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『母恋い放浪記』

西村滋さんの著書は、何冊か読んだのですが、
『お菓子放浪記』以外で手元にある本といえば、
『母い恋放浪記』、『雨にも負けて 風にも負けて~1日だけの名優たち~』
『おとうさんのひとつの歌』の3冊です。

情けない事に、いずれの本も内容を覚えていませんが、
それでも、『母い恋放浪記』だけは、忘れられない箇所があります。

1925年、名古屋生まれの西村滋さんは、6歳で母、9歳で父と死別し、
小学校も、4年生までしか通わず、その後は孤児院などを転々とし、
13歳で補導され施設に入れられてしまったのですが、
母との別れの際、悲しくは無かったそうです。

それは、
彼が4歳の時、母親は結核を患い、裏庭に建てられた離れに隔離され、
近づくことも許されなかった…
…幼稚園で習った歌を、何度も大声で歌わされていたのですが…

母恋しさに、家族に見つからないようにして、離れの高い窓によじ登れば、
優しかった母とは別人の恐ろしげな罵声が返され、
幼心に母に食べさせたいと、お菓子の箱を差し入れれば、
激しく罵倒され、投げ返されてしまった…

近所の子供達からは、「お前の母さん、キ…」と囃され、
“母から嫌われてしまった”と思い込んでしまい、棺の母を見ることも無く、
家政婦さんから渡された、薬包紙で折った折り鶴も、
あっさり捨ててしまったのでした。
…後になり、悔やんでも悔やみきれないことでしたが…

程なく父は若い後添いを迎え、母の愛に飢えた6歳の少年は、
継母に異常なまでに阿るのですが、
裏目に出て愛されること無く、やがて父とも死別…

母の本心を知ったのは、彼が施設にいた時のこと、
母の世話をしていた家政婦さんが、面会に来てくれたからです。

当時、結核といえば感染する不治の病と恐れられ、
本来なら、サナトリウムなどに入院しなければならないのですが、
一度入院すれは、生きては帰れず、子供の面会も受けられない。

愛する我が子の気配を感じさせて欲しいと、夫に泣いて懇願し、
離れを建てて貰ったという訳なのです。

我が子に憎まれる様に、殊の外、辛く当たったのは、
“自分が死んだ時に、せめて、悲しい思いをさせないようにしてあげたい。
死んだ母親を恋しがっていたら、
継母になつかないだろうし、そんな子を、継母は愛さないだろうから…”

母の深い愛に、涙が出てしまいました。
西村さんも、母親の愛を知ったからこそ、今があるのでしょうね。

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『母恋い放浪記』(主婦の友社)…第6回 路傍の石 文学賞 受賞
『雨にも負けて 風にも負けて~1日だけの名優たち~』(民衆社)
…第2回 日本ノンフィクション賞 受賞
『おとうさんのひとつの歌』(民衆社)

<路傍の石 文学賞>
第1回受賞 『太陽の子』(灰谷健次郎)
第5回受賞 『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子)
(どちらも素晴らしい本でした。)

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