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2009年5月

COOL JAPAN …プライバシー(Privacy)

今回のテーマは、「プライバシー」。

特に印象に残ったのは、家庭内のプライバシーについての、
海外と日本の違いでした。

欧米では、自分の子供も、生まれた時から個人として扱われ、
寝室も別で…2~3歳の時の人も…

でも、子供のプライバシーを尊重するというより、
夫婦のプライバシーを最優先するためのようでした。

夜中に、何度か見に行くにしても、
赤ちゃんを一人で、真っ暗な部屋に寝かしておいて、
心配にならないのでしょうか?夜泣きはしないのでしょうか?

住宅事情もあるのでしょうが、たとえ豪邸に住んでいたとしても、
我が子が、自分の身体の一部という感覚の日本人には、
一人きりで赤ちゃんを寝かすことは、心配で出来ないと思いますが…
文化の違いなのでしょう。

ところで、先週は書きそびれましたが、「自動車」がテーマでした。
「ハイブリッドカー」や「痛車」「給油所」の様子や、
海外と日本との車に対する思いの違い、
また、自動車メーカーの技術者(職人さんが紹介されていました。

番組中、「痛車」について、ドイツ人の男性が言った言葉がありました。
「ドイツ車には、やらないで欲しい」…その気持ち分かります。
趣味の問題ですから、他人がとやかく言う事でも無いのですが、
少なくとも見たいとは思えません…

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「10ドルの盗難事件」

今回は、アレックとフェリックスのお話です。

小さい頃はトラブルメーカーだったフェリックスですが、
正義感溢れる若者に成長しました。さすがアレックの息子ですね。

トレメインさんからの信頼も篤く、金庫の鍵の番号を知っているのは、
フェリックスだけ…見直しましたよ。
それにしても、学校の方はどうなってるの…?

町に、次期首相と目されている大物政治家、ジョン・ホジソンがやって来ました。
フェリックスは、同行してきたホジソンの一人娘のアデラインに惹かれ、
島を案内したり自転車を教えたりして、親しい間柄になります。

ところが、ホジソン父娘が滞在先のホワイト・サンド・ホテルでは、
盗難騒ぎが相次ぎ…
無くなったのは、客のミリング夫人のカメオのブローチと、
ヘティ伯母さんの10ドル紙幣入りバッグ、事務所の金庫に入れた筈の12ドル…
ブローチとバッグを見つけた新人のエルバート・ワーツが疑われます。

一方、島の住民から信望が厚いアレックは、ホジソンに目を付けられ、
政界入りを勧められます。

一時は、農民のために、政界入りを真剣に考えたアレックでしたが、
ホジソンの所属する党と鉄道会社の癒着や、
買収は常套手段で、“票は金で買うもの”という政治家の考え方は、
アレックの主義に反するものでした。

また、娘の寂しさを理解しようともせず、全て金で解決しようとするホジソンに、
激怒したアレックは、フェリックスを促し、彼の部屋から去ったのでした。

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風邪でホテルを休んでいるガスのため、
服装を気にして、お見舞いに行くフェリシティ…
バスケットには、“スープ、ビスケット、ミルク、チーズ、リンゴ、桃の缶詰”が…
二人の様子が見たかったな~

<名言集>
「かの乙女から、目が離せんのだろ?それこそ、恋煩いだ。
心配するな、誰にもあることだ。」(ピエール)

「息子は、たかりに来たんじゃありません。正義の為です。
盗みを働いたんですよ。金に不自由してないのに。
理由を考えて御覧なさい。満たされない何かがあるはずだ。
行くぞ、フェリックス、お前の正直な心まで、汚されちゃかなわん。
お金は票を買うために取っといた方がいいでしょう。
…それしか、当選する手立ては、なさそうですから…」(アレック)

「フェリックス、ごめんなさい。二度とあんなことしないって誓うわ」(アデライン)
「自分に誓うんだ。…僕じゃなく。」(フェリックス)

「アボンリーへの道」<第5シリーズ>
第60話「10ドルの盗難事件」(Someone to Believe in)より

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草履(ぞうり)かくし

そう言えば、「草履かくし」という遊びもやった記憶があります。

片方の履き物を隠し、「鬼」が見つける遊びで、
要するに、履き物版「かくれんぼ」ですね。

履き物さえ隠してしまえば、自分は走り回らなくてもいいのですが、
ケンケンしたままなので疲れるのですよね~

「草履かくし」の特徴は、最初の「鬼」を決める方法でしょうね。
全員の片方の履き物を並べて、(もちろん運動靴(ズック)ですよ。)
「どれにしようかな、神様の言う通り」のように
リーダー格の子が、歌いながら端から順番に足で差していくのですが、
小さかった私は、全くその歌を覚えていないのです。
本やwebサイトで調べても、「そうそう!」と思い出す程の記憶も無いのですから…

手元の、わらべ歌の本によれば、
「ぞうりかくしの唄」は鎌倉時代からあるのだそうですが、
下は、数多くあった歌の中の一つ(一番短い歌)です。

「じょうりかくし じゅうもんじ
てんとくじろく ばらのく じろのく
重三郎が 一生ぬけたか ぬけまいか
とおん どっこいしょ」

意味は、著者にも全く分からないそうです。
(教えてくれたお年寄り自身も、分からなかったとか…)

他の本にも、「ぞうりかくし」の歌は沢山ありましたが、
やはり意味は分かりません。
子供達は意味などは気にせず、呪文のように歌っていたのでしょう。

上の歌だったのかどうかは定かではありませんが、
当時、歌を知っていたのは、3学年上の「K子ちゃん」だけでした。

風の便りでは、K子ちゃんは早くに結婚したのだけれど、
20代の若さで亡くなったとか…2人の幼子を遺して…

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縄とび

近くに空き地は無かったですが、
路地や小学校の校庭(徒歩1分位)で、「長縄跳び」して遊んだものでした。

長縄跳び用の紐は、ビニール製のカラフルな1人用を2本、
持ち手を片方に寄せて繋いだものです。

「郵便屋さん」と「大波小波」は、よくやりました。

郵便屋さ~ん 郵便屋さん
ハガキが十枚落ちました
拾ってあげましょ
一枚 二枚 三枚 四枚~~十枚

(拾う真似しながら跳ぶ)
ありがとう」

「(ひもを左右に揺らす)大波小波で 風が吹いたら回しましょ
(ひもを回す)一 二 三 四 ~~(失敗するまで)

他に、「俵のネズミ」や「一羽のカラス」があったような…

「俵のネズミが一匹チュウ 二匹チュウ 三匹チュウ~
(1人ずつ加わっていく)
俵のネズミが一匹逃げた 二匹逃げた 三匹逃げた~」

(1人ずつ抜けていく)」

「一羽のカラスが カァーカ
二羽のニワトリ コケコッコー
三は 酒屋の大泥棒
四は 白髪のおじいさん
五は ごほうび いただいて
六は ろくろく 字も知らない
七は 七五のお祝いで
八は 浜辺の白ウサギ
(く)は くろんぼ イ○○人
(とう)で とうとう死んじゃった」
(記憶は全く曖昧ですが…)

