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2009年10月

デニムのジャケットとスカート

先日、生地屋さんで、厚手の平織りゲニム地の切り売りを見つけました。
130cm×3mが、1000円という安さ…当然購入…
で、ジャケットとスカート(2枚)を作ってみました。

型紙は、5~6年前のスタイルブックに付いていた、実物大型紙を利用。
この型紙からは、アレンジして、もう何枚も作りました。
これこそ本当の、ワン・パターン、ですね。

印付けは、サインペンで付けてしまいました。
(生地がとても硬いので、「切りじつけ」は不向き、
チャコペーパー、チャコペン、洋裁用マーカーのどれも目立たなかったので、)
でも、うっかり油性ペンで…いずれは消えるでしょう…

胸ポケットはパッチポケットではなく、
袋布は切替のヨークに続けて裁ってあります。

本(モデルは古村比呂さんご夫妻)では、
ジップアップ(オープンファスナー)ですが、持ち出し分を加えてボタン開きに…

20091031c 20091031 20091031b
何度も水通しして、色を抜きました。

<材料>
生地(デニム)…130cm×3m
ミシン糸…30番シャッペ
ボタン…2cm×5個
(生地よりボタンの方が高い…でも昔作ったスーツから外したものです。)

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「さくらご飯」と「さくら棒」

昨夜、何気なくテレビを付けたたところ、
「さくらご飯」のことをやっていたから目が釘付け…
番組名を確認したら「秘密のケンミンSOHOW」というものでした。

静岡県は食文化だけでなく、
色んな面で、東部、伊豆、中部、西部に分かれていて、
それぞれの文化があり、この「さくらご飯」にしても、
出演されていた袴田吉彦さん(浜松市出身)の言われたように遠州地方のもので、
私が暮らしている中部では、知ってる人は少ないような気もします。

私にしても、子供の頃に法事の仕出し料理で食べたことがある程度ですから。
学校給食でも無かったような…?
(なぜ「さくら」というかは分かりませんが…)

番組では、「具のない炊き込みご飯」と紹介し、
入れるのは「醤油と酒を少し」と言ってましたが、醤油と酒は同割だと思います。
(いえ、酒の方が多いです)
米との割合は分かりませんが…

「米と醤油の味は偉大」というコメントにも少しばかり異議を…
「さくらご飯」の美味しさは、醤油と酒の風味だと思います。味というより…

「全国的には「茶飯」と言われている」という説明も少し違うのではないかしら。
「茶飯」には、一般的に塩や出しを加えますが、
「さくらご飯」はあくまで「醤油と酒」だけなのです。

ちなみに、私たちにとっての「茶飯」とは、
醤油、酒などで味付けした中に、「番茶やほうじ茶を入れたお茶」で炊くご飯で、
(又は布袋に入れた「ほうじ茶」や「番茶」を加えて炊く)、
おでんとセットにされることが多いです。

「さくら棒」は麩菓子のことで、麩菓子は昔からピンクのみ、
長~いものから、親指くらいの一口サイズまでありますが、
昔は「さくら棒」とは言わず、ただ「麩菓子」と呼ばれていました。

番組では、クリーム色や、淡い抹茶色の麩菓子も紹介されていましたが、
私が知る限りでは、昔は無かったですね。

『日本の食生活全集 22』「聞き書 静岡の食事」による
「さくらご飯(さくら飯)」のレシピは、こちらに載せました。

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「女(わたし)が愛した作家 太宰治」…(4)

水曜日の知る楽、
こだわり人物伝「女(わたし)が愛した作家 太宰治」の最終回は、
「自分に刃を向けた作家」で、語り手は 田口ランディさんでした。

これまでに、四人の女性作家が太宰治について語ったわけですが、
『秋風紀』『黄金風景』『人間失格』を取り上げた田口ランディさんが、
最も説得力がありました。
やはり一番年上だからでしょうか、とても共感しました。

太宰の小説の主人公は、彼の分身ではあっても彼自身ではないし、
エッセイ風であっても、あくまでフィクションの世界にも関わらず、
読者に彼自身と錯覚させてしまう書き方なのです。

自虐的な書き方をして弱い人間に思わせていても、
それは人間の弱さを書きたかったからで、
胸を病む身でありながら、あれだけ多くの作品を残したのですから、
実際は、強靱な精神の持ち主だったような気がします。

文化人と言われる人たちの裏(悪)の部分を攻撃せず、
あまりの悔しさに、夫人の前で泣いたことも…
刃を自分に向けていれば、心身共に追い詰められていっても当然でしょう。

「井伏さんは悪人です」…
最後に、せめて、これだけは言いたかったのかもしれません。

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COOL JAPAN …育児(Child Raising)

昨夜のテーマは「育児」。

まずは育児のための公園、で、紹介されたのは横浜の「こどもの国」…
100ヘクタールの広い園内には、自由に落書きできるスペースや、
動物とのふれあいコーナー、ボート遊びのできる湖などがあり、
外国人に好評でした。

また、街区公園(すべり台、ブランコ、砂場)、タイヤ公園の紹介も…
欧米に比べ、日本(東京)の公園の面積は桁違いに狭いけれど、
(土地が狭いから仕方ないですよ)、数は桁違いに多いそうなのです。

日本では昔から、子供は「よく学びよく遊べ(逆だった?)」と言われていて、
外国のように、子供も働き手という考え方は無かったから…例外はありますが。

タイヤ公園は特に好評で、こういう発想は外国にはないものらしいです。
外国に比べて日本の公園は清潔、でも自由に遊べる芝生は少ないとのご指摘も。

“日本の親は子供を叩く。いや叩かない。日本の親は過保護だ。”
人それぞれだと思いますが…

次に「子連れ出勤」の職場を紹介しましたが、託児所付きではなく、
抱っこしながら仕事しているのですから、日本も進みましたね。
とは言っても、授乳用の洋服の会社ですからね、特別な気もします。
今後、こういう職場が増えるか否かは疑問です。

最後は「パンツ型紙おむつ」。
今では世界中で売られているパンツ型紙おむつは、
日本の企業(ムーニー)が7年の歳月を掛けて、開発した製品だそうです。

赤ちゃんのため(?)、お母さん(お父さん)のため、
そして何より、企業の生き残りのため、日本の企業戦士は頑張ってくれました。

外国のおむつ事情が話題に上りましたが、
以前、TVで、股割れズボンを穿いた中国の赤ちゃんを見たことがありますが、
真冬の外出時でも、お尻丸出しなのかしら?
中国の人がいなかったことが残念…

「育児のための公園」「子連れ出勤」「パンツ型紙おむつ」から選ばれた、
BEST OF COOLは、「パンツ型紙おむつ」でした。

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『太宰治文学アルバム 女性篇』

『津島家の人びと』と一緒に借りてきた『太宰治文学アルバム-女性編』は、
太宰治研究家の長篠康一郎さんが著したものですが、
新潮社の『日本文学アルバム』の方は今も売られていますが、
こちらは図書館でも書庫保存でした。(B5サイズ)

