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2009年8月

『言いだしかねて』

『言いだしかねて』
~父、太宰治 そして 愛、家庭を語る太田治子対談集~

思わせ振りなタイトルですが、太田さんが語っていた内容は、
エッセーで読んだものばかりだったので、新鮮味を感じることはありませんでした。
でも、対談者の話に関しては面白く読むことが出来ました。

特に、御自身も激しい生き方をしてきただけに瀬戸内寂聴さんの考え方は、
違いますね。
さすが、伊藤野枝のことをを書いた(『美は乱調にあり』)人ですね。

<初出一覧>
青木雨彦     二人だけの「桜桃忌」                                           『潮』 S56/6
灰谷健次郎  父に似ている自分が怖い                         『幼児と保育』 S55/6
角川春樹     父というものを痛感させられたとき            『シグネチャー』 S56/9
今江祥智     「ごっこ」の取れた優しさとは                           『COOK』 S56/4
五木寛之     九州の血が流れるシャイな作家(ひと)  『キング&クィーン』 S55/5
古井由吉     愛の形における男女の違い                            『青い鳥』 S51/9
落合恵子     自由に自分を生きる                                      『出会い』 S57/7
笹沢左保     素晴らしい恋は一生に五回する                     『COOK』 S56/11
倉本聡        夫婦の関係はいいドラマ作りと同じ                 『COOK』 S55/12
菅原文太     結婚は修羅場のようなもの                    『週刊朝日』 S54/11/16
澤地久枝     誰かがあなたの心をノックしたら……                『COOK』 S56/2
瀬戸内寂聴  情熱の切れっ端でなく、全身全霊で生きて欲しい 『COOK』 S56/5
立松和平     女の勝負、男の断念                                         『アイ』 S54/12
山田洋次     空腹のときのおにぎりと豚汁、そんな映画を撮りたい
                                                                              『シグネチャー』 S57/3
窪島誠一郎  「みなしご」でしか見えない絵                          『COOK』 S56/12
南育代        晩ご飯食べて星を見るカントリーライフ                『COOK』 S55/7

20090831 『言い出しかねて』 太田治子/著 主婦の友社

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花火大会で

昨夜、1ヶ月遅れの市の花火大会がありました。
いつもなら、2階の窓から上部だけを眺めて満足しているのですが、
どういう風の吹き回しか、今年は出掛ける気になったのでした。

でも、せっかく20年ぶりに行ったというのに、、無風の為に煙が残ってしまい、
肝心の花火がしっかり見えなかったことが残念。

花火にはコンピューター制御で音楽が流れましたが、
静かなクラシックの時はまだしも、大音量のロックの場合は耳障りで、
たまたまスピーカーが近かったために、花火に集中出来なかったです。

打ち止めの後のアナウンスで、繰り返して言っていた、
「…くれぐれもゴミは持ち帰らないでください…」に納得。
家まで持ち帰るなら問題無いのですが、途中で捨てる人もいますからね。

ところで、浴衣姿の男性は珍しいので、つい目が行ってしまうのですね。
若い男性しか見掛けませんでしたが、近頃の若い男性の浴衣姿って何かヘン…

ひょろっとした体型のせいなのか、姿勢のせいなのか、
一言で言えば、旅館の浴衣(寝巻)みたいなんです。

それに、浴衣を着ている人に限って、髪型がスーパーサイヤ人ですから、
「粋」とか「いなせ」とは程遠いです。

女性のように衣紋を抜いたり、腰骨より高い位置で帯を締めていたりすると、
野暮を通り越して、オツムの弱い人に見えてしまうのです。
(衣紋を抜かない女性が多いのも最近の特徴みたい。)

踝が隠れる丈に着ているのは、きっと既製品だからでしょうね。
(女性の場合は、お端折りで調節出来ますが…)
売る方も知らないのか、売れれば良いと思っているのかは分かりませんが。

今の人は着慣れていないと言うより、知らないのでしょう。
大正生まれの私の父の世代の男性も、一年中洋服でしたから、
着慣れていた訳ではないのですが、着方や所作を心得ていた様に思うのです。

夜着る浴衣には、角帯より、兵児帯を小さめに締めた方が素敵…
それも中央ではなく、少し横に。

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『空色のアルバム』

図書館から本を8冊借りてきました。2週間で読めるかしら?

その中の一冊『空色のアルバム』は、
太田治子さんの最初の著書『手記』を含めた随筆集です。

高校生の時に書かれた生い立ちの記の「十七歳のノート」(手記)は、
吉永小百合さん主演の日活映画『斜陽のおもかげ』(1967年)として、
映画化されたそうですが、知りませんでした…

太田静子さんと治子さん母娘の暮らしには、太宰治が存在していたようで、
太田家の(空色の)アルバムには、津軽の生家(斜陽館)の写真や、
著作本にあった何枚かの太宰の写真も貼られていたそうです。

「太宰ちゃま」と呼んでは話題にしたり、二人で『走れメロス』を朗読したり、
また、困った時には、仏壇の「太宰ちゃま」に手を合わせていたそうです。

「自分が生まれていなかったら父は死ななかったかも知れない。」
と思うことは辛いことですし、
雑誌記者の陰謀(?)によって、津島園子さん(太宰治の長女)と、
対面させられた時の事の屈辱的な思いも想像できます。

小学校4年生の頃に、母親から許可されていたのは、
『走れメロス』『千代女』『斜陽』の三つとありました。

「津軽紀行」では、英治伯父さん夫妻や文治伯父さん夫妻、
幼かった頃の太宰の面倒をみてくれた「たけさん」や、
その他の多くの人達から優しくもらったとのことが書かれていました。

雑誌の企画だからこそ、治子さんは太宰に纏わる人達と対面出来たのですが、
“未亡人と子供達も津軽の人達と懇意にしていたのかしら…?”
そんな疑問が湧いてしまいました。

文治伯父さん(衆議院議員、参議院議員、青森県知事)の言葉の、
「…修治が小説を書くことなどやめて、
普通の平凡な人間で長生きして欲しかった…」
に、近親者の心情が伝わりました。

『空色のアルバム』 太田治子/著 構想社
20090829 十七歳のノート(昭和40・4『手記』改題)
津軽紀行(昭和41・10『津軽』改題)
二十歳のノート
初めての出勤
私のティータイム

