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2009年9月

COOL JAPAN …月(Moon)

今回のテーマは「月」。

月から連想されるのは?の質問に、
「ウサギ」「セーラームーン」「お月見」等々の答えがありましたが、
なぜか、私が真っ先に浮かんだ「かぐや姫」は無かったです…

月から受けるイメージは、西洋も東洋も幻想的で神秘的。
それ故西洋では、ネガティブで不吉、孤独といったものとして捉えられているという。

でも、東洋では逆で、インドネシアでは、
月は、闇夜を優しく照らしてくれる女性のイメージだそうです。
狼男より、こちらの方が素敵ですね…私も東洋人の一人ですから。

農耕民族の日本では、日ごと美しく姿を変える月に宇宙を感じ、
親しみを込めて「お月さま(さん)」と呼んだりしますよね。
月を歌った歌も多いですよね。
「~上弦の月だったけ 久しぶりだね 月見るなんて~」

私も月にロマンを感じ眺めるのが大好きで、子供の頃は、
「お月さまいくつ 十三七つ まだ年は若いね~(その先は知らなかった)」
と歌ったものでした。
今も一番好きな童謡は「朧月夜」ですし。

ところで、「月見蕎麦」は「田毎の月」をイメージしているそうですね。
卵を月に見立て、表面の薄い膜は薄雲、カマボコは山々、
三つ葉やホウレン草は森、刻み海苔は夜空…

でも外国では、「何かに見立てる」ことがないらしく、
蕎麦と月にしか見えないとか。文化の違いだから仕方ないですが…

「臥龍山荘」や、月見のために工夫を凝らした日本建築自体は
素晴らしいと評価しも、太陽も月も、戸外で何気なく見るものなのだからと、
そこまで、こだわって月を見ることに対しては、「自然じゃない」と評価は微妙でした。
これも文化の違いですから仕方ないですね。

番組でも紹介されましたが、お月見には、ススキや秋の花を飾って、
上新粉で作ったお月見団子を供えたりしますが、
忘れてならないのが里芋…別名「芋名月」ですからね。

月見団子と言えば、「へそ餅」という名の、私の地方独特のお餅があって、
子供の頃は見たことが無かったのですが、初めて見た時は退きましたね。

「月をモチーフにした商品」「お月見」「日本建築・月を楽しむ工夫」「月光写真」
ベスト・オブ・クールは、「日本建築・月を楽しむ工夫」でした。

今年の「中秋の名月」は、10月3日(十三夜は30日)、
お月見、出来るかしら?

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見せるヴァイオリニスト

以前、NHKBS2で放送していた「シネマ・パラダイス」という番組は、
土曜日の夜の、ちょっとした楽しみでした。

出演はメインの小堺一機さんと小林千絵さん、
映画評論家の渡辺祥子さんなどで、
毎回、映画が大好きなゲストが登場し、映画談話に花を咲かせる…
言わば、「映画オタク」のための番組でした。

小堺さんのオープニングのパントマイムも、石川三千花さんのイラストも、
ゲストとのお喋りも、映し出される映画のワンシーンも、映画音楽も、
全てが、その日のゲストの、お気に入りの作品についてでした。

その作品は、決まって翌週のBSシネマランドで放送されるので、
見てない映画は勿論のこと、見たことのある映画であっても見たくなるのでした。
何となく、番組宣伝の感も否めませんでしたが…

番組の終盤、ゲストのリクエスト曲を、
ヴァイオリンとピアノで演奏するのですが、(他の楽器もあったような…)
女性ピアニストについての記憶は曖昧ながら、
ヴァイオリニストの川井郁子さんの記憶だけが強烈です。
美し過ぎる…

いつも、露出が大きく、身体のラインを強調したドレス…
それはともかく、弾いている時も、それまで見てきたヴァイオリニストとは違い、
遠くを見ている感じに目線を上に向け、自分に酔っている表情なのです。

一番の特徴は、癖なのか、意識的なのか、それとも、鼻に問題があるのか、
常に口が半開き…

考え過ぎかも知れませんが、聴かせると言うより、見せてる感じでした。
お陰で、演奏より、姿形だけが記憶に残っています。

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ストラディヴァリウス

天満敦子さん愛用のヴァイオリンは、
ストラディヴァリウスの、通称「サンライズ」。

「サンライズ」は、本体に黒檀と貝細工の象嵌が施された
装飾的なヴァイオリンだそうです。

アントニオ・ストラディヴァリ(1644~1737)については知らなくても、
ストラディヴァリウスが、お金をどんなに積んでも、買えない楽器という位は、
殆どの人が知っていることでしょう。
私もその一人ですが…

『わが心の歌』によれば、
世界的なソリストなら、「ストラディヴァリウス」か「グァルネリ」、
又は両方を使用ているそうなのです。
(五嶋みどりさんは、「グァルネリ」を使用)

ストラディヴァリが作り上げたヴァイオリン、ヴィオラ、チェロは推定2,000本、
現存するヴァイオリンは400本~600本位で、
その内、演奏活動に耐え得るヴァイオリンは半分か3分の1とか…

驚くことに、ストラディヴァリという人は、93歳で亡くなる年まで、
楽器を製作していたというのですから超人的です。

「自分の楽器が世界で一番だと言える人は、世界で私しかいないと思う。
他のストラドも何本か見たけど、自分の楽器が一番いい。」
と断言される天満さん…

天満さんに限らず、ヴァイオリニストの誰もが、
ストラディヴァリウスでなくても、自分の愛用する楽器のことを、
そう思っているような気がします。

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『百年の預言』

以前、天満敦子さんをモデルとした小説があると知った時、
ぜひ読みたいと思いました。

小説のタイトルは『百年の預言』、作者は高樹のぶ子さん。
…ですが、「高樹のぶ子」という名前の記憶だけはありましたが、
お顔も、高樹さんの作品のタイトルさえも知らなかったので、
『百年の預言』について、少々調べてみたところ、
単行本(朝日新聞社)の装丁は、女学生好みで(?)なかなか素敵…
でも、文庫本の方はクリムト(上巻「ユディトⅠ」下巻「水蛇」)だったので、
嫌な予感が…