構成は、「太宰治名作文学ガイド」と「太宰治を愛し支えた女性」で、
「文学ガイド」では、
『葉』『東京八景』『津軽』『美男子と煙草』『眉山』から、
作品に登場する場所や建物、ゆかりの人たちの写真などが多数掲載され、
各々には、作品からの抜粋と著者の解説が書かれていましたが、
やはり多かったのは『津軽』でした。

「5人の女性」では、『太宰治七里ヶ浜心中』『太宰治武蔵野心中』
『太宰治水上心中』の著者だけあって資料が豊富、
ご本人の写真だけでなく、親族や関係者、故郷の風景や建物など、
他では見ることができない貴重な写真も多かったです。

さすが「太宰文学研究会」を主催されていただけあって、
いずれも長篠さん御自身が足で調査されたという通説を覆す説が多く、
太宰に対する心酔ぶりがうかがえました。

でも、真実を追究する長篠さんたちを快く思わない一部の人達から弾圧され、
脅迫電話も頻繁にあったそうです。

20091027 『太宰治文学アルバム 女性篇』 長篠康一郎/著 広論社

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『津島家の人びと』…(2)

第三章の「斜陽」は、太宰の小説とは無関係で、
津島家だけでなく、津島家ゆかりの大地主たちの一族が
戦後の農地改革によって、没落していく様子が書かれていましたが、
まさに、「おごれる平家も久しからず」の感ありでした。

元々、支配階級というのは、
弱者からの非道な搾取を繰り返すことによって成立したわけで、
太宰はそんな不条理と自身の矛盾から苦悩し自殺未遂を起こしたのでしょう。

政治家というものは(政治家だけではないですが)、
自分が築き上げた地盤を、より近い人に継がせたいものらしく、
文治さんも、御多分に洩れずだったのですが、
一人息子の康一さんは、親の意向とは裏腹に、演劇の世界に進んだため、
太宰治の長女園子さんの夫の津島雄二さんが引き継ぎ、
津島雄二さん引退後は、雄二・園子夫妻の息子の淳さんが…でも落選…
(文治さんの娘婿の田澤吉郎さんも政界で活躍されました。)

子供のいなかった康一さんが2004年に73歳で病死されたことで、
津島家の直系は絶えたことになりましたが、
政界では、兄が家名と政治家としての保身のために除籍した弟の子孫によって、
引き継がれていくとは皮肉なものです。

私は、この本を読みながら、もう一つの一族を思い出していました。
それは、『火の山-山猿記』(津島佑子・著)の石原家(美知子夫人の実家)、
津島家は、学者の家系の石原家とは余りにも違う一族でした。

「おどさ、なんぼ偉い政治家でも、三十年、五十年と経てば、文治の名は消える。
が、太宰の名は残るな。」

『津島家の人びと』 朝日新聞青森支局/著 朝日ソノラマ

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『津島家の人びと』

先日、前から読みたいと思っていた『津島家の人びと』を借りましたが、
予想以上に面白くて、1日で読み終えました。

この本は、昭和55年9月より朝日新聞青森版に連載された
『津島家』を出版したもので、内容は、
第一章 地主貴族(津島家のルーツ)、
第二章 兄と弟(津島文治の時代)、
第三章 斜陽(津島家没落後)に別れていましたが、
第一章の津島修治(太宰治)から数えて10~12代も昔のことについては、
諸説あるようでもあり、正直、興味も湧きませんでしたが、
太宰の作品や美知子夫人の『回想の太宰治』などに登場していた人などが
(いしおばさ以降の人たち)現れた途端、熱が入ってしまったのも
仕方ないですよね。

ただ、「津島家の人たち」と言っても、想像していたものとは違っていて、
家長制度においての「人たち」とは、あくまで直系の嫡男についての意味なのか、
主に、歴代の当主について書かれてありました。

女性は当然のこと、次男以降の傍系は「人たち」ではないのか、
津島源右衛門亡き後は、大学卒業間もない若さで当主となった文治の話題
(特に政治家としての)に終始し、他の兄弟姉妹については申し訳程度…
英治、刑治、礼治や姉たちのことが知りたかった私としては残念でした。

太宰についても、兄と言うより、当主としての目線で書かれていました。
家長制度の犠牲者は、太宰たち兄弟姉妹だけでなく、
太宰より文が立ったと言われる文治さん自身も、
跡継ぎゆえに弟のような自由は無かったわけです。
~つづく~

20091025 『津島家の人びと』 朝日新聞青森支局/著 朝日ソノラマ

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『山なんて嫌いだった』

芸能界に疎い私は、市毛良枝さんが登山をされることを知らなかったから、
『ピッケルと口紅』の近くに『山なんて嫌いだった』があったことに驚きました。

子供の頃から小柄で病弱、一切の運動が嫌いで避けてきた市毛さんは、
(田部井さんもそうだったとか)
田舎も嫌いで、体育系の人も苦手だったという完全なインドア派だったそうです。

それが今から20年くらい前、献体を希望され亡くなったお父さんの解剖結果を、
元担当医に報告しにいった時、山好きの医師との雑談の中で、
「今度山登りされる時には、私も連れて行ってください」
(芸能界にありがちな社交辞令)
と言ってしまったことから、山の虜になってしまったそうなのです。

市毛さんは、登山を始めたことが切っ掛けで完全なアウトドア派となり、
一級船舶免許を取得し、スキューバーダイビング・ライセンス、
スイミング、カヤック、クロスカントリー、アブセーリング、クライミング、
語学留学、写真もやるようになり、また、環境問題にも関心を抱くようになって、
そちらの活動にも取り組んでいるようです。

山登りを始めたことで、多くの人たちと知り合うことができ、
ライススタイルが180度変わった訳ですから、
人との出会いとは素晴らしいものですね。

20091024 『山なんて嫌いだった』 市毛良枝/著 山と渓谷社

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『ピッケルと口紅』~女たちの地球山旅~

『ピッケルと口紅』の著者である北村節子さんは、
1975年、田部井淳子さんが女性世界初の登頂に成功した
「エベレスト日本女子登山隊」の一員でした。

1971年の第1回合宿ミーティング会場に、
読売新聞社の記者の北村さんが、場違いな流行の恰好で颯爽と取材に現れ、
数日後に、田部井さん宅に電話して「隊員にしてください。」と懇願したとか。

北村さんは初心者ながら、エベレストではC2まで頑張り、
(学生時代に北アルプスでパトロールのアルバイトをしていた程度)
その後も、10歳年上の田部井さんを師と仰ぎ、今に至っているとのこと。

勤め人の北村さんは、田部井さんの山行すべてに同行出来なかったけれども、
エベレスト、シシャパンマ=ゴサインタン(中国)、マッキンリー、ビンソン山(南極)、
ウェルヘルム(パプアニューギニア)などの田部井さんとの登山の様子が、
面白可笑しく綴られていました。

でも、人って見た目じゃ分からないものですよね。
北村さんの現在は知りませんが、この本(1997年)に載っている写真の彼女は、
抜群のプロポーションで、色白で和服が似合いそうな美人なのです。