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「同病の友」

セシリーが入院しているサナトリウムに、ルイという14歳の少年が入ってきました。
彼は裕福な家の息子を装いますが、実際は街で新聞を売っていたのです。

優等生のセシリーも、何かと問題を起こすルイに次第に影響され、
小火騒ぎを起こすに至って、アボンリーの両親が呼び出されてしまいました。

実はルイの病気は既に手遅れ…クリスマスを知らないというルイのために、
キング夫妻は、半年早いクリスマスを思い付きます。

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約100年前のアメリカ(ニューイングランド)のサナトリウムは、
あんな感じだったのでしょうね。
病院というより寄宿学校のようでした。

みんな寝間着姿ではないし、食事も食堂でみんなで取り、運動もしてましたが、
新鮮な空気を吸うため、夜もバルコニーで寝ていたのには驚きました。

しばらく見なかった間にセシリーが随分変わってしまった…?
横も縦も大きくなって、顔も違うような気がする…と言うより、絶対別人です。
しかも性格も変わってしまったのか、目付きもきつい。

違うのは分かっても、前のセシリーの顔が思い出せない…
存在感が無かったので、正直そんな感じでした。

セシリー役のハーモニー・クランプの都合かな、と思っていましたが、
「制作側の意向だった」と、彼女自身が語っていました。
どんな理由があろうとも、替えて欲しくなかったです。

<名言>
「人生は、たった一回しかないんだからな。
やりたいことをやらなきゃ意味がない。」(ルイ)

関連記事「バトンタッチ (1)」

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第69話「同病の友」
(Christmas in June)より

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「町はお祭りムード」

病院のためのチャリティーオークションがホテルで開かれることになりました。
独身男性が作ったお弁当を競り落とした女性は、一緒に食事をし、
ダンスが出来るというもので、お目当てのいる人達は落ち着かない。

フェリックスに付きまとうベルマの存在が気になるイジー、
何歳からが独身なのと疑問を抱くデイビー、
クライブの親切を、好意と誤解してしまったヘティ、
デイビーを競り落としたいのに、お金もドレスもないベッキー、
「まるで豚の品評会と同じだ!」と怒っていたサイモン・トレメインも、
アレックの一言から、お弁当を作り出します。

「ベルマ」→「フェリックス」⇔「イジー」←「ワイリー」
「ミュリエル」⇔「クライブ」←「ヘティ」←「トレメイン」
「デイビー」⇔「ベッキー」…
オークションが無事終わって、カップル誕生となったのは、
「イジー&フェリックス」、「ミュリエル&クライブ」、
「デイビー&ベッキー」、「ドーラ&ワイリー」、「レイチェル&ピエール」
そして、微妙なのが「ヘティ&トレメイン」です。

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「町はお祭りムード」には、素敵なシーンが沢山ありました。
フェリックスを想ってピアノを弾くイジーの後ろ姿がいじらしいく、
箒と踊るサイモン・トレメインやモップと踊るヘティも、
オークションでのヘティやトレメインも切なかったです。

息子のフェリックスとイジーのために、
破格の値を付け、息子のお弁当を落札したジャネット。
(フェリックスもイジーも、見違えるほど大人になりましたねぇ。)

ディガーに手を振っただけなのに、
意に反して、ピエールのお弁当を落札してしまったレイチェル。

泣けるシーンもありました。
子沢山で貧しく娘ノベッキーにドレスを買ってやれないライオネルは、
外国伝道団の寄付箱からドレスを盗ってしまったのですが、
ベッキーは、ドレスの持ち主だった少女から、

「あんたの父さん、大泥棒よ!
……買ったんじゃないわ、寄付箱から盗んだのよ!」
と言われてしまいます。
ショックを受けたベッキーは泣きながら返しに行きましたが、
この時のイジーの台詞が感動的でした。
「あんた楽しいの!?人を傷付けて。
ベッキーはせっかく、あんなに喜んでたのに。」
イジーって優しくて正義感の強い子ですね。

イジーがもう着られなくなったという青いドレスを貰ってベッキーは大喜び…

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疑問もありました。
ベルマ・ビューグルは、ビューグル夫人の娘?孫?
…年齢的には孫に見えますが、どちらなのでしょうか?

ドレスが嫌いで、いつもボーイッシュな服装のイジーだったのに、
ドレスを持っていたとは意外でした。

<名言集>
「フンッ!私に言わせりゃ、若い男に色目を使う娘は、
みっともなくて見ちゃいられないけど、
いい年して愛だ恋だと騒ぐ女はもっとみっともないわ。」(レイチェル)

「独身とは、年齢に関係なく、その人の精神状態を言うんだ。」(トレメイン)

「ムッシュ・トレメインが孤独だからって、同情することはないんだぞ。
私の作った料理より、ソーセージの方がいいなんて言う奴は、
寂しくて当然なんだ。」
「いいかね、『ライバルほど、惹かれ合う』、それが常識なんだ。愛のね。」
「食事というのは一種の芸術ですよ。
美しい料理は美しい音楽と同じ、どちらも愛の象徴だ。」(以上、ピエール)

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第68話「町はお祭りムード」
(Lonely Hearts)より

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COOL JAPAN …夏の食べもの(Summer Food)

テーマは「夏の食べもの」でしたが、
もう少し早く放送した方が良かったような気もします…もうすっかり秋ですから。

そうめん、ひやむぎ、ざる蕎麦、冷し中華の他に、
今や「冷やしおでん」や「アイスカレー」「冷やしアンコウ鍋」まであるのですね。

“時間とエネルギーの無駄”という意見もありましたが、
“常に新しいものを考える日本人らしい”との意見もありました。
こういう料理が将来も残るかどうかは疑問ですが…

熱い物は熱く、冷たい物は冷たくが日本料理、
そのため、予め器まで温めておいたり冷やしておいたりするのが日本流で、
私もそうしていますが、やり過ぎはお腹に優しくないですね。

「夏バテ防止に土用の丑の日にはウナギ」、番組では触れられてませんでしたが、
これ、「茶柱が立つと縁起が良い」と同じように、
平賀源内が鰻屋に頼まれて作ったキャッチコピーと聞いてます。

それが本当だとしたら宣伝効果は凄いです。
鰻屋さんにとっては平賀源内様々ですね。

土用の丑の日にウナギを食べるのは、スタミナ源の他に、
主婦にとっては、“その日の献立を考えなくてすむ”もあるのでは…

食欲の落ちる時期の冷たい料理や、夏バテの為のスタミナ料理というのは、
外国にはないそうなんです。(ドジョウはともかく、マムシ酒にはゾッとしました。)
というより、夏バテ自体が無いようです。