舞台はルーマニアで、走馬充子というヴァイオリニストのモデルが天満さん…
でも、やはり、かなりきわどいシーンがあって、描写もリアルのようでした。

そのため、「斜め読みした。」「…飛ばした。」といった感想もあったから、
すっかり読む気を無くしてしまったのでした。

天満敦子さんの『わが心の歌』の中にも、この本のことが触れられていて、
天満さんは、コンサートのたびに、
「走馬充子のモデルは天満敦子ですが、行為は高樹のぶ子で~す。」
と弁明していたそうです。

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『わが心の歌』

図書館で、天満敦子さんの『わが心の歌』を見つけましたが、
この中に、「望郷のバラード」との出会いが書かれていました。

1991年の秋、音楽関係者から一本の電話が…
それは、ルーマニアで国立オーケストラとのコンチェルトの誘いでした。

ただ、ルーマニアでの宿泊費と食事代は、日本大使館が何とかしてくれるが、
往復の飛行機代はアーティスト側で、一回の演奏料は日本円で1,500円という…

常識的に考えたら、断るのが普通、
でも、ソリストは、常に弾きたいと熱望していても、なかなかチャンスに恵まれず、
ヴァイオリニスト(ピアニストもそうなのでしょうが)にとって、
コンチェルトのステージを1回やると言うことは、
リサイタルの10回分にも相当するキャリアになるそうなのです。

「私たち演奏家は弾くチャンスが欲しい!たとえ、どんなに小さな場であっても…」
そんな気持ちで快諾したルーマニアでのコンサートでした。

結果的には、関係者の尽力により、1992年の初夏、
ピアニストの深沢亮子さんを団長とした国の文化使節の随員として、
ルーマニア、ブルガリア、チェコ・スロバキア(当時の)を旅したので、
交通費の自己負担は無かったのですが…
そればかりか、「望郷のバラード」との出会いが待っていたのでした。

ルーマニアでの演奏会後に、外交官から渡された楽譜「バラーダ」は、
天満さんにとって、人生を変える一曲だったのでした。

※ 「望郷のバラード」の原題は「バラーダ(詩曲)」、
  ルーマニアの作曲家チプリアン・ポルムベルグ(1853~1883)が、
  獄中で(政治的な理由から捕らえられていた)故郷を偲んで作った曲。

20090926

『わが心の歌 望郷のバラード』 天満敦子/著 文藝春秋
『天使からの手紙 ヴァイオリンで紡ぐ絆』
天満敦子/著 銀の鈴社

五嶋みどりさんも「みどり教育財団」という団体と作って
チャリティー活動をされてますが、
天満さんもチャリティーをライフワークしているそうです。

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ジュズダマ(数珠玉)のネックレス

ヒガンバナの首飾りは、今思い出しても、ゾッとするほどの毒々しさで、
もし、身近の幼い女の子が作ろうとしていたら、
注意してしまうかも知れません。

でも、ジュズダマのネックレスなら作ってあげたい…喜ばないでしょうが…
ジュズダマのネックレス作りは、昭和らしい遊びです。

秋になると、年上の女の子がジュズダマを採りに連れて行ってくれました。
きっと、それほど遠くではなかったのでしょうが、
小さい子が、一人では行けない距離だったのでしょう。
と言うより、小さい子は場所を覚えていないだけなのです。

採ってきたジュズダマの実は、糸や細い丸ゴムを通して、
ネックレスやブレスレット(腕輪と言ってました)を作りましたが、
採ることと作ることだけが目的のようなもので、
モノトーンで地味なジュズダマは、
キラキラと輝く、イミテーションの真珠、ルビーなどに敵うはずもなく、
当時の女の子でさえ、首にかけたりはしませんでした。

ジュズダマが生えていた小川は、何処だったのか分かりません。
もし知っていたとしても、今は無いでしょう。
かつては、町のそこかしこに流れていた小川や溝川だけでなく、
側溝にさえ蓋がされ、道路の一部となっているのですから。

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メガネケースのリフォーム

引き出しに入れたまま忘れていたメガネケースを、
リフォームしてみました。
(暇人と言うか、物好きと言うか…)

<材料>
外側用の布、フェルト(内側用)、バイリーン、接着剤(ボンドなど)各少々 
留め具(マグネットホック、マジックテープ、スナップなど)1組

<作り方>
(1) 外側を剥がし、付着している接着剤を取り除きます。

(2) 外側用の布をアルミ芯より大きく裁ち(バイアス裁ちにしました。)
  バイリーン(不織布の接着芯)を貼り、
  接着剤でアルミ芯に貼り付け、周囲の余分は内側に貼ります。

(3) アルミ芯より、やや小さく裁ったフェルトを、内側に貼ります。

(4) フェルトを貼った鼻当を、接着剤で固定し、
  前側と後側を合わせ、出来るだけ針目が出ないように、
  しっかり縫い合わせ留め具を付けて出来上がり。

200909241 200909242 200909243 200909244  

※ 留め具の種類によっては、予め付けておきます。
※ 丸みの部分は、細かくぐし縫いして糸を引くと、カーブが出来ます。
  (ポケットの丸みや、和服の袂の丸みを作る時の要領で)
  また、必要に応じて切り込みを入れます。

生地は40年前に母が縫ってくれた「道行」の余り切れの正絹ですが、
分量の都合上、柄合わせが出来なかったことが残念でした。
光沢があり、染めに濃淡のある暗い茜色(出来上がりの写真の色)です。

その、道行コートは、他の着物と同様、
絹のしつけ糸で、一つ目落としのしつけがされたまま、和箪笥で眠っています。

メガネケースの簡単なリフォームはこちら

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ヒガンバナ

毎年、彼岸の頃になると、決まって咲く彼岸花。

異様に大きくて、異様に赤くて、好みとは言えない花ですが、
抜こうとは思ったことはありませんでした。

それが今年は咲かないのです。
植えたわけでもないのに、数年前から庭に咲き出したことも不思議でしたが、
なぜ…?
と思っていたら、家族に抜いた人がいたからでした。
それなりに季節感を味わっていたのに、ちょっと残念…

有毒ということもありますが、墓地に咲くイメージもあって、
日本では「彼岸花」は、好かれない花のようですね。

「曼珠沙華」は有名ですが、その他にも別名があって、
ウィキペディアによれば、死人(しびと)花、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花、
捨子花など、1000以上があるそうなのです。
どれも不吉な名前ばかり…