でも、分からないというのは、美しい外見と登山という意味ではなく、
美しい容貌と、書かれている文章のギャップということなのです。

職業柄、筆が立つのは当然ですが、ここまでも!と思える程、くだけた感じで、
自信が行間に滲み出ていて、私の好みから言えば少なからず外れていました。

ところで、エベレスト隊員(一部)のその後も書かれていたのですが、
私が気になったのは、
田部井さんと共にアタッカーに選ばれた渡辺百合子さんのことなのです。

酸素ボンベの不足から、アタッカーの人数を減らすことになった時、
田部井さんに譲った渡辺さんでしたが、
登頂成功後も、遠征後の反省会でも田部井さんを責め、気まずくなり、
長年の友人関係も壊れてしまったようでした。

長年の信頼が壊れ、誤解され恨みを買ってしまった田部井さんの苦悩、
結果的に一人だけ栄光の座についてしまった田部井さんは、
それとは引き替えに、重い十字架を背負ってしまったのかもしれません。

ねえ、どうしちゃったの」と聞いてみたい気がするが、それはもう誰にもできない。
彼女は1987年、亡くなっている。不幸な亡くなり方だった。
しかしあの隊の中で、毎年の命日、彼女の墓前に参っているのは今となっては
田部井だけではあるまいか。

“不幸な亡くなり方”って、どういう亡くなり方だったのでしょう…

20091023 『ピッケルと口紅』 北村節子/著 東京新聞出版局

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「女(わたし)が愛した作家 太宰治」…(3)

「女(わたし)が愛した作家 太宰治」の第3回目、
語り手の西加奈子さんが、
つっこみを入れたくなるような太宰作品の滑稽さを語ってくれました。
題して、「おもろい作家」。

作品を読んだことがないにも関わらず、毛嫌いする人もいますが、
太宰治ほどイメージ先行で誤解されやすい作家はいないような気がします。

西さんが仰ったように、今の時代に生きていたら、
お笑い芸人になっていたかどうかは分かりませんが、
ユーモラスな作品も多いですよね。

取り上げられた『皮膚と心』も、笑えると言うよりは、
新婚夫婦の微笑ましさに、思わず口角が上がってしまう感じなのです。

私は『皮膚と心』を読んだ時、「私=美知子夫人」に思えてなりませんでした。
お笑い芸人さんたちは、プライベートなエピソードに尾ヒレを付けてネタにする、
と、聞いたことがありますが、
太宰も日常生活からインスピレーションを得ていたはず…

実際に、このような出来事があったかどうかは別として、
『家庭の幸福』や『十二月八日』のモデルが美知子さんだったように、
『皮膚と心』のモデルも、太宰夫妻と思っていました。勝手に。
この「私」、今は絶滅してしまった大和撫子そのものです。

『畜犬談』は読んだことが無かったのですが、
犬は嫌いではないけれど、生まれてから一度も飼ったことがないので、
怖いと感じ苦手な私には、「そうそう、そうなのよね~」でした。
読んでみたい…いえ、すぐ読みます。
青空文庫という、強~い味方がありますから…

『富嶽百景』の井伏鱒二の放屁のくだりと後日談は、確かに可笑しいです。
中さんは創作としていましたし、私もそうだろうと思っていす。
でも、どちらの作品も、どの部分が創作か否かを知っているのは当事者だけ、
今となっては、確かめる術はないのですよね。

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COOL JAPAN …ニッポンのクール ベスト20

2006年4月にスタートした「COOL JAPAN」も、今回が放送100回目、
100回を記念して、「外国人が選ぶニッポンのクール ベスト20」を放送。

HPには、出演した外国人は150人以上、
取りあげたジャパニーズ・クールは400以上に及ぶ。
出演した外国人すべてにアンケートを実施…とありましたが、本当?

その結果は…
1位 洗浄機付便座
2位 お花見
3位 100円ショップ
4位 花火
5位 食品サンプル
6位 おにぎり
7位 カプセルホテル
8位 盆踊り
9位 紅葉狩り
10位 新幹線
11位 居酒屋
12位 富士登山
13位 大阪人の気質
14位 スーパー銭湯
15位 自動販売機
16位 立体駐車場
17位 ICカード乗車券
18位 ニッカボッカ(とび職の)
19位 神前結婚式
20位 マンガ喫茶

「おにぎり」「カプセルホテル」「スーパー銭湯」「ニッカボッカ」は意外でした。
「居酒屋」と「食品サンプル」は、今やニューヨークにもあるそうです。

逆に、外国では絶対受け入れられないものは「職場体操」、
そりゃあそうでしょうよ。

番組開始時のナレーションでは、「来日1年未満の外国人の皆さん」でしたが、
慣れてしまって、もう、ほとんどタレントさんみたいです。

「来日当初は日本が嫌いだった。すべてが時間通りで、暗いニュースばかり…
でも番組に参加したおかげで、日本が理解でき、好きになった」
と語ったブラジル出身の女性がいました。
嬉しいですね。

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「お父さんの結婚」

クライブ・ペティボーンがミュリエル・ステーシーに求婚…
自分が父とミュリエルを引き合わせたのに、イジーの気持ちは複雑でした。

ミュリエルのことは好きだけど、
お父さんとの二人だけ暮らしを誰にも邪魔されたくない。
「あたしの気持ちなんてどうだっていいんでしょ!」

イジーはミュリエルに冷たく当たり、両親の結婚式の写真を見せて
「私はまだ小さかったけど、お母さんのことは憶えてる。
よく髪をとかしてくれて…お母さんの手はバラの香りがした…」と話す…

フェリックスから父の教育長昇進の話を聞いたイジーは、さらに傷付きます。
教育長になれば、家を空けることが多くなる…
「あたしをステーシーさんに押し付けるつもりなんでしょ!」

娘を悲しませたくないクライブは、結婚を諦め、昇進の話も断ろうとします。
兄のアーサーは、
「お父さんはおまえを誰よりも愛してる。
結婚を諦めるのも、おまえを悲しませたくないんだ。お父さんは変わらないよ。
だけど、おまえは大人になったら、いずれは家を出て行くだろう…」
と諭します。 

イジー  「じゃあ許してくれるんですね。あたしを…」
ミュリエル「イジー分かってるでしょうけど、これは簡単なことじゃないのよ。
       ただ、あたしとお父さんが結婚するだけじゃなくて、
       みんなで家族としてやっていくんだから…」
イジー  「ごめんなさい。迷惑掛けて。」
ミュリエル「まあ~、いいのよイジー…戸惑うのは当然だもの。
       …あたしはお母さんの代わりにはなれないわ。なるつもりもないの。
       ただ友達になってくれないかしら?」
イジー  「ずっと、そうだったでしょ?」
ミュリエル「そうね、だったら、そこから始めましょうよ」
イジー  「友達からね」

7401 7402 7403 7404
7405 7406 7407 7408

父親の再婚話に苦悩する少女…
乙女心が理解できるだけに結婚を迷う再婚相手…
娘を思って再婚も昇進も諦めようとする父…
妹を心配する離れて暮らす兄…
いつの時代も、何処の国も同じですね。

