね。

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成人の日

今日は「成人の日」。

10年ほど前からは、ハッピーマンデーにより、成人の日も、
母の日と同じように、「日にち」ではなく、曜日で決められるようになって、
合理的といえばそうなのでしょうが、何となく印象が薄れてしまった感じです。

最近では、成人に有るまじき振る舞いをする残念な成人がいるようで、
ごく一部の人のために、「最近の若者は…」などといわれてしまうとしたら、
真っ当な大多数の若者が可哀想というもの…

それでも、そういう情けない新成人も、式に出席するのですから不思議…
その昔の1月15日、真面目過ぎるうえに天の邪鬼だった私なんかは、
式に出席するなど、考えられなかったのですから。

今年の式典は無事だったのでしょうか?

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『まど・みちお全詩集』

図書館から『まど・みちお全詩集』を借りてきました。
辞書のようにずっしりと重い…これなら、このお値段も肯けますね。

第一部には、1934年から1989年の膨大な詩が収められていますが、
童謡、あそび歌、しつけ歌なども含まれていました。
第二部は散文詩が収められています。

そして最後に、「あとがきにかえて」と題し、7ページすべてを割いて、
二篇の戦争協力詩を書いてしまったことへの、懺悔と謝罪が書かれていました。

…人間に限らず生き物の命は守られなくてはいけないと考えていて、
戦後も、戦争への反省どころか、ひどい迷惑を掛けた近隣諸国に対し、
お詫びも償いもしない政府に腹を立て続けてきた一方で
戦争協力詩を書いていたという事実…
NHKスペシャルでも、「戦争協力詩」を書いたことを、大変悔やまれていて、
“…たとえ人が許してくれたとしても、自分は絶対許すことができない…”
と話されていました。

20100110 伊藤英治/編
長 新太/絵
杉浦範茂/デザイン
理論社

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お年玉

三学期も始まり、早くもお正月気分ともサヨナラですね。

とは言っても、昔から年賀状を出さないし、旅行もせず、
お節料理らしきものも特に作らない私にとっては、
お正月も、いつもと、ほとんど変わらない日なのですが…

よく、「お年玉は何歳まで?」と言いますが、
あげるとしたら何歳位までなのでしょう…?

一般的に「就職したらあげない」という人が多いようですが、
私は、お年玉も一種の縁起物と思っているので、
就職していても、独身のうちはあげます。

結婚して子どもが生まれたら、その子どもに…
ただし、お正月の間に会えた場合のみで、中身は少ないのですが。

私自身は何歳まで貰っていたかといえば、
実は、未だに貰っているのですよね…
92歳と87歳の両親からお年玉を貰っているアラフォー還暦の私…

いい歳して、決して裕福とは言えない両親から貰うだなんて、
あまりにヒドイ話ですが、親というのは、幾つになっても親でいたいのですよ。

もちろん断りますが、それは無駄な抵抗というもので、
渡す気でいる人から、受け取らないようにすることは不可能でなんですよね。
と言うわけで、結局、毎年貰っているのです。

虫のいい理屈のようですが、
貰ってやることも親孝行の一つでもあるのですよ。

ですが、私の方からも両親にお年玉をあげているので、
プラスマイナス・ゼロ…どころか、マイナスなんです。

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7男2女一家11人石田家 2010年最新版

一ヶ月位前から、「大家族石田さんチ」関連の記事へのアクセスがとても多くて、
不思議に思い検索ワードを辿ってみたら、11日(月)に放送することを知りました。

確か昨年の放送では、「12年間の真実」みたいな思わせ振りなタイトルで、
ナレーションも構成も、何となくそれらしかったために、
ネット上には、「2009年」が最終回という噂が真しやかに飛び交っていて、
そうは感じていなかった私も、つい、そうかも知れないと思ってしまいました。

日テレのHPで確認したら、
今回は…命の物語です
7男2女11人大家族石田さんチが大騒ぎ「お母ちゃんの秘密」
”とありました。

またしても意味深長なタイトルでしたが、何はともあれ今年も見られて嬉しいです。

私は、石田家以外、大家族ものでは見ていませんが、
聞くところによると、中には、親に問題のある大家族もあるそうですね。

私が石田さんチを覗き見したくなるのは、家族みんながいい人で、
特にお父さんの晃さんが魅力的だからです。

どの子に対しても、どんな時でも真剣に向き合い、
成人した子ども達には、友達のように付き合い人生についての会話できる父。
しかも父親としての威厳を失うこともなく…

かつては、色白で細身な美男子だった晃さんも、
見る毎に、お顔もお腹も丸くなっていく…メタボが心配です…

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『稲妻』…(2)

「稲妻」は、2日の夜には読み終えていたのに、
なかなか感想を書く気にならなかったのは、
人間の持つエゴや打算、欲望といった醜さばかりの登場人物たちに、
いささいか疲れてしまったからなんです。
林芙美子の体験に基づくものなのでしょうね…

夫が有りながら男にだらしない長女の縫子、人が良いだけが取り柄の長男の嘉助、
気が弱く人に流されてしまう次女の光子、
そして、一人だけ女学校を出て、交換手をしている三女の清子…
この4人は、母おせいの子供たちなのですが、4人とも私生児で、
しかもそれぞれの父親が違うという身の上…