今の子供達はやらないのでしょうか?見掛けたことがありません。
そんな暇は無いのでしょうね…
校庭も開放されていないから、場所も無いでしょうね。

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ことろ ことろ

今になって思うと、『ことろ ことろ』も怖い歌ですよね~
「花いちもんめ」が人買いの歌なら、
「ことろ(子取ろ)ことろ」は、「鬼」が子供を、さらいに来る歌なんですから、
結局「花いちもんめ」と同じく、人さらいの歌なんでしょうね…

「ことろ ことろ」は、小学校低学年の頃に、大きい子達と遊びましたが、
詳しくは覚えていません。

遊び方を思い出してみると、
まず、「鬼」を一人決め、
他の子は、前の子の上着の(後ろの)裾を離さないように掴み、
縦に一列になって「鬼」ち向かい合います。
先頭の子が「親」です。

(鬼)「おーとろ ことろ(子取ろ)」
(親)「どの子を ほしや
(鬼)「あの子を ほしや
(※)
(親)「とるなら とってみよ

と言って、「親」は両手を横に広げます。
「鬼」は、最後尾の子にタッチしようと走り回り、
「親」は両手で子達を必死に守りながら走ります。

一番後ろの子が「鬼」にタッチされると、次は、その子が「鬼」になり、
「鬼」だった子は「親」になります。

この遊びはエンドレスですが、「鬼」になると相当疲れましたね。

『ふるさと百話』(1972)という本を、引っ張り出して調べてみたところ、
ほしや ほしや」という題で、しかも(※)に長い歌があったのです。

『ふるさと百話』は1960年代後半に、地方紙に長期間連載されていたものを
20巻にまとめた本なのですが、
6冊目の中に「わらべ唄雑記」というのがあって、
著者は、明治生まれ(市内)の小川龍彦氏。

その小川龍彦氏が、母親から聞いたと言うのですから、
私が知らなくても仕方ないですね。

ほうしや、ほしや、どの子をほしや
 この子をほしや、何をくれて養う
 砂糖に饅頭、それは虫の毒
 天から落ちたカマボコ三切れ そりゃ骨ん立つ 
 噛んでくれる ツバキが付く
 洗ってくれる 水気が付く 乾してくれる
 でんでん虫たかる
 赤いまんま炊(た)かせて チッパと舞って来い
 パッパッパッ……

で走り回る…
また、幾つかのパターンが載っていましたが、
地域によって、かなり違っていました。

「子取ろ」遊びの起源は平安時代らしく、
“地蔵菩薩が守る亡者を、鬼の獄卒が奪い取ろうとする
有り様になぞられて始まった。”とありました。

「人さらい」ではなく、元々、鬼だった訳ですね。
本物(?)の「鬼」だったなんて、尚のこと怖い歌ですよね。
それとも、やっぱり人間(人さらい)の方が怖いのかな…?

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花いちもんめ

小学生の頃は、学年関係無く、近所の女の子だけで遊びましたね。
高学年の子が、低学年の子の面倒をみるかたちですが、
幼稚園にも行ってない小さい弟妹も、仲間に入れてました。

でも、たとえば「かくれんぼ」では、一番目には見つけないなどという
ルールがありましたね。
(「何とか」と言う言い方がありましたが、すっかり忘れてしまいました。)

「花いちもんめ」は屋外だけでなく、家の中でもやったものでした。
二つの組に分かれ、それぞれが手をつなぎ合って向かい合い、
歌ってる組は前に歩き出し「(語尾)」で蹴る動作をし、
歌ってない方は、後ろへ進みます。
(動きは全国共通でしょうが、歌は多少違うでしょうね。)

※~
(A)「ふるさと訪ねて(“まとめて”だったかも?) 花いちもんめ
(B)「ごみ箱でんぐり返して 花いちもんめ
(A)「あの子が欲しい
(B)「あの子じゃわからん
(A)「この子が欲しい
(B)「この子じゃわからん
(A&B)「ま~るくなって相談」(それぞれが丸くなって、指名する子を決める)

(A)「○○ちゃんが欲しい
(B)「△△ちゃんが欲しい
(A&B)「ジャンケンポン!」(負けた子は勝った子の組に加わる)
次からジャンケンで勝った方が(A)になる

(A)「勝~ってうれしい 花いちもんめ!」(勝ち誇った口調で)
(B)「負け~てくやしい 花いちもんめ!」(悔しそうな口調で)~※

※~※を繰り返し、一人になってしまった子がジャンケンで負けると終わりです。

この「花いちもんめ」も怖い歌(人身売買)という説があるそうですね。
知らなかったからこそ、無邪気に遊んでいたのですが…

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「地球感動配達人 走れ!ポストマン」…サモア

国内の依頼人は、竹下登元首相の孫として有名になった、
タレントでミュージシャンのDAIGOさん。

まだ売れてない頃に良く通っていたという、
下北沢のレストラン「だいこんの花」のマスターに、もう一度会いたい。
そして、いつも食べていたパスタ、「ボンゴレバジリコ」(通称“ボンバ”)を
是非もう一度食べたい。というものでした。

お店はもう無く、マスターの名前も分からない…
DAIDOさんが描いた似顔絵(お上手!)を手がかりに、
ガレッジセールの川田広樹さんと二人で探し出しました。

マスターご夫妻との感動の再会を果たしたうえ、
「ボンバ」も特別に作って貰い、味わうことが出来ました。

バジリコと思っていたものが、パセリということも初めて知って…
久しぶりの再会で、より感動が大きかったのは、
マスター(荒川保男さん)の方だったように思えました。

海外編の依頼人は、茅ヶ崎市の保育士・武田由希さん。
3年前にボランティアとして、南太平洋・サモアの幼稚園に赴任した時のこと、
子供達の酷い虫歯に驚き、歯磨きの指導を行ったという武田さん…

サモアには歯磨きの習慣が無いらしく、
それでも伝統的な食生活を送っていれば、特に問題は無かったのだけれど、
外国から、甘くて高カロリーの食文化が入ったことで、
子供達の歯が蝕まれていったのだとか…

父兄や先生達からは理解されず、孤軍奮闘していたなか、
唯一理解し協力してくれたのが、当時見習い先生だったデニスさんでした。

その後、武田さんは体調を壊し帰国したのですが、
幼稚園の歯ブラシ活動が気になり続けていたのです。
サモアのソギ幼稚園に歯ブラシを届けたのは、ポストマンの中鉢明子さん。

中鉢さんは明るく前向きで語学も堪能なご様子、
いかにも逞しく頼もしい感じの女性なので、安心して見ていられます。

ソギ幼稚園は、じき見つかり、
すっかりベテラン先生となったデニスさんにも会えました。
(20~21歳とは思えないほど、大人っぱい!)
園児達が歯磨きしている感動的な光景も…

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「過去の重荷」

空模様が怪しくなり、干し草を心配していたアレックは、
無断で納屋にいた男ケイレブに、取り入れの手伝いを頼みます。

翌日、干し草の取り入れを、無事終えたアレックは、
ケイレブの人柄と働きぶりを気に入り、彼を雇うことにしました。

ところが、ダニエルを助けた記事が新聞に載ったことで、
彼の過去が明らかに…
ケイレブは銀鉱脈の詐欺事件を起こした張本人だったのです。

5年の刑に服した事で、事件は決着済みではあっても、
被害者の恨みが晴れるわけでもなく…当然ですが…

一家に迷惑を掛けたくないと言い残し、
後ろ髪を引かれる思いで、キング農場を後にしたケイレブでした。
ディガーの無実を晴らし…

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いつもとは違う雰囲気で、印象の薄かったエピソードでした。
ディガーは、相変わらず“いい仕事”してますね。