でも、お隣の韓国では、花と葉が同時に出ないことから、
「葉は花を思い、花は葉を思う」という意味で「相思華」とも言われるとか。
ロマンティックですね。

彼岸花と言えば、幼い頃、近所の友達のお姉さんが、
この時期になると、郊外まで、彼岸花を摘みに連れてってくれました。

何処まで行ってたかは分からなのですが、ちょっとした遠出気分でした。
採ったあとは、茎をポキポキ左右に折って、
「彼岸花の首飾り」を作りましたが、
綺麗とか、嬉しいとか思ったことはなく、すぐ捨ててました。
有毒については、知らなかったけれど…。

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「シルバーウィーク」と「もみじマーク」

今日(もう昨日でした)は一年で一日だけの「敬老の日」、
自己満足の為に付き合わされる、お年寄りは大変ですよ。
それでも、何も無いよりはマシですが…

いつからこの連休を「シルバーウィーク」と言うようになったかは知りませんが、
連休など一切関係ない私にとっても、この呼び方は今一つです。

「ゴールデンウィーク」に対しての「シルバーウィーク」であり、
「敬老の日」が含まれていることでもあるらしく、
分かり易いと言えば分かり易い、でも、あまりにも安易に思えます…
まるで「若葉マーク(初心者マーク)」と「もみじマーク」みたいじゃないですか。

「もみじマーク」にしても「落ち葉」とか「枯れ葉」みたいでイメージ悪いですよ。
形も涙型ですし…このデザイン、一体誰のものなのでしょう…?

実際、この「もみじマーク」(正式には、高齢運転者標識と言うらしい)は、
評判が悪いらしく、新たにデザインを公募すると聞きました。

不評だからと変更するのは、税金の無駄遣いというもの、
いかにも、税金で食べている人間が考えそうなことですよ。

公募には条件があるのでしょうか?
70歳以上の運転者を対象に義務付けられているマークなのだから、
条件も、70歳以上の免許証所持者にすればいいのに…
と思いますが、いかがでしょう…?

せめて60歳以上とか…
そうすれば、高齢者の好みに合ったデザインになるでしょうに…
と、浅はかな私は思うのでした。

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「望郷のバラード」

「望郷のバラード」は、天満敦子さんの代名詞とも言える曲ですよね。

いつ聴いても引き込まれる曲…
哀愁を帯びたメロディーは、この季節にはピッタリ、
空を眺めながら、また、縫い物をしながら聴いてます。

それ程多くのヴァイオリニストを知っている訳ではありませんが、
天満さんの演奏は、魂に響く感じなのです。

天満敦子(てんまあつこ)さんを知ったのは、偶然観た「徹子の部屋」、
その時の衝撃は大きかったです。

昔、浄瑠璃時で見た「吉祥天像」を彷彿とさせる風貌で、
飾り気がなく、童女のような女性でした。

「望郷のバラード」のCDを買ったのが14~15年前のことなので、
それより少し前のことだったと思います。
(番組を観なければCDも買わなかったでしょうから…)

天満さんがヴァイオリンを始めたのは6歳の頃、
母親がデパートから、四分の一サイズの安いヴァイオリンを買ってきたそうです。

でも、英才教育というのではなく、あくまでオモチャ感覚。
本当はピアノが良かったのだけれど、経済的、スペース的理由から、
ヴァイオリンにしたとのことでした。

6年生の時に、NHK教育テレビでやっていた「バイオリンのおけいこ」という番組の
オーディションを受けたのも、30分以内で通えるという条件に合っていたからで、
受けた子供たちの中で、一番年上で、一番下手だったのに受かったのは、
下手な生徒も必要だったことと、質疑応答での受け答えが大変良かったから。

番組の打ち上げで、天満さんの母親は、江藤俊哉先生から、
「ヴァイオリンは下手だけど、あんなに楽しそうに、
そして、嬉しそうに弾く子は見たことがない。」と言われたとか。

よく、簡単に「天才」という言葉を使いますが、
天才と言って咄嗟に浮かぶのは、アインシュタインとモーツァルトぐらい…

どんな世界でも、一流と言われる人は、想像以上に努力しているのですよね。
そのためには、「好きで楽しくて、いくらやっても飽きない」ことが必要なのでは?
また、人に恵まれる(人から愛される性格)ことも重要な気がします。

20090921 「望郷のバラード」 ヴァイオリン:天満敦子 ピアノ:本多昌子 

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「北アルプス大縦走(後編)」(2)

北アルプス大縦走(後編)観ましたよ。
「夏の北アルプス あぁ絶景!雲上のアドベンチャー」~ついに来!夢の頂~

後編は、三俣蓮華岳登山から始まり、槍ヶ岳、大キレット、北穂高、奥穂高、
そして、最終目的のジャンダルムまでの縦走。

相変わらず田部井淳子さんと内多アナの差は大きかった…
片や疲労で、景色を楽しむ余裕ゼロ、
片や「しあわせ~」と笑顔で、息も切れていない…
70歳と言えども現役のアルピニストですからね、登山歴1年の人と違って当然です。

槍ヶ岳を登頂し、つい言ってしまった…「やりました!(槍だけに)」

もし若い頃だったなら、槍ヶ岳は、何とか登れるかも知れません。
でも、その先は、とても無理…
あの大キレットは、映像でさえ目が眩むほどでしたから…
まして馬の背は…

その先の落石多発地帯、北穂、奥穂を越すと、いよいよジャンダルムへの登り、
ここでは足を運ぶごとに、足下でガラガラと音がして…

しかも槍とは違って鎖も鉄梯子も無く、命綱のザイルだけが頼りなのです。
たとえ若かったとしても、私の登れるレベルではないですよ…

登頂を果たした時のお二人の「うれしい~!」の叫び声に、
私も嬉しくなってしまって、涙が出そうでした。

田部井さんの格言の「夢はもつべき。夢はいつか必ず実現できます」
…だったらいいですが…でもとにかく挑戦しなければ始まりませんからね。

23日間、北アルプス60㎞踏破、田部井さんはともかく、
内多アナにとっては、さぞかし大変だったでしょうね。
ご苦労様でした。でも、羨ましい。

意外だったのは、「北穂高小屋」にいた登山者の殆どが中高年だったこと…
時代は変わりましたね。

立山~薬師岳~雲ノ平~の前編は、途中からしか観てないので、
23日の全国放送で、是非観たいです。

NHK総合 9月23日(水)午前8:35~午前9:50
(23日間を75分とは、あまりにも勿体ないですよ。)

