「死刑囚 永山則夫 ~獄中28年間の対話~」
ETV特集「死刑囚 永山則夫 ~獄中28年間の対話~」を見ました。
40年前に起こった連続射殺事件は、
社会を震撼させたニュースとして記憶しています。
逮捕時だから当然ですが、
うつむき加減で暗い雰囲気の人として認識していましたが、
明るくて元気そうな画面に映った写真に、
当時の面影を見出すことは出来ませんでした。
今も保管されている遺品の中に、肉声テープや獄中で読んでいた書物、
多くの人との往復書簡がありましたが、その多さに驚きました。
それだけ、二畳ほどの独房での年月が長かったわけですが…。
書物は、残されているだけでも数千冊、
700人以上の人との往復書簡が15,000通、なぜ往復書簡かと言えば、
彼は手紙の返事を、全て複写して書いていたからなのです。
それにしても、義務教育も、まともに出ていないために、
漢字も読めなかったのに、独房で勉強した結果、
思想、哲学、ドストエフスキーなどの文学など難しい書物を理解し、
あのような手紙を書き、『無知の涙』の他にも沢山の著書を残していたのですから、
もし違った環境で育っていたら、どんな人生を送ったのだろうか?
と思わずにはいられませんでした。
(片仮名しか書けない母親の文章力にも驚きました。)
どちらかと言えば死刑廃止に賛成ではありますが、
たとえ劣悪な生い立ちであっても、また犯行当時未成年であっても、
死刑制度がある以上、
行きずりの人を4人も射殺してしまったのですから死刑は当然なのでしょう。
それでも、彼の生い立ちや、獄中結婚した和美さんの話を聞けば聞くほど、
泣けてしまいました。
(和美さんも親から捨てられ、戸籍の無い人だったのです。)
自殺願望から起こした事件、獄中でも自殺未遂を繰り返し、
公判でも改悛の風を見せなかったのに、
初めて信じられる人間の和美さんとを知ってから、生きて罪を償う気持ちに変わり、
一度は無期懲役に減刑されたのに、再び死刑が確定してしまったのですから…
母親に恨みを抱いた気持ちは分かりますが、
ギャンブルに明け暮れた父親こそ、貧しさへの責任があるのに、
番組では、父親に対する彼の気持ちを知ることは出来ませんでした。
「ブルジョワジー、プロレタリアート」などの言葉を懐かしく感じたのも、
私が同世代だから…
若い頃、「あなたはブルジャワでしょ。どうせ私はプロレタリアートだから…」
などとよく言ったものでした。
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コメント
hoshioki_boyさん、コメントありがとうございました。
永山則夫と相撲を取って遊んでいただなんて…驚きです。
私は永山則夫とは、ほぼ同世代なのですが、今回の番組を見るまで詳しいことは知りませんでした。被害者の遺族の気持ちを考えたら、決して言ってはいけない言葉とは思いますが、死刑が確定した時の彼の言葉には泣けました。
投稿: Michi | 2009年10月14日 (水) 20:36
はじめまして、、
僕は残念ながら、この番組を見逃してしまいました。
NHKオンデマンドで視聴しようと思っています。
個人的には、永山則夫と相撲を取って遊んでいたことがあるので(母親いわく)、
なんとも感慨深いものがあります。
投稿: hoshioki_boy | 2009年10月14日 (水) 15:44
katarohinaさんの文に、またしても考えさせられました。本当に人間の能力には差がないのでしょうか?もちろん能力は学歴にはそれ程関係ないと思います。でも、学歴以前に、元々能力がある人でも、生まれ育った環境によっては、永山則夫のような一生を送る結果になってしまうこともあるように思えてなりません…いくら支援者が書物を差し入れしたとしても、理解も出来ず興味も示さない人もいるでしょう。誰でも努力次第で文学賞を受賞するほどの作品が書けるとも思えないのです。
死刑制度については、私も疑問だらけです。100年後にはどうなっているのでしょうか?教えてkatarohinaさん!
投稿: Michi | 2009年10月13日 (火) 22:18
銃による無差別殺人というシンボリックな事件。「無知の涙」の著作。変化、変容、自己実現へと向かう死刑囚。彼の死刑確立によって「罪を憎んで人を憎まず」という日本の道徳は消え1人殺したら無期。複数は死刑。と安易に物理的量刑制度に判定が流されていったと思う。彼が、一級減刑されていたら日本の死刑制度も根幹から見直されたでしょうに。それにしても、昨今、光市の事件のように婦女子暴行殺人と言うのは死刑にしても余りあると思う気持があるのも事実です。永山則夫は僕らに人間の能力に差がないことを教えてくれました。今では、どちらが無知かわかりません。努力すれば、人は変われるということを残してくれただけでも彼は、人生の役割を果たしたんじゃないかな。彼に殺された人には、また人生を台無しにされた家族の人には、本当に気の毒に思います。・・・が、許してやってください・・と願う気持もあります。同じ死刑でどうしてこんだけ違うのでしょう。教えてマルクス?
投稿: katarohina | 2009年10月13日 (火) 20:00