相変わらずのヘティの張り切りぶりに、オリビアの時を思い出しました。
結果的には、ヘティたちオバサンパワーは発揮できませんでしたが…

<名言集>
「お母さんができるわけじゃないわ。
お父さんが、ただ結婚するってだけよ」(イジー)

「フェリシティも、一週間部屋に閉じこもって何にも食べなかったり…
ええ~、女の子は手に負えないわよね。
特に、もう子供でもなければ、まだ大人でもないって歳になると…」(ジャネット)

「人の妻になるっていうことと、母親になることは別なのよ」(ミュリエル)

「…要は、あの子に、あなたの気持ちが伝われば…
困った時にあなたがいてくれて、自分を愛してくれるって分かれば、
心を開くんじゃないかしら…いずれはね」(ヘティ)

「誰だって変わるよ。
だから人生は面白いんだ。次にどうなるか分からないから。
…人は変わるって言ったって、そんな中身までは変わらないよ。
…心から謝れば大抵通じるもんだよ。愛してくれる人は特に…」(フェリックス)

「あたしも最初は恐かった…どうなるか分からなくて…
でも、お互いを思う気持ちは変わらない…生活が変わっても…
そう思ったら、何だか楽しみでしょ?…違う?」(イジー)

デイビーのエピソードは省略しました。

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第74話「お父さんの結婚」
(The More Things Change)より

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図書館で借りたCD

暑くもなく、寒くもなく、一年で一番過ごし易く、本当に「爽やかな季節」です。
(「爽やか」は秋の季語ですね。)

「家にいたら勿体ない、どこかに出掛けたいな~」と思いながらも、
読書三昧の毎日です。
とは言っても、専ら図書館から借りてきたエッセー集ばかり…

図書館で本を借りる時は、大抵、ついでにCDも借りてくるのです。
もちろん、コピーするために…

何処でも同じシステムとは思いますが、私が利用している市立図書館も、
DVDやCDコーナーの棚にはケースだけが並んでいて、
お目当てのケースをカウンターに持って行くと、係員が、
ケースに記されている9桁の資料コードと同じ番号のCDを渡してくれます。

ところが先日、いつも通り、本とCDを借りて来たまでは良かったのですが、
夜になってから、一枚のCDが「ケースと中身が別」ということに気付いたのでした。
番号を見比べてみると、数字の違いは、下一桁の6と9だけ…

電話を入れて、翌日図書館へ。
最寄りの図書館だったなら徒歩でも行けるのに、
選りに選って、そこは利用している中では2番目に遠い場所…

「あの~、番号だけでなく、タイトルも確認した方がいいと思いますが…」
と、心で呟きながら交換してきました。

違っていた中身は、「ゲリー・カー」の小品集、
ちゃっかり、コピーしてしまったことは言うまでもありません。

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「キツネの人工飼育」

キツネの毛皮が高く売れると知ったフェリックスは、
森のキツネを捕まえて、人工飼育することを思い付きます。

イジーに協力してもらって小屋作りを始めますが、失敗の連続…
飼育小屋を借りるための融資を受けようと銀行に行くと、
「21歳以上の大人の保証人がいなければ、貸せない」と言われてしまいます。

フェリックスはイジーに無断で、雑貨店で働く21歳のナット・レスターを
パートナーにして銀行の融資を受けますが、
ナットは、借りたお金で身形を整え、馬車を借り、
面倒な仕事をフェリックスに押し付けただけでなく、
「社長」の名刺まで作ってしまいました…

7302 7303 7304 7305
7306 7307 7308 7309

今回は、キング夫妻とヘティが登場していない代わりに、
トラブルメーカーのフェリックスのお目付役は、姉のフェリシティでした。

でも、ハリファックスの医科大学に行っているはずのフェリシティが
ミュリエルの雑貨店で普通に働いてたのはなぜ…?

相変わらずのフェリックスに対し、イジーは賢いですね。
やっぱり、男の子の方が子供なのかしら?

いつも姉弟喧嘩ばかりしているのに、
いざとなれば弟を庇い、力になってあげるフェリシティ
「やってみなければ分からないわ。フェリックスにも夢を見させてあげたら。」
というオリビア叔母さん
ベッキーが欲しがっているスケート靴のブレードを、
「お袋には内緒で、兄ちゃんが買ってやるから」と約束するナット
貧乏から抜け出すために一攫千金を狙うナットを理解するケーン氏
兄の借金を返そうと、手作りの刺繍入りナフキンをケーン氏に見せるベッキー
そのナフキンとブレードを取引してやるケーン氏
裏切られたにも関わらず、フェリックスに手を差し伸べるイジー
…みんな優しい人たちです。

あんなに着ていたのに返品出来るのとは…
ミュリエルの雑貨店は古着も扱ってるのでしょうね…?

<名言集>
「出来ない約束はしないことだね。」(イライザおばさん)

「経験を積んみ大人になるのです。
…リスクを恐れていては事業は興せません。」(銀行家ケーン)

「イライザおばさんが言ってたわ。『親友とは仕事をするな』って。」(フェリシティ)

「フェリックス、今度すごいアイデア見付けたら、オレには教えるな。」(ナット)

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第73話「キツネの人工飼育」
(A Fox Tale)より

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『いつでも山を 』~田部井淳子の実践エイジング登山~

今回借りた中では、一番新しい本(2008/11)で、中高年の登山者のために、
また、これから登山を始めようとしている人へのアドバイスが満載…
文章も、他の著書に比べて丁寧で優しいです。

日常のウォーミングアップの仕方についても述べられていましたが、
たとえば寝覚めた時の布団の中、、階段の上り下りや、
買い物途中や、家事をしながら行うトレーニング法などは、
山登りには縁がない人にも、参考になると思います。
ほの他にも、疲れた時や気分が悪くなった時のマッサージの仕方もありました。
(田部井さんお勧めの行動食のレシピも…)

田部井さんのエッセイ集には、いつもご家族のことが書かれていますが、
この本にも、かつての子育ての苦労が綴られていました。

一時期、非行に走った息子さんを隠そうとしなかったことには、
「だって、隠しようがないでしょ。ポケットにも入らないし…」
と言っていたそうです。

山で出会う(中高年の)男性についての評価は手厳しく、
「オレは会社の部長だった」とか、「何億ものお金を動かしたことがある」とか、
過去の自慢話をしたがるのは男性なのだそうです。

「モテる男になろう」…これは、山でモテるという意味なのですが、
読んでいて笑ってしまいました。
田部井さんが考える、ダメ男「山で嫌われる男の条件」とは、
1 素直じゃない
2 謙虚じゃない
3 自慢話をする
4 すぐ文句を言う
5 感謝しない
6 みんなの前で小便をする
7 人前で入れ歯の出し入れをする
というものでした。でも、これ、山に限りませんよね。
それに男性だけでもないですよ。6番以外は…

ところで、田部井さんのブログを覗き見したら
(「趣味人倶楽部」の田部井淳子さんの日記)
NHK「悠々倶楽部」で、富士山八合目まで登った日というのは、
23日間の北アルプス縦走から帰った翌日だったそうです。
畏るべき健脚!!…(拍手)
私なら、日帰りハイクでも、3日位は寝込みそうなのに…
ちょっとオーバーかな。