<アレックの名言>
「無駄だってことは、よく分かってるさ。
人間と自然じゃ、人間に勝ち目はない。祈るしかないんだ。」
「『労働者に学が無い』と決め付けるのは、偏見じゃないのか。」
「投資するなら、機械より人間だろ。」

<ケイレブ>                                    
「ディガーのためを考えたら、このまま、繋いどくなんて出来ないだろう?
自由を奪うことになるからね。犬に取っちゃあ、死ぬより辛いことだよ。」

「アボンリーへの道」<第5シリーズ>
第59話「過去の重荷」(Stranger in the Night)より

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「レースの栄冠」

収穫祭が近付き、バザーに出品するキルトの仕上げに忙しいジャネット…

収益金が学校の図書購入に使われると知ったイライザおばさんは、

こんな見事なキルトを売るなんてもったいない。
何時間もかけて作ったのに…
…何だって、そんな回りくどいことするのか、まったく気が知れないね。
キルトを縫ったり、ジャムを作ったり、パイを焼いたり、わざわざ苦労して、
ただお金を寄付して、本を買えば済むことじゃないの。
…まったく、馬鹿らしいったらありゃしない。


私もイライザおばさんの意見に同感。
でも、寄付金を募っても、集まらないのですからね。
手作り品を買うのは歓迎でも、出来れば寄付はしたくないのが人情ですから。

結局、イライザおばさんは、他人にやってしまうのが惜しくて、
キルトを自分で買ってしまいました。その気持ち解りますよ。

一方フェリックスは、10ドルの賞金が出ると聞き、
プリンスと障害物競馬に出たいと言い出します。
(フェリックスって、“儲け話”に目がないのですよね。)

いつもは息子に甘いジャネットですが、
何故かレースには、“ダメ!”の一点張り…

父アレックとトレメインさんという強い味方を得たフェリックスは、
母に内緒で練習に励むのですが…

もう一人、レースの勝敗にこだわる人物がいました。
イジーの父、クライブ・ペティボーンです。
帰省中のアーサーが心配する中、愛馬アナベルとの練習に余念がありません。

「フェリックス&プリンス」対.「クライブ&アナベル」の勝敗に、
新しい鞍を賭けたアレックとクライブ…
アボンリーの人達って賭けが好きですよね。

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ところで、アボンリーの収穫祭なのに、
ヘティもオリビアもレイチェルも、いませんでした…?

「アボンリーへの道」<第5シリーズ>
第58話「レースの栄冠」(The Great Race)より

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「花かげ」と「十五夜お月さん」

わらべ歌や童謡には、怖いものや悲しいものも多いのですよね。

悲しい歌の背景には、
現在と違って、昔は貧困故に幼い時から、
里子や奉公に出されていたこともありますが、
「花かげ」や「十五夜お月さん」(元の題は「十五夜お月」)のように、
必ずしも、貧しいだけが理由ではなさそうです。

花かげ』
(大村主計/作詞・豊田義一/作曲~

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの おねえさま
(くるま)にゆられて ゆきました

十五夜お月さま 見てたでしょう
桜吹雪の 花かげに
花嫁すがたの ねえさまと
お別れおしんで 泣きました

十五夜お月さま ひとりぼち
桜吹雪の 花かげに
遠いお里の おねえさま
わたしはひとりに なりました

十五夜お月さん』
(野口雨情/作詞 本居長世/作曲)

十五夜お月さん 御機嫌さん
婆やは お暇
(いとま)とりました

十五夜お月さん 妹は
田舎へ 貰
(も)られて ゆきました

十五夜お月さん 母(かか)さんに
も一度 わたしは逢ひたいな

「花かげ」は春の歌、「十五夜お月さん」は秋の歌ですが、
この2曲は雰囲気がよく似ていて、どちらも孤独な女の子の歌なのですが、
聴くだけでも涙が出そになります。
まして、胸がつかえてしまって最後まで歌えません。

気のせいかも知れませんが、
昔の童謡では、女の子の歌に悲しい歌が多いように思えます。
女の子の方が、より悲しい子供時代を送ったのでしょうか?

「うれしいひなまつり」(サトウハチロー作詩)にしても、
詩では「楽しい」とか「嬉しい」と言っていますが、
短調のせいか、楽しそうにも嬉しそうにも思えないのですね。

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「叱られて」

(1) 叱られて 叱られて
    あの子は町まで お使いに
    この子は坊やを 寝んねしな
    夕べさみしい 村はずれ
    コンと狐が 鳴きゃあせぬか

(2) 叱られて 叱られて
    口には出さねど 目に涙
    二人のお里は あの山を
    超えてあなたの 花の村
    ほんに花見は いつのこと
              ~清水かつら~

童謡が好きだった私は、昔、よくレコードを買っていましたが、
聴くたびに、「昔の童謡は、暗くて寂しいのが多い…」と思ったものでした。

「叱られて」もその一つ、
子供の頃は、“キツネが出るかも知れない暗くて寂しい夜道を、
一人で、買い物に行かせるなんて酷い親!”と思っていました。

口減らしの為に奉公に出された子供が、
奉公先の主人に、お使いに行かされた歌と知ったのは、
大人になってからでしたから…。

「五木の子守歌」や「島原の子守歌」にしても、
「こんなに暗い歌で、赤ちゃんは眠るのかしら?」と思っていました。

「子守歌」には、幼子を寝かしつける為の歌と、
子守り奉公に出された少女を歌ったものがあったことを、知らなかったから…
当時に比べて、幸せな時代に生まれたことに感謝した次第です。

私の記憶にある子守歌と言えば、
ねんねん ころりよ おころりよ 坊やは良い子だ ねんねしな
坊やのお守りは どこ行った あの山こえて 里行った 
里のおみやに 何もろうた でんでん太鼓に 笙の笛…

これ、「江戸の子守歌」のようですが…

20090521

(右)決定版「こころの童謡」~思い出の愛唱歌100選~
   3枚組(日本コロムビア)
(左)「唱歌」(キングレコード)

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「赤い靴」

赤い靴はいてた 女の子
異人さんに
 つれられて 行っちゃった

横浜の埠場から 船に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

今では青い目に なっちゃって
異人さんの
 お国に  いるんだろう

赤い靴見るたび 考える
異人さんに
 逢うたび 考える ~野口雨情~

何て恐ろしい詩なんでしょう。
子供の頃は「人さらいの歌」かと思っていました。
“青い目になっちゃって”も、意味が解らず不気味でした。

わらべ歌や昔の童謡には、怖いものや悲しいものが多いですよね。
昔は貧しさ故、里子に貰われて行ったり、
年端のいかないうちから、口減らしの為に遠くへ女中奉公に出されたり、
それでも、人さらいにさらわれたり、
女衒に売らたりしないだけましだったとか…

「赤い靴」のモデルとされている女の子も、
そんな可哀想な女の子の一人だったようです。
(ただし「岩崎きみ」ちゃんが実在の人物であったとしても、
本当にモデルだったのかは、野口雨情さんに聞いてみないと分かりません。)

