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2009年12月

はんぺん(黒はんぺん)…(2)

最近、練り製品を買うことが無かったのですが、
このあいだ、「はんぺん」について書いたことから、久しぶりに買ってみました。
調理法は目下思案中…
シンプルに、オーブントースターで焼いて、生姜醤油…かな…?

20091231
(ご存じない方のために、写真を撮りました。)

ところで今日は大晦日…2009年も、あとわずかとなりました。
今年も例年の如く、何もなかった1年でしたが、
何もなかったことを良しとしましょう。

毎年、つい言ってしまう言葉、「1年は、あっという間…」
やっぱり今年も言ってしまいました。
でも、そう感じるのは私だけじゃないですよね…?

それでは、今年最後のご挨拶を…
私の拙いブログを読んでくださった方々、本当にありがとうございました。

“どうぞよいお正月をお迎えください。”

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「うわさ話にご用心」

7月1日の自治記念日に、教会青年部はカヌー遊びを計画します。

カヌーの練習の日、フェリックスはイジーに、
“友達から一段階進みたい…”と、キスを迫って拒否されますが、
エルバートとドニーから成果を問われて見栄を張り、
“『沈黙は金』という諺を知らないのか?紳士は軽々しく喋らないんだよ。”
と言ってしまったことから、イジーは町中の噂になってしまう…

スチュワートも、フェリシティに再度プロポーズしますが、
“…まだ時間が掛かるの…”と…またしても断られます。

ジャスパーは、ケンブリッジ大学教授の友人からの願ってもない仕事の依頼を、
オリビアに言い出せずにいました。

自治記念日当日、
なにかと話題の多いキング家は、噂好きのご婦人方の格好の的で、
フェリシティは気にしますが、母のジャネットは、
“人が何と言おうと、ほっとけばいいのよ。
そんなもの気にしてたら、ほんとにやりたいことも出来ないもの…”と諭します。

イジーに無視され続けたフェリックスが、咄嗟に、レイチェルのメガホンを奪って、
町中の人に、イジーの潔白を訴えたことから、イジーの怒りは頂点に達し、
フェリックスのどんな言葉にも、イジーには許しませんでした。

気持ちの行き違いがあったオリビアとジャスパーは、夫婦の愛を再確認し、
フェリシティも、母や叔母オリビアからの助言から、
スチュアートの求婚を受けることに…

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フェリックスとイジー、フェリシティとスチュワート、オリビアとジャスパー、
3組のカップル(+レイチェルとピエール)のそれぞれの愛の行方でしたが、
真面目で潔癖なイジーなだけに、かなり頑固です。
“…本心から謝ったことにはならない。
口だけじゃ駄目なのよ。何とでも言えるもの…”
どうしたら怒りは解けるのでしょうか…?

カヌーの上でスチュワートが指輪を差し出してプロポーズした日は、
何日前だったの…?
ルビーの指輪を外した時、早い…イヤ~な気がしました。
もう少しガスを待って欲しかったですよ。

青年部の集まりの時にはいたのに、
自治記念日当日、町の中心人物とおぼしきヘティの姿がなかったのはなぜ…?

<大人たちの名言>

「…女の子だって、男の子とやっぱり同じよ。ほとんど変わらないわ。
…つまり、理想を言えば、正直で、礼儀正しくて、自分を大事にしてくれる人、
それに、もちろん、ほら、優しくて紳士的な思いやりのある人ね。
愛情があって、でも…やっぱり、女の子も自信がないのよ。
相手の気持ちが本物かどうか、確かめたいの…」(ジャネット)

「結婚生活っていうのは、他から見ただけじゃ判らないの。
一見、全然合わないように見える夫婦が、お互いに心から愛せ合って、
満足してることだってあるんだし、逆に、一見幸せそうに見える夫婦だって…
本当は、お互いに、ちっとも…ちっとも、本当は…
お互い満足し合ってないことだってあるのよ。(泣く)」(オリビア)

「…若い頃は、つい、馬鹿なこと言ってしまうのよ。
どうしても、仲間内で見栄を張りたいもんだから…
男の子は、ある意味で可哀想だわね。…だからね、人はよく考えもせずに、
迂闊なこと言ったり、やったりしてしまうのよ。」(ミュリエル)

「女の子に恥をかかせるのは、男として最低だぞ。
相手にだって、名誉もあれば、体面もある。
それを尊重出来んなら、相手に信じちゃもらえんだろう。」(アレック)

「…人っていうのは、やっぱり、一人じゃ生きられないものなのよ。
お父さんがいてくれるから、あたしは悲しいことがあっても乗り越えられるんだし…」
                                           (ジャネット)
「いずれにせよ、道は二つしか無いんだもの。
悲しみを何とか乗り越えて、力強く生きてゆくか、
又は、悲嘆に呉れて、未婚のままで生きるかね。」(ビューグル夫人)

関連記事 Felicity & Gus「うわさ話にご用心」

アボンリーへの道<第7シリーズ>
第80話「うわさ話にご用心」(Love May Be Blind...But the Neighbors Ain't)より

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『玩具』

認識不足というか、申し訳ないというか、
津村節子さんというと「少女小説」のイメージが強かったのですが、
『玩具』は1965年の芥川賞受賞作品だったのですね…!

登場人物は、作家志望の夫・志郎と、妊婦の妻・春子の夫婦だけで、
節度ある表現法で書かれているにもかかわらず、とても生々しく感じたのも、
生来の腺病質なうえに身籠もっているために、
金魚鉢の水の匂いにさえ顔を背けるほどの妻と、
結核の手術で、左の肋骨を5本失っているせいなのか、
骨に対して異常なまでの興味を示す夫の、
日常の機微を描いているからなのでしょうか。

とにかく、この夫婦関係は異常…としか思えない。
河野多惠子さんの小説の世界ほどではないにしろ、こんな関係嫌だわ…

ところで、今は、立会い出産が一般的(?)とも言える時代ですが、
春子は、自分は勿論のこと、分娩室から洩れる他の産婦の声も、
夫に聞かれたくないと思い、頑なまでに夫の付き添いを拒否するのでした。
あんな理性も羞恥心もかなぐり捨てた声を、自分は決して出さないと、
夫にも自分にも誓って、分娩室に向かったのでしたが、
果たして、その誓いは守られたのでしょうか…?

