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2009年11月

『女たちの山 シシャパンマに挑んだ女子隊9人の決算』…(3)

『女たちの山 シシャパンマに挑んだ女子隊9人の決算』は、
隊員が実際に書いた『アンナプルナ 女の戦い7577m』や、
『私たちのエベレスト 女性初登頂の全記録』
田部井淳子さんの、
『エベレストママさん 山登り半世紀』『エプロンはずして夢の山』
などの多くの著書や、
北村節子さんの『ピッケルと口紅』といった本のような臨場感が今一つで、
著者の主観が入り過ぎていたことで、
逆に、説得力にも欠けていたように感じました。

文中に、「中国登山協会から送られてきた、登山に伴う協力作業の値段表」
というのが書かれていましたが、そのあまりの高額には、驚いてしまいました。
(このことは、『ピッケルと口紅』にもあって、
北村さんたちは経費削減のために、中国まで交渉に行ったとのことでした。)

要約すると、
「内陸輸送には、解放軍のトラックをチャーターする。
車自体のチャーター料の他に、走行距離に比例した使用料とガソリン代、
運転手の人件費、雇った協力員(シェルパに相当)の日当と食費、
その人達に料理するコックの日当と食費、
彼らを監督する連絡官と、その助手(通訳)の日当と食費、
彼らは漢人なのでコックも別、そのコックの日当と食費
何かあった時のために、BCにジープを常駐させるが、
たとえ走らなくても、チャーター代とその運転手の日当と食費、
荷揚げに使うヤクは、1日に4000元、
(ちなみに、北京等の都市部での勤労者の月収は、50~60元)
ヤクを扱うヤク使いの日当と食費…

協力員の1日の日当は22元(当時の日本円で、約3,300円)で、食費も同額
(チベットに赴任している医者の月収が67元(約1万円))

また、チベットにいるだけで、1日1人、日本円で、2万~4万円の滞在費が取られ、
浴室の湯が出ないのに、ホテルの宿泊費が1泊35,000円、
当然、外国人向けの料金だが、協力員が一緒に宿泊した場合、
協力員の分も、外国人と同じ宿泊費が請求される…」

金額は分かりませんが、勿論、入山料も必要です。
日本隊(外国隊)が払う「日当+食費」は、国の収入になるのでしょうが、
協力員たちの、実際の日当や食費はどの程度だったのか気になりました。

これらは、全て30年位前のことなのですが、
現在は、どうなのでしょう…?

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『女たちの山 シシャパンマに挑んだ女子隊9人の決算』…(2)

よほど後味が悪かったのか、それとも私が読んでないだけなのか、
田部井淳子さんの著書に、シシャパンマのことは、
書かれていなかったのですが、
北村節子さんの『ピッケルと口紅』には、その一部始終が書かれてありました。

本のタイトルは伏せてありましたが、
落合誓子さんの『女たちの山 シシャパンマに挑んだ女子隊9人の決算』
にも触れられてましたが、好印象ではなかったようでした。
あんなふうに書かれたのですから、当然でしょう。

ただ、一つのエピソードも、立場が替わると、
全くニュアンスが違ってしまうところが興味深かったです。

ドクター(加藤淑子さん)への取材を元に書かれたのでしょうが、
最終アタッカーの田部井隊長と北村さんが(高地協力員もいますが)
第5キャンプ(7350m)で、ベースキャンプのドクターとの体調報告の様子が
書かれてありました。

隊長は異常なしでしたが、北村さんの方は、命の綱である食料は忘れるし、
「…脈拍も異常で、心臓をギュッとわしづかみにされたような感じ…」
ということで、ドクターストップとなったとありました。

当然、北村さんは不満…
「登頂成功が目的ではなく、全員、無事帰国すること一番大事」
がモットーの田部井隊長が、
「節ちゃに何かがあったら、私は悔やんでも悔やみきれない」
と言って説得し、結果的に隊長だけ(と高所協力員)が登頂に成功。
とありました。

その一件から、
「北村さんの高所障害より、自分達の方が軽症なのに…」
「2人がアタッカーになることは最初から決めていたのでは…」
「自分達は利用されたのでは…」
と、隊長と北村さんに対し、隊員たちの不満や批判が増すことに…

でも、北村さんの『ピッケルと口紅』では、ドクターに
「“やっぱり高所だね。心臓が苦しかったよ…”と言ってしまったら、
それが命取りになり、ドクターストップがかかってしまった。
悪い冗談かと思った…それだけの根拠でドクターストップをかけるなんて」
などと、不満な書き方でした。

どちらが正しいのか、また、意図的かどうかも分かりませんが、
言葉の選び方次第で、随分印象が変わるものです。

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枕…(3)

処分しようと思いながらも、何だか勿体ないような気もして、
そのままになっていたフェザーの枕。

みんな気にしないで使っているのだから、と思い直し、
取り敢えず、中身を減らして低くしましてみることに…

驚くことに、(別に驚くほどでもないのですが)、
前に開けた枕のフェザーは、褐色混じりでしたが、
もう一つの、今回開けた方は、純白だったのです。

外側からも、色の違いは分かっていましたが、
単に、生地の色が違うと思っていたのです。
同じ製品(日本製)を、同時に二つ購入したのに、中身が違うこととは…

でも、真っ白だと、それほどゾッとしないから不思議なものです。
(逆の人もいるでしょうが)
色が違うだけで、こんなにも印象が変わるなんて、問題です。
こういう感覚、差別にも繋がるような気がして…

2009111320091128 こうなって、
中身は20091128b20091129c でした。
(ゾッとさせてしまったなら、ごめんなさい。拡大しない方がいいかも…)

枕ごと、大きなビニール袋に入れて作業したのですが、
…もう悲惨な状況…しかも着ていたのは黒…
こんなシーンが、外国映画や海外ドラマであったような…

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『いのちの初夜』

感染力はゼロに等しく、特効薬も開発されて完治出来るようになってからも、
完治しても、天刑病とも業病とも呼ばれて、言われなく差別を受け、
名前も戸籍も捨て、異界としか言いようのない施設に強制隔離され、
骨となってさえも、家族のお墓に入れなかった人達…
1996年に、防止法が廃止されるまでは…

無知ゆえに、私も差別の加害者側の一人だったことを反省しています。

私が、ハンセン病を知ったのは、『ベン・ハー』でした。
(チャールトン・ヘストンの映画ではなく、ルー・ウォーレスの小説です。)

なぜ『ベン・ハー』を読んだかと言えば、
『赤毛のアン』の中で、アンが友達から借りた『ベン・ハー』を、
授業中に夢中に読んでいて、ステーシー先生に取り上げられたから…