夏バテするのは、日本人が働き過ぎでスタミナ不足だから、というより、
湿度のせいのようです。

“来日してから夏バテするようになった”の意見や、
インドの女性も、“インドは湿度が低いから…”と言ってました。
でも、その湿気のおかげで、日本人の肌は欧米人より若いそうですから…

ノルウェイ出身のオレさんが、千葉県野田市に「枝豆」を取材、
今では「枝豆」は外国でも売られていて、辞書にも「EDAMAME」があるそうです。

ベスト・オブ・クールは「枝豆」、アルコールを飲まない私も大好きです。
ただ、良く噛まないと…

※ 「茶柱が立つと縁起がよい」
  この迷信は、江戸時代、駿河では美味しい玉露や煎茶ばかりが売れ、
  二番茶や茎茶が売れ残ってしまう、そこで駿河のお茶商人が、
  売れ残りの安い(美味しくない)二番茶や茎茶を売るために考えた、
  宣伝文句だったそうです。
  玉露や煎茶には茎はないので、茶柱が立つのは安いお茶なのです。
  (小・中学校の頃、お弁当の時間に飲んだ(用務員さんの)お茶でしか
  経験ありません。)
  前にも書いた様な気がします。書いたとしたら御免なさい。

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はやし歌

はやし歌にも色々ありました。

みっちゃん みちみち…」に似ているものに、
かっちゃん数の子 ニシンの子…」というのがあって、
名前の頭に「」が付く子に対して歌うのですが、
この先があったような気もするし、無かったような気もします。

泣いていた子の機嫌が直ると、
今泣いたカラスが もう笑った~」とはやすのですが、
せっかく機嫌が直ったのだから、また不愉快にさせることもないのにね。
それに、なぜカラスなんでしょう?

小学校などで、悪戯したり何か失敗したりすると、すかさず歌うのが、
あ~らら こらら 先生に言ってやろ~」でした。
子供なので仕方ないのですが、幼稚というが単純というか…

喧嘩した時には、
お前の母さん出べそ…」とはやすのですが、この先の歌詞は分かりません。
何処にも根拠が無いのに当然の如く歌うのです。

喧嘩の相手が太ってる子の場合は、
デブデブ百貫デブ 車にひかれてペッチャンコ…
これも続きは分かりませんが、いくら喧嘩とは言っても、
思い遣りのかけらも無いですよね。

こういうのを言うのは、ほとんど男子でしたが、
喧嘩と言うより、一種の言葉遊びだったのでしょう。
言われた方は不愉快だったでしょうが…

ことば遊びで、しっかり覚えているのがあります。

あのこ赤い 赤いはリンゴ リンゴはうまい うまいはバナナ
バナナは高い 高いは電柱 電柱は光る 光るはオヤジのハゲ頭

(又は、高いは2階 2階は落ちる 落ちるはカミナリ カミナリは光る
光るはオヤジのハゲ頭
)」

というものですが、
「あの子の赤」が、頬の色なのか、服の色なのか、疑問に思っていました。
それに、どういうわけか、はやし歌の最後は「光るはオヤジのハゲ頭」なのです。

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おべんと付けて…

太田治子さんの『空からの花束』の中に、
…ごはん粒付けてどこいくの?」というのがありました。

懐かしい…
ほっぺに御飯粒を付けている子に、よく言ったものでした。
多分、幼稚園以下の頃だったのでしょうが…

ただ、私達が言ってたのは少し違っていて、
おべんと(お弁当)付けてどこ行くの~富士山行くならもっと付けよ!
でした。土地柄ですね。

はやし歌といえば、思い出したくもない、こんなのもありました。
みっちゃん みちみち~~」…この先は書きたくない…

何もしてないのに、名前に「みつ」とか「みち」が付くというだけの理由で、
言われるのですよ。
私もその一人でした…

そういうのは大抵男子で、悪気が無いことは分かっていましたが、
内心では、「バカじゃないの?」と軽蔑してました。

とにかく、イヤ~な気分でした。

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『空からの花束』

太田治子さんのエッセー集『空からの花束』には、
大切な人達…愛する娘の万里子ちゃんや今は亡き母の静子さん、
心の友みどりさん(司馬遼太郎夫人)…のことや、
写真でしか知らない父(太宰治)や父の著作について、
旅の思い出、大好きな絵画、愛読書のことなどが綴られていました。

太田さんは、きっと真面目で正直な性格の女性なのでしょうね。
文章に表れていました。
でも、「こんなこと書いて大丈夫?」ということもあるのです。

というのは、治子さんの1歳年上の「夫」についてなのですが…
万里子ちゃんについても、大きくなって読んだ時に恨まれないか心配ですが、
夫についての文章については、あまりに正直過ぎて気になりました…

たとえば、会社から帰宅するなり、
「ブタ小屋だ!」と眼をむいて怒ったり、
「おい、ばばあ、へやの中が汚いぞ」と言ったりすることや、
料理に手抜きがあるからと「でていけ」と言われたりすることも書かれていました。

多分、古いタイプの男性なのでしょうね。
でも文面通りとしたら、家で子育てしなから執筆の仕事をしている妻に対して、
思い遣りに欠ける言葉だと思いますが…。
許せるだけの間柄ならいいのですが、書き方に恨みが込められていた感じでした。

とは言っても、活字にしてしまうのはどうなんでしょう?
夫自身は当然のこと、夫の身内や職場の人達が見ないとも限らないし…

書きたい気持ちは分かりますが、関係がこじれるだけなのでは…?
(ちなみに2004年に離婚されたそうです。)

20090823
『空からの花束』 太田治子/著 中央公論社

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『気まぐれママ日記』

人一倍(?)結婚願望が強かったのに、
何故か「ご縁」がなかった太田治子さんでしたが、
30代の終わりになって、待望の「ご縁」があったようでした。

エッセー集『気まぐれママ日記』には、
高齢出産への不安や、育児への戸惑いや喜びなどが、
素直で好感の持てる文章で綴られていました。

幼子を連れての海外旅行の顛末や、
娘の万里子ちゃんのアトピーが、ドクダミローションのお陰で完治したことなども
書かれていましたが、育児に関する親の苦労話というものは、
他人からすると微笑ましく感じてしまうから不思議です。

それぞれのエッッセーには、素敵なイラストが添えられていて、
そちらも楽しむことが出来ました。
H・Oのイニシャルがあることから、太田さん御自身が描かれたのでしょうね。

20090822
『気まぐれママ日記』 太田治子 産経新聞社

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図書館の本

図書館から本を借りてくると、真っ先にすることがあります。
それは表面を拭くことなんですが…
図書館の本はフィルムでコーティングしてあるので、水拭きOKですから…
まず、洗剤液を固く絞った雑巾で拭いてから、水拭きしてティシュで拭きます。