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「日本平」山頂に建つ「赤い靴」の女の子の母子像

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わたしのあの人

「夫」のことを「旦那」と呼ぶのが最近の流行りでしょうか?
大概は若い人たちなのですが、よく耳にします。

私の世代では、一般的に「主人」が多いでしょうね。
主人という言い方にも、かなり抵抗があって、
そうは思っても、親しい人同士の会話で「夫」と言うのも何となく堅苦しいし、
「うちの人」というのも面映ゆいし…
で、そんな人は、不本意ながらも「うちのおとうさん」と言ったりするのですね。

でも、たとえ「主人」という言い方に抵抗があったとしても、
相手に対しては、「お宅の御主人」と言うしかないようです。

「うちの亭主」にしてもそうですが、「うちのダンナ」という言い方も、
言っている当人は、別に意識はしていないのでしょうが、
一応、敬意を示す代名詞なのに、夫を見縊っている感じがするのですね。

もちろん夫婦は対等、自分を卑下したり、夫を特別敬うことも無いのですが、
「うちのダンナ」は、あまり耳に心地良いとは思えません。
こういうのを、ジェネレーションギャップと言うのでしょうね。

ところで、「わたしのあの人」という言い方はどうでしょう?
これ、私より3~4歳年上の知人が言った呼び方なのです。

その人は常に身綺麗にしていて、表情も言葉遣いも、いつも穏やかで優しく、
声も小さめですが朗らかな感じで、決して荒げたりはしない人です。

がさつなオバサン連中に比べたら、上品そのものなのですが、
少なからず、浮いてる存在…
そんな素敵な人だからこそ、「わたしのあの人」が似合っているのですね。

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滝平二郎さん

先日(5月16日)、滝平二郎さんが亡くなられたそうですね。
滝平さんの切り絵が好きでした。
特に、「花さき山」と「モチモチの木」が好きでした。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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滝平二郎さんの「モチモチの木」と「花さき山」
二冊とも、斉藤隆介・作(岩崎書店)

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滝平二郎さんの「きりえかるた」(新泉社)

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「地球感動配達人 走れ!ポストマン」…ラオス

昨夜の依頼人は、医療ボランティアをしている紀平さんでした。

2005年、当時11ヶ月のラオスの少女スッパダーちゃんが、
肺動脈の異常で手術が必要でしたが、
母国では困難だったため「あけみちゃん基金」により両親と来日し、
手術は成功したものの、術後危険な状態に…

言葉の通じない異国で一人(お父さんは残してきた子供のため帰国)、
お母さんのダオポンさんは、どんなにか不安だったことでしょう。

ダオポンさんは教わった「千羽鶴」を折って祈るしかなかったのですが、
祈りが神に通じたのか、スッパダーちゃんは奇跡的に回復したとのことでした。

「サポートとは心でするもの」…
“それを教えてくれたダオポンさんに、感謝の気持ちを届けたい。
スッパダーちゃんの元気な様子も見たい。”

という訳で、お届けの品の「色鉛筆」を携え、ラオスに向かったのは、
お笑いコンビ「ますだおかだ」の岡田圭右さん…

スッパダーちゃんのお父さんが映った途端、私の涙腺は緩みました。
お父さんと、お母さんのダオポンさんの、止めどなく流れ出る涙に、
私も貰い泣きしてしまいました。

お父さんが奥から持ってきた「千羽鶴」には、埃も無く色褪せも無く、
4年の月日を感じさせないものでした。
きっと、大切に保管されていたのでしょうね。

スッパダーちゃんは双子の姉妹なので、色鉛筆のセットも2ケースでしたが、
お兄ちゃんに気付いた岡田さんが、
思わず「お兄ちゃんにも何か持って来れば良かった…」
と洩らしていましたが、本当にそうですよね。
ちょっとした文房具か何かを…

岡田さんは、お兄ちゃんの存在を知らなかったのでしょうが、
依頼人や番組スタッフも、知らなかったのでしょうか?
ダオポンさんにも、千代紙位、持って行っても良かったのに…
(これ、日本人的考え方でしょうか…?)

何色入りかは見落としましたが、
お父さんが「ラオスには、こんなに多色の色鉛筆は無い。」と言っていました。

ラオスは、日本に比べたら医療も遅れているでしょう。
150色入りの色鉛筆も、売られていないかも知れません。

でも、出会ったラオスの人達は、「ほほえみの国」の人らしく、
みんな優しく穏やかな表情でした。
物質的には豊かでは無くても、心が豊かなのでしょうね。

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COOL JAPAN …お母さん(Japanese Mother)

“誰にでも、たった一人だけいて、かけがえのない存在…それが「お母さん」”
HPにあった言葉です。
ちょっと納得し難い言葉でした。

産んでくれた女性は、確かに一人だけ…
でも、実の我が子に面白がって熱湯を掛けたり、
虐待した挙げ句、死に追いやる人が、「お母さん」と言えるでしょうか?
フローラさん(サヘルさんのお母さん)みたいな女性だっているのですからね。

お母さんのイメージは、
「温かくて優しい」「ご飯」「働き者」「無条件で愛してくれる」等々で、
万国共通のようです。

お母さんの口癖が、
「勉強しなさい」「片付けなさい」「早く寝なさい」というのも同じみたいですが、
「疲れた」「忙しい」は日本のお母さんだけ…?

「お母さんへの感謝の言葉」…いつも心の中では思っていても、
照れくさくて言えない…これも万国共通みたいでした。
カードに書いて送るのも、一つの方法ではないかしら。

子供に家事をさせることは、その子の将来にとって必要なことなのに、
日本の子供が塾通いで忙し過ぎるのか、
母親自身の根気が足りないのか(自分でやった方が早い)分かりませんが、
外国に比べて、家の用事(手伝いではなく分担として)をしないようです。

先ずは、父親がお手本にならないといけないのでしょうが、
その父親自身も、子供の頃に家事をしてない訳で…
結局は、母親の責任ということなのでしょうか?

ギャルママ・サークル、日本のお母さんも変わりましたね。
ギャルママに限らず、母親になっても、自分を持ち続けることは大切です。
それに、仲間の存在が、明るく前向きな子育てに繋がるでしょうね。

「かあさんの歌」が紹介されました。
  かあさんが 夜なべをして
  手袋 編んでくれた
  木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて
  せっせと編んだだよ
  故郷の便りは届く
  囲炉裏の匂いがした

「お母さん」の歌と言えば、やっぱり、この歌が浮かびますね。
いつ聴いても、涙が出そうになります。
他にもありますね。私の大好きな歌です。

「やさしいおかあさま」
  わたしがおねむに なったとき
  優しくねんねん 子守歌
  歌って寝かせて くださった
  ほんとに優しい おかあさま

  夏は寝冷えを せぬように
  冬はお風邪を ひかぬよう
  お布団なおして くださった
  ほんとに優しい おかあさま

「おかあさん」
  おかあさん
  なあに
  おかあさんて いいにおい
  洗濯していた においでしょ
  しゃぼんのあわの においでしょ

  おかあさん
  なあに
  おかあさんて いいにおい
  お料理していた においでしょ
  たまごやきの においでしょ

お母さんの歌は、どの歌も素敵ですね。

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「演劇コンクール」

第25回目「演劇コンクール」の主催地がアボンリーということで、
22年前の優勝以来、負け続けの屈辱を晴らそうと、異常に張り切るヘティ…

演目は、ヘティ曰く完璧なメロドラマ『麗しき山師(The Seductive Roue)』、
もちろん、ヘティ・キング作です。

主役は、22年前優勝した時の功労者ミュリエル・ステーシー。
舞台監督のレイチェル・リンドも、衣装係のオリビア・デールも、
プロンプターのジャネット・キングも、み~んな「いつも通り」、
監督も当然「いつも通り」ヘティ・キング!
(負け続けていた時の「いつも通りの主役」は誰だったのでしょう?)