勉強熱心のアンが授業中に読んだのだから、よほど面白いに違いない。
私も是非読みたい…と思ったのです。

期待通り、面白かったのですが、ベン・ハーの母と姉の病気には、
まだ子供で、知らなかった私は、かなりショックではありましたが、
余りに遠い世界で、非現実的にも感じていました…

それから何年か後、ほとんど怖いもの見たさから(不謹慎ながら)、
北条民雄の私小説『いのちの初夜』を読みました。
身体を硬くし、全身から血の気が引く思いで読んでいたことを覚えています。

自分もそうだったらどうしよう…もう既にそうかもしれない…
夢に出てきたら…などと、恐怖で眠れませんでした。

『砂の器』を読む、ずっと前のことでした。

20091127
『いのちの初夜』 北条民雄/著 角川文庫
(1936年に発表された作品なので、青空文庫で読むことが出来ます。)

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こだわり人物伝…「松本清張 孤高の国民作家」(4)

最終回のテーマは「タブーへの挑戦」、
出演は辻井喬(堤清二)さんで、『砂の器』を取り上げていました。

清張さんの本を、夢中で読んでいた時期もあって、
まだ、20冊以上の文庫本も残っているのに、
内容は忘れてしまった私ですが、『砂の器』だけは覚えています。

とは言っても、覚えているのは、
子供時代にハンセン病の父と旅していた作曲家が、
その秘密を守るために殺人を犯す…ということだけですが…

昔、ハンセン病は大変恐れられていて、
完治できる時代になっても偏見と差別は根強く残っていました。
正直のところ、私も無知故に恐れていた一人でした。

辻井さんは、それを「集合的無意識」(無意識の信じ込んでいる常識)の一種
と捉えていましたが、
第一の原因と責任は、隔離し続けた政策にあったのではないでしょうか?

清張さんも15歳の時から家族を養っていたことで、
経済的に貧しく、差別される側の人だったから、
タブーを背負った人々を、作品にしていたのでしょうね。
経済的に恵まれた家庭に育った、三島由紀夫とは大違いです。

現代文学全集に松本清張を加えることに、
三島由紀夫だけが反対したことは、有名なエピソードですが、
川端康成や谷崎潤一郎が説得しても、断固として認めようとはしなかったそうです。

生い立ちだけでなく、思想的にも正反対だったから、
松本清張を、文学の仲間と認めることは出来なかったのかもしれません。

松本清張原作は、映画やドラマで、何度も映像化されていますが、
御自身が評価していたのは、この『砂の器』と『張込み』の映画だけだったとか。

私が観たのは、NHKドラマの『天城越え』だけ…原作は読んでいませんが、
内容をというより、天城の風景が見たかったからなのですが…。

20091126
『砂の器』 松本清張/著 新潮文庫

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COOL JAPAN …涙(Tears)

今回は、「涙」についての、日本と外国(主に欧米)との文化の違いでした。

日本人にとって「涙」のイメージは、
「感動、嬉しい時、美しい、純粋、素直、きれい」
(悲しい、悔しい、と答えた人もいるでしょうに…)でしたが、
外国人(特に欧米人)にとっては、「弱み、痛み」などで、
絶対、人前では見せてはいけないものだそうです。

以前見ていた「世界ウルルン滞在記」という番組でも、
別れの時、旅人が感極まって涙を見せると、
ホームステイ先の人達が理解できずに、
「なぜ泣くの?泣くんじゃない。」と不快な顔をされてました。

外国人には、「涙=泣く=弱い」というだけのようで、
「嬉しいのになぜ泣くの?」と言うように、嬉しい時には泣かなくて、
「感涙」も「貰い泣き」も存在しないみたいでした。

「日本人は、よく泣く」と呆れていましたが、
情が深く、涙の種類も多いのですね。

泣ける音楽や小説のコーナーがあることも、
泣ける映画を見るためのサークル「みんなで泣こう会」があることに、
(映画を観て涙が出ることはあったとしても)
「オーマイゴー」「ショック」のようでした。

でも、日本でも、昔は(特に男性は)、悲しみの涙や悔し涙は、
「人に見せるな、人前で泣くな」と言われましたよ。
…今はどうなのでしょう?

結婚披露宴での涙も、異様に感じたようですが、
日本の結婚には、親と娘の別れがセットされていて、
昔は、新婦側にとっては、嬉しいだけではなかったのですから…

子供の頃から感じていたことですが、
「もらい手」とか、「娘をくれてやる」というは女性にとって屈辱的で、
○○家と○○家というのも、今でも続いているなんて、おかしいです。
いつになったら止めるのでしょうか?

「“泣ける”と題された品々」「泣くためのサークル」「結婚披露宴の演出」
の中から選ばれたのは「“泣ける”と題された品々」でしたが、
皆さん微妙な表情でしたね。

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『女たちの山 シシャパンマに挑んだ女子隊9人の決算』

20091124
『女たちの山 シシャパンマに挑んだ女子隊9人の決算』 落合誓子/著
山と渓谷社 山渓ノンフィクションブックス

『女たちの山 シシャパンマに挑んだ女子隊9人の決算』は、
絶版のうえ、図書館にもなかったので、ネットで中古本を買ったのですが、
読めば読むほど、重苦しい気分になってしまいました。

著者の奥村誓子さんは登山隊とは関係のないライターで、
この本は、隊長の田部井淳子さん初め隊員9人と、
事情により参加を取り止めた2人から取材したルポルタージュです。

日本女子登攀クラブの田部井淳子さんが、
エヴェレスト登頂に成功したのは、1975年のでしたが、
田部井さんを隊長とした、シシャパンマ(別名ゴサインタン 中国 8,027m)登山は、
エベレスト登頂の6年後の、1981年のことでした。

(ちなみに、その間の田部井さんの登山(海外)は、
ヤラピーク(5,732m ネパール 1977年)、モンブラン(4,807m フランス 1979年)、
キリマンジャロ(5,895m タンザニア 1981年)です。)

隊長の田部井淳子さん、副隊長の北村節子さん、三原洋子さん、
平島照代さん、永沼雅子さんの5人はエヴェレスト女子登山隊からの仲間で、
最終的には、永沼さんは健康面、平島さんは休暇が取れないという理由から、
不参加となりましたが、
エヴェレスト組の隊員たちと、その他の隊員6人の違いは歴然。

エヴェレスト組の努力や冷静さ緻密さに比べ、
ほかの人たちは小学生でも分かる些細なことまで自分で判断できないし、
男性社会では通用しない甘えや媚びも見せていました。

入山期間、天候、お金の問題を抱え、
技術、体力での差だけでなく、高所での体調と精神力、
極限状態に於いての冷静さや機転、判断力といった理性など、
何を取っても田部井さんにかなう人はいなかったことは、
隊員の誰もが認めることにも関わらず、
結果的に田部井さんだけが登頂したことが、どうしても納得できないようでした。