これ、私が潔癖症で「大勢の人が触れて不潔」だからではなくて、
あくまで「表面のべた付き感」が嫌だからなのですが…
読む時は、カバーを掛けて読みます。

嫌なことといえば、お菓子らしきザラザラしたものが挟まっていたり、
(挟まっているものでも、栞やメモなどなら、微笑ましいのですが)
栞代わりに角が折ってあったりすることもそうですが、
書き込みしてあったりするのも不快ですね。

それが傍線ならまだしも、見るに堪えないいかがわしい落書きだったりすると、
自分と同じ本を借りた人が、こんなことを書いたのか思うと、
残念と言うか、情け無いと言うか…

それが鉛筆ならば、必死で消すのですが、
シャープペンシルで、しかも0,2や0,3の芯だったりすると、
いくら消しても、線だけは残ってしまうのですよ。

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『心映えの記』

太田治子さんが作家で「斜陽の子」と言われる人ということは知ってましたが、
今まで、著書のタイトルさえ知りませんでした。
「日曜美術館」の初代アシスタントのイメージでしたから…

最近、偶然が切っ掛けで、太宰治や美知子夫人、
太田静子さんなどの著書を読んだことから、彼女にも興味が湧きました。

太田治子さんの『心映えの記』は、肝臓ガンのため、
術後一週間で天国へ旅立ってしまった母静子さんへの鎮魂歌とも言うべき、
回想の書でした。

生活が苦しかった時代の母との思い出、母にはお見通しだった屈折した女心、
また、嫌がる母に手術を勧めてしまった事への自責の念…
それらが、真面目で重苦しい筆致で綴られていました。

結婚願望が強いのに、30代半ばになっても未婚のままの娘に、
「あなたは心映えが悪いから、お相手が現れないのよ。
ご縁に恵まれないのは、あなたの心映えが悪いからよ。」と言う母親…

ご縁が無いというより、惹かれるのは妻子のある男性ばかりで、
独身の男性に異性として惹かれないからなのです。
これ、著者の誕生の経緯が関係しているのでしょうか…?

初め漠然とし過ぎて、「心映え」の意味が分からなかったのですが、
“そんな素振りは見せないけれど、自分は美人だと密かに思っていること”
美人意識が過剰ということでした。
自分の写真を見た時に、ありのままに写っているのに、
“実物はもっと綺麗なはずなのに、自分は写真写りが悪い。”
と思ってしまうらしいのです。

でもこう思う人って結構多いような気がします。
鏡に映る自分は左右が逆ですし、自分の鏡は自惚れ鏡ですから。

治子さんがなぜ「美人意識」を持つようになったかといえば、
高校1年の時に、母親から
「遠くから見たら、あなたは、なかなか綺麗だった、80点よ。」
と言われたからなのです。

自分では、かなり美人だと思っているのに、
母親から80点と言われたことがショックで、自意識過剰になってしまった彼女…
…たとえそうでなくても、母親なら最高点を付けてくれてもいいのに、
なぜ、せめて90点と言ってくれないの?…と恨んだそうです。

静子さんに限らず、昔の親は自分の子供を褒めなかったのかもしれません。
謙虚、謙遜が美徳の時代、我が子が高慢で自惚れやになったら、
世間から非難されるのは当人だけじゃないですからね。

美人意識にしてもそうですが、こんなに正直に書いてしまっていいのかしら?
と思っていましたが、この本は随筆ではなく、
フィクションに分類されてあったわけですから、小説だったのです。

私小説というものは、どの部分が創作なのか気になるものですね。

20090820
『心映えの記』 太田治子/中央公論社
(『中央公論』S59年1月号~12月号連載)

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斜陽館

太宰治(津島修治)は、1909年6月19日に、
青森県北津軽郡金木町(現在が五所川原市)の大地主津島家の11人兄妹
(夭折した人が多い)の6男として生まれ、恵まれた環境で育ったようですが、
現実は跡取りとそれ以外とでは雲泥の差があったようで、
実際、当主と跡取り息子以外は入れない部屋もあったようです。

太宰の死後、戦後の農地解放のため財産をなくした津島家は、
大豪邸を町の旅館経営者に売却され」、
「太宰治文学記念館」と旅館「斜陽館」として生まれ変わりました。

その後、旅館業の経営が悪化したことから、
「斜陽館」は、1996年に金木町が買い取り、
町営の文学記念館として再スタートし、現在に至ってますが、
2004年には国の重要文化財に指定されています。

津島家の大豪邸は人手に渡ってしまったとはいえ、
数々の問題を起こし津島家の頭痛の種だった修治の
作家としての実績があったからこそ、生家は今も保存され、
文化財に指定されているのですから、先のことは分からないものです。

ただ、「斜陽館」の名前を聞く度に、
太宰の遺族(妻子、特に美知子夫人)の気持ちが気になっていました。
『斜陽』は、一般読者にとっては太宰の代表作の一つでしょうが、
妻にとっては、それだけではないですからね。
…私の考え過ぎでしょうか?

余談ですが、津島家一族の写真を見ると、
太宰の母も叔母も、姉達や従姉妹達も、美人揃いでした。

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読書感想文

毎年この時期になると、「読書」の記事へのアクセスが、
とても多くなるのです。

検索ワードを見ると、決まって、
[ ○○○(本のタイトル) 感想 ]なんですよね。

これ、もしかして、夏休みの宿題の読書感想文のため?
あちこちのHPやブログ記事を参考にしたり、
気に入った所だけ拾ってきては、
上手くアレンジして、自分の感想文にするのでしょか?

もしそういう生徒がいたとしたなら、ちょっと問題ですね。

それだったら、むしろ宿題は読書だけにして、
感想文は二学期になってから、
授業中に書かせた方がいいように思いますが、
いかがでしょう…?

時代は変わりましたね。

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夕顔日誌

『斜陽』に登場する直治(かず子の弟)は、
『斜陽日記』の武(静子の弟)とは別人で、津島修治その人なのでしょうね。
直治が書いた「夕顔日誌」を読んでそう感じました。

「 戦争。日本の戦争は、ヤケクソだ。
 ヤケクソに巻き込まれて死ぬのは、いや。いっそ、ひとりで死にたいわい。

 人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。
この頃の、指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ!