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「そう言えば あの時あのうた」

木曜と金曜の夕方6時50分から放送している
「そう言えば あの時あのうた」という番組を時々観ています。

水曜と木曜が邦楽で、金曜が洋楽、たった5分間の放送ですが楽しみ…
でも、観たいと思いながらも、時間が時間なので見損なうことが多いのです。

昨夜の放送は、何とか見ることが出来ました。
1971年でした。

「シェリーにくちづけ」と「ノックは3回」の2曲と、流れた映像は、
ビキニ(水着)の流行、画家山下清の死去、ベトナム帰還兵、文化大革命…
どの映像も、ついこのあいだに思えるのに、38年も経ってしまったとは…

戦争で片腕を失った上半身裸の帰還兵や、勲章を放り投げてる長髪の帰還兵、
その反戦集会の映像は、トム・ハンクスの『ホレスト・ガンプ』を思い出しました。

反戦歌手(フォーク)といえば、ジョーン・バエズやボブ・ディラン、
それに、PPM(ピーター・ポール&マリー)が浮かびます。
そのマリー・トラヴァースさんは、先日白血病のため亡くなられました。
享年72歳…時の無情を感じられずにはいられません。

でも、よい音楽というのは、いつまでも残りますから。
「シェリーにくちづけ」や「ノックは3回」だけではなく、シルビー・ヴァルタンも。
それに、ビートルズ、サイモンとガーファンクル、カーペンターズ、
当時のアイドルグループのモンキーズやベイ・シティ・ローラーズ…
それより前のエルヴィス・プレスリーにしても、今聴いても新鮮です。

歌詞の意味は分からなくても、歌声も音の一部として楽しんでいました。

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悪口や愚痴を言う人

悪口や愚痴、と言うより、「愚痴としての悪口」を言うのは、
女性の専売特許なのでしょうか?

男性だって、きっと、たまには言いたくもなるのでしょうが、
でも、やっぱり、女性の方が多いように思えて仕方ありません。

なぜ、女性に愚痴や悪口が多いのでしょう?
女性の方が了見が狭いから?

きっと、自分を正当化したい、同情されたい、のでしょうね…
それに、「友達だったら、聞いてくれてもいいでしょ」という意識があるから、
鬱積した不満を、人に言うことで、ストレス解消しているのでしょう。

でも、聞かされる方は、ストレスが溜まる一方なんですよ。

それに、聞かされれば聞かされるほど、同情するどころか、
その人の価値が下がってしまうから皮肉なものです。

友人たちは、
「○○さん(私のこと)にしか言えない。」とか
「○○さんにしか言ってないけど…」などと言いますが、
そんなこと言われても嬉しくない。誰か別の人にしてくれない!…と思ってしまう。

私が信頼の置ける人間という訳ではなく、単に、お喋りではないからだけなのです。

その人たちは決まって、「普通なら…なのに」と言います。
私が「“普通”は人によって違うから…」と言えば、
「そうだけど…でも…」と続くのです。

困ることに、悪口を言っている当人は、その自覚が無くて、
「こういう人がいることを、あなたに知って欲しいだけ。」とか、
「悪口ではなくて、事実を言っているだけ。」という気持ちなのです…
別に、知らせてくれなくてもいいです。

悪口や愚痴を言ってる時のあなたの顔は、きっと醜いですよ。
見えなくても分かりますよ。

私だって、愚痴を言いたい時はあります。
でも、言わないようにしているだけなのです。

聞かされることが、いかにストレスが溜まるかを知っているから言わないのです。
それに、せめてものプライドとして、言いたくないのです。

私のストレス解消は、誰もいないところで肩で大きく溜息をつき、
そして、それ以上考えないようにすること。その後は、趣味に没頭する…

そう言う私も、今、ここで、「愚痴という悪口」を言ってしまいました。
同類ですね。
読んでくださった方、ウンザリさせてしまって御免なさい。

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「趣味悠々」…(2)

趣味悠々「山で元気に! 田部井淳子の登山入門」(10回シリーズ)
昨夜は、燕岳登山の後編。

雨の中を登って燕山莊(えんざんそう)一泊、
残念ながら翌日も雨…今年は梅雨が長引きましたからね。

午後、ようやく雨が上がり、花崗岩の燕岳登頂を果たしたのですが、
眺望は望めず残念!予定を変更して、もう一泊。
でも下りも雨でした。

「木曽駒が岳」の時も激しい風雨のため「勇気ある撤退」を余儀なくされました。
番組の趣旨としては、悪天候の登山体験も意義があったでしょうが、
北アルプス初登山のルー大柴さんにとっては、お気の毒でした。

私は、突風に耐え咲いている「コマクサ」を目にして、
自生する花の強さ以上に、人(登山者)の優しさを感じました。

昔、コマクサやミヤマオダマキなどの高山植物は、
盗掘により絶滅の危機にさらされている、と聞いたことがありますから。

「コマクサ」「ミヤマオダマキ」「ウスユキソウ(エーデルワイス)」は、
憧れのまだ見ぬ花なのです。

花と言えば、前回の白い花の名前が確認できました。
「ギンリョウソウ(銀竜草)」という名で、高山植物ではなく、腐生植物でした。

アルビノとは違いますが、色素のない不思議な花…
よく言えば神秘的、悪く言えば不気味…別名が「ユウレイタケ」ですから。

20090917 200909172 200909173 200909174
↑左から
「ギンリョウソウ(銀竜草)」 シャクジョウソウ科の多年草。別名ユウレイタケ。
「コマクサ(駒草)」 ケマンソウ科の多年草。
「ハクサンイチゲ(白山一花、白山一華)」 キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。
「アオノツガザクラ(青の栂桜)」 ツツジ科ツガザクラ属の常緑小低木。

次回は、いよいよ「富士山」の前編です。

田部井淳子さんは、世界的なアルピニストなのに、
少しもそのような態度を見せないところが素敵です。

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COOL JAPAN …ギャル(Gals)

今回のテーマは「ギャル」。
ギャルと言っても、「コギャル」「ガングロ」「ヤマンバ」の他にも、
「ギャルママ」や「アゲ嬢」…色々あるのですね。

近所や身内に「ギャル」がいないので、理解できないのですが、
何故、折角の可愛い顔を、わざわざ酷くするのでしょうか…?
一種の仮面なのでしょうか?仮装することで自信が持てるといった類の…

外国人の来日して初めて遭遇した時の感想も、
「動物園みたい」「ショックを受けた」「信じられない」だったとか…
そりゃそうでしょう。日本人の私だってそう思うのですからね。