フェリックスは「いつもの妖精役」をイジーに譲って大道具係、
アレックは主演男優で、フェリシティは、レイチェルの助手。

毎回プロンプター役で詰まらないジャネットは、遠慮がちにヘティに申し出て、
台詞の少ない乳搾りのモリー役を与えられました。

コンクールを2週間後に控えた日、
5年連続で優勝しているカーモディのエレノア・マキューに、
散々嫌味を言われたヘティは、マキュー家秘伝の「シュトゥルーデル」と、
キング家に伝わる秘中の秘「クランベリーパイ」のレシピを、勝敗に賭けてしまう。

ところが稽古初日、ミュリエルは急病で倒れた兄に会いに行くため、
コンクールには参加できないと言う…
優勝を諦めかけたヘティでしたが、アレックの提案で代役の選考会を行うことに。
ジャネットの意外な才能に気付いたヘティとオリビアは、代役をジャネットに決定!

今までヘティに褒められたことなんて、一度も無かったんだもの。
初めて頼りにしてくれたのよ。
ア~人生最良の日だわ。
もちろん結婚の日は別よ。
あんた
(フェリシティ)が産まれた日もね。
それに、フェリックスとセシリーとダニエルの日も…それ以外じゃ~
…」

とジャネットが大喜びしたのも束の間、
ヘティは、お忍びでホテルに滞在していた大女優のイザベル・キャリントンに
主役を頼んでしまう。
しかも、牛飼いのモリー役は、クララ・ポッツになってしまっていたし…
理不尽なヘティの仕打ちに、深く傷付けられるジャネット…可哀想…

退屈しのぎに引き受けただけのイザベルは、
衣装に文句を言い、台詞も勝手に変え、
演出も馬鹿にするに至って、堪忍袋の緒が切れたヘティたち…

まったく!不作法で、不躾で、子供じみて、一人よがりで…」(ヘティ)
傲慢!」(トレメイン)
「そう、傲慢で自分本位で、それに…」(ヘティ)
高慢ちき!」(オリビア)
高慢ちきよ。親の顔が見たいものだわね。」(ヘティ)

イザベル・キャリントンが降りたことで、一旦は負けを覚悟し、
「クランベリーパイ」のレシピを書くヘティでしたが、
オリビアに促されて、ジャネットに頭を下げに…

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ところで、レシピ通りに「シュトゥルーデル」を作ったのに、味が変…
ヘティったら、「嘘を教えて寄越したんだわね。
フンッ!あの人のやりそうなことだわア~ア」だって!
…自分だって、隠し味の「チェリージュース」を、
ワザと「レモンジュース」と書いていたくせに…同類でしょ。

<名言>
ヘティのためじゃ無いさ。
キング家に、代々伝わるクランベリーパイのためでもないぞ。
…お前自身のためにやるんだよ。
」(アレック)

「…あたしはいつも、目の前にある仕事に力を注ぐことで不安を解消したの。
だから、あなたも、舞台に全部ぶつけてしまえばいいのよ。
さあ、大丈夫よ。あたしが太鼓判押すわ。
もし、しくじったら、台本のせいになさい。頑張って!
」(ヘティ)

「アボンリーへの道」<第5シリーズ>
第57話「演劇コンクール」(Strictly Melodrama)より

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アウンサンスーチーさん

アウンサンスーチーさんが心配です。

少し前のニュースには、
「血圧が低下し脱水症状を起こすなど健康状態が悪化し、
食事が摂れない状態で医師が禁中の自宅を訪れ、
3時間掛けて点滴を行った。」とありましたし、
最新のニュースでは、自宅軟禁の条件を守らなかったとして、
「国家転覆防御法」違反の罪で起訴されたとありました。

ノーベル平和賞を受賞しでも、アムネスティから認定されても、
ミャンマー軍事政権(ビルマ)にとっては、危険人物なのですよね…

日本は、軍事政権を承認し援助している国ですから、
当然ながら、反体制派の民主化運動指導者を、
気の毒などとは思わないのでしょうけど…。

アウンサンスーチーさんは、スレンダーで美しく本当に強い人…
でも、自宅軟禁から20年経ち、彼女のお身体が心配です。

ところで、時々「アウン・サン・スー・チー」とか「スーチーさん」などと
書かれていることがありますが、なぜでしょうか…?

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なべとおふ

「なべとおふ」…
何のことか分かる人はいるのかしら…?
“鍋料理に入れる豆腐のこと?”
…だったら「なべとうふ」ですから…

じゃあ、「おなべふ」は…?
かつての少年少女だったなら、
きっと「おなべふ」を知っているでしょうね。
そう、子供の占いです。
占いと言うより、暇つぶし的な単純な遊びですね。

遊び方は至って簡単。
  相手の手の中指に、自分の小指を合わせ、小指と親指を広げ、
  親指が届いた位置(相手の手首付近)からスタートして、
  「」と言いながら、
  自分の両手の親指を交互に当てて、腕を掴むように上へ上へと進み、
  肘の内側の曲がる所で止めて、
  自分の片方の親指を当てたまま、相手の肘を曲げ、
  その時の字で占います。
  「→お利口、→泣き虫、→勉強家、→不良」という風に…
  (説明が下手で御免なさい。)

でも、私が生まれ育った地域では、何故か「おなべふ」ではなく、
」だったのです。
→泣き虫、→勉強が出来る、→とんま、→怒りん坊、→不良」
でした。
(「とんま」「不良」という言葉に、時代を感じますよね~)

本来は、親指の幅で測るように進むのだけど、
ワザと親指を詰め気味に置いて、相手を「」にしたものでしたね。

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己が名をほのかに呼びて
涙せし
十四の春にかへる術なし

夜寝ても口笛吹きぬ
口笛は
十五の我の歌にしありけり

             ~石川啄木『一握の砂』~

せめて10歳若かったら…
などと思うことも偶にはあるけれど、
それでも、もし、ジーニーに、「三つの願い」を叶えてくれると言われても、
この時代で若くはなりたくない。

やっぱり、自分が過ごした時代がいい…
あの時代に青春時代を送れたことに感謝しています。

今日は色々あって、疲れました。
…心が…

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「ぼく読めないの」

学校が嫌いなデイビーは、新学期早々遅刻し、
宿題も、指を怪我したと嘘をついて、ドーラに書かせる始末…

ローズコテージでも問題を起こし、
セーラに「困らせるために、わざとやったでしょ!」と責められる。

実は、デイビーは字が読めなかったのです。
それに気付いたセーラが字を教えてやって一件落着。
(レイチェルは「十進法に慣れなくて」と言いますが、
私は十二進法の方が難しい。)

久しぶりに登場したデイビーとドーラの双子…
キング家の子供たちが大きくなってしまったからでしょうか?
でも何故か私は、デイビーに好感が持てなくて…

まるで夜逃げのように去っていった「ローソンのお店」に代わって、
ミュリエルが店を開きました。
何だか、アボンリーに戻ってきたミュリエルの居場所を作るために、
ローソン夫人が降板させられた様にも思えてしまったのですが…

フェリシティは「学校を卒業して、カレッジの入学試験まで暇だから…」
と言っていましたが、カレッジの入学試験って何月?
それより、カレッジの新学期は何月なのでしょう?