 人から尊敬されようと思わぬ[#「思わぬ」に傍点]人たちと遊びたい。
 けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。

 僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。
僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。
僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。
僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。
僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。
僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。
けれども、僕が本当に苦しくて、思わず呻いた時、人々は僕を、
苦しい振りを装っていると噂した。
 どうも、くいちがう。

 結局、自殺するよりほか仕様がないのじゃないか。
 このように苦しんでも、ただ、自殺で終るだけなのだ、と思ったら、
声を放って泣いてしまった。
」~『斜陽』夕顔日誌より抜粋~

シャイで感受性が人一倍強く、生に対しての執着心も乏しかった太宰ですから、
山崎富栄さんが現れなかったとしても、また胸の病が無かったとしても、
天命を全うすることは無かったようにも感じました。

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お手玉…

お手玉(おじゃみ)が出来るおばあちゃんになりたくて(孫はいませんが)、
張り切って練習し続けて2週間、(実質的には僅かな時間ですが)
未だに出来ません…

お手玉は、私の母やそれ以前の女の子の遊びなんですよね。
私の世代では、子供の頃に、一時的に流行ったことがあった程度なので、
片手で二つや両手で三つの遊びはした経験がないのです。
だから想像以上に難しくて…

出来る人にアドバイスして貰ったり、お手玉のサイトの「コツ」を試してみたり、
人より手が小さくて、腕力も無いから出来ないのかと、
一回り小さくて軽いお手玉を作ったり、
逆に、大きい方がいいのでは?と大き目のお手玉を作ったり、
二つそれぞれを、違うの色の布で作ったりもしました。
(その間に練習した方がいいのですが…)

とにかく、同じ高さ(頭より少し高く)に投げられないのですよ。
それに、二つ目を投げてから、一つ目のお手玉を受ける際に掴んでしまうので、
というか、反射的に、親指で押さえてしまう癖があって、
二つめを受ける前に、一つ目が投げられない(間に合わない)…

二つでさえこの有り様ですから、
両手で三つなんて夢のまた夢、一生掛かっても出来ないでしょうね。

やっぱり、こういうのは子供の頃に覚えるもので、
この歳になって幾ら練習しても、時間の無駄なような気がするのです。

でも、あるサイトには、「10分位で出来るようになる」と書いてあったのです。
それを見た時、つくづく自分は桁外れの不器用者なのだとガッカリしました。
生き方もですが…

お手玉の作り方はこちら…「四枚はぎ(座布団型)」「俵型

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『斜陽』と『斜陽日記』

『斜陽』を読んだのは十代の頃だったので、内容は殆ど覚えていないのですが、
もしかしたら、最後まで読まなかったような気もするのです。

今読み返してみると、当時は(今もですが)、賢治や多喜二、徳永直などに
傾向していたこともあって、戦後の苦しい時代であってさえ、
自分とはあまりに違う元華族の日常生活や言葉使いなどに、
嫌悪感を覚えてしまったのかもしれません。

『斜陽』は太田静子さんの日記を参考に書かれた小説ということなので、
そちらも是非読んで見たいと、図書館から借りて来て読みました。

太田静子さんは太宰の死後、生活苦から、井伏鱒二たちとの約束に背き、
『斜陽日記』を出版されたそうですが、余りにも酷似した箇所が多かったため、
『斜陽』から捏造したのでは、と言われて苦悩したそうです。

2冊を照合した訳ではないですが、そっくりそのまま写したのでは?(太宰治が)、
と思えるエピソードが多くて驚きました。

『斜陽日記』は元々日記のため、
『斜陽』のような高度な文学性は感じられない代わりに、
最初こそ辟易していた言葉遣いにも、生身の女性の息吹が感じられ、
別世界の太田きささんと静子さん母子に感情移入してしまいました。

ところで、『斜陽』には太宰らしき上原二郎や、彼の妻と長女が登場しますが、
『斜陽日記』には、太宰を暗示させるような一文が数カ所あっただけでした。
出版の際に、差し障りのある文章を削除したのかも分かりませんが…

20090815
『斜陽』 太宰治(新潮文庫)~すっかり変色してしまった文庫本~
『斜陽日記』 太田静子(小学館文庫)
私が借りた本は1998年出版のもので、娘の太田治子さんの随筆「母の糸巻」や、
舞台となった「大雄山荘」についの資料なども加えられていました。

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太宰治…(2)

私の思い込みなのでしょうが、
太宰治の作品は、一般的に「若者向け(?)」のように感じていましたが、
実際はそうではないようです。私にとっては…

前にも書きましたが、若い頃はイメージ先行のために、
今思えば、色眼鏡で判断してしまっていたきらいがあります。

たとえ私小説だとしても、あくまでフィクションということを忘れがちで、
大庭葉蔵にしても、津島修治その人に思えたりもしました。

2ヶ月前に「歴史秘話ヒストリア」という番組で取り上げられていた
『お伽草紙』が切っ掛けで、最近、本棚から引っ張り出したり、
青空文庫からダウンロードしたりして、40年(以上)ぶりに読んでいますが、
とにかく語彙が豊富で、文体や表現も変幻自在ですし、
読点の打ち方も今風で驚かされます。

『舌切雀』に「…既に世間的価値がゼロに近いのに…」
という表現がありましたが、
これ、よく耳にする、「存在価値がゼロに等しい」に似ていると思いました。

20090814
(右) 『太宰治』 新潮 日本文学アルバム (新潮社)
(左) 『太宰治』 群像 日本の作家 17 (小学館)

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地震による犠牲者

「地震での死者・行方不明者が出なかった事が何より」
と、前に書きましたが、残念ながら訂正となってしまいました。

犠牲者は、市内のマンションで一人暮らしをしていた43歳の女性で、
地震で崩れ落ちた本の下敷きになり亡くなっていたとのことです。
解剖の結果、死因は、「胸腹部の圧迫による窒息死」…

報道に因れば、その人の室内には、天井に届く程の高さまで、
数千冊の本や雑誌が平積みされていたそうなのです。

亡くなられた方は本当にお気の毒ですし、
こんな事を言うのは、とても不謹慎とは思いますが、
そんな部屋で寝ていたら、地震が起こらなかったとしても危険です。
いくら本が好きだとしても、死因が本の下敷きでは余りに悲し過ぎます。

……犠牲者の方、どうか天国で安らかにお眠りください。

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地震 (2)

地震、雷、火事、親父…
今の世であっても、地震と火事は恐ろしいものです。

今回の地震で、改めて「備えあれば憂いなし」が身に染みました。
震度6弱でありながら、住宅の全半壊もなく、死者や行方不明者も無かったのは、
(東海地震の懸念から)他県より、防災意識が高い事の結果の様に思われます。