20091017
『いつでも山を』 田部井淳子/著  小学館

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『エヴェレストの女たち』

エヴェレスト(標高8844メートル・中国語チョモランマ)に初登頂したのは、
ニュージーランドのエドモンド・ヒラリー(1919/7/20~ 2008/1/11)と、
シェルパのテンジンで、1953年5月29日のことでしたが、
女性では、1975年5月16日に登頂成功した田部井淳子さんでした。

『エヴェレストの女たち』は、エヴェレストに登頂した女性たちの記録です。
現在までに何人の女性が登頂したかは分かりませんが、
この本のデータでは42人(1997年時点)でした。

日本人女性では、田部井さんと、37人目の難波康子さん(1996年)ですが、
難波さんは登頂後、サウス・コルで力尽き、不帰の人となったのでした。

1995年に東京で開催された第1回「エヴェレスト・ウィメンズ・サミット」
の準備期間に行われたエヴェレスト女性登頂者へのアンケートが、
興味深かったです。

1995年当時の女性登頂者は31人(生存者27人)の中で、
住所が確認できアンケートを送付した24人のうち、回答があったのは22人、
質問項目の69問を整理・統合した37問の回答が載っていました。

「動機、期待したことは?」「一番気がかりだったことは?」
「登頂後、社会的地位は変わったか?」
などの質問の答えに、それぞれのお国事情が見えて面白かったです。

20091016
『エヴェレストの女たち』  田部井淳子/編  山と渓谷社
<目次>
まえがき
本書を読む前に
第一章 一九九六年五月
第二章 一九七五年五月
第三章 エヴェレスト女性サミット一九九五
第四章 最高峰を踏みしめた女たち
第五章 ネパール・ヒマラヤに挑んだ女たち
第六章 エヴェレスト女性登頂者へのアンケート
第七章 女性による高峰登山の進展
あとがき
付録 八千メートル峰の女性登頂者一覧

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「女(わたし)が愛した作家 太宰治」…(2)

知る楽、水曜日の「こだわり人物伝」、
「女(わたし)が愛した作家 太宰治」の2回目は、
辛酸なめ子さんの「モテる作家」でした。

太宰治のコスプレ姿の辛酸なめ子さんが、
三鷹、玉川上水、太宰治文学サロンなどの太宰ゆかりの地を辿りながら、
写真をもとに、いかに太宰が時代を超えて女性にモテ続けているか、
また、『東京八景』『姥捨』『女人訓戒』『女生徒』『チャンス』の一文を引用しながら、
彼の女性観や、女性にウンザリ(モテる男性にありがちな)していたかも分析。

太宰の写真は笑っているものが無く、目線外しやポージングに特徴があると…
そうかしら?笑っている写真も少なくないですよね。

確かに彼は、自意識過剰で、自分が大好きな人とは思いますが、
たとえば、高校生のアゴに手を当てている写真にしても、
尊敬する芥川龍之介のポーズを、真似していただけであって、
その年頃の少年には有り勝ちなこと、むしろ無邪気にさえ感じます。

一人だけ目線を外していたのも、たまたまかも知れないし…
(昔の)作家の学生時代の集合写真などには、
反骨を表すために完全に横向き、と言うのもよくありますよ。

書体(筆跡)が違うことも、必ずしも、編集者に媚びていたとか、
弟子への上から目線などとは思えません…
誰だって、常に同じ筆跡に書くとは限りませんから。

没後60年以上も経ってなお、太宰が読まれ続けているのは、
彼が文士の中では二枚目だからではなく、
やはり彼の作品そのものが、時代を超えて理解できるからだと思います。

特に女性に受けているのも、男性作家とは思えない程、
女性の気持ちが書けた作家だったからではないのでしょうか。

人それぞれだから仕方ないにしても、反論ばかりして御免なさいね。

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『山を楽しむ』

『山を楽しむ』は「山でのエピソードを綴ったエッセー集ですが、
その中の「24年ぶりのエヴェレスト」は興味深かったです。

あらましは、
「…1975年当時、ネパールへの直行便はなったが、
今(1995年当時)は、関西空港から、週2回の直行便がある。

空港でのシステムもハイテク化され、
かつてと違い、カトマンズの道には牛はいないし、裸足の子供たちの姿もない。
ホテルは豪華で、ファックスが届き、電話も直通する。

人力車は自動車に変わり、そのため、排気ガスにより、
白いヒマラヤの山々が見られる日が少なくなってしまった。

当時は、マトマンズから、エヴェレストのベースキャンプまでの約370キロを、
約70キロのラムザンクまでは車で、その先は、15トンの荷を600人のポーターに
運んでもらい一月半かけて歩いた。

今(1995年)は、ルクラまで飛行機が入り、
クムジュン村かシャンボチェ村まではヘリコプターをチャーターし、
そこからベースキャンプまでは歩いて6~7日で行ける。
然し、驚くことには、チベット側からだと、ベースキャンプまで車で入れるのだ。

シェルパ族のナムチョ村もかつては素朴な村だったが、
今は電気も水道も電話もあり、ディスコやビリヤード場の看板も。

木造だった家屋は白い石造りの立派なロッジに変わり、
出窓には赤いゼラニウムが置かれていて、まるでチロルのよう…」

登山隊も、遠征隊ではなく公募隊(商業隊)とか。
この時点から10年後である現在は、どう変わったのでしょうか?

20091014
『山を楽しむ』  田部井淳子/著  岩波書店

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『山からの贈り物』

『山からの贈り物』は、比較的最近に出版された田部井淳子さんの著書で、
新聞や雑誌に掲載されたエッセイがまとめられています。

どれも簡潔な文章で書かれていて、
とても気楽に読める山の随筆ばかりです。

季節ごとの日本の山々、世界の山々、高い山から低い山、
田部井さんが登られた山の紹介から、定宿の紹介、
山での食事や、田部井さんの取っておき行動食、
山が縁で知り合った人々とのエピソードなどを読んでいると、
まるでその場にいるかのように、清々しい気分に浸れるから不思議です。
これも疑似体験なのでしょうね?