モーガンは、士官学校に入学したけれど、
フェリックスの方が、モーガンより年上と思っていました。

刑務所まで来てくれ。デイビーとドーラは連れてこないように。
との息子ビリーから手紙が届き、
刑務所の所長になった息子の就任式に出席するため、
急きょ旅立ったレイチェル・リンド…

でも、「ビリーが刑務所に…絶対、誰にも言うなよ!」の噂話に尾ビレが付いて、
踊り子に貢ぐ為、9人殺し2000ドル奪って逃げた…絞首刑になった。
までになり、喪服で出迎えに行ってしまったヘティ…

レイチェル、隠すことはないんだから。もう、無理しないで頂戴。
いいのよ、だって、全部分かってるんですもの。
私の口からは、言えないけど…
もう、よして頂戴。詰まらない見栄は捨てて。
絞首刑のことですよ、隠すことはないのよ。
だって、ビリーが道を誤ったのは、あなたのせいじゃないもの。
多少はあるけど。

これには、大笑いするしかないレイチェルでした。

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一番印象に残っているのは、イジーのドレスのくだりです。

いつでも男の子の様な格好のイジーですが、
それは、“父親がドレスを嫌っている”と思い込んでいるからなのです。

オリビアに頼まれ、モンゴメリのベビーシッターをした時のこと、
作りかけのセシリーのドレスを見つめるイジー…そして、こっそり試着…
(セシリーは登場せず。)
オリビアから、
…そりゃあ、押し付けるのはいけませんけど、
着る機会を作ってあげてはどうでしょう?
…ペティボーンさん、あの子は、あなたが思う程、男勝りじゃないんです。
たまには、ドレスだって着てみたいんですよ。

と言われ、初めて娘の成長に気付いたクライブ・ペティボーンでした。

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<クライブの名言>
「“服装は男を表す”と、父が昔よく言ってた。
しかし必ずしもそうではない。
見てくれだけは立派でも、いざとなると役に立たず、とんだ見かけ倒しだと分かる。
そういうことが多々あった。
つまり、男はやはり内面が大事なんだ
それは、女性についても、きっと言えることだろう若い女性にも
…いいドレスだな。
私はお前を自慢に思っているし、何を着ていても自慢に変わりはない
ズボンでもドレスでもな。
…お前の方が、そこらの兵士より、よっぽど頼りになる。」

「アボンリーへの道」<第5シリーズ>
第56話「ぼく読めないの」(A Friend in Need)より

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小夏

先日、生まれて初めて、「小夏」という名前の柑橘類を味わいましたよ。

おうちコープ(宅配)のカタログで見つけ、迷わず注文したのですが、
配達されるまでの間、自分でも可笑しい位ソワソワしてましたね。

大きさは「八朔」くらいですが、球体に近く、
すべすべした表皮はレモン色で、グレープフルーツの一回り小さい感じ…
それとも、ザボンの小型と言えばいいのかしら…?

でも、実物のザボンを見たことが無いのですよ…
(ザボンと言えば、高校の修学旅行で九州に行った時、
みんな、「ザボンの砂糖漬」を、お土産に買ったのに、
家まで我慢できずにバスの中で食べていましたが、私もその一人…
甘くて苦くて、後を引く味を思い出しますね。)

本当は冷やした方がいいのでしょうが、あえて室温のままで頂きました。
その方が自然の味でしょ?

リンゴの様に皮を剥いて、皮の内側の白い部分も食べるのですが、
少し苦いのかな?との予想に反し、全然苦く無いのですよ。

むしろ微かに甘く、果肉と混ざり合って、
程よい甘さと、程よい酸味がお口に広がり、期待をはるかに超えた美味しさ!
「小さな夏」に相応しい、上品でスッキリ爽やかなお味でしたよ。

「小夏」を教えてくださった方、本当にありがとうございました。
でも、残念なことに、身近では売られていないのですよね。
次は、いつ会えるのかしら…?

それにしても、呼び捨てにしたら申し訳ないくらい、可愛い名前ですよね。
絣の着物を着た女の子が浮かびますね。

ミカンの産地に生まれ育ちながら、柑橘類について知らない私…
花粉症に効果があるという「ジャバラ(邪払)」も知りませんでした。

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緑のそよかぜ~

“緑のそよ風 いい日だね~”の季節ですね…
と言うより、もう、暑いくらいですね。

今日は、町内会の年中行事の一つ、「側溝の掃除」の日でした。

でも、盗難防止のため側溝のフタが固定されている今、
特別やることも無いのですよ。

それでも開始時間には、みんな、「ちょんちょんぐわ」などを片手に集まって、
コンクリートの隙間から生えている、細かい雑草を取るのですが、
小さなスミレまで、取ってしまうのですよね…

もう花が咲いてないからスミレと気付かない…では無く、
誰かが、
“これ、スミレだよね。どうする?…取っていいよねぇ~?”
と言えば、みんな口々に、
“取っていいよ~”“取っちゃって~”と、答えるのですよ…

私は、内心、“取らないで!”と思うのですが、もちろん黙っていますよ。
変わり者と思われるだけですからね。

それに、野生の草花は強いのですから。
いくら無惨に取ってしまっても、きっと、来年も生えてきますから…

「ちょんちょんぐわ」とは、草取り専用の小さい鍬のこと。
     我が家の草取り用は、ピッケルの超小型版なんですよ。

20090510 庭の片隅に咲く「ベルフラワー(乙女桔梗)」。
自生しているかのように、自然で可憐に咲いています。
(直径2㎝くらい)

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「サヘルとフローラ」

「サヘルとフローラ ~イラン人親子の東京物語~」
動画サイトにありましたよ。
じき、削除されてしまいそうですが…

「サヘルとフローラ ~イラン人親子の東京物語~」1/4

「サヘルとフローラ ~イラン人親子の東京物語~」2/4 

「サヘルとフローラ ~イラン人親子の東京物語~」3/4

「サヘルとフローラ ~イラン人親子の東京物語~」4/4

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八木重吉…(2)

一晩中の激しい雨に、少々睡眠不足になりました。
今は降ってはいませんが、今日はどうでしょうか?