他市では、高速道路などの一部で亀裂や崩落した箇所があったり、
水道管の破裂、ブロック塀や屋根瓦への被害もありましたが、
震度5強のこの市での目立った被害と言えば(私の知る範囲では)、
駿府城の外堀の石垣の一部(約15m)が崩れた位のようでした。
これは前日から降り続いた雨が影響してると思われますが。

うちでも昔から、家具の固定は当然、寝室には背の高い家具は置かないし、
食器戸棚などの観音開きの扉には、簡単に開かないようにしてあり、
食器戸棚や本棚のガラス戸には、飛散防止のフィルムが貼ってあります。
それぞれの液晶のテレビやパソコンのモニタも、しっかり固定していますし、
僅かではありますが、非常食やミネラルウォーターも備蓄しています。

アンケートによれば、「東海地震がついに来た!」と思った人が多かったようです。
でも、東海地震の規模は、今回の100倍とも200倍とも言われているのです。
その時は、どんな地震対策も無駄になりそうな気もしますが、
そうなったら、もう諦めるより他に術はないのでしょう。
自分だけ助かっても、それはそれで悲惨というものですから。

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地震!

夢を見ていたその時、突然激しい揺れが私を襲う…地震だ!

未だ経験したことの無い程の激しい揺れでした。
咄嗟に傍らの置き時計を見ると、針は5時7分を差していました。
頭を過ぎったのは、“押し潰されて死ぬかも…”という恐怖!

慌ててベッドの下に潜ろうと、上体を入れかかったのですが、
揺れは収まりつつあったので止めました。
(ベッドの下には何も置かないに限ります。)
その後も大小の余震があり、その度に恐怖におののいていました。

ニュースによれば、
「静岡県の伊豆、中部、西部地方で震度6弱の地震が発生」
マグニチュード6・5、震度は6弱(私の所は5強)でしたが
死者、行方不明者がいなかったことが何よりでした。

5強の揺れにも関わらず、我が家では、
食器戸棚の最上段に置いてあった茶筅が倒れていたことと、
トイレの窓枠にあった瞬間消臭剤が落ちていただけ…

天災は忘れた頃にやって来る…ですね。

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『火の山-山猿記』

『火の山ー山猿記』を読んだ切っ掛けは、
数年前にNHKで放送していた、宮崎あおいさん主演の朝ドラ『純情きらり』でした。

元々朝ドラを観る習慣は無かったのですが、
友人から「なかなか面白いから…」と勧められたからで、
それ以上に、原案が津島佑子さんと知ったからなのです。

でも、途中から見始めたものの、余りにもリアリティに欠けていたため、
正直のところ熱が入りませんでしたが、気になっていた原案は購入しました。

『火の山ー山猿記』は、津島佑子(里子)さんの母方の石原家(有森家)一族の
歴史を描いたもので、舞台は岡崎市ではなく、山梨県甲府市です。
(「火の山」は富士山のこと)
読み出した途端、(共通点はあるものの)ドラマとは全く違っていたので、
なぜ、原作でなく原案なのかを納得出来ました。

『火の山ー山猿記』は読み応え充分で、また読み難い本でもありました。
構成が複雑で、膨大な登場人物の人間関係も複雑だったので、
メモ用紙に相関図を書きながら読んでました。
片仮名文あり、古文書からの引用ありで、
読めない古文書部分は飛ばしたり斜め読みしたりしてました。

特に印象に残っているのは、学者一家の高尚な暮らしぶりや、
深い親子愛と兄妹愛、それに夥しい数の死でした。
それらは、現在なら完治できる病気によるものが多かったです。

「純情きらり」を勧めてくれた当人は、
読書しない人にありがちな、原作には全く興味がなく、
“…本では○○だったけれど…”には、完全に右の耳から左の耳でした。
と言うより、上の空で聞いていたようでした。

20090810
『火の山-山猿記』(上)(下) 津島佑子(講談社文庫)

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当世浴衣美人

毎年7月の最終土曜日に行われている「花火大会」は、
悪天候の影響から、8月29日に延期されてしまいました。

その頃ともなれば、夜には涼風が立つでしょうし、
二学期を控えて宿題を終えてない子供たちにとっても、
楽しめないような気もします。
でも、花火師や当局の都合もあるのでしょうから仕方ないですね。

花火大会の日は、たとえ会場に行かなくても、
浴衣姿の女性に出会うことがありますが、
今年、浴衣美人を見掛けたのは、今のところTVだけ…

オタク文化の影響なのかは知りませんが、
大和撫子的美しさより、無国籍のアニメキャラクター的可愛らしさが、
浴衣にも、求められているのでしょうか?

最近の(一部の)若い女性の浴衣姿が、暑苦しいく見えて仕方ないのです。
色や柄もそうですが、着付けから化粧法や髪型、アクセサリーまで暑苦しい。

それでなくても、浴衣は確かに暑いです。
着物しかなかった時代には、絽や紗や麻に比べて涼しかったでしょうが、
普段が下着のようなファッションの今時の女の子にとっては、
拷問に近い暑さでしょう。

それでも、せめて見た目だけでも、涼しげに着て欲しい…
…すっきり粋に上品に…

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夏休み

半分寝ぼけたままラジオ体操に行き、第1と第2が終わったら、
首から下げたカードへ、6年生の会長(子供会の)の子に判を押して貰う。
そのためだけに、みんなラジオ体操に行っていたようにも思えます。

午前中は、近所の友達と夏休みの宿題をやったり喋ったり、
昼食後には、寝茣蓙の上で1時間ぐらい昼寝して、その後はひたすら遊ぶだけ。

「夏休みの友」や「ドリル」は、さっさと片付けてしまうのに、
自由研究、工作、写生、読書感想文などは後回し…
毎年、最後になって焦る結果となるのです。

特に読書感想文が苦痛でした。
本は好きでも、課題図書は読む気がしない本ばかり…
いつの時代も、読ませたい本と、読みたい本は一致しないのです。

夏休みの絵日記には、天気と気温も記入するようになっていましたが、
どんなに暑い日でも32~33度位で、そういう日は多くなかったような気がします。

それに、毎日のように夕立があったような記憶がありますが…?