外国人からの疑問は、
「男性受けしないのでは?」「親は何て言ってるの?」「お金は?」
これ、私も疑問でした。

その答は、「自分受けのため」「親も理解してくれてる(諦めてるのでは?)」
「100円ショップなどの安いお店を利用」というものでした。

「日本はどんな服装をしても咎められないから」
「日本は治安が良い国だから奇抜な恰好も出来るのでは?」
「欧米の親は、“化粧しなくても可愛い”と言って自信を持たせるのに…」
日本だって、そういう親の方が多いと思いいますが。

厳しいご意見も、「気にしているのは外見だけ」
「4時間かけてメイクしてたら勉強する時間が無いのでは?」同感です。

4時間もかけてメイクをする17歳の娘を応援する母親…
自分も若かったらしたいと言う…時代が変わったと言うか…

でも、一過性のことでしょうし、日本の女の子の全てが「ギャル」ではなく、
あのような母親も、ほんの一部のような気がしますから。
少なくとも、そう思いたいです。

時代遅れを承知で言わせて貰えば、
目立ちたい個性的でいたいと言っても、みんな同じに見えてしまうのですよね。

結局、企業の罠に掛かっているだけにも感じますが、
ギャルたちがいるからこそ、業界の消費が保たれているのでしょう。
…但し、安価な品(外国製)ばかり。

「100円コスメ」「プチプラファッショ」「デコレーション」「ギャル向けビジネス」
「読者モデル」の中から選ばれたベスト・オブ・クールは
プチプラ(プチ・プライス)・ファション」でした。

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メガネケース

いつもバッグに入れて持ち歩いているメガネケースを、
余り切れで衣替えしてみました。(↓左側)

合成皮革の紺の無地を、サマーウール地の紺のストライプ、
代わり映えのしないことと言ったら…
内側も黒から紺のフェルトに、こちらも代わり映えのしない。

外側も内側も表面はそのままで、上から両面テープで貼りました。
でも、マグネット式なので、開閉が甘くなってしまったみたいです。
…元に戻すかも…

20090915 200909152
右側の写真は手作りのメガネケースです。
二つとも裏付きで、キルト芯が入っています。

以前は嵩張るのが嫌で、これらをバッグに入れてましたが、
外出する時こそ、ハードケースに入れるべきでした。

メガネケースの本格的(?)なリフォームこちらに

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エベレスト日本女子登山隊

田部井淳子さんが、女性世界初としてエベレスト(チベット語ではチョモランマ)の
登頂に成功したのは、1975年5月16日のことでした。
(私も興奮して写真集を買いました。)

女性ばかりの15人、当時、久野英子(ひさのえいこ)隊長は42歳、
登攀隊長の田部井さんは35歳でした。

久野隊長と田部井さんの他にも、約半年間、夫や子供と「別れ」て、
参加された隊員もいました。

遠征総額4,300万円、一人の個人負担額150万円でしたが、
「企業から貰い歩きしたくない」という隊長の方針から、
あらゆる面が切りつめられ、
外国隊が捨てていった食料(缶詰など)やザイルも使ったとのことです。

「女性隊の登頂成功と言っても、男性のシェルパに登らせてもらったじゃないか。」
と言われたくない。でも、シェルパについて行くのがやっと。
すると、サーダー(シェルパ・リーダー)が「男の隊だってそうだ。」と…

写真集を開けば、懐かしさが蘇ります。
キャラバンでは日傘代わりの傘をさし、
日焼け止めクリームをたっぷり塗って(田部井さんも例外ではありません)、
紫外線対策として、ガーゼの覆面をしたり、食事の時は正座か横座り…

20090914
エベレスト頂上に立つ田部井淳子さん
豪華カラー日本女子登山隊写真集
『エベレスト女の栄光~「隊長さん、いま頂上です」~』 読売新聞社 1975

200909142
シェルパやキチンボーイと一緒にベースチャンプに勢ぞろい

200909143 ↑のアップ
中央の黒いサングラスが久野隊長、その左が田部井淳子さん

200909144 「おめでとう 田部井さん」
頂上からの成功第一報にわく前進キャンプ(C2)の隊員たち
ハンディトーキーで交信するのは久野隊長

あの頃は、登山と言えば、みんなニッカーでした。
ニッカはいつ頃から履かなくなったのでしょう?

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「趣味悠々」

「趣味悠々」という番組は、中高年を対象にしているようにも思えますが、
なぜか、あまり観ることはありません。

でも最近、水曜日放送の
「山で元気に! 田部井淳子の登山入門」(10回シリーズ)は
忘れない限り観ています。生徒役は、ルー・大柴さん。

ルー大柴さんて、実際は画面から受ける印象とは違うようですね。
出演者の紹介文によれば、
趣味は、クラシックを聴きながらお酒を飲むことだそうです。

先日の放送の「燕岳」は、生憎の雨の中の登山でしたが、
雨に洗われた木々の緑が美しく、
マイナスイオンを感じて、気分がリフレッシュできました。

また、真っ白な、とても珍しい高山植物も見ることができたのですが、
うっかり、名前を見落としてしまって…

手持ちの高山植物の図鑑で調べてみましたが、載っていませんでした。
是非とも再放送で確認したい…忘れそうですが。

燕山莊(えんざんそう)の内部が少しだけ映ったのも嬉しかったです。
アルペンホルンの演奏も素敵で、あの場にいる自分を想像してしていました。
それから、本棚に綺麗に並べられていた本が、気になって仕方がなかった…

窓の外は雨…でも、窓際のテーブルで、
ルーさんは、田部井さんに趣味のお抹茶を点ててあげてました。
山小屋というと、コーヒーのイメージですが、お抹茶とは贅沢ですよね。

次回は、燕岳の後編の「長い下りにご用心!」です。
雨も風情がありますが、やっぱり晴れて欲しい…素晴らしい眺望でしょうから。

今までお二人が挑戦された山は、
高尾山、金時山、谷川岳、木曽駒ヶ岳、燕岳でしたが、
最終目的は、富士山です。

こういう番組を観ていると、昔とは違う登山用具に驚嘆させられます。
もう、買うことも使うことも無いでしょうが…。

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「北アルプス大縦走(後編)」

昨夜、「北アルプス大縦走(後編)」というNHKの番組を予約しておいたところ、
録画されていたのは「水中紀行 人と魚の知恵比べ」という別の番組でした。

なぜ?…と思ったら、ちょうど同じ場所(ジャンダルム)で事故があったのですね。
遭難者の救助に向かったヘリコプターの墜落事故により、
パイロットと整備士の3人が亡くなったという二重遭難…
それでは、放送できなくても仕方ないですね。

