『本のなかの少女たち』
「歴史秘話ヒストリア」を観たことが切っ掛けで太宰治を読み返し、
津島美知子さん、太田静子さん、太田治子さんの著作を読み、
そして今、津島佑子さんの『本のなかの少女たち』を読み終えたところなのですが、
発想が余りにもワイドショー的で、そのミーハーぶりに我ながら呆れてしまいます。
プロローグ(自伝風に)には、
…母親(津島美知子さん)は、娘達に対して、
「女の子らしく」とか「女の子だから」と言ったことがなく、
家事も手伝わせなかったし、台所にも入れさせなかった。…
(別の本では、「家庭科が嫌いで、家庭科の宿題はいつも母にやって貰っていた」
とも。)
とありましたが、その影響かどうかは分かりませんが、
津島佑子さんの文章は理路整然として、中性的な雰囲気で心地良く、
とても読みやすかったです。
…どんな男の子でも「少年」という言葉で呼んでも違和感がないが、
現実の女の子たちの中で「少女」という言葉に相応しい子は少ない。
結局は「少女」というのは、世の中での一つの役柄に過ぎないのではないか…
これには同感です。
取り上げられた少女たちは、
ロッテ(『若きウェルテルの悩み』)、グレートヘン(『ファウスト』)
ダフネ(『転身物語』)、ディアナ(『アンティゴネ』)
かぐや姫(『竹取物語』)、紫の上(『源氏物語』)
菅原孝標の女(『更級日記』)、八百屋お七(『好色五人女』)
ネルリ(『虐げられた人々』)
ソーニャ(『罪と罰』)
キャサリン(『嵐が丘』)
キャディー(『響きと怒り』)
エリザベート(『恐るべき子供たち』)、安寿(『山椒太夫』)
ヴィンカ(『青い麦』、美登利(『たけくらべ』)
ローラ(『ガラスの動物園』)
ミック(『心は孤独な狩人』)
ムーシェット(『新ムーシェット物語』)
春琴(『春琴抄』)
ナナ(『居酒屋』)、ホリー(『ティファニーで朝食を』)
ポーシア(『ベニスの商人』)、ジュリエット(『ロミオトジュリエット』)です。
昔読んだ様々なタイプの少女たちが思い出されます。
それにしても、男性作家が描く少女(女性)というのは、
どうして共感できないのでしょうか?(もちろん例外も…その一人が太宰治)
とは言っても、同じように男性も、女性作家が描く男性像のことを、
「こんな男はいないよ」と異論を唱えているのかも知れませんが…。
ブロンテ姉妹、マーガレット・ミッチェル、オルコット、ウェブスター、
オースティン、モンゴメリー、サガン、マンスフィールド、ボーヴォワール…
確かに、思春期の頃の女子が読む本は、女流作家のものが多い気がします。
読んでない本だけでなく、読んだ本も、また読みたくなりました。
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