あれ程、自己中心的とも思えた志郎ですが、
いざとなれば、世間並みの夫らしき態度を示したことに、溜飲が下がりました。
古今東西、夫婦なんて、そんなものなのかも知れませんね。

骨に興奮する男性なんて、想像しただけでゾッとしますが、
これも一種の「オタク」と思えば、特別、珍しくもないのでしょう。
オタクは、今に始まったことではないと言うことでしょう。

「いつまでも少年の心を持ち続ける男性」…
「幾つになっても子供まま」が無きにしも非ず…ですね。

20091229
『現代の女流文学』3 編集/女流文学者会 朝日新聞社
 有吉佐和子『華岡青洲の妻』
 津村節子『玩具』
 田辺聖子『感傷旅行』
 広津桃子『春の音』
 保高みさ子『ある晴れた日に』
 森田たま『東京の女・大阪の女』『芥川さんのこと』
 林芙美子『稲妻』

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リサイクルの手提げバッグ

図書館用の手提げバッグが破れたので、
洋裁の余り布で作りました。

ついでに、小さめのも…
どちらも、持ち手と見返しに、厚手の接着芯が貼ってあります。
(腕に掛けても痛くないように、広めにしました)

20091228 20091228b 20091228c

<サイズ>
大(ウール)幅32cm、深さ38cm、マチ4,3cm
   (持ち手)幅4,3cm、長さ37cm

小(厚手綿)幅28cm、深さ23cm、マチ3,2cm
   (持ち手)幅3,2cm、長さ33cm

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はんぺん

「静岡おでん」の次は、やっぱり「はんぺん」でしょう…

「はんぺん」と言えば、白身魚のすり身や大和芋から作られた、
白くて柔らかい、方形の練り製品をイメージする人が多いのでしょうが、
私たち(静岡県中部)にとってのそれは、
パッケージに「はんぺん」としか書いてなくても、あくまで「白はんぺん」なのです。

私たちが言う「はんぺん」とは、鰯や鯖のすり身から作られた灰色で半円形の、
(と言うより、アルファベットの“D”の形)練り製品のことでした。

なぜ、過去形かといえば、今では、私も含め、多分、県内のほとんどの人が、
「はんぺん」ではなく、「黒はんぺん」と言っていると思えるからです。

県外の人達が、「黒はんぺん」と言っても当然ですが、
白い方を、「白はんぺん」とは言わないでしょう…

でも今では、静岡でも、パッケージまで、「黒はんぺん」と書かれているのです。
世間で言われる県民性というものについて、どちらかと言えば懐疑的ですが、
これも昔から言われている、
「のんびりとして、人が良く、長いものには巻かれろ的」
という県民性だからでしょうか…?
(私みたいに理屈っぽいのは嫌われます…故に仮面を被っています)

とは言え、県民からも、「おでん」が「静岡おでん」言われるようになり、
「はんぺん」が「黒はんぺん」になったとしても、
“駿河の料理人「半平」が作ったから、半兵衛と呼ばれるようになった”とか、
“半月型の形なので、「半片」と呼ばれた”という説がある通り、
今でも、地域によっては、「はんべ」と言われているのも事実です。

ところで、肝心の「黒はんぺん」ですが、おでん種の他に、フライにしたり、
あぶったり焼いたりして生姜醤油で頂くと美味しいです。
(練り製品は、もう何年も味わってません…)

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おでん

おでんといえば、
家にある中の一番大きな土鍋で作る、冬場のお総菜のおでん、
左利きには堪らない、屋台や赤提灯のおでん…私には全く関係ありませんが…
温めるだけで食べられる、レトルトパックのおでん、
不衛生に思えてしまうコンビニのおでん…などがありますが、
私の子供の頃は、おでんは駄菓子屋さんでも売られていて、
子供の僅かなお小遣いで買える、「おやつ」でもありましたした。

仕切りのある四角のおでん鍋の中には、
金額によって違う竹串に刺されたジャガイモ、コンニャク、糸コン、昆布や、
さつま揚げ、はんぺんなどの練り製品、
私は未だに食べたことがありませんが、牛すじなどもあって、
おでん鍋の隅には、竹串から抜けやすいジャガイモなどのために、
長い菜箸も差してありました。

(家庭で作る場合は、竹串に刺さない方が多いと思います。
そして、なぜか、茶飯(ちゃめし=焙じ茶や番茶で炊いたご飯)です。)

お目当てのおでんを選び出し、
おでん鍋の一角に置かれた甘めの味噌ダレに、ドボンと浸け、
別容器に用意された「ダシ粉(鰹節や鰯の粉末)」や「青海苔」を付けて、
食べていましたが、女の子の中には、歯に付くのが嫌で、
青海苔を付けなかった子もいました。
(最近は、だし粉と青海苔が混ざったものが売られています)
駄菓子屋さん自体がない今では、もう、こういう風景は見られないでしょうね。

ところで、最近、こういうおでんのことを、
全国的に「静岡おでん」と呼ばれるようになっていますが、
県内のお店や人間までもが、「静岡おでん」と言っていることには疑問を感じます。

また、いつだったか、テレビで「静岡おでん」を紹介していましたが、
丸ごとのトマトやバナナが使われているお店があって、これには驚きました。
食に対する好奇心の少ない私としては、別々に食べたいと思いました。

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手編みのベスト(3)

母から言われた通りのサイズで編んだのに、
予想通り、襟ぐりが大き過ぎたということで、
襟ぐり(前立ても)を編み直しました。

別の毛糸で編んだ部分を、ほどき、
今度は、細いモヘアの二本取りで編みました。
(こちらのモヘアが、たくさんあれば良かったのですが…)

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襟ぐり部分だけは、中長編みを2段加えましたが、
(細編み2段、中長編み2段、細編み1段)、
中長編みの時に、全体で4目ずつ減らし目しました。

ベストの編み図などは、
12月17日の記事「手編みのベスト」(2)にあります。

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「悲しみをこらえて」

1911年
ガス死亡の報せから1年が過ぎても、フェリシティは、心を閉ざしたまま…
毎朝、海岸に行っては、ガスの帰りを待ち続けていました。

幼友達コリーンの遺児アリスの面倒をみているフェリシティは、
コリーンの夫セスから、娘ために、コリーンの又従姉妹と結婚したと聞かされ、
ショックを受けます。
“別の人となんて、あたしには出来ない…”

そんなフェリシティに、新しく町に来た銀行家のスチュワート・マクレーが
好意を寄せます。

マクレーの想いに、アレックとジャネットは喜びますが、
フェリシティとガスを一番理解しているフェリックスだけは、強く反対します。

アボンリーに寄贈されたロイド家の屋敷と土地が、
町議会で身寄りのない子供のための「こどもの家」に決まったことで、
メイビスから一方的に委員の1人にされたフェリシティも、元気を取り戻します。

子供達の面倒をみるうちに、スチュワートとも次第に親しくなりますが、
性急に求婚したスチュワートを、激しく拒絶するフェリシティでしたが、
失意のうち、置き手紙を残しアボンリーを去ろうとした彼を、
“今は行かないで、時間が欲しい…”と、引き留めるのでした。

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一年後と言ってましたが、アリスが小さ過ぎることから、
翌年の春か初夏だったのかも…?

疑問と言えば、アボンリーに来たばかりなのに、失恋したからと言って、
去ろうとする銀行家というのも何だか…

“…一緒にいてやれるのは僕だ。ガスはもういない、思い出なんだ。
現実を見つめなきゃ…一生、亡霊を思っては暮らせない…”
なんて、ひどい言い方なんでしょう!