巻末の「2007年のあしあと」には、国内外の登山記録が記されていましたが、
その数の多さに、驚かされました。

田部井さんという人は、登山や執筆活動、講演などの忙しい身なのに、
40代の時には、凍傷で傷めた足の指を押して青梅マラソンに初挑戦し、
30キロを完走されたと言うし、
50代では、運転免許を取得し、54歳でスキーもマスターし、
カナヅチを克服するため水泳にも挑戦中とか…

そのうえ2000年に、九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程修了…
とにかく、60代で7,000メートル級の登山をされているのですから、
「すごい!」としか言いようがないです。

20091013
『山からの贈り物』  田部井淳子/著  角川学芸出版社

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「死刑囚 永山則夫 ~獄中28年間の対話~」

ETV特集「死刑囚 永山則夫 ~獄中28年間の対話~」を見ました。
40年前に起こった連続射殺事件は、
社会を震撼させたニュースとして記憶しています。

逮捕時だから当然ですが、
うつむき加減で暗い雰囲気の人として認識していましたが、
明るくて元気そうな画面に映った写真に、
当時の面影を見出すことは出来ませんでした。

今も保管されている遺品の中に、肉声テープや獄中で読んでいた書物、
多くの人との往復書簡がありましたが、その多さに驚きました。

それだけ、二畳ほどの独房での年月が長かったわけですが…。
書物は、残されているだけでも数千冊、
700人以上の人との往復書簡が15,000通、なぜ往復書簡かと言えば、
彼は手紙の返事を、全て複写して書いていたからなのです。

それにしても、義務教育も、まともに出ていないために、
漢字も読めなかったのに、独房で勉強した結果、
思想、哲学、ドストエフスキーなどの文学など難しい書物を理解し、
あのような手紙を書き、『無知の涙』の他にも沢山の著書を残していたのですから、
もし違った環境で育っていたら、どんな人生を送ったのだろうか?
と思わずにはいられませんでした。
(片仮名しか書けない母親の文章力にも驚きました。)

どちらかと言えば死刑廃止に賛成ではありますが、
たとえ劣悪な生い立ちであっても、また犯行当時未成年であっても、
死刑制度がある以上、
行きずりの人を4人も射殺してしまったのですから死刑は当然なのでしょう。

それでも、彼の生い立ちや、獄中結婚した和美さんの話を聞けば聞くほど、
泣けてしまいました。
(和美さんも親から捨てられ、戸籍の無い人だったのです。)

自殺願望から起こした事件、獄中でも自殺未遂を繰り返し、
公判でも改悛の風を見せなかったのに、
初めて信じられる人間の和美さんとを知ってから、生きて罪を償う気持ちに変わり、
一度は無期懲役に減刑されたのに、再び死刑が確定してしまったのですから…

母親に恨みを抱いた気持ちは分かりますが、
ギャンブルに明け暮れた父親こそ、貧しさへの責任があるのに、
番組では、父親に対する彼の気持ちを知ることは出来ませんでした。

「ブルジョワジー、プロレタリアート」などの言葉を懐かしく感じたのも、
私が同世代だから…
若い頃、「あなたはブルジャワでしょ。どうせ私はプロレタリアートだから…」
などとよく言ったものでした。

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COOL JAPAN …しょうゆ(Soy Sauce)

今回のテーマは「しょうゆ」。

原料が大豆で、発酵させて造るとか、英語ではソイソースということぐらいは、
さすがに知っていましたが、日常、何気なく使っている醤油について、
詳しいことは何も知らなかったと気付かされました。

土地柄もあるでしょうが、いつも買っているのは普通の濃口か減塩で、
淡口や堪り、白といった醤油の名前は知っていても使ったことは無いし、
再仕込み醤油に至っては、名前さえ知りませんでした。

醤油を使ったスウィーツ、醤油フォンデュー、なども初耳で、
卵掛け御飯専用の醤油など、使用別の醤油の存在にしても、
企業の生き残りのために、創意工夫を凝らす日本人のことゆえ、
特別、驚くこともなかったですが、
逆に、170年の歴史を持つという醤油造りの映像には、かなり退きました。

「伝統的な醤油でなくてもいい、味はどうであれ、
工場で衛生的に作られた醤油の方が…」と思いました。
堕落してますよね。
「蔵付き酵母は外国人にもクールと映った…」というふうなナレーションでしたが、
私には、外国人の笑顔が引きつっていたように思えましたが…

パティシエの辻口博啓さんが作るロールケーキにも、 
ミュシュランガイドで有名なジョエル・ロブションの作るフレンチにも、
醤油は使われていましたが、
フレンチでは、意外にも、ルイ14世の晩餐会でも使われていたのだとか…

「フレンチ」「しょうゆ蔵」「しょうゆフォンデュ」「ロールケーキ」「多用なしょうゆ」
から選ばれたベスト・オブ・クールに選ばれたのは「フレンチ」でした。

次回10月20日(火)の放送は、(BS1 24日(土)深夜)
放送100回記念の「外国人150人が選ぶ COOL OF COOL」です。

ところで、クールジャパンには関係ありませんが、
ノーベル平和賞は、オバマ大統領に決まりましたね。
まだ就任して日も浅く、実績といえるものも見当たりませんし、
アフガンのことを思えば、少なからず意外に感じましたが、
功績への評価と言うよりは、今後への期待を込めてなのかも…
受賞を知った時、立場上、敵に塩を送ることは有り得ないのでしょうが、
せめて賞金は、貧しい人たちのために使って欲しいと思いました。
聞けば、慈善事業に寄付されるとか…それだけでも良かったです。

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海苔の佃煮

戸棚を片付けていたら、賞味期限の過ぎた焼き海苔が出てきました。
しかも、1把(10帖)も…
決して忘れていたわけではないのですが、
まさか2年も過ぎていたとは…自分のずぼらさに呆れてしまいました。

開けてみたら、湿気はそれ程でもなかったけれど、
少し変色していて、香りも微妙…
上等の頂き物なので、捨てるのも勿体ないと思い、佃煮にしてみました。

取り敢えず1帖だけ、残りは冷凍室に入れました。

20091010

<材料>(分量はお好みで)
板海苔…1帖(10枚)
水…カップ2
醤油…大さじ3
味醂…大さじ2
酒…大さじ1 

<作り方>
(1)  水を入れた大きめの鍋に、板海苔を適当にちぎって入れて火にかけ、
   沸騰したら、菜箸でかき混ぜます。
(2) そこに醤油、味醂、酒を加え、初めは強めの中火、煮立ってきたら
   火を弱めて、焦がさないように菜箸でかき混ぜながら煮詰めます。
(3) 好みの濃度まで煮詰まったら出来上がり。(冷めたら冷蔵庫で保存)

水を出し汁に変えたり、戻した干し椎茸のみじん切りや、梅干しのみじん切り、
白ゴマなどを加えると、更に美味しくなると思います。

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『エプロンはずして夢の山』

田部井淳子さんの著書『エプロンはずして夢の山』は、
平成7年9月から平成8年1月まで、東京新聞などに連載されていた「この道」を、
一冊にまとめたもので、内容的には、殆ど『エベレスト・ママさん』に近いです。

田部井さん御自身も、他の本と内容が重複していることを懸念されていましたが、
田部井さんが書くとなれば、エベレストやアンナプルナは避けられなくて当然ですし、
山の虜なった切っ掛けも書かないわけにはいかないでしょう。

『エベレスト・ママさん』との相違点は、写真がとにかくに多かったことです。
内容としては、エベレストでのエピソードが多く、
その分、社会人山岳会で登攀されていた頃の話題は少なかったです。

