俵型のお手玉
急に、片手2個、両手3個のお手玉が出来るようになりたいと思って、
お手玉を作りました。
今回は、簡単な俵型(たわらがた)、でも、ほとんど球体ですけどね。
<作り方>…画像は拡大します。
※ 大きさや中身の量は、手に合わせるといいと思います。
今までは小豆を入れてましたが、虫の心配から、ペレットにしてみました。
ポリエチレンのペレットは軽いので、
洗って乾燥させた、5mm位の小石を混ぜると、やりやすいかもしれません。
四枚はぎのお手玉(座布団型)の作り方は、こちらです。
急に、片手2個、両手3個のお手玉が出来るようになりたいと思って、
お手玉を作りました。
今回は、簡単な俵型(たわらがた)、でも、ほとんど球体ですけどね。
<作り方>…画像は拡大します。
※ 大きさや中身の量は、手に合わせるといいと思います。
今までは小豆を入れてましたが、虫の心配から、ペレットにしてみました。
ポリエチレンのペレットは軽いので、
洗って乾燥させた、5mm位の小石を混ぜると、やりやすいかもしれません。
四枚はぎのお手玉(座布団型)の作り方は、こちらです。
最近は極力本を買わないようにしているので、
以前にも増して、市立図書館を利用しています。
ただ、パスワード登録してないので、ネット予約は出来ないのです。
独創性がないばっかりに、思い付くパスワードは存在してるものばかりで…
今回も、予め、借りたい本が揃っている所蔵館、資料コード、請求記号、
貸し出し状況等を調べ、いざ図書館へ…
ところが、その内の一冊が所定の位置には無いのです。
きっと、私が到着する間に誰かが借りたのでしょう。
と思い、調べて貰うと、借りた人はいないとのこと…
“パソコン上はあっても実際には無い”ことが、時々あるとのことなので、
他の所蔵館に予約を入れて貰い、お目当ての本は借りることが出来ました。
でも、あるはずなのに無いって、どういうこと?
やっぱり、不届き者がいるってことなのでしょうか?
数年前から、ガーゼ素材の夏用寝具やタオル類が出回っています。
夏用の素材と言えば、以前は薄手の麻や楊柳などでしたが、
最近はガーゼのようです。
(サッカーやリップル地は、意外に通気性に乏しく暑い。)
ガーゼ素材のタオルケットや夏用寝具のカバー類やパジャマ、
片面がガーゼになっているバスタオルなどのタオル類…
生地屋さんでも、切り売りのガーゼプリント地が以前より目立ちます。
ガーゼは肌触りが優しく、吸湿性抜群ですから、
新生児の肌着や、病人の寝巻には打って付けではありますが、
真夏用の衣類の素材としてはどうなのでしょう?
確かに、ストール(汗拭き用)やハンカチはガーゼが向いていると思いますが、
フワッとして肌に付きやすいガーゼ地は、
衣類や寝具類には、かえって暑い様な気がしますが…?
今年、試しにガーゼ素材の夏掛け布団カバーを買ってみましたが、
想像通り、やっぱり暑かった。
私もガーゼ素材のパジャマは好きですが、夏用ではありません。
私が、毛布に必ずガーゼのカバーを掛けるのも、
衛生的と言うより、その方が暖かいからなのです。
私と違って、みなさんお肌がデリケートなんですね。
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十代の頃読んだ太宰治の本は、今も10冊前後残っていると思いますが、
あの頃は、それ程好きとは言えなかったのです。
作品がというより作家のイメージなのですが…多くのスキャンダルが…
小説にしても、全てが事実ではないと分かってはいても、
例えば作者が葉蔵その人に思え、不気味に感じたりもしました。
最近、「お伽草紙」を読んだことが切っ掛けで、幾つかの作品を読みましたが、
意外に面白くて認識を新たにしました。
太宰の作品の多くは青空文庫で読めるので、テキストファイルにDRして読んでます。
中には旧仮名使いのもあるのですが、慣れたせいか、かえって味わい深く、
気に入ってます。
(狂言心中失敗説や、太宰治が水を飲んでいなかったことから、
入水以前に絶命していた可能性や、
激しく抵抗した形跡があることから、直前になって気が変わった太宰に、
山崎富栄の無理心中説もあるそうです。)
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『回想の太宰治』は書き下ろしでは無いため、
時代が前後し、戸惑うこともありましたが、
制作の舞台裏や、金木町の山源(生家)についてなど
妻でなければ書けないものも多く、とても興味深かったです。
常に冷静に、そして驚くほど克明に記録し回想する、
それでいながら、事実というオブラートに包みながらも、
妻としての愚痴や嫌味が出てしまっていたところに人間味を感じました。
それにつけても、聡明な女性というのは、
夫については兎も角、御自身の不名誉になるようなことは、
決して書かないものなのですね。
また、幾度と無く「歿後」という言葉を使いながらも、
女性や、最期に関わる事には一切触れられてはいませんでした。
少なからず三面記事的好奇心があったのですが、
完全無視…というより言葉には表せないない屈辱だったのかも…
それはそれとして、
もし太宰治がこれを読んだなら何と言うのでしょうね?
「みち、何もそこまで書かなくたって…」と苦笑するのでしょうか?
それとも、
「頑張ったね。さすが文筆家の女房だな、良く書けてるよ。」
と褒めてくれるのでしょうか?
