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『回想の太宰治』…(2)

昭和20年3月10日の東京大空襲があったことで、
美知子さんと二児だけが甲府に疎開することになり、
その前後を描いた文章の中に、次の一文がありました。

 荷物をまとめているうちに私は衝動的に、タンスにしまってあった手紙やはがき
~結婚前にとり交した手紙を太宰がお守りにしようねといって紅白の紐で結んだ
一束と、その後の旅信であったが~
それをとり出して庭に持ち出し太宰と小山さんふたりの面前で、燃してしまった。

                                   ~「疎開前後」より~

太宰治に傾向する読者や研究者にとっては、
何とも取り返しの付かない行動に思えたことでしょう。
私も、何て惜しいことを!と思いましたから。

戦争中という先が見えない時代で、夫は文筆家という職業です、
大切な私信を人目に曝されるかも知れない、という心配はよく解ります。

でも、理由はそれだけでは無かったようなのです。
太宰治が世間一般の夫とは違って、仕事以外には何事も無関心な人、
常に無責任で人任せ、小心者の常で、家族より他人の言いなり…

自分達が疎開するに至ったのも、罹災し転がり込んで来た知人の考えからで、
夫と闖入者に対する苛立ちの結果だったようでした。
手狭になったために追い出された様にも思えたそうです…

もしその時、手紙を燃やさなかったとしても、太宰治の最期を考えたら、
今に至るまで無事に保管されていたかは疑問です。

太宰の妻という自負、妻として女としてのプライドは酷く傷付けられ、
それは、とうてい許すことの出来ない仕打ちだったでしょうから…
「美知様  お前を誰よりも愛してゐました。」という言葉を遺してくれたとしても…

逆に、「太宰治の妻」としてのプライドが、
私信を処分させなかったのかも知れませんが…

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