『エベレスト・ママさん』でも触れられていましたが、
アンナプルナⅢ峰やエベレストでの裏話が衝撃的でした。

田部井さん1人(サーダーと2人)が登頂に成功したと言うことは、
裏には、様々なトラブルや、壮絶な人間ドラマがあったということなのです。

特にアンナプルナにおいては、凄まじい女の戦いがあったようでした。
実際、暴露本に近い本もあるようです。

でも、登山隊でのトラブルは、何も女子隊だけに限ったものでは無いようで、
男子隊の場合は、報告書に書かなかったり暴露本が無いだけで、
実際は、本気で殴り合ったり、相手にナイフで向かったり、
アイゼンで踏みつけたりすることもあったようです。

誰も荷揚げするためだけに、100万円(1970年当時)以上の大金を
出していたわけではないのですから…

植村直己さんや長谷川恒男さんが単独行を選んだのも、
そんなところに理由があったのかも知れません。

20091009
『エプロンはずして夢の山』  田部井淳子/著  東京新聞出版局

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「女(わたし)が愛した作家 太宰治」

知る楽、10月の水曜日の「こだわり人物伝」は
「女(わたし)が愛した作家 太宰治」

第1回目は、「ロックな作家」と題し、語ったのは角田光代さん。
取り上げられた作品は、『女生徒』と『待つ』でした。

角田さんは、太宰の小説は、人がロックに傾倒するのに似ていると言う。
思春期の頃出会った時、人によって、もの凄くのめり込むか、
又は、拒絶反応が出るか…
でも、大人になって、文学として読み直して見ると
(音楽として聴き直してみると)
決して若かったから傾倒したのではなく、
文学(音楽)として素晴らしかったからと再認識する。

家にはまだ、10代の頃買った太宰治の文庫本が7冊くらいありますが、
当時は女々しく感じて、のめり込むことは無かったです。
でも、今になって読み返してみると、逆に惹かれるようになりました。
少しは成長したのかしら…

第2回 「モテる作家」 辛酸なめ子さん
第3回 「おもろい作家」 西 加奈子さん
第4回 「刃を自分に向けた作家」 田口ランディさん

非常に強い台風18号が目下接近中、今夜は眠れるでしょうか?

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趣味悠々「山で元気に! 田部井淳子の登山入門」

趣味悠々「山で元気に! 田部井淳子の登山入門」
10回シリーズの最終回は、「日本一の山・富士に挑む!」(後編)でした。
(見逃したので、再放放送を予約録画しました。)

前回は、富士スバルライン5合目から、吉田口登山道を登って、
8合目山小屋に到着し宿泊、翌朝は、ご来光を拝みましたが、
今回は、八合目から吉田口頂上まで登り、
途中、剣が峰(3776m)を通る、お鉢巡りをしてから、下山コース…

富士山は外国人にも人気があるため、登山道の案内板は日本語だけでなく、
英語、中国語、ハングル語で書かれていました。

富士山測候所は10年ほど前に廃止され、
晴天の日には、下界からも望めた山頂の白いドーム型レーダーも今はなく、
少し寂しい感じではありますが、
測候所の建物は、現在、富士山特別地域気象観測所になっています。

そこで、高山病が判明できる、血液の酸素飽和度を測定して貰うと、
ルーさんの数値は83%(80%以上ならセーフ)でしたが、
田部井さんは平地と変わらない96%…さすがです。
田部井さんの富士登山回数は、冬季の雪上訓練と清掃登山で、30回以上とか…

富士山というと、登らない人のセリフではありますが、
「(ゴミで汚れている)富士山は眺める山で、登る山では無い。」などと言われます。

周辺には、富士五湖、白糸の滝、音止めの滝、朝霧高原、田貫湖、青木ヶ原、
万野風穴、富士サファリパーク、忍野八海…
などのドライブコースもあることから、
「富士山五合目」と言えば、ドライブのイメージなのです。
(忍野八海だけは、行きたいと思いながら今に至っていますが…)

私自身も富士登山の経験は無いのですが、
富士宮から富士山スカイラインで、五合目まで入り、
六合目より少し上まで登ったことはありました。
それなりの服装ではなかったので、それ以上登ることは止めましたが。
(私たちの富士登山のイメージは、夜立ち日帰りでした。)

かつて山小屋のイメージと言えば、ランプに薪ストーブでしたが、
今はちょっとした山荘、小屋でもないし…
登山人口が増えたから仕方無いとは言え、昔の素朴な山小屋が懐かしいです。

かつての山女(?)も、今では、体力的にも気力的にも諦めていますが、
今年の夏は、TVで、疑似登山をさせて貰うことが出来ました。

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『エベレストママさん 山登り半世紀』

田部井淳子さんの『エベレスト・ママさん 山登り半世紀』(山と渓谷社)は、
昭和51年2月から12月まで、雑誌『山と渓谷」に連載されていた
「エベレストママさん山を語る」に加筆し1979年12月に発行された本の復刻版です。

この本、とにかく面白かったです。
読み出すと、時間の経つのが早いことと言ったら…
山への執念は、植村直己さんの『青春を山に賭けて』を思い出しましたね。

でも、山に興味がない人が読んだなら、どうなのでしょう?
この本は、小学4年生の時の初めての山登りから、
エベレストに至るまでの、田部井さんの登山史のようなものなので、
専門用語が多くて、理解出来ないかもしれません。
とは言っても、山に興味が無い人は、多分、読むことも無いのでしょうけど。

私も「山と渓谷」という月刊誌を読んでいたから、登山用語だけは分かりますが、
でも、所詮私は亀、田部井さんはクライマー、
山好きといっても、宇宙飛行士と同じで、別世界の人なのです。

田部井さんは、大学卒後は「日本物理学会」に就職し、
欧文物理論文誌の編集の仕事をする傍ら、
大学生時代からの琴にも一層打ち込んでいて、
その上休日には、登攀クラブの一員として氷と岩場に向かっていたから凄い。

特に興味深かったのは、アンナプルナⅢ峰、エベレスト。
8000メートル級での女の戦いは壮絶でした。
やっぱり色々あったのですね。舞台裏では…

最近の登山ブームは、中高年の人が多いようですが、
若い人たちも登山するのかしら?
最近、フリークライミングは盛んのようですが、ロッククライミングもしているの?

20091006
『エベレストママさん 山登り半世紀』  田部井淳子/著  山と渓谷社

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“斜陽”への旅~太宰治と太田静子の真実~

録画しておいた、
ETV特集 「斜陽」への旅~太宰治と太田静子の真実~
を見ました。

「愛されない妻より、愛される愛人になりたい。」と言っていても、
「結婚を前提にできない男性との付き合いはしたくない」と言う…

それでいて、妻子ある太宰に子供が欲しいと言って、
未婚の母となった太田静子さん。
太宰の死後、「夢から覚めた」を言っていたそうだけど。

下曾我の山荘に訪問することを条件で、太宰に渡った日記は、
太宰の死後、山崎富栄の遺言で、静子に返されたのでした。

井伏鱒二から、日記を刊行しないという誓約書を取らされた引換に『斜陽』の
印税の一部である10万円を受け取ったにも関わらず、
その僅か2ヶ月後に、静子によって刊行された『斜陽日記』。
(以前、『斜陽』と『斜陽日記』でも書きましたが…)

日記を受け取ってからの太宰は、態度が変わったという。
子供ができたと知った時もかなり混乱したと聞きました。

自分の作品のために、浮世離れした文学少女(?)を利用したのでしょうか?
静子との子に、自分の名前の一字を与えることを、
妻に申し訳ないとは思わなかったのでしょうか?

