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『地下鉄(メトロ)に乗って』

最近、人に勧められ『地下鉄(メトロ)に乗って』(2006年)を見たのですが、
原作を読んでない私にとっては、疑問だらけでした。
疑問と言うより、納得出来ないと言う方が合っているのですが…

プロローグは、昭和36年の一コマが映し出され、
主人公・長谷部真次(堤 真一)の父、小沼佐吉(大沢たかお)の暴君ぶりが、
回想として描き出されました。

地下鉄のホームのベンチで電車を待つ真次の前に、突然現れた謎の老人…
老人は、高校の時の野平先生で、その日は兄の命日とということでした。

その後、真次は昭和39年にタイムスリップしている事に気付くのですが、
不思議なのは、昭和39年の赤電話から、現在の電話に通じることです。
(もしかして、パラレル・ワールドなの?)

そこは、東京オリンピック直前の10月4日、
出会った若者達が、、山手線を“やまのてせん”と言っていましたが、
当時は、まだ、“やまてせん”だったはず…

タイムスリップするお話に、リアリティーを追求するのも変ですが、
時代考証は、しっかりやって欲しかったです。
当時を知っているスタッフが、居なかったのでしょうか?

町のセットはちゃちながら、一応、それなりに作られていても、
人物が現代人にしか見えないために、感情移入が出来なかったです。
服装も、一見アイビー・ルック風ですが、微妙に違っていたし、
髪型も今風でした。

また、聞き違いかも知れませんが、
アムール(佐吉)が「何てさまだ!」と叫んだのも気になりました。
(完全に重箱の隅をつついている私…)

何回目かでは、いきなり物乞いの人がいたことで、タイムスリップに気付き、
そに直後に、タイムスリップの合図の地下鉄の走る映像…
順序が逆では?

出征する佐吉が、地下鉄に乗り込んで来た時の雰囲気や
戦場で「満州まで地下鉄で来た」という台詞にも、違和感を覚えました。

また、公衆電話から掛かってきた息子の電話に、
出生の秘密をばらす母親がいるでしょうか?
つまり、兄の自殺の原因は父ではなく、母だったということです。

お時(常磐貴子)が、みち子(岡本 綾)の母で、
真次とみち子が異母兄妹と判明した時、二人共、驚いた様子も無く、
みち子が胎児だった自分を消したのに、指輪が残っているというのも疑問…
(真次は、怪訝そうな表情を浮かべていた。)

父を否定し続けていた真次なのに、みち子と交際している真次…
理性とは裏腹に、DNAがそうさせてしまうのでしょうか?

エピローグは、何事も無かった如く、息子とキャッチボールしている真次。
全ては白昼夢だったの…?

『バック・トュ・ザ・フューチャー』は楽しく見る事が出来たのに、
この作品は、共感出来る人も無く、腑に落ちない事ばかり、
是非とも原作を読まなければ…

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コメント

コメントありがとうございました。
みち子が自分を消したのは、お時との最後の会話からも解るように、
お時の幸せよりも、真次の幸せを願ったからなのですよ。
だからこそ「ありがとう、おかあさん。ごめんなさい」と謝ったのです。

投稿: Michi | 2008年11月22日 (土) 23:36

結構、重箱の隅で楽しんでないね。
私は、なぜ、みち子が自分を消したか、それが一番疑問で、また疑問を超えて、なぜか心に残っています。

投稿: | 2008年11月22日 (土) 21:09

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