高所障害による肉体的精神的ダメージも、高度が下がるに従って忘れ、
「隊長は普通はBCにいるものなのに」とか、
「自分は利用されただけ」と後々まで不満を訴えて…

ライターも含め、女性というのは理性では納得していても、
感情では許せないものらしいです。

尊敬はするけれど、自分が惨めになるからか、認めたくはない。
ライター自身、田部井さんに比べての自分のダメさ加減を延々と書きながら、
そして、気さくで自然体の田部井さんを立派といいながら、
田部井さんが立派で、精神的に強いことを、同性として肯定したくないようでした。

ルポルタージュといえども、人間が書いている以上、主観的になるのは当然ですが、
元隊員が書いているのではないので、
実際に隊員が書いた『アンナプルナ 女の戦い7577m』や
『私たちのエベレスト 女性初登頂の全記録』 のような臨場感もなく、
ライターの感情や微妙なニュアンスがプラスされていたようにも思え、
ルポというより、低俗な暴露本みたいで不快になりました。

田部井さんの著書では、「シシャパンマ」については、
触れられていなかったような気がします。

男性がこの本を読んだなら、
「だから女ってイヤなんだよ~」と言うのでは…?

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「ピアニストの贈り物~辻井伸行・コンクール20日間の記録~」

ETV特集「ピアニストの贈り物~辻井伸行・コンクール20日間の記録~」
観ました。(録画ですが)

今年6月、テキサスで行われた、
第13回「ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール」で、
視覚障害のある20歳のピアニスト・辻井伸行さんが、
日本人初の優勝をされた時の、20日間の舞台裏を記録した映像です。
辻井伸行さんの美しいピアノ演奏と、純粋な笑顔に、とても癒されました。

ホストファミリー宅に到着した時に、最初に弾いた「別れの曲」に泣けて…
(私にとって、「別れの曲」は、泣ける曲の一つなのです。)
辻井さんが2年前に作曲されたという「川のささやき」も、美しい曲でした。

世界中から選ばれた29人の若きピアニストたちは、
ファイナルまで残れば、20日間で、ソナタ、室内曲、コンチェルトなど、
11曲もの曲を演奏しなければならず、精神的にも体力的にも、過酷なものですが、
6人のファイナリストまで残った辻井さんは、疲れを面に表すこともなく、
むしろ楽しんでいるかのようでした。

「ピアノのレッスンは大変と思ったことはない、逆に楽しい」
と言うのですから、才能というものはそういうものなのでしょうね。
並外れた聴覚や音感、卓越した技巧などだけでなく、
好きで堪らない、いくらやっても飽きないということも才能の一部なのでしょう。

母親いつ子さん、通訳さん、男性マネージャー、ホストファミリーご夫妻、
みなさん、温かで優しげな表情の方々ばかり…
現地の音楽関係者の方々も、素敵な人達ばかりでした。

ヴァン・クライバーンさんも、若い頃の風貌とは違い、
思った以上にお歳でしたが、とても穏和で優しそうな雰囲気でした。

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温度計

小春日和の昨日は、23℃もありましたが、
今日は午後から曇り出し、現在、18・5℃しかありません。
(私の部屋ですが…)

こんなこと言ったら、寒い地方の人に叱られそうですが、
まだ、暖房具を使っていないので、今日は少しばかり寒いです。

朝日のあたる家…いえ、朝日のあたる窓でした。
私の部屋の窓は東向きなので、日中は寒くて…
なぜ、南側に窓を付けなかったのか、まったく理解に苦しみます。

同じ家の中でも、部屋ごと室温は違いますね。
これ、当然です。
でも、ある疑問が浮かんだのです。
温度計(寒暖計)って、本当に正しいのかしら?

試しに、集めて同じところに並べて置いてみたところ、
温度が、2度前後違っていました。

2度も違う…2度しか違わない…
いずれにしても、どれが正しいのやら、それとも全部が正しくないのかも…

うちにあるのは、どれも同じで、ガラスの細い管に、
赤い液体(アルコール?)が入っているタイプのものですが、
ホームセンターなどで売られている安物だからなのでしょうか?

「見えてるものが正しいとは限らない」ですね。

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男装の麗人

「男装の麗人」というと、私は、川島芳子さんが浮かびますが、
別の「男装の麗人」、水の江滝子さんが亡くなられたそうですね。
享年94歳だったとか…

水の江滝子さんは、
10年以上も前に生前葬を行ったことで話題になりましたが、
それでも、それなりの葬儀をされたのでしょうね。

松竹少女歌劇団で男役をされたことから、「男装の麗人」と呼ばれ、
また、「ターキー」の愛称で、とても人気があったようですが、
きっと、私の母の世代の少女たちを、夢中にさせたのでしょうね。

水の江さんは、石原裕次郎さんなどの映画を手がけていたそうですが、
私にとっては、やはり、
子供の頃見ていた「ジェスチャー」での女性軍キャップテンですね。
男性軍キャップテンは、柳家金語楼さんでした。

「ジェスチャー」「私の秘密」「お笑い三人組」…
あの頃の番組は、何もかもがシンプルで、お年寄りにも子供にも分かり易く、
家族揃って、安心して見ていられましたが…

水の江滝子さんは、ずっと「男装の麗人」のイメージのままで、
髪はショートで、スカートも穿かれていなかったような気がします。
(私が知らないだけかもしれませんが)

今では、「男装」という言葉は聞かれなくなり、
スカート姿の男性がいる時代となりました。
世の中、変わったものですね。

…ご冥福をお祈りいたします。

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『怖いもの知らずの女たち』

20091120
『怖いもの知らずの女たち』 吉永みち子/著 山と渓谷社

2003年11月の「おでんパーティ」で、
私、シャンソンを習ってみたいなあと思っているんだよね
という田部井淳子さんのひと言に、仲間たちが賛同。

「でも、どうせ習うなら、成果を披露しましょうよ…」となり、
「でも、コンサートでは、お客さんが集まらないかもしれないから、
ディナーショーにしましょう…」となりました。

「でも、食事が先だと帰られてしまうかもしれないから、
ショーを先にしよう…
それに、聴きたくない人のために、耳栓を、
見たくない人のために、アイマスクも用意しよう…」

そんなことから、勇気ある6人の女性たちは、
既に、3回も、シャンソンのコンサートを開いたのでした。

6人は、登山家の田部井さんが北村節子さんと発足させた、
働く女性の山の会「緑の女性会議」の仲間で、
田部井さんのほかの5人は、
元日本ロレックス宣伝広報担当の脇坂満智子さん、
PR会社会長の秋岡久恵さん、元タカラジェンヌの高橋利子さん、
弁護士の志賀こず江さん、セブン−イレブン・ジャパン役員の山口積恵さん。

