縁日での恐怖
外国でも、そうかも知れませんが、日本には一年中、何かしらお祭りがあります。
縁日やお祭りと聞けば、今も昔も、老いも若きも(古今東西、老若男女)、
心躍るものでしょう。
迷子にならないようにと、親に手をしっかり手を捕まれながら、
雑踏の中を歩いた幼いあの日、
ヨーヨー釣りや金魚すくいなどは、上手に出来た例しが無く、
お店のおじさんから、一つだけ渡されたものでした。
綿菓子やハッカのパイプ、油断すると、空高く逃げてしまう大きな風船、
セルロイドのお面は男の子用ばかりで、女の子用と言えば、
姫様ぐらいしかないことに、幼心に差別を感じたり…
お祭りで買って貰った物の中でも、鮮明に覚えているのは、
綺麗な薄紅色の紙で作られ、舞妓さんやお花の絵が描かれている日傘です。
大きさは色々あったけれど、毎年、決まって程々の物を買って貰っていました。
でも、お祭りや縁日は楽しいだけではありません。
必ず、異常な程、恐ろしい思いをするのでした。
白い着物を着て、後ろにヒラヒラの付いた兵隊帽(?)を、目深に被り、
大きなマスクで顔を隠した2~3人の元兵隊が、
松葉杖で支えられながら、物乞いしている姿は、とても不気味で恐ろしいものでした。
(友達に聞くところに因れば、傷口を見せていたとか…)
絶対見たくないと、親の衣服に隠れながら歩いても、
アコーディオンやハーモニカで奏でる「天然の美(美しき天然)」や軍歌の、
もの悲しいメロディーだけは、否応無しに耳に入ってしまう…
一刻も早く通り過ぎたいけれど、人混みで思うように歩けないのです。
子供の取っては、異常に恐怖の対象だった傷痍軍人ですが、
戦争体験者の大人に取っても、好意的には思われていなかった様で、
母などは「あの人達は恩給を貰っているのに…」とか、
「○○ちゃんのお父さんは…」と、戦争で片足を失いながらも、
普通に働いていた近所の人の事を言うのでした。
その後、この歳までに数々の恐怖体験をしましたが、
あれ程の恐怖感は無かった様な気がします。
傷痍軍人という言葉も知らなかった幼いの頃の恐怖体験、
でもなぜ、あれ程まで怖く感じたのでしょうか…?
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