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妻として、誰よりも太宰治の近くにいた美知子さんですから、
作品の内容が“自分が体験したものとは違う”と感じたのも無理はないです。
作品は実際の出来事にインスピレーションを得て創作するものでしょうから、
私小説であっても事実と違って当然です。
そんな美知子さんも、
“小説は太宰の主観が加わったフィクションなのに、
作中の好ましく描かれていない人物を、『あのモデルは自分だ、事実と違う』
と太宰に酷い言葉で抗議する人の心理が分からない。”と仰る…
美知子さんに限らず、どんなに聡明な人でも、
当事者とそうでない場合とでは、思いが全く違ってくるのでしょうね。
『回想の太宰治』の中で印象に残ったものの一つが、
戦時中の食糧難の時代、時々農家から鶏を売って貰って帰宅すると、
…当時は最高の御馳走だったそうです…
あの虫も殺さぬ優しい太宰が、こればかりは自分の仕事と決めていて、
えいっとひねってくれる。
そして美知子さんの割烹着を着て、解体してくれたというエピソードです。
必ず「『トリは食っても、ドリ食うな』と言ってね。」と言いながら…
一度は、その真っ最中に来客があって、
美知子さんに目で合図し居留守を使わしたこともあったそうです。
妻の割烹着を着て、慣れた手付きで鶏を捌く夫…
普段とは違う夫を、頼もしげに見ている妻…
日常のちょっとした出来事に、ささやかな夫婦の幸せを感じました。
「トリは食ってもドリ(肺臓)食うな」と同じようなものに、
「カニは食ってもガニ(えら)食うな」もありましたね…
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以前にも何かで読みましたが、次の文に太宰の性格が見えます。
「 太宰はほんとうに無趣味な人であった。
趣味は遊びだ、逃避だ、と考えていたようだ。
身の回りに、あってもなくてもよいものを置くことが嫌いで、必需品だけを、
それも趣味よりも、機能だけで選んだ品だけを置いて簡素に暮らしたいらしかった。」
美術品に関心が無いわけでもないし、知識もあるのだけれど、
蒐集というものは所有欲の塊の様なもの、仕事以外に煩わされることなく、
生活を仕事一筋に絞って生きていこうとしていたとのことです。
また、文筆業でありながら蔵書を持たず、従って書棚もなかった太宰治。
資料として必要な本を買う場合でも、文庫本や軽い小型の本を選び、
それらの本も、そぐ人にやってしまうとか…
やっぱり何不自由なく育った人は、物欲がないのかも知れない…
卑しい生まれの私は、本にだけは執着してしまうようです…
掛け軸についての、こんなエピソードがありました。
“床の間には軸を掛けるもの”との美知子さんの考えから掛けておくと、
褒めてくれた客に、太宰は気前よくあげてしまう…その繰り返し…
ある時は、美知子さんの姉の遺品の軸まで客に上げてしまう。
強く抗議しても、夫は面白そうに妻の顔を見て笑っているだけ…
「床の間には軸を」と思い込んでいたことには理解出来ます。
でも、夫がそういう人と知りながら、なぜ大切な遺品を掛けておいたのでしょう?
惜しげのないお軸では、美知子さんのプライドが許さなかったのでしょうか?
太宰治の肩を持つつもりはありませんが…
~「書斎」より~
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昭和20年3月10日の東京大空襲があったことで、
美知子さんと二児だけが甲府に疎開することになり、
その前後を描いた文章の中に、次の一文がありました。
「 荷物をまとめているうちに私は衝動的に、タンスにしまってあった手紙やはがき
~結婚前にとり交した手紙を太宰がお守りにしようねといって紅白の紐で結んだ
一束と、その後の旅信であったが~
それをとり出して庭に持ち出し太宰と小山さんふたりの面前で、燃してしまった。」
~「疎開前後」より~
太宰治に傾向する読者や研究者にとっては、
何とも取り返しの付かない行動に思えたことでしょう。
私も、何て惜しいことを!と思いましたから。
戦争中という先が見えない時代で、夫は文筆家という職業です、
大切な私信を人目に曝されるかも知れない、という心配はよく解ります。
でも、理由はそれだけでは無かったようなのです。
太宰治が世間一般の夫とは違って、仕事以外には何事も無関心な人、
常に無責任で人任せ、小心者の常で、家族より他人の言いなり…
自分達が疎開するに至ったのも、罹災し転がり込んで来た知人の考えからで、
夫と闖入者に対する苛立ちの結果だったようでした。
手狭になったために追い出された様にも思えたそうです…
もしその時、手紙を燃やさなかったとしても、太宰治の最期を考えたら、
今に至るまで無事に保管されていたかは疑問です。
太宰の妻という自負、妻として女としてのプライドは酷く傷付けられ、
それは、とうてい許すことの出来ない仕打ちだったでしょうから…
「美知様 お前を誰よりも愛してゐました。」という言葉を遺してくれたとしても…
逆に、「太宰治の妻」としてのプライドが、
私信を処分させなかったのかも知れませんが…
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YaHooトピックスの、「はじっこ愛好家」
~食パン、座席、教室…意外に多い“はじっこ愛好家”の実態とは?~
という記事に釘付け!
今まで、「はじっこ愛好家」という言葉があることさえ知りませんでしたが、
私もその一人なのです。
いかにも貧乏性の様なので、人には言いませんでしたが、結構いるのですね。
安心しました。
男性より女性、若い世代より中高年の人に多いとか、封建制の産物?