みなさん私より年上の、凄い女性たちばかりで、
それぞれの半生が、生い立ちから詳しく綴られていました。

コンサートでの、コスチュームの三原則は
「「開ける、透ける、光る」とか…

ただ、選曲についてや、肝心のシャンソンに込めた思いなどについては、
特に、触れられていませんでした。

きっと、シャンソン自体は重要じゃなかったのでしょうね。
シャンソンが「男と女」の歌ということを、
言い出しっぺの田部井さんが知らなくて、
「こんな歌詞、私には歌えないよ」と言ったそうですから…

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こだわり人物伝…「松本清張 孤高の国民作家」(3)

昨夜の「知る楽」こだわり人物伝、「松本清張 孤高の国民作家」の録画、
忘れていました。

HPを見たら、「『日本の黒い霧』-歴史観の革命」というタイトルで
出演は小森陽一さんでした。

松本清張さんは、ミステリーや時代ものだけでなく、
ノンフィクション作品も多いです。

私は、『日本の黒い霧』は読んだことはありませんが、
下山国鉄総裁の事件や松川事件、帝銀事件などと言った、
GHQが関わったのではと噂された謀略・怪事件について
書かれているということは知っています。

『日本の黒い霧』や『昭和史発掘』にしても、
内容のどれも、私が生まれる以前の事件ばかりですが、
一歩間違えば、清張さん御自身の身も危ないのに…
と思ったものでした。

ミステリーにしても、担当の刑事が、事件を解明していくうちに、
上層部からストップがかかるというものも多かったです。

右翼組織と政界、政界と財界、財界と右翼組織…
迷宮入りや怪事件というものは、そういうものなのかもしれません。

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COOL JAPAN …入れもの(Containers)

昨夜のクールジャパンのテーマは「入れもの」でした。
いつもにも増して、日本と外国との考え方の違いを思い知らされましたね。

日本人にとっては、当たり前で良しとすることが、
外国人にとっては、必ずしもそうではなく、むしろ否定的…

たとえば、コンビニやスーパーなどで売られている「おにぎり」の包みも、
面倒とか上手く出来ないとか…

食品、菓子、詰替用の洗剤などや、調味料入れなどの工夫を凝らした
便利で機能的な入れものも、
「コストがかかるだけで無駄」「まるで子供扱いだ」と不評でした。
やりすぎ、と思えるものもありますね…

お菓子の個包装も、「面倒」「ゴミが増える」「環境に優しくない」と…
確かに一理ありますが…

40年前に登場した「プッチンプリン」に至っては、
「プリンはプリン」「カラメルソースが上でも下でも味は同じ」
「たかがプリンに騒ぎすぎ」「皿が汚れる」の意見もありました。
女性たちでしたが…
創意工夫、試行錯誤、切磋琢磨…みんな日本的なんでしょうね。

私が一番驚いたのは、「ガムを紙に包んで捨てるのは、日本人だけ」
ということでした。
信じられない…

布団や洋服の圧縮袋も、
狭い日本の住宅だからこそ意味があるとの意見もありました。
そうかもね…

最後に紹介されたは「輪島塗の重箱」でしたが、
伝統的な漆器の重箱にさえ、
「入れものに質や美しさは必要ない。たくさん入ることが重要」
と言った女性がいました。
確かアルゼンチンの人だったと思います。
この意見には、さすがの外国人たちも同意しませんでしたが…。

「機能的な入れもの」「おにぎり」「圧縮袋」「プリンの容器」「重箱」
の中での選ばれた、ベスト・オブ・クールは「圧縮袋」でした。

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秋寂ぶ

今日は朝から雨…

先週から、頼まれもののベストを編んでいて、
何度編んでも納得出来ず、「編んではほどく」の繰り返し…
気分は憂うつ…
毛糸を持つ指先が冷たくて、暖房具が恋しくなりました。

只今の気温は16度…寒さが身に染みます。
毛布も、そろそろ出したくなりました…。

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「とれるねん」から「耳ねんボー」

竹製の耳かきを使っていた頃の私は、
傷付けてしまい、外耳炎になったことも何度かありました。

10年位前に知った、「とれるねん」という粘着式の耳かきのおかげで、
以後、耳鼻科のお世話になることも無くなりました。

乾燥耳の私にとっては、無くはならない「とれるねん」を、
いつも切らさないようにしていましたが、
最近、入手出来ない状態になって…
(ネット購入なら可能ですが、200本入りが欲しいのです。)

先週、「とれるねん」に似た「耳ねんボー」を見つけ購入しました。
今も「とれるねん」に未練はありますが、
これからは、「耳ねんボー」に頼るのでしょうね…。

20091116a 20091116b
「とれるねん」(20本×10)と「耳ねんボー」(20本×11)
いすれも、CO-OPの宅配で購入。

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『玉川上水情死行 太宰治の死につきそった女』

20091115
『玉川上水情死行 太宰治の死につきそった女』 梶原悌子/著 作品社

長篠康一郎さんの『太宰治文学アルバム 女性篇』には、
他では見られないような写真が、たくさん掲載されていましたが、
中でも多かったのが、山崎富栄さんに関するものでした。

そこにあった写真の彼女は、それまで抱いていたイメージとは違って、
柔和で優しそうで、生き生きとしたとても綺麗な女性でした。

日本で最初の、美容学校創立者の令嬢で、
美容師としても洋裁師としても、技術センスともに群を抜いていて、
しかも英語が堪能で、ロシア語とフランス語も習っていて、
聖書と演劇の勉強もされていたそうです。

知性的で明るく前向き、誰にも気さくに接し、面倒見が良く優しい、
動作は機敏で、骨惜しみしないタイプだったとか…
彼女は、時代の先端を行くセレブのキャリアウーマンだったのです。

それなのに、なぜ、太宰を殺したとか、太宰を道連れにしたとか言われ、
悪女、魔女といったレッテルを貼られてしまったのか…

『玉川上水情死行~太宰治の死につきそった女~』(2002)
この本の存在を知った時、是非読みたいと思いました。

著者の梶原悌子さんは、山崎富栄さんより10歳年下で、
生前の彼女をよく知る著者が、文士たちの嘘を暴いてくれました。

美知子夫人が、毎日新聞社の取材に対し、
「山崎さんとの関係は、深いものとは思っていませんが、
今度の家出も、山崎さんから積極的に働きかけたものと思います」

と語ったことは、妻なのだから仕方ないし、当然とも思えますが…。
(実際、そう信じていたかどうかは分かりませんが~)

それにしても…
文士たちだけでなく、出版関係もこぞって、明らかに事実に反することを、
よくもこれだけ書けたものだと呆れ果ててしまいました。
被害者と言ってもいいくらいなのに…
まさに、「死人に口なし」です。

何のために?
理由の一つには、著作権を持つ美知子夫人への打算(配慮と言うより)
があったように思えますが…

田中英光は当然ですが、
太宰治が誰よりも信頼し敬愛していた豊島輿志雄のように、
「富栄さんは立派な女でした」と言って、
「太宰の死への旅立ちに最後まで付き添ってくてた」
(太宰の葬儀で)
とねぎらいを述べた人もいましたし、
捜索や検分に立ち会った野原一夫山岸外史などは他殺説を否定しました。

太宰にしても酷すぎます。
真実の愛は誰にあったのでしょう?
太田静子さんについては、利用したとしか思えませんでしたが、
他の女性に対しても、利用しただけじゃないの…?

