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ビキニデー

3月1日は、ビキニデーです。

55回目の今年も、核廃絶を願う多くの参加者が焼津駅前に集結し、
久保山愛吉さんが眠る弘徳院まで、献花行進されたことでしょう。

1954年3月1日、
マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカによる水爆実験で、
「第五福竜丸」の船員23名全員(平均年齢25歳)が、
「死の灰」を浴びて被爆しました。

無線長だった久保山愛吉もその一人で、約半年後、
“原水爆の被爆者は、私を最後にして欲しい。
他の乗組員のためにも、遺体を解剖をして欲しい”
の遺言を残し亡くなりました。
享年40歳…

先日放送の「その時歴史が動いた」
“3000万の署名 大国を揺るがす~第五福竜丸が伝えた核の恐怖~”
によれば、女性グループから起こった原水爆禁止署名運動が、
「第1回の原水爆禁止世界大会」に発展したのだそうです。

アメリカ政府は、久保山さんの死因が放射能被害ではなく、
輸血の際の医師の不適切な処置によるものと発表していて、
現在も訂正されていないのです…

また「人道的処置」とて、日本政府に200万ドルが支払われたのも、
日米の政府間において、
「今後一切、この件についての法的責任は一切問わない。
汚染された魚が獲れたとしても、被爆者が亡くなっても、追加のお金は払わない。
この200万ドルをもって、すべては解決した。」
ということなのです。

当時の200万ドルは7億2000万円、でも水産業者の被害額は25億円で、
船員に支払われた金額はその中の、極々僅かに過ぎなかった…
それでも、その見舞金が世間の妬みを招き、多方面から寄付を求められたり、
被爆したことで差別を受け、仕事にも就けず、
焼津市から離れることを余儀なくされた人も多かったのです。

久保山さんの病理標本のついては、最近の新聞記事にもありましたが、
米軍病理研究所が、遺体の解剖に立ち会った在日軍人の軍医に、
病理標本の入手を指示…それを核被害否定に利用されていたらしく、
どうも、日本政府も協力していたようです。

ところで、昔、新藤兼人監督作品の『第五福竜丸』(1959)という映画があって、
私も小学校の時に「映画教室」で見ましたが、幼かったので記憶は微かです。

久保山愛吉さん(宇野重吉さん)が甲板で、降ってきた死の灰を久舐めるシーンや、
「原爆マグロ」が恐れられていたこと、「放射能探知機」のガーという音などです。

焼津市で暮らす同年代の知人から、撮影現場を見に行ったと聞いた事があります。
…もうこの映画を知っている人は少ないでしょう。

「第五福竜丸」は、いつの世までも風化されないで欲しいものです。

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