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津島美知子さん

太宰治は妻を怖がっていたという…

「私には、はじめから私の覚悟があったのです。
私は、人間太宰治と結婚したのではなくて、芸術家と結婚したのです。
彼の文学のためならば、私はあらゆる犠牲を惜しまないつもりでした。
そしてそのためには、私は自分が女であることをも否定して生きてきました」
(津島美知子・著『回想の太宰治』より)

太宰の作品に魅了され、それまでの太宰のことを承知で、
結婚した美知子さんでした。

津島美知子さん(旧姓・石原 1912(M45)/1/31~1997(H9)/2/1)は、
太宰と見合い結婚するまでは、女学校で地理と歴史の教師で、
女子寮の舎監も務めていて、元同僚によれば、
「決して感情を出さず、身繕いも常にきちんとしていて、
授業も失敗のない完璧な教師」だったとか…

美知子さんの写真といえば、井伏鱒二宅での結婚式の写真と、
三鷹の自宅の庭で二人で写したものくらいで、
どちらも、元教師らしく知的な雰囲気ですが、
長篠康一郎さんの『太宰治文学アルバム 女性篇』に載っていた
5枚の集合写真(女学生の時と教師時代)でも、他の誰よりも真面目そうでした。

口数が少なく、物静かな賢夫人だった美知子さん。
家庭を顧みない人であったとしても、
夫が、自分以外の女性と入水心中してしまうだなんて、
どれ程屈辱的で、辛く悲しかったことでしょう。
三人の幼子の行く末にも、途方に暮れたことでしょう。

「井伏さんはひどいよ。可愛げがないから、美知子と別れろというんだ。
おまえ、ひどいと思わんかね。自分が世話したくせに。それ以来、おれはね、
井伏さんを信用しないんだ」(堤重久・著『太宰治との七年間』より)
と言い、
「美知様 お前を 誰よりも 愛してゐました」と遺した太宰…
妻を怖がっていたとしても、この言葉に嘘はなかったと思います。

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