太宰の飲食代、その他、
度々太田静子から送られてくる養育費の催促の手紙にも、
山崎富栄さんが工面し、彼女の蓄えは無くなってしまった…

「僕のために苦労することを、嬉しいと思ってくれよ」
「…ごめんね。あれ
(治子と名付けたこと)は間違いだったよ。
斜陽の子なんだから、陽子でもよかったんだね…」
「逢はない、誓ふ、ゲンマン、一生、逢はない」と誓い、
斜陽の子は愛のない子だともいい、
「これっぽちも
(と、小指の先を示して)愛情がないんだよ」と
美知子夫人を大変恐れていて、
「10年前に君と知り合っていれば良かった。」
「君と結婚する男は幸せだ」

などと言ったことは、本心からだったのでしょうか…?

↓文士たちの書いた嘘の一部。(抜粋)

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枕…(2)

昨夜は、熱め(44度)のお風呂に浸かりながら、
首や肩をゆっくり動かして凝りをほぐし、低い枕で休んだので、
今日はだいぶ楽になりました。

枕はどうしましょう…
中身を減らして、好みの高さにしましょう、
と、リッパーで、縫い目を解いてみたら、
軽~い中身が舞い出てしまって、それはもう、悲惨な状態…
中身がフェザーということは知っていました。

でも、でも…実際目にしてみると、かなりリアル…
みんなは平気なのかもしれないけれど、私は駄目でした。

20091114 ←写真でも不気味!

掛け布団は、昔から羽毛なのに、矛盾してますか?
捨てるしかないですね。

ピロケースも作ったのに…

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今朝からの、頭痛、肩こり、首筋の痛みで、何も出来ません。
私にとっては、頭痛も、肩こりも、ほとんど持病のようなものですが、
今日のは、いつもとは違う痛みなんです。

頭痛にしても、いつもは、「ズキズキ」「ガンガン」なのに、
まるで、打撲したように、触れただけで異常に痛いのです。

原因は、間違いなく、この枕…
20091113
…ほかに考えられないもの…

いつも低い枕しかしないのに、
昨夜に限って、この高い(厚い)枕をしたのがいけなかった…
寝た途端、悪い予感がしたんですよね…

いつものと取り替えれば良かったのに、
面倒で、横向きに寝たのですが、やっぱり駄目だったようです。

実はこれ、5年くらい前に、予定外で、買ってしまった枕なのです。
注文書の記入ミス(番号の書き間違い)という、情け無い間違いで…
しかも、二つも…

高いの、低いの、固いの、柔らかいの、
中身も、そば殻、パイプ、パンヤ、フェザー、ウレタン等々と、
枕の好みは様々。

健康のための枕も、専門家によって違います。
枕は無い方が良いとも聞きます。
畳んだバスタオルでいいとか…

そういえば、今夜の『美の壺』のテーマは「枕」…見なくては…

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こだわり人物伝…「松本清張 孤高の国民作家」(2)

知る楽、こだわり人物伝、「松本清張、孤高の国民作家」

第2回目は、『ゼロの焦点』を中心に、「因果応報の世界」と題して、
みうらじゅんさんがユニークな清張論を語ってくれました。

みうらじゅんさんが最初に読んだのは高校生の頃で、
当時は、リアリティーがなかったが、
既婚者となり守るものができて、初めて共感を覚えたそうです。

清張さんの小説に『因果応報」といった仏教的なものを感じ、
ミステリーというよりホラーで、
守らなければならないものを、守ろうとすることで、
様々な煩悩や葛藤から事件となり、最後には地獄に落ちていく。

それらは、後ろめたさを持つ男の普遍的なもので、
誰でも、地獄行きのボタンを押してしまう。

私も昔、たくさんの清張さんを読みましたが、
面白いと思いながらも、まったく共感出来なかったのも、
そんな理由からだったからかもしれません。

政財界の闇の部分、男の裏の顔、事件に巻き込まれていくヒロイン、
どれも、私とは別世界の出来事だったから…

だからかどうかは分かりませんが、
この『ゼロの焦点』の内容も、他の小説と同様、忘れてしまいました。

映画化、ドラマ化も数多くされているそうですが、
私は、NHKの『天城越え』しか見たことがありません。
(原作は読んでませんが)
あまり見たいような内容ではないから…。

「清張読んで 我が振り直せたら、、、」
「清張ボタン 押せば地獄が待っている」
「清張さん 自分なくして 神の目線」
…みうらじゅん

20091112
『ゼロの焦点』 松本清張/著 新潮文庫

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COOL JAPAN …秋(Autumn)

テーマは「秋」。

街行く人へのアンケートでは、
食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋の順でしたが、
外国人には今一つ理解できないご様…

外国人にとって秋は、新学期の季節であり、冬に備えての準備もあり、
あまり良いイメージはないそうで、
食欲、スポーツ、読書にしても、秋と繋がらないようです。

秋に本が売れることも、秋だけの食べ物が売られていることも、
「サンマまつり」に2時間待つことも、信じられないそうで、
中には「日本人はマーケティングに踊らされているのでは?」
との声もありました。

今まで、そんな風に考えたこともなかったですが、
そう言われてみれば、日本人は暗示に掛かりやすい国民かも…

外国では、季節の変化を、特別、意識しないようで、
意識し過ぎる日本人は風流だから、それともマーケティングに踊らされてるの?