放送は18日に変更されてました。でも、これ中部7県だけのようで、
全国放映は、2009年9月23日(水)AM8時35分~9時48分(NHK総合テレビ)
だそうです。

田部井淳子さんと、NHKのアナウンサーの内多勝康さんのお二人が、
23日間をかけて北アルプスを縦走した模様が見られます。

前編を見ていた時、若かりし頃、後立山連峰を縦走した時の記憶が蘇りました。
私は、もう、あんな登山は無理ですが、田部井さんは凄いです。

TVで田部井さんを拝見する度に、感動せずにはいられません。
田部井さんは、今も輝いてますから…

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「期待はずれ」

勉強が嫌いなデイビーは、ドーラの宿題を丸写しにして先生にばれてしまう…

ジャスパーの実験室では、ジャスパーのが発明した液体用掃除機を壊し、
ヘティに汚水を浴びせてしまう…

翌朝は仮病を使って学校をサボろうとし、ヘティに見抜かれ登校したけれど、
着くやいなや抜け出し、オリビアに見つかってしまう…

デイビーは、「学校をやめて働く」と言い出し、ヘティを嘆かせますが、
仕事の厳しさを知れば、学校に戻るに違いないと考えたヘティは、
オリビアとジャスパーの経営する缶詰工場で働かせてみることにしました。

ヘティの意見を聞かず「余所行き」を着て缶詰工場に行ったデイビーは、
ワイリーの下で働くが、煉瓦を割ったりと失敗の連続…
翌朝は、遅刻を誤魔化そうとして、タイムカードの時計を壊してしまう…

ヘマばかりしているデイビーを見ていられないジャスパーは、
秘書にして、計算の仕方や、ニュートンの力学などを教え、
勉学に目覚めさせようします。
また、自分も学校が嫌いだったと話すのですが… 

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幼かったこととは言え、『アンの青春』のデイビー・キースは、
無邪気で憎めない悪戯ばかりして可愛かったのですが、
こちらのデイビー・キースは、どうも「発達障害」の疑いありです。

今回のジャスパーは散々でした。
水槽(?)に落ちたり、肥満児のデイビーを自転車の前に乗せたり、
ロブスターレースでは、背負って走ったりで…

可笑しかったのは、オリビアがデイビーを面接し、真面目くさった顔で、
「職歴」を聞いていたシーン。

それと、学校に行ってない息子のワイリーが、暗算が得意だと知った父親が、
無理矢理、息子を学校に連れて行くシーンでした。

<デイビーが質問されて答えられなかった宿題の問題>
   Aの汽車は、午前11時5分に駅を出発し、
   時速50キロで走って、午後12時5分に目的地に到着する。
   一方、Bの汽車は、同じ駅を午前11時35分に出発し、
   時速100キロで走り、目的地にはどちらの汽車も同じ時刻に到着する。
   さて、目的地までの距離は?

<名言>
「しばらく、そっとして置いたらどう?
だって、嫌だって言うのを無理に(学校に)行かせようとしたって、
反発して、逆効果になるだけだもの。」(オリビア)

「…誰だって、必ず一つは得意なことがある。
要は、それを見付けられるか、どうかなんだ。
…でも、人生って言うのは、ほら、よく、例えられるだろ?旅に…
道がどんなに険しくても、どうしても、その先に進みたいと思ったら歩き続けなくちゃ。
…すべては質問から始まるんだ。あとは答えを探しに行けばいい。
…まあ、でも、山登りと考えてごらん。
てっぺんまで登ったら、どこまでも見渡せて、好きな道を選べるんだ。」(ジャスパー)

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第71話「期待はずれ」
(Great Expectations)より

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『太宰治の四字熟語辞典』

昔読んだ時には気付かなかったのですが、
太宰治の作品には、沢山の四字熟語が使われているように思えます。

中には見たこともないようなものもあって、いかに自分が無教養かということを、
思い知らされたのですが、図書館で借りた『太宰治の四字熟語辞典』によれば、
太宰は、多くのオリジナルの四字熟語を作っていたそうなのです。

それが、意図的に創作したものなのか、
それとも、誤用だったのかは、今となっては知る由もありませんが、
あれほど語彙の豊かな作家ですから、私は誤用ではないと思っているのです。

実は、6月頃だったでしょうか、
偶然、新聞の書評で『太宰治の四字熟語辞典』を知り、
すぐに借りようとしたのですが、同じように思う人が多かったらしく、
なかなか借りられませんでした。
(家の熟語辞典(下の写真)は開くこともないのに…)

この本の最後に取り上げられていた四字熟語は「人間失格」でした。
「人間失格」が四字熟語なのかどうかは分かりませんが、
タイトルを思えば、最後が「人間失格」で当然でしょう。

「人間失格」という言葉の初出は、『懶惰のの歌留多』で、

人は、自分以上の仕事もできないし、自分以下の仕事もできない。
働かないものには、権利がない。人間失格。あたりまえのことである。

というのものだそうです。

『人間失格』は、パビナール中毒で、1ヶ月間、脳病院へ強制的に入院させられ、
それによって、他人から廃人と見られていると思い込む。
脳病院での記憶が後々まで太宰を苦しめ、そして生まれたという…

人間、失格
もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。

1936年当時、「脳病院」に対する偏見は、
現在とは比べられない程だったでしょうから、無理ないような気がします。

20090910 『太宰治の四字熟語辞典』
円満字二郎/著 三省堂
『ど忘れ 二・三・四字熟語活用辞典』
本文イラスト 仙石ともつぐ/土屋智計/新堀 徹
人文社

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『本のなかの少女たち』

「歴史秘話ヒストリア」を観たことが切っ掛けで太宰治を読み返し、
津島美知子さん、太田静子さん、太田治子さんの著作を読み、
そして今、津島佑子さんの『本のなかの少女たち』を読み終えたところなのですが、
発想が余りにもワイドショー的で、そのミーハーぶりに我ながら呆れてしまいます。

プロローグ(自伝風に)には、
…母親(津島美知子さん)は、娘達に対して、
「女の子らしく」とか「女の子だから」と言ったことがなく、
家事も手伝わせなかったし、台所にも入れさせなかった。…