フェリックスが言うように、
“…あの人はガスじゃない。全然違う。僕には分かるよ。
フェリシティは、あんな男を好きになったりしない。…”

悪い人ではないですが、打算的というか、自信家というか、ふてぶてしいというか、
現れたのが、いっそ、フェリシティの初恋の男性(ガスではない)だった方が…
でも、それでは、あまりにもメロドラマ的ですね…

<名言>
「ねえフェリシティ、初恋は最初の恋ってことだよ。最初のね。
…頼むから、初恋を最後の恋にしないで…」(イライザおばさん)

「たとえ誰か他の人を愛することになっても、
それは、ガスを忘れることとは違うのよ。」(イライザおばさん)

「“わたしは、お父さんのような優しい人と結婚したい。
永遠に愛してくれる人と…ウェディングドレスは白、子供は6人…”
子供の頃の夢って、叶わないのかしら…」(フェリシティの子供の頃の夢)

関連記事 Felicity & Gus「哀しみをこらえて」

アボンリーへの道<第7シリーズ>
第79話「悲しみをこらえて」(Out of the Ashes)より

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まるいおむすび

昨日の「おこげおむすび」に関連しますが、
私が小学生の頃に、母が結んでくれた「遠足の時のおむすび」は、
丸い形のものでした。

級友の中には、砲丸投げの砲丸を小ぶりにしたような、
球体のおむすびの人もいましたが、
母のは、丸いと言っても球体ではなく、直径5~6cmほどの、
持ちやすく、食べやすい形のが二つでした。

一つには鰹節、もう一つには。種を抜いた梅干しが入っていて、
私は、鰹節の方が(今でも)好きですが、小さい子供の手には、
中の鰹節が広がって、少々食べにくかったものでした。

いつの頃だったか、無い物ねだりから、三角形のおむすびに憧れた私は、
母に頼み、以後、母が結んでくれるおむすびは、三角形となりましたが、
最近になって、あの丸い形が懐かしく、「優しさ」のようにも思えてきているのです。

『バナナは皮を食う』の中で、檀ふみさんが、
“…おむすびを結ぶ時に、ラップを使うようになったのは、
昭和の終わりに近い頃ではなかったか…”と書かれていましたが、
私自身は、昔から、素手で結んだことがないのです。
(形はいつも三角形、不器用なため俵型のは上手く出来ません)

熱いし、ご飯が手に付くし、ラップの方が衛生的だから…
もちろん、手は石鹸で洗いますが、石鹸の匂いも直接では嫌なんです。

こういうのは、「愛情が無い」、と言われてしまうのでしょうか…?

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おこげのおむすび

『バナナは皮を食う』に、“おむすびの思い出”という括りがあって、
吉川英治、佐多稲子、幸田文、サトウ・ハチロー、辰野隆、高濱虚子の各氏の、
おむすびへの思いが綴られていました。

母親が作ってくれた、懐かしい「焼きおむすび」…
白米の美味しさが分かる、「塩だけで結んだおむすび」…
浅草海苔が手に入りにくかった地方の、「とろろ昆布で巻かれたおむすび」…
ご飯に、印刷が写っていても有り難く頂いた、
戦時中の、「新聞紙に包まれたおむすび」、等々…
中でも、複数の方々が、とても美味しかったと語っていたのは、
おこげ
おむすびでした。

私もそう…
子供の頃、実家では電気炊飯器を使うようになる前は、ガス釜でしたが、
それ以前は、ガスコンロに、おかまを乗せて、ご飯を炊いていました。

ご飯が炊き上がって蒸らし終わると、おかまを廊下の端に運び、
二本のしゃもじを使って、炊き立ての熱々ご飯を、おひつに移し替えるのです。

おかまの底に、少しばかりのおこげが出来ている時があって、
(母の名誉のために付け加えるならば、
おこげと言っても、焦げ茶色ではなく、茶褐色のものでした。)

母は、そのおこげに、少しの醤油を掛け、重い木の蓋をして、少々蒸らしてから、
お腹を空かした子供たちのために、
夕食に差し障りのないほどの、小さなおむすびを結んでくれました。
それは、にぎり寿司より、やや大きめの大きさと形でした。

私も、あの、ほかほかで芳ばしい美味しさは忘れられません。
でも、もし今、自分で作ってみても、
あの時ほど美味しいとは思えないでしょう。

きっと、結びたてを、母の手から直接渡されて食べたから、
よけいに美味しく感じたのかも知れません。

ところで、今日は冬至、夕食には南瓜を頂き、
これから(1時間後)柚子湯に浸かります。

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『バナナは皮を食う』…(2)

なにかと忙しく、借りた本も、なかなか読めません。

『バナナは皮を食う』の選考は檀ふみさんで、
1年前(平成20年12月10日)に出版されたものなのですが、
この本に収められている「食に関するエッセイ」は、
「暮らしの手帖創刊号(昭和23年9月)」から、
第38号(昭和32年)に掲載されたものなのです。
(石井好子さん以外の、42名は故人となられています)

それゆえ、今とは食生活も違えば、
言葉遣いや漢字の使い方も違うので、新しい発見がありました。

戦後10年以上経ったとはいえ、
物質的には、現在は比較にならないくらい貧しかった当時、
食卓も、今よりも慎ましいものだったでしょうが、
そこには、今では失われつつある季節感があり、
何よりも、手間暇掛けてくれる母や妻の味がある…

すべてが、出来合いでは、決して味わうことの出来ない、
愛情のこもったものばかりだったでしょう。

どんなに質素な食卓であったとしても、
今の時代より、豊かな食生活だったように思えるのです。
こう感じるのも、一種の懐古趣味なのでしょうか?

…随筆の内容だけでなく、表現方法も、奥床しく豊かで美しい…
まさに、「昭和も遠くなりにけり」です。

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津島美知子さん

太宰治は妻を怖がっていたという…

「私には、はじめから私の覚悟があったのです。
私は、人間太宰治と結婚したのではなくて、芸術家と結婚したのです。
彼の文学のためならば、私はあらゆる犠牲を惜しまないつもりでした。
そしてそのためには、私は自分が女であることをも否定して生きてきました」
(津島美知子・著『回想の太宰治』より)

太宰の作品に魅了され、それまでの太宰のことを承知で、
結婚した美知子さんでした。

津島美知子さん(旧姓・石原 1912(M45)/1/31~1997(H9)/2/1)は、
太宰と見合い結婚するまでは、女学校で地理と歴史の教師で、
女子寮の舎監も務めていて、元同僚によれば、
「決して感情を出さず、身繕いも常にきちんとしていて、
授業も失敗のない完璧な教師」だったとか…

美知子さんの写真といえば、井伏鱒二宅での結婚式の写真と、
三鷹の自宅の庭で二人で写したものくらいで、
どちらも、元教師らしく知的な雰囲気ですが、
長篠康一郎さんの『太宰治文学アルバム 女性篇』に載っていた
5枚の集合写真(女学生の時と教師時代)でも、他の誰よりも真面目そうでした。

口数が少なく、物静かな賢夫人だった美知子さん。
家庭を顧みない人であったとしても、
夫が、自分以外の女性と入水心中してしまうだなんて、
どれ程屈辱的で、辛く悲しかったことでしょう。
三人の幼子の行く末にも、途方に暮れたことでしょう。