乗り物や飲食店などの座席にしても、居心地が良いのは「はじっこ」ですし、
食パンは耳の方がいいし、バケットは表面の方、
どちらも、香ばしいく歯応えがあって美味しいです。
サンドイッチも、昔は12枚切りの耳付サンドイッチ用食パンが売られていましたが、
今は無いので残念です。
卵焼きや伊達巻き、巻き寿司の細巻き、太巻きも、はじっこがいいです…
記事には、
「ドリアのふちのカリカリ」「グラタンのはじっこ」「カステラのはじ」
「南部煎餅のはみ出しているところ」「鯛焼きのふち」「麩菓子のはじ」
「キュウリやナスのお新香のはじ」「厚揚げ」「カマボコ」なんかもありました。
…分かりますとも!
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日本人の魚好きは世界一とか…海で囲まれていますからね。
築地市場で扱っている魚介類の種類と量の多さ、
職人さんたちの知識と技術の高さ、
市場そのものの広さと清潔さ、
どれをとっても、日本の右に出る国はないそうです。
また、世界中で食べられている「カニ風味かまぼこ」も日本が開発したもので、
35年以上経った現在でも、進化しているのですから驚きます。
「開発に終わりはない。」とは、いかにも日本人的です。
世界で初めて成功した「クロマグロの完全養殖」も、
成功の裏には、35年という長い時間を掛けた技術者の努力があってこそ。
「魚は生臭いから嫌いだったけれど、日本に来て認識が変わった。」
「魚が大好きになった。…ダイエットや健康に良いからではなく、美味しいから…」
今回は、紹介された全てが文句なしのクールでした。
ベスト・オブ・クールも、「カニ風味かまぼこ」と「養殖技術」の二つでした。
本当に日本人には魚好きの人が多いですよね。
若い頃はそうでもなかった人でも、年齢を重ねれば重ねる程、
魚好きになるようです。
子供の頃、肉も好きと思ったことはないのですが、
魚についても、小骨が喉に刺さったことが何度もあったりしたので、
どちらかといえば嫌でした。特に骨のある煮魚が…
現在、肉料理を頂くことは、皆無に等しいのですが、
魚料理(焼き魚)には、たまに、無性に恋しくなるのです。
幼い頃から今に至るまで、私の最も苦手なのが「活き作り」…
「新鮮さの証」とは承知してますが、あの「頭と背骨」が嫌なのです。
残酷というより、グロテスクに感じるからなのですが…
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『アンジェラの灰』の作者フランク・スコートが亡くなったそうです。
享年78歳。
本(回想録)は読んだことはありませんが、映画(1999)の方は観ました。
ずっと前のことなので、詳しくは覚えていませんが、とても暗く切ない内容でした。
フランクの両親(ロバート・カーライル、エミリー・ワトソン)は、
アメリカで出会い結婚して大勢(4~6人?)の子供を授かりますが、
仕事が無く貧しさゆえに、生後間もない愛娘を病気で亡くしてしまいます。
悲しみの余り寝込んでしまう母アンジェラ、
そして、今まで以上に酒に溺れる父(役名は忘れました)…
希望を失った一家は、生まれ故郷のアイルランドに帰るのですが、
そこでも仕事が無く、僅かなお金も父親の飲み代に消えてしまい、
栄養失調から次々失われていく幼い命たち…
送金を約束し出稼ぎに行った父親は、約束は果たせず、
無一文で戻ったのち、いたたまれず家を出て行ってしまう…
この映画は、どん底の環境の中でも夢を見失わず、
学び続けた少年(フランク・スコート)が主人公なのでしょうが、
印象に残っているのは、フランクでもなければ、
プライドを捨て、子供達のため頑張り続けた母でもないのです。
家族を愛しながらも、気持ちとは裏腹に破滅の人生を送ってしまう父でした。
アルコール依存症で、生活力のない父役のロバート・カーライルの演技が、
実に素晴らしかったです。
彼の悲しみが胸に染み込みました。
(ロバート・カーライルは魅力的な俳優さんです。どんな役でも素晴らしい。)
フランク自身には、明るい将来を暗示させるラストシーンでしたが、
父親のその後が気になって仕方ありませんでした。
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前々から読みたいと思っていた『回想の太宰治』を、
図書館から借りてきて読んでいます。
まだ読み始めたばかりですが、エピソードの多くが知っていたことばかりなのです。
それは太宰自身や津島佑子さんの作品、またその他で読んでいたからですが…
津島美知子さん(1912-1997)の素人とは思えない文に、
さすが学者の家に生まれ育ち、高等教育を受け教壇にも立った才媛は違うな、
と感心しました。
それに、作家と結婚し、夫の口述筆記を務めていた人ですからね。
読めば読むほど、美知子さんという人が、教養があって真面目で、
でも、考え方に関しては、とても常識的な女性ということが分かります。
太宰との生活には、さぞかし、驚きや戸惑いがあったことでしょうね。
微笑ましいエピソードを…
“…その年のくれ、私はそのススキの穂を束ねて煤払いをしようと思いつき、
天井を一撫でしたら綿のような毛のものが部屋中散乱し失敗に終り、
太宰は見ていて、お前は詩人だ、などと批評した。”(三鷹より)
新婚当時のお二人の様子が、目に浮かびました。
私も一生に一度でいいから、“お前は詩人だ”と言われてみたいものです。
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元々頭痛持ちの私は、この時期特有の蒸し暑さと、
熱帯夜による睡眠不足で、連日連夜、頭痛に悩まされています。
熟睡出来ないまま朝を迎えた時から、頭痛は始まり、
ベッドに入る時になっても治まらず、そして再び、眠れない夜が訪れるのです。
窓を開ければ、容赦なく熱風が飛び込んで来るし…
地球温暖化の影響でしょうか、それとも歳のせいでしょうか、
昼の暑さはまだしも、夜中も34度ですから、かよわい私には応えます。
許されるものなら、夏の間、涼風が心地よい高原の避暑地で過ごしたい…
…それは、眠れた夜の夢の中で叶えることに致しましょう。
でも、ご安心を…眠れなくても、焦らず読書してますから…。
先日、大雪山系トムラウシ山で、遭難事故で10人の方が亡くなりました。
いつの頃からか、中高年の登山愛好家が増えてきていたのは知ってましたが、
今回の事故で、初めて「ツアー登山」の存在を知り、本当に驚きました。
観光旅行なら、知らない人達とのツアーも、また一興とは思いますが、
メンバー中、一番弱い人のペースに合わせるのが登山。
登山歴も分からない、性格も分からない人達とパーティーを組むだなんて、
とても考えられません。
しかも「トムラウシ」ですよ…上高地の大正池なら分かりますが…
トムラウシ山は深田久弥の『日本百名山』にも加えられている山で、
山小屋も少ないとのこと、ツアーで登るような山ではないと思うのですが…
どんな初心者でも、お金さえ出せば登山用品は揃えられますが、
いくら高価な装備を身に付けても、熟達した健脚者にはなれませんからね。
ツアー登山に参加される方々の登山歴は、どの程度なのでしょうか?
