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エベレスト日本女子登山隊

田部井淳子さんが、女性世界初としてエベレスト(チベット語ではチョモランマ)の
登頂に成功したのは、1975年5月16日のことでした。
(私も興奮して写真集を買いました。)

女性ばかりの15人、当時、久野英子(ひさのえいこ)隊長は42歳、
登攀隊長の田部井さんは35歳でした。

久野隊長と田部井さんの他にも、約半年間、夫や子供と「別れ」て、
参加された隊員もいました。

遠征総額4,300万円、一人の個人負担額150万円でしたが、
「企業から貰い歩きしたくない」という隊長の方針から、
あらゆる面が切りつめられ、
外国隊が捨てていった食料(缶詰など)やザイルも使ったとのことです。

「女性隊の登頂成功と言っても、男性のシェルパに登らせてもらったじゃないか。」
と言われたくない。でも、シェルパについて行くのがやっと。
すると、サーダー(シェルパ・リーダー)が「男の隊だってそうだ。」と…

写真集を開けば、懐かしさが蘇ります。
キャラバンでは日傘代わりの傘をさし、
日焼け止めクリームをたっぷり塗って(田部井さんも例外ではありません)、
紫外線対策として、ガーゼの覆面をしたり、食事の時は正座か横座り…

20090914
エベレスト頂上に立つ田部井淳子さん
豪華カラー日本女子登山隊写真集
『エベレスト女の栄光~「隊長さん、いま頂上です」~』 読売新聞社 1975

200909142
シェルパやキチンボーイと一緒にベースチャンプに勢ぞろい

200909143 ↑のアップ
中央の黒いサングラスが久野隊長、その左が田部井淳子さん

200909144 「おめでとう 田部井さん」
頂上からの成功第一報にわく前進キャンプ(C2)の隊員たち
ハンディトーキーで交信するのは久野隊長

あの頃は、登山と言えば、みんなニッカーでした。
ニッカはいつ頃から履かなくなったのでしょう?

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コメント

そうなんですか。もう30年以上もハイキング程度の山しか登っていないのです。何本かあったツィードのニッカも、穿くことは無いと思って、遙か昔に処分していましました。
山の道具も…勿論、山の思い出だけは、大切に仕舞ってありますから。

投稿: Michi | 2009年9月14日 (月) 23:44

いいなぁ、山の写真。今日、腰に針を打ってきた身でも心がはやります。ニッカボッカーは、30年位前に消えましたね。新しい軽くて丈夫でブレサブルの繊維が発明されたこととロングスタイルが流行になったことでなくなりました。英国では、まだあります。さすが、今では、ツイードのものは、穿きませんが、僕は、ずっと、ブリークス(ニッカ)です。普段でも。もう、ロングは、裾を踏むお年頃ですから。

投稿: katarohina | 2009年9月14日 (月) 22:32

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