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『ピッケルと口紅』~女たちの地球山旅~

『ピッケルと口紅』の著者である北村節子さんは、
1975年、田部井淳子さんが女性世界初の登頂に成功した
「エベレスト日本女子登山隊」の一員でした。

1971年の第1回合宿ミーティング会場に、
読売新聞社の記者の北村さんが、場違いな流行の恰好で颯爽と取材に現れ、
数日後に、田部井さん宅に電話して「隊員にしてください。」と懇願したとか。

北村さんは初心者ながら、エベレストではC2まで頑張り、
(学生時代に北アルプスでパトロールのアルバイトをしていた程度)
その後も、10歳年上の田部井さんを師と仰ぎ、今に至っているとのこと。

勤め人の北村さんは、田部井さんの山行すべてに同行出来なかったけれども、
エベレスト、シシャパンマ=ゴサインタン(中国)、マッキンリー、ビンソン山(南極)、
ウェルヘルム(パプアニューギニア)などの田部井さんとの登山の様子が、
面白可笑しく綴られていました。

でも、人って見た目じゃ分からないものですよね。
北村さんの現在は知りませんが、この本(1997年)に載っている写真の彼女は、
抜群のプロポーションで、色白で和服が似合いそうな美人なのです。

でも、分からないというのは、美しい外見と登山という意味ではなく、
美しい容貌と、書かれている文章のギャップということなのです。

職業柄、筆が立つのは当然ですが、ここまでも!と思える程、くだけた感じで、
自信が行間に滲み出ていて、私の好みから言えば少なからず外れていました。

ところで、エベレスト隊員(一部)のその後も書かれていたのですが、
私が気になったのは、
田部井さんと共にアタッカーに選ばれた渡辺百合子さんのことなのです。

酸素ボンベの不足から、アタッカーの人数を減らすことになった時、
田部井さんに譲った渡辺さんでしたが、
登頂成功後も、遠征後の反省会でも田部井さんを責め、気まずくなり、
長年の友人関係も壊れてしまったようでした。

長年の信頼が壊れ、誤解され恨みを買ってしまった田部井さんの苦悩、
結果的に一人だけ栄光の座についてしまった田部井さんは、
それとは引き替えに、重い十字架を背負ってしまったのかもしれません。

ねえ、どうしちゃったの」と聞いてみたい気がするが、それはもう誰にもできない。
彼女は1987年、亡くなっている。不幸な亡くなり方だった。
しかしあの隊の中で、毎年の命日、彼女の墓前に参っているのは今となっては
田部井だけではあるまいか。

“不幸な亡くなり方”って、どういう亡くなり方だったのでしょう…

20091023 『ピッケルと口紅』 北村節子/著 東京新聞出版局

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