「井伏さんはひどいよ。可愛げがないから、美知子と別れろというんだ。
おまえ、ひどいと思わんかね。自分が世話したくせに。それ以来、おれはね、
井伏さんを信用しないんだ」(堤重久・著『太宰治との七年間』より)
と言い、
「美知様 お前を 誰よりも 愛してゐました」と遺した太宰…
妻を怖がっていたとしても、この言葉に嘘はなかったと思います。

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富士山遭難

普段はほとんど新聞を見ない(見ないようにしている)私ですが、
片山右京さんの記事は、つい、見てしまいました。
ざっとですけど…

自分だけ助かるというのは、さぞかし辛いことでしょうね。
でも、なぜか同情しきれないと言うか、
彼の言動に、疑問や矛盾を感じてしまうのですよね。

一番、“嘘でしょ!”と思ったのは、
“寒波が来ることを知らなかった”という言葉です。

登山しない人だって知ってることですからね、
知らなかったなんて有り得ないですよ。
むしろ嘘だった方が、まだマシというものでしょう。

彼自身、今はパニック状態なのでしょうが、
さらに驚いたのは、登山計画書を提出してなかったということです。
基本中の基本なのに、“信じられない”を通り越してますよね。

富士山というと、中高齢者や子供も登る夏山のイメージから、
観光地的に感じる人も、いるかも知れませんが、とんでもないですよ。

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『バナナは皮を食う』

20091218
『バナナは皮を食う』 檀ふみ/選 暮らしの手帖社

予約がなければ、延長はできるにしても、
通常なら、2週間しか借りられない図書館の本ですが、
(1人のカードで図書8冊、ディスク2枚まで)
年末年始(12月28日から1月5日)の休館により、上手くいけば、
30日間借りられるというわけで、先日、借りてきました。

この『バナナは皮を食う』は、その中の一冊ですが、
変わったタイトルが目につき、手に取ってみると、
「暮らしの手帖」に掲載された、昭和の「ベストエッセイ(食の)」集で、
選者は檀ふみさんでした。

檀さんも選考にあたって「昭和も遠くなりにけり」というエッセイを寄せていますが、
「バナナは皮を食う」は、43名の中の一人、牧野富太郎のエッセイなのです。

エッセイ集と言っても、エッセイと言ってしまったら申し訳ないくらい、
今では珍しいほど、とても美しい日本語で書かれています。
でも、まだ全部読んでませんが…。

ちなみに、43人とは、
扇谷正造、田宮虎彦、平塚らいてふ、天野貞祐、牧野富太郎、里見 弴、
日夏耿之介、米川正夫、野村胡堂、河原崎長十郎、木下順二、井伏鱒二、
吉川英治、佐田稲子、幸田 文、サトウ・ハチロー、辰野 隆、高濱虚子、
久松潜一、日野葦平、今 日出海、野上彌生子、石井桃子、阿部次郎、坂口安吾、
石井好子、堀口大學、小宮豊隆、池田成彬、木村荘十二、武者小路公共、
山本嘉次郎、和田信賢、河盛好蔵、森田たま、佐藤春夫、吉村公三郎、
小倉遊亀、永井龍男、渋澤秀雄、海音寺潮五郎、奥野信太郎、草野心平

…という、すごい人ばかりです。

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手編みのベスト(2)

モヘアのベスト(写真はこちら)の作り方を、まとめてみました。

<出来上がりサイズ>
(約) 着丈65.5cm、胸回り87cm、
(インナー用なので、えりぐりは大きめです。)

<材料>
毛糸 ハマナカ エクシードモヘア 40g×6個
   (少し足りなかったので、えりぐりと前たては、途中から別糸で編みました)
ボタン 1,5cm×5個

<必要な用具>
①  8号輪針(2本棒針8号)…メリヤス編み部分
②  6号輪針(2本棒針6号(すそ用)、4本棒針(袖ぐり用)6号)…1目ゴム編み部分
③ かぎ針 5号
④ とじ針
⑤ はさみ
⑥ ものさし(又はメジャー)
⑦ 作り目に使う別の毛糸

<あると便利なもの>
⑧ ほつれ止め
⑨ 目数リング&段数リング
⑩ 電卓(目数、段数、減らし目などの計算に…私には必需品です)

20091217a 20091217b 20091217c
(画像はすべて拡大します)

<ゲージ>
メリヤス編み(10㎝角)16目×21段

<編み方の要点>

後見頃、前身頃の作り目は、
「別糸の鎖編みを使った作り目」で作り目しました。(とじ分の2目加えます)

(いつもは、「別糸を使った1目(2目)ゴム編みの作り目」で、
裾のゴム編みから編み始めるのですが、
今回は毛糸の分量に不安があり、違う毛糸を足す可能性があったので、
この方法にしました。)

図のように、袖ぐりを「減らし目」し、後えりぐりは「伏せ目」と「減らし目」、
前えりぐりは「減らし目」、前後の肩は「引き返し編み」し、
「メリヤス編み」で編みます。

は、「引き抜きはぎ」、は、「すくいとじ」にします。

は、別糸を解きながら、前後続けて143目(奇数)「拾い目」し、
は「表目2目の1目ゴム編みを14段」編んで、「1目ゴム編み止め」をします。

袖ぐりは、96目(偶数)「拾い目」し、輪にして、「1目ゴム編みを8段」編み、
「輪編みの1目ゴム編み止め」をします。

えりぐり前立ては、母の希望で、「細編み(かぎ針編み)」にしました。

えりぐりと前立てを続けて、細編みを4段編みますが、
2段目の時に、右側の前立てに、鎖目2目のボタン穴を、
等間隔に5つ作ります。
(前後のえりぐりから127目、左右の前立てから各71目拾い目)

毛糸の端の始末をします。
(糸の繋ぎ方は、編み目の端でするか、糸端を長めに「はた結び」し、
表にひびかないよう編み目に沿って、糸をくぐらせます)

ボタンを付けて出来上がり!(力布を付ける方がいいです)

※ ベストの編み方は、こちらにもあります→「前開きベスト」

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COOL JAPAN …ヒーロー(Heroes)

今回のテーマは「ヒーロー」

「あなたのヒーローは?」街行く人たちへ答えは、
スポーツ選手や、戦国武将、父、母、息子といった身近な人の他に、
園児と同じ答えの、キャラクターヒーローも多かったです。

これには外国人もビックリ…
外国人と日本人では、ヒーローに対するイメージが、違うのでしょうね。

外国人にとってのヒーローには定義があって、
実在しない人など有り得ないそうなのです。

いい歳した日本人が、「月光仮面、鉄腕アトム、仮面ライダー、アンパンマン」
などと答えたから、「幼稚、信じられない…」と感じたのでしょうが、
日本は、大人になってもマンガやアニメに夢中になる国ですから…