亡くなられた方々は、本当にお気の毒とは思いますが、
「トムラウシ山」をツアーにしてしまう会社も会社なら、
ツアー登山に参加する人達がいること自体も信じられません。
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ハリファックスの医科大学に進学したフェリシティは、
町で偶然、ガスを見掛けます。
でも、ガスは、若い女性と一緒でした。
怒ったフェリシティは、ガスの居所を突き止め、
ルビーの指輪を一方的に返してしまいます。
一緒にいた女性は、ガスがお世話になっている船長の妻でした。
仲直りした二人は、記憶をなくした花売り女に出会います。
ガスの指輪を見た女は、ガスをイジーケル・クレーン船長と思い込みます。
女の名前はイライザ…
“イライザは母親では?”と直感したガスは、真実の手懸かりを得るため、
イライザを連れ、フェリシティと一緒にアボンリーに帰りますが…
以前にも書きましたが、「生きていた母」には矛盾がいっぱいです。
ガスがはめていたルビーの指輪を見て、
花売りのイライザが「イジーケル…」と言うのは辻褄が合いません。
指輪は、船長が第22話「海賊の金貨」で見つけた宝物の一つだからです。
もしクレーン船長がガスの父親だったなら、ガスの顔を見たイライザが、
船長と間違えたなら納得出来ますが…
ガスが初登場した時、アレックは“島の人間では無いな”と言っていました。
アボンリーの事なら何でも熟知している筈のキング家の人なのに、
ヘティが今になって、“そう言えば…エイブ・パイクの奥さんは…」
と言出すのも変です。
他にも矛盾はありましたが、
物語の世界ですからね、深く考えない方がいいのでしょうね。
<ヘティの名言>
「苦しい時に、頼るだけが愛じゃないわ。そうでしょ?」
「あなたのお母さんは、亡くなってしまったのよ。
そうでなきゃ、どんなにいいか知れないけど、過去に囚われないで、
自分の人生を生きなきゃ。」
~関連記事~
「生きていた母」(1)・(2)・(3)(カテゴリーFelicity and Gus)
「ルビーの指輪」、「ガス・パイクの謎」
「アボンリーへの道」<第6シリーズ>
第66話「生きていた母」(The Return of Gus Pike)より
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これからの季節、熱中症対策が必要ですが、
若くもないし、体力も無い私は尚更です。
熱中症は屋外だけではないので、外出しなくても水分補給は必要ですし、
水分と言ってもお茶などでは駄目で、塩分も取らないといけないし…
以前は、ミネラルウォーターでなければ駄目なのかと思っていましたが、
友人の話では、市販のミネラルウォーターは必ずしも信用出来ないので、
むしろ、水道水の方が安心とか。
でも、そのまま飲むことが出来ない私は、必ず沸騰させています。
もちろん、製氷器に入れる水も…
水分を充分取ることは、脳の老化防止にも繋がるそうですから、
最近は意識的に飲むように心掛けてますが、多分一日500ml以下…
全然足りませんね。
子供の頃から喉が渇くということが無く、水を飲む習慣も無かったから、
水分補給もなかなか大変なのです。
水分補給といえば、みんさん、よく、ペットボトルから直接飲んでますが、
あれ、飲みにくくないのでしょうか?
それに、その場で飲み切るならいいのですが、
直接口を付けた後で、またフタをすることに抵抗があるのです。
いくら当人しか飲まないとしても、不潔に思えて…
子供の頃、ラッパ飲みはみっともないと言っていた親の言葉が、
頭のどこかに、こびり付いているからなのか、
それとも、私が潔癖症気味のせいなのかは分かりませんが…
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この辺は、梅雨が明けたのかしら?
