『空色のアルバム』
図書館から本を8冊借りてきました。2週間で読めるかしら?
その中の一冊『空色のアルバム』は、
太田治子さんの最初の著書『手記』を含めた随筆集です。
高校生の時に書かれた生い立ちの記の「十七歳のノート」(手記)は、
吉永小百合さん主演の日活映画『斜陽のおもかげ』(1967年)として、
映画化されたそうですが、知りませんでした…
太田静子さんと治子さん母娘の暮らしには、太宰治が存在していたようで、
太田家の(空色の)アルバムには、津軽の生家(斜陽館)の写真や、
著作本にあった何枚かの太宰の写真も貼られていたそうです。
「太宰ちゃま」と呼んでは話題にしたり、二人で『走れメロス』を朗読したり、
また、困った時には、仏壇の「太宰ちゃま」に手を合わせていたそうです。
「自分が生まれていなかったら父は死ななかったかも知れない。」
と思うことは辛いことですし、
雑誌記者の陰謀(?)によって、津島園子さん(太宰治の長女)と、
対面させられた時の事の屈辱的な思いも想像できます。
小学校4年生の頃に、母親から許可されていたのは、
『走れメロス』『千代女』『斜陽』の三つとありました。
「津軽紀行」では、英治伯父さん夫妻や文治伯父さん夫妻、
幼かった頃の太宰の面倒をみてくれた「たけさん」や、
その他の多くの人達から優しくもらったとのことが書かれていました。
雑誌の企画だからこそ、治子さんは太宰に纏わる人達と対面出来たのですが、
“未亡人と子供達も津軽の人達と懇意にしていたのかしら…?”
そんな疑問が湧いてしまいました。
文治伯父さん(衆議院議員、参議院議員、青森県知事)の言葉の、
「…修治が小説を書くことなどやめて、
普通の平凡な人間で長生きして欲しかった…」
に、近親者の心情が伝わりました。
『空色のアルバム』 太田治子/著 構想社
十七歳のノート(昭和40・4『手記』改題)
津軽紀行(昭和41・10『津軽』改題)
二十歳のノート
初めての出勤
私のティータイム
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