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立秋

今日は、二十四節気の一つの立秋です。

暦の上では、今日から立冬までが秋ということですが、
例年なら残暑厳しく、一年で最も熱い時期なのに、
今年はちょっとばかり変です。
真夏を飛び越し、梅雨時から秋になった感じなのです。

一応、梅雨は明けたのだけど、はっきりしない日が続いているし、
昼も夜も蒸し暑いのに、夕暮れには何処ともなくヒグラシが「カナカナ」と鳴く…

一瞬、「一体、今はいつなの?」と分からなくなったりもしますが、
夏はこれからなのでしょう。

うだる暑さは辛いけれど、このまま秋になってしまうのも、
何だか寂しいですからね。

異常気象…地球が悲鳴を上げています。
地球温暖化もヒートアイランド現象…みんな人間の仕業です。

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
…人間は自然の中に生きていたのに。

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小さな幸運

ある日のこと、

“ゆるい…”と感じながらも、メガネを掛け下を向くと、
片方の耳に掛ける所(テンプルというらしい)を耳に残し、メガネがポトリと落下。

買ったお店に持って行くと、修理方法を説明してくれたのだけど、
メーカーに送るため修理には2週間、費用は7千円位とのことでした。

2週間も…!その間どうすればいいの?
30代の終わりから老眼鏡のお世話になってる私、メガネ無しでは何も出来ない…
本も読めないし針も持てない、それにパソコンだって…
修理は諦めしょんぼり出ようとすると、応急処置してくれると言ってくれました。

お言葉に甘えること10分足らず、メガネは一応復活!
「おいくらですか?」に、店員さんは微笑みながら「サービスですよ」。
その目には、“当然でしょ!”の文字が…確かにそうなのでしょうが…

嬉しくなった私は、回り道し「生地屋」さんに寄ることにしました。
生地その他を選び支払おうとすると、「今日は2割引の日ですので…」

そう、そのお店は昔から2割引の日があって、いつも当てにしてたのですが、
最近は、その日をチェックすることを忘れていたのでした。
模造紙(型紙用)とか、他にも買いたい物はあったのに…でも嬉しかった!

そのあと、市立図書館へ。
“場所は分かってるし…”と、小雨の中を傘も差さず駆け出しました。
目的を果たし、出ようとすると外は大雨…
ポーチの下で躊躇していると、
「どうぞ入って…」と長身の人が大きな傘を差し掛けてくれました。

思いがけない親切に動揺し、
「あっ、すみません…でもすぐそこですから…」と断ったら、その人は、
「でも濡れちゃうから、どうぞ…」を繰り返す。
「…大丈夫ですから…」と振り切るように車に向かって行ったけれど…

親切に慣れていない私は、少女の様に戸惑い、
ろくなお礼も言えないまま、断ってしまったのですが、
ごく自然に、「ありがとう」と傘に入れて貰えば良かった…

“折角親切に言って頂いたのに、失礼な態度を取って御免なさい。
今更ですが、本当にありがとうございました。”

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COOL JAPAN …踊り(Dancing)

社交ダンス、フォークダンス、クラシックバレエ、ハワイアン、フラメンコ…
また、日舞から安来節と、様々なダンスが習える「カルチャーセンター」。
そこに通う輝く中高年の女性たち…彼女たちの元気さが羨ましい。

安室奈美恵さん世代の母親の熱い期待を背に、
将来を夢見て「ヒップホップスケール」に通う未来のスターたち…

小さなライブハウスで、「ヲタ芸」というアキバ系アイドルの応援の踊りを踊る
オタクの男性たち…

未曾有の不景気とはいっても、まだまだ日本は平和で豊かな国なんですね。
一部の人達にとっては、ですが…

でも、外国人からは疑問の声も…
ダンスは生活に密着しているもので、身近な人から自然に覚えるものとか。
つまりダンスは、習うものではなく、楽しむものなんだそうです。

北海道のイベント「YOSAKOIソーラン祭り」では、
踊りと言うより競技会のような世代を超えた団結力が画面から伝わり、
その熱気に圧倒されてしまいました。

踊り(お祭り)は参加してこそ意義があるものですが、いつも私は見る阿呆…

忘れた頃にやって来る「街のラフカディオ」は、日本舞踊に魅せられ、
厳しい修行の末に名取りとなったカナダ人女性が紹介されました。
日本の踊りも多種多様ですね。

今回のベスト・オブ・クールは、「YOSAKOI ソーラン祭り」でした。
当然と言えば当然です。

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六面体の蚊帳(かや)

最近は、エコロジーの観点から蚊帳が見直されているようですね。
また、日本の蚊帳は、アフリカや東南アジアではマラリア対策として、
活躍しているようです。

私の子供の頃の蚊帳といえば、萌葱色(緑)の麻か木綿製でした。
浅葱色(淡いブルー)や生成もあったのかも知れませんが、
一般庶民の家では、やはり萌葱色でしたね。

成長して吊っていた一人用(三畳用)の蚊帳は、浅葱と白のぼかしでした。
軽かったから(サイズのせいもあるのでしょうが)化繊だったかもしれません。

この蚊帳については、前にも書いたような気がしますが、
蚊の為ではなく、私が最も苦手とする他の虫のため…

“最近の蚊帳は幾らぐらいするのかしら…”とあれこれ覗いていたら、
六面体(底生地付き)という、とんでも無い蚊帳を見つけてしまいました。

その六面体の蚊帳は、蚊だけでなく、ムカデ対策として作られたもので、
その名も「はいらんと」というんです。

ムカデこそいませんが、苦手な虫(spider and cockroach)対策に完璧ですし、
沢山の本を持ち込まなくてもいい訳です。

あの三畳用の蚊帳を改造すれば良かったのに、
なぜ、気付かなかったのでしょう…頭悪いというか…
でも、こういうのが、コロンブスの卵というものなんでしょうが…

数秒でパッと広がって設置出来る、
「ムカデント」という四角錐の蚊帳もありました。
一見、幌蚊帳に見えますがテントに近く、これも勿論底付きでした。

出入り口も、L字型の2ランナーファスナー付きなので簡単、
丸洗い可能で、織り方も、からみ織りになっていました。

蚊帳も、知らない間に、随分進化していたのですね。
長生きはするものですね。

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蚊帳(かや)

野菜や果物に季節感が感じられなくなった時代、
蚊も、ほぼ一年中活動しています。

暮らしに季節感があったはるか昔、
蚊は夏だけの時代には、蚊帳は夏の風物詩でした。

毎年のことでなのに、その夏初めて蚊帳を吊ってもらった晩は、
いつもとは違う、幻想的な薄暗い空間が物珍しく、
ワクワクしながら、早々寝たものでした。

そんな感動も、一夜限りでしたが…

せっかく蚊帳の中で安心しきって眠っていても、
いつ侵入してきたのか、耳元でブ~ンと羽音をさせる闖入者に、
大騒ぎしたこともありました。

あの羽音、刺されて痒い以上に安眠妨害なのです。
血もほんの少々ならどうぞ…
猛烈に痒いのも、どうにか我慢します。
だけど、どうか耳元で羽音だけは立てないで…この思いは今も同じ…