連日、暑い日が続いています。
私の部屋にはエアコンが無くて、
私がいる限り、昼となく夜となく扇風機が回ってます。
【1日の最低気温が25度以上で熱帯夜、30度以上なら超熱帯夜】
なのだそうです。
もう2週間も、超の付く暑い夜が続いている私の部屋…
夏の間は、慢性的な睡眠不足でグッタリ。
いっそのこと、エアコンを付けようかと思ったりもするけれど、
エアコンの涼しさって、好きじゃないのですよね。
心地よい眠りが欲しい…
一晩だけでいいから、朝までぐっすり眠りたい。
只今の室温33度。
今夜はここを抜け出そうかな…目下思案中です。
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ブログを始めた当初は、私もトラックバックを受け付けていました。
でも殆どがスパムで、無断で貼られていたのは、記事には無関係の広告ばかり…
単なる広告なら、別に構わないのですが、
中には、というより、リンク先の多くが、私の最も嫌悪する類のものでした。
もし、アクセスしてくださった方が、何気なくクリックしてしまったとしたら、
その方にも、不快感と迷惑を与えてしまうでしょう。
当然、気付き次第、削除していましたが、それにも嫌気が差して、
トラックバックを受け付けない設定にしてしまいました。
(たまに、コメント欄を悪用するサイトもあるのですが…)
インターネットはとても便利、簡単に「copy and paste」が出来ます。
私自身も、いつもしています。
でも、他人のブログの記事を、そっくりコピーして、
自分のブログの記事にしてしまう人がいるだなんて、思いも寄りませんでした。
それも何度も…
たまたま目にしてしまった時の驚きを想像してみてください。
どうか私の拙い文を、無断で、そっくりそのまま載せる事はやめてくれませんか?
言葉を所々並び替えたとしても、書いた本人には分かるものなのですよ。
また、文章の一部を引用する場合でも、
出来れば一言、その旨報告して貰えれば嬉しいです。
どこの何方か分からないインターネット上であっても、
人としての最低の品位と常識を持って頂けたらと思います。
ETV特集、「ワタシの見たニッポン」
~外国人による日本語弁論大会~を観ました。
1960年に始まって今年は50回目ということで、
過去に出場された方の現在も紹介されました。
昔に比べて、最近は欧米人より、アジアの人が多いような気がします。
今回は、特に中国人の女性が多かったです。
自転車に乗れない中国人の留学生は、
「中国人なら乗れるでしょ。」と言われたそうです。
「それは20年前までの中国」とのこと。先入観で決め付けては駄目ですね。
日本に近い韓国や中国、外見も見分けがつかないくらいなのに、
文化、考え方の違いには驚かされます。
韓国では、儒教の教えから、年上の人の前でタバコを吸ってはいけないとか。
では、赤ちゃんや子供や妊婦さんの前ではどうなのでしょうか?
やっぱり吸わないのでしょうね。当然、病人の近くでも。
ロシア出身の女性の、
「日本語は曖昧で難しい。日本人の『はい』は、必ずしも『イエス』では無い。」
には、大いに納得です。
それは、彼女が言うように、日本人が優しいから…?
そうとばかりとは思えませんが。
ウガンダの男性の、
「戦後という言葉が好き。ウガンダには戦後が無いから。
自分が生きているうちに、戦争が終結して欲しい。」には考えさせられました。
ウガンダにも、一日も早く戦後が来るといいのですが…
日本では戦後64年となり、戦争体験者の人々は別として、
その他の多くの日本人にとって、戦争は遠い過去の出来事でしょう。
でも、アジアの人達はどうなのでしょう?
少なくとも、中国人には過去形では無いようです。
それは、戦争被害国としての歴史教育がなされているからですが、
“今の日本人を見て!”と思わずにはいられません。
残酷非道な日本人、では無く、戦争こそが残酷非道なのです。
大切なのは、歴史を正しく伝えること…
かつて日本が何をしたか、次の世代に伝えようとしない日本の方が問題です。
私はこの「お伽草紙」といふ本を、日本の国難打開のために敢闘してゐる人々
の寸暇の於ける慰労のささやかな玩具として恰好のものたらしむべく、このごろ
常に微熱を発してゐう不完全のからだながら、命ぜられては奉公の用事に出勤し
たり、また自分の家の罹災の後始末やら何やらしながら、とにかく、そのひまに
少しづつ書きすすめて来たのである。~
で始まる太宰治の「舌切雀」…
『お伽草紙』は、「瘤取り」「浦島さん」「カチカチ山」「舌切雀」から成りますが、
太宰治は、「カチカチ山」の次に「桃太郎」を書こうと思っていたようでした。
桃太郎のお話は、あれはもう、ぎりぎりに単純化されていて、
日本男子の象徴のやうになつてゐて、物語といふよりは詩や歌の趣きさへ呈してゐる。
もちろん私も当初に於いては、この桃太郎をも、私の物語に鋳造し直すつもりでゐた。
~略~
いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。
日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を
描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに
及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
というわけで、「桃太郎」はないのです。
桃太郎が日本一なら、舌切雀のお爺さんは日本一駄目な男で、
妻であるお婆さんは、ある意味、気の毒な女に思えましたが…。