中村貞子(太宰治)からの手紙は、今も大切に保管されていますが、
小田静夫の名で出していた静子の手紙の行方は…?
太宰が処分してしまったのでしょうか?
それとも、太宰の亡き後、美知子さんが処分したのでしょうか?
太宰と自分の私信でさえ、戦時中に処分してしまった人だから。

残された書簡をいくら考察してみても、真実は分からない…

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『山の頂の向こうに』

田部井淳子さんの『山の頂の向こうに』を読みました。

本当は、佼成出版社の本を借りるつもりでいたのですが、
貸し出し中だったため、埼玉福祉会の「大活字本シリーズ」を…

「大活字」だけあって、通常、有り得ない14ポイント、 
それでもメガネ無しでは読めないのですから…

プロローグの中に、
「お茶碗を洗うのは、誰がやっても同じなんだから、やらなくてもいいよ。
お母さん(田部井淳子さんのこと)は、お母さんにしか出来ないことを
やればいいよ…」
というような意味の、夫・政伸さんの言葉を見つけた時には感動しました。
なかなかいないですよ、そんなこと言ってくれる人って。

それもきっと、政伸さんがクライマーだからなのでしょうね。
でも田部井さんも、好きな登山ばかりをしていたわけでは無く、
妻としても母としても、手抜きしなかったのですから凄いですよ。

出産後は子育てのために、それまでの働いていた「日本物理学会」を辞めて、
自宅で、高校生に英語を教えたり、近所の子供にピアノを教えたり…

環境問題、女性の生き方、チャレンジ精神…
色々考えさせられました。

20091004 『山の頂の向こうに』  田部井淳子/著  埼玉福祉会

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田部井淳子さんの本

昨日、図書館から、田部井淳子さんの著書を7冊借りてきました。
私、先に、全部の本の写真を見てしまうのですよね。悪い癖です。

初めて田部井さん知ったのは、1975年のエベレスト登頂に成功した時ですが、
新聞記事やニュース番組ではなく、
書店の店頭で、偶然目に留まった「写真集」でです。

たまたま国際婦人年というで、かなり話題になったのでしょうが、
余りTVを見ない私は、写真集以外の田部井さんを見たことはなかったのです。
でも、名前だけは、しっかり記憶に残っていましたが。

どの写真も決まって爽やかな笑顔なのですが、
大学生時代や、独身時代の山での写真、新婚旅行の時の写真などを見ると、
何となくイメージが違うような、不思議な気持ちになったのです…

なぜかしら?
と考えてみたら、理由はメガネにあったようです。
独身の頃は、メガネを掛けていなかったのに、
エベレストの頃は、当時、流行していた黒縁メガネでした。
メガネだけで、別人のように感じるものなのですね。

20091003
『山の頂の向こうに』  田部井淳子/著  埼玉福祉会
『エヴェレストの女たち』  田部井淳子/編  山と渓谷社
『エベレストママさん 山登り半世紀』  田部井淳子/著  山と渓谷社
『山からの贈り物』  田部井淳子/著  角川学芸出版社
『いつでも山を』  田部井淳子/著  小学館
『エプロンはずして夢の山』  田部井淳子/著  東京新聞出版局
『山を楽しむ』  田部井淳子/著  岩波書店

昨夜から持病の腰痛が悪化してしまったので、
腰を屈めて、ソロリソロリと動いています。人には見せられません。

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「ないしょの内職」

イライザおばさんは、ダニエルを連れて従姉妹のところに…
フェリックスはホテルの仕事(学校は?)
そして、アレックは「プリンス・エドワード島騎士団」の集会へ…
(フェリシティはダルハウジー医科大学、セシリーはサナトリウム)

一人きりになったジャネットは、手持ち無沙汰から、
内職斡旋の広告に目が留まり、応募してしまいます。

忘れていた頃、野球ボールの材料と、頼んでもいないミシンが届きますが、
アレックには言い出せません。

と言うのも、事業の広告に興味を示したフェリックスに、
「広告を鵜呑みにして引っ掛かるのは、疑うことを知らない間抜けだけ。
欲の深さを利用した悪質な詐欺で、金はいかさま師の懐に入ってしまう。
この手の詐欺は引っ掛かる方がバカなんだ。」
と言っていたから…

ミシンが不良品だったことから、アレック見つかってしまい、
散々叱られたジャネットは、斡旋所に抗議の電話を入れますが、
言葉巧みに、洗剤の販売を勧められてしまう…

その洗剤も不良品だったことから、怒ったジャネットが電話をすると、
逆ギレした斡旋所のカーン・タイシーは、代金の取り立てに行くと脅す…

7201 7202 7203 7204
7205 7206 7207 7208

「信念は岩よりも硬く」「友愛の心は山より大きい」の合言葉と、
子供染みたサインの「プリンス・エドワード島騎士団」、
でも、内容は農家の自治会のようなもの。
(「カナダ貴婦人会」は、自治会の婦人部ですけどね。)

フェリックスに「なぜ秘密にするの?」と質問され、一瞬詰まりながらも、
「そういうものだから…昔から」と答える大人達…

結局、ヘティの言うように、
「男の人は全く子供なんだから。何が秘密結社ですか。
誰もそんなもの問題にもしてはいませんよ。」なのでしょうね。

<名言>
「まったく、独りごと言うほど惨めなものって無いわね。
…ハァ~馬鹿みたいだわ。」(ジャネット)

「いえ、大賛成よ。是非、おやんなさいな。
フン、仕事を持っているのは、誰にとってもいいことですもの。
フン、お金が入るのは、もっといいし…ハハハ」(ヘティ)

「我が子が大人になるのを見るのは、
嬉しいようで、やはり寂しいもんだよ。」(アレック)

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第72話「ないしょの内職」
(Fools and Kings)より

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食べ残しダイエット

「食べ残しダイエット」の存在さえ知らなかった私は、
最近、その「食べ残しダイエット」で、10キロのダイエットに成功した芸能人が
(敢えて名前は伏せますが)いると聞き、大変驚きました。

と言っても、ダイエットに成功したことではなく、
痩せた手段が、食べ残しだったことにです…実際、言葉通りとしたならですが…

多分、大食が原因で肥満になった人にとって、
満腹になってもいないのに、目の前の食事を食べ残すことは、
とても忍耐の要ることでしょう。

その努力には感心しますが、
それなら、なぜ初めから少量のメニューを選ばないのでしょう?
自分さえ痩せられれば、それでいいということではないはずです。
食べ残しは、全てゴミになるのですから…

外国の場合は分かりませんが、
日本では、残しそうなお料理には、初めから箸を付けないのがマナー、
箸を付けたお料理は、残さず頂くのが作ってくれた人への礼儀です。

ビュッフェ形式の場合に、自分で取り分けておきながら残す人がいますが、
大人として、あれ程みっともないことはないです。

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