でも、そう答えた日本人にしても、いきなりインタビューされて、
咄嗟に答えたに過ぎないような気もします。

とは言っても、大人なのに「ここに来ないと実物が見れないから」と、
ヒーローショーを見ていたりする人には、私も驚きましたが…

地域活性化の活動をしているという「ローカル・ヒーロー」というのも、
「ゆるキャラ」や「コスプレ」に似ていて、いかにも日本的ですよね。

ヒーローは、自ら名乗るものではないから、
ヒーローの名刺(?)を渡していたことも、外国人には異様に感じたようでした。

戦国武将の熱烈なファンである「歴女」と言われる女性たちにしても、
歴史好きとは言っても、歴史書や歴史小説からではなく、
切っ掛けは、テレビゲームのキャラクターが、格好良かったからなんだとか…
アニメオタクと同類なのでしょう。

ほろびの美学や判官びいきも日本的ですですね。
でも、夢中になれる対象があることは、いいことですよね。

「ローカルヒーロー」「歴女のヒーロー感」「日本のキャラクターヒーロー」
この中から選ぶのも何か…
best of coolは「日本のキャラクターヒーロー」でした。

ところで、番組HPに、こんなお知らせがありました。
「2010新春セレクション」BSハイビジョン放送

☆2010年1月4日(月) ニッポンの冬のクールを満喫する
「津軽の冬」(2008年2月6日放送) 朝8時00分~8時44分
「温泉」(2009年2月18日放送) 朝8時45分~9時29分
「お酒」(2008年12月10日放送) 朝9時30分~10時14分
「鍋」(2008年12月17日放送) 朝10時15分~10時59分

☆2010年1月5 日(火) 現代ニッポンの男と女に迫る
「日本男児」(2008年9月3日放送) 朝9時00分~9時44分
「やまとなでしこ」(2008年10月15日放送) 朝9時45分~10時29分

☆2010年1月6日(水) ニッポンの家族を見つめる
「お父さん」(2008年11月26日放送) 朝9時00分~9時44分
「お母さん」(2009年5月12日放送) 朝9時45分~10時29分

☆2010年1月 7日(木) 絆を大切にするニッポン
「夫婦」(2007年11月21日放送) 朝9時00分~9時44分
「友達」(2008年5月14日放送) 朝9時45分~10時29分

☆2010年1月8日(金) 日本文化の真髄に迫る
「歌」(2007年12月5日放送) 朝9時00分~9時44分
「日本語」(2009年4月14日放送) 朝9時45分~10時29分

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古い毛糸

編み物も一段落つき、母にモヘアのベストを届けに行くつもりしたが、
腰痛がひどくて中止…

それで、メモだらけの編み図を描き直そうと思ったのですが、
鬱陶しい空模様をせいにして、これも中止…

結局、今日は、古い毛糸の整理をしていました。

以前、母に、「毛糸、要る?」と聞かれ、
“自分の毛糸も持て余しているのに…
せめて10年前に言ってくれたらよかったのに…”と思いましたが、
「要らない」とも言えず貰ってきた毛糸の量たるや…
(ベストに編んだモヘアも、この仲間です)

今の時代、編み物は、むしろ趣味で、
セーターなども、買った方が安いくらいですが、
私の子供の頃は、機械編みが出来る人に、頼んで編んで貰っていました。
(ほとんどが中細毛糸でした)

中には、半世紀以上も昔のものや、
まだ、「カセ」状態のままの、中細毛糸も沢山ありました。

編む編まないに関係なく、「カセ」では始まらない、巻き取らなければと、
一人で巻始めたのですが、とにかく大変…

実家にあるはずの、(傘の骨組みに似た)毛糸の巻き取り機を、
持ってきて貰えば良かった…などど思いながら…

途中からは、助手が現れたので助かりましたが、
悪化している腰痛が、さらに悪化となりました。

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手編みのベスト(1)

母に頼まれていたベストが、ようやく仕上がりました。
(以前なら、セーターやカーディガンも、一週間も掛からなかったのに…)

ベストと言っても、インナー(肌着の上に着る)用なので、
えりぐりは大きめ、丈も長めです。

実は、前にも頼まれて編んだのですが、
だいぶ、くたびれてしまったということで、また編んだというわけなんです。

糸は実家にあったモヘア、手に暖かくて軽く、それは嬉しいのですが、
毛足がとても長いタイプなために、散ってお掃除が大変でした。
(もっと大変だったのは、ほどけないこと…)

不出来でも仕方ありません。無手勝流ですから…
でも、サイズだけは、指定通りです。
(インナーにしても、えりぐりが大き過ぎる気がするけれど)

どんなにお掃除が大変でも、
どんなに肩が凝っても、どんなに目が疲れても、
母が“あったか~い”と気に入ってくれたら、それでいいのです。

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(薄汚れて見えますが、毛足の影です。)

編み方などは、後日書くつもりです。
(編み方はこちら)

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カラスのあんぽんたん

今の子供達もやっているのでしょうか?
私の子供の頃は、よく「カラスのあんぽんたん」をして遊んでました。

きっと、ほとんどの人が、「なにそれ?」と思うでしょうが、
昔、私の地域では、「だるまさんがころんだ」のことを、こう言ってたのです。
(現在でも、そう言っているかは分かりませんが)

道路や路地でも、校庭や教室、それに屋上でも、家の廊下や座敷でも、
3人以上集まれば、「カラスのあんぽんたん」をして遊んでいました。
クラス全員でやったりもしました。

お約束の「始めのい~ぽ」で、一歩どころか、鬼のすぐ後まで走り寄って、
手の平を広げ、鬼の肩を叩く寸前の子もいて…

でも私、内心では、
“十文字というだけの理由で、「カラスのあんぽんたん」と言っているけれど、
十数えるのと、十文字は違う…”と思っていました。
可愛くないですね…。

今と違って、昔は身近にカラスなどいなかったのに、
なぜ、カラスなのか、なぜ、「あんぽんたん」なのか、
いつ頃、誰が言い出したのか不思議です。

全国的には、「だるまさんがころんだ」だと知ったのは、
ずっと、後のことでした。

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着てもらえないセーター

よく、
「若い頃クラシックが好きな人でも、中年以降になると演歌が好きになる」
と言いますが、私は違うみたいです。

昔、“…着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます…”
という曲(「北の宿から」)が流行りましたが、
“だったら編まなきゃいいのに…”と思ったものでした。

未練がましいと言うか…
恨みがましいと言うか…
そういうの、好きじゃないんですよね。

で、下の写真のセーターですが、
着てもらえると思いながら、ウキウキ気分で編んだのに、
一度だけ、袖を通してもらっただけのセーターなんです。

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色が嫌いなのか、デザインが嫌いなのか、
それとも着心地が悪かったのか、あえて理由は聞きません…

解いてしまうことも、何だか勿体ない気がして、
今は、タンスの肥やし状態なのです。

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「病める娘」

雑貨店に、サナトリウムから長距離電話が…
「セシリーに何かあったのか…」と不安な面持ちで待つ家族一同に、
「帰宅してもいい」という嬉しい報せ…

迎えの両親に、サナトリウムのスパロー医師は、
「一時的に落ち着いたということです。気を付ければ再発は防げます」
と言われてしまいます。

再発を恐れる両親は、セシリーに、動物にも触れさせようとはしないばかりか、
夏用台所で寝かすなど、サナトリウムと同じ生活を強い、
フェリシティの医学的アドバイスにも、聞く耳を持ちません。