ところで、八木重吉の詩集「秋の瞳」の序文に、

私は、友が無くては、耐へられぬのです。
しかし、私には、ありません。
この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。
そして、私を、あなたの友にしてください。

とあります。
これを読むたび、涙が出そうになるのです。
私もそうだから…友人はいても、本当に「友」と呼べる人はいないのです。
きっと重吉も、そうだったのでしょうね。

重吉は家族の詩を沢山残していますが、
中でも、長女桃子の詩が多いような気がします。

赤い寝衣
湯あがりの桃子は赤いねまきを着て
おしやべりしながら
ふとんのあたりを跳ねまわつてゐた
まつ赤なからだの上したへ手と足とがとびだして
くるつときりようのいい顔をのせ
ひよこひよこおどつてゐたが
もうしづかな障子のそばへねむつてゐる
 ~「貧しき信徒」より~


ほんとうによく晴れた朝だ
桃子は窓をあけて首をだして
桃ちやん いい子 いい子うよ
桃ちやん いい子 いい子うよつて歌つてゐる
 ~「貧しき信徒」より~

可愛い盛りだった桃子さんも、
父の死から10年後の昭和12年(1937)に、15歳の若さで亡くなり、
その2年半後には、16歳だったの長男の陽二さんも亡くなってしまいました。

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晴れるかと思われた昨日の雨も、午後になって本降りに戻りました。
今日も朝から激しい雨、今は止んでいますが、予報では明日も雨マーク。

でも、雨の日は好き、気持ちが落ち着くから…

八木重吉には、雨の詩が多くあります。
私が好きなのは、詩というより一人言みたいな次の詩です。


窓をあけて雨をみていると
なんにも要らないから
こうしておだやかなきもちでいたいとおもう

雨を見ていて、穏やかな気持ちになれる人…
その人(重吉)が、優しい人だからでしょう。

ところで、「あめの 日」という題の詩があります。

しろい きのこ
きいろい きのこ


あめの 日
しずかな 日

「白いきのこ、黄色いきのこ」の「きのこ」を、
今まで何の疑問も抱かず、勝手に「傘」のことと思っていたのですが、
今頃になって、急に、文字通りキノコのことだったと気付きました。

八木重吉は明治生まれの人、重吉の子供達は大正生まれですから、
当時は、まだ白や黄色の洋傘は無かったでしょう…
では一体、何のキノコだったのでしょうね?

幼稚園の時の傘については、全く記憶にありませんが、
小学生の頃の傘は、はっきり覚えています。

当時、通学用の傘は黄色ではなく、男子も女子も黒いこうもり傘でした。
女子用は、柄の持ち手だけは、赤いプラスチック製でしたが…

生地が木綿なので、濡れると重く、また乾きにくかったですよね。
新しいうちは、憎らしいほど真っ黒なのに、
(日に干して乾かすため)じき色褪せてしまったものでした。

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美しい人

午前の雨空も明るくなりました。
昨日からの頭痛も、少しだけ楽になりました。

少し前のこと、「徹子の部屋」でサヘル・ローズさんを知りました。
サヘルさんはイラン出身で現在23歳、赤い民族衣装がよく似合う美しい女性でした。
(滝川クリサヘル(滝川クリステルさんの真似)をやっているらしい。)

8歳の時に来日されたと言うだけあって、日本人より美しい日本語でしたが、
彼女が語った生い立ちは、その美貌からは想像できない過酷なものでした。

イラン・イラク戦争の空爆で、両親と10人の兄姉が亡くなってしまったのですが、
救助活動のボランティアの女子大生が、
瓦礫の間から出たサヘルさんの手を偶然見つけて、奇跡的に救出されたとか。

助けてくれた女性が、里親を見つけるための孤児院のオーディション映像を、
偶然目にして、養子にしてくれたのですが、
そのことで、貴族の家柄のため勘当の身となってしまった養母は、
日本で働いていた恋人を頼ってサヘルさんと来日…
でも、サヘルさんの存在から、二人の関係が険悪となり、
“恋人か子供”かの選択に迫れらた時、サヘルさんを選んでくれたとのことでした。

学校の給食があったサヘルさんはまだしも、
お母さんは、食事もまともに摂れない極貧状態の中で、
絨毯を織る仕事をしながら、育ててくれたそうです。
一日織って、わずか3ミリ…目にも肩にも悪いでしょうね。

一番感銘を受けたのは、サヘルさんが学校で酷いイジメにあい、
「あんな子、どこかに行ってしまえばいいのに。」と言った時に、
お母さんは「そう言っているサヘルの方が醜い。」と諭したそうです。

お母さんに、何か贈り物をしようとしても、
お金は「自分のために使いなさい。」と言われてしまうとか…
美しい人…それはサヘルさんのお母さんのこと。
顔も知らないお母さんですが…

と思っていましたが、昨日、NHKの「ホリデーにっぽん」という番組の、
「サヘルとフローラ~イラン人親子の東京物語~」で、お母さんを知りました。
…途中から偶然観たのですが、最初から観たかった…

お母さんは、サヘルさんを愛しいつも心配している小柄で綺麗な女性でした。
お二人は貧しい暮らしの中で、毎年イランに寄付しているそうで、
将来の夢は、「イランに孤児院を作ること」とか…本当に美しい人たち…

サヘル・ローズさんの著書「戦場から女優へ」を読みたくて、
市の図書館で検索してみたけれど、予想通り予約があり暫くは無理みたい。

サヘルさんのブログ(sahel日記)の優しい言葉で、ホッとさせてもらってます。

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八木重吉

今日は、五節句の一つの「端午の節句」、
そして、二十四節気の一つの「立夏」でもありました。

私は、頭痛で何も出来なかった一日…雨のせいかしら…?
こういう日は、八木重吉の詩でも読んで過ごすしかないですね。

好きなのは、昔から変わることなく、同じ題の「心 よ」という詩。

「心 よ」
ほのかにも いろづいてゆく こころ
われながら あいらしいこころよ
ながれ ゆくものよ
さあ それならば ゆくがいい
「役立たぬもの」にあくがれて はてしなく
まぼろしを 追うて かぎりなく
こころときめいて かけりゆけよ

「心 よ」
こころよ
では いっておいで

しかし
また もどっておいでね

やっぱり
ここが いいのだに

こころよ
では 行っておいで

でも一番好きなのは、「人形」という優しい詩です。

「人 形」
ねころんでいたらば
うまのりになっていた桃子が
そっとせなかへ人形をのせていってしまった
うたをうたいながらあっちへいってしまった
そのささやかな人形のおもみがうれしくて
はらばいになったまま
胸をふくらめてみたりつぼめたりしていた

八木重吉の二人の遺児も、父親と同じ病で夭逝したことを思うと、
この、ほのぼのとした詩も、悲しいです。

頭痛、明日は治って欲しいな…

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『ニュー・シネマ・パラダイス(完全版)』

『ニュー・シネマ・パラダイス』の完全版、1ヶ月以上経って、ようやく観ました。
何しろ、3時間(弱)ですからね。
気持ちはあっても、なかなか観られないのですよ。
結局、何回かに分けて見たのですが…

完全版は、劇場版とは、まるで印象の違う作品になっていました。

前は、トト(サルヴァトーレ)とアルフレードの友情を中心に、
ノスタルジックで、しみじみとした作品のように感じましたが、
完全版では、サルバトーレ(ジャック・ペラン)とエレナの
切ないラブストーリーになっていました。

今まで、エレナの悲しい別れも、
初恋にありがちな、“美しく儚い思い出”と思っていましたが、
意外にも、過去形でな無かったのです。

映画監督として成功したサルヴァトーレ(トト)は、
アルフレード(フィリップ・ノワレ)の葬儀のため、30年ぶりに帰郷しますが、
町で偶然、エレナにそっくりな若い女性を見掛けたことから、
(最初私は、“幻影”かと思いました。)、エレナとも再会…