小学生の頃、多分、夏休みの間だけだったのでしょうが、
いつも、私が蚊帳を畳んでいました。

八帖用の重い蚊帳を、たった一人で畳むのは、骨の折れる作業でした。
それも二張り分…
でも、決して親から言われたからではなく、好きだったのです。

萌葱色の蚊帳の上部には赤い布があって、
裾の角にも、畳む時の目印用に、小さい赤い布が付いていました。
丸い金具の釣具が触れ合うと、チリンと澄んだ色が…

化繊の蚊帳のなかった頃の、懐かしい思い出です。

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ゴボウのきんぴら風

とても簡単な、ゴボウのきんぴら風です。

<材料>(それぞれの分量はお好みで)
ゴボウ…1本
炒りゴマ(白ゴマ)…適宜
醤油…大さじ2~3
味醂…大さじ2~3
酒…大さじ1~2
ゴマ油…大さじ1(炒め用)
赤唐辛子…(うちでは入れません)

<作り方>
(1) ゴボウは丁寧に洗ってから、笹がき、又は、4cm位の千切りにします。
  (まな板に色が付くので、切り次第バットなどに入れます。)

※ 千切りの場合、冷やし中華の時のキュウリの要領で、
  斜め切りしてから切ると切りやすいです。

(2) 熱したフライパンに、ゴマ油を入れ、小口切りにした赤唐辛子を入れ、
  次にゴボウを加え炒めます。(炒めすぎないこと)

(3) ほぼ火が通ったら、酒、味醂を加えて炒め、最後に醤油を加えて炒めます。
  火を止めてから、白ゴマを加えて混ぜ、出来上がり。

(4) 器に盛り付けてから、赤唐辛子を上に乗せ、天盛りに白ゴマを振ります。

※ 人参を加える場合も、皮は剥かないこと。

※ 大根、レンコン、コンニャクなどでも同様に出来ます。
  大根…短冊切り、又は太めの千切り(皮は千切り)
  レンコン……薄切り(大きさに応じて、そのままか半月、イチョウに)
  コンニャク…大きめの千切り

<目から鱗が落ちる>
ゴボウの皮は食物繊維なので、包丁の背やタワシなどで取らないこと。
また、切ったゴボウを水に浸けるのも止めた方がいいです。

これは手抜きではありません。
ゴボウナスから出る色は、ポリフェノールであって、アクでは無いからです。

懐石料理店などで、調理法により、ゴボウを酢水に浸けるのは、
色の変化(酸化)を防ぐためで、アク抜きではないそうです。

醤油等で味付けするお総菜には、全く無意味です。
と言うより、折角のポリフェノールカルシウムカリウムアミノ酸
失うことなので、とても勿体ないことなのだそうです。
そればかりか、本来の風味も損なわれてしまうことでもあるのです。

(「ためしてガッテン」「はなまるマーケット」で知ったという友人から聞きました。)

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「パリ留学の夢」

モントリオールから、半年ぶりにセーラが帰って来ました。
でも、養育係のルイザ・バンクスも一緒ということで、トラブルの予感が…

セーラの夢は作家になること。
すでに、パリの「クリュニー芸術学校」から合格通知が届いていますが、
(そこは言語と文学において最高峰で、ブロンテ姉妹も教えていたという名門)
ヘティとルイザが反対するに決まってる。”と、言い出せません。

家族が揃った(実は、ジャネットもイライザおばさんいました)夕食の席で、
ヘティが、
セーラと二人でカナダ全土を見て回る汽車の旅で出る。
と言えば、ルイザは、対抗するかのように、
セーラと二人でヨーロッパ中を数ヶ月掛けて回るつもり…”
と言い出す。

セーラはカナダ人ですよ。どこより、まず自分の国を見て回らなくては、
ヨーロッパなんかより、あなたもそう思うでしょ?
」(ヘティ)

スタンリー家の一員として、セーラは自分の先祖の生まれ育った
ヨーロッパの豊かな文化に触れなければなりません。
そうじゃありませんか、セーラ?
」(ルイザ)

居たたまれなくなったセーラは、キング家を飛び出し灯台へ…
灯台近くで、偶然出会ったアーサーから、

自分の道は、自分で決めなきゃ…
自分の思う道を行かなきゃ幸せにはなれない。
逃げたって、何にも解決しない。二人に話すべきだ。

とアドバイスされていると、迎えに来たヘティとルイザから、
仲を誤解されてしまってまた一騒動…

セーラのお話と平行して、3人の片思いが進行しますが、
3人とも残念な結果に…
(イジー→フェリックス→衛生主任の女性→トレメイン)

6702 6703 6704 6705
6706 6707 6708 6709

「アボンリーへの道」の主役は、セーラ・スタンリーでした。
それが、いつしか脇役になり、そして、セーラの登場さえも希になり、
遂に、セーラにとっての最終回を迎えてしまいました。

セーラ役のサラ・ポリーが降板したのは、サラ自身の都合のようなのですが、
とても残念なことでした。

実は、「アボンリーへの道」の原作の『黄金の道』でも、
第33章(最終章)「去りゆく少女」で、ストーリー・ガールは、
迎えに来た、父、ブレア・スタンリー(パリ在住の絵描き、生きてます)と、
カーライル(アボンリーではなく)から、パリへ旅立っていきましたが…

~名言~
<ヘティ>
「昔は誰もが信じていたわ。
若い人の将来は、目上の者が決めるべきだってことに。
ことに縁組みはそうですよ…慎重にやらないと。
ウン、若い人達は、恋をしたら後先のことを考えないから…」

<セーラ>
「二人に、あたしのことで争って欲しくないの。
あたし、自分の将来は、自分で決めたいのよ。そうするべきだと思うし…」
「二人のどっちかを選ぶことなんて出来ない…
どうやって、二人を比べろって言うの!?
一人は産まれた時から一緒にいる人だし、一人は一人前に育ててくれた人なのよ。
…二人に色んなことを教えて貰った。この世で一番大事なことも、目指すべき道も…
でも、いつかは巣を離れて、自分の羽根で飛び立たなきゃならない時が来るのよ。
今がそうなの…毎週手紙書くから、毎日だって…二人とも愛してるの。」

「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第67話「パリ留学の夢」
(Comings and Goings)より

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