二人のやり取りは、時代を超えた倦怠期の男女の会話そのものです。
例えば、
「…まあ、どうでせう、私にものを言ふ時には、いつも口ごもつて聞きとれない
やうな大儀さうな言ひ方ばかりする癖に、あの娘さん(雀のこと)には、
まるで人が変つたみたいにあんな若やいだ声を出して、たいへんごきげんさうに、
おしやべりしていらしたぢやないの…」
おとぎ話の「舌切り雀」では、お婆さんが使おうとした糊を、雀が食べてしまった為、
怒ったお婆さんが、雀の舌をハサミで切ってしまうのですが、
このお話では、雀と楽しげに話しているお爺さんを、若い女性のお客と話してたと
誤解したお婆さんが、嫉妬からお爺さんが可愛がっている雀の舌を取ってしまう…
いかにも三面記事に有りそうな内容です。
「大きな葛籠」の中身も、蛇や蜥蜴や蜂などでは無く、
金貨が詰まっていて、お婆さんは、その重みに押し潰されて死んでしまうのですが、
お爺さんは、そのお金のお陰で一国の宰相までなってしまった…
女性の読者には、後味の悪いお話でした。
なお、太宰治の「舌切雀」のお爺さんは、未だ四十歳未満で、
お婆さんは、三十三歳でした。雀の名前は“お照さん”
「舌切り雀」も、「かちかち山」同様、元々は残酷な箇所もあったようですが、
明治以降、子供が読むように直されたようです。
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仕方なく、ブースとの交際を許したヘティでしたが、
セーラが心配でたまらず、始終二人を監視した挙げ句、
強引にブースを食事に招待してしまいます。
食べきれない程の料理やデザート、沢山のゲームを用意してブースを歓待しても、
決して二人きりにさせないヘティ伯母さん…
吹雪で帰れなくなったブースは、ローズコテージに泊まることになりましたが、
ヘティの新作『我が故郷の島』を読んで感動…
自分の作品を褒められたヘティは、ようやくブースを認めます。
一方、教会婦人部長のジャネットは、
エリオット牧師の妻バイオラの、明るく前向きな姿に共感し、友情を深めます。
でも、古くさい価値観の町の人々は、
牧師自身の態度や、聖職者の妻らしからぬバイオラの言動に眉を顰め、
態度を改めさせるよう、エリオット牧師に意見しますが、
牧師は、妻に態度を改めさせることだけをキッパリ断ります。
実は、3年前に牧師一家が、伝道団としてボルネオに赴任していた時に、
台風で校舎が崩壊し、バイオラは背中に大怪我を負ったのでした。
完治しない背骨の痛みにも、決して愚痴をこぼさず、
『命は掛け替えのないもの。神が与えたもうた命に感謝し、精一杯生きる。』
をモットーに、派手な帽子や華やかなキモノを身に付け、
明るく振る舞っていたのでした。
ジャネットから真実を聞かされた町の人達は、牧師一家に留まるよう懇願しますが、
既に、次の赴任先は決まっていました。
そこセント・ジョンは、病院が近くにあってバイオラにとって安心な土地でした。
牧師一家がアボンリーを去る日、
教会婦人部は、バイオラに派手な帽子を送りました。
別れを惜しむジャネットとバイオラ…
それは、セーラとブースにとっても同じことでした。
第48話「聖バレンタインの日に」にも登場したヘティ愛用の双眼鏡…
いつまでも子離れ(姪離れ)出来ないヘティ伯母さんですね。
うたた寝しているセーラそっちのけで、ブースとゲームに興じるヘティ…
相手してあげてるブースの方が、ずっと大人ですね。
酔っぱらって、勝手にステーシーさんの自動車に乗り、
暴走運転し故障させてしまったバイオラとジャネットでしたが、
これ、”前向きに精一杯生きる”とは違うと思いましたが…
~名言~
<オリビア>
「たとえどんな風に見えたとしても、ヘティは、いつもあなたの為を思っているわ。
誰かを心から愛してるなら、気持はどんな障害も乗り越えてその人に届くはずよ。」
<ジャネット>
「あの人達に、自分の浅はかさを思い知らせてやりたいわ。
言ったって仕方ないんだけど…」
「アボンリーへの道」<第5シリーズ>
第65話「牧師の妻」(The Minister's Wife)より
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一度は胸当を止めたバイヤス裁ちのサロンエプロンですが、
折角裁ったのだからと、作ってしまいました。
胸当て付きの白いエプロン…
しかも、スカート部分はフレアー…
フリルこそありませんが、
流行りの「メイドさん」と紙一重。
エプロンは家の中でするものですが、
噂話好きのご近所の誰かさんに見られたら、
「いい歳して、何考えてるの?」」
と陰口言われそうです。
いいじゃないですか、あなたたちに迷惑掛ける訳じゃ無し…
胸当て部分は、3つのスナップで留めてあります。
TVでマイケル・ジャクソンさんの追悼式(一部)を見ましたが、
長女のパリスさんに、思わず貰い泣きしてしまいました。
父親から虐待されて育ったというマイケルなので、
きっと、子供たちには手を上げることもなく、優しい父親だったのでしょうね。
どんなスターもそうですが、マイケル・ジャクソンにも、熱狂的なファンがいる一方で、
大嫌いな人もいるでしょう。
私より年上の知人は彼の大ファンですが、私は好きでも嫌いでも無いのです。
好きな理由も、嫌いな理由も無いからです…興味が無かったから…
ただ、ダンスは凄い!と思っていましたが…
でも、昔「アンディ・ウイリアムズショー」という番組があって、
白人の兄弟の「オズモンドブラザーズ」と一緒に、
「ジャクソン5」も出ていたので、小さい頃から知っていました。
それにしても、何故あんなに変わってしまったのでしょう?