(別の本では、「家庭科が嫌いで、家庭科の宿題はいつも母にやって貰っていた」
とも。)
とありましたが、その影響かどうかは分かりませんが、
津島佑子さんの文章は理路整然として、中性的な雰囲気で心地良く、
とても読みやすかったです。

どんな男の子でも「少年」という言葉で呼んでも違和感がないが、
現実の女の子たちの中で「少女」という言葉に相応しい子は少ない。
結局は「少女」というのは、世の中での一つの役柄に過ぎないのではないか
これには同感です。

取り上げられた少女たちは、
ロッテ(『若きウェルテルの悩み』)、グレートヘン(『ファウスト』)
ダフネ(『転身物語』)、ディアナ(『アンティゴネ
かぐや姫(『竹取物語』)、紫の上(『源氏物語』)
菅原孝標の女(『更級日記』)、八百屋お七(『好色五人女』)
ネルリ(『虐げられた人々』)
ソーニャ(『罪と罰』)
キャサリン(『嵐が丘』)
キャディー(『響きと怒り』)
エリザベート(『恐るべき子供たち』)、安寿(『山椒太夫』)
ヴィンカ(『青い麦』、美登利(『たけくらべ』)
ローラ(『ガラスの動物園』)
ミック(『心は孤独な狩人』)
ムーシェット(『新ムーシェット物語』)
春琴(『春琴抄』)
ナナ(『居酒屋』)、ホリー(『ティファニーで朝食を』)
ポーシア(『ベニスの商人』)、ジュリエット(『ロミオトジュリエット』)です。

昔読んだ様々なタイプの少女たちが思い出されます。
それにしても、男性作家が描く少女(女性)というのは、
どうして共感できないのでしょうか?(もちろん例外も…その一人が太宰治)

とは言っても、同じように男性も、女性作家が描く男性像のことを、
「こんな男はいないよ」と異論を唱えているのかも知れませんが…。

ブロンテ姉妹、マーガレット・ミッチェル、オルコット、ウェブスター、
オースティン、モンゴメリー、サガン、マンスフィールド、ボーヴォワール…
確かに、思春期の頃の女子が読む本は、女流作家のものが多い気がします。

読んでない本だけでなく、読んだ本も、また読みたくなりました。

20090909
『本のなかの少女たち』 津島佑子/著 中央公論社
『女という経験』 津島佑子/著 平凡社

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「デイビーは反抗期?」

次々と面倒ばかり起こすデイビーを叱っていたレイチェルが、
脳卒中で倒れてしまいました。

レイチェルは、本土サスカトゥーンの息子の家で療養することになったのですが、
迎えに来た息子のロバートは、双子は連れて行けないと言います。

デイビーとドーラを快く引き取ったヘティは、
始終付きまとうドーラと、心を開こうとしないデイビーに戸惑うばかり…

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キングファミリーの子供達が成長してしまったためにで、
第6シリーズからは、デイビー・キースとドーラ・キースの双子と、
レスター家の兄妹(ワイリーとベッキー)が主な子役たちとなりました。

ただデイビーは、ちょっと損な役回りのようです。
小さい頃のフェリックスも問題ばかり起こしていましたが、
最後には後悔し、反省もしてました。

デイビーはフェリックスとは違って、問題を起こしても特に痛い目にも合うこともなく、
叱られても、言い訳したり逆ギレしたり開き直ったりで、
反省することが少ないのです。

それで、情が移らないのかも知れませんね。
吹き替えの声も、合っていないように感じましたが…

<名言>
「何言ってるの!家事が女の仕事だなんて、決まっていませんよ。
それじゃあ不公平でしょうが。
何もかも、女がやってやったんじゃあ、男を甘やかしてしまうもの。」(ヘティ)

「子供にも、気分の良し悪しがあるのよ。大人と一緒で…」(ジャネット)

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第70話「デイビーは反抗期?」(The Trouble with Davey)より

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『天使と悪魔』

『天使と悪魔』も、太田治子さんのエッセイ集です。

相変わらず、内容は同じ様なことばかりですが、
強いて言えば、娘の万里子ちゃんと夫に纏わる内容が中心でした。

文章通りとしたら、相当酷い…
たとえば、娘のアトピーを治そうとしたのも、
「醜い顔の赤ん坊を抱いていると、恥ずかしくて引け目を感じるから」。
その様なことが何度か書かれてましたが、そんな親、聞いたことないです。

それに、「この子はとんだブタ娘でございます」と本人の前で言ったり、
娘に、夫(娘の父親)の悪口を言ったり…これは絶対駄目です!
自分の都合で、夫や娘に犠牲を強いたり…

とにかく、夫に対する不平不満(愚痴?悪口?)が多いのには驚きました。
今は離婚されているそうですが、その「元夫」に同情…娘の万里子さんにも…
いわさきちひろさんの装丁が可哀想です。

今まで読んだ著作本は、全て15年以上昔のもので、
棚では無く「書庫」でしたが、なぜ何冊も借りてしまったのでしょう?

まさか、同じことばかり書かれているとは思わなかったからなのですが、
それにしても…
きっと、私が、行間を読みきれなかったのかも知れませんね。

『天使と悪魔』のタイトルは、後書きによれば、
娘さんのことを指しているとのことです。

1歳を過ぎて間もなくの頃、悪戯を叱った母親の頬を叩いたことや、
金魚鉢に葡萄を入れ、結果的に金魚を死なせたことが悪魔の仕業とか。

母親を叩いたのは、母親がしていたからでしょうし、
金魚鉢にブドウを入れたのも、殺そうとしたからではなく、
金魚に、お裾分けしたかったとも思えます。まだ1歳ですから。

それを、「紛れもなく悪魔の仕業」と言う母親の方が理解できません。
万里子ちゃんが、赤や黒の洋服が似合うのも…
「悪魔」と色は関係ないと思いますが…。

20090907 『天使と悪魔』 太田治子/著 朝日新聞社

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不眠症…(2)