日本には、虫の音のCDや、着メロもありますが、
外国人にとって「虫の音」は、騒音やノイズでしかなく、
日本人が「虫の音」を鑑賞する気持ちを、理解出来ないようなのです。

以前の放送では、否定的な意見ばかりでしたが、
今回は、「優しくてリラックスできる音」「癒される」と言った人もいました。

鴻上さんが「ホントに?…ホントに?」と疑ったように、
私も、空気を読んでいたようにも感じましたが…

でも、アルゼンチンでは、コオロギの音に限っては「静けさの象徴」とか。
ちょっと意外でした。

最後に紹介されたのは、青森県南津軽郡田舎舘村の「田んぼアート」。
お城(村役場)の天守閣からは、
「つがるロマン」と、紫稲、黄稲、紅染などの古代米を使った、
5色からなる見事なアートを眺められるようになっていて、
今年はのテーマは、「サムライ」と「ナポレオン」でした。

「田植え体験ツアー」や「稲刈り体験ツアー」では、
全国から多くの人が参加し、村の観光に一役買っているとのことです。

角度を計算してコンピューターで製作した原画に従って田植えする…
これも、いかにも日本人的のようで、
外国人には、そんな根気はないそうです。

今回の BEST OF COOL は、「食欲の秋」でした。

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「とても高貴な結婚式」

英語の作文が苦手なフェリックスは、ヘティから落第と、
ホテルの仕事を辞めるよう言い渡されます。

高貴なお方の結婚式が行われることになったホワイト・サンド・ホテルに、
経営者の母を名乗る老女が現れます。

その老女は、20年前に別れたピエールの母…
ピエールは、母と妹を喜ばせたくて、偽りの手紙を送っていたのでしたが
結婚式を行う侯爵家の子息の花嫁は、妹のアデルだったのです。

アレックから手厳しく意見されたヘティは、フェリックスの落第を取り消し、
高貴な結婚式のため、ピエールの嘘にも協力…

一方のポーランドのポレンスカ伯爵家も、名ばかりで、
帰りのボストン行き一等食事付き個室の切符も、公爵夫人の執事が、
曾祖父から受け継いだ18金の懐中時計と交換してもらって手に入れるほど…

7601 7602 7603 7604
7605 7606 7607 7608

今回も感動的なお話でした。
トレメインさんとピエールが、以前、パリのリッツで一緒に働いていたとは意外。

生徒にも不正にも容赦のないヘティが、
アレックにお説教されたことで豹変してしまうところが可笑しかったです。

相変わらずフェリックスに甘いジャネット…
幾つになっても、息子は赤ちゃんなんでしょうね。

ポレンスカ伯爵夫人役は、ハリウッド女優のフェイ・ダナウェイで、
執事イゴール役は、ジェイムズ・B・ダグラスという俳優さん。

ピエールの母マギー・マクフィー(モーリーン・スティブルドン)の吹き替えは、
大好きだった、今は亡き鈴木光枝さんでした。

<名言>
「でも、どうしてこんなもの書かなきゃいけないんだ!
もう大昔に死んだ人間についてなんて、何になるのさ!」(フェリックス)

「そういう姉さんの態度が、どれだけ人を傷付けるか分かってるのか!?
あんなによく働く子は、そうはいないし、周りの期待に応えようと、
あの子はあの子なりに精一杯やってるんだ。そりゃあ作文は苦手かもしれんさ。
だが、我慢強く教えてやるのが教師じゃないのか!?」(アレック)

「…たとえ伯爵夫人が何をおっしゃろうと、
天気の話をしていれば間違いないわ。」(ヘティ)

「ハ~嫌なものだわ~年取るって。前はどこまでだって歩けたのに…」
「私たちは似た者同士ってことかしら。
でも、お互いに、お金より、もっといいものを持っているでしょ?
…あの子たちよ」(ポレンスカ伯爵夫人)

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第76話「とても高貴な結婚式」
(What a Tangled Web We Weave)より

続きを読む "「とても高貴な結婚式」"

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ガーキンスのピクルス

これからの季節は、白菜漬けや、ゆず大根が美味しいですよね。

私は、漬け物では、キュウリの浅漬けが一番好きですね。
でも、キュウリのピクルスも好きなんです。

自分なりに色々挑戦してみても、
それなりの味にしかならないのですよね…
やっぱり、スパイスやハーブの割合が、私には難しくて…

10年くらい前だったかしら、
食料品店で、偶然ガーキンスのピクルスを見つけてからは、
いつも、こればかりをまとめ買いしているんです。

食卓に出す時は、勿論切りますが、
お行儀悪いけれど、本当は、ガリッと丸かじりする方が好き…

気に入っているのは、お味だけでなく、お値段もなんですよ…フフ…

20091109
ヘングステンベルグ ガーキンス(720ml)

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『私たちのエベレスト 女性初登頂の全記録』

この本も、『アンナプルナ 女の戦い7577m』と同じように、
女子登攀クラブの田部井淳子さんと、サーダーのアン・ツェリン氏が、
エベレス登頂に成功(1975年5月16日)された時の、記録の本です。

準備から報告会に至るまでの、約5年間の記録を一冊にまとめるため、
企画、執筆、写真、イラスト、編集その他を、
「エベレスト日本女子登山隊」の隊員15人全員と、
留守本部の女性1人が手がけました。

この本は、『アンナプルナ 女の戦い7577m』より、より記録性の高く、
でも、『アンナプルナ…』ほど露骨ではないにしろ、
隊員が書いただけあって、節度ある表現での生々しい本音が、
そこかしこに、ちりばめられていて、「やっぱりね!」が、無きにしも非ずでした。

そういう意味では、祝賀ムード一辺倒の読売新聞社の写真集
『エベレスト 女の栄光~隊長さん、いま頂上です』とは大違いでした。

隊員同士の戦いについては、
田部井淳子さんの著書の『エベレストママさん~山登り半世紀』や
『エプロンはずして夢の山』などや、
北村節子さんの著書の『ピッケルと口紅』にも、書かれてあったので、
知ってはいましたが、当然ですよ、エベレストなのですから…
34年以上も昔のことですが、大和撫子たちは頑張りました。

20091108
『私たちのエベレスト 女性初登頂の全記録』
日本女子登山隊/著 読売新聞社

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さくらご飯(さくら飯)…(2)

私、気になることは、調べずにはいられないのですよね…

「さくらご飯」にしても、自分の好みの味付けでいいのに、なんか釈然としなくて…
それで、図書館から、『聞き書 静岡の食事』という本を借りてきてしまいました。

この本の出版は、1986年ですが、
取材した人達が、主に、大正生まれなので、
分量書きなどは無く、稀にある場合でも、尺貫法でした。

昔の食卓には、山の幸、海の幸といった素朴な材料から作られた料理が並び、
ほぼ完璧な、地産地消だったようなのです。

でも残念なことに、自然と共に生きていた時代の日本の料理は、
ほとんどが忘れ去られ、私でさえ、知らないものばかりでした。

この本では、「さくらご飯」は、「さくら飯」として紹介されていて、
“刈り上げの時などの行事食で、
醤油の香りとご飯の香りが合わさって大変おいしい。
おかずは、あれこれつけず、野菜の漬け物くらいの方が良い”

とありました。
栄養的には、どうなんでしょうね…まあ、昔のことですから。

料理法は、
米 1升(10合)に、
醤油(濃口) 4,5勺(81cc)、酒 5~7勺(90cc~126cc)を加え、
普通に炊く。生姜をすって少し入れることもある。」でした。
1勺は、1合の10の1(18cc)です)
は普通に使っていても、は、ピンときませんよね。