セシリーが学校に戻ると知った町の人達は、
「まだ治ってもいないのに非常識」と、ヘティに苦情を…

傷付き次第に荒んでいくセシリー…
オリビアがア、レックとジャネットに意見して、
セシリーは、元の生活に戻ることができたのでした。

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セシリーのことが解決したキング家でしたが、
進路が決まらず、サリー・ポッツや町の人達から皮肉を言われたりと、
辛い思いをしているフェリシティに、
ガスが乗る「カレーの乙女」が難破し、生存者無しとの報せが…

ガスだけが支えだったのに…

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娘を心配する余り、退院後も病人扱いするアレックとジャネット夫妻、
仕方ないですよね。
他の人達は、サナトリウムに行っていないのですから…

死を待つ患者を目の当たりにしたり、
再入院で運ばれてきた少女を目撃したりしたのですから。
医師や婦長からも、
「完全に治ったのではない。一時的に落ち着いているだけ」とか、
「無茶は駄目ですよ。セシリーも、またサナトリウムに戻るのは嫌でしょ?」
「セシリーにも気を付けてあげて、無理は禁物ですよ」
などと、釘を刺されてしまったですからね。

オリジナルタイトルを見ても、メインはセシリーに違いありませんが、
途中から、フェリシティのように思えてきました。
セシリーを忘れてしまうほど、悲しいラストシーンでした。

<名言>
「ゆっくり考えりゃいい。焦って、あとで後悔したら、つまらんだろう…?
時間はあるんだ。」(アレック)

「ガスは死んでないわ。わかるのよ…」(フェリシティ)

関連記事 Felicity&Gus「病める娘」

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第78話「病める娘」(The Homecoming)より

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見たい映画

そういえば、もう、ずっと映画館に行ってないですね。
(時間も無いのですが…)

最後に行ったのは、たしか、ジョニー・デップの映画でした。
『スリーピー・ホロウ』だったかしら?
…それとも、『ショコラ』だったかしら…?

『耳に残るは君の歌声』も、『ネバーランド』も、
『チャーリーとチョコレート工場』も、見たのはテレビだったし…

いえ、ジョニー・デップのではなく、
『ハリー・ポッター…』の方が後だったかも知れません。

時々、BSオンラインをチェックしていますが、
どうも私は、支配人と趣味が合わないみたいなんです。
それに、いつも同じ映画ばかりなんですよね…

そろそろ支配人を替えてもいいのでは…?
できれば女性に…

見たい映画は、『尼僧の恋』のような、泣けるイタリア映画や、
『レジェンド・オブ・フォール』のような、
ロマンティックで、映像が美しい映画なんですよね。

そうそう、プリンスエドワード島の写真で有名な、
写真家・吉村和敏さんのブログで知ったのですが、
『アンを探して』(Looking for Anne)という映画、
プリンスエドワード島での、オールロケだったそうですね。

『アンを探して』の女性監督(+女性スタッフ)のブログには、
プリンスエドワード島の、美しい画像が沢山ありました。

見に行きたいです…ストーリーではなく、プリンスエドワード島の風景を…

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COOL JAPAN …贈答(Gifts)

テーマは「贈答」。

お中元とお歳暮は、日本独特の習慣ですが、
箱詰めされた贈答品を見た外国人が、「芸術的」というのには驚きました。
日本人には、特別美しいとも感じないあのパッケージ(過剰包装)も、
外国人には珍しいようですね。

「日頃の感謝を込めて」(建前)より、「義理、義務、形式的」(本音)に同感です。
外国人は、日用品を贈ることに異議があったようでしたが、
趣味に合わないものを贈られるよりは、実用的でいいですよね。

でも、嗜好品を含め食料品にしても、日曜雑貨にしても、
好みがあるから、無駄になることもありますよね。

いつからか、お中元やお歳暮には、ほとんど関係ない暮らしをしていますが、
贈る時は、「高級な日本茶」に決めています。
軽くて嵩張らないし、日本茶を嫌いな人はいないように思えるるからなのでが、
如何なものでしょう…(偏見かしら…?)

日本には、「贈り物のマナー」も色々ありますよね。
マナーの達人、近藤珠實(たまみ)さんが、詳しく教えてくださいましたが、
この人の説明は、とても説得力がありますね。

贈る際には気を付けますが、もしマナーに反する品を贈られたとしても、
「知らなかったのね…」と思うだけで、気を悪くはしませんが…

贈り物を選ぶのは大変ですが、
相手のことを、あれこれ考えながら選ぶことは、楽しいですよね。

昔から「カタログ・ギフト」はありましたが、これも日本的とか…
最近では、体験型もあったので驚きましたが、
それ以上に驚いたのは、難民募金などのチャリティーがあったことです。
「カタログ」は、返礼の場合が多いでしょうから、
私のように、「返礼はいらないのに…」と考える人には、
チャリティーはいいですよ。

贈る立場としては、手抜きのようで、少々抵抗がありますが、
矛盾しているようですが、頂く立場としてなら、
カタログの方が、好みじゃないものを貰うより、ずっといいですよ。
選ぶ楽しみもありますし…

「「日用品の贈り物」「企業の贈り物」「贈答のマナー」「カタログのギフト」
BEST OF COOLは「カタログのギフト」でした。

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『恋の蛍』…(2)

先日、読み終えました。

あとがきで作者が述べていたように、
本当の主人公は彼女の父、山崎晴弘さんのように感じました。
(父の哀れさに、「鬼の目にも涙」ティッシュが必要でした。)

晴弘さんが34歳の大正2年(1913)に、
日本初の政府認可の「お茶の水美容洋裁学校」を創設、
多い年で、年間800名の生徒を修了させ、住み込みの内弟子は80名以上…

しかし関東大震災(1923)で、その校舎も、住居も、美容院も焼失、
舶来ミシン、ドイツ製のハサミ、特注のつげの櫛、金糸銀糸で刺繍した婚礼衣装、
彼が執筆した教科書などを焼失する…

昭和2年(1927)、巨額の資金を投じ、地上2階地下2階の鉄筋校舎を再建するが、
頑強ゆえに軍部の目に留まり、昭和15年(1940)、政府に接収され、
終戦を迎えても戻ることはなかった。
(この建物は、病院として平成まで残っていたそうです。)

昭和16年(1941)、全国に巣立っていった元教え子たちの援助により、
木造校舎を再建するが、昭和20年(1945)の東京大空襲で、
校舎、住居、経営する美容院「オリンピア」など、すべて失う。
その上、GHQによって、軍国主義指導者と見なされ、
公職追放の身となってしまう。

しかも、晴弘・信子夫妻の3男2女のうち、長女・歌子は3歳で病死し、
中央大学を卒業した長男・武士(たけし)は、家業を嫌って離れて行き、
次男・年一(としいち)は、太宰治と同じ、旧制弘前高等学校を卒業し、
東京帝大の受験勉強中、髄膜炎で急死。
三男・輝三雄(きさお)は、
明治大学卒業後、入隊し戦病死、年一と同じ髄膜炎だった。