みんな寝静まっている夜更けに、自分だけが眠れず焦っていた女の子は、
大人になっても寝付きの悪いままでした。

友達と泊まった旅先の宿でも、疲労困憊の状態で辿り着いた山小屋でも、
ようやく、ウトウトし出すのは、いつも朝方になってから…

「焦っては逆効果、眠れなくても心配ない…」人はそう言います。
そう、眠れなくても大丈夫!
一人だけの秘密の時間を持てるのですから…

布団の中で横向きに寝たまま読書したり、手紙を書いたり
(夜書いた手紙はそのまま投函したら危険、必ず読み直してからでないと…)
又は、空想の世界に浸ったり…

空想は、多分、小学生の頃からだったと思います。、
登場人物やストーリーの他に、家の見取り図などもノートに書いたり…

現実とは程遠い裕福な家庭環境、容姿にも才能にも恵まれてる自分…
それは眠らなくても夢の世界でした。
途中で本当に夢の中に入ってしまうから、次の晩は、続きから空想したりして。

そんな自分は異常なんだと、誰にも言わずにいましたが(これが初めて)、
12歳の頃に、Eの付くアンと出会ったことで、
“アンもそうだったのね!”とほっと胸をなで下ろしたのです。
(アンの空想は、夜だけじゃないのですが…)

空想(妄想じゃないですよ。空想ですよ。)は、大人になっても続いていました。
…いえ、現在進行形なのです。

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不眠症

生まれつき(?)非常に寝付きが悪かった私は、
幼い頃から、一端の「不眠症」患者(?)でした。

眠れない理由は、いくらでもありました。
その日の悔しかった出来事を思い出しては、声を殺して涙を流したり、
(親や自分の)死への恐怖や、
眠ってしまったら、永久に起きられないのでは?という不安…

草木も眠る丑三つ時…柱時計が深夜2時を告げる頃ともなると、
地球上で起きているのは自分だけのような気がして、
絶望的になったり…

風による微かな物音にも、“泥棒がいる!”と怯え、全身に冷や汗が出て、
恐怖心は頂点に達するのです。
寝床から、そぉ~と抜け出し、恐る恐る、窓の外を伺ったりしたこともありました。

自分の家でさえ、そうなのですから、
就学後では、宿泊訓練、キャンプ、修学旅行などは苦痛でした。

自分だけ眠れないのが情け無く、また先生にも悟られたくないから、
目蓋を閉じ、軽い寝息を立てたり寝返りを打ったりして、
切ない演技していました。

小学生の頃の夏休みには、
毎年、母方の同年代の従姉妹達と、母の実家に遊びに行ってましたが、
そこでも毎晩、眠れない長い夜を過ごしていたのでした。

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『ふたりの散歩道』

『ふたりの散歩道』も、太田治子さんのエッセイ集ですが、
他の本と内容が同じものばかりだったので、
初めから終わりまで、ほとんど斜め読みしてしまいました。
だから早いこと…

従って、特に印象に残っている所も無かったのですが、
夫の事を、「万里子(太田治子さんの娘の名前)の父親の共同生活者
と表現されていたことには、驚きましたね…。

20090904 『ふたりの散歩道』 太田治子/著 PHP研究所

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『気ままなお弁当箱』

『気ままなお弁当箱』も太田治子さんのエッセー集です。
食傷気味ではありますが、借りてしまったからには読まなくては…
と、読みましたが…斜めですが…

母の太田静子さんのご存命中のことですが、
冬の夕食は、1日おきに鍋ものだったそうです。

それには別に驚きはしませんでしたが、材料をきっちり二つに分けて、
銘々が小さなお鍋で煮て食べていたと言うのには驚きました。

なぜかといえば、食べた食べないで喧嘩になるからと言うのですから
更に驚き…母と娘の二人きりなのに…

結婚願望が非常に強い治子さんでしたが、
三十代の終わり頃に、待望の御縁があったようでした。

いきなり、「共同生活者」の文字が飛び込んできたので、
初めは文字通り、ルームメイトか同棲相手のことなのかと思いましたが、
「婚姻届を出した」の文字を目にしたことで、「夫」の事と分かったのでした。

表現方法はその人の自由ですが、
どの話題でも、1歳年上の夫の事を、「共同生活者」という代名詞が
使われていたことに、違和感を覚えてしまいました。

20090903 『気ままなお弁当箱』 太田治子/著 中央公論社

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COOL JAPAN …防災(Disaster prevention)

9月1日は「防災の日」、と言うことでテーマは「防災」。
なぜ、9月1日が防災の日かと言うと、
1923年(大正12年)9月1日に、関東大震災が起きたから…

大正12年は母の生まれた年でもあるのですが、
それより、「関東大震災」というと「甘粕事件」を連想してしまうのです。
話が逸れました。

日本は防災意識が高い国だそうですが、我が県は昔から特に高いようで、
私の子供の頃から、防災訓練は頻繁に行われていました。

先月11日の地震では、天井まで平積みされていた書籍が崩れたことで、
本に埋もれて、窒息死した女性が発見されましたが、
私も一週間以上続いた余震に怯えていました。
あの怖さは、何度体験しても慣れないのですよね。

「地震、雷、火事、親父」と言いますが、特に地震は怖いです。
でも、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」が世の常…
「備えあれば憂いなし」ですよ、「天災は忘れた頃にやってくる」のですからね。

「避難訓練」「家庭の備え」「「ハイパーレスキュー隊」「免震技術」
今回のベスト・オブ・クールは、「免震技術」でした。

震度3の地震を、ニュースで知ったというご家族がいましたが、
私も、地震時に空気で3cm浮かぶ家に住みたいものです。

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『母の万年筆』

『母の万年筆』も太田治子さんのエッセー集ですが、
これまで読んだ彼女のエッセー集と、内容がほとんど同じでした。

それぞれ出版社が違うため、求められた内容なのかも知れませんが、
違うのはタイトルだけでした。

随筆は昔から好きで、色んな人の文を読んできましたが、
こういうのは初めてです。(斜め読みなので早いこと…)

貧しかった事を強調していても、母の静子さんは元良家の子女だっただけに、
一般人とは交流する人達も違うし、金銭感覚も違っていたようで、
外国製の万年筆の蒐集(?)とか、プレタポルテやオートクチュールを購入したり、
一般庶民では出来ない暮らしぶりです。
それだけ治子さんの稼ぎがあると言うことなのでしょう…
母と娘と言うより、年の離れた姉妹か友達同士の様に思えました。

副詞や形容詞を多用するのは女性特有らしいのですが、太田さんも然り。
それも同じ単語ばかり…使い過ぎるのも読みにくいものですね。
気をつけなくては…

20090901 『母の万年筆』 太田治子/著 朝日新聞社

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