米 1合では、醤油 8,1cc酒 9cc~12,6cc になりますから、
やっぱり、大さじ1杯では、多過ぎるわけです。
(計量スプーンの大さじ1杯は15cc

…茶色の「さくらご飯」だなんてイヤだわ…

20091107
『日本の食生活全集 22』「聞き書 静岡の食事」
編集/「日本の食生活全集 静岡」編集委員会 代表/大石貞男
発行/農山漁村文化協会

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手編みのマフラー

寒くなると、編み物が無性に恋しくなって、
毛糸屋さんに行くより、引き出しから古い毛糸玉を探してしまいます。
セーター、ベスト、マフラー、靴下、五本指の手袋…
でも、いつも、かぎ針ではなくて、棒針で編んでいます。

今まで何枚のマフラーを編んだのか数えたこともないですが、
ほとんどが一目ゴム編みだったような気がします。

今回も、また、一目ゴム編みで編んでしまいました。
実はこの毛糸は、35年位前に買ったもので、
当時、今の私より若かった母から「私でも地味過ぎる…」と言われましたが、
若い時は、どんな色でも地味には思えなくても、
この歳になってみると、あの時の母の言葉が分かります。
一年中、モノトーンとネイビーしか身に付けない私でも、です。

この糸、最初はカーディガンを編み、次に、タートルネックセーター、
その次はVネックセーター、というふうに、何度も編み直してきました。

私が貧乏性ということもありますが、
着たいというより、ただ編みたいから…
ターシャ・テューダーさんと同じく、編んでいる時が好きなんです。

20091106毛糸:並太、約180g
編み針:6号輪針(又は、2本棒針)
サイズ(約):18cm×135cm
ゲージ(10cm):28目、20段
<編み方>
一目ゴム編み作り目(又は、一般的な作り目)で、
好みの幅の作り目(奇数)をして、
一目ゴム編みで、好みの長さに編んだら、
一目ゴム編み止め(又は、伏せ止め)をして出来上がり。
(2~3日で編めます)

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こだわり人物伝…「松本清張 孤高の国民作家」

「知る楽」の水曜日は「こだわり人物伝」、
11月は「松本清張、孤高の国民作家」
1回目は、「『点と線』~ミステリーの新たな潮流」と題し、
語り手は、阿刀田高さんでした。

(「こだわり人物伝」のHPには、
同士、ファン、後読者(?)が熱く語るマニアックな人物評伝
とありましたが、確かに…!)

太宰治が、今年、生誕100年なら、松本清張も生誕100年だったのですね。
お二人が同年齢だったとは、何だか意外な気がします。

一人は、私が生まれる前に亡くなっていて、
一人は、つい最近まで(私の感覚では)執筆活動をしていたイメージだから…

清張さんの小説は、30年くらい昔に夢中になって読みました。
読んでいた新潮文庫は20冊以上で、今もあります。
もちろん『点と線』も。

でも、面白くて、あんなに読んだのに、ほとんど覚えていないのです。
『点と線』にしても、時刻表を使ったトリック以外、内容の記憶がないのです。

清張さんの小説の僅かな記憶では、
描く犯人というのは、心底悪人ではなく、不条理な社会の中で、
止むに止まれず結果的に殺人を犯してしまう、という悲しい人が多かった。
政界などの裏側を暴いていたのも特徴でした。
それらが「社会派と」言われた所以かも。

『天城越え』は、小説より、昔(30年位前)、NHKで放送したドラマの方が、
鮮明に覚えています。

大谷直子さん、鶴見辰吾さん、宇野重吉さん、佐藤慶さんなどが出演されていて、
友達と何度も歩いた、天城トンネルや天城の山々で撮影されていたので、
物語そっちのけで、景色だけを観ていました。
何度か再放送もあったような…

“清張さんは、『伊豆の踊子』を意識して『天城越え』を書いたのでは…?”
旧制高校に通えるのは恵まれた境遇であり、
旅芸人に対しても上から目線…少なくとも『天城越え』は同等ですから。

阿刀田高さんも、『伊豆の踊子』との違いを語っていましたが、
私も同じようなことを感じていました。

20091105
『点と線』 松本清張/著 新潮文庫

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『アンナプルナ 女の戦い7577m』

『アンナプルナ 女の戦い7577m』は、
1970年5月19日、田部井淳子、平川宏子の両隊員と2名のシェルパが、
アンナプルナⅢ峰(7555m)に登頂成功した時の記録です。
(田部井さんのHP、その他では7555mですが、この本では7577mに…?)

この本は、記録、写真、イラスト、日記、家族友人に宛てた手紙、その他、
全てが隊員(女子登攀クラブ)によるものですが、中には、タイトル通り、
何もここまで書かなくても…と思えるほど赤裸々に綴られていました。

そもそも、なぜ「アンナプルナⅢ峰」だったかと言えば、
目標はエベレスト、でもその前に、「ヒマラヤの7000メートル級の山を」、
ということでした。

「三人寄れば山岳会」と言われたほど、当時、多くの山岳会があったそうですが、
どこの山岳会でも、厳冬期の登攀までやる女性は少なく、
体格、体力、筋力に劣る女性が男性の登山隊に参加しても、
決してアタッカーにはなれないわけで、
女性が登頂するには、女性だけの隊を組む必要があり、
そのため、寄り合い所帯と成らざるを得ないのです。

「女性だけでヒマラヤへ行きたい……」
1969年、その言葉だけで、8つの山岳会から16人が集まり、
その日から、し烈な女の戦いが繰り広げられることに…

度重なるミーティング、トレーニング山行、登山申請、隊長の選出、
隊員の決定、役割の決定、資金調達、先発隊の出発、装備等の調達、
個人負担金と休暇の捻出、梱包作業…
漠然としか想像できなかった、それらの苦労と言ったら…

女性だけの登山隊がヒマラヤを目指すということが、いかに大変で、
資金調達にしても、男性の登山隊とは違い、スポンサーが見つからない。
「女だてらに」「女は家庭を守れ」「女で成功するはずがない」などと言われ、
結果的に、個人負担金は増えていく…

そして、約1年後の1970年2月14日、
「アンナプルナ日本女子登山隊」のメンバー9人(内、ドクター1人)が決定。
(隊長・宮崎(後の久野)英子(36歳)、副隊長・田部井淳子(30歳))

本当の戦いはBCに着いてから…でもその相手は、氷壁ではなく人間…
登頂成功の陰には、凄まじいまでもの女たちの戦いがあって、
それは帰国後までも続いたのでした。

20091104
『アンナプルナ 女の戦い7577m』 女子登攀クラブ/著 東京新聞出版局

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アボンリーのDVD

最近、ファンの熱い要望に答え「アボンリーへの道」のDVD-BOXが
発売されたそうです。(そんなに最近でもないかも…)