兎口(口唇口蓋裂)という先天的な障害の治療跡のある末っ子の清子は、
姉たちとは違って、まともなタイプなだけに、
母や2人の姉(特に縫子を)を軽蔑し嫌悪していて、かなり冷酷…無理もないけど…

男性に潔癖な清子は、意気地のない縫子の夫・龍助のことも、
誠実さの欠片もない光子の夫・呂平(死後に妾が赤ん坊を連れて出現)のことも、
軽蔑していますが、縫子光子姉妹と関係を持ちながら、
清子にも暴力的に言い寄る中年男の綱吉には、強攻に拒絶するのですが、
昔は、商売にも女性にも飲食にも貪欲な綱吉みたいな男のことを、
遣り手とか甲斐性があるとか言ったのでしょうか…?
だったら甲斐性なんてなくてもいいわ…

唯一、好意的に描かれていたのは、
家族に決別しようと家出同然に自立した清子の新居(3帖の貸間)
の向かいに下宿している国宗というピアノを弾く青年だけでした。
私は、夫の手塚緑敏さんがモデルだったのでは?
などと勝手に想像してました…

事細かく描写しているので、どろどろした人間関係が目に浮かんできて、
舞台かなにかを見ているかのように、汗や息まで伝わりました。

「稲妻」は、1952年に、高峰秀子さん主演、成瀬巳喜男監督の手により、
また、1967年にも、倍賞千恵子さん主演で映画化されたそうですが、
小説だけで充分といった感じです。

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「ふしぎがり~まど・みちお 百歳の詩~」(2)

番組の中で、まど・みちおさんは、
“世の中に、クエスチョンマークと感嘆符(エクスクラメーションマーク)の両方あったら
なんにも要らないんじゃないでしょうか…
生き甲斐っていうのは、そういうものじゃないでしょうか”
とおっしゃっていましたが、100歳になられても、
毎日、不思議がったり疑問を持ったり感動したりしたことをノートに書いているのです。
100歳の詩人は哲学者、そして不思議の国のアリスちゃんでもありました。

「アリ」
アリを見ると
アリにたいして
なんとなく
もうしわけ ありません
みたいなことに なる
いのちの 大きさは
だれだって
おんなじなのに
こっちは
そのいれものだけが
こんなに
ばかでかくって…

「リンゴ」
リンゴを ひとつ
ここに おくと
リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない

ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ

「ある日」
雲のすいとりがみが
月をおさえた
しずかに
金のインクが にじんでいく

『まど・みちお全詩集』(伊藤英治・編 理論社)が欲しくなって調べたら、
結構なお値段でしたので、取り敢えず、図書館で借りるつもり…

※ 再放送 2010年1月30日(土) 午後3時55分~4時44分 NHK総合

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「ふしぎがり~まど・みちお 百歳の詩~」

「さかな」
さかなやさんが
さかなを うってるのを
さかなは しらない

にんげんが みんな
さかなを たべてるのを
さかなは しらない

うみの さかなも
かわの さかなも
みんな しらない

録画しておいたNHKスペシャル
「ふしぎがり~まど・みちお 百歳の詩~」を見ました。
(1月3日(日)放送、詩、日記、文章の朗読…三國連太郎さん
ナレーション…宮﨑あおいさん)

まど・みちおさんと言えば、「ぞうさん」や「いちねんせいになったら」、
「ふしぎなポケット」「やぎさんゆうびん」などで有名な詩人ですが、
百歳になられた現在でも、詩作を続けられていたのですね。

100歳の詩人は、100歳の哲学者でもありました。
語る言葉の一つ一つが詩であり格言でした。しかもユーモアがあって。

なんて素敵な歳の取り方なのかと、痛く感動しました。
でもそれは、やはり、常にすべてに気持ちを向けているからこそなのですね。

インタビューに訪れた女子高生の質問の、
“幸せってなんですか?”に、
“現在を肯定的に見ることができる人は幸せだと思います。
「全部に感謝しながら」という感じで暮らしていくのが、
自分は幸せ、他の者も幸せになるんじゃないかと思います。”
と答えていましたが、思わず頷いてしまいました。

また、恋と愛の違いには、
“恋は人間について、愛は森羅万象一切について”とも。

長生きすれば、その分悲しいことも多かったと…
家族や友達との永久の別れや、悲惨な戦争体験。
そして、後悔してもしきれない戦争協力詩を書いてしまったことも…

100歳、100年…とてつもなく長い時間の流れではあるけれど、
1年どころか、10年さえも、あっという間に感じるようになった今では、
「100年も10年の10倍でしかない」と思えてしまうのです。