亡くなってから調べる私…
まずあの白い肌ですが、
尋常性白斑、全身性エリテマトーデスという皮膚の病気だったそうです。
子どもの頃からマイケルの身体には、白い斑点があったそうで、
初めは黒いファンデーションを塗って隠していたのですが、
徐々に白い部分の方が広くなると、逆に、黒い部分に白いファンデーションを
塗ったのだそうです。
メラニンを形成されなくなった肌は、紫外線に非常に弱く、
皮膚ガンを予防するために日焼け止めを塗り、
黒い日傘やマスクが必要なんだとか。
この病気、実は意外に多く、黒人の罹患率は2%以上だそうです。
マイケルの尋常性白斑のことは、世界中の人に知られていることなのに、
何故か、日本人には余り知られていないようです。
先日も新聞記事に、「彼は白人に憧れ肌を白く変えた…」とありました。
現在の美容整形技術では、全身の皮膚を白く変える事は不可能だそうです。
たとえ、どんなにお金を掛けようとも…
鼻の整形の切っ掛けは、1979年にステージで転倒する事故で鼻を骨折し、
治療の為の整形手術でしたが、
この手術が適切ではなかったため再手術が必要になったそうです。
マイケルに限らず、整形手術を繰り返す人がいますが、
整形には、程度の差はあるにしろメンテナスが必要になるらしいのです。
また、マイケルは「醜形恐怖症」だったという説も…
幼い頃、父から受けた精神的・肉体的虐待が原因とか。
マイケルの頭髪ですが、1984年にCM撮影で頭部に大火傷を負ってから、
カツラを使用していたそうです。
知られていないといえば、彼の慈善活動も、あまり日本には伝わって来ません。
またあのダンスにしても、彼が天才だからではなく努力の結果…
来日の時も、ホテルの部屋の床が、汗で水溜まりが出来るくらい
練習をしていたそうです。
色々知れば知るほど、マイケル・ジャクソンさんが可哀想になりました。
今更ですが…
マイケル・ジャクソン、エルビス・プレスリー、マリリン・モンロー、美空ひばり…
伝説になるほどの大スターには、栄光と引き替えに、
一般人が想像できない位の苦悩と犠牲があったのでしょうね。
これからは、本物のネバーランドで、穏やかに暮らしてくださいね…。
昨日は五節句の一つ「七夕」ということで、テーマは「願掛け」。
日本には、多種多様な「願掛け」や「願掛けグッズ」があるようですが、
その余りに軽いゲーム感覚、遊び感覚に、外国人は理解出来ないようでした。
これは日本人が無節操というより、
日本には、無宗教の人が多いということかも知れません。
私は、何かに願掛けすることはありませんが、
強く願っていると叶うことは良くあります。勿論、偶然なのですが…
best of coolに選ばれたのは、伝統的な「祭り」でした。
外国人にとっても、日本人にとっても、伝統的なお祭りは感動的ですから。
お祭りも、本来は「願掛け」なのでしょうが、
七夕同様、年中行事の様にも思えます。
「七夕」も梅雨明けしてない頃では無く、
星空の美しい旧暦の夜の方が、織女と牽牛も嬉しいでしょうにね。
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精神分析医・土居健郎さんの訃報を知りました。
享年89歳だったとは…ずっと、もっと昔の人と思っていましたが。
土居健郎さんと言えば、『「甘え」の構造』が浮かびます。
すっかり忘れていましたが、私も昔、確かに読みました。
でも、全く記憶にないのです。内容も、読む切っ掛けも、なにもかも…
“絶対どこかにあるはず…”と本棚を探してみたところ、
亀井勝一郎や、倉田百三、エーリヒ・フロムの本などと一緒にありました。
変色してしまった箱から取り出すと、
裏表紙の内側に、1973・6・4 と書かれてあったけれど…36年前とは!
それにしても、何も覚えていないだなんて、本当に自分が情け無い。
土居健郎さん、こんな私をお許しください。
約束は出来ませんが、いつの日か読める時が来ることを願っています。
最後に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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浦島太郎といふ人は、丹後の水江(みづのえ)とかいふところに
実在してゐたやうである。~~~
~~~浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたといふ。
昨夜、ようやく太宰治の「浦島さん」(『お伽草紙』)を読み終えました。
私としては、「カチカチ山」の方が面白かったですが、
「浦島さん」も、まったく意外な内容でした。
この物語の主人公は、浦島ではなく亀なのでしょうね。
浦島は、いわゆる風流人として描かれ、
饒舌な亀は風流人の浦島を、と言うより地上人を辛辣に皮肉っていました。
太宰治も、紛れもない文化人の一人ではあるのですが、
(亀の言葉は)日頃、作者が抱いている、文化人への批判の様に思えました。
浦島の些細な疑問に対しての亀の返答に、
読者の多くが、溜飲の下がる思いだったことでしょう。
でも、一番すっきりしたのは、太宰自身だったかも知れません。
ただ、乙姫についての描写に、少なからず物足りなさを感じたのは、
私が通俗的だからなのでしょうね。
日本人なら、みんな知っている「浦島太郎」の世界を、
このようなお話にするなんて、やっぱり太宰治は凄いですよ。
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夢には思いかげない人が出てくるものですが、
グレープフルーツジュースで乾杯しようと眠りについた夜、
夢に、その人が現れました。
覚えているのは少しだけ…
自転車屋さんで、2人で自転車を眺めているのですが、
それは、いわゆるママチャリでは無く、お洒落なフレームの赤い自転車でした。
でも、もう一度見ると、電動機付きなんです。
年齢的には必要かも知れないけれど、乗る範囲に坂道は無いし、
それに、好きな色はブルー…
結局、買わないで店を出ると、
不思議なことに、その人の家が、すぐ近くにあって(夢ですから)、
家の外からなのに、穏やかな笑みを浮かべた上品な御母様がいらして、
テーブルの上には、お料理が並べられているのが、分かりました。