私は、5年程前の再放送時に(深夜の)録画しDVDにしたので、
買うつもりはないですが、VHSと同じく第2シリーズまでで、
お値段の方も同じく、かなりお高いようです。

でも、お値段より何より、一番残念なのは、
毎回カットされていたことなんですよね。

『Road to Avonlea』はNHKが握っているのでしょうから、
ノーカット版(吹き替え版+字幕付き)を期待しても無理なのでしょう。

あの美しい景色と、心温まる会話を、ノーカットで観たい!
YouTubeでなら観られますが、7シリーズ91話すべてがある訳ではないし、
当然英語ですからね…

もし英語が出来るなら、迷わず、サリヴァンから買ってしまいますが…
英語の分かる皆様、DVDその他は、
「サリヴァン・エンターテンメント」「こちら」で買えますよ。

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『夏の北アルプス あぁ絶景!雲上のアドベンチャー』の再放送

先程、田部井淳子さんのブログにお邪魔したところ、
田部井さんは、現在、ブラジルの最高峰ネブリナに登山中のようですが、
9月に放送された、
『夏の北アルプス あぁ絶景!雲上のアドベンチャー』
の再放送のお知らせがありました。

明日、11月3日)の13:0514:18(73分間)
NHK総合テレビ全国放映)です。

まだご覧でないお方、お勧めですよ~

番組の記事はこちらです。

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「生涯の友」

脳卒中で倒れ、サスカトゥーンの息子の家で療養していたレイチェルは、
息子のロバートが止めるのを振り切るようにして、
プリンスエドワード島への列車に乗り込みますが、
途中で発作を起こし、ハリファックスの病院に収容されてしまいます。

おんなじ死ぬんなら、自分のうちで死にたいね
看護部と話している医者の言葉に、レイチェルは病院を抜け出し、
やっとの思いでローズコテージに辿り着きます。
でも、スノー先生の診断は厳しいものでした。

ヘティは、オリビア、ジャネット、ミュリエル(登場せず)の協力してもらい、
レイチェルの面倒を看ますが、あまりの子供扱いに、
口が利けないレイチェルは苛立ちます。
レイチェルの一番の理解者はデイビーでした。

ローズコテージで開かれた「夫人聖歌隊の集会」で、
ヴィーグル夫人の、
こんなことになっちゃ、それぐらい(甘いもの)しかないでしょうしね~
腰からどこから蝶つがいが緩んで、前と同じとはいかないそうよ。
何を言っても解らないそうよ。フンッ!
ヘティもとんだお荷物を背負い込んだものだわ。
ずっと面倒を見ていくつもりかしら。ハッ!
こういう人だもの
(頭の上でクルクル)大変よ~
に、レイチェルの怒りは爆発します。(相変わらず嫌味な人ですね。)

レイチェルの帰郷を知って駆け付けたピエールの優しさに、
レイチェルの顔にも笑みが戻りました。
息子たちが迎えに来ましたが、レイチェルにとっての家はアボンリーだけ…

7502 7503 7504 7505
7506 7507 7508 7509

とても感動的なお話でした。
でも、まだ完治してないのに、一人で長旅するだなんて無茶ですよ。

今回のヘティは立派!
教師、ホテルの仕事、双子の世話、そのうえ介護ですからね。
オリビアも、記者、缶詰工場の経営、育児と凄いです。

自由の利かない病人の寝室が2階というのも考えものですが、
体格の良いレイチェルを、ヘティと双子だけで2階に上げたとはすごい…

(余談ですが、2階にベッドルームは幾つあるのかしら?
デイビーとドーラの部屋は別でしょうし…
以前、セーラが帰郷した時には、部屋が無いからと言って、
ルイザはヘティのベッドで寝たのですよね。
あの時は、“オリビアが独身時代に使っていた部屋があるはずなのに”、
と思いましたが…)

デイビーはフェリックスの(その前はアンドルー)、
ドーラはセーラのお下がりのコートを着てました。
こういうのは微笑ましいですが、グリーンゲイブルズの地下にあったという
レイチェルのお気に入りのキルトは、色んな所で目にしますよ。

重箱の隅ですが、翻訳に疑問ありです。
発声練習の時ですが、「NO」は「ノー!」なのに、なぜ「HOME」は「うち」なの…?
ロウソクの火に、息を吹きかけて出た「フゥー」なのですから、
「ホーム」でいいと思いますが…。

今回も、アンシリーズでは考えられないレイチェルの展開に、
モンゴメリも苦笑していたでしょうね。

<名言>
「レイチェルは友達なのよ。子供の頃からずっと一緒だった。
見捨てることなんて出来ないわ。
そばについていて一緒に闘ってやらなきゃ、一生後悔するような気がするの。
…たとえ結果がどうなろうと…」
「レイチェルに何が一番か、それが本当に分かってるのは、レイチェルよ」
「あなたは一人じゃないんですからね」(以上ヘティ)

「そうよ、いつだってあたしたちがついているんだから」(オリビア)

「正直におっしゃってください。ミス・キングと一日うちに籠もっていたら
気詰まりで仕方ないでしょ?…そうだと思いました」(ピエール)

「あ~緊張してるのね。いい手があるわ。下着姿だと思って…」(ジャネット)

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第75話「生涯の友」
(Home Is Where the Hearts Is)より

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さくらご飯

先日のテレビ番組で「さくらご飯」を思い出しました。
子供の頃は、「すごく美味しい」と思いましたが、
今時の子供たちも、給食でのリクエストで一番だと聞いた時には、
とても意外に感じましたね。

というわけで、「さくらご飯」を作ってみました。
作り方は、醤油とお酒を加えて、普通に炊くだけですが、
調味料の割合が分からない…
検索してみたら、米1合に対し、醤油、酒が、各大さじ1…がほとんどでした。
(醤油、酒の分を水を減らします)

「これ、絶対濃いはず…」、と思いながらも、素直に従ってみましたが、
(いえ、お酒は少々余分に入れました)、やっぱり、かなり濃かったです。

炊飯器の蓋を開けた途端、お醤油の香りがして、
私の知っている「さくらご飯」とは程遠かったです。
学校給食のも、スタジオでタレントさんたちが食べていたのも、
もっと薄い色だったのに…

視覚的にも、「桜」ではなく「紅葉」…と言うよりは完全に「枯れ葉」か落ち葉」。
「枯れ葉ご飯」ではあまりに可哀想、せめて「もみじご飯」と呼びました。
紅葉は、もう少し先ですが、桜よりは合ってますよね…

次に作る時は、
お米一合に、しょうゆ大さじ1/2、お酒大さじ1にするつもり、
でも、いつになることやら…

写真を撮るのを忘れました。悪しからず…。

『日本の食生活全集 22』「聞き書 静岡の食事」による
「さくらご飯(さくら飯)」のレシピは、こちらに載せました。

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