後継者として期待した次女・富栄は、10日間の結婚生活の後、未亡人となり、
美容学校再建のために、朝から深夜まで身を粉にして働き、
爪に火をともすようにして蓄えた10数万円(現在の千数百万円)を、
太宰と出逢ったばかりに、1年足らずで使い果たした挙げ句、
入水の道連れにされてしまった…
(太宰自身の飲食代や、出版関係者などの接待費、太田静子さんへの送金など)
そして、待っていたのは果てしない誹謗中傷…

もし、大好きだった次兄が亡くならなかったなら、
もし、戦争がなかったなら、
もし、夫・修一が戦死しなかったなら、
山崎富栄さんは、太宰治と出会うこともなかったでしょうし、
山野愛子さんに勝るとも劣らない美容家になっていたかもしれません。

戦争のために、財産も、名誉も、子供達も失った晴弘・信子夫妻…
自ら死を選んだ二人は、幸せだったかもしれないけれど、
残された人間は無念です。

美知子夫人も…

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柏鵬時代

先日、何気なくテレビをつけたら、
「日めくりタイムトラベル 昭和36年」という番組をやっていました。

私が見ていたのは、30分ちょっと…
後で番組欄を確認すると、3時間番組でした。

ちょうど、「柏鵬時代」についてやっていて、
若かりし頃の柏戸関(富樫剛)と大鵬関(納谷幸喜)の、
懐かしい写真や、映像を見ることが出来ました。

大鵬が色白で美男子だったことは有名ですが、
20歳前後だった当時のお二人は、細くてお腹も出ていないし、
筋肉質で、顔も品があって、とても美しいお相撲さんだったから驚きました。

小学生だった当時、男の子たちのように、相撲に関心はありませんでしたが、
大鵬が「巨人、大鵬(本人は不満だった)、卵焼き」と言われ、
大変な人気だったことは、もちろん知っていました。

でも、柏戸が、「大洋、柏戸、水割り」と言われていたことは初耳で、
亡くなられていたことも知りませんでした。
知らないと言えば、大鵬のお父さんがロシア人ということも…

角界に入られた切っ掛けは、どちらもスカウトですが、決めた理由は、
母子家庭で貧しく、子供ながら家族を養わなければならなた大鵬関は、
「お米を、お腹一杯食べられるから」で、
果樹園を営む裕福な家庭の柏戸関の方は、温和しい性格でしたが、
「農業より、楽だから」だったそうです。

「出世するまで帰るな」と言った昔の親に対し、
今の親は、「辛かったら帰っておいで」と言うらしいですから、
ハングリー精神など、あるはずも無いです。

柏鵬時代と言って思い出すのは、小学校の修学旅行の時のこと、
薬師寺で、説明してくださった御坊さんが、
「…白鳳時代…私は柏戸のファン…」
とユーモアたっぷりに話されたことです。
高田好胤さんだったかどうかは分かりませんが…。

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『恋の蛍』

20091206
『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』 松本侑子/著 光文社

「天彦(あまひこ)よ 雲のまがきに 言(こと)づてむ 恋の蛍は 燃えはてぬべし」
                                                             『夫木(ふぼく)和歌抄』第八巻・夏

著者は「赤毛のアン」シリーズの翻訳や関連書で有名な松本侑子さん。
松本侑子さんと太宰治…ちょっと意外な気もしました。

膨大な資料や取材の跡、関連文献からの引用や抜粋、数種類のフォントなど、
著者の苦労や意気込みが伺えます。

時代に沿って、ドキュメンタリータッチで書かれてありますが、
副題とは裏腹に、あまりにも枝葉が広がり過ぎてしまって、
肝心の山崎富栄さんへの焦点が、ぼやけてしまった感じがしました。

太宰治の入水に付き合っただけなのに、
文士たちによって、いわれなき汚名を着せられた山崎富栄さんへの、
名誉挽回を目指すとするならば、
小説ではない梶原悌子さんの『玉川上水情死行』の方に、軍配を上げたいです。

まだ読み終えてもいないのに、比較するのもなんですが…

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「心の迷い」

帰省中のフェリシティに、ハリファックスのダルハウジー医科大学から、
待ちに待った進級登録申請書が届きますが、
郵便の遅れから、締め切り期限が過ぎていて、進級出来ないことに…
(すべての科目が「優」だったのに…)

落ち込むフェリシティを心配した家族が、なぐさめますが、
そんな時、雑貨店に居合わせ一部始終を聞いていた
診療所のスノー先生が、助手を頼みます。

張り切って仕事に向かいますが、
実際の仕事は想像していたものとは違い、失望感を抱きます。

漁船の爆発事故で、大勢の怪我人が出た夜、
臨月だったフェリシティの幼友達コリーンが産気づきます。
駆け付けたフェリシティとジャネット…
到着したスノー先生によって、難産の末、赤ん坊は産まれましたが、
母子共に危険な状態に…
フェリシティによって、赤ん坊だけは助かりますが、コリーンの命は救えませんでした。

翌日、何か落ち度は無かったかと、必死にカルテを調べるフェリシティに、
スノー先生は、
「すべてを把握していても、思い通りにいかないことはある。
忘れるんだ…」
と言うのでした。

ショックを受け失望したフェリシティは、
あたしが好きなのは、勉強や実験をやって、いい点数を取ることだけなのよ。
女には医者は無理だと言われているから、
あたしは違うって、証明したかっただけなんだわ。それ以外は…

と、気付き、医師への道を断念し、スノー先生の助手も辞めたのでした。

7701 7702 7703 7704
7705 7706 7707 7708

100年前には、郵便が1ヶ月遅れることもあったのでしょうね。
国によっては、今もそうなのでしょう…

実際の医学は、フェリシティにとっての理想とは、余りにも違う現実でした。
幸せだった少女時代、学力優秀で自信に溢れていたのに、
次第に笑顔が消えていくフェリシティ…

コリーン・ウェルズ(現プリチャード)という幼友達っていたかしら?
キング家のダイニングで、フェリシティと一緒に、
収穫祭のドレスを縫っていたと言いますが…

クレミー・レイなら、一緒にドレスを縫っていたけれど…
クレミーだったら、感情移入出来たのに残念です。

(コリーン・に扮していた女優さんは、
フェリックス役のザッカリー・ベネットの実姉だそうです。顔がそっくり。)

<名言>
「…一年なんて、お前が思うほど長かない。本当さ。
大人になる程、時間は早く過ぎて行く…あっという間だよ…」(アレック)

「…人は経験を積んで一人前になるんだよ」(スノー先生)

「後悔しないかい?…そう、それならいいわ。
後悔の無い人生が幸せな人生よ…そうでしょ?」(イライザおばさん)

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第77話「心の迷い」
(A Time to Every Purpose)より

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『暗い血の旋舞』

20091204
『暗い血の旋舞』 松本清張/著 日本放送協会

本棚を眺めていたら、『暗い血の旋舞』に目が留まりました。
この本は、明治時代の駐日オーストリア公使、
ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーの妻で、
EUの父と言われたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの母でもある、
クーデンホーフ光子(青山ミツ1874/7/24~ 1941/8/27)の伝記ですが、
著者は松本清張なのです。
(松本清張の作品って、題名自体が怖いですよね。)