急に、“もう帰らなければ”と気付き、その旨を告げ歩き出すと、
窓から上半身を乗り出した○○さんが、
「ぼくが作った料理も食べないで帰っちゃうとは、さては今からデートでしょ?」
と、悪戯っぽく言うのでした。
「違いますよ…」と呟きながら、とぼとぼと帰ったのですが、
近くの筈の自分の家に(夢ですから)、どうしても、たどり着けないのです。
夢の中では、いつも家に帰れないのです…
図書館で、「パンプルムース!」と一緒に「ちひろの昭和」も借りました。
昔から、いわさきちひろさんのファンだったので、
絵本だけでなく、ちひろさんについて書かれた本も沢山持っていますが、
この本は知りませんでした。
それもそのはず、2009年4月に発行された本でした。
図書館で見掛ければ借りたくなり、書店で見掛ければ買いたくなるような本…
描かれている世界は、私の卒園アルバムそのものです。
昭和30年代初頭の日本、町は、元気いっぱい遊ぶ子供達であふれていました。
男の子は、坊ちゃん刈りか丸刈り、女の子は、おかっぱ頭かお下げ髪、
タンクトップ、Tシャツ、トレーナーなどは無く、
ブランド品も無かったけれど、今より可愛いらしい服装をしていました。
女の子の定番は、ショールカラー、パフスリーブの白い綿のブラウス…
襟や胸元には、フリルやレース、ピンタック、刺繍が施されてました。
夏は綿のギャザースカート、冬はウールのプリーツスカートの他に、
プリーツのジャンパースカートもありました。
真夏の普段着は、大抵は、襟無しノースリーブのワンピースでしたが、
お出かけする時は、襟も袖もあるお洒落なワンピースに…
(綿レースのフリル付きの、薄手綿ローンのスリップ(手作り)を着せられました。)
子どもにも、TPOをきちんとさせていたのですね。
すぐ着られなくなるのに、手の込んだ洋服を手作りしてくれた母親たち…
(もちろん既製品はありました。)
秋冬には、みんな、機械編みのセーターやカーディガンを着てましたが、
小さくなると、解いて湯通しし、違う毛糸を足して、縞模様に編み直したり、
ベストなどにしたものでした。
男の子も、真夏の普段着はランニングシャツなのに、
出掛ける時は、ソックスを履き、糊の効いたカッターシャツに着替えてました。
ポリエステルのフリースやジャージは有るはずもなく、
レトルト食品もカップ麺も無かった時代…
衣食住の全てが、今よりエレガントでした。
いつの間にか年を取ってしまいました…
友達から、ちひろさんの訃報を聞かされてから35年の時が過ぎ去り、
私は、ちひろさんの歳を越えてしまいました。
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つい最近のこと、
『パンプルムース!』(講談社)という
愛らしい詩集を知りました。
教えてくださったのは、顔も知らない“空想の中のおともだち”…
“○○さん、いつも私に、素敵を教えてくださってありがとう。
心より感謝してます。
・・・今、手元にありますよ。”
パンプルムースは、フランス語でグレープフルーツのこと、
パンプルムース!の詩も納められています。
本を開けば、いわさきちひろさんの絵と、
漢字の無い江國香織さんの詩が現れます。
見慣れた絵ばかりなのに、詩があることで新鮮な感覚を覚えました。
コップがひとつ あります
江國香織
コップがひとつ あります
なにをいれようかな
のむものなら なんでも
コップにいれると
のむものはみんな
コップのかたちに なる
コップにくちをつけると
くちびるとくちびるのあいだで
コップのあつみと かたさが わかる
はがぶつかると
かちん と
いいおとがする
絵は、「山を思うかずこ」(『あかまんまとうげ』)。
女の子の表情が、幼い頃の自分と重なります。
こんなに可愛くは無かったけれど…
自ら、「予は危険人物なり」と言ってしまう人…
その人の名は、宮武外骨(みやたけ・がいこつ)、号ではありません。本名です。
(幼名は「亀四郎」、17歳で自ら改名)
意図的な流言から、理性を失い暴徒化する一般庶民。
当局の嘘を見抜き、反骨精神から、新聞、雑誌を刊行して、
政治や権力を批判していた結果、当然、発禁、差し止めの処分を受け、
投獄4回、その内訳は、「不敬罪」「官吏侮辱」「秩序紊乱」「風俗壊乱」、
有罪判決30回以上…
昨夜の「歴史秘話ヒストリア」、
“さわるな危険!宮武外骨~反骨の闘士 時代と格闘す~”
を見るまで、こんな凄いジャーナリストが、いただなんて知りませんでした。
真っ二つに割れた頭から癇癪玉が破裂した自分の姿や、
ユーモアと頓知のセンス抜群のイラストと文…
宮武外骨の『滑稽新聞』が成功したのも尤もです。
私も読みたかった!
まさに天晴れ!…鬱陶しい気分を吹き飛ばしてくれました。
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今日から7月・・・今年も半分終わってしまいましたね。
昨夜のテーマは「婚活」(結婚活動)でした。
「婚活バー」「料理婚活」「婚活合コン」その他諸々…
最初から結婚を目的とした婚活は、外国人(欧米人)には不評でした。
と言うより、理解出来ないようでした。
“お酒の場で、結婚相手を探すなんて考えられない”
“何故そんなに、結婚にこだわるの?”
“まるで、就職活動みたい”
“ロマンが感じられない”
そうなんです。
日本は、形式に拘り、未婚者には差別と偏見のある国ですから…
婚姻届という契約書がものを言う国ですから…
出会いがあり、交際の結果として結婚がある。
では無く、
先ず、条件を提示し、折り合いを付けながら選んでいくのですから、
日本人(アジア人)は、ロマンより、現実を重要視するのかも知れません。
シャイで忙しいこともありますが…
少子化問題の一番の原因は、結婚しない人が増えたからと聞きます。
今は、婚姻届で差別してる場合じゃ無いでしょ。
ベスト・オブ・クールに選ばれたのは、「幸せをつかんだ夫婦の婚活」でした。
まだ新婚3ヶ月ですからね。先の事は分からないですよ。
「コンカツバー」「コンカツの為の料理合コン」・・・
私には「トンカツ」に聞こえてしまいました。
もっと、お洒落な言い方、無かったのかしら…?
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