エレナから、「種明かし」がされるのですが、
アルフレードの知られざる一面には、ちょっとビックリ…
勿論、サルヴァトーレの将来を思えばこその親心なのですが…

よく、“初恋の人と会わない方が良い。”と言いますが、
この二人は、お互いの誤解が解けたのですから、逢えて良かったですよ。

劇場版と完全版(ディレクターズ・カット)、
趣は違っても、どちらも素晴らしい作品には違いありません。
が、完全版を観たことで、なんとなくスッキリしてなかった部分が晴れた感じです。

ところで、30年後のエレナに扮していたのは、
『禁じられた遊び』(仏)のブリジッド・フォッセーでした。

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「おめでとう誕生日」

50歳の誕生日の朝、緊張からか気分が優れないヘティは、
セーラやオリビアからの祝福にも不機嫌で、
誕生日を祝うことには、何故か否定的です。
(ジャッキー・バロウズさんは1939年生まれなので撮影当時55歳位…
老け過ぎ…)

最新作の出版の為の打ち合わせのため、朝食も取らずに出掛けたヘティは、
新しい経営者に、新作を散々けなされた挙げ句、作家としても否定され、
その上、契約も破棄されてしまいます。

ヘティに内緒で、びっくりパーティーの準備をしていたみんなは、
5時の予定が2時には戻るとの電話で大慌て…その混乱ぶりが可笑しかったです。

打ちのめされていたヘティは、みんなの余所余所しい態度に更に傷付きます。
そして、盲腸炎で緊急手術…原題が「メメント・モリ」ですから。

気ままで誰より陽気、海が好きで学校をいつも遅刻していた子供の頃のヘティ…
早くに母親が亡くなり、早く大人にならなければいけなかった長女のヘティ…

ヘティへのプレゼントが、それぞれの性格を表してました。
前から欲しがってしたカメオのブローチをあげたセーラ、オリビアからは花束、
レイチェルは
「パーティーはいいけれど、プレゼントを持って行くのがねぇ~」
と言いながらハンカチ1枚に決めたのですが、イライザおばさんから、
「40年の友情の証が、安っぽいハンカチ1枚?
鼻をかむにはいいけれどね。」と言われ、ブルーのティーセットにしました。

イライザおばさんですが、セーラに欲しがってる物を聞いたり、
ジャネットからは「ローソンさんのお店にある物を選べば?」と言われ、
お金に糸目を付けないからと、銀製の手鏡とブラシのセットに決めましたが、
「年を取ると、こういうの(鏡)見なくなるのよね。」と気付いて、
再度、雑貨店へ行って、ローソン夫人にも尋ね…
最終的に決めたプレゼントは、お金では買えないものでした。

「ありがとうイライザ、こんな嬉しい贈り物は初めてだわ。」と言ったヘティ…
イライザおばさんもヘティも素敵です。

誰よりキング先生を敬愛しているガスなのに、いなかったのが疑問でした。

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ところで、ヘティからの電話は、スプリングデールからでしたが、
ヘティが、アボンリー行きの汽車を待っている駅舎には、
セーラとルイザが映ってました。

これは、第1話で、アボンリーに到着したセーラとルイザが、
迎えのアレックを待っている時の場面だと思いますが、
今回、ミュリエルとセーラが自動車でヘティを迎えに行ったのは、
別のアボンリー駅でした。

ちなみに、停車駅のお知らせは、
「スプリングデール、カーモディー、ヒルズデール、アボンリー、
エメラルド、サマーサイド…」でした…

<名言集>
「山(ヘティ)が動いて来ないなら、山のもとに行くべきね。」(ミュリエル)

「人生は、どれだけのことをしたのじゃなく、どう生きたかなの。」(ヘティの母)

「心に残る物を贈りたかったの。
あたしは、今まで、ピアノを習う機会が無かった。
それが、この年になって物覚えもひどく悪いけど、フェリシティに教わったわ…
…だからヘティ、遅過ぎることなんてことはないの。
何でも始められる。…これが贈り物。」(イライザおばさん)

「皿洗いや何かに、かまけてばかりいちゃ駄目なのよ。
夕陽だって見なくちゃ。」(ヘティ)

「アボンリーへの道」<第5シリーズ>
第55話「おめでとう誕生日」
(Memento Mori)より

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八十八夜と「ちゃっきり節」

♪~夏の近づくく八十八夜
   野にも山にも若葉が茂る~~

今日5月2日は、立春から数えて八十八日目、
この辺りでは、もう随分前から新茶は出回っていて、
先月、駅では毎年恒例の新茶のサービスが行われていました。

新茶だけでなく、茶筒を開けた時の清々しいお茶の香りは、
疲れた頭と心をリフレッシュさせてくれますね。

♪~唄はちやっきりぶし 男は次郎長
   花はたちばな 夏はたちばな 茶のかをり
   ちやっきり ちやっきり ちやっきりよ
   きやァる(蛙)が啼くんて(「で」は間違い)雨づらよ

“ちゃっきり”は、お茶の葉を刈る鋏の音(茶切りからとも)、
“蛙が鳴いているから、(明日はきっと)雨になるでしょうね。”
という意味なのですが、身近に茶畑は無かったし、
親の世代でも使われていない言葉だったから、
子供の頃は、意味が分からなかったです。

全国的にも有名な「ちゃっきり節」ですが、
地元の人でも、この曲が民謡ではなく、元々はコマーシャルソングということを、
知っている人は案外少ないのではないでしょうか。

この曲、1927年(昭和2年)に開園した狐ヶ崎遊園地のCMソングとして、
静鉄(静岡鉄道、当時は静岡電気鉄道)が依頼して作られたものなのだとか。
(作詩:北原白秋、作曲:町田嘉章(まちだかしょう)、唄:市丸)

(当初、白秋は「きやァろ(蛙)が啼くので」と書いたのですが、
その後、長田恒雄(静岡出身)から、“方言では「啼くんて」”と言われ、
改めたそうです。)

私が知っている歌詞は1番だけ、2番は何となく聞いたことがある程度、
3番に至っては、存在さえ知らなかったのだけど、
実はこの曲、30番まであったのです…驚きました。
(分からない方言ばかり…)

全部の歌詞はこちら。

続きを読む "八十八夜と「ちゃっきり節」"

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誕生日

今日から5月…
今年も、もう3分の1、過ぎてしまったのですね。
気分一新、一月早いけれど、衣替えをしてみました。

私は4月生まれ、同学年の中で早く年を取ってしまうと思ったのも昔のこと、
今では、何月生まれであっても、同じことですね。

何はともあれ、先月、誕生日はやって来ました。
誰からも「おめでとう」の言葉も無く、プレゼントも御馳走もなく、
勿論、自分へのご褒美などあるはずも無く…
いつもと変わらない24時間が過ぎただけでした。
それでいいのですよ、もう嬉しくない日なのですから。

「誕生日は親に感謝する日」…少なくとも育ててくれた事には感謝しています。
心の中で、「ありがとう」と言いました。

それにしても、自分の歳には驚きです。
何かの書類に年齢を書き込む時、
「えっ、嘘でしょ!?」と思ってしまうのは私だけなの?
気持ちだけは、昔と少しも変わらないというのにね。

来年は、ついに暦が戻ってしまうけれど、その日、何を思うのでしょう…

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