昔、NHKで放送されていた、「国境のない伝記 ミツコー二つの世紀末」
(吉永小百合さんが青山みつに扮していました)というドキュメンタリー番組の
共同取材による作品ですが、青山みつさんの生涯だけでなく、
フランツ・ヨーゼフ1世、ルートヴィッヒ2世や、ボヘミア貴族、
ハプスブルク家などについても書かれていて、
写真も沢山載せられている、大変興味深い一冊でした。

結婚されたのは日本で、二人の男子を授かりますが、
夫の帰国後は、言葉の通じない異国で、5人の子供をもうけ、
夫亡き後、7人の子供たちを育て上げたのですから、
勇気あるというが、明治生まれの大和撫子って。凄いですよね。
一度も日本に帰ることもなかったそうですし…

よく、青山みつさんは、“ウィーン社交界の華”だったなどと言われますが、
何かで読んだのですが、実際は違ったようです。

写真館で写したと思われるドレス姿のポートレートはありますが、
どこの国かも分からないアジア人の彼女を、
貴族たちは、相手にしなかったようなのです。

香水の「ミツコ」についても、誰が言い出したかしりませんが、
実は違うようです。

数年前、テレビで、みつさんの孫にあたる画家の男性(70歳前後?)が、
日本で生活されている様子を見ましたが、今でもいるのでしょうか?

ところで、
NHKのHPを見たところ、松本清張生誕100年ということで、
昔放送されていたドラマの再放送があることを知りました。

「けものみち」<全3回> 12月6日(日)PM 1:00~2:11、2:11~3:20、3:20~4:30
(1982年 名取裕子、山崎努、伊東四朗、加賀まりこ、西村晃、石橋蓮司)
「遠い接近」 12月6日(日)PM 4:30~5:45
(1975年 小林桂樹、吉行和子、伊佐山ひろ子、荒井注、下元勉、笠智衆、中条静夫)
「天城越え」 12月8日(火)PM 9:00~10:27
(1978年 大谷直子、佐藤慶、鶴見辰吾、中村翫右衛門、宇野重吉) 
…鶴見辰吾さんは、「金八先生」の時より前でした…      

20091204b
『けものみち』 松本清張/著 新潮文庫

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「岡部伊都子 弱き者へのまなざし」

12月の「こだわり人物伝」は、「岡部伊都子 弱き者へのまなざし」。

1回目の出演は、評論家の佐高信さんで、
タイトルは、「私は“加害の女”」でした。

岡部伊都子さんは、19歳の時、戦場に赴く婚約者が、岡部さんに、
「この戦争は間違っている。天皇のために死にたくはない」
と、本心を打ち明けた時、軍国少女だった彼女は、
「なぜそんなことを言うの?私なら喜んで死ぬ」
と言って送り出したのですが、婚約者は、沖縄戦で戦死…

夫や婚約者、また、息子や父親を戦争で失った人たちは、
「自分も戦争の被害者、または犠牲者」と思いがち(当然です)ですが、
岡部さんは、亡くなるまで、“加害”という罪悪感を持ち続けていたそうです。

岡部さんだけでなく、当時のほとんどの人達が、
同じような考え方だったのでしょうから、
“加害”といっても、国政(軍国主義)の犠牲でもあると思えるのですよね。

どこの国の人も、戦争に限らず、また、諸々の差別にしても、
被害者意識だけが残り、加害者意識を持つことは少ないような気がします。
出来ることなら、被害者意識は捨てて、
加害者意識あけを、持ち続けるべきかもしれませんね…。

岡部伊都子さんといえば、誰もが「随筆家」と言うでしょう。
私は、「エッセイスト」という言い方より、「随筆家」の方が好きなんです。
私が、“歳”ということもあるのでしょうが、
意味は同じでも、文学的な香りがするのですよね。

岡部伊都子さんのほかに、随筆家と言って思い浮かぶのは、
古くは、清少納言や吉田兼好…

最近(でもないですが…)では、森田たま、幸田文、青木玉、でしょうか…
(読んだことはありませんが、幸田文の孫で、青木玉さんの娘の
青木奈緒さんも随筆家(エッセイスト)ですね。)

20091203
『観光バスの行かない……埋もれた古寺』 岡部伊都子/著 新潮文庫
(本棚を探して見つかったのは、この本だけでした。)

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『デューク』

20091202
『デューク』 文・江國香織 画・山本容子 講談社

1ヶ月前、katarohinaさんに教えて頂いた、
江國香織さんの『デューク』、ようやく読むことが出来ました。

愛犬デュークとの永遠の別れ…
デュークの死を受け入れられず、悲しみにくれる21歳の女の子…
泣きながら電車に乗っていた女の子の前に、
突然現れたハンサムな少年…
彼との楽しい一時を過ごすことで、
悲しみから解き放されていく…

別れる間際の少年の言葉に、いずれは悲しみも癒え、
デュークとの楽しい出来事も、素敵な思い出となっていくのでしょうね。

子供の頃から、犬も猫も、その他の動物も、一度も飼ったことがない私ですが、
愛する存在を失った者の喪失感が、伝わってきました。

実際に、動物を飼われた経験のある方なら、
彼女の悲しみが、自分のことのように思われることでしょうね。

この本を読んだことで、人間にとってのペットの重要さが分かりました。
もし、状況が許されるものなら、
幼い時から、身近に動物のいる環境で育つべきなのでしょうね。

山本容子さんのエッチングが、前から好きだった私は、
『デューク』の装丁や挿画も、イヤではありませんでしたが、
底本を読まれている方にとっては、あまり評判がよくなかったみたいです。

想像力は、その人だけのものですから仕方ないですよね。
なかなかイメージ通りとは、いかないものですから。

今度は『つめたいよるに』を読もうと思ってます。
順序が逆ですが…
katarohinaさん、すてきな物語を教えてくださって、どうもありがとう。

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「ブラタモリ」

毎回必ず、というわけにはいきませんが、
木曜日の夜10時から放送されている「ブラタモリ」を楽しみに観ています。

「ブラタモリ」は、タモリさんと、「解体新ショー」の司会者だった久保田祐佳アナ、
それに、その地域などに詳しい専門家のゲストが、
江戸や明治の古地図やレトロな写真を手懸かりに、
日本人が日本人らしく生きていた時代に、想いを馳せながら歩き回る、
オールロケの番組なのです。

時代は激しく移り変わり、昔の日本は跡形もないものなのかと思いますが、
意識して辺りに目を向ければ、
道路の下に今も流れる小川、古い石垣の一部、坂道や段差、
伝説や地名…など、意外に多く名残はあるもの、と気付かされます。
これも、ちょっとした考古学ですね。

現在の風景を、セピア色の写真やCGにオーバーラップさせると、
はるか昔の先祖が体験したかもしれない…
などと、センチメンタルな気分に浸ったりも…

井上陽水さんのエンディング(「MAP」)も素敵、
戸田恵子さんのナレーションも、聴きやすくて気に入ってます。

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