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舌切雀『お伽草紙』

私はこの「お伽草紙」といふ本を、日本の国難打開のために敢闘してゐる人々
の寸暇の於ける慰労のささやかな玩具として恰好のものたらしむべく、このごろ
常に微熱を発してゐう不完全のからだながら、命ぜられては奉公の用事に出勤し
たり、また自分の家の罹災の後始末やら何やらしながら、とにかく、そのひまに
少しづつ書きすすめて来たのである。

で始まる太宰治の「舌切雀」…
『お伽草紙』は、「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」から成りますが、
太宰治は、「カチカチ山」の次に「桃太郎」を書こうと思っていたようでした。

桃太郎のお話は、あれはもう、ぎりぎりに単純化されていて、
日本男子の象徴のやうになつてゐて、物語といふよりは詩や歌の趣きさへ呈してゐる。
もちろん私も当初に於いては、この桃太郎をも、私の物語に鋳造し直すつもりでゐた。

~略~
いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。
日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を
描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに
及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。

というわけで、「桃太郎」はないのです。
桃太郎が日本一なら、舌切雀のお爺さんは日本一駄目な男で、
妻であるお婆さんは、ある意味、気の毒な女に思えましたが…。
二人のやり取りは、時代を超えた倦怠期の男女の会話そのものです。
例えば、
「…まあ、どうでせう、私にものを言ふ時には、いつも口ごもつて聞きとれない
やうな大儀さうな言ひ方ばかりする癖に、あの娘さん(雀のこと)には、
まるで人が変つたみたいにあんな若やいだ声を出して、たいへんごきげんさうに、
おしやべりしていらしたぢやないの
…」

おとぎ話の「舌切り雀」では、お婆さんが使おうとした糊を、雀が食べてしまった為、
怒ったお婆さんが、雀の舌をハサミで切ってしまうのですが、
このお話では、雀と楽しげに話しているお爺さんを、若い女性のお客と話してたと
誤解したお婆さんが、嫉妬からお爺さんが可愛がっている雀の舌を取ってしまう…
いかにも三面記事に有りそうな内容です。

「大きな葛籠」の中身も、蛇や蜥蜴や蜂などでは無く、
金貨が詰まっていて、お婆さんは、その重みに押し潰されて死んでしまうのですが、
お爺さんは、そのお金のお陰で一国の宰相までなってしまった…
女性の読者には、後味の悪いお話でした。

なお、太宰治の「舌切雀」のお爺さんは、未だ四十歳未満で、
お婆さんは、三十三歳でした。雀の名前は“お照さん”

「舌切り雀」も、「かちかち山」同様、元々は残酷な箇所もあったようですが、
明治以降、子供が読むように直されたようです。

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