「トンチンカン夫婦」
満91歳の
ボケじじいの私と
満84歳の
ボケばばあの女房とは
この頃
毎日競争でトンチンカンを
やり合っている

私が片足に
2枚かさねて はいたまま
もう片足の靴下が
見つからないと騒ぐと
彼女は
米も入れてない炊飯器に
スイッチを入れて
ごはんですよう と私をよぶ

おかげで さくばくたる
老夫婦の暮らしに
笑いはたえず
これぞ天の恵みと
図にのって二人ははしゃぎ

明日は また どんな
珍しいトンチンカンを
お恵みいただけるかと
胸ふくらませている

厚かましくも
天まで仰ぎ見て…

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「さんま玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかスペシャル」

毎年、楽しみにしているお正月番組の
「さんま玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかスペシャル」
今年も見ました。途中からですが…

最後の栃木県奈須町の小学校教諭の夢である、
「ソフトボールの上野選手と練習したい」には本当に感動しました。

1日であんなに進歩するのですから、さすがゴールドメダリストは凄いですよね。
上野由岐子選手とキャッチャーの峰幸代選手の指導は、具体的で分かり易く、
「ノーエラーノック」では、無理かと思えた外野の3人の女の子(2年生)も、
38週目には達成できたのですから、本当に驚きました。

選手として一流なら指導者としても一流、格好良くて素敵ですよね。
上野選手は指導者を目指しているとのことでしたが、
きっと素晴らしい指導者になることでしょうね。

でも、その他では、貰い泣きするほどの感動は少なかったような気がしました。
今年16回目だそうですが、やはり不景気だからでしょうか、
いつものように海外に行くこともなく、
例年に比べ、安上がりだったような印象を受けましたが…?

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『お伽草紙』の製本

青空文庫からダウンロードしたものは、
いつも、一太郎で縦書きに直してから読んでいて、
その内の一部はプリントアウトしてあるのですが、
その中でも、処分したくない太宰治の『お伽草紙』を製本しました。
製本と言っても、背をボンドで固定し、表紙を付けただけの簡単な方法です。

本当は本式の製本や和綴じなどにも挑戦したいのですが、
不器用なゆえに自信がなくて、いつもこの方法になってしまいます。

A4用紙を縦割りの両面袋とじ印刷ですが、新聞紙のような方法ではなく、
先頭用紙は片面印刷(1ページ目)で、その裏側が2ページ目と3ページ目、
もう一度返して4ページ目を印刷する方法です。(説明が下手で御免なさい)
従って、出来上がりサイズはA5になります。
この方法ですと、製本の際、揃えて裁断する必要がありません。
フォントは12ポイント明朝体です。

表紙は、きものの余り切れをスキャナでパソコンに取り込み、
色を好みのブルーに加工して題字を入れました。
題字と著者名は隷書体ですが、古さを表すため敢えて右からに…

20100103 20100103b 20100103c 20100103d

ウ~ン…でもこれ、どう見ても、本と言うよりノートですよね…
表紙が光沢紙で、サイズが中と同じだから…

せめて板紙を芯にして渋い柄の和紙などで作れば良かったのですが、
いつもの通り有り合わせで作ったものだから…
それにしても、いい歳してお正月早々こんなことしているなんて、
暇人というか、我ながら情け無いです。

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『稲妻』

新年2日目の今日、昨日ほどの寒さではなかったですが、
終日一歩も外にも出ず、午後のほとんどの時間を、ヒーター近くで読書していました。

もう何年も小説を読んでなかったので、本当に久しぶり。
その小説とは、図書館から借りてきた『現代の女流文学(3)』(S49刊)に収められていた
林芙美子の『稲妻』です。

小説にしても随筆にしても、
どちらかと言うと、女性作家のものを多く読んできましたが林芙美子は初めてでした。
(別に避けていた訳ではありません)

『稲妻』は昭和26年の作品(内容は戦前)なので、改訂版では使われないような、
見たこともない漢字(旧字体)や当て字に遭遇し、
自分の無学さを思い知らされています。

まだ途中ですが、現代では考えられないほど、
女性の人生が男性によって左右した時代の作品を読むのは愉快とは言えません。
少なくとも、戦後に生まれたことに感謝しています。

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2010年元日

新年になりましたね。
素敵なお正月をお過ごしでしょうか?
今日は強い北風でとても寒く、ヒーターのお世話になってます。
(でも設定温度は、いつも18度…)

このあいだ21世紀になったばかりと思ったら、
早くも、2010年になってしまいました。

子どもの頃は、“もう~い~くつ寝ると~お正月~”
などと歌って、楽しみにしていたお正月も、
ある年齢を過ぎると、“またお正月が来てしまった!”でしかないのですよね…
それでも、2010は、2009より切れが良いから…などと、
詰まらないところでスッキリしてますが…

ともあれ、毎日更新を目標に、最低でも1年間は続けたいと、
2007年4月6日にスタートさせた、この「アボンリーの風に吹かれて」も、
足掛け4年となりました。
やはり、時の早さを感じざるを得ません。
(正味3年足らずなのに、「足掛け」と言ってしまうことに歳を感じるでしょ!)

今まで、毎日更新だけを守りながら、恥をさらしてきましたが、
今年もそれを守れるかどうか正直のところ自信はありませんが、
無理はぜず頑張るつもりですので、今年もよろしくお願いします。
(抜けている日は、後日、記事を統合したり削除したりした日です。)

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